5時50分からウォーキングマシンで歩いてます。

今朝も5時前に鳥の囀ずりと共に爽やかに目覚めました。(リピーターの方はお気付きかと思いますが昨日と同じ書き出しです。)

布団の中で瞑想するのも一考ですが(最近高尚な書き方に変化しているのではと自身で思っているのですが・・・。)久しぶりに歩こうと考えて6時前に着替えて、「外を歩くとなると多分長続きしないし、お経を唱えながらの方が大きな声でお経を唱えるので複式呼吸が出来るし父進さん、母秋江さん、姉光子さん、養母英子さんとの会話も楽しめるので、ウォーキングマシンでの歩きを復活するぞ』と言う事で5時50分に仏壇にろうそくと線香に火を点け時速3・9キロ(『サンキュー』の語呂会わせに気付いて頂けましたか)に設定して歩くと同時にお経の本を見ながらお経を最大限の声を張り上げて唱えました。

最初の5分は息が上がってしまいしんどかったのですが、不思議な事にその後は息が上がる事もなくお経とウォーキングを楽しむ事が出来ました。スタートして13分が経過した時に蝋燭の火が消えたので、一旦機械を止めて汗を拭い、コップ一杯の水を飲み、お風呂のスイッチを入れてから新しい蝋燭に火を点け再びお経とウォーキングを再開しました。不思議だったのは1本目の蝋燭は13分で消えたのに2本目は30分のタイマーセットが終了する直前まで点いていたので、30分のウォーキングをやりきる事が出来ました。

終了した後の達成感と共に汗びっしょりになったので、水を一杯飲んでから、お風呂に行きシャワーを浴びてからゆっくりと湯船に浸かりました。湯上がりのまま服を着ると風邪をひいてもいけないので(何と言っても私は『虚弱』ですから)改めてパジャマに着替えて布団に潜りこみ、7時30分に朝食コールで食卓に着き、朝食後に施設に行くと先月末まで今須小中学校の校長先生が男女二人の見知らぬ方をお連れしてみえたので、慌てて車を降りて玄関先に行くと男性の方が関ヶ原中学の校長先生で、女性の方が関ヶ原小学校の校長先生だと紹介して頂きそれぞれに名刺をお渡ししてご挨拶をさせて頂きました。3人の方をお見送りをして、改めて玄関先を見渡すと既に寸胴の準備がしてあり思わず「本日も味噌汁祭りだ」と理解して、味噌汁祭りは午後からなので、午前中に長浜の内藤仏壇で5月2日に盲養護老人ホーム和(なごみ)の仏壇搬入等の打ち合わせに行き、静慈圓先生の書を木に彫って頂いているのを見させて頂き素晴らしい出来具合に感動すると共に祈りについてのこだわりが形になっていてたのは最高に嬉しかったです。

12時前に施設に着き急いで昼食のカレーライスを食べ終えると、長浜に行っている間に吉田部長が沢山あった筍の他にもキャベツ、ネギ、油揚げ、大根を切っておいてくれたので、難なく薪に火を点けいよいよ味噌汁祭りが開始されました。本日は雨が激しくてギャラリーはゼロかと思っていたらデイサービスの利用者さんが来てくれて私のテンションは上がりました。デイサービスの利用者さんは14時45分から振る舞う事になっていて、14時30分に北島部長が鍋を持って来たので筍の味噌汁をよそいながら「デイサービスの利用者さんの感想を聞かせて」と言っておいたら律儀に報告に来た内容が「味しい」、「贅沢」、「ちょうど良い」との事で私はめちゃくちゃ舞い上がり「男の料理バンザーイ」と叫んでいました。(あいからわず、私の思考は単純なのであります。)

※まだまだ報告すべき事がいっぱいあるのですが、急激に気力喪失の為に明日に譲ります。

今朝も5時前に鳥の囀ずりと共に爽やかに目覚めました

 

