朝の嵐・・・。

令和2年11月4日

朝食を頂き外出着に着替えている時に、本部施設の家族会の会長さんから怒ったような声で電話が入り「何かあったか」と内心ドキドキして会長さんの話を聞くと「今須の介護職員が飲酒運転をして逮捕されたと新聞に載っているが若山さんの施設の職員か」と決めつけたような一方的な話に名前を聞くと、当然のことながら当施設の職員ではないし聞けば地元の方だとはわかったのですが、『今須の介護職員』と書いてあれば、今須には介護事業を展開しているのは当施設だけだから大いなる勘違いをされても致し方ないか。しかしながら、新聞を見て慌てて連絡して頂けたのには感謝でしかありません。

家族会の会長さんは当法人の設立準備の頃には『設立準備後援会』の代表を務めて頂き、尚且つ設立認可が厳しかった時に岐阜県庁の議会棟の議長さんの応接室での話し合いにも同席して頂いたあいだ柄なので心から心配して頂いたのだと思うと『感謝』の二文字しか浮かんできません。しかしながら、訳の分からない『朝の嵐』は体に良くないですが、本当に当施設の事を考えて頂いていると思うと目頭が熱くなります。

「 冬が来たーーー! 」

本日、岐阜県自民党本部で友好団体連絡協議会が10時からあり、駐車場が遠くなると大変だと8時過ぎに家を出発する為に家を出るとどんより曇った空から冷たい雨が降ってきており、思わずぶるぶる振るいながら車に乗り、運転して行き大垣まで移動して行くと『青空』何です・・・。私は「天気が良くなって良かった。」と思ったのですが、会議が終わり本部施設に向かって走らせていく大垣が過ぎ、垂井に入ると曇ってきて、関ケ原に入るとまたまた冷たい雨が降っている状態で、私はつくづく実感しました。

「冬が来たーーー!。これが正しく関ケ原が関ケ原の所以か。」と・・・。昨年は全くと言って良い程に雪が降らなかったのですが、今年は殊の外夏が暑かっただけに寒さが身に染みる。肉がたくさん付いていても寒いものは寒いわい。昨年と違って冬の到来も早そうだからスタットレスの準備も早くしなければと考えています。冬の到来が訪れると私はいつも、小さい頃の『霜焼け』の事を思いだします。甘えん坊だった私は夜になり布団に入ると霜焼けがむずがゆいし痛くて「しくしく」と泣いていて母秋江さんを困らせて尚且つ母秋江さんの睡眠時間を減らしていたことについて今になって申し訳なく思つています。私は本日2編について書きましたが、私は本当に人に恵まれているとリピーターの皆さんも思われませんか。つまり、めっちゃ幸せな人生だと。思わず『合掌』です。

 

 

本日は祭日ですが新規事業は急ピッチで進んでいます

令和2年11月3日

本日は朝から快晴だったので垂井町梅谷地区での新規事業の進捗状況を確認に行ってきました。広い土地の至る所で重機が活動しているのを見ていて、改めて「大変な事業をしているんだ」と思いました。それぞれの場所でそれぞれの作業がされているのを眺めていると、目ざとく施主である私を見つけてくれた監督補助の役割を担っている今年度施行業者の新入社員として入社した女性が近寄って来て、(岐建さん初の女監督)「監督がいますから現場をご一緒にご案内します。」と現場事務所に戻り、監督と共に長靴とヘルメットを持って来てくれて現場のそれぞれの作業について説明して頂きました。

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既に基礎コンクリートが打たれている所もあり、大きなクレーン車が鉄筋を降ろしているのを見ていて、「重機で運んでいるから効率よく作業が出来るし、作業をされている方達の動きも素晴らしい。」と思いました。図面だけで確認していた時には「いっぱいいっぱいの敷地でぎりぎりに建てるんだ。」位にしか思っていなかったのですが、改めて実際の土地を眺めていると「めっちゃ広い。この敷地でいっぱいいっぱいと言う事は、平屋の木造建築と言うのは滅茶苦茶贅沢な事なんだ。」と思いました。監督さんの話を聞いていてつくづく実感したのは、「監督さんは私には優しく接して頂いているけど、時間がない工程の中で職人さんにかなり無理な作業をお願いされているんだろうな。」と思うと職人の皆さんに思わず手を合わせてしまいました。

