今、19時56分だけどとにかく眠い

令和3年2月12日

朝から時間を無駄にしたわけでもないのにコラムが未だかけて無い。だけど何故だかとにかく眠い。どうしてこんなに眠いのかを考えて思いあたったのは、昨夜看取り対応があり一旦は家に帰りお風呂と夕食を済ませ、十中八九看取りの為に連絡があるから寝れる時に寝ようと8時に布団に横になり、ようやく眠りに入ったと思ったら施設から連絡。8時45分には施設に着きお医者さんの対応や家族の対応をして、職員が湯灌をしている間は事務所の電話番をして、湯灌終了後はご自宅までお送りして施設経由で家に帰ったのが23時で、手洗いとうがいのみをしてパジャマに着替えて眠りに着こうとしたのですが、目が冴えてなかなか眠れず「20年程前だったら直ぐに眠れたのに」。

何とか眠りに着きいつものように朝起きて朝食を頂き、自分が本日すべき事の確認をして施設に着いてからは昨夜の確認をしたり、新規事業の打ち合わせをして、新規事業の定例会(本来は毎回木曜日なのですが祭日だったので金曜日になりました。)が10時からあり、終了後は垂井町役場に行き高齢福祉課長さんに色々なお願いをして、その後昼食を食べ(四川の味噌煮込みうどん)安八町さんと関ヶ原町さんに現在措置入居されている方の引き継ぎの為の話し合いをさせて頂き、その後17時からの面接を終えると思考能力が全く機能しないので家に帰りゆっくりお風呂に入り夕食を食べながら子どものようにうつらうつら・・・。

何とか歯を磨いて自分の布団に横になってコラムを書こうとしてもかけませーん。何分か目をつぶり少し目が冴えて少し書いてまたまた目をつぶり・・・。こんな毎日に幸せを感じながらも「正直キツい」。でも、今日も新規施設の見学を安八町さん、関ヶ原町さんとして、午前中の会議で理事長発言として竣工式は5月16日と宣言したのですが(大安で私の誕生日でもあります。)完成してお披露目が出来た時の充実感を考えるとわくわくしてきますから、毎日が大変でも頑張りますので、リピーターの皆さんも応援宜しくお願いします。

おいおい。『ていじさん』ええ加減にせいよ と言う話

『ていじさん』とは『昭和男唄』でカラオケ大賞新人賞をとった山崎ていじさんの事です。『夜汽車』の新曲を出した時には大垣フォーラムホテルで250人を集めて(ちなみに一人2万2千円のチケットでした。)ディナーショーを企画して成功させた方ですが、先月新曲を出したのですがそのタイトルが『酔わせて候(そうろう)』と言う事で私も早速CDを購入して聞いてびっくりです。何故なら、曲の最初と最後の盛り上がりの箇所に『飲んで乾杯、飲ませて返杯。のれん降ろして、酔わせて候(そうろう)』とあるのです。「ていじええ加減にしーやー」だってこのコロナ禍で『のれん降ろして酔わせて候』とはどう言うこっちゃ。日本中「自粛をしなさい。」とか「お酒の提供は午後8時まで」とか言っているご時世にのれんを降ろしてから酔わせて飲ませるなんて何と言う不埒な話しじゃ。本当にやったら、世が世なら市中引き回しの上、獄門晒し首・・・。と言う話だぞ。しかし、よ~く考えてみると、このコロナを早く終息させて「徹底的に飲んで楽しみたい」と言う、切なる思いがあるとするとこの歌は奥が深い。何故ならコロナを終息させる為には全世界の人々が自粛をして、全世界の科学力とノウハウを結集させていかなければいけないわけで、終息後に全世界の人々がコロナに怯える事なく自由に往来が出来るようになり、「とことん飲んで楽しむぞ」との願いが込められている、コロナ終息を願った応援歌だとするとメッチャ先をみた素晴らしい唄だと言う事になるかな。しかしこの考え方は私の切なる思いだとも言えるかな。日常の生活も一変してコロナになる前は家族の方に出来るだけ来て頂き、ボランティアの積極的な導入や地域の方に施設には決して敷居はありませんからどんどん来て下さい。本格的なコーヒーも一杯150円で飲んで頂けますよ。と言っていたのが真逆な事を言わなければいけないのが口惜しいです。例えば、「コミュニケーションをしっかりとり信頼を得る為に顔を見てしっかりと」が「出来るだけ小さな声で耳元で」何てやっとれんはい。「お酒を酌み交わしながら飲みにケーションを」についても「不要不急に努めましょう。」ではなかなか連携をとるのは難しい。えーい。ここまで言ったから言わせて貰う。介護の仕事をどうやってリモートでするのか教えて欲しい。東京への出張は丸々一年無しで、リモートの会議は度々していますが、正直リモートでは伝わらないものもあります。とにかくリピーターの皆さん。早くに『酔わせて候』を歌っても大丈夫になるようにお互いに祈りましょう。

