解体2日目

令和2年6月4日

13時30分から全国老施協パンフレットプロジェクト会議がウェブ会議で行われ総務・組織委員会の三役が中心になっての会員促進パンフレットの打ち合わせを総務・組織委員会幹事の田中君の進行で始まりました、冒頭広報担当の木村副会長が挨拶をされ次に総務・組織委員長の私がさせて頂きました。

その挨拶の中では新型コロナの影響により、計画していた事が出来ない事により、昨年度からの継続事業が分断された状況で、パンフレットについても予定通りに進まず忸怩たる思いはあるが、災いを転じて時間的余裕が出来たことを理解してより良いものを作りたいと話をしました。

その後、入会促進パンフレットの検討を行い、その中では非会員の施設が全国老施協に魅力とメリットを感じて貰えるものにしていきたいとの思いで検討しました。そして、入会促進パンフレットについては総務・組織委員会の一人ひとりに思いがあるので、改めて委員会のメンバーと朝日広告とで検討する事になりました。10分の休憩の後、法人パンフレットの検討が行われ予定の16時をはるかにまわって終了しました。

会議終了後、今月から本館2階の主任になった職員に『幹部職員としての心得』について話をしていて、17時前になり、昨日から始まった解体工事の進捗を見にいくと、3グループに分かれてそれぞれが6人ずつで大型重機を駆使して作業を効率良くしてくれていて、早いところは、1棟が倒され土台のコンクリートもめくられてきれいに片付いているところもあり、ビックリしてしまいました。

作業をされている方の人数が3グループそれぞれ6人の合計18人だったので、「せいぜい作業されているのは10人程度だろう。」と考え昨日ゲンキー(ドラックストア)で買ったペットボトルのお茶と手土産用の『優・悠・邑』の名前が入った味噌入り煎餅10人分を紙袋に準備して1グループ目に渡すと後のグループ全員に渡らないと考え、私の車が置いてあるところに戻り6人分を2つ作り「大変な仕事を時間がない事を承知で引き受けて下さりありがとう」と言いながら回りました。

業者として慣れてみえるとは言え解体したものをそれぞれの車に仕分けして整然と積んであるのを見て感心してしまいました。リピーターの皆さん。作業をされてみえる方はそれぞれに若い方ばかりでしたが、みんな一生懸命に作業されていて、改めて『今時の若者も捨てたもんでないな』と思いました。それに、帰られる時もしっかり挨拶して貰えたし。本当に有り難い事です。

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いよいよ新規事業が起動しはじめました

令和2年6月3日

午前中に和合の第三者委員の委嘱状をお持ちして先般の選任委員会で承認していただいた二人の方の家に行き直接委嘱状をお渡ししました。今回委嘱をさせていただくお二人の方は優・悠・邑和合設立当時の和合地区連合会長さんと和合本町の自治会長さんで和合の施設が事業開始前からの理解者であり、地元の生き字引のような方ですので安心して第三者委員をしていただくに相応しい方です。

お二人の家にそれぞれ訪問させて頂き委嘱状を手渡しさせていただいたのですがそれぞれが79歳、78歳との事でしたがとてもお元気で正直私も久しぶりにお会いしたのですが、事業開始前後の事でそれぞれに話が盛り上がりました。その後、本部施設に戻り書類の整理をしていて、介護安定センターから会議を開けない代わりの質問状が着ていたので、それに答えたりしながら、乾垂井町会議員さんに、新規事業の事で連絡すると『解体作業が急ピッチでされていますね。』と言われたので、書類の整理が1段落したタイミングで旧町営住宅の解体作業現場を見に行ってビックリしました。

と言うのは先週の土曜日(5月30日)に地元の会社である新晃さんが落札して下さり、月曜日(6月1日)に契約書を交わすと共に廃棄物の書類に判を押して2日後の本日大きな重機が3台入りガラス戸は全部撤去され畳もトラックに積まれ、場所によっては家屋が完全になくなり正に屋根をめくる作業がされているのです。

