先ずはお詫びから

本日も一日遅れのコラム原稿になるのですがその前にリピーターの皆さんに『訂正とお詫びを申し上げます。』と言う事です。と言うのは昨日の記事の中で曜日が『土曜日』となっておりましたが本来は『金曜日』で、しかも『出にくい曜日』と書いたのは、説得力がなく意味がよくわからないものだと気が付きました。でも、考え方によっては『会社にとっては週末の忙しい曜日の午後だから大丈夫の意味で通ずるかな』と言う事で「訂正とお詫びを致します。」と書いて見直しをしていて、昨日書いた記事を一昨日と記載しているのに気が付き『これは、間違いのだめ押しだ。珍しく訂正等するからおかしくなるのだ。』と自分自身に恥ずかしさと情けなさを覚えつつも「『月月火水木金金』の生活なんだから仕方がないでしょ」と居直っている私も存在してます。(これは血液型がによる性ですかね)といつもの事ながらなかなか本題に入らない原稿ですいません。さて本題は昨日(正に土曜日です。)開催された社会福祉法人杉和会評議員会の報告をします。13時30分からの開催予定でしたが経理をお任せてしている岩田理事(税理士の先生)が一時間前の12時30分におみえになり、早速打ち合わせをして、終わったタイミングで関ヶ原町の大長老で当法人の評議員の淡川さんがおみえになったので、応接の椅子にご案内して話をさせて頂きました。殆どは関ヶ原診療所の今後についてでしたが、関ヶ原町の事を真剣に心配されてのものと思いお話を伺いました。定刻時間になり、理事長としての最初の挨拶は「3月以降新型コロナの影響で厳しい対応を強いられているが、対策を万全にとり、稼働率もそれほどの差異もなく頑張れているのは職員も頑張っているお陰だ」と言う主旨の事と「垂井町梅谷地区での新規事業もようやく軌道に乗って来た。」と言う話を中心に話をさせて貰い最後に新しく評議員に選任させて頂いた二人の紹介と理事長として辞令をお渡ししました。その後、前大垣市議会議員の山口評議員を議長に選出して(大垣市議会副議長までされた方にお願いするとは何と恐れ多い事ですが)議題について検討して頂きました。令和元年度の決算については職員みんなの頑張りもあり、良好なものであったので、新規事業への補正予算についても皆さんの了承も円滑に得られ15時前に終了し、締めの挨拶で「例年であればこの後懇親会を行うところですが、新型コロナの影響もあり本日はありません。但し例年評議員会は年に2回の開催ですが、今年度は新規事業もあり、少なくてもどこかのタイミングで1回は開催しなければいけないと考えていますので、その時に懇親会が出来たらと考えています。」と話をして終了させて頂きました。会が終了後評議員の方、一人ひとりにご挨拶をしてお見送りしてから、再び淡川さんと話をさせて貰いました。お話をさせて頂きながら私は23年の月日の重さを感じていました。(それは、押しも押されもしない大長老と対面でお話させて頂いているからです。)リピーターの皆さん私はこれから先も地域のために入居者さん利用者さんの願いを出来るだけ汲み入れた展開をしていきたいと考えていますので、これからも、このコラム同様宜しくお願い致します。

今日も一日遅れの報告です

決して一日遅れの報告がベストだとは思いませんが、昨日はそれが正解だったし、今日も昨日の出来事はしっかりリピーターの皆さんに伝えたい事なので書きます。但し、昨日が正解だったと言う話は、昨日の新規事業の為の合同会議が終了後どっと疲れが出たのか夕食も少ししか食べれずに(痩せてまう・・・)19時30分には異常な眠気がきて寝てしまう結果になったので早くに大方の原稿を書いていたのでお風呂でまとめの所を加筆しただけで済んだので助かりました。

さて、本題に入ります。(あいからわず前段が長くてすいません。)

