全国老人福祉施設協議会 総務・組織委員会について

令和3年3月25日

令和2年度・3年度の2年に渡って総務・組織委員会委員長の任に就かせて頂き、令和2年度については、全国8ブロックの役員さんとの懇談会で、ある時のスケジュールでは東京で関東ブロックの幹部役員さんと午前11時集合で『ランチミーティング』を行い、午後からは場所を代えての役員さんとの『懇談会』に引き続いての交流会が行われ、その日は東京で泊まらせて頂き、翌日は13時から近畿ブロックの役員さんとの懇談会の為に新幹線で大阪に移動して17時に終了してから、伊丹空港までリムジンバスで行き秋田空港に飛んでその夜は秋田市内の懇談会会場であるホテルで泊まり、翌日午後からの懇談会を終えてその日遅くに家にたどり着いたのは大変でしたがそれぞれのブロック役員さんと膝づめでお話が出来たのは良かったです。残念ながら昨年2月からはコロナ感染症により、中国ブロック(広島)には行けませんでしたが、総務・組織委員会委員長としての対応はしっかり出来たと自負しています。令和3年度についても直接各ブロックに行く計画を立てていたのですが、コロナの終息をみる事が出来なかったので、リモートでの懇談会でしたが各ブロックで実施出来ました。また、今年度は会員の入会促進の為のパンフレットの作成にも力を入れました。このパンフレット作成はコロナ禍であった為に委員の皆さんを一堂に集めての会議は出来なかったのですが、リモート会議であった為に移動時間がない事で必要に応じて開催する事が出来たのでしっかりとしたパンフレットが完成して全国老人福祉施設協議会の魅力を引き出すための作品になったと思います。総務・組織委員会のメンバーは選りすぐりのメンバーであり、私に責任者が勤まるか心配していましたが、強者(つわもの)揃いのメンバーに支えられ、何とか職責を全うする事が出来ました。『過去形』で書くのは5月まで任期があるので正確な表現ではないのですが、委員会のメンバーが揃っての委員会は昨日が最後だったのでそんな表現にしました。『今年度最後の委員会』と言う事でそれぞれの委員さんからは来年度に向けての思いを語って貰い、その意気込みに流石の私もタジタジになりましたが、どの委員さんも総務・組織委員会の役割を理解して頑張って頂いた事に改めて感謝です。『感謝』と言う言葉を思い描きながらつくづく思ったのは「私は人に恵まれているな」と言う事です。リピーターの皆さん。『運のみ』で「よっつしゃよっしゃ」とばかりではないとは思いますが、この生き方は変えられません。

とにかく眠くて

令和3年3月24日

昨日は、午前中に県老施協制度政策委員長の西垣先生の紹介でインドで貧しい生活を余儀無くしている子ども達の為に学校を作り、その一貫で仕事の提供が出来る組織を作りたいとの熱い情熱を持ったインド人夫婦(夫人は日本の方です)の方にお会いして、今も尚インドにはカースト制度は残っている現実を知ると共に、思いの中でゼロから立ち上げようとされている方の底力を感じさせて貰った話しを聞く事が出来ました。この志しに対して私自身がこれからお手伝い出来る事は何かを具体的に考えて支援出来ればと思うと共に清々しさを覚えました。(勿論、私がしっかりとした経営をしていないと支援等出来ないのですが)午後からは13時30分からデイサービス、新館2階、新館1階の3ヶ所を移動しながらお参りの導師役をそれぞれの所でさせて頂きました。このお参りの中でもお腹から声を出させて頂き、利用者さんも入居者さんも一生懸命にお経を唱えて下さり、このお参りの中でも爽やかな気持ちにさせて頂く事が出来ました。

