私は体験型の人間で苦労を背負う生き方しか出来んのです

令和3年4月24日

昨夜一晩試行錯誤した結論は、表題の通り『私の生き方はつくづく苦労を背負う生き方や』と言う事です。何の事かと言うと、昨日13時から古田岐阜県知事と知事室での面談をさせて頂き得た結論です。そして、私の生き方を走馬灯のように巡ってみましたので、何度もコラムに出てきた事も含めて書きますのでリピーターの皆さん宜しくお願いいします。

先ずは何と言っても生まれた時の私は『虚弱』だった事です。殆どの新生児は元気に産まれすくすく育つのに、私の場合は違ったのです。でも、良~く考えてみると、『虚弱』だったからこそ異常なまでの母秋江さんの愛情を注いで貰う幼少期であったと思うのです。そして、何より母秋江さんの『息子の為に何が出来るか』との考え方が私の生き方に大きく影響していると思っています。

そんな私には、多くの出会いがありその都度『相手の身になって』を実践してきました。そんな私が38歳の時に児童養護施設の指導員を辞し、フリーでの仕事を決断した時には『若山家の生活』等と言う事は全く考えもしないでのもので、がむしゃらにうごめく中からの展開でした。当然の事ですが収入は激減する中で、数え上げたらきりがない程の方々に手を差し伸べて頂きながら、ぎりぎりの段階での事業展開です。

児童施設を辞して直ぐに吉田宏岳先生が中心になっての『教育と福祉を考える会』への参加は「訳も分からず」のものでしたが、「私が出来る事をしっかりとやらせて頂こう」のスタンスでの活動を評価されたのか結果的には大垣女子短大非常勤講師2コマだけだったのが徐々に紹介して頂き13コマまで増えました。また、問題を抱えた親子の対応をする為に『教育福祉カウンセラー』と言う名刺を持っての展開の中で、その当時大垣商工会会頭だった河合達雄さんのお孫さんの家庭教師を紹介して頂き、結果的には法人設立に対して多くの支援を頂きました。(結果的には河合達雄さんのお孫さん5人の家庭教師をさせ頂きました。)

『平成8年~9年にかけて今須小学校のPTA会長(1年目は関ケ原町連会長で2年目は岐阜県福会長)をさせて頂いた時のネットワークは今でも繋がりが強く色んな場面で協力して頂いています。本部本館施設を計画する時にもお金が無い、土地が無いの文字通り「ないない尽くし」の中であったにも関わらず、建設候補地の土地取得の交渉を忙しさと身内の協力に甘えた対応をした事によって、地元の方の反対に合い暗礁に乗り上げました。その時には「人任せの怖さ」を身に染みて体験して、1軒1軒何度も地主さんの所(7軒)に足を運びました。その当時は国及び県の補助金が手厚かったとは言え、資金確保も厳しいものがあったにも関わらず安易に考えていて目の色を変えるまでにはかなり時間がかかったように思います。

私は楽天主義なのかも知れません。とことん『尻に火が点く状態になってから念じて阿修羅のような動きをしてしまうのです。「たら」「ねば」と言う出来事は数限りなくありますがその点については学習しないのです。今回の古田知事との懇談でも痛切に感じたのは、「厳しい状態になっての陳情では意味がない」と言う事です。しかしながら、古田知事にも私の一生懸命さはご理解ねがったので、今後の展開に於いては必ずや生かされると思っています。『熱い思いだけでは解決しない』事を理解した上で、敢えてリピーターの皆さん。視覚障害者の方の安らぎの場の提供に賛同して頂けるのであれば、1口5000円以上のご寄付を宜しくお願いします。

 

(追記①)

本日1時30分から本館1階、2階の⒉フロアでお経さんをあげて導師を勤めさせて頂き思いっ切り声を出してカラオケが準備してあったので1階では『影法師』を歌い「声が響かんな」と思いつつも頑張ったのですが、2階で歌わせて貰おうとして響かない理由がわかりました。その理由とはマイクが入らないのです。伊藤主任が「小話をして時間を稼いで下さい。」と言うので、座布団を持って投げながら「布団が吹っ飛んだ」のギャグを思いつくままにやったのですが、あまりにも受けないので結局4回のしてしまい、マイクの調子は直らなかったので地声で『酒と泪と男と女』と『夢芝居』を歌いました。本館のカラオケの機械はかなり長く使って修理も出来ないので新しい機械の契約をしたので、機械がいじけてしまったのかも・・・。

