朝一で健康チェックです

おおよそ2ヶ月毎に血液採取検査をして頂いています。本日がその予約日で先程、血液を採取して頂き、その結果を待って(約40分)かかりつけ医の指導を受けます。

最近は新型コロナによる自粛で全く大勢の方と飲む機会はなくなり、家で0、7合位しか入らないグラスで飲んでいて、気持ち良くなるので、『一杯が丁度だと言う事は、このコロナ禍でめっきりお酒が弱くなったのか』と思っていたのですが、一昨日本部職員3人で個室を提供して頂いての飲み会をして、私と吉田部長の二人で4合瓶の冷酒(ちなみに立山)二本を飲んで流石に「もう一本」と言う事にならず(当たり前か)「でも、もう少し飲みたい。」と言う事でウィスキーのロックをダブルで頼みました。(それで打ち止め・・・。当たり前か)あっ、最初の乾杯で3人共に生中一杯も飲んだんだ。「心配ない。酒は弱くなってない。」と変な安心をしている私がいます。だって、お酒を飲んで仕事をしてきた人生だから・・・。でも、お医者さんには怒られるのかなあ。ガンマ何とかの数字が高いとか何とか言われて・・・。でも、そんなことでめげる今の私ではありませんし。やるべき役割があるから頑張れるんだと診療所の待ち合いで居直った事をコラムに書いています。

本日はかつての入居者さんの葬儀が大垣であり、お参りの後フォーラムホテルに麻生副総裁兼財務大臣がおみえになるのですが、このコロナ禍で人数制限されての会に招待を受けたので参加させて頂く予定です。麻生副総裁に直接お会いさせて頂いたのは(もっとも、名刺交換をしながらご挨拶をした程度ですが)中村会長の2回目の選挙前の総決起集会が東京のホテルで3千人の参加者と、2百人以上の国会議員が応援に来て下さっての出来事で、その時に議員受付の総責任者だったので(めちゃくちゃ大変でした。)議員受け付けと会場を行ったり来たりしていた時に(その日は万歩計の数値は2万歩は越えておったのを記憶してます。)その時カッコ良く帽子(『ハット』と言った方が良いのかな)をかぶってにこにこしながら颯爽と登場した麻生副総理を確認した当時の全国老施協の女子職員がきゃーきゃーと騒いでいるのを横目にしたのを思い出しました。(ここからは、お医者さんに診て頂いてから)血圧は大丈夫でガンマ何とかは前回より悪いと言われ自分で納得したのは「一昨日にめちゃくちゃ飲んだから血液が悪くて当たり前や。」と全く反省をしないのが『ひろし君流』と言う生き方です。

一旦施設に帰り、大垣フォーラムホテルに開催される15時には30分早い14時30分に着いたのですが「駐車場に空きがない」と一瞬頭が真っ白になりながら玄関前の駐車場に回るとタイミング良く一台の車が出たのでホテルの方が立っていてたまたま私の事を知ってみえる方で「若山会長大丈夫です。」と言って誘導までして下さり『この偶然に感謝』。会場は3階だったのですがエスカレーターで2階まで行き3階に接続するエレベーターに行く前に手の消毒と検温のチェック。流石にコロナ対策はバッチリでした。3階に行き、受け付けで名刺を渡し係りの方に案内して頂き会場に入ると既に一杯の参加者。15時の定刻に自民党岐阜県連幹事長の進行で始まりました。先ずはこの会の発起人代表の猫田県議の開会挨拶で麻生副総理とのなりそめを含めた話しと共に環状線への国の配慮についても話をされ流石だなと改めて思いました。引き続き地元衆議院議員であり麻生派の事務総長の棚橋先生の来賓挨拶があり、その後麻生副総裁の講演。中身は多彩でマンガについてもさりげなく入っていて、80歳には絶対見えない活力を感じました。閉会の挨拶をやはり麻生派の武藤衆議院議員がされて終了。

その後は明日一回目の『芋煮会』の材料を業務用スーパーの『アミカ』で購入して施設で冷凍庫に品物を搬入して本日の役割終了。明日は9時に芋煮会の寸胴への火入れから入居者さん利用者さんの嬉しそうな顔と話題を作り出す為にリピーターの皆さん「明日天気にな~れ」をお願いします。私は作りませんが照る照る坊主も作ってくれると嬉しいな・・・。

