昨日12月3日は・・・

令和2年12月4日

昨日12月3日は長男誠の36歳の誕生日であり、尚且つ長男誠の長男翔(かける)の5歳の誕生日だったのです。先般長男誠が明日5日に2日遅れになるのですが、誕生会としての食事会について話をしている時に「12月3日は僕の誕生日と思っていたのに『誠の誕生日』と言ってくれる事がなくなった。絶対に大切な12月3日何だけど、僕の誕生日と言う話題にはならない。」としみじみ語った時には滅茶苦茶説得力があったのですが申し訳ない気持ちにもなりました。

しかしながら、誠よ心配するな。私は12月3日の日には必ず誠が生まれた時の事を思いだし私の奥様かをりさんに「誠が生まれた前日は中学校の期末テストの前日で日曜日だったにも関わらず23時過ぎまで勉強に付きあっていて午前0時過ぎに家に帰るとかをりさんが玄関先で不安そうに待っていて、養母のアドバイスで産婦人科に電話をして、(そんな事の気が付かない程慌てていたのです。)私の車で産婦人科に行き、病院のインターホーンを押し中に入り、私はかをりさんが本来入る部屋に、かをりさんは分娩室へ。産声を聞きたかったけれども、なかなか聞けなかったので本来かをりさんが寝るベットに横になった途端に爆睡。結局産声を聞く事は出来なかった。」と語っているから大丈夫だ。決して忘れていない。ただし、誕生会の主人公が孫の翔に移ったことは否定しませんが・・・。

明日の誕生会の食事会は何が良いかを決めて報告するように言ってあって1週間ほど前に私の携帯に長男誠から連絡と思ったら声の主は孫の翔だったので私はいきなり『じいじ』の声になると、翔が「じいじ、誕生日は肉が食べたい。」といきなり言うのでじいじである私はめろめろな声で「しゃぶしゃぶかそれとも焼肉か」と聞くと「焼肉」と答えたので私は「5歳の子が焼肉かよ」と思い「しゃぶしゃぶやないの」と決めつけた言い方をすると翔が「焼肉やって」と返されて「わかったよ。美味しい焼肉の店を予約しとくよ」と言うのが精一杯でした。

翔は生まれた時にはあまり良い状態でなかったので産婦人科から大垣市民病院に救急車での転院があり、大垣市民病院に見舞いに行った時には鼻にもチューブで腕には点滴がされていて頭が真っ白になったものですが、今は元気すぎるくらい元気で、やんちゃをしては母親から怒られるのですが、怒られそうになるとあまあまのじいじの所に避難してくる頭の良さ。リピーターの皆さん。明日はあまあまじいじを楽しみにしている私ですが年に1日くらいは許されて良いのではないかと思っているのですが・・・。

 

本日盲養護老人ホームの打ち合わせでした

令和2年12月3日

午前10時からの打ち合わせだったので、9時20分に吉田部長の運転で私も含めて4人で出掛けました。いつものように岐建の課長さんがドローンの空撮で撮られた映像を見て、1週間前とは大きく変わった映像に安心してから、設備等の打ち合わせに入りました、今回の打ち合わせは立体的な画面を見ながらの検討なので、建築の知識が殆ど無い私にとってもイメージがし易くて意見も言い易い状況です。 セキュリティについては、実際に施設を運営していく中で大切な事なのでいろいろ意見を当施設の職員同士で戦わせて最終的には私が岐建の高橋監督に結論を言う形で決めていきました。但し色合わせについては「どの組み合わせでいきますか。」と言われてもイメージがつかめないので、3棟に分かれる事に対する考え方だけ伝えて、設計を依頼しているデザインボックスの山口さんに提案をして頂き進めていく事を確認しました。

12時10分に全ての打ち合わせを終えて12月1日に建て方のセレモニーをした現場の状況を職員みんなが高橋監督の案内で行きました。現地に行って感動しました。だって、3工区に分かれた内のA工区の所は柱がずらっと並んでいて1棟のみの建物の柱なのに『凄い』の一言で、職員には「凄い建物を計画したもんだな」と自分が計画したのにも関わらずの発言をしてしまいました。現場を回らせて貰って一番感じるのは私が「ありがとうございます。お邪魔します。」と声を掛けさせて貰うと異口同音に「お疲れ様です。」との言葉が返ってくるのは「素晴らしい指揮者の下(もと)には素晴らしい職人さんが集まるのだな。」と思った次第です。