昨日は新規事業の盲養護老人ホーム・養護老人ホームに関わって頂いている方々を一同に集めての合同会議を13時30分から本部施設会議室で行いました。メンバーとしては外部から測量会社の三城コンサルタントさん、建築設計と管理をお願いしているデザインボックスさん、解体及び整地を今まさに急ピッチでして頂いている新晃さんの3業者に加え、理事として経理を見て頂いている岩田先生(税理士)、除外申請や農地転用の書類をお願いしている若園先生(司法書士)、土地売買に関わる業務をお願いしている乾先生(行政書士)とそうそうたる専門職のメンバーに集まって頂いての会議を土曜日と言う出にくい曜日にも関わらず参加して頂きました。

会議の冒頭、社会福祉法人杉和会理事長としての私の挨拶では、「時間が厳しい状況の中、出来るだけ効率的に事業が遂行出来る為の会議です。全国47都道府県の中で岐阜県を含めて4県のみがない盲養護老人ホームを造る意義は大きく尊い事だと考えています。私には色々な知識がありませんので皆さんのお力を結集して頂き来年3月に立派に完成出来ますように宜しくお願い致します。」と話をさせて頂きました。

その後はそれぞれの立場で熱のこもった話し合いをして頂き、当法人の事業に対して一生懸命になって頂ける事に目頭が熱くなりました。そして、必ず立派に完成させ岐阜県の視覚障害の方々にとって安心を持って頂けるものの構築に努めなければと改めて思いました。

2時間の会議を終えてから新規事業の室長であり、岐阜県老施協研修委員長である窪田室長と16日に実施される『新型コロナ対応検討会議』が岐阜県主催で行われ、私が老施協会長として出席する為の事前打ち合わせをしました。確かに新規事業も大切ですが岐阜県老施協会長として、新型コロナに対する対応も重要な事ですので、気を抜く事なく打ち合わせをして、その中で施設においていわゆる『クラスター』が発生した時の対応については岐阜県の支援が不可欠なので、しっかりとした提案をして、検討会のメンバーと岐阜県に理解を得られるようにしっかりとした提案をしていきたいとの思いで打ち合わせをしました。また、第二次補正に基づき介護に対する補助金についても情報共有をしました。

私に与えられた役割をしっかり全うしていく事で色々な展開がよくなっていくのであれば少々体調が優れなくても、頑張れる。リピーターの皆さん私はそんな人間ですが、これからも宜しくお願い致します。

一日遅れの報告をします。

考えてみたら、昨日のコラムも一日遅れの情報だったのですが、一日前の情報になるのは、『1000文字ものコラムを一日が終わりくたくたに疲れた状態で書くのは正直泣きながら書かなあかん。だったら、少しでも書く時間があったら書いておこう。』と言う宏くん【らしくない】考え方からなのです。

実は今の時間は午前5時35分で、今がどういう時間なのかと言うと、昨夜も早く寝て、5時前に我が家の老猫『リット君』が私のベットの側で何かをカリカリしながら鳴いていたので、「少し遊んだるか」と起きて歩きだすと「にゃーにゃー」言いながら私が歩き難いようにジグザグに歩いて絡んでくるのです。

本題に入ります。(全く前段が長いのはいつもの事でリピーターの皆さん申し訳ありません。)

昨日は久しぶりで朝イチで遠くまで運転しました。それは、関市にある中部学院大学で岐阜県高齢福祉課主催による『外国人材検討会議』が10時からあったからです。多分私が一番遠い所からの参加で遅刻は許されないと、家を8時15分に出発したら、9時25分に大学の駐車場に着き、今時当然なのですが入校手続きを入り口ですると検温チェックをして36℃なので大丈夫と言う事で会議会場に行くと出席者は私が一番乗りで大学側の職員が一人のみ。こう言うのは遠い者から集まるとはこう言う事か。今日の会議は会場での参加の他にもウェブでの参加もあり、かなり変則的でしたが、流石に皆さん場馴れされた方々ばかりで会議は粛々と進行していきました。

