違和感がとれました そして私の考え方。

令和3年1月13日

昨年最も人気のあったドラマで『半沢直樹』というのがありました。流行語のようになった猿之助さんが演じておられた部長さんが「詫びろ、詫びろ、詫びろ、詫びろ、詫びろ、詫びろー、、、詫びろ」は今でも芸人が良く使っているフレーズです。『土下座』のシーンもよく使われますし、今回違和感があるとした「施されたら、施し返す。恩返しです。」もよく使われます。そこで「施されたら施し返す。恩返しです。」に対しての違和感についてを今日のテーマとします。(5時前に目が覚めベットの中で考えていた事を書きます。)先ずは「施されたら、施し返す」ですが、目上の方から施されて、そのお返しをすると言う事は有り得ないと思います。

今は死語のように思われていますがかつてはよく『滅私奉公』と言う言葉がまかり通っていました。その言葉は昔のしきたりで『のれん分け』に合い通ずる事だと思うのですが。つまり、一生懸命に格上の方、或いは、雲の上のような存在の方、経営者の方に滅私奉公をしていた結果『施される』のであって、「こんだけの事をやったんだからこんだけの対価があって当然だ」的なものがまかり通る考え方に対して私的には大いなる違和感を持っていると言う事です。

私が13年勤めた児童養護施設を退職して違う施設で週に何回かスーパーバイザーのような立場で仕事をさせて貰った時にその当時小学5年生の男子に仕事を頼んだらその子が「これをしたらなんぼくれる。」と言われて「頼まれ事をする前にお金の要求するんならはしなくて良い」と言ったのを今でも鮮明に覚えています。(今考えると、小学5年の男子にしてみたら「人間関係が出来てない先生の言う事を聞いてたまるか。」と言う事だったと思えるようになりましたが)何でも見返りを求める発想が嫌なのです。そんな事を言ってる私自身は法人設立時も設立後も『施していないのに施された』事が実は一杯あり、『恩返し』がまだまだ出来ていない事が山ほどあります。

その最たるものが、福祉の師である吉田宏岳先生(元日本福祉大学副学長で当時中央福祉専門校長)です。それは法人設立の為に順調に走っていて、その根拠となる資金面の援助を引き受けて頂いていた方が急逝され計画が暗礁に乗り上げた時、私は腹を括って資金集めの行脚に行った最初の方が吉田宏岳先生で10分も話をしない内に「ちょっと待ちなさい。』と奥に行かれたかと思ったら、1千5百万の通帳を見せて下さり「明日、このお金を振り込んでおくから頑張りなさい。

それから、若山君が頑張っている事を色んな方に話ししておく。」と言われて私は「先生にここまでして頂ける存在ですか。」と正直に聞くと「先行投資の積もりですから、10年先を楽しみにしてます。私が支援して立派にやられている方はたくさんいますよ。」と言われたのです。今でも返せたとは思っていませんが、きっと今でも天国から優しい眼差しで見守って下さっていると確信してます。

もう一人先代の理事長にも「娘むこが頑張るんだから5百万位は支援しなければいかんな」と言われていたのですが、先に述べたように予定していた資金が頓挫して予定より一桁以上多い支援をして貰って、施設が稼働してから二人でしみじみお酒を酌み交わしているときに「目一杯支援して頂きありがとうございました。」と言うと「立派に施設が建ったんだから良かった。これからは地域の方々に施設が出来て良かったと言われるように頑張りやさい。」と言われたのもしっかり覚えています。『恩返し』は出来ていない私ですが、これからも地域でなくてはならない施設にしていく事によって、恩返しをしていきたいと考えていますのでリピーターの皆さんこれからもご支援宜しくお願い致します。

『場面かん黙症』と言う病気

令和3年1月12日

家の中で人間関係が出来ている人との会話は出来るのに一歩外に出て話をしようとしても話をすることが出来ない病気で現代の子どもの500人に1人がなっていると言う事です。