A工区は柱がどんどん立っていき、その後を追う様にB工区、C工区もそれぞれに目一杯の作業が行われていて、「効率よく無駄なく作業が出来るように高橋監督を中心に打ち合わせを密に行われているのだ」と思うと同時に感謝です。岐阜県には一つも存在しない盲養護老人ホームを岐阜県の視覚障害者の方の熱い願いを杉和会がしっかり受け止め、その事を理解して下さった方々の思いが凝縮されての進捗状況だと思います。そして何より天の神様も味方して下さっているので天候にも恵まれての今だと感じています。

高橋監督に「大変な作業をお願いしてそれに応えて頂いているのに感謝してます。」とお話をさせて貰ったところ、「平屋の2700㎡の木造建築は初めての経験ですがやりがいがあります。」との返事を頂いた事にリピーターの皆さん。私は本当に幸せ者だと思っています。だから、来年4月に開設したら、視覚障害者の方々に喜んで頂き、地域の方々からも「施設が梅谷地区に来て良かった。」と言って貰えるように頑張っていきますので、これからもよろしくお願いします。

① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫

 

目が見にくい原因は黄斑円孔(おうはんえんこう)でした

令和2年12月2日

黄斑円孔についてインターネット情報から記載します。

『網膜が張っている眼底の中心部を黄斑または黄斑部と呼び、眼底で最も大切な部分です。もともと薄い場所なのですが、そこに1ミリにも満たない非常に小さな穴があく、と言う病気です。(中略)高齢になって一種の老化現象で起こる場合が殆どです。黄斑部は視力をつかさどるところですから、その部分の網膜に穴があくと当然視力が悪くなります。黄斑円孔がどんなにひどくなっても、失明する恐れは全くありません。黄斑部以外の網膜が悪くなることがないからです。治療法としては、目の中を綺麗に掃除した後、特殊なガスを入れる治療です。ガスが黄斑部の穴の部分を押し付けるようにするため、手術後の約10日間、出来るだけうつぶせです。手術自体は30分位ですがうつ伏せはかなりきついです。ガスは2週間位で吸収されて、順調にいけば問題の穴がふさがって視力もかなり回復します。手術の成功率ですが、黄斑円孔を早く発見できれば非常に高い成功率を収める事が出来ます。』との資料を読みながらコラムの原稿として打ちながら、色々な事を考えました。

先ず一番に思ったのは、右目を手術した網膜剝離は失明の可能性があったとの事ですが、失明はしないとの事なので先ずは安心。但し網膜剝離の手術後にうつ伏せで長くいなければいけないのは大変だ。網膜剝離の手術後の時はその日の内の緊急手術だったので、スケジュール調整が大変だったけど、その意味では少し余裕が持てたなとも思いました。12月9日に名古屋市立大学病院での予約受診をしなければ確実には分からないけど年末までは過密なスケジュールをこなして年明けに休養する位の気持ちで入院して治療に専念しようと考えています。私が来年4月に開設させる盲養護老人ホームは文字通り視覚障害者の施設であり、両目の白内障の手術、右目の網膜剝離の手術、今回の左目の黄斑円孔の手術、何となく因縁めいたものを感じるのですが。ところで、リピーターの皆さん。私の健康には紆余曲折がありますが、手術が成功し視力が回復したら、まだまだ走り回りますので宜しくお願いします。

 

 