先ずは事務局側の中部学院大学の職員の進行で高齢福祉課長の挨拶、座長の中部学院大学の飯尾学部長の挨拶後、飯尾教授の進行で会議が始まりました。先ずは外国人材に対する報告を事務局側の中部学院大学の職員からあり、補足説明を委員の一人である中部学院大学の吉川教授がされてから討議に入りました。このタイミングでの会議なので『新型コロナ』の話題は避けて通るわけにはいかず、前回の会議の後の進捗の遅れは歪めないものになりました。会議の中で一人の委員さんが「介護職は因果な業界で不景気になると職員確保が楽になる」ような主旨で話をされたので私は間髪入れず「岐阜県の高齢者計画の中で今の現状で何も手立てを講じなければ2025年まで毎年1000人からの職員が不足するとの見通しを立てている現状なのだから短期見通しではなく、中長期的な考え方の中で外国人材も必要不可欠だし、今こそ大切だとの岐阜県の考え方で進めるべきで、現在介護に関わっている外国の方に広く意見を聞いて次の一手を考えるべきだと思います。」との意見を言わせて頂きました。

会議は12時までの予定が若干延びその後、飯尾先生と話をして、高齢福祉課長さんを始め3名の担当者の方にご挨拶をして、急ぎ施設に戻り14時から介護職の処遇改善加算の有効な配布方法についての打ち合わせを社会保険労務士の先生とすることになっており、昼食はいつも以上にパクパクと食べていると、社労士の先生から少し遅れるとの連絡を頂き少し深呼吸する時間が持てました。

打ち合わせも終わり事務所で書類決済やパソコンでの確認等をしていると17時になり、慌てて垂井に向けて車を走らせました。と言うのは新規事業をより充実したものにする為に乾町議のはからいで養護老人ホームに入居される方の中で畑で野菜等を栽培したい方に土地の確保が出来たら良いとの思いで土地を譲って頂く話に行く為です。18時には少し時間があったので新規事業の所の解体現場に行ってびっくりです。どうしてかと言うと旧町営住宅32棟が全て取り壊されていて、コンクリートの瓦礫の山に土肌が見えていて、まだ10日余りでよくもここまでと思うと共に感謝の気持ちで一杯になりました。

本当に時間がないなかで頑張って頂いていることに感謝・カンシャ・かんしゃです。

お酒の不思議

令和2年6月11日

私は冷酒が大好きで最高に飲んだ記憶は二人(私と演歌歌手)で、したたか飲んだ時は4合瓶を7本空けて、お店の方が「この酒は山形の酒で・・・。」とか何とか言って冷酒の盃を持って部屋にきてくださりプラスアルファーで飲んだり、「これ以上は4合瓶では無理だ。」と1合づつ持って来て貰って・・・。つまり浴びる程飲んで、演歌歌手の方とお互いに「あなたが2升で私が1升」と担ぎあってますが実際には・・・。

また、父進さんの弟(つまり私の叔父さん)で『滅茶苦茶飲める』と豪語されていた方と私が、大学生の時の垂井祭りで、親戚の家でビールの大瓶を2ケース(40本)飲んだりした記憶があり、最近まで私は「お酒が飲めて歌が歌えてお話が出来たから今の事業が出来ました。」と話す事が度々あったし、病院で血液検査をして貰ってγGTPが高いと主治医の先生に指摘されても「仕事上のお付き合いで仕方なく飲んでいるので職業病です」とけろっと答えていました。

そんな私が3月26日に、職員の送別会でしたたか飲んだきり、本日まで外で飲むことは一切なし。「お付き合いの為、外で飲む事はあっても家で晩酌は一切してません。家でまで浴びる程飲んでしまったら肝臓は持たないから」と言い続けていた私ですが、2ヶ月以上のお酒なしの生活は流石に考えられなくて、昨日は週に一回(基本的には火曜日)移動販売の『だるまや』さんが本部施設の玄関前に来ての販売があり、『だるまや』の経営者の方が「理事長、今日は生の良いお刺身がありますよ」と言われて、(そんな言い方をされたら買うしかないでしょ)お刺身とキュウリを買いました。そして、久し振りに家で晩酌をしたのです。

