冬場の建築工事は難しい

令和3年1月25日

私の口癖『予定は未定であって決定ではない』の話はもろ冬場の建築には完全にあてはまるなと自重気味に感じています。と言うのは新規事業の盲養護老人ホームの建築の建て方は昨年の12月1日からで、岐建の監督さんの緻密な計画で順調に進んでいたのですが、12月に一度『ドーンと』雪を頂き、監督さんの機転により、屋根のところからお湯をかけてシャーベット状になった雪をバキュームで吸い上げ、雪解け部隊を沢山投入してクリアして貰ったものの一回の雪でおおよそ1週間の遅れ。その後も北陸寒気団により新潟県や北陸地方に大雪をもたらしましたが奇跡的に現場にはそれほどの雪も降らなかったのですが、雪が降らなかった代わりに冷温が続いて「コンクリートが固まらない。」(5度を下回ると上手く固まらないとの事です。)との事で、コンクリート打ちが何度か延期になり、建築工程が遅れる結果になっています。

元々監督さんのスケジュールは目一杯のものだったので遅れた分を取り戻す事が無理だと言う結論を頂いたので断腸の思いで現在清風園の運営主体である垂井町さんに午前中にその旨のお話をさせて頂き、善後策についても話をさせて頂き、結論として認可権のある岐阜県に相談する事になりました。このような話は速やかにやらなければ上手くないと思い、垂井町での話し合いを終えて車に乗って直ぐにアポの連絡をすると明日の13時30分に来るようにとの有り難い返事を頂きましたのでその旨を新規事業の担当者と設計管理をお願いしている設計士に連絡しました。

4月開設の思いを強く持っていることを監督さんも設計士さんも良く理解して頂いていたのでその思いに応えようと頑張って頂いていたのですが、天気事情ではやむ無しです。事業開始が少し遅れるにしても、職員採用、備品の打ち合わせ、厨房業者との打ち合わせとやらなければいけない事は一杯あるので、効率良くできるように頑張っていきたいと考えています。

昨年始めからのコロナの影響もあり、対応が遅れた分を職人さん達の頑張りで取り戻しつつありましたが自然の対応までは予測出来ないので、明日の県庁での話し合いでは一生懸命に話をして理解していただける方向でやらせて貰えるようにしていきたいと考えています。大きな事業計画なのだから色んな難局は覚悟しているとはいえリピーターの皆さん視覚障害者さん達の安心と希望の為に頑張っていますので今後ともご声援宜しくお願い致します。

ありがたい事です

令和3年1月24日

本日13時30分のお約束で視覚障害者福祉協会の本部がある白杖会(はくじょうかい)さんに行き山田会長さん、溝口副会長さんを始め4名の方が日曜日にも関わらず待って頂いている所に行き、新規事業の盲養護老人ホームの進捗状況の報告をすると共に、職員採用をした方に対する研修についてのお願いをさせて貰いました。その後、施設の概要で直線で長いところは廊下が100メートルあったり、なるべくシンプルな作りにしている事や、平屋の木で建坪約300坪の建物が3棟などとの話をさせて頂いといて、話の端々に山田会長さんからは色んな意味で視覚障害者の方から新規事業に対しての期待が大きい事が伝わってくる話を頂き、私自身身の身が引き締まる思いに改めてなった次第です。

打ち合わせの最後に私の方で準備した2種類のチラシ(一つは18日に新聞折り込みをしたもので、もう一つは手作りの新規施設のパンフレットです。)それぞれ50部を手渡し配って頂ける事になり打ち合わせを終えての帰り際に、溝口副会長から「理事長さんのコラムの中に『なごやん』が好きだと書いてあったので、なごやんと生なごやんをお土産に持って帰ってください。」と渡され頂く時に私は思わず「コラムを続けて書くには何でも書かないとネタがもたないので、なごやんが好きだと言う事も書いたのですが、その事を覚えて頂いていて、実際に準備してくださるとは思いませんでした。でも、本当に嬉しいです。」と正直に話させて頂きました。本日は視覚障害者福祉協会に行き、改めて新規事業に対する意義の大きい事を再認識させて頂いたので、開設してからより充実したものにしていき、視覚障害者の方にとっての安心と快適を確立出来るように今まで以上に頑張らなければと帰りの車の中で思った次第です。

