コロナ禍に思うこと
感染症対策で最も大切な事は『自分の身を守る為に色々な事に留意する事』だと思います。勿論高齢者施設においては、マスクの着用や手洗いについてなかなか理解出来ない方もみえます。と言う事は職員が留意して入居者さんを守ると言う事も大切な事です。但し、1年以上も職員に対して厳しい事を強いている立場としては、早く終息する事を祈る以外にない。もっとも2度の予防接種も終了した今、科学的根拠に基づいて、規制を緩めていく方向を模索して実施していきたい。勿論、感染症対策については今まで通りしていくのは当然の事と考えています。
何日か前のコラムで弁護士連合会の『面会規制への提言』に対してでも書きましたが、目に見えないものへの対策については理屈だけでは難しい事もあり、尚且つ人類が経験した事がない事象の対応なので、単に結果論で気安く論ずる事が出来ないだけに、対応に苦慮しているのが現実です。今回のコロナ対策によって学習した事を活かしての展開にも努めていきたいとも考えています。
私も進化しています。
このコーナーでも書かせて頂きましたが、全国老人福祉施設協議会の平石会長からは『昭和おじさん』と揶揄されながら、(正確にはいじられながら)何とかメールでの対応やラインでの対応もご迷惑をかけない程度に出来るようになってくると、自分自身で出来る事の喜びと共に進化している自分にも喜びを感じています。今までの私は何かを伝える手段は電話や携帯を掛ける事での対応ばかりでした。(時にはショーメール)勿論、感情をむき出しでの会話は直接、面と向かっての激論も必要ですし、それが物理的に無理な場合は電話での手段でのものばかりでした。
しかしながら、グループラインを覚えた事によって一斉に意思表示が出来るのは今更ながら便利なツールだと感じています。そして何より、会議の中では固い事ばかりの会話しか成り立たないのが殆どですが(平石会長は時には私をいじって会議の雰囲気を和ましてみえますが・・・)ラインの中では楽しい会話も時には成立するので、副会長になって親しくなった役員さんであっても理解しやすいものを感じています。文章表現の仕方も色々で相手の方の事を理解し易いのも良い点だと思います。
昔から言われている言葉に『食べず嫌い』と言うのがありますが、私の文明の利器を活用するのに臆病なのは改めて困ったものだと思います。だって、私は何かを買ったりして手に入れたものの仕様書を読むことを忌み嫌っていますし、例えば折り紙で何かを作る時に図面を見て作ると言う事ができないのです。これも一種のLD(学習)障害なのでしょうか。リピーターの皆さん、こんな私をどの様に思われますか。
