明日はタケノコ三昧です

令和2年5月2日

昨日、またまたタケノコを収穫してきた職員が、「タケノコの味噌汁だけでなくてタケノコご飯も食べたいですね。」との発言に私が食らいつきました。「よーし。明日はたけのこご飯にタケノコの味噌汁を作るぞ。」と言うと、タケノコを採ってきた張本人の北島部長が真面目な顔で「理事長、明日ではなくて日曜日にしませんか。」と言うので「どうして」と聞くと「日曜日の方が体制が取りやすいので」との事で、明日、タケノコご飯とタケノコの味噌汁を作る事になったのです。(最初は翌日のように話をしていたので、若園管理栄養士が真顔で「明日は公休なんですが出勤します。」との話まで出てきて、本部施設の職員の真面目さに感謝です。)

味噌汁の他にご飯も作れるようになったのは、以前に寸胴で芋煮会の煮炊きをしている時に地元の方が「珍しい事をしとるな。自分の家にはご飯を炊くのも置いてあるけど、必要だったら持ってくるぞ。」と言われたので私は「喜んで頂きに行きます。」と答えたら、翌日には持って来て貰えたのがあるからです。しかしながら、正直、小さい時に住んでいた家には『おくどさん』(そのように言っていたと思います。)があり、調理をしていたのを確かに『見ていた』記憶はあるのですが、自分で炊事をした記憶はなく、今になって『無謀』な計画だと思っていますが、1回目がなければ何も始まらないので頑張るのみ・・・。しかしながら、ご飯を炊く初体験が『たけのこご飯』とは、如何にも私らしいなと自分の事ながら呆れてしまいます。

明日の事とは言えドキドキなので、インターネットでたけのこご飯の炊き方を検索して見てもたいしたことは書いて無く、ここは昔のことわざ『百聞は一見に如かず』で。いやいや、『百聞は一見に如かず』でもしっくりこないな。ここは、気合あるのみで、上手くいかなくてみんなが食べてくれなければ、責任もって3升のご飯を頑張って食べますか。でも、そんなことになってしまったら「ますます体重が増えてまう。」・・・。「そんなこまい事を気にせず、気合一発」で頑張ります。ここは、母秋江さんの教えの通り、『蒔かん種は生えない』で、あるいは『失敗は成功の基』。そう言えば最近、薬師寺執事長の大谷徹奘師の『メールde法話』の中に『実験に失敗したエジソンが「これではダメということが判った‘‘成功‘‘だ。」』と言うのを『法句経』に説かれている『滴水』の説明の中でされていたのを思い出しました。でもでも、明日のたけのこご飯と味噌汁は失敗が許されないのでリピーターの皆さん上手に出来て入居者さん、利用者さん喜んで貰えるように祈って下さい。多分大丈夫だと思うのですが・・・。

 

新型コロナウイルス対応への雑感

令和2年5月1日

国会において国民一人当たり十万円の給付金が支給される事が決定した。今までからすると驚異的な早さでの決定だと思います。但し、新型コロナウイルスの終息の見込みが立たない状況においては『一の矢』であり、『一件落着』と言うわけにはいかないので、国も地方行政も今後の展開を考えて実施して頂きたい。勿論、国民一人ひとりも『基本に忠実』を心掛けていきたいものです。しかし、昨日書いた100年前とは違い現代社会においては『心無い国民』の存在についても議論し配慮していかなければいけない。『ハード面の充実は百年前よりはるかに進んだがソフト面では退化したのではないかと言わざるを得ない。』と、思っていたのですが、ノーベル賞を受賞された京都大学の山中教授は朝の番組で『日本の発症の仕方は特異で国民全てが危機感を持つのが難しい状況だ。』との考えを言われていたので改めて考えてみるに、「確かに爆発的な拡がりがあるとは言い難く恐怖を感じない方が存在しても仕方がない状況なのかな。但し、介護老人福祉施設を経営・運営している私はリスクヘッジに努めていかなければいけない。だから、私自身は当然の事、職員、入居者、利用者とその家族、施設に関わる多くの方々のご理解を得て終息を祈りつつ、これからも気を引き締めての展開をして、尚且つ施設に活気と笑顔を作っていかねば」と考えています。しかしながら、どういう中から出てきたのか私には理解出来なかった事があります。それは、学校の新学期を9月にすると言う考え方です。確かに今は学校が休業にしていて、「半年学校を休業にして、国際化に合わせよう」との考え方は、考え方によっては『災い転じて福』との考え方ともいえますが、コロナ対策で大変な時に果たして文部科学省が大変な制度設計に対する対応が出来るのかと大いに疑問に思っています。確かに国際化に乘った対応をするとの考え方を全面的に否定するつもりはありませんが、混乱が混乱を生む結果になれば結局子ども達が迷惑を講じるので熟慮としっかりとした準備をして貰いたい。私が資生堂財団の海外研修(アメリカ)に参加した時、一人の子どものケースを専門家集団が真剣に討議をしているのを目の当たりにして将来に対する投資をしっかりとする国だと思いました。今は新型コロナウイルスにより、会社も飲食店も観光地も疲弊して、倒産の憂き目にさらされている所が多くあるように思います。こんな時には国や地方行政も手厚く支援の手を差しのべ、新型コロナが終息してからしっかりと再開出来て日本の反映に寄与出来るような体制をとって貰いたい。また、当施設のように目に見えないものと粛々と戦っているところにも配慮して貰えるようにリピーターの皆さんも応援して頂ければ嬉しいです。

