今は午前6時38分でお風呂です

令和2年9月24日

【朝一で、新規事業の隣地にある養護老人ホームの施設長さんに招待状を持ってご挨拶に行き、今後の対応について相談に乗って頂き、隣の整地がされている新規事業を見に行くと起工式が行われるであろう所に大きなテントを建てて貰うように木枠で印がしてあり、その大きさに驚いてしまいました。(13時からの新規事業の打ち合わせの冒頭に岐建の常務さんにテントの大きさを聞いたところ、横8メートル、縦22メートルとの事でビックリでなくて感動です。)その後施設に帰り、デイサービスの職員に公用車の運転許可の確認の為、先ずは車イスの操作を確認。一生懸命さは伝わってきたのですが、残念ながらフットレスの頭の位置の確認が出来ていないことを指摘してより緊張をさせてしまいましたが、「最初が肝心」その後は丁寧な運転が出来たので、明日から利用者さんの状況を把握して運転するように話をしました。その後13時から新規事業の打ち合わせを建設、設計、測量、土木、行政書士の皆さんが一同に集まって頂き打ち合わせをしました。15時から全国老施協の会員入会パンフレットの打ち合わせがあり、17時30分までの予定が遥かにオーバーしていて、頑張っている職員との食事会の時間になってしまい、横着く、「次の予定があるといったのが17時40分を遥かに回ったので・・・。大垣にあるしゃぶしゃぶの木曽路に行き久しぶりに美味しいお酒(立山4合)を飲み、今(午後9時45分)は家に帰りコラムを打っていてふと眠気が襲い6百字は書け、眠気が襲いました。リピーターの皆さん。コラムを打ちながら打ったのを確認すると意味不明です。ごめんなさい目がふさんでしまう。とにかくお休みなさいら】

✳お気付きのリピーターさんも多いと思いますが【】での原稿は昨夜の眠い中の書き直しを何回もした足跡です。(そんな大袈裟なものではありませんが)しかしながら、昨夜のコラムは書き直しを諦めたものです。つまり、気力の限界をリピーターの皆さんに理解して頂きたく敢えて記載しました。今はまだお風呂の中ですが、改めて本日の原稿の前段を書きます。(✳つまり、ここまでは前段の前段です)

敬老週間も終盤を迎え残すところ、本日は『バラ湯』で明日の『マツタケ尽くしバイキング』のみとなりました。バラ湯についてはかつての和合の入居者さんの家族が神戸(ごうど)でバラ園を営まれているところへ8時の約束で頂きに行きます。(本当に安く提供して頂けるのでありがたいです。)そして、明日の為の10㎏のマツタケは本日夕方に届けて頂けるように手配しました。(以上までが朝バラを頂きに行く前に書いたものです。)8時のお約束に7分遅れて着いて、ご挨拶をすると、正にバラを包んで頂いていて、出来ている分のバラを車に運び支払いを済ませ、9時前に施設に着くとバラが着くのを待ち構えていた職員が運んでくれて早速記念写真。

その後は月1の歯科受診だったので再び垂井に向け車を走らせ(10時の予約)歯をきれいにして貰い、歯科衛生士の方から「奥歯を糸ようじで丁寧に磨いて下さい。)とのいつもの決め台詞。私は心の中で「自分できれいに出来るのなら歯医者に行くか」。

再び本部施設に戻り、明後日に迫った起工式の手順について、吉田部長として、最終的な法人側の招待者は45人になった事を決め、14時から和合の全体会があるので、昼食をとり、再び車で和合に向かいました。和合の全体会は2組に分けて行われ理事長である私がそれぞれの最後にお話をさせて貰い16時に終了して、その後佐藤施設長との打ち合わせをして車に乗ったのは16時20分。17時から昨日の続きの新規会員促進パンフのウェブ会議。施設に着いて事務所に入ったら町広報の17時の放送が・・・。机のパソコンに向かおうとすると明日の松茸の数が一つ足らなくて・・・。ウェブ会議に没頭したいのに。18時までの予定が18時40分まで。取り合えず会議終了後松茸の件で連絡をして、結局1箱が足らない事がわかり、今夜中に施設に届けて貰う事で一件落着。