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大型ダンプが現場から出られる時には高圧洗浄機でタイヤを一本一本洗ってから出て行くのを見ていて「しっかりとした体制を整えてみえるな。」と安心もしました。この作業は一番手抜きしたい工程だけれどもリスクマネジメントの観点からは一番大切な事だと思いました。そう言う意味では建設も福祉や介護も相通ずるものがあると思いました。

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先程『贅沢な建物』と述べましたが『盲養護老人ホーム』と言う観点からは平屋がベストと言う考え方は決して間違っていないと考えていますし、30床、30床、20床のグループケアを展開していく事は正しい選択だと考えています。今週の金曜日(116日)には『社団法人岐阜県視覚障害者福祉協会』の役員の皆さんが本部施設がある関ケ原に来て頂き、ハード面及びソフト面のレクチャーに来て頂く事になっているので、設計監理をお願いしているデザインボックスさん、施工をお願いしている岐建さんの担当者の方にも参加して貰い、より良い居住空間造りの話し合いもさせて頂きます。また、その打ち合わせの後で、社団法人岐阜障害者福祉協会さんが『優・悠・邑』に続く名称を公募して頂いていて多くの応募があったと言う事なので、正式名称もその日に決定出来ればと考えています。

視覚障害者の方々にとって20年以上前から岐阜の地で造って欲しいとの願いを『社会福祉法人杉和会』として受け止めての計画です。それ程の規模でもない法人なのに形にしていくのには、熱い思いが無ければ出来ないものだったのですが、ここまで頑張ってきた以上しっかりとやり切っていきますのでリピーターの皆さんもこれからの展開を見守っていて下さい。

 

昨日行われた全日本大学駅伝の個人的な裏話し

令和2年11月2日

先月26日に行われた本部施設の全体会の折り、びわこ学院大学教授の烏野先生から「11月1日に行われる全日本大学駅伝にびわこ学院大学が初出場してテレビで放映されるので見て下さい。」と言われていたので、私は正直「3軍の全国大会と違うのか」とうがった気持ちになりながら、インターネットで情報を入れて全国から選出されている大学参加リストを見てびっくりです。だってあの有名な箱根駅伝の常連である大学がシード校として東海大学、青山学院大学、駒沢大学、東京国際大学、東洋大学、早稲田大学、國學院大學、帝京大学(前回大会上位8校をシード権の順番に提示しました。なんじゃこれ、全部関東圏やないか)で各ブロック予選を勝ち抜いた北海道1枠、東北1枠、関東7枠、北信越1枠、東海1枠、関西4枠、中国四国1枠、九州1枠の合計25大学で競技するようで、ちなみに関西4枠の4枠目に滑り込んだのが『びわこ学院大学』だとのことで、テレビで見るまでは「選挙の時の泡沫候補みたいなもんやろ」と思っていました。

※昨日は朝から血圧が高くて家で久しぶりにゆっくりさせて貰っていたので、テレビで全部見る事が出来ました。(これもご縁か)並み居る強豪校を前に委縮してしまうのではないかと見ていて思ったのですが、8区間の間での繰り上げスタートでの白いたすきでのスタートが無かったのは立派だったとおもいました。こも大会のルールは良く知りませんが、トップで入った選手から何分以上差がついたら繰り上げスタートと言う事になると思うのですが。確かに何チームかは、残念ですが、繰り上げスタートの場面を映りだしていましたが、8区でのたすき私も確かにピンクのたすきを渡しているのを(ぎりぎりだったですが)見た時に私も感動して目頭が熱くなったのを覚えています。

私は4区のたすき渡しの時に烏野先生に『全日本大学駅伝初出場おめでとうございます。そうそうたる選ばれし大学の中での健闘は素晴らしい。4区までに白たすきにならずしっかり、びわこ学院大学の名前をアナウンサーが大学の紹介をされたのには感動しました。完走して頑張る事を祈ります。』とショートメールを送信すると、烏野先生から『先生、感謝です。全員が私のゼミの学生なのでまるで親心の心境です。』との返信メールがきたので私は直ぐに『烏野先生が走りのプロとは知りませんでした。親として子どもを信じて見守って下さい。』と送信しました。