新型コロナで面白い記事を見つけました

令和2年4月30日

それは、『週刊現代5月2・9日号』の『1918年、世界が震撼したパンデミック、スペイン風邪』の1コーナーに『歴史の逆襲と新型コロナへの教訓』の記事です。【スペイン風邪からちょうど約1世紀を経て、世界中に新型コロナウイルスが到来した。いまの日本の状況は、100年前の世相に通じるところが多々ある。例えば、1919年に愛媛県が作成した「予防心得」5点セットは、病人の隔離、人混み回避、マスクの着用、うがいの励行、子どもと老人の注意だった。これに手荒い励行を加えれば、現在の新型コロナウイルス対策と、ほとんど変わらない。アメリカでは、電車に乗車する際、マスクの着用を義務付けた。マスクの価格高騰と不足も、100年前に問題になっていた。『神戸新聞』(1920年1月23日付)は「団体的に安いマスクを造れ」と呼び掛けている。当時の政府は、全国の警察官に腐心していた。だが、「アベノマスク」のような各家庭への配布は行わなかった。そのため民間のオフィスや工場では、各人が用意して「マスク出勤」する姿が見られた。当時も医療崩壊や院内感染が、全国各地で起こった。同時に、患者が急増したことで、病院の増築も急ピッチで行われた。(中略)温泉地などの観光産業は、現在と同様、軒並み閑古鳥が鳴いた。街の銭湯からも人が消えた。ウイルスの進化ほどに、人間は進化していないということかもしれない。】この記事から私なりのコメントをします。先ずは「予防心得」は100年前に言われた事が、現代にも通じると言う事は私の口癖「基本に忠実」に通じていると思いますし、新型コロナの恐怖によって基本に忠実が徹底した為か、風邪をひいたりインフルエンザになる人が減ったようにも思いました。マスクの高騰も同じような現象ですが、時代を感じるのはマスク不足に便乗したのが色々出てきているのには世相を感じています。それから一番懸念をしたのはスペイン風邪が流行った年が1919年と言う事です。私は取り合えず中学と高校の社会科の教員資格を持っていますので、100年前がどんなだったかわかりますよ。路面電車と馬車が通りを走り、自動車やバイクはどこにも走っていなかったでしょうし、服装は洋服の方も和服だったりの時代ですよ。でも、100年前も今も新型のウイルスに対する恐怖は変わらない。もっともっと医療、科学が進化して新型ウイルスが発症した時には額に『新型ウイルス』と出てくる時代が・・・。そんな事はありえへーん。「おそまつ」

馬頭観音まで健康的に歩きました。

令和2年4月29日

昼食を済ませてから、施設の奥に大きな砂防ダムが出来る為の工事の進捗状況を見に行くと共に、久しぶりに(多分15年ぶり)県境に設置されている馬頭観音まで爽やかな気候に誘われて歩いてみました。途中までは砂防工事の為の道路が綺麗に出来ていて、「随分様変わりしたな。」と思いながら歩いて行き、工事をしている所の奥に進んで行くと途端に険しい道になり、15年前には軽トラックだったら上って行けた道がとても通れる状況になく、私は金剛杖をつきながら何とか目的地である『馬頭観音』(写真①)に辿り着き般若心経を1巻唱えもう少し行くと滋賀県との境だと思われる所を見つけました。(写真②、③)(※③には『これより東不破郡今須』と書いてありました。)

