新型コロナウイルス感染症の猛威から半年

令和2年9月6日

日本で新型コロナウイルス感染症の話題をぼちぼちでだしたのが2月。しかしながら、不要不急という事を言いだしたのが4月になってから。私自身の事を言えば3月18日に東京への日帰り出張をしてから、新幹線に乗ることもなく、専ら自家用車での移動のみ。遠出と言っても片道65キロの中部学院大学か約30キロの岐阜県庁か岐阜県福祉会館くらいまで。飲み会はと言うと、3月26日に和合の職員が1年間本部施設での役割を終えてのご苦労さん会で飲食をして以降は無し。(この日は岐阜柳ケ瀬のナイトクラブでクラスターが出た日なので本当はヤバかったのかも・・・。)

※例外として8月20日に静慈圓先生を囲む会で関ケ原駅前の料亭に行きましたが、人数を絞って広い部屋でさせて貰いましたし、施設から噴霧器も持参しました。

施設においては、2月17日から入居者さん利用者さんと家族に協力を得て、面会の制限を制限して、6月に一部解除として面会時間は10分程度二人までとしました。その後も岐阜県知事からの緊急宣言もあり、面会については8月以降パソコンやスマートフォンを活用したウェブ面会にさせて頂きました。また、施設のイベントも『密』を防ぐ為に縮小し工夫をしたものになっています。例えば、6月に実施した『供養祭』では、例年のように当法人の監事をして頂いている法忍寺住職の皆田さんにきて頂き、仏間には家族会会長の吉田さんと理事長である私のみが席に着き、入居者さん利用者さんは各フロアでのテレビ中継で行いそれぞれのフロアでお焼香をして頂きました。また、月一回の私が導師を勤めてのお参りは、二日間で5か所に分けて実施してます。例年8月に総勢800人位が参加される当施設最大のイベントである『夏祭り』も各フロアでそれぞれのアイデアを出してのもので、家族や来賓の方の招待は無しでのもので実施しましたが、各フロアの個性が出たものになり、『コロナ禍との共存共栄』のイベントになっていると思います。

9月と言えば敬老週間ですが、「コロナ禍では出来ない。」とはしないで、(本当に当施設の職員はありがたいです。)この大切なイベントも各フロアで企画を練ってのものになっています。例年だと関西落語の笑福亭伯枝師匠の来演や、大垣の老舗寿司屋『寿司吉』さんの板前さんの来演がありわいわいがやがやと大勢でのイベントは出来ませんが、各フロアでのイベントは1週間にわたって繰り広げられます。なお、敬老週間の封切の19日には、私も一役買って冷奴を準備しての大吟醸酒『十四代』の振る舞いコーナーを企画しました。また、20日には『千巻経』も企画されていますが、お仏壇前で『般若心経』をあげさせてもらうのは、滋賀信行会の内藤会長と滋賀信行会青年部の役員2人と私のみですが、供養祭の時と同じく各フロアへのテレビ中継をさせて頂き、それぞれので思いっ切り般若心経を唱えて貰いますし、滋賀信行会青年会の皆さんはスマートフォンでの参加をして頂く手はずが整っています。

確かに新型コロナウイルス感染症対策は万全でなければいけませんが、抵抗力を付ける為にも「今日一日楽しかったよ」の毎日は大切です。当施設の職員は総力上げてコロナ禍に負けないように奮闘してます。リピーターの皆さん。優・悠・邑に声援をお願い致します。

 

寄り添いの毎日の中で

お陰さまで本部本館施設が事業開始して23年目を迎えていますが、私の生き方は『未知の世界に飛び込んでから感性で動いてきた結果』のように思っています。

最初の『未知の世界』は児童養護施設に飛び込んだ時です。『福祉』の『ふ』の字も知らないでの船出。仕事に就いた当初は「紹介して下さった方に申し訳ないので来年3月までは勤めよう」くらいの、その当時の若者の軽さだったと思いますが、世間知らずの私には注意をされる毎日が新鮮だった事と自分があまりに幸せな日々を送ってきた事に対しての反省にたった時、『自分が出来る事を精一杯やらなければ』との思いでした。