今、私が頑張れるのは・・・『①』

令和3年2月10日

生まれつき虚弱だった私が今も元気に飛び回っていられるのは、当然ながら父進さん母秋江さんの愛情たっぷりのお陰ですし、その他にも私にとってラッキーな事があったお陰だと思っていますが、体力的にもラッキーがあったように、精神を鍛えるラッキーも一杯あったので、その事について、スポット的に且つ断続的に書いていく今回が第1回と言う事で書かせて頂きます。(かつてのコラムでも書いた事も出てくるかと思いますがご容赦下さい。)

大学を卒業し(5年かかりましたが)父の計らいで教員になった私が神戸北小学校4年3組を担任させて貰っていた6月に校内研修授業で最悪な授業(自分で言うのですから間違いないです。)をして、当時の若原校長先生以下全員の先生から酷評され、しばらくの間は立ち直れない状況だったのですが、「私自身、教員の仕事を安易に考えていた。」と総括して、「板書が上手く出来ないのであれば事前にビー紙にマジックで書いて授業に臨めば少しは余裕のあるものになるのでは。」とか、「事前に子ども達が質問しやすい問いかけを仕込む」とか「授業のイメージを考えて挑む」と言う事を考えて挑むことにしました。

その後は当たり前の事ですが『一生懸命に頑張りました。』そして、10月に当時の西濃教育事務所の教育指導の先生に授業を見て頂く機会を得た時には自分として合格点をつけるまでに成長させて頂きました。しかしながら、「自分のスタンスでは他の先生方にも迷惑をかけてしまう。」との結論に至りその年度の終了である3月31日で退職しました。(多分その頃の私はひ弱で神経質な人間だったと思います。)そんな私を覚醒させてくれたのは退職して旧徳山村で半年のモラトリアムのような時間を頂いた後、児童養護施設に入職して、厳しい指導をして下さる経営者に恵まれ(その時はそのようには思っていませんでしたが・・・。)色々な経験を積ませて頂き育てて頂いたと思っています。

但し、今考えてみるに、色んな経験をしないできた分、大変な事なのに「そんなもんかな」と考えてやってしまう事が出来たのが良かったのではないか」と思っています。回りくどい言い方をしましたが「何も知らないボンボンだったから『厳しい事』と言う認識を持たずにやり切れたのではないかと思います。児童養護施設での13年間(26歳から38歳)は「この子を良い方向に持って行くにはどうしたら良いのか」を考えてがむしゃらに展開していった事は結局私の精神状態の幅を大きくする結果になったとも思います。リピーターの皆さん。具体的な出会いについては次回以降に頑張って書きますので私の稀有な生き方お付き合いにお付き合い下さい。

今須は「ええ何処でんな~」

令和3年2月9日

朝一に寝室から外を見ると「おいおい一面真っ白ではあ~りませんか。寒いとは思いましたが流石に今須。」と思いました。」その後、施設へ向かう時にはカッカと雪が降って来て田圃も一面真っ白。車に乗ると3℃以下になったら警報音が鳴るシステムが鳴って「流石に今須は寒いでござる。」そんな事を思いながら昨日と同様に8時45分に施設を出発し新規事業の建設をしている隣地にある養護老人ホームに行き、(施設を出発した時には吹雪でしたが関ケ原駅前までくると晴れてきました。)9時30分から海津市さんとの話し合いをさせて頂くのに時間に余裕を持って行ったはずなのですが(9時15分着)、海津市は距離がある為だと思いますが既におみえになっていたので、昨日案内して頂いた部屋に急ぎご挨拶をさせて頂き早速話し合いを持ちました。