① ②

③

帰りは、別ルートで帰る事にすると比較的整備された道を歩く事が出来たので写真を撮りながら歩いて行きました。大きな立派な木には持ち主が分る様に印が書いてありました。(写真④)

④

どんどん進みながら思ったのは、枝打ちがしてあるので木々の間に光も入るので木の成長も早いし真っすぐに育っていることがわかりました。(写真⑤、⑥、⑦)

⑤ ⑥ ⑦

あまりに大きくて立派な木があったので思わず抱きかかえようとしたのですが太刀打ち出来ませんでした。(写真⑧)

⑧

川のほとりで久しぶりに見つけました。(写真⑨)

⑨

これが何なのかリピーターの皆さんはお分かりですか。『ふき』と違いますよ。『わさび』ですよ。15年前はこの谷に一杯自生していて、施設の敷地の中にも『わさび田』を作っていたのですが、水の管理が難しくて挫折したのですが「ここにはまだあった」と感動しました。次に見つけたのは『タケノコ』(写真⑩)です。

⑩

竹藪の中には一杯にょきにょきと土から出ていましたが、民家から直ぐの所でしたが、「珍しくも無いので採る事をされないのかな」と変に感動してしまいました。山道を下り終えて民家がある町道に出ると天気も良くてスカッと伊吹山が見えました。(写真⑪)

⑪

田圃には水が引かれ田植えのスタンバイが出来ているのがわかりました。(写真⑫)

⑫

そして1時間以上かけての散歩なのかハイキングなのかはともかく施設に戻り施設の玄関先が賑やかなので上を見上げると『ツバメ』が巣を作っていて「忘れずに帰ってきたね」と声を掛けました。(写真⑬)

2020042913561501

新型コロナウイルスの影響で外出する機会は全くと言って良い位に減りましたが、天気に恵まれ入居者さんも落ち着いている状況での有意義な時間が持てて心豊かになったように思いました。そして改めて本体施設がある環境の良さに幸福感を味わう事が出来ました。リピーターの皆さん。健康の為とリフレッシュ感を味わう為に出来るだけこのような時間を持ちたいと今は考えているのですが、果たして・・・・・。

            

 

 

いわゆるゴールデンウィークは好天の行楽日和なのに

令和2年4月28日

朝、6時代の天気予報の週間予報では、ほとんどが晴れマーク。にも係わらず新型コロナウイルスの影響で『自粛』で基本的に外出できない。稼ぎどころの観光地では悔しい思いをされている事と思うし、子どもたちと家族で出掛けたいと考えられていた方にとっては残念な話だし、それどころか家にいなければいけない状況に『うんざり』なのではないでしょうか。

天気予報の後のニュースで旦那さんのお小遣いが大幅にダウンしているとの話題に改めて家族の中で父親は『一番の弱者なのか』と思ってしまいました。私自身は公的な会議は基本的に文書による決済もしくはウェブ上の会議のみ。(3月18日に東京出張してからは行ってません。)

昨夜は本部施設で19時から全体会があったのですが、いつものように会議室ではなくて、地域交流スペース内のホールに間隔を開けて椅子のみを置き、30分のみの会議としました。敢えて会議を開催したのは改めて緊張感を持っての対応に理解して貰う為のものと考えたからです。文書をメールボックスに入れたり、パソコン上だけでは真意が伝わらないし徹底しないとの思いからです。

予定通り19時30分に終了し、本日サプライズで、職員全員の理解を得て法人顧問の烏野先生の学部長就任のお祝いの万年筆(新元号令和記念の品)の贈呈をして、烏野先生には益々頑張って頂くように話をして、大変喜んで頂けました。

ところで、新型コロナウイルスの影響で『予定は未定で決定ではない』が色々な形で現れているのですが、例えば、3月末にはベトナムから3人の留学生とインドネシアから2人のインターンシップが本部施設への仲間入りが決まっていたのですが、叶わすで未だ日本に来る予定が立たず、逆に3年が経過したインドネシアからの介護福祉士候補生は6月に1ヶ月間里帰りする予定が叶わず一旦帰国をキャンセルする事になっているし。