 

(追記②)

213(兄さん)896(やー苦労)最初の数字はあさのウォーキングマシンでの距離が213(2.13キロ)896(消費量)なのですが、私は意外にもゲン担ぎをするのです。兄さんとは厚かましいかも知れませんが『やー苦労』はいまの状況そのものですかね。

 

 

施設での出来事①②③④

令和3年4月23日

施設での出来事①

本部施設の敷地内に事業所内保育所(職員の子ども)があり、来月26日に3歳の誕生日を迎える女子園児が、玄関ホールで遊んでいる時に私がたまたま外出の為に玄関を出ようとした時に「あの絵のおじさん」と大きな声で言われて(以前に掲載した写真ですが、再掲しました)足を止めて「そりゃないでしょ」と言うと保育園の職員から「そっくりだからしょうがないですよ」と言われ「私のお腹の方が5ミリは小さいです。」と切り返すのがやっとでした。

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施設での出来事②

タケノコの味噌汁を寸胴に大きな鍋で作っている時に新館から見学に来た入居者さんが私に向かって「おじさん、頑張ってるね」と言われたので私は「おじさんではありません。お兄さんと言って下さい。」と言うと「だっておじさんやろ」と返されたので「お兄さんと言わんと泣いてまう。」と言うと「仕方が無いな、お兄さんでええわ」と・・・。入居者さんに同情されているのは、やっぱりおじさんですかね。

 

施設での出来事③

『和』(なごみ)の職員が実践研修に本部施設に来ていて、本日も16時30分から『反省会と言う名の指導』を行ったのですが(本日で6日目)異口同音に実践研修生が言われるのは「教えて頂いた通りにやらせて頂いたはずなのに上手に出来ませんでした。」と言われるのですがそんな時に私が言うのは、「1回や2回実施多だけで上手に出来るのなら苦労しません。今回の研修は出来ない自分を見つめ合う機会だと理解して下さい。」と話をしてます。

 

施設での出来事④

実践研修の最初の指導では必ず、「しっかりメモを取って下さい」と話をしてから「人間は忘れる能力もあるが、思い出す能力も持っている。メモを取る事によって入居者さんから頼まれた事を時間をおいてからでも実施する事が出来て、信頼関係の構築に役に立ちます。」と話をしました。私自身、朝早く起きて一番にするのは、その日の内にすべき事をランダムに記録して、昼食時間であったり、休憩を取るタイミングで確認すると、抜ける事は最小限に防ぐ事が出来ると思っています。

 

盲養護老人ホーム親切に対しての期待度の大きい事をひしひしと感じています

当法人のトップページに『寄付のお願い』を掲載しているのですが、毎日のように申し込みを頂いたり、施設見学の依頼を頂いていて、期待が大きい事に喜びをかんじています。5月16日が竣工式ですがここまでに至るには色々な事がありましたが、とにかくハード面の整備は整いつつあります。そうなると、ソフト面としての職員教育が大切になります。『鉄は熱いうちに打て』の格言通りスタートダッシュと継続が大切。既に『優・悠・邑』『優・悠・邑 和合』がありそれぞれに積み上げたものがあるので上手に活用と協力を得ながらソフト面の充実しに力を入れて行きたいと考えています。リピーターの皆さん。より一層のご支援を宜しくお願い致します。

 

 

紹興酒は眠りの効果があるのか、それとも・・・

昨日は中華料理を頂いたので盃に5杯程温かくした紹興酒を飲んだせいなのか、仏様の本日の目覚めをしっかりするようにとの配慮なのか、とにかく4時50分にしっかり目覚め、いつもよりは早くから仏壇の水換えから始まり4人の写真に挨拶をして、ウォーキングマシーンに乗り30分で2キロで3500歩を歩き昨夜はお風呂に入らなかったので、しっかりと髪も体も洗い心身共にさっぱりとして知事さんとの面談でお話する内容をまとめています。