視覚障害者福祉協会の役員の方に本部施設に来て頂きました

令和2年11月6日

14時30分から視覚障害者福祉協会の4人の役員さんと、設計をお願いしたデザインボックスの社長さんを含めて3人と施工をお願いした岐建の監督さんと法人側から私を含めて6人の総勢14人でハード面の検討をさせて貰いました。そして具体的には手すりの高さを通常より少し高くした方が良いのではとの話が出て、本部施設の手すりは80㎝なのですが5㎝位高くしたらとの結論になりました。その理由は手すりが低いと背筋を伸ばして歩けないので猫背になるからとの事でした。2つ目には「あまり至れり尽くせりにするといつまでも自分で出来る事がいつまでも出来ないのでルールを決めて頑張って生活出来るような考え方で良いのではないか」との力強いご意見を頂き、「当法人の考え方はそのような考え方です。」とお答えすると会長さんから「その考え方で良いと思います。」と言って頂きました。その後デザインボックスからの資料提供を受けて入居された方の動線を考えると手洗いをする所が効率性に欠けるとの事で各棟の食堂にそれぞれ2箇所づつ設置することになったので、設計変更を監督さんに直ぐに連絡して貰うと「後2日遅かったら対応出来なかった」と言われ私は思わず「滑り込みセーフ」。意見交流が一段落して、『優・悠・邑』に続く名称について多くの応募があった中で参加者全員で検討した結果『優・悠・邑    和』(ゆう・ゆう・ゆう   なごみ)に決定しました。『和』の字をつけられた方は盲学校の先生で尚且つ視覚障害者福祉協会副会長の方で、前会長さんの名前にちなんでつけられたとの事。名付け親の方は当法人『杉和会』にま『和』が有ることを意図されたかは定かでありませんが『なごむ』は今回の施設のイメージにぴったりだとの思いを皆さんが持って頂き全員一致で決めさせて頂きました。名称も決まり視覚障害者福祉協会の方を車までお見送りをして、デザインボックスさんと岐建の監督さんと法人で進捗状況についての話し合いをした後、現場事務所に移動して話し合いがしたいと岐建の監督さんからの提案があり、現場事務所に移動して監督さんが現場に設置してあるカメラを駆使しての説明とドローンの映像も見せて頂きより具体的に説明を聞いていて、建て方は12月1日の友引にする予定で急ピッチで作業が進んでいるとの説明に頭が下がる思いでした。リピーターの皆さん。今年は昨年とは違い雪が降るとの予想がなされていますが、良い天気に恵まれて来春には立派に完成することを祈って下さい。

わくわくでバタバタの日々に感謝

令和2年11月5日

平成18年の約半年はゴルフの真似事をしていて、何事も手抜きが出来ない私は「このままでは楽し過ぎてはまってまう。だけれどゴルフは打ちっぱなしだけなら一人でも出来るけどコースに出るならグループを作り日程を決めてやる競技だから、もし約束をしても、私の場合は仕事を優先するからゴルフは無理だ。」と思いその年の8月8日に初めて全国老施協の役員(その当時出来たばかりの総務委員会幹事)で参画する事になり、短いゴルフ人生は終わりにしました。

でも、その決断は正しかったと思っています。何故ならば全国老施協の役員になる前には「一年に3回程度本部がある東京へ出て来てくれればいいから」との話しだったのに、実際に一生懸命に役割を担って行くには『年に3回』ではなくて『月に3回』だったのです。本当の事を言うと自分で役割を作っていったと言うのが正しいかも知れません。勿論、そこまで全国老施協に打ち込めたのは本部施設の運営もかなり職員が育ち施設を任せれるタイミングとも重なったので出来た事なのですが。そして、今は、本館(平成9年で事業)新館(平成15年度事業)和合(平成25年度事業)に引き続き今年度は垂井町梅谷地区に盲養護老人ホーム80床の建設が行われていて、本日は岐阜県庁高齢福祉課に新規事業の会計処理の仕方についてと経過報告について行く事になっています。