3ヶ所のお参りが終わり新館から本館の事務所に戻ると新規事業の建設を請け負って頂いている岐建の常務さんとのお約束をしている15時30分より少し早い時間でしたが、既に来て頂いていたので慌てて会議室に行き、追加工事の値段交渉や竣工式等の打ち合わせをさせて頂きました。その後パソコン上での情報の確認や次の日に行われる全国老施協総務・組織委員会のリモートでの会議の予習をしていると17時過ぎに毎週火曜日と決めて来て頂いてる移動販売(神戸から来て頂いている『だるま』)の車が玄関前に停まっているのに気付き3週間ぶりに買い物をして、これまた久しぶりに家でお酒が飲みたくなり(日曜日に厳しい状態だった入居者の方が少し良い状態だし、宿直は吉田部長だしと言うことで)つまみを探していると『かつおのタタキ』と『ほたるイカ』があったので購入して、家に帰りお風呂にゆっくり入り夕食にお酒を飲んでと考えながら車を運転していてふと時計を見ると18時になっていてびっくり。

だって、18時なのに明るいから。そう言えばこの時間に返るのは久しぶりでお彼岸も過ぎたのだから明るいのは当たり前か。家に着きそのまま脱衣場に行きお風呂に直行。そしてシャワーを頭から全身にかけて、最後に水のシャワーも浴びてからゆっくりと湯船につかりました。こんな時は思いっきり歌を歌いたい気分になり砂田おさむさんの持ち歌である『織田信長』を歌って気分良くお風呂からあがり食卓につき自分で冷酒用のグラスを準備してかつをのたたきとホタルイカをつまみにグラス2杯の冷酒を飲み気持ち良いほろ酔い気分になり(この程度のお酒でほろ酔いとは随分弱くなったものです。)ゆっくりとした夕食の後にはめちゃくちゃ眠気が襲ってきました。(ようやくタイトルの話題になりました。)結局夕食後は自分の部屋に何とかたどり着きベットに横になり時計を見ると21時でめっちゃ寝るには早かったのですが、目をつむると爆睡でした。

一旦目が覚めたのは午前1時30分でしたので、再び眠りにつき午前4時30分に目を覚まし、流石に三度目の眠りに入るのは勿体ないと、ガラケーの携帯にコラムの現行を打ち込んで、1000文字近く打てた所で朝食時間となり、一旦打ち込みを止めて、午前中は和合での会議が10時30分からなので少しゆっくりと出掛けようと胸算用をしていたら税理士の先生から寄付の依頼の私の原稿の確認が出来たとの事で慌てて着替えをして岩田事務所に行き岩田先生との打ち合わせ。打ち合わせ終了後には和合に行き11時40分まで全体会があり、本部施設に戻り急ぎ昼食を頂き13時30分からの全国老施協総務-組織委員会で16時終了が若干延びて、終了後は慌てて16時からのホームページやパンフレットの打ち合わせの為に会議室に行き、結局19時30分に本日の予定は全て終了。今は(20時52分)ですが、昨夜と同じく眠くなってきました。リピーターの皆さん、これを悪循環と言うのでしょうか。今夜も素直に寝ます。

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『準備は念入りに』は大切な事

『半沢直樹』のドラマの中で部長役を演じた猿之助さんが言った名台詞(少なくても私はそのように思ってます。)「準備は念入り」は、何事にも大切な事と痛感する出来事が昨日ありました。それは、昨日開催された岐阜県老人福祉施設協議会の役員会および総会での出来事です。

昨日は午前中に役員会があり、午後には総会があったのですが、午前午後共に『準備は念入りではなかった』事の話をします。先ずは午前中の役員会において事務局の説明の中で来年度の予算案の説明がいきなり『数字の訂正』から始まり、しかもその訂正が何ヵ所かにわたってあって、午後の総会においても、訂正もしない資料で説明するとの説明に対して、流石に役員の皆さんから「私達は会場に来ての説明だから何とか理解したけど、リモートでの参加の会員の方にはわからない内容になります。」等との意見が噴出しました。実は今のパソコンのシステムでは一ヶ所間違えると他の箇所まで自動的に直してしまうので何ヵ所かの訂正をする事になるのです。