そんな日々の中で、子ども達の学習プリントを一人ひとりの学習習熟度に合わせて作っていったのが私の今を築いてくれたと言っても過言ではありません。指導しなけれはいけないのに自分が解けない問題の時にはその都度頭を下げて手土産を持って教えを乞いに行ったのも今となっては私の財産になっています。38歳で児童養護施設の指導員時代の13年間の間に得意になった事の一つに夏休みの宿題の読書感想文が書けない子に代わって沢山書きました。その時には小1であれば小1の子になりきり、中1の子であれば中1の子になりきって書きました。そんな事をしている内にそれぞれの子の気持ちがわかってきて指導にも一層磨きがかかってきたように思います。

つまり、相手の身になって何をすべきかを考えて実践してきた事により自分を成長させて貰ってきたように思っています。38歳で児童養護施設を辞し非常勤講師で週に13コマも担当していた時には、講義をしながら学生達の反応を見ながら話題を考えながらの講義で『学生達が望んでいる講義』の流れが出来てきて、今ではどんな状況であっても話が出来るように学生達に鍛えて貰ったと思っています。

未知の世界と言えば『特別養護老人ホーム』の展開も未知のものでしたが、相手の方が何を望まれているかを考えながらの対応で段々と高齢者の対応が理解出来るようになってきたと思います。入居者さん利用者さんが何を求めているかを考えての実践です。勿論すべてを受け入れる事は出来ませんが出来る事は形にしていくスタンスです。それは家族の願いも含めて言える事だと考えています。私の拙い生きざまであっても精一杯形にしていく事で結果的には私自身を成長させて頂いている。何と幸せな人生なのかと感じています。

本日はバテバテで17時に施設から帰りコラムを打っていて知らぬ間に眠りについてしまい、眠る前に書いた文章を読み返すと支離滅裂のように感じましたがリピーターの皆さん書き替える気力もないのでハチャメチャなコラムになってしまいましたが勘弁して下さい。今(午後7時24分)はお風呂に浸かりながらのものですが、お風呂からあがったら菊姫をコップ一杯だけ頂いて明日に備えて明日は理路整然とした文を書く事をお約束して、限界ですお風呂から出ま~す。

9月2日に続いて「成年後見人」について述べます

令和2年9月4日

成年後見人制度の本質は理解しているつもりですが、社会福祉士会所属の方が成年後見人をされているとなると、『建前と本音』の部分で随分考え方が違うとの話をします。

私の場合は26歳までのいい加減な生き方の中で紆余曲折があり、たいした考えも無しに飛び込んだ『福祉の世界』だったのですが、どっぷり40年以上この世界でうごめいていると、究極的には『福祉は相手の身になって行うもの』と言う考え方に至ったのです。決して『自己犠牲の中で行うものでは無く』て『自ら行う奉仕の心』が大切だと考えています。介護の中で『寄り添いケア』と言うものがありますが、これは単に『傍にいれば良い』と言うものでは無くて『相手の気持ちに寄り添う事』が肝要だと思っています。そう言う意味で社会福祉士は福祉の専門家としての国家資格を持った方ですから単に知識を持った専門職では無く、福祉の心を持った対応こそ求められるべきではないかと考えています。つまり、知識をひけらかすのでは無く、相手に安心感を持って貰える存在であって欲しいと思っているからです。

つまり、対応に苦慮されている方がお見えになれば適切なアドバイスやフォローをする事が求められていると思います。当法人本部施設において色々な行事を実施するのも、月1回のバイキングを実施するのも「入居者さん、利用者さんとその家族も含んで喜んで貰える」との思いからです。また、残念ながら看取りの方が亡くなられた時にお風呂に入って頂くのは「綺麗な体でお見送りたいし、本人もその家族も喜んで貰える。」との思いからです。葬儀の相談も私の知り得た情報を提供するようにしています。