しかしながら色々な事がありすぎ。でも、リピーターの皆さん思いませんか。色んな事をしているからこそ色んな事が起きると。ちょっとかっこ付けすぎかも。

いよいよ新規事業の起工式まで後3日です

朝一で、新規事業の隣地にある養護老人ホームの施設長さんに招待状を持ってご挨拶に行き、今後の対応について相談に乗って頂き、隣の整地がされている新規事業を見に行くと起工式が行われるであろう所に大きなテントを建てて貰うように木枠で印がしてありその大きさに驚いてしまいました。(13時からの新規事業の打ち合わせの冒頭に岐建の常務さんにテントの大きさを聞いたところ、横8メートル、縦22メートルとの事でビックリでなくて感動です。)その後施設に帰り、デイサービスの職員に公用車の運転許可の確認の為、先ずは車イスの操作を確認。一生懸命さは伝わってきたのですが、残念ながらフットレスの頭の位置の確認が出来ていないことを指摘してより緊張をさせてしまいましたが、「最初が肝心」その後は丁寧な運転が出来たので、明日から利用者さんの状況を把握して運転するように話をしました。その後13時から新規事業の打ち合わせを建設、設計、測量、土木、行政書士の皆さんが一同に集まって頂き打ち合わせをしました。15時から全国老施協な会員入会パンフレットの打ち合わせがあり、17時30分までの予定が遥かにオーバーしていて、頑張っている職員との食事会の時間になってしまい、横着く、「次の予定があるといったのが17時40分を遥かに回ったので・・・。大垣にあるしゃぶしゃぶの木曽路に行き久しぶりに美味しいお酒(立山4合)を飲み、今(午後9時45分)は家に帰りコラムを打っていてふと眠気が襲い6百字は書け、眠気が襲いました。

4連休に思う

国民の休日は何の為にあるのかが今の祝日のあり方に甚だ疑問に思い朝早くから(今の時間は午前5時47分)コラムの原稿にします。

例えば昨日の祝日は『敬老の日』で本日が『秋分の日』と言う事ですが、私の記憶では『敬老の日』は9月15日だったのですが、連休の関係で移動するのは如何なものか。つまり、何の為の祝日なのかと思っています。『敬老の日』は『高齢者を敬う日』だとの感覚を持って過ごされている国民がどれだけおみえになるのか甚だ疑問です。

最も私的には「常に高齢者の方は敬うべき」と思っているので、わざわざ『敬老の日』を設ける必要はないとの考えでいたのですが、幹部職員の提案があり今は『敬老週間』と唱って行っています。しかしながら、10年も続くとその当時に提案した思いがしっかり伝わらないとややもすると形骸化してしまい「昨年もしていたので」と言う事になると『思い』がなくなり折角の企画も単なる行事になってしまう。

介護事業を展開している私にとって、年中無休が基本ですから祭日も休日も関係ない生活ですから「祭日なんて関係ない」と言う事ではなく、入居者さんや利用者さんとの会話であったり色んなイベントに活用させて頂いてます。

現に先般(19日)の振る舞い酒の時も入居者さんがお酒のおかわりを注がれながら「今日は何でこんな良い酒を頂けるの」と言われたので「敬老週間の初日での祝い酒です。」と答えると「そうか」と言われて美味しそうにお酒を飲まれていました。例えば10月10日は『体育の日』だったのがなくなっています。この日に設定されたのは1964年10月10日が東京オリンピックの記念すべき日にちなんでだと聞いています。もし今でもその日が祭日であれば、「東京オリンピックの開会式の日には、こんなことがあったな」との会話が飛び出す事でしょう。

そう言う意味も込めて当施設の敬老週間の最終日は松茸づくしのバイキングです。本部のある施設は緑に囲われた山の中にあります。だから当然の事ながら、50年程前には松茸が採れる山があちこちにありました。だから、多くの入居者さんは松茸の話題になると色々な話をして下さいます。今は本部のある今須では採れませんが、せめて松茸ご飯に松茸のお吸い物、七輪の炭火での焼き松茸を食べて頂く事で、思い出や武勇伝を目を輝かせて話してくだされば最高です。そう言う意味で言うと祭日の日がその年々で変わるのは過去の思い出を語る機会を無くしていて、単に休日を連休にしているだけのようで楽しくないです。