明日は視覚障害者福祉協会の幹部4人の方が本部でハード面への配慮やソフト面への留意点や今後の協力体制についての話し合いに来て頂き、尚且つ施設の名称について視覚障害者福祉協会で公募していただき多くのエントリーがあった中から施設名を決めて、その情報を世間に周知する手はずになっています。また、今月中に『軽乗用車2台』『事務用品』『電化製品』『厨房機器』『特浴機』『大型ランドリー』の入札や厨房業者のプレゼンテーションについての方法等について検討する為に11月13日には理事会を開催しなければいけないし、勿論来年春の開設に向け優秀なスタッフの採用と教育をしていく為の体制作りもしていかなければいけないので、文字通りバタバタの毎日を過ごさせて頂いています。つまり、朝起きて「今日は何をしようかな」の生活ではなくて、毎日毎日が日程をやりきるので精一杯の状態ですが健康で飛び回れる毎日に感謝です。

リピーターの皆さん。時には胃が痛くなるような事もありますが、下腹に力を入れて頑張っていると、救世主が現れてまた、元気な日々を送らせて頂いている私は本当に幸せ者だと思っています。

 

朝の嵐・・・。

令和2年11月4日

朝食を頂き外出着に着替えている時に、本部施設の家族会の会長さんから怒ったような声で電話が入り「何かあったか」と内心ドキドキして会長さんの話を聞くと「今須の介護職員が飲酒運転をして逮捕されたと新聞に載っているが若山さんの施設の職員か」と決めつけたような一方的な話に名前を聞くと、当然のことながら当施設の職員ではないし聞けば地元の方だとはわかったのですが、『今須の介護職員』と書いてあれば、今須には介護事業を展開しているのは当施設だけだから大いなる勘違いをされても致し方ないか。しかしながら、新聞を見て慌てて連絡して頂けたのには感謝でしかありません。

家族会の会長さんは当法人の設立準備の頃には『設立準備後援会』の代表を務めて頂き、尚且つ設立認可が厳しかった時に岐阜県庁の議会棟の議長さんの応接室での話し合いにも同席して頂いたあいだ柄なので心から心配して頂いたのだと思うと『感謝』の二文字しか浮かんできません。しかしながら、訳の分からない『朝の嵐』は体に良くないですが、本当に当施設の事を考えて頂いていると思うと目頭が熱くなります。

「 冬が来たーーー! 」

本日、岐阜県自民党本部で友好団体連絡協議会が10時からあり、駐車場が遠くなると大変だと8時過ぎに家を出発する為に家を出るとどんより曇った空から冷たい雨が降ってきており、思わずぶるぶる振るいながら車に乗り、運転して行き大垣まで移動して行くと『青空』何です・・・。私は「天気が良くなって良かった。」と思ったのですが、会議が終わり本部施設に向かって走らせていく大垣が過ぎ、垂井に入ると曇ってきて、関ケ原に入るとまたまた冷たい雨が降っている状態で、私はつくづく実感しました。

「冬が来たーーー!。これが正しく関ケ原が関ケ原の所以か。」と・・・。昨年は全くと言って良い程に雪が降らなかったのですが、今年は殊の外夏が暑かっただけに寒さが身に染みる。肉がたくさん付いていても寒いものは寒いわい。昨年と違って冬の到来も早そうだからスタットレスの準備も早くしなければと考えています。冬の到来が訪れると私はいつも、小さい頃の『霜焼け』の事を思いだします。甘えん坊だった私は夜になり布団に入ると霜焼けがむずがゆいし痛くて「しくしく」と泣いていて母秋江さんを困らせて尚且つ母秋江さんの睡眠時間を減らしていたことについて今になって申し訳なく思つています。私は本日2編について書きましたが、私は本当に人に恵まれているとリピーターの皆さんも思われませんか。つまり、めっちゃ幸せな人生だと。思わず『合掌』です。

 

 

本日は祭日ですが新規事業は急ピッチで進んでいます

令和2年11月3日

本日は朝から快晴だったので垂井町梅谷地区での新規事業の進捗状況を確認に行ってきました。広い土地の至る所で重機が活動しているのを見ていて、改めて「大変な事業をしているんだ」と思いました。それぞれの場所でそれぞれの作業がされているのを眺めていると、目ざとく施主である私を見つけてくれた監督補助の役割を担っている今年度施行業者の新入社員として入社した女性が近寄って来て、(岐建さん初の女監督)「監督がいますから現場をご一緒にご案内します。」と現場事務所に戻り、監督と共に長靴とヘルメットを持って来てくれて現場のそれぞれの作業について説明して頂きました。