イメージしたものをパソコンで吉田部長に打って貰う為に施設には8時には行き資料を完成させて、10時からは新規事業の定例会があるので、定例会終了後は完成間近の施設内を見れるのも楽しみにしてます。13時30分からはデイサービス、新館1階、新館2階のお参りの導師を勤めさせて頂き(ひょっとするとカラオケ付?)16時からは大垣共立銀行関ヶ原支店長との打ち合わせで19時からは本部施設の全体会があります。メッチャ充実した1日の報告は後程時間を見つけて書く事にします。(ここまでは午前6時49分までに書きました。)

昼食もそこそこにして、和(なごみ)の吉澤施設長が打ち合わせにきたので対応し、デイサービスの職員が呼びに来たので仏間に行き利用者さんと共に思いっきり声を出してお経を唱えました。途中で準備してあった氷水を飲んだので声が枯れる事もなく、頑張れました。  引き続き新館に移動して、2階と1階とお腹から声を出してお経を唱えさせて頂きました。残念ながら時間がなくてカラオケでの一曲はなかったのですが、清々しい気分になりました。

お参りを終えて大垣共立銀行関ヶ原支店長と借り入れの話をしに支店に行き、明日には揃えなければいけない証明書等の段取りをしたり、明日の古田知事との懇談の為の資料作りをしていると(途中でざるそばを夕食といて食べました。)19時からの全体会の時間になり、急ぎ玄関ホールに行き、黙祷(二人の方)を全員で捧げ、法人事務局の辞令を渡してから会議に入り、最後に理事長としての話をいつもの事ながら熱く語らせて頂きました。

会議終了後、和合の決済をしたりして、明日の古田知事に手渡す資料は、まだ、不完全なのですが、今(21時00分)はお風呂でコラムを書きながら、何とかコラムはふらふらながらクリアできました。明日は古田知事への陳情と懇談で必ず成果を挙げたいと思います。決して欲得でのものではないので成果は得られると思っています。

最後になりましたが本日本当に嬉しい事がありましたので報告します。それは、ホームページの寄付のコーナーを見て、4口(20000円の寄付の連絡をメールで頂きました。この方は当法人の展開を知っての行為なので、地道な対応を評価して頂いたわけです。本当に嬉しいしこの展開が大きく拡がれば嬉しいのですが。

リピーターの皆さんの多くの支援を宜しくお願いします。

今朝こそ完璧だと思ったのですが

4月4日から歩きを再開して18日目でウォーキングマシンに乗って歩き始めた瞬間に「初めて朝準備作業か出来た。」とマシーンのスイッチをオンにして、父進さんの写真を見て「あれ。何か変だぞ」と思いました。その『何か』とは、いつもだと父進さんの写真に火の灯りが2個映るのに「1個しかない」と言う事で仏壇の中を見ると、1個の灯りは蝋燭の灯りで電気による灯りのスイッチを入れてなかった事に気が付き「完璧だと思ってマシーンに乘ったのに・・・。」と言うわけで、マシーンを止めて、シューズを脱ぎ再び仏壇の所に行き椅子に腰掛け合掌をしてから仏壇内のスイッチを入れてマシーンに再び乗り痛切に思ったのは「いつになったら完璧な形でマシーンに乘れるのか」と・・・。思った次第です。本日も『和』(なごみ)の実践研修に3人がきているので、9時からレクチャーをして(3人共に2回目の参加なので1回目とはかなり内容を変えた話をしました。)事務所に戻ると9時30分からの打ち合わせを指示しておいた『和』(なごみ)の吉澤施設長が既に来ていたので会議室に戻り、先ずは寄付のお願いについての分かりやすい依頼書の作成について検討して、その他諸々の話をして、昼食を頂いている時に五次事務長が昨日業者に委託したPCRの結果は全員『陰性』だった報告を受けて14時から和合の全体会の為に移動して、若干早い時間に着いたので、佐藤施設長さんや事務長さんと打ち合わせをして、定刻になり和合の全体会に挑みました。幾つかの課題はあり、私なりに総括をした話を最後にさせて頂き、15時15分に終了して、この後フォーラムホテルでの会が17時30ふんからあるので本部施設に帰らないでしばし休憩をする選択肢もあったのですが、実践研修にきている3人の職員の指導をしたいと、例え20分でも研修に来ている職員の指導がしたいと和合から本部施設へ。本部施設からフォーラムホテルへと走り、フォーラムホテルには少し遅刻をしましたが、自分なりに充実した対応になりました。17時30分からの会では県会議員の先生もおみえになっていたので明後日の知事さんへの陳情に対する打ち合わせも出来、明日は早い時間から改めて今回の新規事業の経過報告をまとめたいと考えています。いつもぎりぎりの私の対応ですので、周りの者はヒヤヒヤドキドキなのでしょうが、これでも目一杯なのでリピーターの皆さん許したって頂戴です。