本日、特定技能の食品関係で三重県に来ていたインドネシアの女性が新型コロナウイルスで職を失い困っているとの事で、彼女は日本語検定3級を取得し、職をなくして改めて介護の試験を受けて合格したと言う事で、本部施設には敷地内にアパートもある事が有利に働き、本日面接の予定をしていたのですが、健康診断の予約を優先させて本日の面接は出来なかったのですか、近い内には来てくれるものと思っています。

新型コロナウイルスが終息を迎えるまでは本当に予定が立たないし、準備に時間を要するものは早々に中止や延期を決めなければいけないので、事実、全国老施協の全国大会山形大会の中止の通知が来た次第です。一番の懸念は延期されたものがタイトな日程で組まれる事です。

しかしながら、そんな心配をするより早く新型コロナウイルスが終息して、通常の生活を送れるようにリピーターの皆さんと一緒に祈りたいですので宜しくお願い致します。

『半沢直樹」を久しぶりに見ました

令和2年4月27日

昨日は、午前零時10分からの対応だったので、新館の1階、2階のお参りの後のカラオケでの熱唱?で力尽き15時30分に帰らせて貰い、その時間から寝てしまうと、本格的に寝ようとした時に眠れなくなったり、昼夜逆転の様になってしまってはいけないので「頑張って起きてる為にどうしたらいいのかな」と考えている時に「そう言えば、半沢直樹の続編が近日公開って言ってたな。」と言うことで、何年か前の誕生プレゼントで貰ったDVDを見る事にしました。

流石に半沢直樹です。眠いはずの私の目がパッチリと開いて躍動感を持って見る事が出来ました。そして改めて思ったのは、半沢直樹自身が窮地に陥った時に奥さんである『花』(上戸彩)が支えになったり、部下が助けてくれたり、一生懸命の中で協力者が現れたり、同期入社の友達や大学時代の同窓生が助けてくれたりと綱渡りのような形で進んでも、最終的には目的を達成するストーリーを見ながらつくづく実感したのは、「私の生き様も同じような気がする。」と言う事は私の生き様は、テレビやコミックの様にあり得ない生き方なのかと思っています。そう言う意味では私の生き様は稀有なものだと言えるので、「今ある事に感謝しなければいけない。」と思っています。

ところで、金融庁検査で天敵愛之助との戦いも勝利した半沢直樹が出世街道まっしぐらかと思ったら頭取(北大路欣也)からの出向の辞令がなされたところで終了しているので、『100倍返し』の次の展開を早くみたいと思うと同時に「大変な思いをして手に入れた展開こそ充実感がある。」とも思いました。と言う事は、今、新規事業で足ふみしている状況は『試練』だと思えば勇気が湧いてくると言うものです。そんな事を考えていると砂田おさむさんの『人生夢の途中駅』の歌が浮かんできました。『夢中でかけた時代もあった、振り向けば、雨や嵐の試練の道も・・・』いやいや、私の生き方は、演歌でありドラマですか。いやいや。まだまだ山あり谷ありのしんどい人生が待っていると思うのですが、『一生懸命に無駄なし』でこれからも頑張りますのでリピーターの皆さん、これからも応援よろしくお願いします。

 【追記】

いつまで経っても私の火の番役は続きますが、イノシシのサルも採ろうとすることもないようなタケノコの子ども?を職員が採ってきました。あまりに素晴らしく小さくてそれでいて一人前の形をしていたので思わず写真に撮りました。

2020042712551001 2020042712552501

 

昨日はビックリしたし、改めて凄いと思った事と本日テンションが上がった事

令和2年4月26日

ビックリしたし、改めて凄いと思った人物は私をそして、施設を20有余年支えて下さっている今は優・悠・邑家族会会長の吉田儀一さんの事です。今はタケノコの話題で持ちきりの時期なのですが、一昨日3回目のタケノコを湯がいている時に薪が少なくなってきたので、火の番をしている時に携帯で(ちなみに私の携帯はガラケーですが)吉田儀一さんに「材木の端木で言いのであれば頂きに行きたいのですが」と言うと「一杯あるのでその内に持って行くは」と言われ、正に翌日である昨日16時前にユニックに木材を積んだ車が施設の玄関先に停まったのです。