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既に基礎コンクリートが打たれている所もあり、大きなクレーン車が鉄筋を降ろしているのを見ていて、「重機で運んでいるから効率よく作業が出来るし、作業をされている方達の動きも素晴らしい。」と思いました。図面だけで確認していた時には「いっぱいいっぱいの敷地でぎりぎりに建てるんだ。」位にしか思っていなかったのですが、改めて実際の土地を眺めていると「めっちゃ広い。この敷地でいっぱいいっぱいと言う事は、平屋の木造建築と言うのは滅茶苦茶贅沢な事なんだ。」と思いました。監督さんの話を聞いていてつくづく実感したのは、「監督さんは私には優しく接して頂いているけど、時間がない工程の中で職人さんにかなり無理な作業をお願いされているんだろうな。」と思うと職人の皆さんに思わず手を合わせてしまいました。

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大型ダンプが現場から出られる時には高圧洗浄機でタイヤを一本一本洗ってから出て行くのを見ていて「しっかりとした体制を整えてみえるな。」と安心もしました。この作業は一番手抜きしたい工程だけれどもリスクマネジメントの観点からは一番大切な事だと思いました。そう言う意味では建設も福祉や介護も相通ずるものがあると思いました。

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先程『贅沢な建物』と述べましたが『盲養護老人ホーム』と言う観点からは平屋がベストと言う考え方は決して間違っていないと考えていますし、30床、30床、20床のグループケアを展開していく事は正しい選択だと考えています。今週の金曜日(116日)には『社団法人岐阜県視覚障害者福祉協会』の役員の皆さんが本部施設がある関ケ原に来て頂き、ハード面及びソフト面のレクチャーに来て頂く事になっているので、設計監理をお願いしているデザインボックスさん、施工をお願いしている岐建さんの担当者の方にも参加して貰い、より良い居住空間造りの話し合いもさせて頂きます。また、その打ち合わせの後で、社団法人岐阜障害者福祉協会さんが『優・悠・邑』に続く名称を公募して頂いていて多くの応募があったと言う事なので、正式名称もその日に決定出来ればと考えています。

視覚障害者の方々にとって20年以上前から岐阜の地で造って欲しいとの願いを『社会福祉法人杉和会』として受け止めての計画です。それ程の規模でもない法人なのに形にしていくのには、熱い思いが無ければ出来ないものだったのですが、ここまで頑張ってきた以上しっかりとやり切っていきますのでリピーターの皆さんもこれからの展開を見守っていて下さい。

 

昨日行われた全日本大学駅伝の個人的な裏話し

令和2年11月2日

先月26日に行われた本部施設の全体会の折り、びわこ学院大学教授の烏野先生から「11月1日に行われる全日本大学駅伝にびわこ学院大学が初出場してテレビで放映されるので見て下さい。」と言われていたので、私は正直「3軍の全国大会と違うのか」とうがった気持ちになりながら、インターネットで情報を入れて全国から選出されている大学参加リストを見てびっくりです。だってあの有名な箱根駅伝の常連である大学がシード校として東海大学、青山学院大学、駒沢大学、東京国際大学、東洋大学、早稲田大学、國學院大學、帝京大学(前回大会上位8校をシード権の順番に提示しました。なんじゃこれ、全部関東圏やないか)で各ブロック予選を勝ち抜いた北海道1枠、東北1枠、関東7枠、北信越1枠、東海1枠、関西4枠、中国四国1枠、九州1枠の合計25大学で競技するようで、ちなみに関西4枠の4枠目に滑り込んだのが『びわこ学院大学』だとのことで、テレビで見るまでは「選挙の時の泡沫候補みたいなもんやろ」と思っていました。