大型重機を操作されているところに近つくと、運転されていた方がわざわざ操作を止めて私のところに来て下さったので、私は思わず「凄い勢いで進んでいますね。」と言うと「出来るだけ早くに解体するように言われています。」とにこにこしながら答えてくださり直ぐに重機に戻り作業を再開して下さりました。6月半ばには梅雨入りも予想されるので、業者の方には大変なるプレッシャーをかけながらの作業になり申し訳ないなと思いましたので、現地から施設に戻る途中でゲンキー(ドラックストア)により、ペットボトルのお茶を一箱購入して私の車に積んでおき作業をして頂く職人さんに飲んで頂けるようにしました。

先月の5月12日に垂井町と町営住宅跡地の購入契約を結んでからは、駐車場へのアクセスを安易にするための道路確保の為の土地の交渉も順調に行き、解体作業も急ピッチでして頂いている事に感謝すると共に改めて岐阜県で唯一の盲養護老人ホームをより快適な居住空間になるようにしていきますので、リピーターの皆さんも見守っていて下さい。

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岐阜県が誇る政治家『大野伴睦』の特集を見てPART②

昨日の『大野伴睦』のコラムは週刊現代の史実に基づいたものでしたが、その記事を読んでの私なりの解釈の仕方で本日は思うがままに述べる事にします。私が大野伴睦に対して一番魅力に感じたのは一ヶ月半の獄中生活を送り、出所後親に勘当され、尚且つ明治大学も退学の憂き目にあいながらも、思うがままに行動して活路を拓く信念の持ち主だと言うことです。大野伴睦さんの時代にも官僚が政治の中心にいる傾向が強かったようですが『人情集団』を束ねて行く統率力は人間味の魅力で一杯だったのだと思います。今の時代も政治の中心にややもすると官僚がなってしまうのですが、官僚から政治家になるルートの中には『サラリーマン的発想』での動きになってしまう傾向が強いのではないでしょうか。勿論官僚出身者の中にもそうではなく、熱く政治をされている方はおみえですが・・・。やや話題がそれますが、最近の出来事で、野党として与党・政府批判の急先鋒に立たれていた方が自民党入りを表明された方があるとの記事を見て、政治家の政治に対する信条とはいったいどのようなものなのかとおおいなる疑問を持ったものですから。確かに伴睦さんの名せりふの中にも『猿は木から落ちても猿だが、政治家が選挙に落ちたらただの人』と言うのがあるそうですが、伴睦さんが言われているのは『ぶれない政治信条を持って』との思いがあっての事だと思うのですが、新たな党を作っては入党したり離党したりを繰り返されて議員として生きていかれるのはどのような政治信条があるのかと思ってしまう私は考え違いをしているのか?リピーターの皆さんのお考えをお聞かせ願いたいと思うのですが。今の自民党結党の立役者は大野伴睦さんだとの事。その当時『自由党』と『民主党』を一緒にして政治の中心者と確固たるものにするとの強い意志には凄まじいエネルギーと葛藤が交錯したと思うのですが正直凄いと思います。来るべき日本の高度成長期を迎える中では素晴らしい決断だったと思います。最後に大野伴睦さんの孫である大野参議院議員の国会事務所には『義理と人情とやせがまん』の直筆の書が掛かっている(私も拝見してます)のですが最後の『やせがまん』の文字には伴睦さんの真骨頂と末代までの教えがこの言葉には託されていると私は思っています。私が守っている遺訓は中村博彦会長の『労は惜しまず』と『行動の老施協』ですが、改めて思うのは人が真似できない実績を残された方の言葉はめちゃくちゃ重みがあると思うのですが、リピーターの皆さんはどのように思われますか。杉和会の始祖である私はどんな遺訓を残せば良いのか・・・。いやいや遺訓を残すような器でなかったです。前言を取り消します。忘れて下さい。後20年活躍できてから考えます・・・。でも、その時はいくつになってるの。いやいや先の事は考えず目の前の事を全力でするのか私の生き方でした・・・。