そこで、昼休憩の時間で修正をして、「せめてパソコン上では正しい数字で説明しなければ会員の皆さんに失礼だ」との指摘を受けてようやく事務局が動くと言う状況に私は会長として、事前打ち合わせが完全で無かった事と事務局が間違いがわかっていながら押し通そうとした事の両方に苛立ちを覚えました。

午後の総会においては、先ずは私が会長としての挨拶をさせて頂き、リモートの良さを最大限に生かして、来賓挨拶を全国老施協の平石会長に広島県から参加して頂き、園田参議院議員には参議院会館からの参加をして頂きました。その点はコロナ禍故の災い転じてで良かったのですが、総会においても準備が抜けていた事があるのです。先週の金曜日に胸騒ぎがして、園田議員の秘書の小松さんに確認の連絡をすると「リモートで入る手順の連絡は貰っていない」との事だったので直ぐに事務局に連絡すると「郵送で送ったので届いている筈です。」との返事に対して、私はいらっとしながらも「とにかく手元にないと言われているので大至急メールで送るやり取りをして下さい」と言うことがあり園田議員の挨拶も無事にすることが出来たのですが『準備は念入り』とは程遠いものだったと思っています。

但し、平石会長と園田参議院議員がパソコンの画面上とは言え、岐阜県の会員さんにお話をして頂いたのは良かったと思っています。

最大の失敗は総会の承認を得た後に企画されていた全国老施協が作成した介護報酬改正の説明用ビデオの音声が流れない大失態があり、そのような状態が20分以上になり、改善に努力をされたのですが叶わず、会長である私から「音声が出ない状態でお待ち頂いたのですが、改善出来ませんでした。大変申し訳ありません。今回のビデオは全国老施協のホームページ上でいつでも見られるような対応の連絡を必ずさせて頂きますので誠に申し訳ありませんが、本日の総会は以上で閉じさせて頂きます。」と話をさせて頂きました。本当に冷や汗が流れる状態でした。

総会の責任者は会長である私ですので全て会長である私の責任なのですが、『準備は念入り』の部分で何がいけなかったかと言えば、一言で言えば会長である私の不手際なのです。但し、私は正直、いわゆる非常勤役員で岐阜県社協に事務局を委託していて、専門職にお願いしているわけで、自分の立場を省みず現象に対して結果論で述べさせて貰うと、午前中の資料の話は修正箇所がわかっていながら、「既に資料が出来ているので口頭の説明で済ませよう」と言う安易な対応であり、午後の総会後の講演ビデオについては、ぶっつけ本番の対応であった為か音声が出ないと言う大失態。これは単に『・・・・・であったら』等と言う以前に初めてのリモートによる総会であれば、より念入りに準備するのは当然の事だったと思います。

リピーターの皆さん。確かに私が会長としてしっかり確認が出来ていなかったとは言え、事務局のあまりにずさんな対応に腹を立てているのですが、リピーターの皆さんはどの様にお考えになられますか。

出来たらホームページでの解答を頂けると嬉しいのですが。

『天国と地獄~サイコな2人~』が最終回を迎えました

令和3年3月22日

TBSの日曜劇場『天国と地獄』が昨夜最終回を迎えました。このテレビを見られていた方は7回までのあらすじから、どんな終わり方をするのかハラハラドキドキだったのではないでしょうか。警視庁刑事部捜査第一課の警部補望月彩子(綾瀬はるか)とベンチャー企業「コ・アース」社長の日高陽斗 (高橋一生)が連続猟奇殺人事件を通して二人が歩道橋の階段を転げ落ち入れ替わる事により数奇な出来事に巻き込まれていく物語と陽斗が双子として生まれたのに全く違う人生を歩む事になる運命のいたずらもドラマの中では大切なポイントです。