1時間近く話をしていると10時30分からの養老町さんがおみえになったと言う事で、新規事業の建設状況をご一緒に見学して頂きました。(毎日のように新築現場を歩かせて頂けるのは直線廊下部分が100メートルを含め健康に良くて有難いです。)養老町さんの話し合いが終了してお見送りをして車に乗ったのが12時過ぎで新規事業で委託契約する業者との話し合いが13時からだったので昼食の準備を頼んだりして今須に入るとまたまた雪がちらついてきてまたまた「流石今須」。

昼食を急いで頂いていると13時からのお約束の方が見えているとの事でまたまた急ぎ会議室へ(業者の方は立って私を待ってみえる事が分かっていたので)14時45分に話し合いが済み大垣共立銀行垂井支店で支店長さんとの打ち合わせがあったので再び垂井に向け車を走らせるとまたまた雪が舞っていて「流石に今須」。打ち合わせが終わり銀行をでた時には陽が射していたのに、再び今須の坂を登る時にはまたま雪が・・・。と言う事は結局施設の所は一日中雪が降ったり舞ったりしていたと言う事で、『住めば都』とは言いますが・・・。

この雪が暑い夏に降ってくれれば一大観光地になるのですが、そうならないから『過疎化と人口減』と言う事何だと思います。いやいや、素晴らしい発想で幸せの地になる妙案がリピーターの皆さん、あれば教えて下さい。

養護老人ホームの入居者さんの引き継ぎが始まりました

令和3年2月8日

盲養護老人ホームの建物については今冬の低温(5℃以下)の影響で、実質1ヶ月は遅れ3月末で解散する事務組合から杉和会が引き継ぐ為、本日の垂井町さんとの入居者さんの引き継ぎを皮切りに海津市、養老町、安八町、関ヶ原町の方が措置されていると言う事で話し合いを順次させて頂くのですが、皮切りの打ち合わせが9時30分と言う事で8時40分に本部施設を職員と共に出掛け9時10分と早くに清風園に着いたのですが、垂井町役場から来て頂く課長さんや係長さんをお待たせするのは絶対にいけない事なので早く着けて良かったと思うし、ましてや明日は海津市と遠い所から来て頂くので、明日も早くに出掛けたいと考えています。本日の話し合いは、垂井町さんが措置された方の状態を教えて頂く事から始まり結果的には2名の内1名は現在病院に入院されていて退院後は特養の入居が妥当と言う事で、本部施設でお受け出来る対応をしていく事になりもう一人の方の情報をしっかり聞く事が出来ました。そんな話をしている時に何となく硝子窓越しに外を見ると入居者さんが結構な早さで歩かれている姿を見て「流石に養護老人ホームの入居者さんは特養と違ってお元気だ」と思うと同時に「何をしてさしあげたらより元気に過ごして頂けるのかの手立てを考えなければいけない。」と思いました。その後施設を約2ヶ月間お借りしなければいけない事とか措置費の利用料等の話をして、1段落した所で新規建物の見学に移動する事にしました。隣地ですので直ぐに移動出来るのですが携帯で監督に連絡するとヘルメットを準備して、監督さんと助監督(女性の方です。)が事務所前で待ってくれていました。私は監督に案内して貰う時にいつも感心する事があります。それは、先頭を歩かれて見学者が歩き易いように物をどけながら進まれるのです。但し本日は先を歩かれる監督さんが整理しようとされる前に助監督さんが活躍されていた事です。上司がされる前にするのは当たり前とリピーターの皆さん思ったら大間違いのこんこんちきですよ。何故ならば今時の若者の中には上司がしていても何も気付かない方が多いのですから。つまり、当たり前が当たり前でなくなってるんです。男性女性は関係なく『自分自分している』方が増えていると思う私はすでに古い人間何でしょうか。見学を終えて役場の課長さん係長さんをお見送りしてから施設に戻り、本日13時30分からの理事会の資料に目を通し昼食を頂き、理事会での会議は新規事業も含めての話し合いを持ち、無事に終了し、その後業者対応を2件して、本日すべき事として、本来コラムもして帰りたかったのですが家に帰りお風呂と夕食を終えて今(20時54分)ようやくコラム記事も書けました。目がつぶってしまいそうなので寝ます。