リピーターの皆さんはどのように考えられますか。良ければご意見をお聞かせ下さい。

4時過ぎから戦略を練ってます

令和2年9月21日

昨夜は週一の唯一楽しみなテレビ番組『半沢直樹』を見終えて(延長していたので終了は22時10分)疲れもあった為か、いつもはグラス一杯の冷酒(菊姫)で満足するのに2杯も飲んだ為か、(考えられないくらいにお酒が弱くなってます。)半沢直樹を見終わったら爆睡して、4時過ぎに目覚め(歳をとった性か睡眠時間は短くて大丈夫のようです。)予定表を見ながら、効率的な動き方とより中身の濃いものにすべき戦略を考えています。

私の思考の仕方がいつの間にこの様に出来るようになったのかと考えていて、最終的な結論は『経験則』で育てて貰ったものだから『少しずつ』出来るようになってきた。との結論に達しました。その結論とは、『常に出会いを大切に』と『やらなければいけないと思った事を躊躇なく行動に移す』で!!!(香川さんのような言い回しをイメージして下さい。)さてさて本日はどの様な出会いと展開があるのか今日も楽しみです。(あいからわず前段が長くてごめんなさい。)

7時前に宿直者に新館1階『笑』のユニットの和室を板の間にしてフローリングに替える改修業者が来たら連絡するように連絡しておいたら、7時30分に水野相談員から連絡が来たので朝食を中断して施設に向かうと、改修工事を依頼した責任者がまだ来ていなくて、職人さんが車の外で待っているので、直ぐに携帯で連絡して、8時前に全員が揃ったので、現場となる新館に行き、簡単に確認をして、作業に取りかかって貰いました。平成15年の計画時には需要に合わせた素晴らしい考え方だったのですが、入居条件が要介護3以上になり、畳からの立ち上がりが出来ない方ばかりになった事による改修に一抹の寂しさもありますが16年の経過背景からいってやむ無しと言う事です。

9時まで作業状況を確認して、一旦家に戻り、冷たくなった食事でしたが頂き、26日の起工式の挨拶状を持って関ヶ原の長老と言われる当法人の評議員の自宅に行き関ヶ原町の現況と今後の展開について話をさせて頂きました。その足で最近ご無沙汰している施設の応援者の所に行き、ここでもひとしきりお話をさせて貰い、施設に戻ったのは12時過ぎだったので昼食をとり、今朝4時の目覚めからバタバタだったので20分程グッと寝ました。13時30分からデイサービスのお参りをお約束していて、北島部長が申し訳無さそうに部屋に入ってきたので、一機に目が覚め、静養室の仏間に行くと利用者の皆さんがお待ちなので導師をさせて頂き腹の底から声をだしました。お経とお話で約45分。しかしながら凄いエネルギーを費やしたと思うのですが、引き続き新館2階と1階のお参りもあり尚且つ新館はカラオケ一曲のおまけ付き。全てが終了したのが15時30分。その後は明後日(23日)に新規事業の詳細な打ち合わせがあるので新規事業の状態把握に出掛けました。

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我が家に帰ったのは18時30分。帰って直ぐにお風呂に浸かり夕食になったのですが食事をしていても眠くて、だらだらとした時間が流れようやく今(2049分)コラムを書き終えようとしているのですが、リピーターの皆さん。朝は冴えまくっているのに夜は冴えません。これは、歳をとったことの証しでしょうか。でも・・・。「私の事を絶対に年寄りとは言わせない」

 

コロナ禍での千巻経

令和2年9月20日

午前9時過ぎから新規事業の起工式(9月26日10時から現地垂井町梅谷地区で)の参加者の検討を行っていると11時過ぎに、かつての入居者さんの家族の方が千巻経の案内の葉書を頂いたと言ってわざわざお供えを持って来て下さったので一時打ち合わせを中断してお仏壇に案内したりして、再び打ち合わせをして打ち合わせを終了したのが11時40分で、13時45分スタートで年に1回9月と決めての千巻経を滋賀信行会さんの協力で実施されるのですが、今年はコロナ禍の影響で滋賀信行会からの参加は内藤会長さんの他に青年部から二人(その内の一人は当施設の西川課長)の三人のみ。