それに応える様に『ありがとうございます。代わりに私が走ってテレビ映り用の顔芸で一位になりたいくらいです。応援に感謝です。』との返信メールがきて、8区のたすきもぎりぎりではありましたが白たすきにならなかった時にも私から『初出場ですべてのたすきをつなげてのは素晴らしい。めっちゃ凄いです。』と送信すると『若山先生、感謝です。』と返信メールがきて、8人の選手が立派にゴールされた時にも『そうそうたる大学の中で19位は立派。テレビの画面にもしっかり映っていました。感動でした。先生、ご苦労様でした。』と送信すると烏野先生から『感動で泣いてます。先生ありがとうございました。』との返信メールがきました。

そこでまたまた私から『滋賀県に誇るものがまた一つ出来ました。嬉し泣きは最高だね。』に対して『ありがとうございました。』の短いメールを見て、「烏野先生は涙一杯での返信メールだったな」と思いました。優勝は駒沢大学でしたが、そんなことは論外でびわこ学院大学が凄いと思った事を最後にコメントの様に書きます。一つ目は優勝した駒沢大学のタイムが5時間11分08秒で19位と健闘したびわこ学院大学は5時間29分35秒ですから106.8キロでの時間差は18分27秒です。並み居る強豪の中での差がこれだけであった事に改めて感動です。

二つ目に立派だと思ったのエントリーをされた(16人)出身県の状況です。例えば青山学院大学は兵庫1人、熊本1人、秋田1人、大分1人、静岡1人、広島1人、千葉3人、長野1人、茨木1人、愛知1人、埼玉1人、福島1人、山形1人、鹿児島1人と全国の強者が集まっているのに対して、びわこ学院大学は、大阪3人、和歌山3人、兵庫3人、滋賀1人、奈良2人、京都4人と関西出身者のみなのです。初出場と言う事は、『関西の強豪』という事で憧れてきたわけではない、私の好きなまるで『アパッチ野球軍』のようなチームだと思うと、全てが烏野先生のゼミ生だとはなんと楽しみな事かと思う私はリピーターの皆さん変ですかね・・・。

2日連続でぶきみな女装をしてしまいました

令和2年11月1日

一昨日はハロウィンイブ、昨日ハロウィンと言う事で純白のウェディングドレスを着て施設内を闊歩しました。一昨日は広い施設内を結構に重い衣装で歩くのもしんどかったのですが、各フロアの入居者さんの歓迎ぶりに舞い上がり頑張る事が出来ましたし、昨日はデイサービス北島部長の「ハロウィンに合わせて『若山宏昼のオンステージ』を是非にお願いします。」との呼び掛けに朝の段階で血圧が高くお昼前は余り気分が乘れなくてうだうだした状態だったのですが、13時30分からの開演なのに、13時15分に施設長室から事務所に行くと北島部長の「理事長、衣装替えを手伝います。」で私のスイッチが入り、会議室に既に準備してあったウェディングドレスを手伝って貰いながら急いで着ると、ぴったり13時30分で、昨日と同じ衣装で変化がないのは楽しくないのでかつらをオレンジ色のロングヘアにして、大きな扇子で顔を隠しながら登場。

既にデイサービスの皆さんは私だとバレバレでも、温かく迎えて下さりノリノリで歌い出すことが出来ました。白のウェディングドレスの足元に気を付けながら、デイサービスの利用者さん一人ひとりと記念写真を撮りながら時には握手を、盛り上がってしまった利用者さんとはハグをしながら歌を歌わせて貰いました。最初の2曲は衣装に合わせて小柳ルミ子の『瀬戸の花嫁』とはしだのりひこの『花嫁』を歌いました。私のイメージには合わない選曲なので初めて歌いましたが、若い頃に嫌と言うほど耳にしていた曲なりに、そして花嫁らしく???歌えました。感情移入を直ぐに出来てその気になれる私は自分でも不思議なのですが・・・。「ま、いいか。利用者が喜んで頂ければ」。その後の歌は定番に近い歌でしたが、いつもとは違う雰囲気の中でしっかり歌えました。歌を歌いながら回っていて気が付いたのは、男性の利用者さんより女性の利用者さんによりうけたと思いました。