と言うのは私の大好きなキリンラガーの350ミリリットルが一本冷えていて、お刺身をつまみにしてコップを出して手酌で飲みだしたのです。「この一本を飲み干したら、冷酒 『禮泉』(岐阜県養老町の酒倉)が冷やしてあるから飲む事にしよう」と考えていたのです。しかしながら、350ミリリットル缶が空になるまでに私の体は「もう飲めない」と感じてしまったのです。350缶一本と言う事は飲みに行けば生中一杯分ではあーりませんか。これは私の体の何処かが悪いのかと一瞬思ったのですが・・・。「いやいやそうではない」と気が付きました。つまり。家で一人飲んでもそれほど楽しくないので酔っ払うしかないのか・・・。体をいたわると言う意味では良い事なのかな。でも、こんなに飲めない宏君は宏君ではないのでは・・・。リピーターの皆さん私は早く浴びる程冷酒が飲みたいのですが・・・。どう思いますか。

 

朝6時に施設に行きました

5時30分に目覚めてベットの中でウダウダとしているのが勿体無くて「えーい、やー」で起きて着替えをして洗面を終えてから施設に向け車で出掛けました。車を駐車場の指定場所に停め施設の自動ドアが開かない。よーく見ると事務所が真っ暗。そこで私は「宿直者を携帯で急がせてドアを開けて貰おう。」と言う事で、携帯をすると直ぐに出てくれて玄関を開けて貰い事なきを得ました。

こんな時間に施設に来たのには理由があります。それは本日10時30分からと13時30分から新人研修を2組に分けて『法人理念と介護に対する基本理念』について話をしなければいけないのに、前日までは新規事業の打ち合わせや根回しの為に落ち着いて講義の為の資料作りが出来てなくて『時間は産み出すもの』との思いで施設にきたわけです。内容の検討はイメージ作りをしていたので、パソコンの画面を見て猛然と打ち込む事が出来ました。

資料については実際に話をする事の振り返り資料(提出物)のおまけ付き。だって、受講者は勤務時間中に、もしくは休みの者は超勤を付けての研修を適当な内容で終わったら申し訳ないとの思いでの事でした。宿直者には若干気の毒な思いをさせましたが、私的には朝の冷気の中で効率良く資料が作成できました。

受講者8名中5名がEPAによる介護福祉士候補生のインドネシア人で、話辛い面もありましたがそれぞれが一生懸命に聞いてくれたので、一週間後のレポート提出でどれだけの効果があったかを確認するのが楽しみです。15時30分に研修が予定通り終了して、生ゴミ処理機の新規購入に補助金が頂けるかもしれないとの情報を得ていたので書類を作成して共同募金会に提出をしにいきました。

施設に帰ってくると既に18時前で岐阜県高齢福祉課から電話が欲しいとの事で電話をして、既に12時間が経過していてくたくた。本当は施設でコラムも書いて帰宅したかったのですが、家に帰りお風呂でリラックスしたくて、今は20時を回っていて限界です。もう書けません。2008年にコラムを書き出した頃なら300文字も書けば十分だったようなのに今は7百文字を書けても不満・・・。等とウダウダと書いていたら9百文字をクリア。

リピーターの皆さん明日は一番で中部学院大学(中津川)で外国人材の会議があるので千文字はクリアしてませんがお許し下さい。(と言ってもほんの10文字暗いですが・・・。)

結局ウダウダ書いていたら千文字クリアで・・・。お後が宜しいようで。

昨日に引き続き地元の郵便局に行きました

令和2年6月9日

昨日、緊急に振り込みをしなければいけない案件があり、極力郵便局が良いとの事だったので、地元の郵便局にいきました。私自身郵便局での振り込みをしたことが無かったので局員の方に聞きながら手続きをさせて貰いました。「郵便局の通帳があると料金も安く、簡単に出来る。」との事でしたが、郵便局の通帳は持ち合わせていなくて、「出来るだけ早くに送信したい。」との気持ちが強かったためそのまま手続きをしたのですが、手続きが終了した段階で局員の方が何か心配な事があったのか、電話で何処かに連絡されて結局「通帳が無いと難しいです。」と言われました。私は「あれやこれやと待たされて振り込みすら出来ないと言うのはどういう事じゃ。」と思いましたが、『ここは、地元の事だから忍、忍で』とすごすごと帰りました。