※昨日は朝から血圧が高くて家で久しぶりにゆっくりさせて貰っていたので、テレビで全部見る事が出来ました。(これもご縁か)並み居る強豪校を前に委縮してしまうのではないかと見ていて思ったのですが、8区間の間での繰り上げスタートでの白いたすきでのスタートが無かったのは立派だったとおもいました。こも大会のルールは良く知りませんが、トップで入った選手から何分以上差がついたら繰り上げスタートと言う事になると思うのですが。確かに何チームかは、残念ですが、繰り上げスタートの場面を映りだしていましたが、8区でのたすき私も確かにピンクのたすきを渡しているのを(ぎりぎりだったですが)見た時に私も感動して目頭が熱くなったのを覚えています。

私は4区のたすき渡しの時に烏野先生に『全日本大学駅伝初出場おめでとうございます。そうそうたる選ばれし大学の中での健闘は素晴らしい。4区までに白たすきにならずしっかり、びわこ学院大学の名前をアナウンサーが大学の紹介をされたのには感動しました。完走して頑張る事を祈ります。』とショートメールを送信すると、烏野先生から『先生、感謝です。全員が私のゼミの学生なのでまるで親心の心境です。』との返信メールがきたので私は直ぐに『烏野先生が走りのプロとは知りませんでした。親として子どもを信じて見守って下さい。』と送信しました。

それに応える様に『ありがとうございます。代わりに私が走ってテレビ映り用の顔芸で一位になりたいくらいです。応援に感謝です。』との返信メールがきて、8区のたすきもぎりぎりではありましたが白たすきにならなかった時にも私から『初出場ですべてのたすきをつなげてのは素晴らしい。めっちゃ凄いです。』と送信すると『若山先生、感謝です。』と返信メールがきて、8人の選手が立派にゴールされた時にも『そうそうたる大学の中で19位は立派。テレビの画面にもしっかり映っていました。感動でした。先生、ご苦労様でした。』と送信すると烏野先生から『感動で泣いてます。先生ありがとうございました。』との返信メールがきました。

そこでまたまた私から『滋賀県に誇るものがまた一つ出来ました。嬉し泣きは最高だね。』に対して『ありがとうございました。』の短いメールを見て、「烏野先生は涙一杯での返信メールだったな」と思いました。優勝は駒沢大学でしたが、そんなことは論外でびわこ学院大学が凄いと思った事を最後にコメントの様に書きます。一つ目は優勝した駒沢大学のタイムが5時間11分08秒で19位と健闘したびわこ学院大学は5時間29分35秒ですから106.8キロでの時間差は18分27秒です。並み居る強豪の中での差がこれだけであった事に改めて感動です。

二つ目に立派だと思ったのエントリーをされた(16人)出身県の状況です。例えば青山学院大学は兵庫1人、熊本1人、秋田1人、大分1人、静岡1人、広島1人、千葉3人、長野1人、茨木1人、愛知1人、埼玉1人、福島1人、山形1人、鹿児島1人と全国の強者が集まっているのに対して、びわこ学院大学は、大阪3人、和歌山3人、兵庫3人、滋賀1人、奈良2人、京都4人と関西出身者のみなのです。初出場と言う事は、『関西の強豪』という事で憧れてきたわけではない、私の好きなまるで『アパッチ野球軍』のようなチームだと思うと、全てが烏野先生のゼミ生だとはなんと楽しみな事かと思う私はリピーターの皆さん変ですかね・・・。

2日連続でぶきみな女装をしてしまいました

令和2年11月1日

一昨日はハロウィンイブ、昨日ハロウィンと言う事で純白のウェディングドレスを着て施設内を闊歩しました。一昨日は広い施設内を結構に重い衣装で歩くのもしんどかったのですが、各フロアの入居者さんの歓迎ぶりに舞い上がり頑張る事が出来ましたし、昨日はデイサービス北島部長の「ハロウィンに合わせて『若山宏昼のオンステージ』を是非にお願いします。」との呼び掛けに朝の段階で血圧が高くお昼前は余り気分が乘れなくてうだうだした状態だったのですが、13時30分からの開演なのに、13時15分に施設長室から事務所に行くと北島部長の「理事長、衣装替えを手伝います。」で私のスイッチが入り、会議室に既に準備してあったウェディングドレスを手伝って貰いながら急いで着ると、ぴったり13時30分で、昨日と同じ衣装で変化がないのは楽しくないのでかつらをオレンジ色のロングヘアにして、大きな扇子で顔を隠しながら登場。