敢えて手前味噌の話をします。当施設にご夫婦で入居されていて、お身内の方でお世話をして頂ける方がない方のご主人が先に亡くなられた時に喪主は奥さんになって頂いたものの、葬儀一切を施設側で行わなくてはいけない時の手続きから、通夜、葬儀も奥さんに代わってさせて貰い、施設での葬儀だったので奥さんだけでなくて、入居者さんも参列してのものだったのですが、ここで思わず笑ってしまったのは、通夜が無事に終了したら奥さんも「ありがとうございました。無事に通夜も終わりましたので部屋に帰ります。」とさっさかさっと帰られたのです。要介護状態の方ですし、当然と言えば当然の事なのですが・・・。結局私は亡くなられたご主人を一人にしておくわけにもいかず、ご主人の傍で文字通り添い寝をして一晩を過ごしました。

何が言いたくてこの様な事を敢えて書かせて頂いたかと言うと、介護保険制度の中で、『亡くなられてお風呂に入れろ』とか、『葬儀を施設で実施しろ』等と言う事は決して書いてありません。しかしながら、「亡くなられたら関係ありません。業務でありませんから」とは決して言えないと思います。困ってみえる方があったら何とかする事は福祉の中の根本だと思っているからです。だって『福祉』の『福』にも『祉』にも『しめすへん』があるでしょ。『示』の原型は『神様にお供えする三方の事』つまり『幸せな生活』こそ福祉そのもの。リピーターの皆さん私の言いたいことをご理解頂けたでしょうか。

 

9月19日からの敬老週間に向けて

施設開設当初(平成10年5月)は岐阜県高齢福祉課から敬老週間イベントの企画についての情報収集があった時の回答は「当施設においては『きょう一日、楽しかったよ』であり、年中入所者、利用者の方々と楽しく過ごしていますので、敬老週間だからといって特別な企画はしておりません」と答えていました。(今から考えると凄く生意気な言い方だったと反省してます。)そんなある年、恒例の夏祭りも盛大に終了して片付けも一段落したある日、幹部職員2人が私の所に来て「敬老週間は特に素敵な1週間になれば、いつも以上の『楽しかったよ』になると思うので、1週間を通したイベントに企画したい。」と言ってきました。私はその時の2人の職員の『わくわく感』が伝わってきたので「入浴は週に2回は確保しなければいけないが」と投げかけると「いつもとは違うお風呂にします。」と言うので「腹案はあるのか」と再び聞くと「バラの花をお風呂に浮かべたり、お酒を入れたり」と即座に答えていて、今考えるに、理事長である私の心理を絶妙に理解したものだったと思います。だって。自分で言うのも何ですが、『私はロマンチストの酒飲みですから。』具体的な企画の中ではバラ風呂はありましたが、流石に酒風呂は無かったですが・・・。それ以降の敬老週間の1週間を通した企画には関西落語の真打の笑福亭伯枝師匠を大阪から来て貰ったり、香川県からクラウンあきおさんと言う大道芸の方に来て貰ったり、滋賀県長浜市に本部がある滋賀信行会の皆さんに来て貰っての般若心経千巻をみんなで唱える『千巻経』をしたり、大垣の老舗寿司屋の『寿司吉』さんの板前さんに目の前で寿司を握って貰うパフォーマンスをして貰ったり松茸つくしのバイキングをしたり、お風呂にしてもバラ風呂、薬草風呂、よもぎ風呂、菊風呂と毎年のように色々な工夫をしてわくわく感を職員と入所者、利用者と共有してきました。しかしながら、今年の敬老週間は新型コロナウイルスの関係で『三密』を避けたイベントにしなければいけないので、各フロアでそれぞれが創意工夫をした提案をしなければいけないのですが、今一盛り上がるに欠ける企画が殆どなので、今朝ほど職員に対する連絡ツールであるパソコン上での事務連絡コーナーで施設長として激を伝えると共に私からも企画を提案しました。勿論、飲んべーの私ならではの企画です。具体的には「先般8月24日で当法人のホームページの理事長コラム連続更新2年を達成した(2008年から書いているのですが、最初の内は月に2回程のペースでした。)お祝いに埼玉県の特別養護老人ホーム『ブロン』の常務理事さんから送って頂いた大吟醸酒『十四代』は、インターネットで検索したオークション情報によると1升30,000円の値段が付く代物だそうですが、敬老週間で酒のつまみに冷奴を準備して飲んで頂こうと思っています。お酒は『百薬の長』とも申しますので、頑張って振る舞いたいと考えています。この企画については各フロアの職員のご協力無しには出来ませんので、日時や参加メンバーについては各フロアで計画を立てて頂きたい。」と言うものです。折角の素晴らしいお酒を一人で頂くのは勿体なすぎますので、この企画を思い付きました。私が今の事業をさせて頂けるのは「酒が飲めて、歌が歌えて、話が出来て、ネットワークを大切にしてきたから」と豪語している私ですので、リピーターの皆さんこんな生き方しか出来ない私ですがこれからも末永く宜しくお願いいます。なお、ブロンの常務理事さんは粋なお方なので来年の更新記録のお祝いは『十四代』が2本でその次の年には3本で・・・。いやいや、この独り言は書くべきでないのですが堂々と書くのが私の真骨頂と言う事で・・・。