令和3年4月3日

毎度毎度、夜は21時には猛烈な眠気に襲われ、5時前には目覚めて、最大限時間を有効に使いながらの展開が続いている事に感謝してます。考えてみたらしっかり7時間は睡眠が取れているのだし、67歳にして、この動きには『自分を誉めて・・・。』の域と言っても過言でないとも思います。昨夜は看取り対応があるかも知れないと、眠いのに無駄な抵抗も一切しなくて素直に寝たので気力充実で、今はメールでコラムを打ちながらも今後の展開について考えています。

朝、施設の駐車場に車を停めようとすると、北島部長と水野相談員が玄関先で寸胴 の中に筍を洗って入れる作業をしているのです。聞けば昨日北島部長がデイサービスの送迎を終えてから早出を終えた伊藤主任と二人で新規事業で購入した竹藪まで行って筍の2度目の収穫をしてきたとの事で、前回同様沢山の筍が寸胴の中に入っており、準備良く薪が燃えやすい様に積んであったので、お酒とお塩を用意して寸胴周りに手向けてから着火剤を木に付けてからライターで火を点け組んである薪の下に入れるとしばらくして勢い良く燃え上がりました。

どんどんと薪を『くべて』(もしかすると方言かも)いると、新館の入居者さんが風が強くて桜吹雪が舞っている中(なかなか良い表現だと自画自賛です。)筍を湯がいているところまで歩いて来て下さり、私のテンションも一気にヒートアップです。入居者さんが私の事を『おじさん』と言われるのにはやや違和感を持ちながら(せめて『お兄さん』と言って欲しい・・・)も、楽しい会話と笑顔を一杯頂きました。嬉しい展開に頂き物のバームクーヘンを1個づつ食べて頂いて、ますます盛り上がり(いやいや食べられている時は一旦静かになりました。)ました。

前回の湯がきでは、やや堅いのもあったとの事(私も沢山頂いたのですが、私は堅いとは思わなかったのは私の歯が丈夫く出来ているのかな)でしっかり頑張って時間をかけて湯がきましたので、明日の料理では美味しく頂いて貰えると思っています。今回の筍の湯がきで1つだけ気になったのは、今須農協(JAと言うべきですか)の精米場で米糠を頂いてくるのですが、前回の時は沢山あったので楽勝にビニール袋に入れる事が出来たのですが、今朝は底の方にあったのをかき集めて何とか確保出来たのです。と言う事は至るところに筍が出て米糠需要が増していると言う事か。

入居者さん利用者さんの喜ばれる姿を見たくて北島部長、水野相談員、伊藤主任、吉田部長が筍ほりや準備をしてくれているので、私も米糠の確保に知恵を使わなければいけないと思っているのですが、こんな私の事をリピーターの皆さんはどう思われてますかね・・・。

 

北島部長は本当に寝たのか

令和3年4月2日

宿直者の北島部長に20時50分に電話で「泣きながら何とかメールでコラムを送信するので宜しく」と連絡した瞬間に爆睡していて、21時に入居者さん利用者さんの就寝時のメールが入り朦朧としながら「厳しい状況の方が一人みえるけど、頑張って見守ってくれている。」と確認した瞬間にまたまた爆睡。そして着信歴21時29分に携帯がなり、私は多分寝ぼけていたのでしょう。

真夜中の午前2時過ぎだと勘違いして携帯に出ると宿直者である北島部長から「理事長、コラムの送信が来てないのですが」と言われて、私は午前2時過ぎだと思い込んでいるので「こんな時間まで仕事をして待っていたのか」と言うと「大丈夫です。」との珍しく冷静な対応に(私の前では私が何かを言うと正直にあたふたする北島なのですが)私も目がぱっちりと開き21時30分と理解して、「すまんすまん。直ぐに送信する。」と言って、慌てて送信すると、またまた直ぐに北島部長から『コラム送信ありがとうございました。アップしておきます。ゆっくりおやすみください。』とのメールに「流石」と思うと共にまたまた爆睡。そして、23時20分にメール送信がきたので、「施設にいかなあかんのか」と思いつつ内容を見ると、厳しい状態の入居者の経過報告。