本日新規事業の建て方(建前)です

6時45分から朝食を頂き7時25分には先日『洋服の青山』で購入した濃紺のネクタイをピシッとしめて新規事業の現場に向かいました。起きた時には雲っていたのが青空になり運転していて県道から町道に入る手前の所まで来ると現場の所には紅白まくが張られており、「やるじゃん。高橋監督。」職人さん用の駐車場には所狭しと車があり、私は関係者用の事務所前の駐車場に入って行くと私が一番乗り。「確かに定刻30分前の8時だから当然か。いやいや、心踊る良き日なのだから、早くくるべしではないのか。」確かに早く来たところで何もする事はないのだが現場を見て弾めただろうが、しばらく待っていると高橋監督が現場からこちらにみえたので「紅白まくをありがとう」と言うと、「新聞社の取材があると理事長にお聞きしたので急遽関連会社の養老ランドで借りてきました。」の返答には高橋監督の機転の良さと行動力には舌をまく思いでした。その後順次参加者が揃い、プレカットしてある材木が積んである大型トラックから大型のクレーンで持ち上げている作業を見ていて。建て方の準備が出来たと言う事で、セメントで固められた工区へ移動すると机の上にお酒とお米とお塩が供えられていて、高橋監督の指示で理事長である私かお酒を、お米を施設長予定者の吉澤統括部長が、お塩を和合の事務長が四隅に撒き最後に中央に撒き、立派な柱を一本だけ建てるパフォーマンスをしました。

image3image2image6

 

その後、岐阜新聞の記者の指示でカメラ写しの良い場所に移り理事長である私が現場を指しての写真を沢山撮って頂き取材を受ける為に現場事務所に全員で移動して、先ずは記者の方に建物の概要を理解して頂く為にドローンで撮影した上からの映像と立体に近い画像を見て頂き、岐阜県視覚障害者福祉協会会長が会員に宛てた文章を見て貰い、その後はいつもの事ながら私が理事長として熱く語りました。記者の方が帰られてから改めて私が準備したお酒一升と水野理事が準備したお塩を持って敷地の外周を撒いて歩きました。その時改めて敷地が広い事と凄い計画だと思った次第です。また、3月末に完成した暁にはより凄い建物になっていると確信しました。

image0image5

✳リピーターの皆さんに残念な報告をしなければいけません。それは、最近私の目が見にくくなっていたので、建て方が全て終了してから眼科に受診して、右目のような網膜剥離ではないのですが左目の黒目に穴が空いている事がわかりましたので手術をすることになりました。手術の都合もまだわかりませんし私自身も年末までスケジュールが一杯なので直ぐには手術にはなりませんが、非常に見にくい状態ですので、このコラムにおいて漢字の間違いが多くなるかも知れませんがご容赦下さい。

午前2時10分に施設から連絡がありました。

ここ1週間経口摂取が難しく点滴を行いつつ、調子が良い得意には大好物の梅干しやお酒を飲んで頂いたりして頑張ってこられた入居者の昨夜の報告で「体温39.5,最終排尿が10時30分」との事だったので、今迄の経験から「今夜にも夜間対応があるかもしれない」と思い、早い時間の21時過ぎに寝る事にしました。とても疲れていたこともあり、直ぐに眠る事が出来たのですが、午前2時過ぎに宿直者の坪井部長から第一報で「下顎呼吸になっており、厳しい状況です。」とのメール報告を受けてから、10分後に「心停止の状態です。」との連絡がきたのでお医者さんとご家族に連絡をして、幹部職員にはメールで知らせる様にと話をしてお医者さんが6時までには来て下さるのに合わせて家族もおみえになるとの連絡が再び来たので5時にアラームをセットして、うとうととしていると、アラームが鳴ったのでベットから起きて着替えをして施設に向かいました。

お医者さんは既に来て見えたのでお礼の挨拶をして、その後家族の方と葬儀等の話をして、ご自宅へのお迎えが8時と言う事で一旦家に帰り(帰る前にローソンに寄り早く来てくれた職員の朝食を購入)家で急いで朝食を食べ外出着に着替え再び施設へ。亡くなられた方のお見送りをして、事務所で銀行の決済や書類の整理をしていると、9時になったので10時からの和合の全体会に間に合うように出掛けました。

10時から2グループに分けての全体会が12時まであり、終了次第理事長室で職員採用の面接をしてから和合で準備して頂いた昼食(焼きそばを中心にした食事を完食)を食べて、13時までには30分程時間があったので14時から行われる『岐阜県高齢者安心計画推進会議』の書類の見直しをしていて時間になったので、岐阜県老人福祉協議会事務局に行き、来年度の打ち合わせをして14時からの会場である全建総連厚生会館に13時40分に着き会場である4階大会議室へ入って行くと県庁の担当者の方は揃ってみえたのですが、構成員のメンバーでは一番乗りだったので健康福祉部次長さんを筆頭にしてご挨拶をさせて頂きました。