そして本日、6時45分に朝食を頂き新規事業の為に解体撤去作業をして貰っている所にある樹木の移植を庭師さんにお願いしてあったので8時の約束に間に合うように出かけました。スムーズに走れたので7時35分に現地に着いたので「庭師さんがお見えになるまで」と解体状況を見て回りました。「全くビックリです。」だって、実質7日間で殆ど形を留めない様な状態で、しかも、解体を請け負った会社の社長さんが下請けの方への指示に見えたのです。

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その後庭師さんとの打ち合わせも終えて施設に帰ると時間は9時15分。「よし、昨日出来なかった送金に郵便局の通帳と印鑑を持っているので行ってこよう。」と出掛け、郵便局の駐車場に車を入れて郵便局の玄関の自動ドアを入って『???』で中が真っ暗。「どうなっているのか」と思っていると、『窓口業務は10時から』との張り紙が。「昨日に引き続き不発」と口ずさんで施設に戻りました。打ち合わせ等をしていて10時30分になり「11時から社労士の先生との打ち合わせがあるけど午前中に送金したいし、30分あったら今日は書類は昨日中に書いておいたし、通帳も印鑑も持っているので充分行ってこれる。」と『三回目の正直で』本日2回目の挑戦。郵便局の駐車場に入れようとしたら3台しか入らないスペースが満車状態・・・。(3台の内郵便局員の車が2台でお客さんは1人のみ。当法人の考え方とは随分違います。当法人はお客様ファーストだから、当法人の考え方でいけば局員は郵便局の駐車スペースには置きませんね。)

Uターンして近くの空き地に置いて郵便局に行き、昨日出来なかった手続きに入ったのですが、親切に局員の方は対応して頂けたのですが、上席者の(多分局長さんだと思うのですが)方の確認をとって頂く決まりなのか、上席の方はもう一人のお客さんが持ち込まれた多くの小銭の対応をされ、それが終わったら何故か奥に行かれてしまいなかなか出て見えなくて流石の私もイラッとしながら、「11時にお客様とのお約束がありますので早くして貰えませんか。」と言うと慌てて上席者の机に置いてあった私に渡すべき書類を持って来て「大変時間がかかり申し訳ありませんでした」と手渡して貰いようやく入金完了・・・。

新型コロナウイルスの影響で色々なマニュアルに基づいての局長さんの行動だったのかも知れませんが少なくとも顧客ファーストな対応ではなかったと思いますし、新型コロナウイルスの関係で開始時間を遅らせれば時間が短い分『密』になるのではないかと思うのですが・・・。リピーターの皆さん私の考え方をどのように思われますか。

 

いかん、いかん

令和2年6月8日

夜中に目が覚めて『いかんいかん』と言う事に気が付きました。(そうなると眠れませーーーん)それは、新規事業の為に旧町営住宅の解体撤去工事が急ピッチで進んでいるのを毎日の様に確認に行っていたのに、お神酒とお塩を敷地内に撒いて、「無事に工事が終わりますように」とお願いして回る事を今回に限って出来ていない事を・・・。弁解の様になってしまうのですが、解体工事になるまでにあまりに多くの時間を費やしてしまい、「解体工事が出来る。」と言う事で舞い上がってしまったとしか考えられない。

そこで、本日、ゲンキー(ドラッグストア)の開店時間に合わせてお酒とお塩を購入して解体工事現場に行く事にしました。そうすると、地元の町会議員さんとゲートボールをしてみえた地元の長老の方が話をしてみえたので挨拶をすると、垂井町の土地であるゲートボール敷地内に、建設工事が始まったら建設事務所に土地を貸す話をしたらどうかとの話で盛り上がっていて、私は思わず「ありがたいな・・・。」しばらく、話をしてから解体工事現場まで歩いて行き、現場で作業をして頂いてる方々一人ひとりに「暑い中ありがとうございます。土地の主にお神酒とお塩を撒きにきました。」と言いながら敷地内をくまなく歩いて回りました。「そんな事をして何になるの」と言われる方もあろうかと思いますが、今までしてきた事をしないでいて何かトラブルがあったら後悔する。万全な体制の一つだと言う思いでさせて頂きました。

