備えあれば患いなし

令和2年6月24日

新型コロナウイルスの広がりは少し落ち着いたように思われるが、決して「喉元過ぎれば熱さを忘れる」的な対応で大丈夫と言えることではありません。昨夜も本部施設の全体会で当法人の顧問の烏野先生から「20%、80%の考え方で対応すべきだ」との話をして頂きました。それは、「0%か100%ではいけない。」と言う事です。私も上手い表現だなと思いました。つまり、「全く何もしないか、リスクを気にせず通常通り実施するか。」ではなくて「リスクを想定しながらも出来る事を実施する。」との考え方です。「0%か100%」の考え方は何も考える必要はない代わりに「つまらない生活を強いるか、あまりにリスクを無視した考え方で余りにも無謀な考え方。」と言えるのではないかと思います。

しかしながら、何を持って20%なのかと言う尺度はないので、しっかりとしたリスクヘッジをしていく必要があると思います。さて、先般16日に「「施設内感染発生時の相互支援」についての検討会が岐阜県水産会館大会議室で開催され岐阜県老人福祉協議会としての考え方を提示させて貰ったのをたたき台にして、主管課の方で第2回の会議に向け作成されたのを見させて頂きました。その率直な感想は「岐阜県は本気で取り組もうとしている。」と思いました。と言うのは、私は全国で一番早く提案された福島県のプランを参考にして作成したのですが、補助金の考え方に応援職員を派遣する為に『賃金』『手当』『旅費』『宿泊費』『損害賠償保険の加入費用』等の補助と謳ってあったからです。当然と言えば当然の事なのですが、きっちり書いてあったのは素晴らしい事だと思いました。だって、派遣した施設に職員を出してなおかつ持ち出しがあるのは考え者なので。そこまで検討して貰えたのは良かったと思い、立案された職員にその事を素直に伝えました。

『備えあれば患いなし』の格言が有り、岐阜県は全国的にも早い段階で動かれた事を評価すると共に、岐阜県老人福祉施設協議会も会員の理解を得て協力できる事をさせて貰いたいと、岐阜県老人福祉協議会会長として思うと共に、新型コロナウイルスの第2波、第3波に対して施設長としても対策を講じなければと考えています。

昨日の本部全体会では改めて入居者さん、利用者さんの為にも「不要不急」の対応はして貰いたいとも話をしました。私はマジで新型コロナウイルスに罹った時に額に『コロナ』と出てきたらありがたいけど、そんな薬を開発する事は絶対に無理なので、改めて手洗い・うがいの徹底と必要に応じたマスクの着用(熱中症も怖いので)をしていきたいと思います。折角、家族への面会が若干緩和されたのに逆行するようなことにならないように、職員にも家族の方にも理解してもらいたいと思っています。

 

毎日が充実しているのかフワフワとした生き方なのか

令和2年6月23日

毎日の生活の中身が濃いのか薄いのかはわかりませんが、とにかく時間が経つのは早いです。「もっとゆっくりとした時間が持てたら」とは思うのですが、決して1年が『あっと言う間』と言う感覚ではないのです。これは一日一日の中に一杯いっぱい色んな刺激があるからなのだと思っています。

小学校低学年の頃、冬になると足は膝まで手は肘までボンボンにしもやけで腫れて、手や足を動かす事も出来ず学校の教室では目の前に真っ赤に燃えたコークスのストーブと豆炭アンカに足を突っ込んだ状態で暖か過ぎて、授業内容は全く頭に入らずの毎日。そのころの記憶はその連続だった為か記憶の中ではあっと言う間の記憶でしかない。この歳になり良くも悪くも充実の日々。こんな日々に感謝しつつ思うことは『人生はどこかで帳尻が合うようになっているのかな』と。

しかしながら、私の人生は虚弱体質だった時もチャランポランの学生時代(私的には一生懸命だったのですが)も、わずかしか勤めなかった教員の時も、児童養護施設の指導員時代もフリーでうごめいた時代も。ましてや社会福祉法人を設立して事業展開をしている今も。色んな方に支えて貰って今があるのだと思うと『私に出来る事は精一杯にしなげればいけないし、しなければいけない』と思っています。