いの一番に盲養護老人ホームへの求人に来た方の話です

12月1日の建て方の新聞記事が岐阜新聞に大きく掲載されたのを見て、いの一番に職員募集にエントリーして下さった方に改めて意志確認と今後の日程確認の為に本日本部施設に来て頂きました。この方とのお話をすればするほど「盲養護老人ホームが出来たら絶対に関わりたい」との気持ちがひしひしと伝わってきて、私自身は「このような人材と巡り会えた事に感謝」と思っています。

この方のお身内に視覚障害者の方がおみえになり、3年程前に視覚障害者福祉協会前会長の(残念ながら昨年盲養護老人ホームを見る事なくご逝去されました。)清水会長から「近い将来西濃地区に盲養護老人ホームが計画されているとの話を聞き、その会場にいた方々から凄い拍手と歓声が挙がり、私は施設が出来たら関わりたい。」と考えていました。との話を面接が終わり玄関先で開所後に施設長に予定している吉澤が話を聞いたとの報告に私は3年程前に東京青梅にある盲養護老人ホームに施設見学に行かせて頂きその当時の本間事長さんにお会いしてから懇意にして頂き、盲養護老人ホームの全国大会にご招待して頂き、開会式で本間理事長から「岐阜県で盲養護老人ホームを計画されている若山さんも来て頂いています。」と来賓で秋筱宮殿下ご夫妻、加藤厚生労働大臣(当時)斎藤全社協会長さんらの前で紹介してもらった話をして、今回の計画は大変な事ではあるが注目度が凄いものなので頑張ってやり遂げなければいけない。」と話をしました。

新聞折り込みやホームページの効果があった事により、面接希望者の方が今時にしてはたくさんエントリーして頂いていることからも期待度の大きさを痛切に感じています。もちろん施設が完成するのも意義深いものがありますが、開設後の展開を円滑にするかとが肝要だと考えていますので、リピーターの皆さん『杉和会』と検索すると出てきますのでホームページを是非開いて頂きこれからの展開も興味深く見て頂けると嬉しいです。

申し訳無いことに本部施設で疥癬を出してしまいました

ショートステイで明らかに疥癬だとわかっている利用者さんを家族介護が難しく疥癬では病院に入院をさせてくれる所等ないと言う事で本館開設2年目で疥癬をだし、その時の経験を生かしてひろげる事なく治癒させるノウハウがあると思いお受けして、その利用者さんは治癒に向かっているのですが、他の入居者さんに疥癬を出してしまう結果が判明して正直、責任の重さと体制上の不備の現状に夜も眠れず血圧が高い状況が続いています。そして、本日は責任を感じて一生懸命に居室の清掃をしてくれている二人の部長を事務所に呼び「清掃をしてくれている事は承知しているが、体制上の問題や職員の考え方と意識を変えていかないと恒久的なものにはならない。抜本的な見直しと意識改革をしていかなけれは、同じことの繰り返しになり、施設の資質向上にもならない。」と話をして、清掃を委託している会社の社長さんにも来て頂き、全館の現状を見て回りその結果を基に今後の体制での短期対応と長期的対応について話し合い、職員の意識を変えていく為の計画について検討しました。今までの私であれば今回のような問題が起きた時は私が阿修羅のようになりふり構わず機関銃のように話をして即行動に移して実施してきたのですが、今回は短期的には清掃業者に委ねると共に職員が意識をして行うべきものについて私自身理事長としての不充分性もさらけ出し方向性を決めていきました。正直このやり方が良いのかどうかはわかりませんが寝ずに考えた結果なので職員の意識変革を信じて実施していきます。疥癬を出したのは誰の責任だと犯人探しをするものではなく、一人ひとりが清潔に心がけ、それぞれの立場で出来る事をしていく事が肝要だと思っています。改善策の結果が出るには短くて2週間、長くは永久的だと思いますのでしんどい話ですが、全職員が統一性を持って頑張らなければ上手くいかないので結束を高めてしっかりしていきたいと思いますので、リピーターの皆さん客観的にしっかり見ていて下さい。