私はこの病気の事を昨日のテレビで初めて知りました。その時私は自分が小さい頃の事を思い出しました。私が小さい頃外出する時は母秋江さんの後ろに隠れるように付いて行き母秋江さんが話をしていて私は必要最低限の返事をしていたように思います。そんな私でしたので小学生になり一人でお使いをするようになったのは我が家から2百メートル程西に行った家が鶏を飼っている所へ、10個買いに行くと1個おまけして頂けるのが自慢で喜んで行ったのを今でも覚えています。その程度の事を覚えているのは如何に色んな体験をしていなかったかと言う証しではないかと今更ながら思います。そして、60年近く前は卵1個が今とは違い貴重なものだったのだと思います。

話を戻します。私は『場面綣黙症』についてのしっかりとした知識を持っているわけでも有りませんし、その事についてコメント出来る立場でも有りませんが、話が出来なかった時の辛さは良くわかります。今では5時間でも、10時間でも「話をして良いですよ。」と言われたら(ありえへ~ん)ストップがかかっても話し続ける自信がありますが(人の迷惑省みず・・・。)小さい頃の私は何かを答えるにしても小さい声でボソボソと話をして、「もう少し大きな声でしっかりと」と言われるとますます声が小さくなり、最後には喉が苦しくなってしまう事が常でした。声帯等に問題がないから家では話が出来るとすると精神的な部分が殆どだと思うのですが、何らかのきっかけでそのような状態になっているのだとすると、過去に遡っての治療は無理なので苦しみを克服するのは自分自身しかないのかな。

私も今は目の手術をして頂いて丁度1週間になり、目ね中にサングラスをしている状態でイライラが爆発寸前ですが、焦ったからと言って早く良くなるわけでもなし・・・。でも、正直イライラしてます。話をしたくても出来ないでいる子どもが一杯いる事を知って私の場合は手術が出来た。手術と言うのは手術が終わった瞬間から快復に向かうものと信じているので・・・。「でもなあ・・・」「ええい。女々しいぞ。見苦しい。」と誰かの声が・・・。これが聞こえてこんのです。だって、私は恥ずかしながら『よしよし』される環境しか経験してないので・・・。

事業に対しては自分を律して頑張れる自信はあるし、自己犠牲も何のその。趣味は仕事だと常に豪語している私ですがリピーターの皆さんうだうだしか言えない私ですがお許し下さい。

『責任』

令和3年1月11日

昨夜関ヶ原町役場職員が「16時以降水が激しく排出されている。」との事で施設に来て下さりメンテの契約をしている業者の方にも20時過ぎのしかも3連休の中日にもかかわらず急遽来て貰ったところ、原因がお風呂を使用した後の対応が不適切で、「お湯がどんどん流れてしまっていた。」との事で(一時間に約5立平)水の流出については解決したものの、職員の対応の悪さによって色々な事が浮き彫りになり、幹部職員として、あるいは幹部職員でない職員であっても、それぞれの立場での責任があることを如何にして周知して実践させるかを総合施設長の立場で考えています。

今回のケースは初歩的ミスなのか、あるいは職員の手抜きによって起きた事なのか。『一つの現象の中に多くの不十分性を見出だし徹底していく事が肝要』であると考えています。昨夜の水の排出は解決したものの朝6時に宿直者の北島部長から『厨房からお湯が出ない。』とのメールを受け取り、『責任ある対応が如何に大切か、その徹底をするフロア責任者の責任及び全てを統括する施設長の責任の重さを痛感しています。』と言う事で私が組織のトップとして一番懸念することは、職員の『手抜き』であっても『うっかり』であったとしても、今回は設備での現象だったのですが、これが入居者又は利用者に対するものだったとしたらとんでもない事になると思います。

もちろん、今回の事にしても、役場の職員が二人も日曜日の夜間に出向いて下さったのだし、メンテをお願いしている業者の方も二人来て頂いたし、事務所に残っていた事務長と宿直者の北島部長も対応の為夜遅くまでの対応になったのだから、今回のような事が2度と起きない体制を確立しないといけないと思うのですが、何と言っても私は入院中で職員の頑張りに委ねるしかないので余計にイライラがつのります。正直昨夜は日付が替わっても問題解決しなければ「病院を抜け出しタクシーで施設まで行くしかない。」と真剣に考えていました。今回の事は私自身の試練だと考えるべきかとも思います。