そんな中で梅沢富美男の『夢芝居』を歌った後で私は「次に女装するときは『花魁』になったら梅沢富美男さんより綺麗になりますので期待していて下さい。」とまたまた自分にプレッシャーをかけてしまいました。いやいや、本当の事を言えば「私は肌が母秋江似ですべすべだし、ポッチャリ顔は花魁衣装では映えるし、大体花魁の時はお腹ぽっこりは気にしなくて良いのでバッチリだ。」とマジで思っている自分がいるのですが、リピーターの皆さんはどう思われますか。このコロナ禍でボランティアの協力を得られない環境にあるならば、職員が『今日一日楽しかったよ』を提案して実践していかなければとの考えからのものだと言う事をご理解下さい。11月には2回『芋煮会』を実施するのもその一貫です。入居者さんや利用者さんが喜んで頂けるなら女装であろうが、火の番だろうが何でもやりますよ。

お酒にまつわるお話

昨日、体調が悪くて食事をとられない入居者さんのお話をしたので(メインはハロウィンの話しでしたが)その流れの中で、『私とお酒』について語ってみようと思います。

私の父進は最愛の妻秋江(当然の事ですが私の母親)を父進は55歳で亡くしながらも学校長として凜とした父親でしたが、時として公務の大変さを癒す場であるはずの我が家に最愛の妻がいない寂しさもあり、家でお酒を飲む時に一人で飲むのが楽しくなくて、私におちょこに一杯か二杯を「飲んでみるか」と進めては色々な事を語ってくれました。今になって父進の思いがわかるような気がします。父進は公務以外で誰かを誘ってお酒を飲んで来るような性格ではなかったからです。つまり、私が酒飲みになったのは父進さんのお酒に付き合っていたからと父進の性にしている私は何なのでしょうか。

大学時代の酒にまつわるエピソードは数えきれませんが、本日は学生時代のやりたい放題を語ってみます。(「こいつ大丈夫か」等と思わんとって下さいよ。)先ずは大学に入学をして初めてのクラスコンパを私が取り仕切って実施した時の事ですが、私は先程述べたように中学一年からお酒を覚えて、高校時代は期末テストが終わった日には我が家でヤンチャな仲間を引き連れて酒盛りをしていたりしたので(「全くのどかな時代ですな。」自分で言うな)大学に入学した時には結構飲めたので、クラスコンパも取り仕切れたと思うのですが、お酒を飲むのが初めてで飲み方もわからずに飲んだ子の中で、酒をもどして(私は決してそんな勿体無い事はしませんが)何ともならないのがいたので、仕方なく私のアパートにもう一人の付き添いの協力を得て担ぎ込みました。

最初は洗面器にもどしていたのですが、夜中の2時頃になって、もどす物が無いにも関わらず吐き気が治まらず、吐くものがないためなのか血へどを吐いて、その状態が30分以上になり流石に介助していた友達共々恐くなり救急車を呼びました。近くの外科病院に搬送され私達も付き添いで同乗して行きました。点滴などの処置をしていただきある程度落ち着いた時に、対応をして頂いたドクターが付き添っていた私達二人を別室に呼び思いっきり怒られましたが、如何せん私達はまだまだ未熟な18歳。どうして怒られなければいけないのかが理解出来ず、(と言うか納得がいってない)多分二人ともに不貞腐れた顔をしていたのだと思います。夜中に救急対応して下さったドクターの感情を逆なでしたのだと思います。正直めっちゃ怒られました。介助の為に初めて救急車に乘った話でした。

2つ目は垂井祭りで親戚の家で親戚中で一番酒が強いと触れ込みのあった叔父さんと飲み比べをした時に二人でビールを2ケース(大瓶40本)空けて叔父さんがダウンして私が勝利して、叔父さんには同い年の従兄弟がいるのですが、その従兄弟は「ひろっさんとは決して一緒に飲まない。だってうわばみだから」と言い続けられています。