定刻の14時から会議が始まり、次長さんのご挨拶の後、高齢福祉課長さんから今年度までの進捗状況と来年度からの方向性についての説明があり、その後意見交流の場となり、私もしっかり①介護人材②認知症③コロナ対策について岐阜県老人福祉協議会の立場で話をさせて頂きました。16時までの2時間は密度の濃い話し合いが出来たと思いますが、若干理想と現実のギャップでかみ合わないものもありましたので、次回にはその点も含んで議論出来るようにしていきたいと思っています。

会議終了後に県の担当者の方々とお話させて頂き、携帯に施設からメールが来ていたので施設に連絡すると、県の地域福祉課からの伝言だったので、私は思いました。「先程まで地域福祉課の上席の方と話をしていたのに担当が違うと伝わらないのかな。」と思いましたが、思い直して連絡すると「離職防止の研修企画の講師のリストを渡す事になっていた。」と言う事を私がすっかり忘れていたので、早速全国老人福祉施設協議会の事務局に事情を話すると、先程(18時30分)メールでリストを送信して貰ったので県の担当者に転送して本日の役割を終了しました。今は19時10分で長い一日でしたが、リピーターの皆さん。実はあっという間にだったんです。つまり本日も充実した一日であった事に感謝です。

昨夜はしたたか飲みました

月一回の若山会が昨夜18時30分から息子2人と甥っ子1人と私の4人で行いました。次男の日程で昨日に決まったのに時間になっても来ないので長男が連絡すると「仕事をしていて忘れていたのでこれから向かいます。」との返事に「あいからわずの次男だけど仕事だと言われたら何も言えんな。」で食事会を先に始めました。最初の一杯はビールで、その後は熱燗をガンガン飲みました。19時には次男も来たのでそれからはますます過激にピッチが上がりました。22時までしっかり飲んで二次会は勿論無しです。今時ですからコロナ対策としてのソーシャルディスタンスをしての飲み会です。つまり、広い部屋に4人だけ。向かい合いの席にはせずにの飲み会です。23時にはベットに潜り込み爆睡。朝は、いつものように5時30分には目覚めたのですがいつもと違うのが飲みすぎたのかしんどいのです。だから、町広報の6時のチャイムで飛び起き今はお風呂の湯船に浸かってコラムを書いているのですが、ようやく汗が出てきました。これでシャキッと仕事モードになれます。本日は午前中には面接もあり午後からは家族会主催の誕生会と本館1階、2階のお参りもあります。気合いを入れての展開は後程に書きます。(17時には早じまいさせて貰い家に帰り続きを書きます。)午前中の面接で事前に履歴書を見たら、名前からして日本人ではないな。と思いつつ会議室に入って行き、疑問に感じた事を質問しました。すると、親はペルー人だけれども本人は日本生まれの日本育ち。短大も通い介護福祉士の資格も持っていて外形は外人だけれどもバリバリの日本人。日本語とスペイン語が出来るとは頼もしい。色々な質問をしても模範解答をしてくれて、私的には少し不満だったのですが、少しリラックスしてからは、家族思いの優しさもあることがわかり、健康診断が出来次第採用することにしました。ある意味異色な存在ですが、日本人にはない良さを発揮してくれる事を期待してます。午後からは家族会の吉田会長に来て頂いての誕生会で3つのフロアで5人の入居者のお祝いをさせて頂きました。誕生会が終わり吉田会長と会議室で来年1月に行われる岐阜知事選の話し等をして、玄関までお見送りをして、本館1階フロアの入居者さんがお参りの為に集まられているとの報告を聞いたので、数珠とリンを持って急いでフロアに行き本館1階の皆さんとお経をあげて、カラオケの用意が出来ていたので『人生夢の途中駅』を歌わせて頂いていると2階のフロア責任者の西村課長が様子を見に来たので歌が済み次第2階に急ぎここでも入居者さんとお経をあげ、既にカラオケには『兄弟船』のリクエストがセットされているので歌わせて頂きました。お経も歌もお腹から精一杯の声を出させて頂いたので気分がスッキリしたのでリピーターの皆さん私は入居者、利用者の方に元気を頂いているのだと気付いた次第です。元気を頂いたので明日からも頑張りますの リピーターの皆さん私の展開を見ていて下さいね。