成年後見人のお話し

令和2年9月2日

成年後見人制度が出来て、身内に代わって財産管理や書類の申請を行う事をスムーズに実施出来るようになったのは要介護状態になり今までは当たり前のように自分で出来ていた事が出来なくなった方等にとっては大変良い制度だと思います。成年後見人制度が出来るまでは、行政が介入せざるを得なかった生活困窮者に対する手立てしかなかったので家族関係の希薄化や独居の高齢者や高齢者のみ世帯の方にとっては大変ありがたい制度だと思います。近年当施設においても複数の方が活用されています。そして、最近とても不思議な出来事がありましたので、そのお話を私なりの見解も交えてお話します。但し、私の話は制度上云々の話では無くて、あくまで現象的な話ですので誤解の無いようにお願いします。今回私が紹介するケースは知的障害がある妹さんの面倒をずっとみてみえたお姉さんが要介護状態になって当施設に入居されてからは、愛知県に在住のもう一人の妹さんが通帳管理等をされていたのですが、その妹さんも要介護状態になり、管理が出来ないことから知的障害がある妹さんの成年後見人が先に決まり、その後お姉さんが施設において看取り対応になり、地元にみえるお身内の方の働き掛けでお姉さんも成年後見人が決まり、デイサービスを利用されている妹さんと看取りになってから決まった成年後見人の方が別々で二人の成年後見人の対応の違いに戸惑う事が多くて、尚且つ先般看取りだったお姉さんが亡くなった事により、より一層の違和感を覚えたものですから。と言うのは、確かに成年後見人の方の役割は『生前中の対応』と言う事は理解してますが「亡くなられてからの事は出来ませんので」とばっさり切る言い方をされると、私的には「後の対応は誰がされるのですか」と言う事になるのですが、全く『聞く耳持たず』の対応での上から目線には戸惑うばからでした。(正直、成年後見人はどんだけ偉いと思っとるんじゃ)結局、入居されていたお姉さんの後始末は施設側で出来ることはさせて頂きましたが、施設側には出来る限界があり、地元の身内の方と妹さんの成年後見人の方でされました。お姉さんの葬儀の折りに後見人の方にご挨拶をしてから「最後の支払いや手続きについてはどのようにさせて頂いたら良いですか。」とお聞きすると「後見人は生前中の対応しかやらないことになっていますし、支払いは今までの通帳で引き落として頂ければ大丈夫ですから」と言われたので「亡くなられた事がわかった段階で通帳は止められるのではありませんか」と粘った言い方をすると(これは決して入金がされない事に対する思いだけではなくて)「今までにそのような事はありませんでしたから」と、これまた聞く耳持たず。確かにこの後見人が言われる事が正論だと思います。しかしながら、亡くなった後に残された方が困られる事を想定されないのであれば、国家資格である『社会福祉士』のライセンスを持っての後見人としての役割が本来的に理解されているのか、本質的に成年後見人制度が出来た意味が理解されているのかと大いなる疑問を持ち、単に「担当者により対応が違う」では済まないのではないかと思うのですがリピーターの皆さんはどのように思われますか。私の言った事で「死ぬのもままならない」と思われるならばご意見をいただきたいです。