私は「流石に北島は律儀な奴」と思いつつまたまた爆睡。そして、私はしっかり寝させて貰ったので5時前に目を覚まして、本日の予定について考えていると5時10分にまたまた宿直者の北島部長からメールで厳しい状況の入居者さんが昨夜よりは落ち着かれているとの報告に安堵すると共に北島部長のメールには『朝早くから申し訳ありません』との書き出しには感心してしまいます。そこで、私から施設に電話をして(この時間ですので、北島部長が出る事を見越して)「ちゃんと寝たか」と聞くと「大丈夫です。ちゃんと寝ました。」の会話に頼もしさを覚えた次第です。

爽やかな目覚めの中、本日はどんな1日になるのか。取り合えず本部施設に行き全国老施協平石会長の施設に書類を作成して速達書留を送り、その足で和(なごみ)の施設に行き10時からの施設建設の定例会議に出席をして、13時30分からは中日新聞の盲養護老人ホームの取材がある事までは決まっていますが、さてさてどんな1日になるか毎日良い事悪い事は別にして、わくわくの毎日に感謝です。10時からの定例会は建物もかなりのところまで出来てきたので、ナースコールの表示とか案内板をどのようにするかとのより具体的な話し合いをして、会議後の現場の確認は13時30分から中日新聞の取材があるので、その時にする事にして、昼食をとりに行き、13時30分からの取材は若干記者の方が遅れてみえたものの、今回の盲養護老人ホームへの思いや福祉への思いをしっかりと話しさせて頂きました。

記者の方は入社2年目の方で色々な視点から質問してくださったのでかなりの時間を話しさせて頂き、尚且つ「時間がない」と言われつつもしっかり、新規施設の見学もして頂きました。リピーターの皆さん今日取材に来て頂いた記者さんとはこれからも長くお付き合い出来ればと考えています。

朝5時30分から大車輪です

宿直者の谷田主任から「施設で手作りしているヨーグルトが上手く固まっていないので、代替えに紙パックのジュースを出して良いですか」との連絡が来た時には「早くに和(なごみ)の施設に行かなければ」と思いながら布団の中でモジモジしていたタイミングだったので、「えいやー」と起きて着替えをして、車のハンドルを握ると清々しい気分で出掛ける事が出来ました。早い時間帯だった為かスイスイと信号に捕まる事もなく行けたので誰よりも早く施設に着き一番乗り(6時10分)、先ずは外回りをじっくり見て回ると、多分しまい忘れたと思われる敷き布団が鉄棒に干してあるのを見つけて「本部施設ではあり得ないな」と思いながら車スペースをどうしたら良いかと考えながら歩いていると、和(なごみ)の施設長の吉澤が二番乗りで来たので玄関から一緒に入ろうとすると、入居者の方が掃き掃除を始められたのは驚きでした。その後は順次早出の職員が出勤して来たのでそれぞれに挨拶をしました。7時30分前には8人の入居者さんが次々と食堂に集まってみえたので一人ひとりにご挨拶をして、全員集まられたところで、先ずは吉澤施設長が挨拶をして、次に理事長である私がご挨拶をさせて頂くと改めて身が引き締まる思いでした。その後は吉澤施設長に職員に対する指示を出し、本部施設に戻る事にして、新規施設の現場事務所前で下請けの職人さんも全員集合のミーティングが行われていたのでしばらく様子を見ていると岐建の監督さんが飛んできてくれ、地元の高齢者の方がゲートボールに高じてみえたのでご挨拶をしていると、日勤帯の職員が次々にきたのでゲートボールをしていた方が車の誘導をしてくださり、思わず「ありがたいなあ」と思いました。その後、本部施設で打ち合わせをして、県社協において、老施協の事務局長の辞令を渡すために県福祉会館に出掛け、辞令を渡したあと県社協の常務さんと事務局長さんにお会いする事になり、事務局長さんのお顔を見てびっくり。と言うのはかつて県高齢福祉課長さんとしてお世話になった方だったからです。挨拶を終えてから岐阜県庁に移動して高齢福祉課長さんが異動により代わられていたので挨拶に行くと和合の建設でお世話になった方が係長として戻られていて、係長さんの方から声を掛けてくださりびっくりしました。その後、再び本部施設に戻り、午前中に垂井町さんの対応に違和感を持った事があり、電話連絡をして、副町長さんと話をさせて頂きました。その後、「和」(なごみ)に行き、明日の打ち合わせをして、本部施設に戻り1日の対応を終え今(20時46分)は目を擦りながらコラムを書いてます。長い1日でしたが、リピーターの皆さん。これからも、是は是、非は非で頑張りますのでこれからも宜しくお願いいたします。