3つ目は大学に入学して『郷土研究の会』と言うサークルに入部してそのサークルの先輩で就職浪人されていた方のアパートに1年生ばかり5人で行った時にその先輩が「アパートの向かいに酒屋があるのでウィスキーの安くて大きいのを買ってこい。」とお金を渡されたので、私ともう一人でサントリーレットのダブルサイズを買ってくると、既にコップが用意されていて、先輩から氷も水も無しに並々とコップに注いで貰い私は3杯飲んだ記憶はありますが(喉が焼けるような飲み方だったと記憶してます。)その日の記憶はそこまでです。但し、次の日の午前中は完璧な二日酔いでしたが、夕方に3年生の先輩に「若山、飲みに行くか」と言われて「行きましょう」と言って連れて行って貰った記憶があります。お酒のお話は一杯ありますので、どれだけでも書けますが、リピーターの皆さんが呆れてこのコラムを読んで頂けなくなるといけないので本日打ち止めと言う事で。

本部施設では一日早くのハロウィンです

令和2年10月30日

当日を迎えた朝はワクワク感で一杯でしたが、施設に行き化粧をして貰っているときはドキドキ感が襲いました。何故かって・・・。だって病み付きになったら困るでしょ。そうでなくても直ぐにその気になるのが私の良いところであり、悪いところだから・・・。

化粧を終えてドレスやかつらもつけて鏡を見ると見目麗しいフランス人形のように映っている私に惚れ惚れ。

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「うん。決して悪くない」と直ぐに感情移入が出来るのが私の特性。スタンバイオッケーになった時に看取りの相談にみえた家族の対応をしなければいけなくなり、一瞬「このまま相談を受けるのか」と思いましたが「入居者さんに喜んで貰う為に理事長自らがここまでされるのか」を知って貰う場になると、居直った考えで挑む事にして、その場に行った時にはしっかり事情をお話してから本題を切り出しました。

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相談を終えて、お菓子やカメラを持って衣装を変えた職員を引き連れ本館1階から順次回る事にしました。先ずは本館1階に行くと驚きなのか感動なのかわからないどよめきが起きて私は「いつもとは違う楽しみを醸し出す事が出来た大成功だ」と即座に思いました。記念写真を一緒に撮りたいと多くの入居者さんが希望して下さったり、握手を求められたりで、足元を気を付けながら歩くのが大変でしたが入居者さんの笑顔と笑い声に支えられ頑張りました。

本館2階にエレベーターで上がって行くと(流石に階段を上る勇気と体力はありませんでした。)一斉に拍手と歓声で迎えられ、こちらが元気を頂けました。このフロアでも一杯写真をとり、握手をしてあちこちと忙しく裾を気にしながら頑張っていると、2階の責任者の西村課長が「カラオケをセットしたので歌って下さい。」と言われてイントロで流れてきたのが山崎ていじの『おまえしか愛せない』には、「わたしも女性の歌手の歌も歌えるのに」と思いましたが、結局は気持ち良く歌えましたし、歌い終わったら2曲目が入っていて、またまた次の曲は砂田おさむの『人生夢の途中駅』2曲ともに気持ち良く歌えました。

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次に新館1階に移動すると入居者さんもハロウィンにちなんだ出で立ちで迎えられ「本館より準備が凄い」と思いながらも目を輝かした入居者さんと握手をしたり写真を撮って楽しみました。

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次に新館2階に上がり、皆さんがおみえになるフロアに入って行くと拍手と共にどよめきが起き、私は舞い上がった状態で入居者さんの色とりどりに感動しながらあちこちで固い握手と和気あいあいの写真をとりまくりました。今回の企画を通して痛切に感じたのは、職員の思いの差違が入居者さんにも伝わり盛り上がり方も様々だと言う事です。