昨日のコラムは何が書かれていたのか不安でした

令和3年4月20日

本日の朝の目覚めは5時7分に小鳥の囀ずりでした。(いつものようにリットがいなかったのですが、1階に下りて行ったらソファで寝とりました。)だから、5時20分からいつものようにマシンで歩きながらお経を唱えました。歩く前に仏壇の花の水を替えさせて貰いながら思ったのは決して暑い時季で無いにしても、4月7日に(姉光子の命日)花屋さんで購入した花が今も元気でお供え花としてあるのは、毎朝水を新しく替えているからで「何事も一生懸命が一番だ。」と思った次第です。

そう言う意味では、今は新規事業の資金についての悩みはありますが、砂田おさむさんの歌の一節に『根(寝)雪溶ければ春が来る』と言うのがあるのですが、私はもう一味加えて『苦難を乗り越えたからこその喜び』を信じて今日も頑張りたいと、まだ、7時前ですがギア全快です。本日は午前中に岐阜県高齢福祉課に提出する資料を完成させて(業者3社の協力を昨日の内に得ておいたので。もっともその対応は理事長として当然の事ですが)県福祉会館での老施協の役員会を終えてから、一段ギアを上げて高齢福祉課に行ってきます。(ここからは、家に帰りお風呂に入りながらのものです。)高齢福祉課の資料が出来て、ほっとしていると、10時30分に約束してあった(スケジュール表には書けてなくて、私は忘れていたのですが)第一興商のカラオケの契約の為に営業の為におみえになり、新規事業の和(なごみ)と本部施設の2台分の契約をして、県庁へ持っていく書類の確認をしていると11時25分になったので早い昼食を頂きました。

本来13時30分からの会議なので、30分は早い行動なのですが、事務局のメンバーが代わり副会長も二人が入れ替わったので、名刺交換を余裕を持ってしたいとの思いからの行動でした。会議は全員が揃った13時25分から始まり、一つ目の『一般社団化』に向けた討論にたっぷり時間をかけ、15時20分に終了して、終了後飛騨支部長さん(県副会長)と話をしてから、4階にある県社協まで行きまたまた打ち合わせをしてから、岐阜県高齢福祉課に行き、3人の担当者にそれぞれの書類をお渡ししてから、23日に古田知事との面談があるので、その為の打ち合わせ(殆ど私が熱く語っていました、)を終えて、かなり興奮していたのだと思います。

高齢福祉課が終わってから地域福祉課での打ち合わせのお約束をしていたのですが完全に失念していて、車を運転していて揖斐川の橋を通っている時に「地域福祉課に行くのを忘れてた。」と言う事で和合本町の交差点で右折して、県庁に向けてUターン。結局30分のロスタイム。急いで2階にある地域福祉課に行くと課長さん以下4人の方と打ち合わせをして、依頼を受けた事の打ち合わせを施設に帰るまでに対応して施設な帰ったら体力の限界。今は20時40分ですが、昨夜程は眠くないのでリピーターの皆さん、昨夜と違って「中身がわからない」と言う事なくコラムが書けました。

PCR検査

令和3年4月19日

施設の職員にPCR検査をして頂く事になり、最初の段階では『希望者のみ』のような人数把握をしていると聞いたので「それでは検査の意味がない。検査は予防接種とは意味が違う。」と言って、県の担当責任者の方に相談すると「キットの追加指示を業者にしておきます。」との事で追加分は翌日には届き、17日から3日間で全員からの唾液の摂取をすることになり本日が唾液摂取の最終日。私も時間を作り本日採取させて頂きます。

結構な量の唾液が必要だとの事なので梅干を前にしての摂取にしようかと、朝5時20分からの30分のお経さんを唱えながらのウォーキングマシンによる歩きと汗をかいたので、シャワーを浴びてからコラムを書きながら考えています。さてさて、どのように摂取しようかと今からワクワクしています。(ドキュメンタリー方式の報告は後程と言う事で)先ずはメールボックスに入れてあるビニール袋を開けて中身を取りだしキットの赤い印を見て私は「おいおいこの印まで唾液を入れるのは大変だ。」と思いながら梅干をイメージしても、レモンをイメージしても、なかなか唾液は出てきません。そこで、頬の辺りを一生懸命にマッサージをして、何とか赤い印のところまで入れる事が出来ました。