手術をして丁度1カ月が経ちました

令和3年2月5日

1月4日に名古屋市立大学病院に左目の黄斑円孔の手術をする為に入院をして、翌日の5日に手術をして貰って早や1カ月経ちました。コロナ感染症対策の一貫で手術日に家族もいなくて、看護師さんに車椅子を押して貰って手術室へ。手術前の先生の説明では「約30分程度」と言う事だったのですが、実際には長~い時間がかかった様に感じたのです。『感じ』ではなくて、実際に1時間30分かかったのです。時間がかかった理由は「手術の中でなったのか、元々あったのかは分からないが剝離している所が見つかり、その治療に時間がかかった。」との事でした。「30分程度」と聞いていたので手術中は「もう終わるか」と言う事と「頭を置いている後ろの所が痛い」の2つの事ばかり考えていました。(少しでも頭を動かすと「危ないから動かないで」の厳しい声を何度も聞きました。

無謀にも入院する前日にもお酒を飲んだので私の奥様かをり様から「麻酔が効かないかもしれんよ」と脅されていたのですが、取り敢えず麻酔は効いた様で無事に終わったのですが、手術をした左目は眼帯をしているし、右目は5年前に網膜剝離の手術をして元々見にくいし、手術後はうつむきでいなければいけないので、手術前にコラムを書いていてクリアしておいたので今でもコラムの更新記録は継続しています。手術してから1カ月が経過して徐々に視力も回復して、一昨日(2月3日)から車の運転も出来るようになり、本日はこの後(今は16時です)18時に大垣で会議があるのでゆっくりと運転して行く予定ですが、昨年12月8日に怖い思いで家まで帰ってきた時よりは大丈夫だと思っていますが、考えてみたら家と施設の往復以外は運転してないのでかなり無謀な事なのかも知れませんが、高野山の静慈圓先生の「若山さんはお大師さんがついているから」と言われた事を信じて行動する事にします。

この信念は何処から来ているのかと言うと、何かをしようとしてもしてはいけない時は『障りがあるから』と言われた事を信じて行動しているからです。30歳と10日で結婚したのですが結婚する前の半年間に2回も正面衝突事故をしても、大学時代に2回も腸閉塞の手術をした時も無事に乗り越えていまがあり、67歳の今も忙しく毎日を過ごさせて頂けるのもリピーターの皆さん、奇跡の様ですが『生きる使命があるから』と思っていますのでこれからも頑張っていきますので宜しくお願いします。取り敢えず大垣から無事に帰り明日も頑張れるように祈って頂ければ有難いです。

新規事業の中間検査がありました

令和3年2月4日

気温が5℃以下の時には生コンが打てず工期がほぼ1カ月遅れた事を受け、垂井町さんに清風園をお借りしての運営からスタートする事の了解を得て、その言質を得てから岐阜県に新規施設の開設が4月1日よりもずれ込むことの了解を得た事を本日10時からの週1回の打ち合わせで報告しました。12月1日からの建て方は凄まじい勢いと緻密な計画で今を迎えているのですが、いかんせん温度が低いのは誰の責任でもないので、状況が変わっていく事に対しては粛々とこなしていかなければと思っています。

午前中の打ち合わせの後13時30分からは、岐阜県高齢福祉課の補助金担当の職員2人が来て下さるので打ち合わせを兼ねて昼食を近くのお店で食べて、再び現場事務所に戻り県の担当者を外で待つ事にしたのですが、風が強くて冷たいので部屋の窓越しに待っていて、県の担当者の方の車が入って来るのを確認して急いで階段を降り、車の誘導をしてから部屋にご案内しました。県の担当係長さんにご挨拶をして頂いて2手に分かれて書類を見て頂き、書類の確認の後は現場の状況を見て頂きました。3棟の現場はそれぞれに作業が効率よく行われていて大きな音が響き合っていました。

作業現場を回っていて痛切に感じたのはどの現場も作業効率が上がる様に整理されたなかで作業が行われていて、会う方会う方が忙しい中でも挨拶をして頂けるのは立派だと思いました。A棟南側は見晴らしが良くなっていてご案内させて貰っていた係長さんから「素晴らしい景観ですね。」とお褒めの言葉を頂きました。現場の案内が終わり、再び事務所に戻り係長さんから「書類等についての指摘事項はありませんが、清風園でのスタートになりますので、申請書類等は2度手間になりますが適宜早めに提出して下さい。」と言われ中間検査は無事に終わりました。