岐阜県が誇る政治家『大野伴睦』の特集を見て

『大野伴睦』と言う偉大な政治家が岐阜県から輩出されていて、総理大臣にはなれなかったが自民党副総裁で新幹線の岐阜羽島駅を地域誘導で誘致して、今でも駅前に銅像がある事は知っていましたが、週刊現代6月6日号に特集があり、改めて偉大な政治家であることを認識しましたので私なりの受け止め方で述べてみます。その特集は『昭和の怪物』研究の記事に書いてありました。1ページ目には『政治は義理と人情だ』『裏切るくらいなら、裏切られることを選ぶ』とあり、先ずは「浪花節大いに結構」と思い記事を読んで行く内に魅力一杯と思った次第です。そして『反エリートの重鎮「伴ちゃん」が遺したもの』見出しを見て【今年、結党65周年を迎えた自由民主党は、党員108万人(昨年末時点)を誇り、現在に至るまで、政権与党として日本を率いてきた。だが、「自民党を創ったのは誰か?」と問えば、真っ先に名が挙がるのが、大野伴睦初代副総裁である。この男がいなければ、自民党は誕生していなかった。】との記事を見て私は改めて「岐阜が誇るめっちゃ凄い人やったんや」と恥ずかしながら思うと共に同郷であることが嬉しくなりました。昭和33年に、当時の自民党「8大派閥」の実態を描いた渡辺恒雄・現読売新聞グループ本じゃ主筆の著書『派閥』では、こう紹介している。【大野派という所は恐らく保守党内の派閥としてはもっとも団結の固いグループであり、大野派の会合ほどなごやかな雰囲気で終始するところはないといえよう。大野派の団結は、子分たちの政策論議や思想統一によって維持されているのではなく、親分伴睦の人柄によってかたまり、その統制力はきわめて強大である。】伴睦の孫である大野康正参議院の述懐で「ある夜更け、自宅に泥棒が入ったのですが、祖父は翌日からの外遊の為に枕元においていた60万円を渡し、『いまはこれしかないが、もっと要るのか?』と心配げに聞いた。すると泥棒は恐縮して、『必ず働いて返します』と頭を垂れた」との話にはスケールの大きな人情家だったのだと思いました。大正13年、昭和3年と地元の岐阜から立候補するも落選。昭和5年の3度目の選挙では、政友会の公認が得られず、「非」の字だけ極小にしたポスターを貼った。選挙戦終盤になって大野優勢が伝えられると、政友会本部から追加公認の電報が届いた。だが大野は「公認返上ス   クソクラエ  伴睦」と汳電。39歳で国会議員になった。】とあります。今回紹介しきれなかったエピソードを見ていても、『普通でない生き方と度胸良く振る舞って活路を見出だした傑出した人物だとわかりました。リピーターの皆さん私と伴睦さんでは生きた時代もスケールも違いますが『熱い生き方には色々な救いがある」は同じだなと感じました。

正直昨夜は今後の戦略を考えていて眠れず本日は新規事業の対応と岐阜県老施協正副委員長会議でじっくり構える事が出来ずコラムも意を尽くせませんが次にリベンジしますのでご容赦下さい。

新型コロナ対策に思う

新規事業が急ピッチで展開しようとしてますが、こんな状況であっても、私は、本来本部施設の総責任者としての役割があります。その中で現在世界を悩ませている新型コロナの問題も大きくのしかかっています。具体的には『家族等の面会』『行事等の扱い』(当面としては供養祭、夏祭り)『日常のケアに対する留意の徹底』など山積みです。私の高齢者福祉の原点は本部施設ですからしっかりと対応していかなければいけないと。

昨日、解体及び整地の入札が上手く出来た段階で改めて考えてみます。先ず『面会』については、全国老人福祉施設協議会が国の指針に基ついて発出した内容に沿って具体的に決めさせて貰い各家庭に送付することにしました。その内容はまだまだ家族に協力して頂かなければならない内容なので、家族さんの心情や入居者さんの精神的な負担を考えると苦渋の選択なのですが、『施設内にクラスター(感染拡大)が起きない為と理解して頂きたい。』と考えています。勿論、家族や入居者さんに無理なお願いをする以上、職員一丸となって感染への配慮をすると共に入居者さんの『今日一日楽しかったよ』により一層努めていかなければとも考えています。

『行事』については、早速6月27日に計画している供養祭については、家族の参加は家族会会長の吉田さんに代表でお参りして貰い、いつものように地元のお寺(法忍寺)の住職で社会福祉法人杉和会監事の皆田さんにお経と講話をして頂き入居者さんは各フロアのテレビで放映するのに合わせてお焼香をして貰うと共に、供養祭終了後にお供えをした常用饅頭を食べて頂く計画で行く事の通知をさせて頂きました。例年の6月にこだわったのは、『自粛緩和』がされたとは言え、『完全なる終息』ではないなか、延期をして実施できる目処が立たない状況下においては、時期を例年通りにして、リスクを最小限にするのが最善の方法であり、なおかつ、年に一回実施する事による積み重ねを最優先させた結果と理解して頂ければ有り難いと思っています。(文字通りの『継続は力なり』です。)また、夏祭りの実施については準備の兼ね合いのタイムリミットは6月末と思いますので、6月の幹部会まで結論を待ちたいと考えています。