今回は唾液を提出して検査をして貰うだけですが、5月3日の週からのワクチン接種はこの位の大変さではないと思います。色んな情報によると特に2回目の摂取では色んなトラブルが発生しているように聞いています。私はもともと虚弱だし、インフルエンザの予防摂取でも、39度の熱をだしたから正直不安が一杯ですが、やっぱり打つべきなんでしょうが難しい判断だと思います。リピーターの皆さんはお気付きでしょうが本日のコラムは何も頭に浮かばず目が閉じていく状態なのに、意味ないコラムはこの辺で終わらせて下さい。

 

昨日、耳鼻科に行きました

令和3年4月18日

昨日は朝から右耳がボーンとしていて、テレビのボリュームを大きくしても、「やっぱり聞こえ難い。」耳が聞こえ難いと自分が発する声は大きくなるし、施設で職員がいつものように話をしてくれているにも関わらず聞き取りにくくていらいら。昨日のコラムで書いたように朝イチの病気療養中の職員との面談を終えて、予定を早めて大垣での対応をしたのは、出来れば午前中に耳鼻咽喉科に受診したかったからなのですが、『思いは通じる』で大垣での対応は11時20分に完了して、しかも、私が目指した耳鼻咽喉科までは近かったので、「受け付けて貰えなくて元々」と言う事で車を走らせ耳鼻咽喉科に着くと12時までが受け付け時間と言う事で「ほっ」と一安心。症状等を記載して待っていて、名前を呼ばれたので診察室に入って行き先生に耳を診て貰うと、「右耳に栓がしてあるように耳垢がこびりついているので除去します。」と言われて道具を使ってとって頂くのですが、めちゃくちゃ痛いので、その事を先生に伝えると「きれいに取りきれないので、耳の中に薬を入れてしっかり取りましょう。」と言われてベットに横になり右耳に薬を入れて貰い約10分そのまま安静にしていて、再び先生がみえる診察室に行くと、今度は機械で吸い取る形で耳垢をきれいにして貰い、治療が終わった時にはしっかりと聞こえるようになっていました。耳垢を除去して貰ってから先生が「ちょうど2年前にも若山さんは来院されて、同じようにさせて頂きました。耳自体は何の問題もありません。ただ、耳垢が少しべたついたものなので今回のようになることかありますので、異常を感じたら来院して下さい。」と診察時間は終了しているにも関わらず丁寧に説明して下さったので、『お医者さんはこうであって欲しい。』と思うと共に私も説明する場面があったらこのような対応でありたい。(私的にはそのようにしているつもりですが)耳鼻咽喉科の診察を終えたのは12時40ふん。13時30分から新規事業の招待状を地元の新旧自治会長さんに手渡しする事になっていたので垂井に向かいご挨拶を済ませてから遅い昼食(15時前)を地元の喫茶店で頂いて本部施設に戻り筍を湯がいて味噌汁の具材をゲンキーに買いに行きバタバタの1日でしたがやるべき事は終了しました。本日は(ようやく今日の事が書けます。)昨日湯がいた筍の味噌汁作りからスタートです。施設に行くと既に薪もセットして、大鍋には水も入っていてスタンバイOK。あまり早くから炊き出すと味噌汁が煮詰まってしまうといけないので、お酒と塩の振る舞いをしての点火式は9時30分からにしました。薪に着火剤を塗り順調に燃えてきたのですが最初はめっちゃ煙がでたのですが、「煙で浄化されついる」と煙いのも「また、うれしからずや」薪の火力は凄くて30分もすると湯気が上がり、「正直早すぎや。でも、遅いよりいいか。」風が強い中でも頑張って歩いて来て頂いた入居者さんに大根、切り干し大根、人参、キャベツ、油揚げ、豆腐、筍、椎茸とだしの素が入ったスープを飲んで頂いたのですがメッチャ喜んで頂けました。11時15分から順次フロアの職員が大きな鍋を抱えてきて、「これで大丈夫です。」と言うまで鍋に移し、昼食に来た職員にも振る舞いました。午後からは関ヶ原町内の関係者の方に竣工式の招待状を手渡しで届けに行き、本日のやるべき事を終え、明日からの過密なスケジュールに備えて早く帰らせて頂き鋭気を養う事にしました。リピーターの皆さん。たまには許されると思うのですが・・・。