『蚊』

令和2年9月1日

以前に、ある職員から「理事長コラムのタイトルが長すぎてタイトルのスペースからはみ出てしまいますよ」と注意を受けた事があったので、今回のタイトルは『これ以上ない短さのタイトルにしました。どうだ、素晴らしいだろ。』といきなり訳の分からない内容から入ったのは暑さの性ですかね。でも、本日の東京の最高気温は30℃に届かなかったと騒いでいるようですが(一部で)心配することはありません。明日からの予想気温は2日(31℃)3日(33℃)4日(32℃)ですから。しかしながら、連日のように35℃を超える日は無いようなので、厳しい酷暑の状況は脱したようです。(なかなか本題に入らないのが私のコラムですのでご容赦ください。)気温は本日のタイトル『蚊』と密接に関係しますので・・・。

と言うのは、今朝のテレビ番組の中で「蚊は夏の風物詩のように思っていたのですが、実は9月になってからなんですね。」と言われて、私的な想いを言えば、夏の風物詩の一番は『蚊』ではなくて『盆踊り』だと思うのです。かつては、盆踊りから帰ってあちらこちらが「痒い」。これは正に蚊の襲撃にあった証し。と言う事は蚊の襲来時期が遅くなっていると言う事。つまり、蚊にとって8月は「まだまだ暑くて元気に飛べませ~ん。」と言う事なんだと言う証明かな。テレビの解説では蚊の出現は35℃以下になってぼちぼち飛び出して、30℃くらいで元気に飛び回るとの事。私の中学時代の思い出に「お盆過ぎに海水浴に行くとクラゲに刺される確率が多くなる。」と言われて、事実クラゲに刺された記憶があります。つまり、自然界の生き物は微妙な温度差を感知する能力があると言う事。だから、かつてはお盆を過ぎると蚊の襲来があったのに、今は9月になってから蚊が元気に飛び回り手や足に食いついて血を吸うのだと思います。これも地球温暖化の影響なんでしょうか。

米の収穫など考えられなかった北海道でも収穫が出来るようになっているのも温暖化の賜物何でしょうか。また、最近よく耳にする言葉に『ゲリラ豪雨』と言うのもありますが、これも温暖化の影響なんでしょうか。そう言えば、私も10年程前に、EPA(経済連携)による外国人介護福祉士候補生の面接にインドネシアを訪れた時に急な凄い雨に見舞われたのですが、凄い雨は30分程度で止んで青空が出て来た時に「これが噂のスコールと言うもんなんだ」と感心したのを覚えていますが、「今の日本がその状態と同じなのか」と思うと身震いしなければいけない感じがします。「暑くて蚊がいない盆踊りも良いけど、10月になっても暑い状態が続くのは勘弁して欲しいな。」と思っています。リピーターの皆さん自然界の生き物のようにお互いに逞しく頑張りましょう。私も熱さにも寒さにも忙しさにも負けず頑張りますので・・・。

 