本日は入札が8本にわたって実施されます

今、関ヶ原町の広報により午前6時のチャイムがなりました。本日は13時から新規事業の設備等の入札が実施されます。具体的には①事務器機等②車2台③大型ランドリー④特浴⑤厨房器機⑥テレビ・洗濯機等⑦医療器機⑧生ゴミ処理機の8項目です。早朝5時過ぎから(外は真っ暗です。)色々な事を考えていて、施設に行くモードになってチャイムがなった瞬間に入札時の理事長としての役割である入札の上限価格(下限は設定しません)を書く事が出来てない事を。実は当日に書くのは今回に限った事ではなくて、いつもその流儀なのです。何故ならば入札価格を決めるのを最後の最後まで悩む事が大切だと考えているからです。但し、建設に係る入札は常に厳しいシナリオが常に待ってますが・・・。何故なら「出来るだけ低い価格にしたい。」との思いから敢えて厳しい価格設定を入れるからです。勿論今回の設備にしても同じなのですが、ある程度価格設定があるので、常識的な価格よりは厳しい数字を入れるだけなので少しだけ気が楽なのです。施設に行ったらいの一番の仕事だと思っています。(ここで朝食の為に一階に下りると本日はPTAによる廃品回収があるので、雑誌や新聞、段ボール等がビニールひもで縛ってあるのを玄関先まで運ぶと玄関を開けると道路は濡れていましたが、雨は止み青空が見えたので私は思わず空に向かって手を合わせました。と言うのも昨日は朝7時から新規事業の生コン打ちが一日あると聞いていて、本日も天気が良ければ新規事業の建設も順調にいき12月1日の建方も予定通りに出来ると確信したからです。廃品回収の品物を玄関軒下に置き、家に入って施設の宿直者に廃品回収への対応の確認の連絡をして携帯を切ってから直ぐに後悔しました。と言うのは今の施設は私がつまらない心配をしなくても対応してくれる状況があるのにと・・・。

 

(さてさて、13時からの入札の後、理事会も終了して18時30分からの『若山会』の間隙を縫って書く事にします)入札に引き続きの理事会も終わり後片付けをして家に帰り今(16時59分)コラム打ちを再開しましたが、17時30分には若山会に向け出掛けるのでほっとする時間も無いようです。さて、13時からの入札は私の書いた予定上限よりも低い数字で抑えられていたのですが、生ゴミ処理機だけは設置料分の考え方に私と相違があった為か落札出来なかったので関ヶ原町内の業者なので週明けに直接話をしてすっきりとしたいと考えています。

 

リピーターの皆さん 8種類の入札は流石に疲れましたが、本日は月に一度の若山会で熱燗をしっかり飲み、今は代行で家に向かっていますが大垣から垂井に入ったところで飲酒運転の取りしまりをしていましたが、勿論代行だから大丈夫です。たいがい熱燗を飲んだので、多分メロメロのコラムですが勘弁して下さい。