夜中に思いつきその日の内に思いが形になった事で一つ肩の荷が下りたように思います。しかもタイミング良く、地元の町会議員さんと地元の長老さんがみえたのは『目に見えない形でご縁を結ばせて頂けたし、確実に支援者が出来ている証』とも思いました。本格的な打ち合わせを今週の金曜日である12日に、造成のコンサルさんと設計のコンサルさんと、駐車場への進入道の為の土地提供者の取りまとめをして頂いている司法書士さんと行政書士さんを交えての会議を計画しているのですが、その前に問題整理をすべき事があり垂井町さんを初め地元の方々との協議をしっかりしなければいけないので、抜けがないようにしていきたいと考えています。私に出来る事はネットワークを駆使しての根回しを誠意を持ってしていく事だと思っています。

『措置施設』の経営が色々な面で厳しい事は分かっています。しかしながら、岐阜県の皆さんの安心の為の盲養護老人ホーム建設と西濃地区のセーフティーネットの為の養護老人ホームの建設は必然であり、福祉の根幹の為に頑張らなくてはとの思いを改めて感じています。それは、地元の方々からの支援も間違いなく形成されようとしている今だからです。リピーターの皆さん私はこんな性格で『苦労は友達』のような生き方しか出来ませんがこれからも宜しくお願い致します。

 

改めて私の過去のコラムの過去を振り返ってみました

令和2年6月7日

本日は日曜日で我が家の朝食が8時からだったのですが、8時前に宿直者の吉田部長から、「庭師さんがみえました」との連絡を貰い、直ぐに施設に行くと共に、新館入居者さんが桜の木の状態を気にされていたので、納得がいくように思いを庭師さんに直接伝えて貰おうと新館に迎えに行き頑張って歩いて貰い、納得されるまで話をして頂きました。

その時しみじみ思ったのは、その方が入居される前に長浜市民病院へ事前訪問に行った時はベット上の生活で極端な言い方をすると『世をはかなんで全く気力が感じられない正に要介護4』の状態でしたが、本日も結構な距離を歩いて色々な意見を言って頂けるし、施設の守り主のような存在です。庭師さんの樹木の消毒も含めて11時過ぎに終了したとの事だったので、新規施設に植わっている木の移植をお願いして段取りを決めて貰わなければいけないので急遽現地を案内して打ち合わせが終了したのが11時50分で施設に帰る運転中に無性にお腹が空いてきて、よくよく考えてみたら朝食を食べていなかった。そんな時は滋賀県に入った所の中華料理店が量が多くて安いと考えて、中華料理店に向かいました。そこでBランチを頼みました。

そのメニューは『天津飯』『五目ラーメン』『唐揚げ』で料金はと言うと消費税込み800円です。常識的に物事を考えると天津飯と五目ラーメンは半分だと思いませんか。ところが、この店は当たり前の量が出てきて唐揚げも馬鹿でかくて食べるのも大変な大きさ・・・。お腹が一杯になったので14時からの新館でのカラオケ出演もお腹から声が出せそうです。

今日は久しぶりにコラムの原稿書きを携帯からでなくてパソコンで打つ事にして、ふと「このコラムはいつからどんなペースでしているのかな」と考えだしたら、即確認したくなり確認しました。1ページに納められているのが9日分で119ページになっていました。つまり、119ページ×9コマ=1071コマです。素晴らしい私の財産だと思うと共にもう一つ思ったのは「いつからこのコラムを始めたか」と言う事と「連続更新記録はいつから始まったのか」の2点です。そして調べました。

コラム開始日は2008年7月21日でついでに言うと始めた頃は7月21日の次が7月28日で次は8月10日で次が9月1日だったのです。と言う事は書き始めた頃は飛び飛びのとーーーーび飛びだったのです。しかも、せいぜい300文字程度・・・。二つ目の疑問は2018年8月24日からでした。しかも、毎日の様に1000文字をはるかに超えた文字数で・・・。