陽斗の兄(15分先に生まれた)東翔也(さくや)。東は人生の上での悲劇により、連続猟奇殺人を繰り返すのですが、弟である日高が兄の犯罪を自分に向くように証拠を残して行くのですが(この事実は番組の前半ではわかりません。)主人公二人が入れ替わる事により心理的やりとりも複雑に絡み合い、彩子の居候、渡辺陸(柄本佑)彩子の上司河原三雄(北村一輝)後輩刑事八巻英雄(溝端淳平)などがからみ、七回目を見た段階で、「こんなにハチャメチャなストーリーで、いったいぜんたい、最終回でどんな終わり方をするのか」と興味を持って見たのですが、正直『みんなが優しい人間』になってしまったのは仕方がないのかも知れないけど私的には少しがっかりしてしまいました。

リピーターの皆さんの中で見られている方があったらどのように感じられたかを教えて下さい。私はこの話題についてかってな深堀をしてみました。それは、『半沢直樹』と比較してみたのです。例えばかなり前に流行った私の愛読書だった『課長  島耕作』は、人気があった為にどんどん出世して部長になり取締役にやり、常務になり社長になり会長になり、これ以上は書きようがないと若い時に戻っての話が展開されて、連載が続きました。話を戻します。半沢直樹も回数を重ねる事なより次回作への期待が強く、「この後はどうなるの」と言う終わり方。

具体的に言うと第一回の10回シリーズが終わった時には、かの有名な大和田常務の土下座により、半沢直樹がやり過ぎとの事で出世するどころか出向するところで終わり、2回目の10回シリーズは頭取も大和田取締役も銀行を去る事になり大和田取締役(元常務)から、「まだこの銀行が終わってないと言うのなら半沢、お前が頭取になって、立派に建て直してみろ」と涙ながらに言われて、「わかりました」と言って最後に半沢がニヤリと笑ったところで終わったので、「まだまだ余韻を残しているので、次がある予感があるのですが、兄の死により複雑な中味が急激に優しい人ばかりの終わり方には少し物足りなさを感じますし、二人が入れ替わった事に対しても、画面が良くわからない声のみの取って付けたような説明でみんなが納得するとは思えないのですが、まあね。あくまでドラマの世界ですから。リピーターの皆さん。マニアックな話題に終始したコラムであった事を臥してお詫び致します。

朝早く目覚めて『若山宏』を見つめ直しています。

2021年3月21日

私は小さい頃虚弱だった事は何度もコラムに書きましたが、虚弱だった故に温かい声を掛けて頂いた方と哀れみの声掛けの両方を受けました。どちらにしても私自身で虚弱だと言う事実を受け止めるしかなかったのです。但し、小さい頃の私にとって最大の幸運は母秋江さんの絶大な愛情を受ける事が出来、『痛い』『苦しい』『エライ』を母秋江さんが共有してくれたと言うことです。つまり、私が苦しい事を甘えて訴えると母秋江さんは自分で一生懸命にとらえようとしてくれました。母秋江さんは私が中1の時に他界しましたが、きっと寒くなると霜焼けで手足が腫れて辛いだろうとの心配はきっと天国でもしてくれたと思います。本題に戻ります。私が虚弱故に『温かさと哀れみ』を受けて育った私は温かさの面を最大限お返しをする事を考え行動に移す事を旨としてきた生き方をしてきたと自負しています。つまり、困っている方がいると何とかして解決したいとの行動力です。但し、自分が出来る範囲でではありますが。現象的に駄目な事も一杯あります。例えば、霜焼けでお箸が使えなくて、スプーンとフォークで食事をする生活がかなり遅くまでだったんだと思います。だから今でもお箸の扱いは下手くそです。また、冬場に家の中での生活を余儀無くするときに家の中での遊びとして、色紙で鶴を折ったりして遊ぶのでしょうが、私は霜焼けで器用に手を使えないし、母秋江さんにびったりくっついて甘えていたように思います。また、私は今でも他人に道を訪ねた時に相手の方が一生懸命に教えて下さっても右の耳から左の耳を通して抜けてしまうのです。もちろん一生懸命に聞いているのですが聞いている内に「私の為にありがとうございます。」と思った瞬間に抜けてしまうのです。この現象は何もかも母秋江さんに委ね甘えてきた後遺症だと思っています。でも、よくよく考えてみると、大きくなってからでも修復出来る事なのにその努力をしなかったのは何故なのかと自己分析(そんなに大袈裟な言い方でなくても良いと思います。)するに、全て私自身に返る事なのでそのままにしておいたのは、改善しなくても大して不便を感じる事がなかったからだと思います。但し私は小さい頃に学ばなければいけない事をしてこなかったので、根っからの不器用者が何も努力してこなかったからリピーターの皆さん当たり前だと思いませんか。但し、私が出来なかった事を補って下さる方がいて、その事に感謝してきた結果が今の私を形成したのかと思います。と言うことは私の人生は本当に幸せな人生と言うこと。リピーターの皆さん私は全ての関わりを持って頂いた方に感謝です。