既にデイサービスの皆さんは私だとバレバレでも、温かく迎えて下さりノリノリで歌い出すことが出来ました。白のウェディングドレスの足元に気を付けながら、デイサービスの利用者さん一人ひとりと記念写真を撮りながら時には握手を、盛り上がってしまった利用者さんとはハグをしながら歌を歌わせて貰いました。最初の2曲は衣装に合わせて小柳ルミ子の『瀬戸の花嫁』とはしだのりひこの『花嫁』を歌いました。私のイメージには合わない選曲なので初めて歌いましたが、若い頃に嫌と言うほど耳にしていた曲なりに、そして花嫁らしく???歌えました。感情移入を直ぐに出来てその気になれる私は自分でも不思議なのですが・・・。「ま、いいか。利用者が喜んで頂ければ」。その後の歌は定番に近い歌でしたが、いつもとは違う雰囲気の中でしっかり歌えました。歌を歌いながら回っていて気が付いたのは、男性の利用者さんより女性の利用者さんによりうけたと思いました。

そんな中で梅沢富美男の『夢芝居』を歌った後で私は「次に女装するときは『花魁』になったら梅沢富美男さんより綺麗になりますので期待していて下さい。」とまたまた自分にプレッシャーをかけてしまいました。いやいや、本当の事を言えば「私は肌が母秋江似ですべすべだし、ポッチャリ顔は花魁衣装では映えるし、大体花魁の時はお腹ぽっこりは気にしなくて良いのでバッチリだ。」とマジで思っている自分がいるのですが、リピーターの皆さんはどう思われますか。このコロナ禍でボランティアの協力を得られない環境にあるならば、職員が『今日一日楽しかったよ』を提案して実践していかなければとの考えからのものだと言う事をご理解下さい。11月には2回『芋煮会』を実施するのもその一貫です。入居者さんや利用者さんが喜んで頂けるなら女装であろうが、火の番だろうが何でもやりますよ。

お酒にまつわるお話

昨日、体調が悪くて食事をとられない入居者さんのお話をしたので(メインはハロウィンの話しでしたが)その流れの中で、『私とお酒』について語ってみようと思います。

私の父進は最愛の妻秋江(当然の事ですが私の母親)を父進は55歳で亡くしながらも学校長として凜とした父親でしたが、時として公務の大変さを癒す場であるはずの我が家に最愛の妻がいない寂しさもあり、家でお酒を飲む時に一人で飲むのが楽しくなくて、私におちょこに一杯か二杯を「飲んでみるか」と進めては色々な事を語ってくれました。今になって父進の思いがわかるような気がします。父進は公務以外で誰かを誘ってお酒を飲んで来るような性格ではなかったからです。つまり、私が酒飲みになったのは父進さんのお酒に付き合っていたからと父進の性にしている私は何なのでしょうか。

大学時代の酒にまつわるエピソードは数えきれませんが、本日は学生時代のやりたい放題を語ってみます。(「こいつ大丈夫か」等と思わんとって下さいよ。)先ずは大学に入学をして初めてのクラスコンパを私が取り仕切って実施した時の事ですが、私は先程述べたように中学一年からお酒を覚えて、高校時代は期末テストが終わった日には我が家でヤンチャな仲間を引き連れて酒盛りをしていたりしたので(「全くのどかな時代ですな。」自分で言うな)大学に入学した時には結構飲めたので、クラスコンパも取り仕切れたと思うのですが、お酒を飲むのが初めてで飲み方もわからずに飲んだ子の中で、酒をもどして(私は決してそんな勿体無い事はしませんが)何ともならないのがいたので、仕方なく私のアパートにもう一人の付き添いの協力を得て担ぎ込みました。