『日常の留意』については、職員一人ひとりが介護のプロとしての自覚を持ってプライベートも含めて自覚ある対応に徹しながら入居者さん、利用者さんの『今日一日楽しかったよ』の対応に努めて貰う事だと考えています。私自身の事で恐縮ですが、新型コロナによる自粛の一貫で遠くへ行く出張は全く無く(ウェブ会議は結構ありますが)当然ながらお付き合いでの懇親会と言う名の飲み会は無く『家で晩酌はしない。』の生活は出来なくて、実際昨夜は入札が予想以上に良い結果になり、本来なら祝杯の為の飲み会があってしかるべきですがかなわず、我が家で明太子とイカを焼いたのと冷奴をつまみにして地元養老の銘酒『醴泉』の大吟醸で一人祝杯をあげたのですが、約一合のお酒でホロ酔い気分を味わえ、リピーターの皆さん、私がつくづく思ったのは、新型コロナの体制下でお酒が弱くなったのと、うがい手洗いを今まで以上にするようになり風邪もひかないのは良い傾向とあいからわずのプラス思考です。

何事も『ありがたい』と考えていると良い展開があると私は思っているのですが・・・。

本日はいよいよ解体及び整地の入札です

令和2年5月30日

昨日は久しぶりに(申し訳ないことですが)ウォーキングマシンに乗りながら30分お経をあげて、21時には眠りについたのですが午前1時に目が覚めてからは眠れなくて色んな夢を見ながらウトウトしていて、結局5時30分に起きると、何故か私のベットの側に18、5歳(平成13年11月23日生)の我が家の老猫『リット』がいて、ちょこんと座っているのです。

リットは母秋江さんの生まれ変わりか。いやいやリットはオスだから父進さんか。いやいや生れ変わりに男女の違いは関係ないか。このような寄り添い方はやっぱり母秋江さんに違いない。「やっぱり、本日の入札の事を考えてしっかり眠れてないのを心配してか。」そんな事はないので、やはりここは、朝一でお仏壇にお参りをして、施設に行く前にお墓に行き施設の仏壇にもしっかり手を合わせなければと考えています。(いやいや絶対に実行します。)

しかしながら、私の行動は自分勝手だとつくづく感じています。何故ならば私のお参りは毎日は出来ていなくてせいぜい家を出る前に仏壇に向かって手を合わせ四人の遺影に話しかけるだけ。今日のような日だけしっかりするのは申し訳ない。でも、40代の頃滋賀信行会の内藤会長さんが「仏ほっとけで困った時だけでも一生懸命に仏さんに向かってお願いしたら言う事聞いてくれはるんと違うやろか」とマジな顔で言われたのを今都合良く思い出しましたが、果たして今の内藤会長さんの考え方はどうなっているのか、機会があったら聞いてみたいと思いました。「そんなばかな事を言ってたか」と言われるのか「そんでええんと違うか」と言われるのか。多分私は後者でないかと思うのですが・・・。

お墓では、我が家の水をペットボトルに入れ持参したのを湯飲みと花入れに入れてからお経さんを天まで響くような声で唱え必死に『心身安楽』を願いました。

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施設に着き心落ち付け二晩考えた入札上限額の数字を入れてから、ステンドグラス入りの仏壇の前でお経を唱えました。そして、お参りが久しぶりで気が付いたのは我が家の仏壇も施設の仏壇も灯明の電球がそれぞれ1個づつ切れていたので取り替えました。それぞれに電球を変えながら「仏さんが喜んでくれてはる」と思った次第です。

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入札は10時30分からの予定でしたが、業者の方4社に理事5名、監事2名の予定していた方が揃ったので5分早くに入札を始めました。最初に書類の確認をして、入札執行の挨拶を理事長としてさせて頂きました。その中で、入札指名出来るのは1社だけですが、残りの3社の方も地元の業者として今後も宜しくお願いします。等と話をして入札札を順次入札箱に入れて頂き監事の方に開票して貰うと私が書いた上限価格をはるかに下回る金額で入札をして頂け、予算執行上新たな土地を取得して道を作る予算に回せると思い、「本当にありがたい事だ。」と思うと同時に垂井町の土地取得が出来てからは本当に順調な展開になっていると思います。