その理由は2つです。1つは、トップである私がいつまでも前面に立つのではなく職員が全面的に考えて実践する。つまり、ピンチをチャンスに変えて頭角を現すのを待つ。2つには、駄目なところをだしつくし正しい方向に軌道修正をして新たに発進する。2つ共に厳しい事ですが、10年先20年先を睨んだ時にはいずれ断行しなければいけない事だとも言えます。高齢者人口が減少していく2040年をにらんだら必然なのかも知れません。リピーターの皆さんが私の葛藤の一端でも理解して頂ければ嬉しいです。

入院生活1週間が経過しました

 

令和3年1月10日

目の手術ですから看護師さんが食事の食べ具合を確認にみえる度に「完食です」を繰り返すばかりです。但し、複雑な病院の作りも、一週間も入院すると何とは無しに目的地に行けるようになってます。だとすると、入院当初は迷ってしまい、うろうろとさ迷っていたのですが、この失敗によって今はスムーズに行けるのだから『失敗から学ぶ』は大切な事だと改めて思いました。但し、このような失敗は自分の中で『苦笑い』で済む話ですが、介護施設や病院には対象となる方がおみえになるので、決して間違えは許されないので、知識と情報と一生懸命さがなければいけない事と改めて考えています。

施設を開設した当初は『児童の事なら大抵の事は対応出来ると考えていましたが、高齢者の事は全くの知識が無く、一生懸命さだけではクリア出来ない事が一杯あって、高齢者の方から命をかけて教えて頂く事が多くありました。』と今更ながら述懐しています。良く私は「命をかけて教えて頂いた体験は絶対に忘れず生かさなければ申し訳ない。だから、決して喉元過ぎれば熱さを忘れるではいけない。」と何度も何度も職員に話しています。

入院生活も一週間が経過するとリズムある生活になります。朝は6時に携帯のアラームで目を覚まし、ベットから起きてガウンを羽織りナースコールで看護師さんに来て貰い、クリーンコットンを準備して椅子に腰掛けると看護師さんが来て下さり目やにを綺麗にとって貰い(かなり目やには減ってきました。)看護師さんが部屋を出られると両目にそれぞれ点眼をして、洗面を済ませ、左目(手術をして頂いた方)に2本目の目薬をさして、テレビのスイッチを入れてニュースを聞きながら再びベットにうつ向けになってしばらくするとお茶を持って来て下さり、その後再びしばらくして食事を運んで来て下さり、再び起き上がり、持参した漬け物とフルーツゼリー、コンシェルジュの方が買って来て貰った海苔瓶と薬用の水を冷蔵庫から取り出し朝食を頂いてから薬も飲みました。

本日は日曜日で9持30分から診察があるので11階の眼科病棟に行き(もちろん一人で行けました。)受診後はシャワーの予約と自販機でお茶を買い(本日は余分にオロナミンCドリンクも買いました。)部屋に戻るとしばらくして11時の点眼の為のアラームが鳴り・・・。ちなみに点眼は6時、11時、16時、21時の4回で、食事は7時30分、12時。18持です。正直、楽しみはわずか10分のシャワーと3度の食事だけ・・・。いやいや、大好きな大きなあられもなごやんも食べてます。21持10分には就寝して6時起床の規則正しい毎日に退屈さを覚え出したのは快方にに向かっているからと感謝しつつ、退院してからのバリバリの仕事の為の充電期間と考えていますので、リピーターの皆さん退院後も宜しくお願いします。

 

入院生活の中で思う事

うつ伏せではなくて右向きで寝て良いと言われて手術が終わった日の夜が全くしんどくて2日目からは右向きで寝てみて、この状態で眠れる幸せを感じながら本日も6時にセットしたアラームの『コケコッコー』によって行動開始。