本日は9時から何組かのお客様対応をして13時からは県の事業に参加しました

令和2年11月27日

施設でのお客様対応をして、13時から『外国人介護人材マッチング支援事業』が岐阜市にある国際会議場で実施される為に出掛けました。この事業は岐阜県の補助金を頂いて岐阜県老人福祉協議会と岐阜県老人保健協議会が受託した企画の一つとして実施されたものです。この企画は介護事業に関わる事業所の介護人材の厳しさへの一助としてのものとして外国人材確保に向けた企画です。ちなみに、岐阜県の実情はここ5年は毎年1000人は不足すると言われていて、どの介護事業所においても大きな課題の一つです。当法人ではEPA(経済連携)によって10年前からインドネシア人を受け入れていて、最近はベトナムからの留学生、特定技能でベトナムとネパールからそれぞれ受けていて、かなり外国人材のノウハウはありますが、岐阜県内の事業所の中には「これから受け入れていきたい』と考えている法人もあり、岐阜県のご理解があり実施することができました。開会の挨拶は岐阜県高齢福祉課にして頂き、引き続き受託側の2団体の会長が挨拶をする事になっていましたので、私も老施協会長としてさせて頂きました。今回の企画には高齢福祉課だけでなく商工労働部がこのコロナ禍で職を失った外国人材への救済の企画も同時に説明がありました。今回の企画では県内で外国人材紹介の展開を頑張ってしている3事業者に前半は役割分担をして『介護外国人材受け入れ』の説明をして貰い

、後半は3事業者の特色を話して貰いました。今回はコロナ禍と言う事てウェブ参加が30事業所で直接参加は10事業所でしたが、具体的には今回の説明を基に3月にマッチングを実施する予定です。多くのマッチングが出来るようにしっかり根回ししていきたいと考えています。さて、今回の説明会の時に私にとってショックな会話がありました。それは、前半が終わり10分の休憩時間に老健協の会長さんから「若山会長はめっちゃ元気だけどおいくつですか」と言われたので「28年生まれです。」と言うと「私は22年だから6歳も違うんや。そりゃ元気なはずや。私は会長さんとそんなに違うとは思ってなかった。」と言われて複雑な思いになりました。そして、「70歳の境はしっかりあるし、私も75歳にもう1つ大きな境があると思っているよ」とも言われたので私は「生年月日だけではわかりませんし、先生も随分お若くみえますよ」と返すのがやっとでした。リピーターの皆さん。私は与えられた使命があるから頑張れる。だから『いつまでも活力を持って出来る幸福者』と思っています。リピーターの皆さん。まだまだ私は決して老けませんのでこれからも宜しくお願いします。

昨年着た冬服が合わないと言うか着れませ~ん

令和2年11月26日

関ヶ原町長選が今週火曜日(11月24日)に告示され現町長が無投票3選されたので、当選祝いに出掛けようと昨年来ていた冬服を取り出し着てみてびっくりと言うより驚きで正直焦りました。と言うのはズボンはアジャスターを目一杯ひろげて着る事が出来たのですが(これは『トホホ』の話です。)上着については着る事は出来たのですか、前ボタンが出来るどころか正直ピチピチで公の場所に着ていけような状態ではなくて、ましてや当選祝いの乾杯の音頭の役割をお受けしているのに 「この服は着ていけない。」と言う事で、前日まで着ていたスーツに慌てて着替えてクリア。実際にはトホホの話です。

昨日も岐阜県のグレード1の授賞式で大勢の方の前で健康福祉次長さんから認定証を頂き、ましてや認定証を頂いた後でマイクを渡され「一言をお願いします。」と司会者から振られ「おいおい、一言話をすることは何にも聞いてないぞ。ましてや私は一番最初に認定証を渡されたので心の準備が出来とらんわい」と思いつつマイクを渡されたら自分がすらすらと話をしている自分に驚いたり感心したり。「きっと私のご先祖様が頭の中に入り込み私の口を使って話をしていれのかも」と思いました。

そしてつくづく思ったのは「ピチピチのスーツを着てこなくて良かった。」と言う事です。そして、本日は厚生労働省の委託を受けた『女性活躍推進アドバイザーの方が10時のお約束でみえました。(コロナ禍と言う事で奈良から車でおみえになりました。)私からは昨日の岐阜県知事から頂いたグレード1の話や介護現場は女性主体なので、逆に男性職員が多いが、職員の離職率が低いのが、当法人の特色だと熱く語りました。

13時から新規事業の打ち合わせがあり、この1週間での進捗状況に感謝し、内装について具体的に決めていける幸せを味わう事が出来 打ち合わせを終え監督さんの案内で現地を案内して貰い改めて平屋での計画は壮大な計画だったと思いました。つまり、全て木造つくりで完成出来た時の事を思うと今からワクワクです。忙しく作業してもらっている職人さんにお礼を言いつつ回りました。新規事業の打ち合わせを全て終えて、中途半端な時間になったので、「スーツを買いに行こう。」と思い付き『ようふくの青山』に行く事にしました。「久しぶりに行くのに私の事をしっている方がいれば助かるな」と思い事前に連絡すると「出勤されている。」との事で、安心してお店に行けました。