朝、少しゆっくりしていてNHKの『チコちゃん』を見てびっくり

令和3年3月20日

『おちょやん』を見終わってから『チコちゃん』を見てびっくりです。野菜と果物の区分けについてやっていて、国の省庁である農林省と文科省で区分けが違う事を知りびっくりでした。と言うのは最初の企画でイチゴが出てきて、いきなり農林省は野菜だと言われて私は「どう言うこっちゃ」と思うと同時に文科省は果物と言われ「当たり前やろ」と思った次第です。

農林省の見解は「一年で種付けから収穫までの行為が行われるものが野菜」との見解には「ふ~ん」と言わざるを得ませんでした。リピーターの皆さん『すいか』はどちらだと思いますか。実は私は答えを知らないのです。『テレビ見ていたのに何故』と思われるリピーターの皆さんもおみえになると思いますので説明させて下さい。実はテレビを見ながらコラムを携帯で打っていたのでしっかり見ていなかったのです。それだけコラムを打つことに集中していたのです。と言う事でリピーターの皆さんの中でご存じの方は答えを教えて下さい。

次の問題では和食の問題でご飯は左で汁物は右に置くのは何故かとの問題になり私は視覚障害者のお世話の食事の説明をするのに(私のイメージですが)「施設の食事の提供はお盆の上の手前左にご飯茶碗、手前右に汁椀、手前向こうにおかずが何品かと言う事で今回の施設は視覚障害者の方の施設なので、汁椀は赤味噌なのか白味噌なのか具材は何が入っているのか、おかずはどんな品物かを伝える事が大切」と話しているのですが、ご飯茶碗が左で汁椀を右に置く理由など考えた事が無かったのですが、チコちゃんの説明で時の権力者が南向きに座って太陽が昇り沈むのを望むのが左から右であり、左の方が『偉い』と考えられたので、日本は農耕民族で『米』を最も大切にしていたのでご飯茶碗を左に置くようになったとの事を理解しました。二つの解説について理解した時思った事は「時の権力者の意向」により決まっていくのだと理解しました。

(チコちゃんの話題からガラッと変わって)

本日午前10時に本巣郡北方町の眼科医院をされている先生が本部施設に来て、新規事業の事について聞きたいと言う事でおみえになるお約束をしていたのですが、時間になってもお見えにならないので「道に迷われているのか」等と考えていると、1本の電話がなり、その内容は「今、工事が行われている近くまで来ているのですがどこへ行ったら良いですか」との事。「おいおい先般のお話と違うがや」と思いつつ、「これから本部施設を出ますので」と言って急いで新規事業が行われている現場に向かい、先生と運転をしてきて頂いた男性の方をおでむかいして、建設事務所に案内して名刺交換をしてビックリです。

