朝の日課をこなしながら中1の時の事を何故か思い出してます
令和3年9月7日
中1の6月に不破郡中学体育大会を友達何人かで見に行く約束をして、多分親に内緒で行ったんだと思います。「部活動に行く」とか何とか言って夕方には帰れるから大丈夫と考えて行ったんだと思うのですが、何らかのトラブルがあり遅くなってしまい、我が家では母親秋江さんが大騒ぎをしたのだと思います。結局中体連の応援に行った事がわかり、その当時バスもなくなった時間で近所で仲良くしている方に車を出して貰い迎えに来て頂いたのです。
迎えに来て下さったおばさんが車の中で「お母ちゃんが心配していたのでしっかり謝らなあかんよ」と言われて家に着くなり母親秋江さんから怒られたのですが、多分母親の思考能力は心配が安堵感に変わり完璧におかしくなっていたんだと思うのです。(今だからそのように言えるのですがその当時は当然ながらそんな風には考えられなかったと思いますが)だから、心にもない言葉を言ったのだと思います。
その言葉とは「勝手に出掛ける子はご飯なんか食べんでもいい。」と言ったのです。私はなすすべもなく泣いていたと思うのですが、その時に私にとっての救世主となってくれたのが姉光子さんでした。光子さんは、それまで黙って側にいてくれていたのですが、母親秋江さんのこの言葉には凄い勢いで反発してくれたのです。
その言葉とは「宏が黙って出掛けたのは宏が絶対に悪い。その事は謝ったのに、ご飯なんか食べんでよいと言うのとは関係ない事と違うの」と毅然と言ってくれたのです。姉光子さんはその時18歳で高校を卒業して役場に勤めたばかりの頃です。今考えても凄く逞しい18歳の姉だったと思います。もし、あそこで姉光子さんの発言がなかったら母親秋江さんも父親進さんも落としどころのない状況に結果的に陥ってしまったのではないかと思います。
話を戻しますが私がどうして中体連の応援にバスや電車に乗って行けたのかと言うと学校へお金を持って行った事が発端なのです。と言うのも私は中学に入学して卓球部に入部したのですが、お古のラケットを貰って使っていたのですが自分的には手を握るいわゆるグリップの所が低くて気に入らなかったので友達が新しいのを購入したので譲っても良いと言われていたのでお小遣いを持って学校に行って、ここからの記憶は定かでないのですが何故かそのお金を交通費にしてでかけたのです。結局は「そんなに新しいラケットが欲しがったのなら気に入ったのを買いに連れて行ったる」と言う事でアマアマの結論なのですが、私にとっては滅茶苦茶有り難い存在の姉光子さんだったわけです。因みに本日姉春子さんにその当時の話を覚えているのかを聞いてみたのですが「全く記憶にない。」と言われて、改めて理解したのは、その頃の姉春子さんは私にとっては便りにならない、恐い恐い存在だった事を改めて理解しました。もちろん今はかけ換えのない弟思いの姉春子さんなんですが。
リピーターの皆さん。本日のコラムの私が言いたかった事を理解していただけましたか。