これまたいつものようにベットから起きてガウンを来てからナースコールを押し看護師さんに来て貰い持参したコットンを手渡し目やにをとって貰いお礼を言ってから両目にそれぞれ目薬を指し、その後洗面を済ませ左目に2本目の目薬を指し先ずは朝の入院生活は始まります。

そんな毎日が今日で6日目ですが、私なりに病院生活から感じた事、思った事を書きます。先ずは何と言っても私が入院している17階にはコンシェルジュの方がエレベーターを降りた正面に3人みえてお出迎えして頂いたのには面くらいました。このコンシェルジュの方が入院の受付をして下さり荷物を台車に載せて部屋までの案内を兼ねて来て頂き、部屋の中の説明もして頂けました。正直不安な部分がかなり払拭出来ました。

この病院の看護師さんの勤務携帯は16時間夜勤の方と3交代制の2パターンがあり選ぶ事が出来ると言うのは今時の考え方だとは思いますが、大きな病院だから出来るシステムかとも思いました。看護師さんは患者さんの担当がしっかり決まっていて、勤務に入られる時と退勤前には必ずご挨拶に来て頂けるのは素晴らしい対応だと感じました。本部施設のシステムには早出が7時~16時、日勤が8時30分~17時30分、遅出が10時~19時、夜勤は16時~翌日10時、その他にも短時間勤務の職員もいるので入りと出に挨拶をしっかり実施すれば、フロアの環境も今まで以上に明るいものになると考えています。

23年前に本館を開設して半年が経過して、ようやく施設入居者が満床になった平成10年10月3日。ショートステイ4人目の依頼をその当時の指導員(今は相談員と言います。)が現場からの反発で受けなかったとの報告を外出先から帰って聞いた時には愕然としましたし、その当時の職員は私がお客さんを連れて施設案内をしていても挨拶すらしないので理由を聞くと「忙しい」との答えが帰ってきたのを驚きの中で聞いたのを今でも覚えています。『急がば回れ』が当てはまるかは甚だ疑問ですが、『手を抜くとその反動は2倍3倍になって跳ね返ってくる。時には取り返しがつかない結果になることもある。』と職員には何度も何度も言ってきました。

今の当施設の現状はそれなりには挨拶も出来るし、やるべき事も出来るようになってきましたが、今回の私自身の入院で改めて感じる事がありますので、しっかり目の治療が済み退院するまでの有り余る時間を使って自分自身と杉和会の事を考えて更なるキャリアアップに邁進していきたいと考えていますので、リピーターの皆さんこれからも一層の支援をお願いいたします。

感動です(ちょっと大げさかな)

令和3年1月8日

6時にセットしたアラームで目覚め3種類の目薬を点眼しようと思ったのですが、手術をした左目が昨日に引き続き目やにが凄くて眼がしっかり開けれない状態なので「ここはナースコールをしてしっかり目やにをとって貰おう。』でナースコールを押し看護師さんに綺麗にして貰いその後点眼をしてもう少し横になろうとしていたところ、看護師さんが眼科病棟がある11階に行くように指示があり(7時10分)「昨夜も20時過ぎに診察して貰ってるから若い女医さんはいったいどんだけ仕事をされるんだ」と思いつつ、眼科病棟の診察室に一人で行きました。(行きも帰りも一人で大丈夫になりました。どうや、えらいやろう。)先生に「朝早くから夜遅くまで大変ですね。」と話しすると「患者さんは24時間病院ですよね」と言われたので、『一本とられた。』と思ったので「患者はいずれ退院しますから」と返しました。診察から帰ると朝食がきていたので、手洗いとうがいをしてから朝食を頂く事にしたのですが、おかずの一品に生野菜が刻んであり、ドレッシングが付いていたのですが、私はドレッシングをかけるくらいなら醤油をかけて食べるのです。そして、「醤油はないしドレッシングは食べたくないし、何もかけずに食べようか」と一瞬考えたのですが「病院食は全部食べなけれ申し訳ない。」と思い直してドレッシングをかけて食べてみました。そして、今までのドレッシングのイメージを払拭しました。