本日も午前中に岩田税理士と北村社労士との打ち合わせ。昼食を慌てて頂き、午後零時40分からの葬儀に参加して、終了後そのまま和合の施設に行き、休憩する事もなく佐藤施設長との打ち合わせで引き続き2グループに分けての全体会があり、理事長としての話をしっかりさせて貰い16時に終了して、またまた、休憩も取らず本部施設に向け車を走らせ施設の駐車場に入ると17時からのお客様が車から降りてみえたので会議室に案内してお話を伺って、それが終わったタイミングで烏野顧問(びわこ学院大学教授)がみえたので引き続き会議室で色々な打ち合わせ(途中で岐阜県高齢福祉課と山本企画社長と北村労務士から電話あり)をしていると今度は本部施設の全体会が19時から始まり、その会議の中でも理事長として熱く語り、(新型コロナ禍の中の対応への考え方等)全体会終了後は新設された主任会議を実施しました。主任は6月1日付けの新しい役職ですが、中堅どこを充実させるためのものなので、これから大切にしなければ。

1日の役割が終わり家に帰り気が付きました。『コラムがかけてない』今は半分眠気の中で最後の気力を振り絞ってます。リピーターの皆さん『誤字脱字にはご容赦です』

 

睡眠を取る事の大切さを実感しました

令和2年6月22日

昨日のコラムで熟睡が出来ず体調が良くない事を書きましたが、昨夜は私が好んで飲むキリンラガービール500ミリリットルを1缶飲んで、尚且つ理事長としての方針が固まってきたので頭の片隅には若干の不安は(まだまだかなりの部分かなー)ありますが、それなりに精神バランスが取れてきて、それなりに熟睡出来たので5時半にはすっきりとした目覚めが出来ました。

外は明るいしウォーキングでもして体をシャキッとさせようか等と考えながら、1階のリビングで新聞を読んでいると、施設からの連絡が入りかなり前から厳しい状況だった方が心停止されたとの連絡を受け、急ぎ施設に行くと共にお医者さんとお身内に連絡して、しばらくすると、お医者さんが来て下さり死亡確認をして頂くとお身内の方がおみえになったので、亡くなられた入居者のお顔を見ると本当に安らかなお顔をされていたので、お身内の方からは「約8年と言う長き月日を本当にありがとうございました。」と言って頂きました。

その後、いつものようにお風呂に入って頂き、お迎えの車が来たので可能な限りの職員が玄関先でお見送りをしました。その後処遇改善加算に伴うお金を手渡しすると共に色々な話をしたりして(途中で、とろみ剤を調整する機会の業者の挨拶も受けました。)いると16時になり、天気も回復したので新規事業の作業状況の確認に行きました。

私が現地にいるのを見られたのか養護老人ホームの園長さんが近づいて見えたので、「ご迷惑をかけています。」とまずはお詫びして「来年4月以降の対応の仕方について意見交換すると共に「今週中に町長さんを初め担当の課長さん達と具体的な話し合いを持ちます。」とかっこ良く別れて、測量作業を行っている所へ行こうと近道をして歩いていて、「あっ」と思った瞬間にずぼずぼっと土の中に足が埋まり、足が抜けなくて靴が抜けてしまい頭が真っ白。靴だけでなく膝まで・・・。何とかその場から脱出してとにかく靴を脱いで裸足で歩いて用水路にまで行き靴と足と手にこびり付いた泥を取り、ズボンをたくし上げると何か所が傷ついていて「悲しい」やら「情けない」やら「恥ずかしい」やら・・・。

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しかしながらここからが私の真骨頂。何とか施設に帰ってから、土の改良をする為の打ち合わせを予算面からと技術面から電話でしました。これからも、山あり谷ありだと思いますが、大きなプロジェクトだから当然の事ですが、この経験は一回一回新鮮でドキドキハラハラですが、自分の成長でもあり、法人の成長でもあると考えてこれからもクリアしていきたいと考えていますので、リピーターの皆さんこれからの展開にも乞うご期待。しかしながら、大昔の芸人ばりに「ビックリしたなぁ、もう。」

 