その三人の方が早くにみえるといけないので、早々に昼食を食べてしばらくすると内藤会長が来て下さったので、新規事業での祈りの部分の打ち合わせ等をしている間に、全入居者を集めての対応は出来ないので、リモートでのテレビによる実況放送の準備を職員がしてくれ、予定通り13時45分に内藤会長の挨拶の後、内藤会長を導師にしての般若心経21巻のお経が始まりました。例年だと滋賀信行会さんだけで40人近くの方がきて頂け、なおかつ夏の土用団参に参加した中学生や高校生等の元気な声が施設内に響きわたるのですが、今年はそれがない分、内藤会長と私が声を枯らして頑張りました。

一生懸命にお経をあげながら私はけしからん事を考えていて、千巻経が終わり内藤会長らとお茶を飲みながらけしからん事を考えていた事を正直に話をしました。それは何かと言うと、私は内藤会長が導師を勤めて頂いている真後ろだったので内藤会長の頭の後ろがしっかり見えて頭の後頭部がかなり薄くなっている事を話しました。内藤会長は私と同じ歳だから昭和28年生まれの67歳。勿論同級生でもしっかり髪の毛のないのもいますから気にしなければそれまでなのですが、内藤会長は自分の父親(先代会長の弘三先生)が禿げていて前髪で後ろのところをカバーしていたのを、笑って見てたのに、自分が同じような状況になった事をスゴく気にされているようで、悪いことを言ったのかと思うと申し訳無い気分になってきました。

その後内藤会長は頭の後ろをずっと気にされてお見送りで外に出るまで気にされていたのは正直笑えましたが、昔から『人の身を見て我が身を治せ』の格言通りに私も気をつけなければ。

無事に千巻経を終えて新規事業の起工式の案内状を配りに行きバタバタの中、『半沢直樹』までにコラムを書けませーん。リピーター皆さん何とか1000文字は書けましたのでちゃらんぽらんですが継続した事で善しとして下さい。

山形県の酒『十四代』を振る舞いました

令和2年9月19日

特養の敬老週間の初日を(デイサービスは14日から)飾るべく話題騒然になっていた山形県の幻の酒(びわこ学院大学の烏野教授によりますと、地元でもなかなか手に入らないとの事です。)『十四代』を「おつまみは湯豆腐で」との計画で実施するのが本日だったのですが私は朝一で起工式の招待状を配りに行って、施設に帰って来たのが9時45分。既に会場の設定は出来ていて湯豆腐も仕上がっていて、新館の入居者さんは先行して実施されているお茶会に参加されていたので、私は1升瓶の『十四代』を抱えて紙コップ(本当ならば盃にしたかったのですか、コロナウイルス感染症対策の一貫でやむなしです)にお酒を注がさせて貰うのですが、どの入居者さんも満遍の笑顔でコップを持って頂けました。

入居者さんの中には最初は「舐めるくらいで大丈夫」と言われていた方が「この酒は美味いのでもう少し注いで欲しい」と言われる方や、最初から飲むき満々の方がいたりして滅茶苦茶盛り上がりました。最初は「私は飲みません。」と言われていたのに、隣の方が美味しそうに飲まれているのを見て、「私も飲もうかしら」と言われる方や、おかわりの要求が何回もされて、職員側からストップがかかり、「この位で酔っぱらうわけないやろう」と言われる方。「この酒は辛口で美味しい」と酒談義をされる方等々千差万別。但しどの方もいつも以上の笑顔がありました。

職員は新館は外を通っての誘導に大忙しで、おつまみの湯豆腐を提供したり、素敵な笑顔を写真に収めたりと頑張ってくれました。午前中のほぼ2時間で新館1階2階と本館1階2階のフロアの方に来て頂きました。私の姉春子さん(小さい頃は滅茶怖かった方です・・・)には、私のフォローに入って貰う為に朝から来て貰っていて、午後からのデイサービスの対応も手伝って貰いたいと言う事で、コンビニで急遽昼食を買って来て副施設長と休日返上できてくれていた北島部長の4人で昼食をとったのですが、久しぶりに姉春子さんを交えての食事だったので、私の小さい頃の話や母秋江さんの事や私の大学時代はロン毛で痩せていてかっこよかったのに今は体重が倍位になっているとの話で盛り上がり、13時過ぎからデイサービスの利用者さんに来て頂きました。