一瞬の出来事だと思います・・・。多分・・・

昨日の本部施設幹部会(経営戦略会議)では、いつも以上に白熱した議論がなされ、9人いるメンバーが議論中はそれぞれに熱く語っていて(もちろん理事長・総合施設長である私もです。)気が付けば17時15分から始まった会議が20時20分。あれだけ熱く語り合ったのに終了と共に和気あいあい。これが本部施設の強みだと思っています。

その後片付けをして家に帰りお風呂に入り、昨夜の夕食はシュークリーム一個のみ。これではガリガリになってまう。大丈夫です。私のお腹には1ヶ月分の蓄えが入ってます。でも、我慢が嫌いな私はそんな事は出来ませ~ん。但し、我慢する事が社会の為になるのであれは、いくらでも我慢出来ますが。

とにかくお風呂の中でもコラムを必死に書き、それでも完成しなかったので(短いのでは納得がいかない宏君なのであります。)布団の中で完成させ本部施設の宿直者の堀江係長に無意識の状態で送信したようです。そして次にびっくりする事が起きました。それは、これまた無意識の内に宿直者の堀江係長にコラムをメールで送信した事を伝えようと本部施設の番号に連絡をしたようです。と言うのは私が連絡した携帯のコールで「何事だ」と目を覚まして思わずコールを止めてしまったのです。そして改めて宿直者の堀江係長に何事もなかったように「今コラムをメールで送信したのでホームページにアップして下さい。」と伝えました。その後コラムの送信時間と堀江係長に連絡した時間をガラケーの携帯で確認するとどちらも、22時4分だったので、携帯で施設にコールしてうとっとしたのは本当に瞬間的な時間だったのだと理解しました。

本日は5月16日の竣工式典の招待状を手渡しする為に、10時30分からの病気療養している職員の面談を1時間早くにして貰い会議室で面談をしていると、副施設長に外線が入り、その報告を聞くと「かつて入居されていた家族の方から寄付金の申し込みをしたいとの事で申し込み用紙を送って欲しい。」との事だったので、「寄付申し込み依頼を連絡して頂いたのは初めてで、これが呼び水となれば嬉しいな」と思ったので面談を終えて直ぐに連絡を頂いた方にお礼の電話をさせて頂くと、「わざわざ申し訳ありません。」と言われたので、電話を切ってから「一生懸命に頑張っている事は必ず報いられる。この一本の電話が呼び水になる。」と確信しました。