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こんな素敵な時間を共有出来るのなら私自身もっともっと過激に暴走したいと考えていたところで、入居者の一人が「食欲がなくて、えらくて・・・。」との事でこの女性の入居者の方はお酒が大好きだと聞いていたので、近くのコンビニに行ってカニかまを購入し、一升瓶の日本酒を持って部屋に行くと「何も食べれんし、胸の辺がえらくて」との事だったのですが、一升瓶を見せて「本物のお酒でとっても美味しいのを持って来たので飲みや」と私が言ったら「酒か」と言われて本当に目が輝いたのです。そこで、目の前で湯飲みに酒を注ぐと『ぐびっ』と飲まれ、「つまみの蟹も食べたら」と言うと「贅沢やな」と言われて自ら手に取り食べられ「もう少し飲んだら」と言うとまたまた、飲まれました。その後の様子を確認すると「元気にお話をされています。」との報告にひと安心。いつもいつも、これで大丈夫と言うわけにはいかないですが『酒は何よりの薬』になることもあると、改めて理解しました。

リピーターの皆さん。色んな手を使って毎日を元気に過ごして貰えるように頑張りますので声援を宜しくお願いします。

 

 

 

 

 

 

久しぶりに新規事業の現場に行きました

令和2年10月29日

県道を走っていて、遠くからでも、現場事務所が出来ているのがわかり私は思わず「凄い看板が掲げられていて、現場事務所も思いのほか立派だ」と思い、近くに行ってわくわくとしてきました。だって本当に立派で現場作業が行われている所に入って行くとあちらこちらでそれぞれの作業が行われていて、作業をしている方々に声を掛けずらい雰囲気でした。

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私が敷地内に入った事に気が付いた現場管理をされている今年入社した女性の方が近づいてきて色々と説明をしてくれました。(現場監督の責任者の方の話では、彼女が現場に入ると厳つい職人さん達も雰囲気が良くなり助かる事が多いが、彼女自身は女性だからと変な気遣いが嫌だと言うポリシーをお持ちな方だとの事です。そのような話になったのは、私が「彼女に可愛らしい制服を作ってあげたら、制服に憧れてドンドン女性の方が入職を希望されるのではないか」等と彼女にとって心外な発言をしたからなのですが)彼女は女性として扱われるのが嫌だとの事ですが、女性らしい細やかな対応は誇らしく思って頂いても良いのではないかと思います。会社としても『女性も活躍している現場です』との看板も掲示してあるわけだし。確かに彼女が現場で頑張っているのは事実であり、『0から1の違いは大きい』と言える訳です。半沢直樹の番組でも大和田常務が言ってましたよね。「0に何倍かけても0です。」と。

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昨夜は久しぶりに『若山会』をお寿司屋さんで行い強か熱燗を飲んだので論点が定まらないコラムで申し訳ありません。しかしながら、突貫工事の様な事をお願いしているので活気があるのは当然ですが、それぞれ色々な重機を駆使しての作業を手際よくされているのは全く気持ちの良いものですし、管理も行き届いている事にも感謝してます。理事長として新規事業で行はなければいけない事は山積されているので、きちっと順序立てて効率よくしていかなければいけないし、今も本部施設と和合の施設への目配りもしていかなければなりませんが、当面明日は本部施設においては1日早くのハロウィンが実施されるので私も参加させてもらうのですが、「ハロウィンは不気味さが要求される」と思うので白のドレスを着て化粧もしてカツラもかぶり(多分金髪)施設内を練り歩くので『不気味』だと思いますが「理事長さんとっても可愛い」とでも言われたらどないしょ等とわくわくしている私ですが、これは昨夜熱燗をガンガン飲んだ後遺症かな・・・。リピーターの皆さん。本日のコラムはハチャメチャですが、お許し下さい。

 

昨日は『特変者なし』の話をしましたが

令和2年10月28日

本日はメールによる昨夜から朝にかけての施設からの報告について述べる事によって、『特変者なし』に続く『理事長のこだわり』について述べていきます。施設での最低限の『特変者』の報告を、一日の流れの中では(当然ながら急変時は別ですよ。)起床時、昼食前、夕食前、就寝時の4回が幹部職員の携帯に入るシステムになっていて、昨夜の宿直者は北島部長だったので、しっかりとした報告があったので、(北島部長については、このコラムのコーナーで上げたり下げたり、いびったり褒めたりと何度も忙しく出てきますが、本日も上げたり下げたりです・・・。)流れに沿った話をしてみたいと思います。(課題とした方の報告のみですので)昨夜20時35分に『夕食は全量摂取。体温33.6℃。両脇が冷たい状態。意識レベルは異常なし。発語が聞き取りにくい時あり。温罨法2点施行。』この報告に私は「33.6℃の低体温で夕食の全量摂取とは凄いな。取り敢えず食事もとれているので、発語が出にくいとの事だが朝の対応にするか。」と考えて『了解しました。』の返信メールを送信しました。