その為には、明日から順次面接を希望して頂いている方が沢山おみえになるので(今の時代では本当にありがたい事です。)しっかり面接ではお話を聞かせて頂きたいと考えています。ちなみに私の採用基準は『優しさ』と『一生懸命さ』を大切にしてます。そんな事を書いていて、本部施設での有望株は本日めでたく18歳になった男性職員だとしみじみ思っています。その職員は中学を卒業して直ぐに本部施設内にあるアパートに住み、もうすぐ3年になり、入居者さんへの寄り添いも含めてピカ一で十分夜勤も出来るだけの知識も技量もあるのですが、18歳未満の夜勤は法律で禁じられているのでしてなかったのですが、本日めでたく18歳になり、本日は母親の迎えで外出したのですが来月の勤務からは夜勤も担って貰おうと考えています。ちなみに彼は最近まで親へ仕送りもしていたのです。(あまあまの私とは雲泥の差です。)今は、仕送りをやめにして、車の免許と介護福祉士の資格を取得するために貯金をしているとの事です。こんな子も法人の職員でいる事に杉和会理事長としても誇りに思っています。

介護人材、福祉人材の確保は難しい時代だと言われていますが、色んな受け入れ体制をとる事によって人材は集まってくるのだと信じて頑張っています。いみじくも、岐阜から帰ってきて事務所で仕事をしていると一本の電話。それは、准看護師の試験を一月末に受ける子がアパート入居希望での面接をしたいとの連絡でした。リピーターの皆さん。頑張っている杉和会に対して今まで以上に宜しくお願いします。

 

『チコちゃん』の番組は役にたつ

通常の常識として、わかっていると思っている事が意外に理解されていない事の疑問を『チコちゃん5歳が解き明かし専門家の方が説明すると言う番組で、ゲストである回答者が的外れな回答をするとチコちゃんが「ぼーっと生きてんじゃねー」と言いながら頭が大きくなり真っ赤になって怒るのです。私はこの番組を楽しみにしながら、尚且つ「よくもよくも毎週のネタがあるもんだ。」と感心しています。昨日見ることが出来なかったので今朝の朝ドラ『ちよちゃん』のあとの番組で見ました。一問目の問題は『鮭』と『サーモン』の違いについての問題だったのですが、私は「確かにサーモンも鮭も知ってるけど、改めてどんな風に使い分けしているかと言われたら正直わからん。」と思いました。その説明を聞いて色んな事を知る事が出来ました。最初の説明では『養殖がサーモンで海に出て獲ったのが鮭』との説明に「確かに塩鮭はあるけど塩サーモンはないな」と思うと同時に「私もぼーっと生きてる」と思った次第です。そしてその後の説明で生で食べる為には養殖のものしかダメでノルウェーで養殖していた余剰な鮭の売り込みをする為に生の魚を食べる習慣のある日本で売り込もうとしたノルウェーの営業マンの苦労も知ると共に『寿司食いねー』が流行った時には寿司ネタとして登場してない『サーモン』が今では寿司ネタナンバーワンだと言うのも凄い事だと思った次第です。2つ目の問題は『厄年』は『役年』だった。と言う話です。と言うのも元々は『役年』として『役を担う年になった。』と言うのがいつの間にか『厄年』と言う意味に変わった。と言う事でした。確かに男42歳は『働き盛り』であり『働き盛り故に余り無理をするなよ』との戒め的な言葉となったのかと思いました。今回岐阜県知事選挙に立候補をされた江崎候補の話で「サザエさんの父親波平さんは私より2歳若い54歳ですが、その当時はそんな感じだったのですが、現代ではこんなに元気です。つまり、人生百年時代を如何に楽しく生きるかを考えた未来を築きあげなければいけない。」と力説されました。その時私は思いました。「私は現在67歳で江崎候補より11歳も年上だけれども、元気に走り回っていられるんだから江崎候補に10年先までのビジョンを現実のものにして貰うのも悪くないな」と思いました。人生百年時代であるなら『男の本厄年』は42歳は少し、いやいやめちゃくちゃ早すぎる。少なくとも67歳の私位が丁度かな。しかし、67歳が本厄だとすると、気をつけなければ。リピーターの皆さん何事も心配性な私なのであります。