IMG_0791

私は木の端とイメージしていたので、まさかその材木がいわゆる『木端』だとは考えられず、玄関先に行くとユニック付ダンプに載っている材木が依頼をした『木端』だとの事で思わす絶句。吉田儀一さんのような建築にかかわる業界での『木端』のレベルの差に改めて絶句です。材木(私的にはこの呼び方の方がしっくりいきます)をユニックを操作してみえる吉田儀一さんを見ていて、改めて『口八丁手八丁』の方だと思いました。作業を見ていて、材木を完全に下まで降ろさず浮いた状態でいわゆる宙ぶらりんの状態で操作を一旦止められたので不思議に思っていると、荷台からチェンソを持ち出し、「適当な長さに切ってないと大変やろ」と行って大きな束を手際よく切って下さるのを、私は感心しながら見ているばかりでした。

IMG_0794 IMG_0797 IMG_0802

本日は月一の家族会主催の誕生会なのですが、昨日お世話になった家族会会長の吉田儀一さんが都合が悪いとの事で、代理で私がプレゼントを今月誕生日の方に渡す事になったのですが、本館2階で一人の男性にお渡しするととても喜んで頂き、その勢いで新館1階に行くと3人の女性の方が対象者で99歳、97歳、95歳と、90歳代トリオで「皆さん長寿で長生きだな」と思いながら、新館2階に行くと本日のおおとりの100歳の方がみえて、「100才の誕生日おめでとうございます。」と言ってプレゼントをお渡しするとベット上ではありましたが「ぎょうさん生きた。」と嬉しそうにされたので、わたしも嬉しくなりました。

IMG_0805 IMG_0806 IMG_0807 IMG_0811

その後、新館2階のお参りで皆さんが待ってみえるところでもい一人誕生日の方がみえたのでプレゼントをお渡ししようとして、つくづく思いました。それは、誕生日の方が81歳になる女性の方だったのですが、100歳の方の後だった事もあり、めっちゃ若く感じました。と言う事は80歳そこそこはまだまだ若いと言う事か。つまり、『50、60はな垂れ小僧』いやいや『70、80はな垂れ小僧』かと思いました。

IMG_0809

誕生会の後新館1階2階それぞれでお経を腹のそこから唱え、お経の後1曲づつカラオケで歌も披露しました。ちなみに曲目はジェリー藤尾さんの『遠くへ行きたい』と杉良太郎さんの『すきま風』です。リピーターの皆さんも一度熱唱している私を見にいやいや聞きに来て下さい。但し、新型コロナウイルスが終息してから。

IMG_0818 IMG_0815

本日は午前零時10分に宿直者の吉田部長から看取りの連絡を貰ってからの対応にくたくたになりながらも入居者さんに元気を貰いました。だから頑張れる。ありがたい事です。

 

同志の匂いがする文章を見つけました

令和2年4月25日

新型コロナウイルスの影響でことごとく会議や研修が中止もしくは延期になって『不要不急』の中で、逆転の発想(そんな大袈裟な事ではないのですが)精力的に資料の整理をしている時に福岡県久留米市にある『オスカー社会保険労務士法人』から親展できている封筒を見つけ開封すると事務所便りが入っていて、その鏡文の中に『当たり前』と言うタイトルの文章があり、読んでいくに連れ興味が沸いて来たのでこのコーナーで紹介します。(勝手に添削しましたので、お詫びの手紙と共にパンフレット等を同封して送り、出来ればこれからも交流が出来ればと思っています。)

【社労士になったばかりの頃、トヨタの工場見学に行く機会があった。その時、動線やら、きびきびした作業態度やら、細かい管理方法やら、別の業界の私が見ても得るものが多いと感激していた時、一緒に回っていた、多分業界関連の下請けの社長様も、兎に角素晴らしい。●●はどうしていますか?△は?と、矢継ぎ早に質問されていました。そして、質問に答える社員さんが何度も「当たり前の事ですので」と言われていた。その時私は、心をわしづかみされた。かっこいい!決してその方がイケメンだったというわけではない。()この「当たり前」と言うフレーズに一瞬で恋に落ちた。「当たり前」と言う意識してすることではなく、無意識にすることの凄さよー。人生観が変わった言葉であった。