デイサービスの利用者さんは在宅の要支援者の方からお見えになるので、比較的お元気な方が多くてお酒のピッチも早くて酒の売れ方も早かったです。結局1升のお酒は6割方飲んで頂けたので、夜勤で手伝ってくれた伊藤主任と休みで手伝ってくれた北島部長には、お酒だ足らないといけないと購入しておいた地元の大吟醸『禮泉」(4合瓶)をプレゼントして、吉田部長には残った『十四代』を渡しました。(3人共お酒が大好きです。)2年間コラムを毎日更新したお祝いの品で、多くの方にお裾分け出来て喜んで貰えた事に喜びを感じています。リピーターの皆さん。私はこんな生き方です。これは、母秋江さんの『蒔かん種は生えない』の教えだと思うと13歳の時の教えを(54年前)守っている宏君は偉い。と自画自賛している私です。

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頭の切り替えが大変でした

垂井町へ起工式の案内をお持ちするのに、町議会が9時からあると聞いていたので、8時30分の始業時間に役場に入りたいと朝食を頂いた後にスーツに着替えて家を出ると予想していたよりもスムーズに走れて8時15分に役場に着いて玄関を入ると電気がついてなく、椅子に腰かけて待っていて、8時30分に電気がつき、ご挨拶と共に案内状をお渡しして、再び車に乗り岐阜県庁へ。県庁も議会があると聞いていたので高齢福祉課長さんはみえないかと思って部屋に入って行くと県議会は10時開始で9時過ぎに県庁の駐車場に着いたので直接、古田岐阜県知事の招待状を渡す事が出来、ついでのように、コロナ対策の話と新規事業について、それぞれの担当者の方とお話が出来、ほっとする間もなく施設に向け車を走らせ、本日13時30分からの岐阜県老施協正副会長委員長会議と15時15分から行われる全国老施協会員促進パンフレットの会議の資料の整理をして、昼食を頂くと定刻の10分前になったのでウェブ会議の準備をして(かなり慣れました)画面を見ていて構えていると順次参加者が画面に入ってきたので、それぞれに挨拶をして、定刻に始まり会長としての挨拶をさせて頂き、『コロナ対策に対する覚え書きについて』の議題について討議をしていくなかで、「会員施設に丁寧に話をしていく必要がある」と言う事と『互助の精神』の大切さについて話をしました。二つ目の議題は11月11日の『介護の日』のイベントについて話し合われましたが、この議題もこのコロナ禍でどの様な企画を立てていくべきかについて話し合いをしました。次に外国人材についてもコロナ禍で日本に来れてないなかでの計画変更について話し合いをしました。会議の進行は会長である私がしていたのですが、気が付けば次のウェブ会議の15時15分が近付いていて、バイブにしてあった私の携帯に全国老施協の事務局から催促の電話がかかっていて、最後は正直バタバタでしたが、何とか3分遅れで二つ目の会議に参加して、こちらも、私か委員長なので最初の挨拶をするのですが、先ずは若干遅れての開始になった事のお詫びの挨拶からさせて貰いました。この会議もパンフレットの最終校了の期限を会長にお願いして延ばして貰っているので、速やかに尚且つ完成度が高く非会員施設が「入りたい」と思って貰えるものを作りたいと業者と事務局を交えて行いました。この会議は終了予定が17時だったのてすが議論が白熱して結局17時30分と言う事で30分の延長で終了した時は流石にぐったりで、直ぐに家に帰らせて貰ってお風呂に直行して夕食をとっていても、コラムを書く気力がなくて、結局20時からの『チコちゃんに叱られる』を見る事なくベットに横になってではありますが何とか今(20時52分)コラムが何とか書けました。そこでリピーターの皆さん感じて頂けませんか。「えっ、何を」と思われた方。本日の表題は何だったですか。そう『切り替えの早さ』だったでしょ。つまり、自画自賛と言う事で。