その後ベットに入ってウトッとした22時19分に(北島部長ありがとう)『21時に34.0℃、22時34.6℃と少しずつ体温が上がってきたので、今後は体温測定をする時間の間隔をあけて対応します。』との連絡に私は『了解しました。』と送信すると共に「安心したので改めてゆっくり寝ようか」と改めて寝ました。朝は5時に目を覚ましていて今後の日程調整などをしていると6時15分と通常の7時前後より早かったので少し緊張気味にメールを開くと職員の欠勤報告だったので、直ぐに施設に指示を出してクリア。

その後通常のメールが7時2分に送信され、一番最初に昨夜低体温の記述があったのは「流石北島部長」(北島・誉めとるんやぞ。)その報告によると『35.3℃。会話されるも呂律が回っていない感じがみられる。3時に35.6℃でオン罨法を外して対応。』とあったのでメールではなく直接施設に電話をして「呂律が回らないのに何もしなくてもいいのか」と話をすると北島部長から「先程確認に行きましたが、(北島部長の行動は流石に早いねと北島部長の事を褒めているのです。)確かに少し気になります。」との事だったので「いつから気になるのかを責任者に確認しなさい。」と言うと北島部長が「はい、確認します。」と言ったので、私は思わず「気になる事は直ぐに確認をしてアクションを起こさなければいけないのでは。」と返しました。7時15分に北島部長から「一昨日からとの事です。」とのメールが来たので再び電話にて「気になるのであればアクションを起こせ。」と連絡すると8時11分に吉田部長からメールで『本日診療所の透析の為の迎えの方に昨日からの様子を申し送り、透析用ノートに記入し、診療所での診察を依頼しました。

声掛けに対し、意識レベルの低下などは見られておらず、透析車の助手席には軽介助にて乗られています。』との報告を貰い、診療所から帰られてからの報告では、「甲状腺機能低下症機能障害と軽い肺炎との診断が出て、3日間の抗生物質を出して貰って帰られました。」の報告を得て、ほっとすると共に『いつもと違う何かに気が付いた段階でアクションを起こし文字通り『起承転結』の実践が徹底するようにしていきたいと思いました。リピーターの皆さん、『今日一日楽しかったよ』の為に日々職員一同頑張りますので、今後ともよろしくお願いいたします。

『特変なし』のお話

昨日19時から本部施設で全体会があり、その中でデイサービス責任者の北島部長から『記録の書き方』の研修を受講した報告の中で「『特変なし』と言う記録はあり得ない」と言う話が出た時に当法人顧問の烏野先生(びわこ学院大学教授)が「昨日と変わらない日があって『特変なし』があっても良いのではないか。」との指摘があり、かつての北島部長だったら「そうですかね」で話は終わっていたと思うのですが、今の北島部長は『自分の考え方』に自信を持っているのでそのままでは終わりませんでした。最も副施設長から「必ず違いはある」との発言があり、その後を受けて理事長である私から「『何もない』と言う事はあり得ない。違いを見つけて記録に残していく事により、点と点を結んで線にして、線と線を重ねて面になり、面と面を重ねる事によって立体になり、そこから物語が生まれる。」と話をしました。つまり、「お互いに何気ない出来事にも気を配り記録に残していく事は尊い事だ。」とも話をしました。私の話を受けて烏野先生が自分の考え方を訂正したコメントでこの話をまとめて下さいました。その後私は烏野先生に「場をよんだアドバイスをしていかなければいけない。しかしながら、上手く切り返したまとめをしてくださったけど、多分私が烏野先生にお会いした30年近く前だったら、先程のような切り返しの話はなかっただろうな」と、大学教授をいさめるような結果になりました。烏野先生もしっかり大人になられたなと変なところで感心してしまいました。しかしながらよ~く考えると私も同じように歳をとったわけだし、言うことなし。但し、北島部長が中部学院大学を卒業してきたばかりの自信がない所作がなくなり、自信に満ちた発言が出来る事を嬉しく思うと共に本部施設で14年の積み重ねについても頼もしく思いました。実は北島部長は同じ大学で内定をしていた男子学生が内定辞退を受けて辞退した男子学生が当法人に紹介してくれてやってきた職員なんです。しかし、今では屋台骨を支えれるまでになってくれてます。辞退をした男子学生の事はわかりませんが、結果的に北島部長がいてくれている事に満足してます。単に勤務年数が長いから良いわけではありませんが、長く勤務している中から少なからず確実に学んでいてくれていると考えています。杉和会も150人集団に23年の歴史の中でなり、ウサギさんタイプもカメさんタイプもいますが、それも『個性』と受け止め、時には湯気をあげて怒ったり、しんみりと話したりしながらもみんなが頑張っていてくれるから私も生き生きと元気でおれるのだと思います。リピーターの皆さん私は常に目標に向かって頑張れている幸福者だと思っています。こんな私をこれからも宜しくお願いします。