施設に戻ると有難い事に新規施設の職員面接依頼が複数きて、「なかなか人材が集まらない中での多くのエントリーに感謝です。」この現象は地道な広報活動と岐阜県初の盲養護老人ホームに対する期待感からだと思うと改めて身が引き締まる思いです。明日は午前中に垂井町シルバー人材センターにご挨拶に行く予定ですし、現在清風園に措置をしている市町の方に対する説明もしていかなければいけないし、実際の運営が始まってからの処遇についても考えていかなければならないし・・・。とにかく効率よくやり切っていかなければいけないのでこの点についても身が引き締まる思いです。但しリピーターの皆さん思いませんか。こんな毎日なのに痩せないのです。目の手術こそしましたが食欲も落ちないし元気何です。だから、元気に頑張れる事に感謝して益々頑張りますのでこれからもよろしくお願いします。

久しぶりに車の運転をしました

令和3年2月3日

12月8日に18時から岐阜県庁でコロナ対策の緊急会議に運転して行き あまりに見づらい状況に怖い思いをして、ゆっくりゆっくり運転して県庁への信号で右折するのに、右折の矢印が出ているのに見えなくて(矢印が消えてしまうのです)後ろの車に思いっきりクラクションをならされ慌てて曲がって怖かったので、会議が終わり帰りの運転はゆっくり運転して(軽自動車にもバカにされながらの運転でした)何とか我が家にたどり着いたのですが、翌日からの運転が怖くてハンドルを握る事なく、家への迎えは勿論の事、何処かに出掛けるときも誰かに運転してもらう日々が続いたのですが、昨日名古屋市立大学病院から地元の病院に週1回来てみえる先生の受診をして運転する事の確認が取れたので、本当に久しぶりに私の車の運転をして施設まで行きました。

但し、本日は名古屋市立大学病院へ保険の関係で書類の依頼をしに行かなければいけなくて(コロナ禍であっても直接でないといけないとの事)水野相談員に私の車を運転して貰い行きました。病院の駐車場から玄関に向かいながら大きな駐車場なので駐車場の目印『E』を覚えて玄関を入って行こうとすると、誘導している方から「入口はあちらです」と指示を受け、改めて入って行くと「手指消毒をして下さい。」と言われ素直に手指消毒をしてから進んで行くと「自動検温測定器の前に立って下さい。」と言われこれまた素直に従いようやく総合受付にたどり着き「書類のお願いに来たのですが」と言うと「あちらの1番の所で受付して下さい。」と言われ、これまた素直に従い(当たり前か)1番の所に行くと2人の方が受付をされていてその後ろに椅子が設置されていて3人座ってみえ、受付のカウンターに整理券をとるようになっていて、3番目に呼ばれて椅子に腰かけて話をしていて、書類が出来たら取りにくるシステムだとの説明に「今日は関ケ原から車を運転して貰って来ましたが郵送の便宜をして頂けませんか」と言うと

「この封筒に住所を書いて地下1階のコンビニにいって404円分の切手を購入してここに戻って来て下さい。」と言われたので「地下に行くにはどうしたらいいですか」と聞くと「現金支払機の向こう側にエスカレーターがありますので」と言われたので「現金支払機はどこにありますか」と再び聞こうと思ったら既に次の方の対応をされていたので「はいはい自分で探します」と言う事で何とかエレベーターに乗り込み地下1階へ。

何とかコンビニを探し当て中に入ると支払い町のお客さんが一杯で。ここも素直に並んでいると「次のお客様」と呼ばれて「404円分の切手をお願いします。」と言うと店員さんが切手を持ってきて404円分を用意して突然後ろ向きになり、電子レンジの中の商品を袋に入れ出されたので私は一瞬慌ててしまいました。だって私は切手を買いに来ただけなので。すると、その品物は隣のお客さんのものだったのです。つまり、レンジの品物が温まる間に次のお客の対応をするとの対応だったのです。名古屋市立大学病院に行きが色々な事を学びました。

1つには当然の事のようにコロナ感染症対策については徹底されていると言う事。2つには、改めて『自分にとっての当たり前が相手にとっての当たり前ではない』と言う事。3つには、名古屋市立大学病院の売店では少しの時間も無駄に出来ないほど忙しいと言う事。4つには切手を提供するなどとの発想は持たれなくて、客側が出来る事はして貰う発想だと言う事です。(改めて当法人のシステムは利用者本位だと言う事)リピーターの皆さん。私が色々な事を思いついたりするのはいらんお節介なのでしょうか。どう思われますか。

 

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