それから、何十年たっただろうか。私は密かに、自分の当たり前の水準を上げていく事を目標としてきた。人一倍、自分に甘い私の性格が災いして、なかなか、成果が表れないのが玉に瑕なのですが()。ただ、気が付いたことは、そこまでしなくていいのでは?と思っても、そこまでやってみよう。と言う位の話しなのですが。これが結構、力も時間も使うことになるので、自分で気が付かないふりをしたい時もあります。しかし、自分の当たり前を向上させていきたい。自分の当たり前の角度を変えていきたい。そして、常に自分の当たり前に疑問を持っていきたいと言う欲求の方が、少しだけ上回る自分でいたいと思っております。・・・(以下略)】

私は添削しながら、「うんうん」と頷きながらも、私が常に言っている『有言実行』の言葉と相通じるものがあるのではないかと思っています。私の場合はそんな時に「何もそんなにしんどい思いをしてまで、火中の栗を拾うような事をしなくても」とか「人が良すぎます」とか「理事長さんなのにまめですね。」とか言われるのですが、そんな時は「私がやらずに誰がやるの」と答えてがむしゃらに形にしていく。多分この文章を書かれた方も同じような生き方なんだろうなと思ったのでコラムにして紹介したのです。

私の青春時代には『シラケ時代』等と揶揄された時代に『無駄』と言われる事も一杯してきて今がある。でも、今考えてみると決して無駄な事はなかったなと思えるようになってきました。これからも姉光子の干支の猪ではありません(ちなみに私は巳年です。)『猪突猛進』で頑張りますのでリピーターの皆さんこれからも宜しくお願い致します。

 

発想の転換

令和2年4月24日

『発想の転換』の一つ目は、当法人のホームページの理事長コラムのコーナーで最近『禍を転じて福と為す』について書きましたが、最近の本部施設では、毎日の様に『タケノコ祭り』が行われています。いつもいつも『タケノコの味噌汁では芸が無い』と私は考えながら施設に行くと、水野相談員が「竹串に刺したタケノコを焼いて味噌をつけて食べて頂いたら喜んで貰えるのではないですか」との提案に思わず「その提案に乗った」と早速、味噌と砂糖とお酒を買って来て施設に戻ると既にコンロの準備が出来ていて炭火も真っ赤になっていると共に山椒とわらびを採りに行っているチームまで編成されていて、改めて当施設の職員の祭りが好きなのが多くいる事に感謝と呆れを覚えました。

喫茶の厨房では、昨日採ったふきとタケノコの煮炊きがされていて、玄関先ではタケノコを焼いて味噌の香ばしい匂いに釣られて入居者さんや利用者さんが見学に順次みえて(3密にならない配慮をしてます。)焼き立ての味噌が付いたのを「こんな食べ方は初めてだけど美味しい」と言われて大はしゃぎ。昼食にはふきとタケノコを炊いたのを提供して、明日は、本日採ってきたわらびとタケノコを提供する予定でいます。

IMG_1616 IMG_0773 IMG_0779 IMG_0781

確かに新型コロナウイルスは目に見えない恐怖ですが、それに打ち勝つ『笑顔』も大切だと考えての展開です。2つ目の『発想の転換』は今朝の朝刊でタクシー業界が食べ物業界と組んで宅食を始めた。と言うものです。確かに「お客が来ない」と嘆くだけでは何も解決しないので、行政側が規制緩和をしていく中で色々な事を考えて急場を凌ぐ事は大切だと思います。

喫茶店の経営者が喫茶店でお客を待っていても来て貰えないのであれば、移動しながらパフェを売るとの発想も素晴らしいと思いました。ある意味今の新型コロナウイルスは戦争状態と言っても良いかも知れません。だったら、今の現状を打破するまで逞しく生きていく術を考えて実践していく事だと思います。間違っても「毎日パチンコに行っていたのだから自己責任でパチンコにいくのがどうしていけないのだ。」とか、海岸にどっと押し寄せることのないようにしたいものだと思うのですが。だって、よーく考えてみてください。

空から爆弾が投下されているような状況の中でパチンコに行ったり海岸で遊んでいますか。絶対にそんなことはあり得ませんよね。日本は良くも悪くも『平和』を謳歌している内に「何でも自分の思い通りになる。」と勘違いされてみえる方が存在しているのかと思います。但し、本当に極一部の方だとは思うのですが。リピーターの皆さんはどう考えられますか。