明日から9月です

令和2年8月31日

今年の梅雨はいつまでも続いたので、じとじととした日々が続き、梅雨が開けてからは酷暑の日が続いて本日が8月最後の日なのに今日も暑い・・・。9月も10月もまだまだ暑い日が続くとの予想。そうは言っても田んぼの稲刈りも真っ盛りなので間違い無しに『秋』は近づいていると思います。いやいやそんな悠長な事を言っている場合ではない9月が始まる。だって、9月10日には新規事業の入札があるし、入札が無事に出来たら本格的に盲養護老人ホーム80床、床面積2866平米の建設が始まるのし、来年4月には施設が開設される予定なので人材の確保や設備の入札、厨房業者のプレゼンとやらなくてはいけないことが山積み。いやいや私の場合は今ある本部施設と和合の施設に対してもしっかり確認する必要があるので常に緊張感を持ち続けながらの新規事業と言う事ですが・・・。

と言う事は、月月火水木金金では足らないので、昔流行った歌の「1週間に十日来い」をアレンジして「1週間に10日仕事しろ」かな。まっ、良いか。と言うのも、私は26歳までに教員生活こそありますが、大学は5年で卒業したのですが(自慢して言う事ではありませんが)その5年にしても大学の単位は1年の時と4年の時に取得して、2年と3年の時は大学には通っていたけど講義を受けた記憶はないし。(自慢して言うな)だから、4年時に本来単位をとるべき語学の授業を受けましたし、(4年生で取得すべき単位は教育実習くらいだったように理解してます。)5年の時には教職過程を取得する為のものでしかなかったし・・・。(教育課程の単位は出席が厳しかったから・・・。当たり前か)但し、2年3年のモラトリアム(執行猶予期間)の期間があったから26歳から勤めた児童養護施設では仕事するのが楽しいと言うよりやりがいがあったんだと思います。

だから、休日返上で色々な事をしていて、他の施設の職員から「どうして若山さんは休みをとらないの」と言われると「大学は5年間しっかり休みのような日々だったし、教員を辞めて半年間徳山村で毎日が公休日だったので、前倒しで休みを頂いていたので今は休みがなくても大丈夫だし、やりがいを持ってやっているので」とマジで話していました。但し、児童養護施設の勤務時代は家に帰れば完全に自由だし、三度の食事も据え膳で出てきたし・・・。

(これは今も同じですが)38歳で児童養護施設を辞してからは、がむしゃらに働いても若山家の家計は火の車でしたし、本部施設の開設前は睡眠時間もとれない状態でしたし。それで今はと言えば休み無しの24時間体制で携帯を片時も離せない生活ですが、自分で決めた事なのでこれからも頑張っていきますのでリピーターの皆さん、わけのわからん私ですがこれからもこのコラムの御愛読宜しくお願いします。

本日21時から『半沢直樹』です

令和2年8月30日

前回までの10回シリーズで毎週楽しみにして見ていて、「何度も見たい」と言う事で予約販売がされた情報があり、直ぐにアマゾンで購入して、時間がある時に何度も何度も見ていて「早く続編がでんのか。それとも二度とシリーズ化はされないのか」と考えていて、シリーズ化が発表されて「4月から見れる」と楽しみにしていたところ、2月からの新型コロナの影響で撮影が出来ない状況が続きやきもきしていたところ約3ヶ月遅れの7月19日に新シリーズの1回目が放映されたのですが、視聴者の期待が大きい事を察知してかテレビ側の戦略だったのかは計り知れないものが有りますが、前宣伝が繰り返し繰り返しテレビに流れて、一週前には総集編が流され尚且つ第一回の放映前には「半沢直樹スピンオフ企画『狙われた半沢直樹のパスワード』&新シリーズ直前ナビ!」なるものまで放映される気合いの入れようで・・・。正直私もおどされましたが、実際に視聴していて、心踊るもので決して前評判を裏切るようなものではありませんでした。