午前中は和合で幹部会とお参りで午後は・・・

9時30分から和合で幹部会あるので退院後に車の運転を控えている私を和合の事務長が8時30分に迎えにきてくれて(自分で運転出来ないのは不便です)和合の幹部会に参加して、理事長としとそれぞれの提案にコメントをして、11時前に幹部会が終了して引き続きショートステイ利用者さんとのお参りをさせて貰い(入居者さんはテレビに映して)お参り後は施設の昼食を準備して頂いたのを食べさせて貰い、食べ終わって直ぐに本部施設へ和合の車を事務長が運転して佐藤施設長の3人で向かいました。と言うのは13時から新規事業の厨房委託業者を決めるプロポーザルがあり、法人側として有利になるようにするために色々な意見を理事長として投げ掛けました。プロポーザルが終了後は岐阜県老施協の研修の講演依頼をする講師の先生への根回しを全国老施協事務局とやり取りをしたり、書類の整理を終えてから岐阜市まで書類を届けたいものがあり運転をして貰っている車の中で今はコラムを打ってます。明日は新規事業の今後の展開についての打ち合わせを岩田理事(税理士として会計をお願いしてる先生です。)とさせて頂くので今夜は早く家に帰らせて貰って理事長としてやるべき事をまとめて、効率良くうちあわせが出来るようにしたいと考えています。

 

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余談話『父進さんと宏君が丸坊主の訳』

先ずは父進さんが丸坊主の訳は・・・。父進さんは極度に近眼だったようでなかなか兵隊さんになれなかったようなのですが、戦況が厳しくなってから兵隊さんとして駆り出され終戦と共にシベリアに捕虜として抑留されて(1年近くと聞いてます。苦労しているのに明るく語ってくれてました。)35歳の時に石垣の所からそっと見た母秋江さんに一目惚れをして、養子に入りその当時は髪の毛を伸ばしていて、その当時は気の効いた整髪料がなく、べたべたの髪の毛をしていた父進に対して母秋江さんが「汚く見えるので短くしなさい。」と言われた父進さんは母秋江さんに嫌われたくなかったのかどうだかは定かでありませんが、床屋に行ってバッサリと丸坊主にして、それ以降生涯丸坊主を通したと聞いています。もう一人の宏君の話をします。私は平成18年8月8日の日から全国老施協の本部役員(初代総務委員会幹事)としての役割を頂き、その当時の中村博彦会長に仕えるようになり神戸で全国大会があり、ホテルで寝ていると早朝5時(5時ですよ)に携帯のコールがなり、中村会長の部屋に来いとの事で慌てて着替えて走った走ったで部屋に入ると中村会長が「なんじゃそのボサボサの頭は」と言われ次に「バッサリ切ったらどうや」と言われたので、大会が終わって直ぐに本当に短くして東京の本部(当時はTBRビル)に行き中村会長に「会長バッサリ切ってきました。」と言うと「うん」と言う感じだったのですが次に返ってきた言葉が「まだまだ。やっぱりお前は中途半端な奴やな」と言われたので、またまた次に本部に行った時には今の丸坊主になって行ったのです。このやり取りは考え方によっては中村会長とのじゃれあいのようなものだったと思いますが今も丸坊主でいるのは中村会長が亡くなった今も中村会長の教えを大切にする証しだと思っているからからなのかも知れません。リピーターの皆さん私はこんな人間ですがこれからも宜しくお願いします。

午前中は新規事業の打ち合わせがありました.