と言うのは、しっかりご飯に合う味で「結構旨い。」この発見は67才にしての凄い発見だし『感動』しました。(そんなに大げさに言う事ではないのでしょうが・・・)午前中は施設での対応に対して檄文を書いたり、全国老施協制服会長委員長会議ウェブ会議に本来私が出席をして、総務・組織委員長として来年度の方向性について述べなければいけなかったのですか、入院中ではそれも叶わず、徳島県の森岡副委員長に委ねていたので、森岡副委員長の発表が終わった頃を見計らい連絡すると、少し事務局とのズレがあったように感じていたので、森岡副委員長には労いの言葉をかけると共に退院後に平石会長、皆川副会長及び北條専務と調整する話をしました。

入院中で浮世離れの生活ですが、電話をしているときや施設の対応をしているときはシャキッとして、早く退院をしなければと考えるばかりです。昼食を終えてから、病院自体は3連休になる事を考えて、私自身は目以外は健康体と言う事で食欲はあり、毎食完食をして、尚且つプラスアルファの品ものを一杯持ってきたのに3連休で品薄になる(食べなけれは良いのですが)のを心配して、コンシェルジュの方のところへ行き買い物を依頼してからシャワーで首から下を洗い流しました。

その後手術を執刀して下さった先生が目の状態を確認に来て下さったり、眼科外来に行き検査をして貰ったりで本日の入院生活も終わりそうです。眼科外来の所から一人で帰れたので「そろそろ退院かな」とは思いつつも、目の中で液体がユラユラしているので3連休で頑張って安静にして、連休が明けてなるべく早くに綺麗に見えるようになって退院したいと考えています。いつも私が言っているように『予定は未定であり決定ではない。』のでリピーターの皆さん私の早くの完治を祈っていて下さい。

よ~く眠れました

昨日17時頃に5日の日に手術の執刀をして頂いた先生が診察にきて下さり目の中を診て頂き「順調に穴はふさがれていますので大丈夫です。」と話をして下さり安心したところで「昨夜はうつ伏せでシーパップ(無呼吸症候群の為)をしたまま寝るのが難しくて椅子に座ったりシーパップ無しでうつ伏せになったりしてもなかなか眠れませんでした。」と話をすると「シーパップをしてうつ伏せは難しいですね。実は私もシーパップをかれこれ20年使用してます。シーパップをしてない時には7時間寝ても徹夜をしても疲れがとれなくてどっちみち疲れがとれないのなら寝なくても一緒だと思っていました。」と先生と話が盛り上がりました。

最終的には「しっかり寝て頂く為に昼間はしっかりうつ伏せになって貰い、夜は右を向いて寝て貰って大丈夫ですよ。」と言われたので、その後は今まで以上にしっかりうつ伏せになり、21時に本日4回目の点眼を終えて、右向きに寝た瞬間「これは楽だ。」と思い、昼間はうたた寝をたくさんしていたはずなのに、すっと眠る事が出来ましたが、22時過ぎに管理宿直の北島部長から看取りの入居者さんがより厳しい状況だとのメールが来ましたので「私は入院中なので何か相談する事があれば連絡して下さい。」とだけ電話連絡をして再び眠りにつき、今朝は6時の点眼時間を知らせるアラーム(コケコッコーのけたたましい音)で眼を覚ますと言う熟睡でした。

と言う事は横向きで寝ても良いと言って頂けたのは有り難かったです。(何でも聞いてみるものだと思っています。小さい頃の私ならとてもとても無理だったと思いますし、きっと『えらいよー』と泣いていたと思います。)

朝の点眼と洗面を終えてから施設に連絡すると昨夜連絡があった入居者さんは残念ながら5時過ぎに多賀先生に死亡確認をして頂いて家族と話をしているとの事だったので、関ヶ原斎場の確認だけ役場に私の方から連絡をさせて貰い、後の対応は職員にお願いしました。7時30分に朝食を頂き(完食です。)8時過ぎに診察の迎えに先生が来て下さり、本日は昨夜横向きに寝させて貰ったので極力うつ向けにしています。そして昼食後にシャワーの許可が出たので、ほんの10分だけシャワーをさせて頂きました。