眼科医の運転手としてついてみえた方の名刺をみてびっくりです。その名刺には認知症疾患医療センター(岐阜県基幹型)センター長 岐阜大学名誉教授と書いてあるではあ~りませんか。主に眼科医の先生から質問を受けて、質問に答えながら進めて行き、終了後は建設現場に行きご案内すると、「素晴らしい建物で素晴らしい環境で視覚障害者の方が0お生活されるには最適なところだ」と言って頂けました。眼科医ご夫婦には、静慈圓先生の本と岐阜新聞に掲載して頂いた『素描』の本と共に優・悠・邑 和(なごみ)のパンフレットを10部お渡しして、先生のネットワークの中で広めて頂くようにお願いしました。リピーターの皆さん。この様な地道な展開で視覚障害者施設である盲養護老人ホームの存在を知って頂ける展開をしていきますので、宜しくお願い致します。

新規施設の『棟名』が決まりました

令和3年3月19日

基本的に毎週木曜日10時から新規施設の建築に伴う定例会議が行われていて、昨日も開催されたのですが、その折り、今迄は『A棟』『B棟』『C棟』と仮の名称で呼んでいた棟名を正式に決める事が出来ました。これで、ようやく各棟の入り口に棟名を書き入れる作業や各部屋のプレートの名入れ作業や館内の携帯(通常はピッチと言ってます。)の場所を示す為の作業が出来ます。

棟名の命名は元参議院議員で現在埼玉県志木市にある社会福祉法人『ルストホフ志木』の常務理事の寺内弘子先生に各棟に思いが伝わる名前を付けて頂くようにお願いしたところ快く引き受けて下さり、本日の会議で発表しました。リピーターの皆さんにも名称をお伝えします。A棟は『悠久』(ゆうきゅう)・・・・・「大自然の恵み」「天地」「大地」と言う意味です。B棟は『宏慈』(こうじ)・・・・・「心の広い慈しみの深さ」「豊かな心」と言う意味です。C棟は『黎明』(れいめい)・・・・・「これから進む」「スタートにつく」「曙」と言う意味だそうです。3つ共に深い意味があるし漢字も難しそうですが、本部本館施設の名称を決める時も(『優・悠・邑』)関ケ原町の広報で募集して貰って『名称確定会議』で決定した時も正直私は難しい漢字が入っていると思ったのですが、今では愛着のある味を醸し出しているし、思いもがんがん伝わってくるので、今回の名称についても良い結果を産むと思っています。

話は変わって、大いなる勘違いだったら非常に恥ずかしいのですが、『秦の始皇帝』は知力、武力共に優れていて、自分の思うようにして大帝国を築かれたのですが、始皇帝の死後は直ぐに滅びてしまった。ところが『漢の始皇帝』は知力でも武力でも自分以上に優れた者がいるので部下を信じて国を治めていったので漢の時代は長く続いた。と思っているのですが、「突然、何の話や」と思われる方に口幅ったい言い方で恐縮ですが、私のスタンスなのですが「自分が決めるより適した方があればお願いして行く。」と言う事で、今回は静慈圓先生と寺内弘子先生にお願いした次第です。

今よ~くよく考えてみると、私は我が息子である長男は父進さんが、次男は義父憲治さんが名前をつけてくれましたし、孫の名前は早々と息子が決めましたので私は飼い猫の名前も含めて付けた事がないのです・・・。(どうでもよい話ですみません。)格好を付けるわけではありませんが自分の能力は分かっているので、皆さんに協力をして頂かないと上手く回っていきません。と言う事で今までこのスタンスで上手く来ているのでこれからもこの調子で頑張りますのでこれからも宜しくお願い致します。

 