令和3年1月21日

1月4日から16日まで目の手術により入院していたので新規事業の打ち合わせを7日と14日と参加出来なかったので、令和3年になってから初めての参加となりましたが、35%の仕上がりと言う事でかなり具体的な打ち合わせが出来ました。打ち合わせ終了後建物の中を説明して貰いながら案内をして貰い、3棟の内B棟とC棟は縦につながっていて直線で100メートルある廊下の部分を歩いてみて改めて「とんでもない建物を計画したものだ。」と計画した張本人でありながら思ってしまいました。『とんでもないもの』になった理由は「視覚障害の方の施設なので平屋の木でやるべきではないか」との考えで計画したのですが、2階、3階と積んでない分大きなスペースが必要だと言う事が建物の概要が出来てくるに順いわかってきました。

確かに最初に建てた本部施設本館は3429.25㎡で、「凄い建物が建った。」と思ったものですが、1階の床面積は2209.39㎡ですから確かに広いわけです。少し高台で緑に囲まれた場所でゆったりと生活して頂ければ最高だし、地域の方々にとっても活用して頂ける施設になる様に設置責任者の理事長として邁進出来ればと考えています。今週の月曜日である18日に新規開設時の職員採用の新聞折り込みを入れさせて頂き、多くの方から打診の電話を頂いているので、今後面接についても精力的に行って行き、しっかりとした礎が出来る様に頑張りたいと建物の出来ていくのを確認して改めて思った次第です。

午後からお参りの梯子をしました。

13時30分からデイサービス、新館2階、新館1階とお参りの導師を勤めさせて貰い職員のお参りの対応の仕方に~李の違いがあり、同じ事をするにしても職員の思いの違いで違ってくることを痛感したので、この課題については明日じっくりと語りたいと考えています。と言うのは17時15分から本部施設の幹部会があり、今の私の体力では限界になりそうなので、リピーターの皆さん宜しくご理解下さい。

 

点眼を1日4回注してます

令和3年1月20日

目の手術の為に入院して無事に1月16日からも1日4回の点眼はしっかり頑張っています。昔からの諺に『喉元過ぎれば熱さを忘れる』と言うのがあり、私も手術をした時の大変さや電柱が曲がって見えたり、車を運転している時に対向車のライトが片方しか見えなかったり、(消えたように見えたのです)ナンバープレートが消えて見えなくなったりした時の恐怖の記憶が薄らいでしまっているのを感じています。そんな状況になると「忙しかったから仕方がない。」とか「ついうっかり忘れてしまった。」の段階から「1回や2回忘れても大丈夫」とならない事が大切だと考えて入院中から実行していたのが、6時、11時、16時、21時に携帯の機能であるアラームをセットして確実に点眼するようにしています。

ずぼらな私でも流石にアラームで「コケコッコー」の連呼には気が付きます。入院中にたまたまアラームがセットしてある時間に訪室されてアラームが突然なったりするとびっくりされたりもしました。病院に入院している時は点眼をするのが『仕事』のようなものだったので、しっかりと出来たのですが必ずしもアラームが鳴った時間に必ずしも点眼が出来るわけではなく、(と言うより大抵は無理)アラームがバイブの振動で教えてくれた時は仕事が一段落した時に点眼をするように心掛けています。但し、この心掛けがいつまで続くのかをリピーターの皆さんと共に占ってみたいと思います。①次回の診察日である2週間②せめて1ヶ月③完治して点眼薬が必要なくなるまでしっかり頑張れる。さてさてどれになるのかたぁ。