今(13時43分)コラムをガラケーの画面に向かって(当然下向きです)打っていて気が付いたのですが、手術をして頂いた左目の中で液体らしきものがユラユラしてます。「このユラユラが無くならないと退院は出来ないので頑張ってうつ向けをこの後も頑張りたいと考えています。リピーターの皆さん。手術をしても、入院していとも、何とかコラムを継続し早く退院が出来るように優等生入院者でいる、この健気な私を褒めたって下さい。

昨日手術は終わりましたが・・・

私は事前の書類に『学術向上に役立てて』的なものにサインしたので、若い先生に懇切丁寧に教えながらの執刀で、眼の所に局部麻酔を打たれ、(これは痛かったです。)、手術が始まりました。執刀医の先生の声が聞こえてきて、「剥離してるな」の声に愕然として、予定の時間(約30分と聞いていましたが)をはるかに越える一時間以上で取り合えず手術が終わり部屋に連れて帰って貰ったのが12時で、それからしっかり二時間はうつむきで寝て、その後昼食。(配膳されたものは全部食べました。)下を向いているように言われているのでテレビを見ることもなく、ひたすら安静にしていて、21時に点眼に看護師さんがみえた後はベットでまたまた寝るのですが無呼吸症候群の為シーパップと言う機械を付けてのうつ伏せは至難の業で、シーパップ無しのうつ伏せは苦しくなるし、椅子に腰かけてうつ伏せになったり、色々と試して何とか朝6時の点眼から行動開始です。(本日先生の診察でどんな事を言われるかわからないので取り合えず本日のコラムです。リピーターの皆さんご理解下さい。)

・・と書いたのですが、うつ伏せでコラムを打つのは問題ないと言われたので、追加で書きます。

7時30分に朝食が来て完食。8時過ぎに昨日と同じように若い女医さんが迎えに来て下さり診察を。「手術の結果は問題ありません。」と言われ、しばらく診察室の前の廊下で待っていると、またまた若い先生の診察。ここでも「問題ありません。」と言われて一旦部屋に帰ろうとすると、9時30分に主治医の診察があると言われていたのですが、診察室に既におみえになっていて、本日3人目の診察。主治医の先生なので、「シャワーは駄目か」と「コラムを打つのは大丈夫か」の2つを質問しました。先生からは「シャワーは明日からにしましょう。」と言われたので「昨日同様蒸しタオルを頂いて清拭します。」と答え、二つ目の答えは「うつむいて打たれるわけだから大丈夫です。」と言われたので、追加の原稿を打っている次第です。昼食後は(完食です。)うつ伏せを頑張れば頑張る程、想定外のトラブルがない限りは早くに退院出来るとの事なのでうつ伏せを頑張ります。

昨日16時からは検査と診察ばかりでした

 

令和3年1月5日

(1月5日に打てないといけないので4日の夜に打ってます。)昨日16時からは眼科外来で、しっかり検査をしてから、一旦部屋に戻り、しばらくすると眼科病棟での診察に行く事になり、今度は病棟の看護師さんが連れていって下さり(帰りは自分で帰りました。どうや、偉いやろう・・・。)先ずは12月9日に診て頂いた先生、その後若い女性の先生、最後に本日(ややこしい表現ですみません。)手術の執刀をして頂く先生の順に診て頂きました。

執刀して頂く先生は網膜剥離でお世話になった先生でそう言う意味では安心していますが正直不安も一杯です。それに、手術後は前回同様うつ伏せでいなければいけない事も教えて頂き余計に憂鬱になりました。とにかく、10時30分予定の手術が終了して、続きがかけなければリピーターの皆さん本日はここまでで勘弁して下さい。(しっかり眠れました。6時の点眼が6時40分になるくらいに。)