ITO(今須地域おこし)協力会設立総会か開かれます

令和3年3月31日

遂に今須の小中学校が本日3月31日を持って閉校となってしまいました。閉校に伴う記念誌には、母秋江さんも長姉光子さんも次姉春子さんも勿論宏君の名前も卒業生名簿に名を連ねています。私の名前はもう一ヵ所PTA会長を2年連続でさせて頂いていたので載っていました。私が通っていた校舎は当の昔に建て替えられているので(当然です。だって中学校を卒業したのは52年前何ですから。)今の校舎を活用して何かが出来ないかと色んな意見が出ても形になるものはなかなか見つからないのが現実です。

インターネット情報で、『今須』について検索してみました。1602年中山道今須宿設置。(天領)。1804年には幕府領(大垣藩預かり)1889年7月1日に『町村制』が出来『今須村』となり1954年9月1日に『町村合併』により関ケ原町、玉村、今須村、岩手村(1部)が合併したとの事です。1954年に合併したと言う事は私が生まれた時には『今須村』だった事を改めて知る事が出来ました。私が生まれ育った『今須』は風光明媚なところだと自負してますし、本部施設がある南側の山の頂は滋賀県と岐阜県の境であると共に分水嶺があり、東に流れると伊勢湾に西に流れると大阪湾に流れる分岐点があり、私が施設を立ち上げた時の水に拘られる地域性には、当初は面食らいましたが、今となっては「確かに水が綺麗で冷たい水が流れてくるのは強みと言える」と思っています。

誰かが中心者とならなければ『地域おこし協力会』なるものの設立も叶わないし、ましてや継続していく事も難しいと思われますが、私が『関ケ原に老人ホームを設立する会』で活動している時に(25年前)絶大なる協力と行動力を発揮して頂いた吉田儀一さんが主体的に活動して下さっているので設立総会を本日迎える事が出来たと思っています。吉田儀一さんの郷土愛にはいつもいつも舌を巻く思いです。かつての全国老人福祉施設協議会中村博彦会長のように言うのであれば『労を惜しまず』を体一杯に漲らせながら頑張ってみえ、25年が経過した今でも当法人に於いて優・悠・邑家族会会長として関わって頂いています。

私も今須の為に微力ながら貢献できる事があればと考えていますが、昨日の江崎さんとの懇談会の話の中で旧上石津町時地区で水の綺麗さを活用して米のブランド力を高める活動をされているとの話がありましたが、今須の水も旧上石津町時に勝るとも劣らないのだから、『あきたこまち』の2番煎じ3番煎じと言われても良いものの評価を上げる努力をしていく事は大切だと思います。実際に当法人では本部施設も和合の施設も今須米を地元の農家から供給して貰っています。「もうダメ」と考えるのではなく、「まだ出来る事はいっぱいある」の考え方で行きたいと考えていますのでリピーターの皆さん。今須の再生にもご理解下さい。

 