一日大車輪でした

令和2年9月17日

朝一で大垣共立銀行関ヶ原支店長に借り入れの打ち合わせの件で行き、その足で岩田先生(税理士として経理をお願いしていて、当法人の理事)に報告と共に相談にいき、その後新規事業の現地の状況を見に行き、施設に戻る途中で12時の関ヶ原町の広報のチャイムが鳴り、施設に着いたら慌てて昼食を頂き(焼きそば)、14時からの和合の幹部会の為に車を走らせ玄関先まで行くと珍しく施設長と事務長がおで迎いしてくれていたので「今日は二人揃ってのおで迎いは珍しいな」と言うと事務長が「13時30分からの会議だったので」との事で、慌てて会議会場に行くと幹部のメンバーが揃っていたので、早速会議を始めて貰いました。和合の施設もこのコロナ禍で色々な事に苦慮しながらも頑張っていてくれていることは良く理解出来るのですがより一層の質の向上を目指す為に理事長の立場で色々な話をして、予定の15時より20分の超過で終了して、1階ショートステイの利用者さんとのお参りの為に会場設定を変えて貰い、私の導師でのお経を腹の底から出してあげました。

残念ながら今回のお参りも2階と3階の入居者さんはテレビでの実況になったので、どれだけの方がお経をあげて頂いているかはわからないのですが、2階3階にも声が届けとばかりに声を張り上げてのお経となりました。いつもの事ですが、お腹からのお経をした後はスカッとした気分になります。お経の後で少しお話をさせて頂いたのですが、皆さんが一生懸命に耳を傾けてくださったのは有り難かったです。お参りを終えて佐藤施設長と打ち合わせをして、これまた慌てて本部施設に帰りました。

と言うのは本部施設でも本日17時15分から幹部会で、施設に着いたのは17時14分でしたので、絶妙な時間でしたが、会議には間に合いました。本部施設の幹部会らいつもの事ながら意見が多くでて、びわこ学院大学の烏の先生も逐一アドバイスを頂けるので、結局本日も20時を過ぎてしまいました。(20時過ぎに家に帰ってお風呂にゆっくり入ってからの夕食だとお腹に良くない。

いやいや美容に良くない。と言う事で会議の時に準備してあった『たまごパン』と『バナナ』を会議中にむしゃむしゃ食べておいて正解でした。)(こんな生活が続くとガリガリになってまう)幹部会が終了して家に帰る車の中でも、起工式のお客様リストの検討打ち合わせをしていて、家に帰ってお風呂に入っていても電話をしぱなっしで、結局コラムはお風呂では書けず、ベットに横になってガラケーで打ってます。リピーターの皆さん。明日は朝一で岐阜県庁高齢福祉課と垂井町へ起工式の案内状をお持ちしなければいけないのですが、コロナ禍で新規事業が遅れた分、少しでも頑張って時間を有効利用して頑張りたいと思いますのでこれからも宜しくお願いします。

 

起工式までに後10日もない

朝一で大垣共立銀行関ヶ原支店に行き、収入印紙代分16万円をおろしてから、関ヶ原郵便局に行き10万円と6万円の印紙を購入しに受け付けに行き「16万円分の印紙を買いたいのですが」と言うと局員の方が怪訝そうに「優・悠・邑の方ですか」と聞かれたので、どうして聞かれたのかを一瞬考えました。その理由は、私が優・悠・邑の施設長だとは思われなかったので、優・悠・邑以外の方の購入だと昨日電話で私が頼んでおいた収入印紙がなくなる。と思われたのか。しかしながら、関ヶ原のような小さな町で16万円なんて高額なものがそうそう買われるのか。収入印紙を頂いたビニール袋に入れていると局員の方が「高額ですから落とさずにお持ち下さい」と言われたのも面喰らいました。だって、私にとっても16万円は高額だから大切にしますよ。それとも私の所作がいい加減に見えたのか。施設に戻ると、岐建の松井常務さんと担当の寺戸さんが見えて、しばらくするとデザインボックスの八代社長と担当の山口さんがみえたので早速契約の話しになり、私は1分でも早くに契約を済ませたいと印鑑の準備をしていると、松井常務さんから、「取り合えず、契約書に書いてあるのを読みますので」と言われて私は思わず苦笑いです。その後契約書を読んで貰いながら説明を聞き、三者で印鑑を押して正式に契約を結ぶ事が出来ました。その後は今後のスケジュールを話し合うのですが、今月26日が起工式と決めていて、よーく考えたら10日も無いのに何の準備も出来てなくて、「招待する方はだれなのか」も決めてない。嬉しい悲鳴とは言え「エライこっちゃ」。契約が終わり、本日は本部施設で『認知症研修』が行われていて、講師を勤めているのは和合の施設の吉澤統括部長と昼食をとり、13時30分からの全国老人福祉施設協議会正副会長委員長会議のウェブ会議が16時まであり、17時からは岐阜新聞の方との約束があり、契約書の調印後の『ホッ』としたのは18時30分。気が付けば「コラムが出来ていない。」で、お風呂に入り湯に浸かりながら必死にガラケーの携帯でコラムを必死に打っています。コラムを打ちながらいみじくも昼食を吉澤統括部長と頂きながら「忙しい人間程、時間を上手に使えると言われている。暇な方だから頼んだ事をやって貰えると思ったら大きな間違えだ。だから、忙しいからこそ、効率良く仕事が出来るんだ。」と話をした事を。と言う事は時間がないからこそ、私も頑張れるのか。リピーターの皆さん。とにかく、起工式までの10日間頑張りますのでこれからも宜しくお願いします。