そこで正直に「昨年着ていたスーツが着れなくなった」と話すると私のデータを検索して下さり、その大きさの服をみつけて下さり着てみると案の定着ることが出来ない。それではと「一回り大きなサイズのに手を通して下さい」でばっちり。「本当は2段階位大きいのを見つけて下さったのかも」と思いつつも口には出さずに、迷うことなくぴったり合うこのスーツを買う事にした次第です。青山での買い方は私の体型に合うスーツを購入するしかないと自重気味に思いました。リピーターの皆さん。来年は「このスーツがダブダブでみっともないと言われる位に痩せたる。この事は夢のまた夢。自分で原稿を書きながら虚しくなってきましたので今日のコラムはここまで。

 

充実した一日に感謝

令和2年11月25日

本日岐阜県庁の隣にある水産会館で岐阜県老施協正副委員長会議があり、道路が混むといけないので8時15分に家を出たところスムーズに走れたので会場に30分前に着き事務局との打ち合わせをして、定刻の10時になったのに二人の役員が来てないのでしばらく待っていると、いつもの県福祉会館だと間違えたと言ってバタバタと部屋に入ってみえました。昨日私は間違えられる方があってはいけないと役員の方に連絡したのに間違えられる。(別件での連絡だったので仕方がないのかな)思わず絶句です。10分遅れで会議が始まり、基本的にはコロナ禍における会の持ち方について話し合いをして、11時30分に会議を終了して、その後、来年度に向けての方向性を県社協の常務さんと部長さんとに話し合いを持つ為に県福祉会館に場所を移して話をしました。

終了後、本日14時から岐阜清流プラザにおいて『ぎふ・いきいき介護事業者認定証授与式&記念講演』があり、当法人は確認基準をすべて達成している事業者として『グレード1』の認証を受ける事になっていたので認証授与式の為に移動しました。昼食をゆっくり食べる時間もないし一人でレストラン等に入るのも億劫だったので、会場に向かう途中でコンビニに寄り、パンとおにぎりを購入してコンビニの駐車場で食べました。時間の節約にも貢献しましたが、一人でもぐもぐ食べるのはいくら食べても満足感が無かったように思いました。(だからお腹が際限なく大きくなるのですが)この認定制度は今年で4年目で当法人はグレード3、グレード2に続いてのグレード1の受賞で、グレード1は、この4年間でも16法人しか受賞してない名誉ある受賞です。この受賞は法人として職員の待遇面と資質向上に向けた取り組みをしっかりしている事を岐阜県知事から認めて頂くもので、今後もこの受賞に恥じない対応をしていきたいと考えています。

① ④ IMG_2588   IMG_2612

その後、本部施設に戻り事務所内の私の机に置いてある書類に目を通し、必要に応じて電話をしたり、予定をガラケーの携帯に目もしたりしていて、途中で食パンにイチゴジャムを付けたのとお餅を焼いて食べて夕食の代わりにして19時からの全体会に参加しました。本日の全体会の冒頭、この一ヶ月で亡くなった二人の入居者に黙祷を捧げ、次に全国老施協の20年勤続表彰、全社協の15年表彰、関ヶ原町からの10年表彰を理事長である私から代読で手渡ししました。手渡しながらしみじみ思ったのは勤続年数が多いのは喜ぶべき事だと思いました。

IMG_2595 IMG_2599 IMG_2601 IMG_2603 IMG_2605

全体会が終了してから施設に対して迷惑をかけた職員の話し合いを持ち、結局終了したのは22時前。リピーターの皆さん、当法人のスタンスは気が付いた事を持ち越さずしんどくてもやりきろうとする幹部職員がいることが長く勤めて貰う最大の理由だと思っています。昔から言うでしょ。『急がば回れ』と。そして、中村会長のお言葉『労を惜しまず』これからも宜しくお願いします。

 

 

1 175 176 177 178 179 180 181 182 183 304