4月1日から優・悠・邑 和(なごみ)を開設します

令和3年3月30日

予定ではまっ更な施設での新規開設の予定の盲養護老人ホーム優・悠・邑和(なごみ)が、今季の冬の寒さと雪の影響で生コン施工予定が三度延期になった事により、竣工式が5月16日(ちなみに宏君の誕生日。関係ない話でした。)で、新たな施設での事業開始は5月21日ですが、従来あった西濃清風園が3月31日をもって解散すると言う事が早々に行政の方で決まっていたため、解体前の施設をお借りしての事業開始になりました。つまり、今流行りの『ハイブリット方式』と言えば聞こえは良いのですが、実際には大変です。何故なら、例え2ヶ月弱のみとは言え電気、ガス、水道、電話を始め継続していく為にメンテナンス契約を色々継続しなければいけないし・・・。勿論保険もです・・・。

経費にも無駄は生じるし正直色々な面で大変なのですが、現在西濃清風園に入所されている8名の方々には何ら関係ない話なのでご迷惑をかけるわけにはいきませんので、色々と含む所はありますが、ぐっと歯をくいしばっての展開になりました。私の理事長としての展開は『思い』が先行してのものなので実にあぶなっかしいものなのですが、地域の方々のご理解ご協力と職員の頑張りにより今が有り、これからも走りながらの組織作りになり、しんどい思いをしたとしても、多くの方の笑顔をエネルギーにして、これからも叱咤激励で頑張ります。

本日は年明けの岐阜県知事選挙に残念ながら当選は叶いませんでしたが、素晴らしい逸材であることは間違いがない江崎さんが本部施設に来て頂けるので、5年先、10年先の岐阜県ねあるべき姿や『福祉』『介護』『措置制度』等々について、思いっきり語りたいと思っています。朝から落ち着かず玄関先をうろうろしていると、同席する事になっている、岐阜県選出の全国老施協役員の養護部会副委員長の林君と総務・組織委員会幹事の田中君が来たので、会議室で三人で話をしていると10時定刻前に江崎さんが会議室におみえになり、前自民党県連事務局次長の藤田さんが会議室に来られたので本部施設の水野副施設長を入れた6人で早速話し合いをする事になり、話のきっかけ作りの為に私が小さい頃虚弱児であった事や母秋江さんの奮闘ぶりを話をしていて、特に母秋江さんの遺言である『蒔かぬ種は生えぬ』についての話をしお得ると江崎さんから「虚弱だったとは信じられない」との突っ込みから始まったので和やかに尚且つ色んな話題について話をしました。

最後には私から「関ヶ原は人口の激減していて、関ヶ原古戦場記念館と言う立派な建物を建てて頂いたけれども戦略が無さすぎるので、立派な建物がいずれお荷物にならないかと心配だ」と話しすると江崎さんからも「5年先10年先の戦略がないと心配ですね」とばっさり。江崎さんについての話題を振る為に私は自分自身の経過を話ししました。簡単に述べると私は児童施設を辞した38歳から施設が出来た44歳までに6年かかったのだから、4年は経過してみたら短いものですから、次回の知事選まで頑張ってくださいと話をして、その後昼食をとって頂き、和(なごみ)と和合の施設にも行って貰いました。リピーターの皆さん。本日の会話については、後日機会があればご報告します。