2日間の事ですが眠れない日々です

2020.6.21

新規事業の計画が新型コロナの影響もあり、実質3ヶ月の遅れが生じている状況の中、色々な事を考えていると眠れません。明け方の4時頃にとろっとして5時過ぎに夢を見てうなされながら目を覚ましました。その夢の事は鮮明に覚えています。それは、私が柱に体をもたげていて体が動かなくなりいわゆる全身硬直のような状態で声を出す事も出来ず大きく唸った瞬間に目が覚めました。このような状態になったのは、なるべくブラス思考で楽観的に考えようと起きている時は努力しているのですが、横になって眠る努力をするとますます目が冴えてしまうからなのでしょうか。新規事業について昨日話をしている時は夢や想いを語る場なので心良い空間だったのですが、現実には予定が3ヶ月遅れている状況を取り戻す為の旗振りは出来ても自分では何も出来ない。厄転じる方策も思いつかない現実に途方に暮れるだけでは問題解決にはならず立ち往生です。救いは朝食はしっかり食べる事が出来た事です。施設に着き処遇改善加算の差額分を職員一人ひとりを呼び、面談を兼ねて支払いました。10時25分になり滋賀県でかつての入居者さんの葬儀の為に一旦支払いを中止して出掛けました。葬儀は三密に配慮したものでした。再び施設に帰り、丁度午後零時になったので、20分で昼食をとり、再び処遇改善加算の差額の支払いをしていると、13時30分になり、デイサービスの本日の責任者が『お参り』の時間になったと言いに来たので慌てて仏間に行き、参加者に挨拶をしてから、私の導師でお経を皆さんと共に約30分あげ、少しだけですがお話をしていると、新館の職員が新館でのお参りの為に迎えに来てくれており、またまた慌てて新館に向かい先ずは新館の2階で同じようにお経とお話をさせて貰い、またまた慌てて1階に下りて、お経とお話をしようと思ったのですが、流石に喉を潤さないと大変だと考えて自販機でお茶を買い1階の皆さんが待ってみえる所に行き、若干時間に遅れた事をお詫びしてから皆さんとお経をあげ、お話をしていると、カラオケの機械が準備されているので、お話をしている時に、「合計90分お経とお話をしたのでご褒美として夕食時にお酒を頂こう。だとすると本日のカラオケ曲は吉幾三さんの『酒よ』で決まり。」と考えていて、職員から曲目の依頼がある前に「今日は『酒よ』を頼みます。」でペットボトルのお茶で喉を潤し気持ちよーーく歌えました。そして改めて思いました。「私の喉はお経とカラオケでぜっこうちょう」(ここの言い方は映画『マスク』の主役のように)睡眠不足でフラフラだったのにお経さんを唱えたら元気になったと意気揚々で事務所に帰ると、不思議なご縁を頂けるかも知れない三味線の家元へ送る事になっている今須米が届いていたので、イッキに手紙を書いているとその間に職員が配送出来るように段ボールを切って準備していてくれて・・・。色んな意味で『ありがたいなー』と言うことで。リピーターの皆さん。私がうじうじ考えるのは似合わないので、「ガンガン攻めて活路を切り開こうと」と考えていたら当法人の評議員の方から地元対策についての根回しをしたとの連絡。確かに私は理事長で責任は持たなければいけないけど多くの支援者の方がおみえになる事を忘れてはいけない。今までも多くの方に助けられていまがあることに今更ながら気が付きました。よ~~~し、明日からガンガン攻めまくるぞ。と言う事で『乞うご期待』と言う風に絶対になる!!!!!

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第一回新規事業の打ち合わせ

令和2年6月20日

垂井町梅谷にある旧町営住宅の跡地の購入予定が当法人の予定とは大幅に遅れ、計画がおおよそ3か月ずれ込んだ関係で新規事業の打ち合わせがようやく本日10時から開催されました。設計を担って頂くデザインボックスから、八代社長を含めて3名の方が来て下さり検討資料としてたたき台になる図面のプランを4案作成してきて下さったので、その説明を聞く事から始めました。

それぞれに特色があったのですが、色々な観点から検討して結局『2案』に決めてから詳細な詰めの話し合いをしました。「お風呂は個浴でシャワーも設置して何か所必要か」「トイレの数は何個設置するのか」「小便器は必要か」「喫茶コーナーは設置するとして、何人が利用出来るものにするのか」「会議室はどれだけの人数が収容出来るものが必要か」「霊安室の考え方をどのようにすべきか」「静養室にはベットを何台置くのか」「中庭の考え方はどうするのか」「居室のドアはどの様なものが良いのか」「事務所にはどの程度の机が入るスペースが必要なのか」「居室の面積は何㎡が妥当か」「食堂の考え方はどうしたらいいのか」等々と、気が付くままに意見を言って一つひとつ検討していきました。