しかも1回目のタイトルは『子会社VS銀行!飛ばされた半沢の新たな下克上が始まる』ですから文句無しでした。しかも今回のシリーズでは歌舞伎役者が香川照之さん、片岡愛之助さんの他に尾上松也さんに市川猿之助さんも加わり歌舞伎的な要素も加わっていて完全にパワーアップしてます。特に市川猿之助さんが「わびろわびろわびろわびろわびろ、わびろー!」の言い回しは私自身はまってしまいましたし、あの言い回しを気分が乗っている時に大きな声でしてはスカッとしてます。(変ですかね。でも私的には上手に言えていると思っています。)

第3話ではまたもや愛之助さんが演じる黒埼があいからわず憎まれ役を完璧にこなされているのは最高です。第4話では、徹底的にいじめ役をしていた伊佐山部長役の市川猿之助さんの急展開の出向での締め方は正に半沢直樹の十八番の『倍返し』だったと拍手喝采でしたが、第5話からは国家権力を相手に戦う事になり、「いったいどこまでスケールを大きくするのか」と呆れるばかりですが、白井国土交通大臣役の江口のりこさんと幹事長役の柄本明さんは本来の仕事の関係でも上下関係があるとか。そう言う意味でその辺のやり取りが出てくるとすると見所の一つになるのではないかと思っています。

そして全編を通して頭取役の北大路欣也さんは配役の紹介で『特別出演』となっているのは何故なのかと思うと同時に頭取の立ち位置が未だ私には理解できない。と言うより深いふかーい考え方が最後にはわかるのかと言うのも興味の一つです。視聴率の記録は前回を抜いて堂々の新記録を達成したとの事。時代劇の痛快さを今の時代にしているのは素晴らしいし、ハラハラドキドキの中での大ドンデン返しを本日も21時からリピーターの皆さんも一緒に楽しみませんか。

 

児童養護施設に対する一考察

私が児童養護施設の指導員時代と言うのはほぼ30年前なので「時代が違う」と言われかねませんが、敢えて本日は要らぬお節介のコラムにします。

それは、本日高校を辞めての就職面接を行う事になっているので、私の考え方が今の考え方にそぐわないものだと、その子の人生にとって迷惑を掛ける事になってはいけないとの思いが強くなり朝一で児童養護施設の世界でのプリンス(65歳になっているからキングかな)であり、最も信頼している友でもある愛知県の一平先生に連絡して私の思いをぶつけると共にアドバイスを頂きました。

先ずは高校中退者が多い現状の中、私が岐阜県において最初に私立高校への入学を実現させ、その後制度として入学が出来るようになった事のジレンマについて話をします。それは当時の私立の高校への入学が叶わなかったのは、いわゆる私立の入学金を措置費の中で認められていなくて、その当時の先々代の理事長に私費を投じて頂いて入学させた経過がありました。

その時の理事長のお言葉は「点数が足らなくて公立高校に行けないのは努力が足らなかったからだ。しかしながら、若山さんが毎晩遅くまで勉強を教えている姿を知っているのに免じて私が入学金をだす。但し、3年間頑張るんだぞ」と言う事で、無事に私立に入学した経過がありました。その事を知った当時の岐阜県児童家庭課の理解を得て門戸が開いたわけです。

しかし今の私は何の努力もしないで高校へ入学していく流れに対して怒りすら覚えています。何故なら、中学時代に大した努力もしないで、施設の指導者の方から「今の成績ならこの高校へ行きなさい。」と言われて、高校生にはなったけど努力なしの感激なしで入学して、ちょっとしたきっかけで高校を辞めてしまうと言うのは如何なものか。確かに何となく入学してから頑張れる子もいるのでしょうが、努力なしと言うのは『自己決定の原理』からは程遠いからです。

