朝5時30分に奇襲攻撃をかけました
令和3年7月13日
5時10分には行動開始で5時30分に全国老人福祉施設協議会の正副会長グループラインに送信しました。私の我が儘だとは思うのですが『朝早くの仕事は最高に効率が良い』と考えているから。今、午前6時44分ですがまだ、誰からも返信がありません。等と書いているときに残念ながら早くに亡くなられたかつての全国老人福祉施設協議会会長で参議院議員だった中村博彦先生(私にとっては『先生』と言うよりは『会長』と言った方が当たっているのですが)の事を思い出しました。
何度もコラムで書いていますが、私は平成18年8月8日に初めて全国老人福祉施設協議会の役員として当時本部事務所があったTBRビルにドキドキしながら入って行きました。どの部屋に入って行けば良いのかがわからず廊下をうろうろしていると中村会長の大きな声に緊張すると共に何故か安堵感を覚えたのを昨日の事のように覚えています。初めての役職はその当時、出来たばかりの総務委員会の幹事の席が開いていて、突如指名されて行く事になったのですが、その当時の総務委員会のメンバーの皆さんは今から考えても重鎮ばかりで、しかも、中村会長からは「事務局に頼るな。」と厳命されていて・・・。先ずは委員の皆さんの名前も知らないところから始まったので、正直大変でした。私のスタンスは『役割を与えられた以上は目一杯に』のスタンスなので頑張りました。
そんな中で翌年の役員改選期に新たなポストとして『総括幹事』と言うのが出来て、その当時『最も熱い男』と言われていた群馬県の馬場さんと共に任命されました。(残念ながら馬場さんは早くに亡くなられたのが残念でなりません。)私は任命された時にかなりの動揺もありましたが、任命された以上目一杯と言う事で2年間中村会長にもお仕えし(とは言え怒られてばかりでしたが・・・。)ました。中村会長に使えて3つの事が私の中で変わりました。何と言っても特筆すべきは、、中村会長の朝は早いのです。(ちなみに、朝4時30分には新聞に目を通されていて、気が付く事があると、早い時間であっても電話をされるのです。)中村会長に合わせて朝は早くなりました。
2つ目の事につながるのですが、神戸の大会に来ていて同じホテルに泊まっていて、朝5時30分に中村会長から電話を頂き私は当然のようにベッドの中だったのですが、中村会長からのコールだし、(中村会長でなくても携帯には反応します。)3コールまでに携帯に出ると「今から部屋に来なさい。」との事で、急いで着替えて中村会長の部屋に入ると「ボサボサの髪の毛はどうしたのか」と言われて「寝起きなので」とも言えずにいると、「ちゃんと整えられんのなら髪を短くしろ」と言われて、次の出張までにかなり短くして行って「会長。これだけ短くしてきました。」と言うと中村会長が「まだまだ。中途半端じゃ」と言われたので、次の出張までに丸坊主にして今に至ってます。
3つ目は『長期的展望に立った考え方をする。』と言う事です。それは人材確保と育成。あるいは、長期的展望に立った経営方針と言う事です。この5月に開設した『盲養護老人ホーム』が正にその典型です。確かに今は建設費等々で大変ですが将来的見通しの中で岐阜県に無くてはいけない施設になり、法人経営においても必要不可欠なものになると考えています。朝一がテンション高いと一日が充実します。リピーターの皆さん。ますます過激に頑張りますので、今後共に宜しくお願い致します。