『場面かん黙症』と言う病気
令和3年1月12日
家の中で人間関係が出来ている人との会話は出来るのに一歩外に出て話をしようとしても話をすることが出来ない病気で現代の子どもの500人に1人がなっていると言う事です。
私はこの病気の事を昨日のテレビで初めて知りました。その時私は自分が小さい頃の事を思い出しました。私が小さい頃外出する時は母秋江さんの後ろに隠れるように付いて行き母秋江さんが話をしていて私は必要最低限の返事をしていたように思います。そんな私でしたので小学生になり一人でお使いをするようになったのは我が家から2百メートル程西に行った家が鶏を飼っている所へ、10個買いに行くと1個おまけして頂けるのが自慢で喜んで行ったのを今でも覚えています。その程度の事を覚えているのは如何に色んな体験をしていなかったかと言う証しではないかと今更ながら思います。そして、60年近く前は卵1個が今とは違い貴重なものだったのだと思います。
話を戻します。私は『場面綣黙症』についてのしっかりとした知識を持っているわけでも有りませんし、その事についてコメント出来る立場でも有りませんが、話が出来なかった時の辛さは良くわかります。今では5時間でも、10時間でも「話をして良いですよ。」と言われたら(ありえへ~ん)ストップがかかっても話し続ける自信がありますが(人の迷惑省みず・・・。)小さい頃の私は何かを答えるにしても小さい声でボソボソと話をして、「もう少し大きな声でしっかりと」と言われるとますます声が小さくなり、最後には喉が苦しくなってしまう事が常でした。声帯等に問題がないから家では話が出来るとすると精神的な部分が殆どだと思うのですが、何らかのきっかけでそのような状態になっているのだとすると、過去に遡っての治療は無理なので苦しみを克服するのは自分自身しかないのかな。
私も今は目の手術をして頂いて丁度1週間になり、目ね中にサングラスをしている状態でイライラが爆発寸前ですが、焦ったからと言って早く良くなるわけでもなし・・・。でも、正直イライラしてます。話をしたくても出来ないでいる子どもが一杯いる事を知って私の場合は手術が出来た。手術と言うのは手術が終わった瞬間から快復に向かうものと信じているので・・・。「でもなあ・・・」「ええい。女々しいぞ。見苦しい。」と誰かの声が・・・。これが聞こえてこんのです。だって、私は恥ずかしながら『よしよし』される環境しか経験してないので・・・。
事業に対しては自分を律して頑張れる自信はあるし、自己犠牲も何のその。趣味は仕事だと常に豪語している私ですがリピーターの皆さんうだうだしか言えない私ですがお許し下さい。