本日午前中は銀行での手続きと打ち合わせや新規事業の自販機の打ち合わせ等を行い、午後からは岐阜県老施協正副委員長会議があり会議な冒頭、県地域福祉課からの提案があると言う事なので30分以上前に会場入りしたのですが、地域福祉課の課長以下多くの方がおみえになり、福祉人材のご相談がありかなり具体的な話し合いもできました。今週は退院後ずっと毎日スーツを来ての仕事ばかりで病院でゆっくりといた反動がきているように思いましたが精一杯頑張ります。とにかく眠くて今日はこれまで・・・。

退院後診察に来ました

令和3年1月19日

手術をして貰い入院していた、名古屋市立大学病院の先生が地元の博愛会病院で術後のフォローをして頂く為の予約が10時だったのですが、迎えの車が早かったので病院に向かう前に関ヶ原町役場に行き岐阜県知事選挙の期日前投票をしてきました。岐阜県の4年間を委ねる為の大切な権利なのでしっかりと投票して期日前の証明書を貰って病院へ向かいました。

玄関を入って行くと自動検温器が37、5度との事でストップをかけられ「関ヶ原町役場の自動検温器は36、5度だった」と言うと「取り敢えず再検します。」と言われ脇の下で計り直すと36、9度で「高めですが何かありましたか」と聞かれたので「16日まで入院をしていて問題なかったですが」と言うと「どうぞ」と言われようやく受け付けをして、眼科外来に行き、簡単な検査をして貰い瞳孔を開く点眼をして貰い今は先生の診察を待っています。多分順調な経過だと思うので、診察が終わったら昨日新聞折り込みで新規事業の職員採用のチラシを入れた結果によっては色々な対応をしなければいけない事や午後から岐阜県知事選挙においての対応等について考えています。

本日は久しぶりに上向きでも眠る事が出来たので、6時の点眼の為のアラームで目を覚ます位に良く寝て、点眼後にカーテンを開けると雪が降っていました。しばらくすれと陽もさしてきましたので、つくづく思ったのは新規事業については、新潟県や北陸地方では大雪が降っている中でたいした事なくすんでいるのは新規事業の事を考えると本当にありがたい事です。1月4日の入院前に新規事業の現場に行って以来2週間以上行ってなくて、あさって21日に打ち合わせの為に現地に行って進捗状況を確認するのを今からワクワクしながらいます。10時からの眼科受診で黄班円孔の穴はしっかり埋まっている写真を見させて貰い安心出来たのでこれからはばしばしやるべき事をしていきたいと考えています。テレビを点けると『コロナ』に関わる話ばかりで気分が暗くなってしまいますし、仕事をしている職員も自粛生活の中でも頑張っていてくれているのに何らかの形で報いる為のアイデアを出して実行に移していかなければとも考えています。リピーターの皆さん、不平不満も言わずに頑張っている職員達にエールを送って貰えると有り難いです。

 

目の中のサングラスが完全になくなりました

手術をして頂いた1月5日の日は手術後に手術をした左目は眼帯がしてあり、『うつ伏せ』でしか寝てはいけなくて、しかも無呼吸症候群の私はシーパップをしたままで、眼帯は気になるし、うつ伏せは大変で、殆ど熟睡をすることなく一夜が明けました。手術後の2日目の夜も同じ状態が続きのかと億劫な気持ちになっていたら手術の執刀医だった先生が私の部屋に来て下さり「私は20年位シーパップをしているから大変な事がわかるのでうつ伏せでなくて右下でも大丈夫」と言われ、うつ伏せでなくて右下で寝る事が出来る事の有り難さを実感したのに、その後は朝起きて右肩から腕にかけて違和感が半端ないので湿布を処方して頂きシャワーをしたあとに看護師さんに2枚貼って貰う毎日でした。