提案をしていてあまりにコストがかかるものについては却下したり、資料を揃えてから次回に検討するものがあったりと計画を煮詰めていきました。次回は6月26日(金曜日)と決め今日の話し合いに基づき改めてデザインボックスさんにプランを提案して貰う事にしました。私は社会福祉法人杉和会理事長として3か月の遅れをどの様に短縮させて頂くのかの調整であったり、短縮しきれなかった時の対応をどのようにしていくのかの色々な根回しの中で色々な所に迷惑が掛からないようにしていかなければと考えています。

また、4月開設を目指し円滑な運営をしていく為には職員確保も大切ですし、地域の方々の理解もより深めていかなければなりません。そんな中で、本日の打ち合わせ終了時の締めの挨拶で「3カ月の日程短縮は想像以上に難しい問題ですし、安価であって機能性と幸せ感を持って貰うのは大変な事だと言う事は理解してます。しかしながら立派に完成し地域の期待に応えれたあかつきには、あの時は大変だったけどと笑いながら話が出来て美味しいお酒が皆さんと飲めるのを楽しみにしてます。」と話させて頂きました。美味しいお酒が飲めるまでにはまだまだ山あり谷ありの道を歩まねばなりませんが、私の展開は常に『プラス思考』なので、今も眠れない一晩を過ごしたお陰で脈々とした展開を考える事が出来ました。勿論、私の考え通りにはいかないでしょうが、その都度修正しながら頑張って展開していきますのでリピーターの皆さんこれからの展開をしっかり見ていて下さい。

明日は新規事業の為の作戦会議です

令和2年6月19日

垂井町営住宅跡地の取得に時間がかかり、なかなか具体的な建築に伴う構想についての会議を開く事が出来なかったのですが、ようやく明日開く段取りが出来ました。この段階にくるまでに山有り谷有りの日々が続きましたので、私的には『思いきり想いを語りたい。』と思うと同時に単年度事業のスタートとしては『時間がない』との考えが交差するのですが、ワクワク感で克服していかなければと考えています。

盲養護老人ホームについては私自身はお陰さまで目が見えるので目が見えない人の立場でハード面を考えてイメージしてもイメージしきれないのですが、目が見えない状況であっても、出来るだけ自立した生活が送れる為にはどのように考えて行ったら良いのかを考えていかなければと考えています。昔から『三人寄れば文殊の知恵』と言う諺があるのだから、「明日は10人近くのメンバーにより知恵を出しあうのだから自ずと良い案が出てくると願っております。」と、無理矢理コラムを書いていても、原稿書きに乘って行けない。これは、本日午前中の苛立ちが乗り切れない理由だと思い、午前中の出来事を書く事にします。

それは、施設から8時30分に私の携帯に連絡があってからの出来事です。それは、ショートステイをこの14日からの利用で直接病院からおみえになった方が朝食中に急変され救急車を依頼したのですが、家族の希望もあり、かかりつけ医に最後の確認をして貰いたいとの事で、救急車の到着を待ってその旨を私の口からお話をしたのですが、「連絡を貰った以上病院へお連れする」と言われたので、「すぐにかかりつけ医がおみえになるので待っていて欲しい」と話すると、「岐大医学部の指示もあり検視の依頼をして、検案書はかかりつけ医に書いて貰い血液もとって貰う。」と居丈高。まるで当施設で犯罪が行われたような言い方にイライラしながらも指示に従って、かかりつけ医に死亡確認をして貰い、しばらくすると警察の方が最初に3人、その後2人、2人の合計7人がきて、関わった職員が順番に事情聴取。

食堂や部屋の写真を撮り、まるで犯罪者扱い。勿論警察の方は事件性が無いことを確認するのが仕事だから仕方がないのかも知れませんが、一生懸命にお世話していたのにとの思いと、今は厳しい状況の方をお世話していて、ぎりぎりの方がたくさんおみえになっている状況の中で、このような事が重なると職員は萎縮してしまったり厳しい方をお受け出来なくなってしまったら利用したい方が困ってしまうと思うと同時に『一生懸命はダメ』となるのはやるせない。

結局家族の方への説明に同席させて貰っての警察の方の話は「突然の死の原因には色々な聞き取りを精査して、血液検査の結果も確認して全く事件性はありませんでした。」との事。三時間近くかなりの施設業務をさいての結論でした。その後、最後のお風呂をさせて頂きご自宅へお送りさせて頂くお話をさせて頂くと、家族の方は「最後の最後までありがとうございました」と話をして頂き初めてイライラが少し取れた思いになりました。リピーターの皆さん。本日のコラムは混乱の中でのものなので、何が言いたいのだと言われても致し方ないものになった事についてのお詫びと明日からも頑張る事をお誓いして今日のコラムとします。