本日も忙しくて事務所の私の椅子に腰かけれたのは今(18時45分)何ですけど

大垣共立銀行関ヶ原支店が開くのを待って、銀行の手続きをしていると、支店長さんから声を掛けられて竣工式典の打ち合わせや融資についての打ち合わせをしていて『予定は未定であり決定ではない』の状態になり「ますます時間が無くなり予定通りに進まない。でも、大切な打ち合わせだし手抜きをするわけにはいかない。」銀行に続いて郵便局に行き書留を速達で送り、施設に急ぎ帰ると10時5分前。色々お世話になっている会社の新社屋完成のお祝いを親しくしている方を迎えに行ってとの「約束の時間に間に合わないけどご免なさい。」と車の中で連絡して、少し遅れてですが新社屋の駐車場に着くと社長さん達が迎えて下さり、先ずはお祝いの品をお渡しして、その後社長さんの案内でこだわりの部屋を見せて貰うと私より二つ年下だった先代の社長は、「新社屋に入る事なく他界されたのでさぞや無念だったろう」と思うと共に平成15年からの長きに渡る思い出が走馬灯のように甦ってきました。午後に岐阜県庁に行く予定でいたのですが、書類は4月になってからにするようにとの連絡を貰ったので、すっぽりと時間が空いたので、岐阜老人ホームへベットを取りに行くのを31日から前倒しにする事になり、運搬用のトラックの手配が出来たので、急遽行く事になったので、ここでは、職員に運転と運搬を頼まなければいけないので、職員こそ『予定は未定・・・。』の状態にしてしまいました。頂きに行く所は高齢者施設ですから当然のようにエレベーターはありますから、3階から降ろすのも難なく出来ましたが、トラックに載せるのには一苦労も二苦労もしました。とは言え、私は指一本分位にしか役にたちませんでしたが。大きなトラックの運転を水野相談員に委ねましたので、大変だったと思いますが水野相談員以下3人の職員も頑張ってくれました。施設が狭い道路を通っていかなければいけなかったので、大きなトラックへの積み替えもあり、私は15時40分になった時点で職員に作業を委ねて、急ぎ本部施設に帰る事にしました。帰りの道が混んでいて、17時からのお約束をしているお客様を待たせるわけにはいかないと、神戸大野インターから高速に乗り17時5分前に施設に着くとお客様3名の内2人がおみえになっているとの事で、急いで会議室に行き一人を除いた方とお話をしていると若干遅れてみえた方を入れて話をしていると、16時のアポを17時30分にさせて頂いた社労士の先生がみえたので、3人のお客様を玄関で見送り社労士の先生との打ち合わせをしました。新規事業の話しもあり、表題の通り18時45分に椅子に腰掛けガラケーでコラムを打ち出しました。本来であれば我が家に帰ってコラムを打つところなのですが、大型トラックを返しに行った水野相談員の帰りを見届けてから帰る事にしたのっすが、トラックを返しに行った後も引き続きショート対応をしていたとの事で水野相談員を確認したのは19時30分で、水野相談員に声を掛けて、その後家に帰りお風呂に入りながらコラムを打ち、、今(20時48分)は夕食を頂きながらもうすぐコラムが打ち終わります。リピーターの皆さんこんな宏君を誉めたって・・・。但し読み直して思い違いをしている時間帯がありますが、とにかく忙しかったので許してチョ

本日『新規採用者の入職式及び辞令交付式』

午前10時からの予定でしたが、施設に来てから落ち着かなくて、あちこちと動き回り、「理事長として、職員に任せておけば良いのに、やっぱり私は多動的な人間だ。」と自重気味に思いつつも動き回る事がやめられない私なのであります。

IMG_3469

早い方は9時10分に着かれていて、「うんうん、気合い充分だ。」と思いつつ、「新規職員が施設内に入られる時に理事長である私がうろうろしているのは変だ」と言う事で事務所の椅子に腰かけて理事長としての挨拶を考えていると、定刻5分前に「全員が揃いました」との報告を受けて会場に行くと40人の新規採用者が整然と座っている中、所定の席に着くと、和合の事務長の進行で会が始まりました。

IMG_3470

先ずは和合の施設長が開会の挨拶をされ、それに引き続いて理事長の私から一人一人に辞令を手渡しました。紙切れ一枚。されど大切な一枚。それぞれに思いを持って貰って頂けたと思いました。辞令交付に引き続き理事長としての話をさせて頂いたのですが、その中で、24年前に本館施設を開設した時の思い、入所者がなかなか入居して頂けなくて苦労した話し、職員の頑張りにより、今回の入職者を入れて杉和会の職員は総勢180人になったこと等を話しさせて貰いました。