入院は意外に忙しい。特に今日は10時30分から手術が予定されているから。今(午前955分)までに、看護師さんのバイタルがあり、手術前の診察に7時10分に先生自らが迎えに来て下さり手術前の診察があり、看護師さんのバイタル。8時までに朝食。9時からは10毎の点眼。予定より早い10時に手術室への迎えが。リピーターの皆さん後は明日に報告します。

 

いよいよ入院です

令和3年1月4日

11月29日の運転中に電柱を見て『くの字』の逆にぐにゃりと曲がる違和感を覚え少し不安になりながらも、その日は日曜日て午前中は面接があり午後は家族会主催の誕生会と本館のお参りがあり、日曜日てかかりつけ医の診療がないので病院へ行くのは諦めながらも多分私が見にくそうにしていたのを職員が気にしてくれてインターネットで日曜日でも診療している病院を見つけてくれて、診療時間が迫っていて私がぐずぐずしていたのですが車を準備してくれたので診療時間受付をぎりぎり間に合い、色々な検査をして貰うと医師から「左目に小さな穴があります。なるべく早くかかりつけ医に診て貰った方がいいですよ」との診察結果に驚いて、翌日(1月30日)の日程には午前中、和合の施設で全体会と面接があり、午後からは老施協事務局の打ち合わせと岐阜県高齢者安心策定計画の大切な会議が入っており絶対に予約を入れれないのでその翌日の12月1日は新規事業の『建方』が朝イチであり10時30分からの予約は理想的とお願いして新規事業の儀式を終えて病院に行くと『黄班円孔』との診断で、診て頂いた先生が所属されている名古屋市立大学病院での受診をしての手術を進められ、12月9日に予約となり長男の運転で診て貰う事になり、診て貰った結果本日の入院で明日の手術となったわけです。

手術日が決まっていたのですが何とか運転が出来たので運転していたのですが、12月8日に18時から岐阜県庁4階大会議室で緊急コロナ対策会議があり、自分の運転で行ってめっちゃ恐い思いをしたので翌日は名古屋市立大病院の予約日であり、それ以降は運転をしない日々です。自分で運転しないと言う事は非常に不便な日常になると実感すると共に私が盲養護老人ホームを新規事業で取り組むのは必然があったのだと感じています。「手術をして頂いたら必ず良くなる。」とは信じていますが正直今は不安で一杯です。まだまた、私がやるべき事、やりきらなければいけないことはたくさんあると考えています。しかしながら、『万が一』と考えると正直なところ・・・。

但し、今日の入院時の対応は長男が迎えに来てくれて全て対応してくれるので安心なのですが、入院受け入れは14時なので12時の迎えにして、今(午前8時55分)は水野相談員の運転で岐阜県庁への年始の挨拶に向かっています。岐阜県庁の後も垂井町役場、関ヶ原町役場にも行き、新規事業の建設も今日から再開されるので様子を見に行きたいと考えています。(病室で落ち着いたので改めてコラムを書きます。)長男に12時前に迎えに来て貰い荷物を積み出発。養老サービスエリアで昼食をとり13時30分に病院に着き長男に大きな荷物二個を抱えて貰い17階までエレベーターで行くと(個室を希望したら特別室のフロアになってしまいました。)受け付けにはコンジェルジュと言われる女性の方が二人もおみえになり全く親切に受け付けをして頂き荷物も台車に載せて部屋まで運んで下さいました。部屋に入ってからは長男に手伝って貰い荷物の整理をしました。

食べるものも着替えもたくさんあり、取り合えず片付いたので、長男は帰って貰いしばらくすると担当の看護師さんがみえて経過を話させて貰って、看護師さんが部屋を出られたと思ったら眼科の診察に呼ばれ「一人で行けますか。」と言われたので自信を持って「行けません」と言うと、受け付けをして下さったコンジェルスの方が眼科まで連れて行ってくださり、尚且つお迎えにまで来て下さる親切さ。この後はどんな風になるのかわかりませんし、ひょっとするとコラムの中断も有り得るのかも知れませんが、書ける状態であれば頑張りますのでリピーターの皆さん無事に目がよくなって再び頑張っていけるように祈っていて下さい。

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