 

朝風呂に入ってます。

令和2年6月18日

昨夜は3月26日以来の外での食事会があり大垣フォーラムホテル内の中華料理店『萬里』でグラスビール1杯とウィスキーのロックを2杯とちょっと(3杯目は少ししか飲めなくて)飲んだので代行で帰り車に乘っている間に必死にコラムをガラケーの携帯で打ち込みその後家に着いてからも必死に打ち何とか継続出来た事まで書きました。

そして、昨夜出来なかったのがお風呂に入る事だったので今(午前6時41分)お風呂に入ってます。本日は当法人の評議員で関ヶ原町の生き字引のような大長老から関ヶ原町議会を見に行くようにお誘いを受けたので関ヶ原庁舎に9時までに行き(勿論早目に着くつもりをしてます。)実際に町議がどのような質問をして町長や役場幹部がどのように答えるかをしっかり見てくるつもりです。

午後からは司法書士の先生との新規事業に伴う手続き上の打ち合わせがあり、その後は新人研修で食事委員長と排泄委員長が講義をするのを聴講して、17時15分からは本部の幹部会があり、一時間前には烏野教授(当法人顧問)が来てくださるのできっと今日もばたばたで・・・いやいや充実した一日になります。多分今日もなかなかコラムを書いている時間が無いとも思ったし、お風呂はコラムを書ける余裕な時間なので、お陰さまで今の段階での文字数は547文字で後はあった事を加筆するだけだから少し気分は楽です。但しリピーターの皆さん単に千文字を超す為に書いているわけではありませんが最近はコラムと言うより日記のようになっていますがこれは出会いや刺激がない生活(贅沢な事言ってます。)を新型コロナによって強いられているからです。

そうは言っても、『東京駅の駅員さんは』とか『品川の京急の駅員さんは』とか『山の手線の満員電車に無理矢理乗り込む人は』程度何ですが・・・。(ここまでが、出勤前のコラムです。)(そして、今【午後8時57分】帰宅してまたまた、お風呂に入りコラムを打つ事にします。)役場の駐車場に車を停めたのが8時35分で、まだ、皆さんが来てないようだったので、車の中にいると、ぼちぼち町会議員の方が車から降りてみえたので、それぞれにご挨拶をしていると議会にくるようにお誘いして下さった前関ヶ原町連合自治会長の淡川さんがおみえになったので3階にある議会場にご一緒させて貰い傍聴席に座り議会進行を聞かせて頂きました。

10時前に休憩になり椅子に腰かけていると岐阜新聞と中日新聞の記者の方がわざわざ私の所に来て話しかけて下さいました。「相手の方から来て頂けるとはありがたい。」と思うと共に「私をご存じとは恐縮至極」と思った次第です。10時40分に議員質問が終わった段階で傍聴席の方が席を立たれたので私も淡川さんと共に議場を出て施設に帰りました。

そして、13時30分からは司法書士の先生と新規事業の打ち合わせをして申請書に印鑑を押し先生をお見送りしてから、新人研修をしている部屋に行き講義を聞いていると先程の司法書士の先生が追加資料に印鑑を押して欲しいと連絡が入り、垂井の事務所まで印鑑を持って行き決済を済ませ、ついでに17時15分からの本部幹部会でケーキを出そうと従兄弟が経営している『メルシー』までいきケーキを買い(先月の私の誕生祝いのお礼の意図も込めて)施設に再び戻ると丁度烏野先生が着かれていたので打ち合わせをして、その後新規事業の打ち合わせを窪田室長としていると幹部会の17時15分になり会議室に行きコロナ対策を含めて色々な角度からの話題を話し合い、私も理事長・総合施設長として、その都度スーパーバイズして、会議が終了したのは21時前で、くたくたでしたが、今日もコラムの更新が出来ました。リピーターの皆さん今、午後10時11分にコラムが完成です。そして何処からともなく拍手の嵐が・・・。