最初は洗面器にもどしていたのですが、夜中の2時頃になって、もどす物が無いにも関わらず吐き気が治まらず、吐くものがないためなのか血へどを吐いて、その状態が30分以上になり流石に介助していた友達共々恐くなり救急車を呼びました。近くの外科病院に搬送され私達も付き添いで同乗して行きました。点滴などの処置をしていただきある程度落ち着いた時に、対応をして頂いたドクターが付き添っていた私達二人を別室に呼び思いっきり怒られましたが、如何せん私達はまだまだ未熟な18歳。どうして怒られなければいけないのかが理解出来ず、(と言うか納得がいってない)多分二人ともに不貞腐れた顔をしていたのだと思います。夜中に救急対応して下さったドクターの感情を逆なでしたのだと思います。正直めっちゃ怒られました。介助の為に初めて救急車に乘った話でした。

2つ目は垂井祭りで親戚の家で親戚中で一番酒が強いと触れ込みのあった叔父さんと飲み比べをした時に二人でビールを2ケース(大瓶40本)空けて叔父さんがダウンして私が勝利して、叔父さんには同い年の従兄弟がいるのですが、その従兄弟は「ひろっさんとは決して一緒に飲まない。だってうわばみだから」と言い続けられています。

3つ目は大学に入学して『郷土研究の会』と言うサークルに入部してそのサークルの先輩で就職浪人されていた方のアパートに1年生ばかり5人で行った時にその先輩が「アパートの向かいに酒屋があるのでウィスキーの安くて大きいのを買ってこい。」とお金を渡されたので、私ともう一人でサントリーレットのダブルサイズを買ってくると、既にコップが用意されていて、先輩から氷も水も無しに並々とコップに注いで貰い私は3杯飲んだ記憶はありますが(喉が焼けるような飲み方だったと記憶してます。)その日の記憶はそこまでです。但し、次の日の午前中は完璧な二日酔いでしたが、夕方に3年生の先輩に「若山、飲みに行くか」と言われて「行きましょう」と言って連れて行って貰った記憶があります。お酒のお話は一杯ありますので、どれだけでも書けますが、リピーターの皆さんが呆れてこのコラムを読んで頂けなくなるといけないので本日打ち止めと言う事で。

本部施設では一日早くのハロウィンです

令和2年10月30日

当日を迎えた朝はワクワク感で一杯でしたが、施設に行き化粧をして貰っているときはドキドキ感が襲いました。何故かって・・・。だって病み付きになったら困るでしょ。そうでなくても直ぐにその気になるのが私の良いところであり、悪いところだから・・・。

化粧を終えてドレスやかつらもつけて鏡を見ると見目麗しいフランス人形のように映っている私に惚れ惚れ。

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「うん。決して悪くない」と直ぐに感情移入が出来るのが私の特性。スタンバイオッケーになった時に看取りの相談にみえた家族の対応をしなければいけなくなり、一瞬「このまま相談を受けるのか」と思いましたが「入居者さんに喜んで貰う為に理事長自らがここまでされるのか」を知って貰う場になると、居直った考えで挑む事にして、その場に行った時にはしっかり事情をお話してから本題を切り出しました。

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相談を終えて、お菓子やカメラを持って衣装を変えた職員を引き連れ本館1階から順次回る事にしました。先ずは本館1階に行くと驚きなのか感動なのかわからないどよめきが起きて私は「いつもとは違う楽しみを醸し出す事が出来た大成功だ」と即座に思いました。記念写真を一緒に撮りたいと多くの入居者さんが希望して下さったり、握手を求められたりで、足元を気を付けながら歩くのが大変でしたが入居者さんの笑顔と笑い声に支えられ頑張りました。

本館2階にエレベーターで上がって行くと(流石に階段を上る勇気と体力はありませんでした。)一斉に拍手と歓声で迎えられ、こちらが元気を頂けました。このフロアでも一杯写真をとり、握手をしてあちこちと忙しく裾を気にしながら頑張っていると、2階の責任者の西村課長が「カラオケをセットしたので歌って下さい。」と言われてイントロで流れてきたのが山崎ていじの『おまえしか愛せない』には、「わたしも女性の歌手の歌も歌えるのに」と思いましたが、結局は気持ち良く歌えましたし、歌い終わったら2曲目が入っていて、またまた次の曲は砂田おさむの『人生夢の途中駅』2曲ともに気持ち良く歌えました。

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次に新館1階に移動すると入居者さんもハロウィンにちなんだ出で立ちで迎えられ「本館より準備が凄い」と思いながらも目を輝かした入居者さんと握手をしたり写真を撮って楽しみました。