早速昨日の課題とした長期休暇について述べます

『働き方改革』あるいは『コロナ禍での3密対策』の名の元に休日を増やしていく計画がまかり通る事に介護事業をさせて頂いている立場から少しモノを申しあげたいと思います。

確かに働く側にとって休日が多いのは一見歓迎されるように思います。しかしながらそれには大きな課題が有ることを語られていません。それは仕事量が減らなければ何の解決にもならないし、休んだ分のフォローを誰が担うのかと言う事が何ら語られていなくて、単に言われているのは『業務の省力化に努力を』と言われるだけにとれるのですが、リピーターの皆さんはどのように思われますか。

介護事業で語る前に『学校教育』で語ってみます。学校教育では、文科省が示しているだけの学習をこなさなければなりません。しかしながら、例えばコロナ禍で学校を休校にした分の取り戻しに未だ四苦八苦している現状があります。かつて、文科省が『ゆとり教育』なるものを推奨したことによって、カリキュラムからごそんと抜けてしまった事によって混乱した事がありました。また、長期休暇は学校も例外ではないので、その間は家庭での生活を余儀なくされるのですが、長期休暇の間も仕事を休めない業種も多々あると考えられます。

勿論、介護については最たるものと言えます。長期休暇を謳歌出来る業態が多く存在するとは考えにくいようにも思います。最たるものの介護について詳しく述べていきたいと思います。『介護はきつい』と言われる所以は、心身共に休む事が出来ないからです。勿論家庭において多くの方が携わる事が出来る家庭環境があれば大丈夫ですが、なかなかそんな家庭環境にはならないので『介護はきつい』と言われるのだとおもいます。介護職員の勤務は週に40時間と決められています。つまり、1日24時間✖7日=168時間中で40時間の勤務ですから、フリーの時間は多くあるわけです。だから気分転換を図ったり体を休める事が出来、入居者さんに支えられながら頑張っていてくれています。

但し、本日の課題である長期休暇を取ると言う事で言えば課題は山積してます。介護保険法で言えば入居者3人に対して介護職及び看護職が1人の配置を満たせば法的なルールはクリアします。しかしながら、24時間体制の中で夜勤職員は毎日5人を配置して、早番、日勤、遅番を配置していかなければ良いケア等あり得ない状況下では、3対1の配置ではなくて、最低でも2対1の配置を満たさなければ難しい状況の中で『休みの日を増やす』事等考えられない。「だったら、職員を増やしたら良いじゃん」と思われる方もみえると思いますが、2つの大きな課題をクリアしなければ実現出来ないのです。課題の1つ目には「介護人材の確保が難しい」であり、2つ目の課題は、「職員をこれ以上採用したら経営が成り立たない」と言う事です。一般企業のように祝祭日が確実にある訳でない中でも遣り甲斐を見つけ頑張っている職員がいるから本部の職員の平均勤続年数は10年になったのです。

リピーターの皆さん、当施設の職員に拍手と励ましの声を届けて下さい。

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