目が回るような日で今家に帰り着き(20時58分)コラムを完成させます

10時から、かつて長いこと三味線ボランティアに来て頂いていて、その後入居された方の葬儀に参列して施設に帰ると、昨日コロナ対策検討会でお世話になった高齢福祉課の担当者から資料の提供の依頼があり、福島県老施協の事務局長に相談の連絡をして資料を作成して県高齢福祉課にメールで送信して、気が付くと12時を回っていたので慌てて昼食をとり、13時30分からの全国老施協正副会長委員長会議の資料の確認をしてウェブ会議に備えて定刻通りに始まり平石会長の挨拶と進行で始まりました。最初の一時間は国の情勢報告とそれに伴う話し合いがあり、その後各委員会報告で最初に総務・組織委員会の報告を私がさせて頂きました。先月からの報告でしたが1ヶ月で2回のウェブ会議をしていたのでその報告と7月2日に総務・組織委員会のメンバーが揃っての会議を予定している事も報告しました。私の報告の後、順次委員会報告が行われ16時会議終了まで後15分になり平石会長が「あまり時間はありませんがその他にご意見ありませんか」と言われたのに対して間髪入れず発言する為のボタンを押し私を指名して頂き、言いたい事4項目を手短に話させて貰いました。締めの挨拶を鴻江副会長がされているときに、施設の玄関先に人影があり、「16時に打ち合わせを入れていた。」と言う事でウェブ会議の終了のボタンを押すと共に打ち合わせの為に待って貰っているお客さんがいる会議室へ。17時過ぎに打ち合わせを終え、和合の施設経由でフォーラムホテルで新型コロナで休止していた『長城の会』の為車を走らせるのですが、時間がないときに限って車が混んでいて、イライラが最高潮。何とか和合で資料を受け取り定刻20分遅れで会場へ。既に会食が始まっていて、皆さんに遅れたお詫びをして席に着き生ビールで皆さんと改めて乾杯をしていると、先に始められた方は3品目を食べられていたので急いで皆さんのペースに合わせようと目を白黒しながら食べ(もっとも、私は巳年なので丸のみに近いですが・・・。)ました。その後は同じテーブルの方と親しくお話をさせて頂きながら優雅に中華を頂きました。お店の方に代行を20時に頼んでおいたので、丁度20時にお開きになったので皆さんにご挨拶後をして、代行の方に運転はお願いして車に乘った瞬間から猛然と書き出したのですがいつもの量の半分位しか書けず、本来ならお風呂は朝にしているのに、寝るのは後回しにして、何とか今(21時24分)にコラムが完成しました。リピーターの皆さんアップが遅くなりすみませんでした。中味はともかく更新できた事に意義ありと言う事で・・・。

 

 

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大谷徹奘師の言葉に『成功のカギは「予」がつく言葉予習・予測・予想・予備・予定・・・』

令和2年6月16日

本日14時30分から岐阜県水産会館大会議室で『第1回岐阜県高齢者・障がい者入所施設新型コロナウイルス感染症対策検討会議』が行われ出席するのに際して、10時30分から和合の施設で幹部会があるので、朝一で施設に行き、岐阜県老施協の提案を事前にまとめておいたものを再確認すると共に、追加資料を作成して出来上がった段階で岐阜県高齢福祉課に連絡して追加資料として添付して貰う為にメールで送りました。

26歳までの私には考えられないことですが、大谷徹奘師の教え『成功のカギは「予」のつく言葉 予習・予測・予想・予備・予定・・・』を26歳以降出来るようになってからは、自分の住む世界が変わったように思えてきます。

本日も正にそのことを知る事が出来たと言っても過言ではないと思います。と言うのは水産会館に駐車場は少ないし、会議開始前に高齢福祉課の担当者の方にこちらで印刷した追加資料を配布して頂くお願いと共に打ち合わせがしたいとの思いで駐車した所から約5分歩いて会場に着いたのが会議が始まる30分前の14時で、会場に入ろうとすると何台かのカメラが既にスタンバイしていて、マスコミ関係と思しき方がおおぜいみえる中で県の関係者の方々にご挨拶をすると共に打ち合わせをさせて頂きました。

しばらくすると続々と出席者のそうそうたるメンバーがお見えになり、名刺交換をしたりして、定刻になり最初に健康福祉部長さんが挨拶をされ(マスコミ関係者はここまで)、その後検討会が始まりました。最初に高齢者施設・障がい施設の新型コロナに対する対応についてそれぞれの現状について報告をすることから始まりました。最初に岐阜県老人福祉協議会の会長である私から話をさせて頂いたのですが、実際に施設内で実施している事と岐阜県老人福祉施設協議会会員施設の現状についてと、全国老人福祉施設協議会の対応について話をさせて貰いました。