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次に新館2階に上がり、皆さんがおみえになるフロアに入って行くと拍手と共にどよめきが起き、私は舞い上がった状態で入居者さんの色とりどりに感動しながらあちこちで固い握手と和気あいあいの写真をとりまくりました。今回の企画を通して痛切に感じたのは、職員の思いの差違が入居者さんにも伝わり盛り上がり方も様々だと言う事です。

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こんな素敵な時間を共有出来るのなら私自身もっともっと過激に暴走したいと考えていたところで、入居者の一人が「食欲がなくて、えらくて・・・。」との事でこの女性の入居者の方はお酒が大好きだと聞いていたので、近くのコンビニに行ってカニかまを購入し、一升瓶の日本酒を持って部屋に行くと「何も食べれんし、胸の辺がえらくて」との事だったのですが、一升瓶を見せて「本物のお酒でとっても美味しいのを持って来たので飲みや」と私が言ったら「酒か」と言われて本当に目が輝いたのです。そこで、目の前で湯飲みに酒を注ぐと『ぐびっ』と飲まれ、「つまみの蟹も食べたら」と言うと「贅沢やな」と言われて自ら手に取り食べられ「もう少し飲んだら」と言うとまたまた、飲まれました。その後の様子を確認すると「元気にお話をされています。」との報告にひと安心。いつもいつも、これで大丈夫と言うわけにはいかないですが『酒は何よりの薬』になることもあると、改めて理解しました。

リピーターの皆さん。色んな手を使って毎日を元気に過ごして貰えるように頑張りますので声援を宜しくお願いします。

 

 

 

 

 

 

久しぶりに新規事業の現場に行きました

令和2年10月29日

県道を走っていて、遠くからでも、現場事務所が出来ているのがわかり私は思わず「凄い看板が掲げられていて、現場事務所も思いのほか立派だ」と思い、近くに行ってわくわくとしてきました。だって本当に立派で現場作業が行われている所に入って行くとあちらこちらでそれぞれの作業が行われていて、作業をしている方々に声を掛けずらい雰囲気でした。

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私が敷地内に入った事に気が付いた現場管理をされている今年入社した女性の方が近づいてきて色々と説明をしてくれました。(現場監督の責任者の方の話では、彼女が現場に入ると厳つい職人さん達も雰囲気が良くなり助かる事が多いが、彼女自身は女性だからと変な気遣いが嫌だと言うポリシーをお持ちな方だとの事です。そのような話になったのは、私が「彼女に可愛らしい制服を作ってあげたら、制服に憧れてドンドン女性の方が入職を希望されるのではないか」等と彼女にとって心外な発言をしたからなのですが)彼女は女性として扱われるのが嫌だとの事ですが、女性らしい細やかな対応は誇らしく思って頂いても良いのではないかと思います。会社としても『女性も活躍している現場です』との看板も掲示してあるわけだし。確かに彼女が現場で頑張っているのは事実であり、『0から1の違いは大きい』と言える訳です。半沢直樹の番組でも大和田常務が言ってましたよね。「0に何倍かけても0です。」と。

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昨夜は久しぶりに『若山会』をお寿司屋さんで行い強か熱燗を飲んだので論点が定まらないコラムで申し訳ありません。しかしながら、突貫工事の様な事をお願いしているので活気があるのは当然ですが、それぞれ色々な重機を駆使しての作業を手際よくされているのは全く気持ちの良いものですし、管理も行き届いている事にも感謝してます。理事長として新規事業で行はなければいけない事は山積されているので、きちっと順序立てて効率よくしていかなければいけないし、今も本部施設と和合の施設への目配りもしていかなければなりませんが、当面明日は本部施設においては1日早くのハロウィンが実施されるので私も参加させてもらうのですが、「ハロウィンは不気味さが要求される」と思うので白のドレスを着て化粧もしてカツラもかぶり(多分金髪)施設内を練り歩くので『不気味』だと思いますが「理事長さんとっても可愛い」とでも言われたらどないしょ等とわくわくしている私ですが、これは昨夜熱燗をガンガン飲んだ後遺症かな・・・。リピーターの皆さん。本日のコラムはハチャメチャですが、お許し下さい。

 

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