新規事業の契約の運びとなりました

令和2年 9月15日

本日10時から建設を受けて頂く事になっている岐建さん(入札では価格が合わなくて辞退だった事は、このコラムで掲載した通りですが)と、設計を請け負っているデザインボックスさんとで当法人が提示した予算に合わせれるかの協議をして貰う事になっていたので、午前中はいつ結果報告が頂けるかと落ち着かない時間を過ごしていて(正直昨夜は眠れませんでした。)12時6分にデザインボックスの八代社長から「これから説明に行きたいのですが」との連絡に「予算を伴いますし、昼食もとって頂いて13時30分からでお願いします。」と電話を切ってから、会計をお任せしている岩田理事(税理士さん)に連絡をして時間的都合をつけて頂き、随意契約の事前打ち合わせ会を緊急で開催する事になりました。先ずはデザインボックスさんから設備面の変更によっての単価を抑えての計画が提案されて、支障がない事を一つひとつ確認して納得がいくまで説明を受けました。そして、価格を抑えるにしても抑え切れない金額の提示が1090万円にのぼるとの事だったので、「ここからの話しは岐建さんを交えてしなければ何ともならないし、理事長としてはこれ以上契約日を延ばすことは出来ないと考えているので、岐建さんに連絡して来て貰います。」と話をして、直ぐに岐建の常務さんに私から連絡すると、「担当者と共に直ぐに伺います。」と言って下さり(私の性格を理解されている常務さんなので、待機されていたのかも知れません。だとすると、やはり切れる方何だと思いました。)30分位デザインボックスさんと話をしていると岐建の常務さんと担当者の方が来て下さり、理事長の私から「予算的な切り詰めをデザインボックスさんとして頂いた事は理解しましたが現実的な開きについては岐建さんの理解を得たいと思いますし、今までに二つの施設を立派に建てて頂いたご縁を理解した答えが欲しい。なお、今回の新規事業は岐阜県で唯一の施設であり、県民の方が広く見守って頂ける施設でもあり是非とも理解して頂きたいし工期の時間を考えると明日の契約を逃すわけにはいかない。」と熱弁を奮いました。そして、岐建の常務さんから「理事長の熱い思いに応えさせて頂き精一杯頑張りたいと思います。」と答えて頂けたのには、会議に参加していた全員が安堵して、契約は明日10時から行うので収入印紙16万円分を用意して欲しい事と起工式は今月26日(大安吉日)に行う事も決めて頂きました。正直安堵すると共に明日の10時までに収入印紙の購入が必要なので関ヶ原郵便局に確認すると手持ちにあるとの事。そこまでの事をしていると、移動販売の『だるま』さんが玄関前に車を停められたので、本日はささやかな一人での祝宴の為のつまみとして、明太子と木綿豆腐を買いました。リピーターの皆さん今日は先日栓を開けた福井の酒『常山』(じょうざん)をグラスに2杯を頂きたいとお風呂でコラムを打ちながら考えています。大きな山を一つ越えましたので、明日からも頑張りますので私の動きをしっかり見ていて下さい。

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