次に老健協の会長さん、グループホーム協の理事さん、知的障害者支援協会会長さん、身体障害者協会の会長さんが順次お話をされ、その後、医師の立場で3人の先生が話をされて、その後意見交換をして(当然私もしっかり話をしました。)次に今後の展開について話し合いが持たれたので、私は事前に準備させて貰った資料に基づいて、老施協と老健協が岐阜県の依頼を受けて新型コロナ発生時の協定書案について説明すると共に、他県の状況についても私のネットワークで知りえたものについて話をさせて頂きました。

その後も検討がなされ、予定の16時に検討会が終了して、帰り際にわざわざ健康福祉部長さんが私の席まで来て下さり、「若山会長さんの提案は大変参考になりましたので、今後生かしていきたいと思います。」と言って頂けたのは大変嬉しかったし、老人福祉施設協議会の存在感を示せたと思っています。

リピーターの皆さん。このような地道な活動が大切なんだと思うと共に予習の大切さをしみじみ思った次第です。今、18時45分で19時から通夜に参加するので結論が甘いですが今日はここまでと言う事で。

 

またまた、昨日の話から始めます

令和2年6月16日

朝9時にお客様があると言うので週1回の唯一の楽しみにしている『ゲゲゲの鬼太郎』を見ることなく、(当然でしょ。仕事ファーストの生き方何だから)施設に行き、お客様対応の後、明日(16日)の岐阜県健康福祉部主催の『新型コロナ対策検討会議』でしっかりとした提案をしたいとの思いで資料作成に取り組みました。その資料を作成するのには先進的な取り組みを知る必要があると、以前に手に入れておいた資料の確認から始めました。

一つは全国老施協副会長で福井県老施協会長から送信して貰っていた第二次補正の介護関係の資料と全国老施協幹事で福島県老施協事務局長の高木君の県を巻き込んでの援助体制の資料と窪田室長が作成した岐阜県版の叩き台を基にびわこ学院大の烏野教授(リスクマネージメントの大家)に電話で指示を仰ぎながら作成しました。私は大した知識は持ち合わせていませんが、色んなネットワークを駆使すれば立派なものが出来るものです。お陰さまで出来ましたので、電話で会議の主幹課である高齢福祉課の担当者に資料提出の可否をお尋ねすると「ありがたい事です。」の言質を貰ったので、明日10時30分から和合で幹部会があるので、朝イチで30部輪転機をかけたいと考えています。

何もしなくても会議に望む事は出来ますが、県老施協を代表して出席する限りにおいては当然の事だと思っています。その後資料の整理等をして17時といつもよりは早くに仕事を終えて家に帰り、5月16日の私の誕生日に本部施設の役職職員からプレゼントされたカラオケで少し息抜きをすることにしました。何とかテレビに接続して老猫『リット』を隣に座らせて何曲も歌ったのですが最初は「いつも歌わないのを練習しよう」と河島英五の『時代おくれ』を歌ったら点数が75点しか出なくて「これはリベンジしなければ」とカラオケの機械にむきになり私の勝負曲『兄弟船』を歌ったら「えっへん、百点」ここで頭に乗るのが私の素晴らしい?ところ。しかしながらその後に百点はでなかったのでやっぱり兄弟船がこれからも勝負曲だと悟りました。

そして、気分良く寝たので爽やかに目覚めたのですが、早出の職員が体調が悪く欠勤するとの連絡を受けたので、7時前に施設に行き宿直者に現場に行って貰い事務所の仕事をしました。その後事務所の職員も来たので、銀行に行き、処遇改善で職員に手渡す現金をおろし一人ひとりに渡すお金を封筒に入れているとお昼になり午後からの全国老施協の入会促進パンフレットの為のウェブ会議があり、しっかりと私の意見を言わせて貰い、次回の予定までの話をして終了後、新規事業の解体工事の様子を見に行くと建物は全てなくなりびっくりと共に業者の方に感謝です。

リピーターの皆さん。一生懸命は良い展開を産むのだと思いました。そう言えば運転中のラジオで『天才はどのようにして生まれるか』と言う話の中で「自分が好きでなければ天才にはなれない。つまり、好きだからこそ熱中してできるのだ」と言ってました。私はその事から改めて今の仕事は天職なのだと思いました。だから頑張れる・・・。リピーターの皆さんもそう思われませんか。

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