そう言えば今朝のテレビのニュースでも子育て中の母親がストレスから自分の幼い子どもを虐待死させてしまったとの報道をしてました。私は思うのです。何もかも自分の思う通りになるわけがない。人生山あり谷ありで、演歌の中にも『登坂、下り坂、まさかの坂…』う~ん。いつもの事ながらわけの分からないコラムになってしまい御免なさい。

 

 

猿よりも猪よりもタケノコ採りで勝つ伝説の職員がいたのです

ボランティア室で書類の整理をしていて、事務所に戻った時に事務所にいた職員の数が少なくなっていたので「どこに行ったの」と聞くと「北島部長と水野相談員がタケノコを掘りに行かれてます。」との答えが返ってきたので、私は「3日前に掘ったばかりだけどあれから雨が降ったのでそれなりに出ているのかも知れんな」と思いながら、事務所で収入支出調書の決済印を押していて、結構な時間が経過してから、二人が嬉々として帰って来て、たった今収穫してきたタケノコを見て思わず思いました。「この二人なら猿にも猪にも負ける事はないな」と。

IMG_0757IMG_0755

その後昼食を頂いている間に水野相談員が寸胴の準備をしてくれたので、今須農協にぬかを貰いに行き、帰って来てから先ずは一番大きなタケノコを持って記念写真を北島部長に撮って貰っていると、水野相談員がお塩とビール(お酒の代わりに)を持って来てくれたのでまたまた記念写真を撮って貰い、いよいよ寸胴に点灯式をしようと思ったら本館2階の入居者さんがギャラリーとしてみえたのですがまだ火が燃えてなくて寒い状態だったので少し慌てたのですが、水野相談員が釜戸の中の薪を上手くセットしておいてくれたので、着火剤を薪に擦り付けて火を点けると一発できれいに燃え上がり入居者さんに寒い思いをして貰う事なくわいわいがやがやと楽しんで貰え、デイサービスの利用者さんも含めたくさんの方に見に来て貰えました。

IMG_0754IMG_0756IMG_0762IMG_0765

当施設の職員は洒落とわくわく感がわかる職員がいてくれる事に改めて嬉しくなりました。記念写真は一番大きいタケノコでしたのですが、一番小さいのは猿も猪も含めて見向きもしないのではないかと言うくらい小さなタケノコでしたが、そんなものまで採ってくれて入居者さん利用者さんに喜んで貰いたいとの心意気に私は感謝と共に心暖まりました。話はがらりと変わり、当施設には、職員用のアパートが1Kで20部屋所有しているのですが、買い物に行くのも大変だと言う事でインドネシアの職員は名古屋から来る業者が大垣に来たついでに来てもらえるように手配してあったのですが、それ以外の配慮をしていなかったのですが、最近仲間になってくれた職員が「移動販売が来てくれると助かります。」との話を聞いたので、早速関ヶ原町役場に行き相談すると移動販売の一覧を提供して貰えたので、その中で一番小回りが聞く業者を関ヶ原町社協に電話で聞くと神戸町から来ている『だるま』が良いのではないかと聞いたので早速携帯に連絡してみると「今、滋賀県に来ているので17時前後におじゃまします。」と言われ、ボランティア室で片付けしていると、大きく『だるま』と書いた車が入って来たので、会議室でご挨拶をして、毎週17時5分(デイサービスの見送りが終了した時間)に来て貰える事になり、実際にどのような物があるのかを確認させて貰おうと外に出ると興味のある職員が集まって来てわいわいがやがや。車の中には三方が開くようになっていて、所狭しとしかしながら整然と並んでいました。そして感心したのは結構新鮮でこだわった品物があり、私は先ず最初に久しぶりに家で一杯飲む事にして、大きなホッケを選び、『こだわりの卵』と進められた卵(明日の朝卵ご飯で食べます)を選び、その他に豆腐、漬け物、お菓子、パン、カップ麺等を買いました。本日は突然の連絡にも関わらず来てくれた事への感謝も込めて沢山買いました。しかしながらリピーターの皆さん思いませんか。『だるま』さんは20キロ以上かけて来てみえるのですよ。関ヶ原町の業者は一体何をしとるんやと・・・。

IMG_0767
1 192 193 194 195 196 197 198 199 200 299