確かに夜も眠れぬ日もありますが、一つひとつクリアしていけば良いと確信しました。入札が無事に終わり急ぎ昼食を頂き、新規事業予定地に行くと電柱から家への引き込み線は全て撤去されていて、色々な方の協力に感謝です。その後新規道路設置の為の土地所有者の方との覚え書きも全て頂けて、施設に帰ると、午前中に入札して頂いたところの社長さんから電話を頂き6月1日から解体作業に着手するので午前中に書類に印鑑が欲しいとの事。正直嬉しい悲鳴状態ですがより気を引き締めていきますのでリピーターの皆さん、これからも私の動きを見ていて下さい。

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明日はいよいよ解体及び整地の入札です

明日を入札に控えた本日朝一で中部電力の電柱及び電線撤去の件で担当責任者の方から連絡を頂きました。その内容は「明日30日に各家を繋いでいる支線については切らして貰います。その後の電柱も含めた撤去もなるべく早くしていきます。」との事だったので私は「取り敢えず解体業者が明日入札で決まったら作業に取り掛かって貰える。」と一息ついてから、「ふんだんな財源があるはけではないので、上限価格を厳しい数字で書かなければいけないのでちゃんと業者が決まるのか」と不安になってきました。(一番最初は本館の建設の入札は2回の入札で業者が決まらず最低価格だった大日本土木と話し合いをして決定をした苦い思い出があるので)午後からは自分自身が情緒不安のようで落ち着かないし、仕事に集中出来ないけども、入札後の段取りもしっかりとしておかなければいけないと思い垂井町建設課長さんにアポの連絡をすると、15時からなら大丈夫との事で14時30分に施設を出て垂井町役場に15時前に着き、色々な打ち合わせをしていて、途中から高齢福祉課長さんも同席して頂き高揚感が湧いてきました。施設に戻り気合いを入れる為に頭をさっぱり丸坊主にしてから家に帰り、『先ずは神仏頼み』とばかりに、我が家の仏壇にローソクとお線香を点けウォーキングマシンに乗り腹からしっかり声を出してお経をあげました。歩いてお経をあげていて仏間にかかっている父進さん、母秋江さん、姉光子さん、養母英子さんの写真を見つめていると、それぞれに励ましてくれているようで嬉しくなってきました。30分のお経とウォーキングを終えてお風呂につかりながら、明日の入札金額の上限価格をじっくりと考えましたが結局は明日の朝・・・。いやいや、入札時間である10時30分ギリギリまできまらないのだと思います。このように入札の上限価格を決める事を大きいのだけで7回目で1千万円までのをいれると20回は体験していますが、何度経験しても落ち着かないものだと思います。但し、入札で指名出来るのは1社だけですが、明日の入札業者は垂井町及び関ヶ原町の4社なので、今回は駄目であった業者もこれからどんなご縁を頂けるかわからないので参加して頂いた業者については今後も何らかのご縁を頂けたらと考えています。私は杉和会の中心者として、一生懸命にお手伝いして頂いた業者は大切に関わってきましたが、いい加減だったり手を抜いたり約束を守ってくれなかったりした業者はそれが大手の会社であってもご縁を切ってきました。このスタンスは私の手法としては変えようがありません。さてさて明日の入札からはどんなドラマが生まれるのかドキドキと共にワクワクしてます。リピーターの皆さん私の生き方はとてもハードですがドキドキワクワクを一緒にお付き合い下さいますようお願い致します。

プレッシャーで押し潰されそうです

令和2年5月28日

昨夜は殆ど眠れなくて、ウトッとしたと思ったら身体を硬直させていたのか体のあちこちが痛くて・・・。「何でかな?」と考えたら、自分では意識して無いつもりでいたのですが「新規事業の解体撤去及び整地の入札の日(今月30日)が近づいたからか」と思うと私の人生は中学を卒業するまでは『ボーっとした生き方で』高校生になってからは全く真逆なプレッシャーをかけた人生でその時その時で『火中の栗を拾う』ような生き方だと思っています。(67歳の今も進行中です。)考え方によっては『しんどい生き方やなあ』と言う事なのですが、母秋江さんの教えを全うするにはこの生き方しかないし、違った見方をすれば、プレッシャーが大きければ大きい程、それを乗り越えた時に自分自身の自信になり、強さを増してきているように思っています。