児童養護施設は最大でも20歳までには社会の荒波に出ていかなければなりません。だから、どのタイミングで施設からの生活にピリオドを打つのが正解なのかと言うのはケースバイケースですし、わかりません。言える事は自分を強く持ち一人でも生きていける裁量を身に付ける事です。児童養護施設の子は殆どの子が親の支援など望めません。だからと言ってその事を嘆いていても何の解決にもなりません。だったら自分に鎧を纏う事をして、自立をする準備をする必要があります。もちろん、そんな事は簡単な事ではないので社会資源を活用していかなければなりません。

例えば『職親制度』を活用するのも一つですし、当法人のように敷地内にアパートを持ち、少々の指導する体制を持っている事業所で仕事をするのも良いかも知れません。但し、どんな形を利用するにしてもその子自身の覚悟が必要です。それは、『自立する』覚悟です。その為には『自律』が肝要だと思います。私は父進さんの限りない愛の中での支援を受けて今が有るのですが、今の事業を推し進める為に『自律』は限り無く経験してきましたが・・・。

少し話題がそれてしまいましたがリピーターの皆さん。本日はかなりバテ気味で面接を終えてボーッとした頭での原稿なのでお許しを。でも、言いたかった事をを理解して頂ければ嬉しいです。

介護人材の話し『2』

令和2年8月28日

昨日に引き続き介護人材の話をしますが『2』と言う事で私なりに確信と本音で語ります。先般、岐阜労働局と岐阜県が共同開催の形で『就職氷河期の引きこもり世代の検討会』なるものがあった時に、私は「40歳以上の対象者が全国に60万人以上存在すると言われていて、ようやく話題になっている事に違和感を覚えつつ、私自身も何も出来ていなかったのだから同罪か」と思いつつ、約30年前に私が児童養護施設を辞したのはその当時引き込もっている子に対するサポート援助が出来ないかと言うのが大きな理由の一つだったのに、我が家の家計が火の車状態になり、正直、挫折の上の苦肉の策が今の有り様・・・。但し(ここで【※6時40分】埼玉県にあるブロンの常務理事さんからの電話と朝食で中断した後、歯医者予約の8時20分まで再び書きます。)頭の片隅にはずっと持ち続けていたので、出来ることは頑張りたいと思います。確かに思い続けていると形になるものです。(思いは通ずるです。)それは、先般二回に渡って施設の職場体験をした児童養護施設の高校三年生の男子がようやく自分自身で決断して明日当法人の職員採用面接を受ける運びになりました。高校を中退して飛び込むのには彼なりに大いなる決断だったと思うので受ける側のこちらもしっかりとした体制をとらなければと思っています。そのような考えに至ったのは私が35歳の時に資生堂第15期海外研修団   『ボストン会』の一員として参加させて頂き、アメリカで問題を抱えている一人の子どもに対しても、チームを構成してしっかりとした対応をされている状況に刺激を受けた事に基因しているのです。その時の『大変な状況の子どもと向き合う』と言うのを生涯のライフワークにしたいとの思いは残念ながら日本では無し得ない状況が今でもありますが(誰かはやられているかも知れませんが私自身は承知してません。)違う形でサポート出来る今に感謝してます。昨日も介護職員不足に対する検討会だったのですが、そんな会議の時にいつも思うことは色々な形で行われる会議が国の省庁の垣根を越えてのものにはならないと言う事です。同じような会議を違った観点から討議する事が決して無駄だとは申しません。しかしながら、情報の共有化であったり、情報の提供がスムーズにいくシステムを構築しなくてはいけないと考えています。確かに、どこかで線引きをして対応しなければいけない事は百も承知してます。しかしながら、ケースによっては歯がゆい思いをする事も度々あるからです。(年齢であったり、制度であったり)この問題については簡単には解決しないと思いますがリピーターの皆さん

気が付いた者が気が付いたように提案し形にしていく事が大切だと思い、微力ではありますが私なりに出来る事を頑張っていきたいと考えていますので、共感していただけて、尚且つ支援して頂けると嬉しいのですが。

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