IMG_3477

私の話しに引き続き新人職員代表者の話し、先輩職員からの話し(先輩職員代表挨拶はネパールの職員にして貰ったのですが、ポイントを得た内容に舌を巻く思いでした。式典は本部施設副施設長の閉会の挨拶で終了して、集合写真と共に3施設別の写真を撮りました。

DSCF1006 DSCF1013 DSCF1021 DSCF1024 DSCF1025 DSCF1028

それで全て終了してから盲養護老人ホーム優・悠・邑  和(なごみ)の職員だけ残って貰い、4月1日からの新規施設の運営方法等について、先ずは理事長からの話しと吉澤施設長からの話をしました。『鉄は熱い内に打て』の諺に従った思いを伝えました。その後私はこの4月から顧問に就任して貰う現岐阜県社協の坂口事務局長との打ち合わせと和(なごみ)の事務長に就任して頂く乾さんと順次話をして、昼食後は13時30分から月一回の家族会主催の誕生会の為に13時過ぎに来ていただいた家族会会長の吉田さんと話をして、13時30分になり吉田会長と共に誕生日を迎えられた本館一階、本館二階、新館一階とお祝いの品を持って行き、それぞれの方にハッピーバースデイの歌を歌い誕生のお祝いをしました。

家族会の吉田会長を見送った後、昨日湯がいた筍の味噌汁(八丁味噌)を作る為、本館玄関先で昨日と同じ寸胴に薪をくべ火をたき『男の料理』よろしく大きな鍋で筍の味噌汁を作り16時前には出来上がったので、17時に帰られるデイサービスの利用者さんにおかわりが充分出来る位に鍋にいれ、続いて本館一階、本館二階、新館一階、新館二階とそれぞれの鍋にたっぷり入れて食べて頂く事が出来ました。昨夜は新規採用者の辞令を渡すことにワクワクしてしっかりと眠れなかったのと、火の番は意外と体力を消耗するのか、疲れてしまい、早く帰らせて貰い今の時間に(17時44分)コラムを打ち終えたのでリピーターの皆さん、私は本日早く寝て明日からもしっかり頑張りますので、その頑張りを見ていてください。

本日午前中は筍を湯がいて午後は当法人の評議員会です

令和3年3月27日

昨日、第一興商との新規施設のカラオケ購入の打ち合わせを終えて、(15時30分)3月28日に杉和会全体の辞令交付式を本部会議室で行うので、「少しは飾りをしたい 」と言うことで、垂井町にある園芸屋さんまで買いに行き、購入後に施設へ戻る車の中で施設からの連絡を受けました。「何事か」と緊張したのですが、内容は「新規施設の土地にいっぱいある筍を掘りに行っても良いですか」との内容にホッとしながら「気を付けて行ってきて。明日、朝イチで湯がくからその準備もしておいて」と返事をしました。私は施設に戻り、コラムをパソコンに入力しながら筍掘りの成果物を見てから帰る事にして待っていると、帰ってきたので、玄関先に行ってびっくり。びっくりの一つは北島部長が軽トラに乗っていた事。(つまり、いつもは乗用車での出勤なのに、軽トラに乗って来ているのは最初からそのつもりだったと言う事)二つには成果物の多さです。(50本はありました。)当施設の職員のあいからわずの行動には驚くと共に感謝です。しかも、四人で掘りに行ったとは・・・。

今朝施設に着くと、既にいつもの場所に寸胴や鍋が準備されていて、ご親切にも薪はきれいに寸胴の薪を入れるところにセットされていたので、お酒とお塩を火の神様に振るまい、施設に行く途中で農協に寄り米糠を頂いてきたのを鍋に入れてから着火剤を木に付けてライターで火を点けて積まれている薪が勢い良く燃え上がりました。