理想と現実の狭間で苦しんでます

『予定は未定であり決定ではない』事は今までの経験の中で沢山ありました。しかしながら、今回の盲養護老人ホームの建設に伴う展開には『予定は未定であり決定ではない』等とのんびり構えておれない文字通り『想定外』の展開が多くて未だ『困難な問題が沢山ありましたが何とか環境の良い所で立派な施設が出来、運営も含め順調な経緯を辿っています。』と言うのには程遠い状況です。杉和会理事長として最終的な決断をした私の責任なので夜も眠れない毎日です。建設と同時に道路を含めた外構工事が進んでいる高台に立ち、素晴らしい環境の中に在ることを確認すると視覚障害者の方々が日々の生活をして頂くには最高だと考えています。つまり「私自身が住みたい環境と建物」である事は間違いないのです。しかしながら「一日でも早く完成させたい」との思いから、土地の提供をして頂いた垂井町さんの対応を尊重し過ぎた事により予算を想定以上に使う結果となったなと、ウジウジ考えている自分がいます。『大胆な中に緻密さを持って対応する』と言う私のスタンスが少し、いやいやかなり違っている事を感じています。でも、よ~く考えてみるに、「私の事業の展開は綱渡りで無鉄砲であって今がある。決して欲得でしていないから出来てきた事だと。今回も必ず正解だったと言える展開にしていこう。」と少し前向きに考えようと努力をしているのですが、視覚障害者の方の理想郷の為に温かい気持ちによるご寄付を宜しくお願いします。今回の計画は日本全国47都道府県の中で岐阜県、富山県、鳥取県、沖縄県の4県のみに視覚障害者の方の為の盲養護老人ホームがない。つまり、私が住んでいる岐阜県にないのは福祉の担い手としての展開をしている者として申し訳ないとの思いを強く持ったからです。理想と現実は大きく違います。だからこそ、私のコラムを楽しみにしてみえる方々の温かい支援をお願いしたいのです。こんな内容のコラムばかりを書いているとリピーターさんの中には「ええかげんにしとけよ」と思われるかも知れませんが、私のコラムは頭に浮かんだままの素直な気持ちを原稿にしているので、今はこの事以外頭に浮かばないのでご容赦下さい。(現在午前6時36分でここまでのコラムを書きました)但し、本日は8時30分までに岩田税理士事務所に行き理事会資料の最終打ち合わせをして、10時から新規事業の定例会議に出て、午後からは15時30分からの杉和会理事会の資料の確認と作成をしなければいけません。(ここまでを出掛ける前に書きました。)今は午後6時54分で理事会が18時に終了し理事長決済をして、理事会後の打ち合わせを済ませお風呂に浸かり、ひとときの癒しを味わいながらコラムのまとめをしています。理事会も職員が総勢170人になると『若山商店』のようにはいきません。しかしながら、杉和会トップの理事長として理念を曲げる事なく突き進んでいきますのでリピーターの皆さん今まで以上のご支援を宜しくお願い致します。

本日のコラムはコラムと言うよりお願いです(リピーターの皆さんこの原稿で継続として下さい)

令和3年3月18日

私は関ヶ原町と大垣市において特別養護老人ホームを経営している理事長です。最初に関ヶ原町で建設を決意した時は私自身正直、施設を建てるような広大な土地を所有しているわけでも、お金を持っていたわけでもなく、私の熱い思いを理解して下さった多くの方々の支援と平成9年事業でしたので、当時の国及び県により手厚い補助金(多岐に渡るものが当時はありました)にも恵まれ4分の3近くは補助金で対応する事が出来ました。難産の末ではありますが生まれ育った関ヶ原町今須の地に平成10年5月から文字通り地域に根ざした施設運営に努めて参りました。

但し一つだけ措置制度の中でいびつだと思ったのは、借り入れに対する償還財源は『民間施設給与等改善費以外は寄付でする事』との規定があり、2億3百2十万円の借り入れを20年償還で毎年1016万円(2年間利息はありませんでした。)の償還財源に苦慮しました。と言うのは その当時の日本には寄付の文化が殆どない時代であり、先代理事長の蓄えと私の施設長としての給料を当てて、我が家の家計は私の大学等の非常勤講師の手当てと奥さんのアルバイト収入で凌ぎました。しかしながら、2年後に特別養護老人ホームは介護保険制度が変わり介護報酬からの返還が認められ、歪な制度は終わりました。但し返還が出来る原資は建設費に伴う居室等の収入を充てる事となったのです。