具体的には、高校時代は『無気力な高校生が多い』と言われた時代に生徒会活動に汗をかいたり、一生懸命な余り壇上から「やかましい」と言って職員会で問題になったり、大学時代は学費値上げ闘争を機に『疑問を持った事からは逃げない。意見を述べる。』を全うし、四国遍路の団参やサークル活動でも中心的な役割を担い、大学祭では実行委員長として『状況劇場』(俗称『赤テント』)の2日間の興行をやり切ったりもしました。大学を卒業後は父進さんの根回しで教員にはなったものの、『とんでもない教師』だったので、その当時の校長先生以下幹部の先生にはご迷惑ばかりかけた記憶しかありません。

教員を辞し半年間旧徳山村での自分探しの仙人生活をしたものの見つからなかったのですが、紹介して下さった児童養護施設の指導員時代は文字通り個々にあった指導を心掛けて実践してきたつもりが、自分自身の成長にとって大きかったと思っています。35歳の時に資生堂事業団のアメリカ研修に行き、幅広い福祉を学び、そのまま児童養護施設に踏みとどまっていたら、それなりに児童福祉の世界で羽ばたけたものを、またまた自分探しの為に38歳の時に児童養護施設を辞し、「自分の世界を造りたい」と無謀な船出を選択しました。しっかりとした戦略があったわけではありません。

そして6年の紆余曲折を経て44歳の時に生まれ育った今須の地に特別養護老人ホームの入居50人、ショートステイ20人とデイサービスB型の事業開始をして、今須での本館(平成10年事業開始)新館(平成16年事業開始)大垣市和合(平成26年事業開始)そして今、垂井町梅谷地区での盲養護老人ホーム・養護老人ホームの建設計画と順調に事業が展開しているように見えますが、その都度プレッシャーに押しつぶされそうな状況を味わってきました。プレッシャーに大きいとか小さいと言う事はありません。その時その時が真剣勝負です。

今回の入札にしてもどの業者に決まっても誠心誠意頑張って貰うだけなのですが、今回の垂井での計画は土地取得に時間がかかった分感慨も大きくて色々な思いが交錯している為かも知れません。いやいや、それぞれに大変な事は多々あったのでしょうが、苦労した経験は浄化され素敵な思い出になっているので、今の課題もいずれは「あんなこともあったな」と言える日が来ると思いますのでリピーターの皆さん今しばらく元気になるまでこんな調子ですがお許し下さい。

朝6時からかつてのコラムを見直していて愕然です

令和2年5月27日

昨日、埼玉県老施協の情報を得ようと親しくさせて頂いている長老的な方に連絡をとらせて貰うと、色々な事を教えて頂いた後で最後に「若山先生のコラムを施設に行って朝一番に読ませて貰うのを楽しみにしてるの。多分たくさんのリピーターの方が読まれていると思いますよ」と言われていたので、一日のウォーミングアップを兼ねてかつてのコラムを見てみようとして、何となく昨年の3月20日の記事を開いて思わず絶句です。何故ならばタイトルを見たときに『「暑さ寒さも悲願まで」とか「三寒四温」とか言いますが』と書いてあったのです・・・。

絶句の理由にリピーターの皆さんはお気付きになられたと思いますが、『彼岸』と書くべきところを『悲願』と書いてしまっているのですから。タイトルは思いを語る『宣言』のようなものですので(キャッチコピーと言った方が良いかも)、私は「コラムは毎日書くところに意義があり」等と考えていて、書いた後は一切の見直しを基本的にはしないので・・・。と言うより、昨年の3月20日は内容から推察するに施設では全く書けず帰宅後のお風呂で一気に書いたので、最後の方は多分汗タラタラ状態で見直す余裕などなく送信したのだと思います。