今日のフロアの職員のメンバーが良かった為か、風も無く暖かい日よりだった為か、新館からも本館からもデイサービスからも寸胴周りに沢山見学に来て下さったので、『密』への配慮をしながら楽しく写真を撮ったりおしゃべりを楽しみました。そんな時に私は「寒い方はこの大鍋に入って貰いますよ」等と軽口を叩きながら1時間30分程薪をくべ続けました。明日は午前中は新規採用者の辞令交付式なので、夕食で筍の味噌汁を食べて貰います。と言っていたら北島部長が猛反発。「夕食だとデイの利用者さんは食べて貰えないので、春子さんに来て貰って一品作って貰って良いですか。」との意見に対して私は「凄まじいデイの利用者さん思いだ。」と感動しました。

午後1時30分から杉和会の評議員会が開催され、令和3年度予算案および事業案等が承認され、3拠点になる体制の中での法人体制についても承認して頂けました。新規事業の映像等も見て頂いたので16時の予定いっぱいの時間がかかり、全ての方のお見送りをして、16時のお約束で来て頂いていた三城コンサルとの打ち合わせをしてから急いで明日の筍祭りの必要物品をゲンキーに買いに行き、明日の辞令交付式で渡す辞令書に理事長の印を押し、本日の業務を終えて今は(1831分)湯船に浸かりながらコラムを打ってます。

リピーターの皆さん。これだけ頑張って明日も頑張りますので熱燗一合は許されますよね。と、都合の良い考えでいるのですが「リピーターの皆さん、くどいようですが大丈夫ですよね。・・・。」

 

リモート会議も様になってきました

令和3年3月26日

本日10時から『令和2年度 第2回岐阜県福祉人材総合支援センター運営委員会』がリモート会議で行われたのですが、令和2年度はコロナ感染対策の一貫としてリモート会議が殆どであり、本日のメンバーはこの1年で多くの会議をリモートで行う事が多かったメンバーの集まりであったので、若干のトラブルはあったものの比較的順調に会議が行われました。私は昨年の3月以降少なくても月3回はリモートでの会議をこなしてきたので勿論、マイクの入り切りも含めてお陰様でベテランの域に達しています。特に私が所属している全国老人福祉施設協議会はコロナの影響を受ける前から経費の削減と効率化の一貫でリモート会議の準備に取り組んでいたので、どの組織よりも早くに取り組めたと思います。

リモート会議の最大の長所は『どこででもリモート会議の環境が整っていれば出来る。』と言う事。つまり、移動時間を全く計算する必要がないので、移動を伴う経費もみなくて良いのです。そのメリットを最大限に活用したのが、全国老人福祉施設協議会総務・組織委員会が作成した会員の入会促進パンフレットの制作です。例えば、私の場合、施設から岐阜羽島駅まで運転して駐車場に車を預け、新幹線で東京駅まで行き、本部事務所がある塩崎ビル(平河町)までタクシーで行くのですが、順調に行っても片道3時間。つまり往復6時間はかかります。(待ち時間を考えるともっとかかりますが)移動時間6時間をパンフレット作成に活用したとすると、一字一句までの検討が出来たと言う事です。

但し、リモート会議を充実したものにするには、しっかりと予習をしないと「事務局の案を聞いただけ」になってしまい、会議に参加した意味が無くなってしまいます。と言う事は事務局サイドからの情報を早く頂く事も大切になると言う事です。本日の会議では『福祉人材の確保』の為の情報交換と岐阜県の取り組みと方針を聞く会議だったのですが、人材発掘の為の色々な手立てをする為の意見を提案する場ではありましたが、『福祉・介護のイメージを高める』為の手立てこそ肝要だと改めて思った次第です。但し人材確保においては、事業所によっての温度差がある事は間違いないし、地域による状況も違うので何とも言えませんが、近い将来人材確保はより厳しくなると考えていますので、より良い方向性を示せるようにしていかなければと思っています。リピーターの皆さん。どこまで言っても「5年先10年先への配慮こそ大切だ。」と教えて頂いた中村博彦先生の教えを大切にしながらこれからも頑張っていきますので私の展開を見守っていて下さい。

 

1 178 179 180 181 182 183 184 185 186 319