術後7日目に「目の中のまくもかなり小さくなってきたので仰向けは駄目ですが右でも左でも下にして寝て頂くのも大丈夫です。」と言われて、またまた寝やすくなりましたが「但し、目の中のガスが完全に無くなるまではうつ向きは駄目ですよ」と言われていて、退院してきたにも関わらず『拘束』されているようで、書類を見たりしながらも正直苛々していたのですが、本日5時に目覚めて目を開けて確認すると小さくはなっていたサングラスのような黒いものが完全になくなっていたのを確認して早速仰向けになってみました。

そして、改めて『自由な体制でいられる事の有り難さを感じました。そして、その時頭に浮かんだのは奈良薬師寺執事長の大谷徹城師の講演で聞いた「病気になって健康な体の有り難さを知る」との教えでした。私は改めて自分が営んでいる施設において『相手の気持ちになって』が本当に出来ているのかの確認をしっかりしていきたいと考えています。(今は午前6時46分で爽やかな目覚めの中でここまで一気に書きましたがさてさて本日のどきどきの報告はどのようなものなのか後の出来事は夜に委ねます。)

昨日は岐阜からの帰りの車の中で体力の限界を感じたのですが、本日は13時15分からワークプラザ4階での会議はしっかり2時間あり、8人という少ない人数の会議でしたので密度よく発言させて頂き、しかも助言者としてみえた社労士の方は本部施設の事を知ってみえた関係で会議後にもしっかり話が出来たし、その後会議の責任者の方にご挨拶をすると、「若山会長のお噂は良く耳にしていて、本日お会い出来て光栄です。」と言って頂けたのにはビックリであると同時に体が『シャキーン』。昨日とは違い施設に帰っても元気に精力的に打ち合わせをする事が出来ました。

明日は午前中は退院後のフォローの為に名古屋市立大学病院の先生の受診を地元の博愛会病院で受け、午後からは知事選の対応でまたまた岐阜に出掛けます。岐阜県の4年間の舵取りをして貰う大切な選挙なので、私なりに精一杯の事をしていきたいと考えています。リピーターの皆さん。当然の事としてコロナ対策をしっかりしながら会を運営していきます事もご理解下さい。

昨日退院をしてな様子です

昨日湯船に浸かり痛感したのは施設でほんの2時間程施設でうごめいただけなのに「めっちゃしんどいし21時過ぎには眠くて何ともならん」と言う事でした。よくよく考えてみればわかる事ですが入院中は絶対安静で基本的には下を向いた生活で、私が歩くのは部屋にあるトイレに行く時に往復で多目に数えても20歩。3度の下膳で(配膳は部屋まで持ってきて下さいました)30歩。(配膳車は部屋のすぐ前)1日多くても3回、眼科病棟へ一回当たり100歩程度。それ以外は腰や肩や腕が痛いときに軽くストレッチまがいの事をするだけの活動のみ。そんな私が我が家に退院時の荷物を置いて直ぐに施設に行き、書類の整理と打ち合わせをしただけなのに。これだけの事でも前日までとは違うのです。そして、21時に眠くなるのも当然です。だって、入院中の手術後は21時に点眼をしたら寝ていたのだから・・・。

そして、本日はと言うと9時過ぎには迎えに来て貰い、10時前からは新規事業の打ち合わせに来て頂いた当法人の元職員で現在垂井町議であり行政書士との打ち合わせをして昼食後は13時から介護福祉士として短大を卒業する学生の面接をして、(卒業見込み証明書が届き次第内定をする事を伝えました。)その後、岐阜市で行われる会議の為に出掛け、会議が終了したのは17時過ぎで車に乗った瞬間に疲れをどっと感じてしまいました。確かに退院した昨日の今日での1日の緊張は厳しいものがあったんだと思いますがコラムを書いている時間がなかったので21時の点眼までには何とか書き終えたいと急ぎ指と頭を駆使しているのですが、ここにきて頭がガンガンしてきましたのでリピーターの皆さん本日のコラムはいつもよりはかなり短いですがクリアと言う事でお許し下さい。明日も岐阜労働局での会議があるのですが、大丈夫かな。いやいや気力でやりきりますのでリピーターの皆さん見守っていて下さい。