以前に匿名でわざわざ間違えた所にラインを引いて送って頂いた方がありましたが、その時匿名で送って下さった方は「わざわざ指摘してやったのに何ともならん奴やな」と思われているのか2度目の指摘はありません・・・。しかしながら、私のコラムを見て頂いているリピーターさんはこんな間違いをしていても見て頂いているのは寛大な方ばかりなのだと改めて感謝です。

話はがらっと変わって新規事業である盲養護・養護老人ホームについてですが、垂井町営住宅跡地と言う事で住民への説明、議会での承認や説明に時間がかかり、ようやく今月13日に土地売買の契約が成立しましたので、今は30日に町営住宅の解体及び整地の入札を地元業者4社で実施して本格的な工事着工の運びになるのですが、旧住宅地と言う事で中部電力の電線及び電柱があるので、入札が無事に終了しても簡単に「解体して下さい。」と言うわけにはいかないので、ここは「岐阜県にとって必要な施設を作るのだから最大限のご配慮をして頂きたい。」とのお願いを各方面からして頂けるように働き掛けをしています。このことが、私が杉和会理事長としての今は最も大切な役割だと承知してます。

お陰さまでこの23年の間に培ったネットワークは半端なものではないので、色々な方に電話でお願いしたり直接お願いに行ってます。働き掛けに対する結果はこれからですが、この行為は決して私欲からのものではないので堂々とお願いできるのが強みです。リピーターの皆さんこれからも誤字や脱字は多くても毎日がやりがいのある生き方を頑張って書いていきますので宜しくお願い致します。

 

本日の中日新聞一面に首相「コロナほぼ収束」と書いてありました

令和2年5月26日

私は一般的に『しゅうそく』と言えば『終息』と理解していたので『収束』についての意味を調べてみました。そこには、「一定の状態に落ち着く事」と書いてありました。『終息』は「事が終わって、おさまる事。終止」とあり、「首相は上手い表現をされたな」と思いました。100年前のスペイン風邪の時は第2波、第3波の方がウイルスの毒性が強くなっていて死亡者の数が多かったとの記録があるそうです。

そんな事を考えていたら、滋賀県の施設のケアマネージャーの方から「滋賀県内の施設では面会が出来るようになった所があるのに何故面会が出来ないのかとの連絡があったが優・悠・邑ではどのような考え方で対応されてみえますか」との内容だったので「緊急事態宣言を全面解除されたからとは言え予防薬も治療薬も無い状態ではリスクが全くなくなったとは言えないし、国も『段階的緩和』と言っているのだから、面会禁止を解除する為の一定のルールを決めてからにしていきますが、少なくても今月いっぱいは基本的に禁止していきます。」と答えました。もし、何のルールも決めずに面会を解除すると、2月以降面会を控えていた方が一斉に施設に来て面会をされたら、今までの自粛が台無しになってしまう。

更に中日新聞の紙面をめくっていくと「『気の緩み警戒』も忘れず。」とも書いてありました。そう言えば、昔のことわざに『喉元過ぎれば熱さを忘れる』と言うのがあったな。と思いながら昨日の本部施設で行われた全体会でびわこ学院大学教授の烏野先生からは、「学生がいつまでも自宅待機と言う事で学校を辞めていく傾向がある。」との話を聞いて、当施設のような年中無休の所では『本日休業』と言うわけにはいかないので、新型コロナウイルスの陽性者を出さない為にピリピリ感で対応しつつも『今日一日楽しかったよ』と言って頂ける日々を送って貰う事の難しさを味わっています。

昨日の全体会の最後のまとめを理事長として話しさせて貰った中でも、「新型コロナウイルスのの恐怖もあり、いつも以上の手洗い、うがい、手指消毒の充実と不要不急の外出の自粛を徹底した結果今年はインフルエンザも大変少なかったように思います。

これからも健康に留意した対応に努め、より良いケアに努めて貰いたい。と話をしました。また、6月からは法人として『2030ビジョン』の実践もスタートを切り、『主任』と言う新たな役職も作り、それぞれのフロアがより良くなるように頑張って貰う事を願っています。また、垂井町梅谷地区での盲養護老人ホーム・養護老人ホーム建設に向け私自身は本部施設外の仕事が増える分皆さんに寄り充実した対応もお願いします。」と話をしました。そして改めて私が充実した生活を送れるのは職員が頑張っていてくれているからともおもいました。リピーターの皆さん私はとっても幸せ者だと思っているのですが如何でしょうか。

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