リピーターの皆さん。一生懸命に頑張れるのは心地よいと感じているのですが、その気持ちを理解して頂ければ嬉しいです。

朝の目覚めはリットの「ニャー」の一声でした

2021.4.16

昨夜もメッチャ早く(21時)爆睡していた為か午前1時30分に目覚めて、その後はなかなか眠れなくて、そんな中、戦略を考えていると「湧いてくるぞ」と言う事でなかなか再びの眠りにつけず、「そろそろ起きて行動開始をしようか」と考えながら『トロッと』したんだと思います。その時です。「ニャー」とリットの一声。(『一鳴き』の方がより正確かも)「これはリットではなくて母秋江さんがリットの体に乗り移り・・・。」等と思えるタイミングでの一鳴き。でもこのタイミングで起きて(5時10分)ウォーキングの準備をして1階に降りて行く時にリットは私の前で歩くのを邪魔しながら尚且つ尻尾を大きく挙げているのです。「これは単に私と遊びたいだけか」と思いましたが、「母秋江さんが先導していてくれている」と思ったら『鬱陶しい』が『楽しい』『嬉しい』に変わるのだから人間の(私の)感情とは不可思議なものだと、朝早くから(今は6時29分2キロは歩きお風呂でコラムを打ちながら思っています。(残りのコラムは一昨日から始まった盲養護『和』(なごみ)の職員の本部施設の実践研修について書きますが一旦お風呂を出ます。)(残りはこれから書くのですが、今21時34分です。)8時20分に施設に着き本部施設顧問との打ち合わせをしていると、8時40分と早くに優・悠・邑   和(なごみ)の実践研修受講者の3名が着かれたので、さっそく着替えて貰ってから会議室で研修に入る前のレクチャーをさせて貰いました。①メモをしっかりと取る事は仕事をする上に於いての財産になる。②気付きの多い職員になるために、ハード面で気づいた事をメモに取る。③勝手な判断はしないで謙虚に指示に従う。④コミュニケーションを取ると言う事は単に話をするだけではない。等と熱く語りそれぞれのフロアに行って貰いました。私は13時30分に岐阜県高齢福祉課との打ち合わせがあり職員4人を引き連れて行って、再び施設に戻ってからは16時30分からまたまた、実践研修を受講した3人の職員の指導を行ったのですが、朝の指導とは違い、実践後の指導なので、今日正に学んだ事をそれぞれに目を輝かして語ってくれました。もちろん1日で全ての事が分かるわけでなく、『目から鱗』のような事ばかりだったようなので「本部施設の職員の勤務年数は10年を越しているので、それなりに整ってきた事を是は是で取り入れてもらいたいし、疑問に思った事は次回の研修時までにまとめておくようにと話をしました。17時15分からは本部施設の幹部会で、いつもの事ですが熱く語りました。烏野先生はコロナで大変な大阪からリモートの参加になります、リピーターの皆さん。もっともっと語りたいのですが、既にうとっとしてしまっています。とにかく寝ます。

つくづく走りながらの人生だと思いました

今朝も5時過ぎからウォーキングマシンで歩き、尚且つお経を唱えながら、私の生きざまを振り替えっていました。何度もこのコラムで書いていますが、私は母秋江さんの後ろに隠れながら『そっと』回りを見て動いているような生き方で、母秋江さんは私が中1で他界してからは姉光子さんの守護の元生きていたのに、その姉光子さんは私が高2の4月7日にこれまた他界し(急逝と言う表現の方が正しいかも知れません。)凧の糸が切れたような生活を許してくれたのがその当時学校長をしていた父進さんでしたが。当時の私は父の対応に対して感謝の気持ちを一片も持てないような何ともならない高校生でした。(多分、心の奥底ではわかっていたと思うのですが・・・。)間違いなく私の人生を大きく変えたのは四国巡礼の歩き団参だったと思います。但し、その頃の私は「困っている方がいらっしゃったら何とかしてさしあげたい。」と言う単純な思いでの行為だったと思います。つまり、『自分の出来る範囲内で』と言う事でした。しかしながら、教員になり担任をさせて頂いた子ども達に「楽しい事を一緒にやりたい」と言う事で頑張ってやればやるほど、その当時の教育現場では受け入れられなくて(多分今も駄目だと思います。)潔く辞職して、自分探しの結果、(と言うよりその選択しかなかったのですが)児童養護施設(当時は養護施設と言ってました。)の指導員になり13年間、施設の子ども達の親代わりとして、「この子はこんな風に育って欲しい。」と考えた事を実践してきました。しかしながら、その実践は狭い範囲のもので、35歳の時に資生堂福祉財団でのアメリカ研修に参加させて頂き、「もっと広い視野での展開をしたい。」との思いで退職を決意したものの直ぐには退職することが出来ず38歳で退職しました。しかしながら、退職してみたものの、家族を養える程の収入基盤もない事がわかり、途方に暮れながら、大学の非常勤講師や家庭教師での収入では若山家の生活が出来ないことに気が付いても『時、既に遅し』。とにかく、自分が出来る事を精一杯に全力でうごめくしかない。それが、例え報酬を得られないものであっても。この実践は、中1の時に他界した母秋江の遺言である『蒔かん種は生えない』を文字通り実践してきたと言う事か。母秋江さんに見守られているお陰なのか一生懸命の中、良い方向を見出だす事が出来る。38歳で退職し6年かかって社会福祉法人の認可を頂き本館施設が設立した時も『無鉄砲この上ない。』のに、色々な方のご支援ご協力を得て出来ました。今回の盲養護老人ホームの計画も客観的には無茶な計画で走りながらの展開ですが、きっとリピーターの方々も私の熱い思いは理解して頂けるものと願っています。よーく考えてみると私の生き方は走りながら対応すると共に夢を食べて生きているバクーのようですが、ご理解とご協力を宜しくお願い致します。

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