本日14時に退院します

2021.1.16

13日間と言う長期に渡って左目の黄班円孔(おうはんえんこう)の手術をして頂く為に入院しました。当初は1週間程度の入院加療との計画だったのですが、手術中に剥離している箇所が見つかりその為の施術もして頂いた為に手術に要した時間も30分程度と聞いていたのが1時間30分位かかり入院期間も2週間近くになりましたが、本日めでたく退院の運びとなりました。昨日のコラムに退院日は母秋江の命日(54年前)に当たると書いた事に対して毎日コラムを見て頂いている埼玉のとっても偉い先生から『退院日がご母堂様の命日とは天界のお母様のお導き』とメールを頂いたので、そのような考え方があり、私は改めて「幸せな環境で生かされているのだ。」と思ったので、6時に起き椅子に腰掛け両目それぞれに点眼をしてから、四国巡礼の時に首に掛け、本堂及び大師堂で土下座をしてお経をあげさせて頂く時に両手に抱く108の玉の念数を両手にして西の空に向け四国巡礼で17歳(初めて参加させて頂いた歳)の時に覚えた(出会ったと言った方が正確かも)般若心経を中心にしたお経を丁寧に唱えさせて頂きました。インターネットで『おうはんえんこう』を検索すると、「最近まで治療法がなかった。」との記述があったのを見て、「私はまだまだ頑張れ」と言われているように思いました。そして、「私が一生懸命に生きているのではなくて生かされているのだ。」とも思いました。そして私の不思議なタイミングについて改めて述べてみることにします。先ずは私が虚弱な体質であった事はこのコラムでも何度か述べていますが、そんな私の命を結んで下さった方の一人が本多先生と言う当時(60年以上前」今須にあった診療所の女医さんの存在です。そして、虚弱な私を何とか生きて貰いたいと願って色々なアクションを起こしてくれた母秋江さんの存在です。今須診療所ははるか前に無くなりその跡地にはスクールバスの車庫になっています。そして母秋江さんは54年前の今日天界に召されました。つまり極端な事を言えば診療所に本多先生が存在しなくて、自分の命をなげうってでも息子である私を大切に思ってくれる母秋江の存在のどちらが欠けても私は今この世に存在していないかも知れません。✳今須診療所がいつまであったのかは理解していませんが、私が無事に小学校に入学出来た頃まではありました。✳次の危機は中学1年の5月の連休明けに腸捻転で手術をして頂いた時にはその当時の関ヶ原病院には立派な外科医がおみえになり、しっかり執刀して頂けました。大学3年であった21歳の時は腸閉塞で祭日であったにも関わらず大垣市民病院で緊急手術をして頂きここでも命を救われました。(執刀して頂いた先生から「あと一時間遅かったら手術は難しかったかも知れない。あなたは死に損ない』と言う事かも知れませんね。」とも言われました。)私の生き方の中でも色んな救世主が現れ今があるのですが、命のやりとりの中でも色々な救世主に恵まれている事に改めて自分自身驚いています。尚、リピーターの皆さんには私の入院に対して多大な心配をお掛けしましたが本日14時に長男の迎えで無事に帰って参りました。入院中のブランクを取り戻すべく長男に本部施設に送って貰い早速私の机の上に山積みされている種類を整理してから、本部施設の状況報告を聞いて指示を与えたり、新規事業のこれからの対応についても指示をして、家に送って貰い今(18時10分)は久しぶりに我が家の湯船に浸かりながらコラムを打っています。まだ、視力の回復には時間がかかりますので、(目の中にサングラスをかけているような感じですし、電柱はまだ曲がって見えます。)しばらくは車の運転は控えながら職員の協力を得てバリバリと活動していきますので、引き続き宜しくお願い致します。

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