正直経営は楽になりましたが、私の経営理念は『社会福祉法人は税金を納めないので余剰金は地域に還元すべき』との考えで地域のニーズと当法人が出来る精一杯のところで展開してきました。具体的には平成16年にはまだまた特養待機者の為に増床をして、平成26年には『西濃地域に部屋代が安い多床室が少なくて良いのか』との思いで、介護報酬額は低い施設を敢えて大垣の地に造らせて頂きました。正直なところ、増床には6年(実質4年)であり、大垣の建設には10年かかっているのは介護報酬単価が厳しくなっているからです。

そんな中、今年5月21日から事業開始させて頂く予定の盲養護老人ホームについての決断は岐阜県には盲養護老人ホームがない(他に富山県、鳥取県、沖縄県)状況で、岐阜県の視覚障害者の方にとって不利益が生じていると考えたからです。私は常に「自分が入りたいと思える施設でありたい」と考えている思いの中で、「視覚障害者の施設であれば平屋の木の香りがする自然豊かな所で生活して貰いたい」との思いで建設を進めて参りましたが、事業を進めていく中で、土地の形状の中から建設に伴う仮設道路の設置と、施設完成後のメイン道路の設置に想像以上の経費がかかり、本部施設及び和合の施設からの流用にも限界があり、尚且つ、国及び県からの補助金も厳しい状況の中、視覚障害者の方に快適に生活を営んで頂く為に心あるご寄付をお願いします。

尚、心あるご寄付を頂きました折には、社会福祉法人へのご寄付と言う事での税金控除を受けて頂けます。

 

 

私の体を2つに分けたいくらいです

昨日は朝から22時35分にコラムを打ち終え送信するまで目一杯だったのですが、本日も午前中に全国老施協による『ホームページ検討会議』がウェブであり、最後の日程は18日に杉和会の理事会があり令和3年度予算案の骨子を決める為の打ち合わせが18時からすることになっているので、どのタイミングで連続掲載している理事長コラムの原稿を書こうかと思っています。(と言うより今は6時45分ですが、せっかくバッチリ目覚めて時間がもったいないので書いてます。)

このように、思った事を隠さす書いているので継続出来ているとも考えています。そう言えば昔の書き物にも、『徒然』の感覚で書いているのがあったように思いますが学識のない私には自信を持って書くことができません。等と書いていて、またまた、頭に蘇った事を書きます。

それは私が大学生の時、落語や演劇や学生運動擬き(もどき)の他に柳田民俗学をベースにしたサークルで『郷土研究の会』にも所属(こんなに一杯やっていたら、法学部や教職課程の勉強など出来んわな・・・。)して、そのサークルの顧問の先生が文化庁からの天下り(単なる天下りではありません。しっかりとした理念と実力をお持ちの先生でした。)の祝(はふり)宮静先生の指導を受けて真面目にサークル活動をしていて、祝先生の教えの中で「若山君。民俗学を決して難しい学問と捉えてはいけません。君は関ヶ原と言う大切な歴史背景のある所に住んでいるのだから、同じ所に立ち毎年同じ時期に写真での記録を残してみなさい。それこそが立派な民俗学ですよ。」と言われて、その頃は「そんなものか」と言うくらいに軽くとらえていたのでしょう。だから行動に移せなかったのだと思います。その頃の私は祝先生について「ロンドン仕込みの紳士」くらいの軽い気持ちしかなかったんだと思います。今お会い出来たのならもっとしっかり行動に移す事が出来たのにと後悔してます。

今になって思うのは祝先生の言われた事をしっかり実践していたら、素晴らしい資料を作りあげる事が出来たのにと深く反省しています。(今となってはもはや手遅れなのですが・・・。正にこれは『後悔後に立たず』です。リピーターの皆さんも覚えが有りませんか。『・・・たら』『・・・ねば』かなり本題からかけ離れてしまいました。

今は20時ちょうどなのですが、昼食はチャーシュー麺のみで頑張って、お風呂に入ってコラムを完成させようとしている。つまり全く余裕な時間がない状態です。

 

誰か分身の術を教えてください。

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