笑えるのは2008年7月から2018年8月までの約10年で119ページの内の44ページで残りの75ページは1年10カ月だと言うことです。この1年10カ月は「自分でも誉めてあげたい」気分ですが、この連続更新によってリピーターの方も増えてきたようです。これからも更新記録を延ばし続けると共に中身の充実も図っていきますので今後ともよろしくお願いいたします。

昨日も触れた高田好胤師の言葉について再考します

大谷徹奘師の師匠の高田好胤師の『苦労と仲よくすれば  きっと  苦労が味方して  助けてくれます』の言葉を改めて私自身の人生に基づいて語る事にします。

(このコラムのコーナーで何度も触れていることですが)私は小さい頃は対人恐怖症で赤面症だった事もあり、自分がやりたい事があっても『始めの一歩』が出なくて、誰かが私がしたかった事をやり始めてうじうじとしている事ばかりで、『宏君は何も出来ない』的な子だったと思います。だから話をしたりする場面では『ぼそぼそ』とした話し方だった為に声がこもってしまい、「何を話ているのかわからない」とよく言われて、ますます萎縮した毎日だったと記憶してます。

つまり、『苦労と仲よく』する事を頑なに拒否していた毎日だったと思います。だって『出会い』があってもその出会いを拒む日常だったので『苦労』は全て避けていたと言う事だと思います。そのような生活はまるで庭球ボールを手でグーっと握ったような毎日。そのままの生活が仮に今も続いていたら、今のような状況には百パーセントなっていなかったと思います。

私は中学時代に殆ど受験勉強を一生懸命に努力した記憶がありません。(自慢して言う事ではありませんが)ある日のエピソードを書きます。私が高校2年4月7日に急逝した姉光子さんが、私が中学3年で珍しく2階の自室で勉強していると気を利かせて飲み物とおやつを持ってきてくれた時に私はよだれを滴ながら爆睡していて、姉光子さんの気配を感じて『やばい』と思い、姉光子さんに何かを言わなければとその時思ったんだと思います。だけれども、動揺と寝惚けの中で『意味不明』な事を言ったんだと思います。姉光子さんは「宏、眠いのならお菓子を食べて寝なさい」と優しく声をかけてくれたのを今でも覚えています。(もーーしも、この場面でその当時の春子さんだったら・・・。)結局中学時代には『努力』と言う生活とは無縁ですから、ましてや『苦労』等は笑止千万。だから、公立高校への進学は叶わず(私の時代は優秀な子は公立に進学したので。今とは状況が変わっています。)大垣日大高校一本での高校入学でした。しかしながら、この進学が私にとっては幸運を産んでくれたのです。

と言うのはその当時の大垣日大高校は私が7期生と言うまだまだ校風が固まっていない状況で自由快活な活動が許されていたと思います。1期生が卒業して先生になって教壇に立たれた時が私が3年生の時。私もその頃は自分の気持ちをガンガン表せて・・・。勿論新しい事、誰もがやらなかたた事を行動に移すにはかなりのエネルギーが入りますし、軋轢もありました。しかしながら軋轢が大きければ大きい程に使命感とやり遂げた時の達成感を身を持って味わう事が出来ました。だから、かっこ良く言ってしまうと『苦労』だとは思わず「遮二無二前進あるのみ』だったように思います。

今は私の過去の話をしたりすると「理事長さんは大変なご苦労をされたんですね」と言われる事が多くありますが、私自身は、問題解決に一生懸命で、やっている事を『大変』だとか『苦労』だとか思った事はありません。だから『苦労と仲良く』とは少し意味合いが違うかもしれませんが・・・。確かに胃に穴が開くのではないかと思うような事やお先真っ暗で布団の中から出れないような事はありましたが良い意味での『喉元過ぎれば』は一杯経験したはずですが、有り難い事に今は上手く行った記憶しかありません。

リピーターの皆さん幸福者の私にエールをお願いします。

朝一の天気予報で岐阜の最高気温が33℃だと言ってます

朝から青空で天気予報の最高気温を聞いた瞬間に頭がクラクラです。その時に頭をよぎったのは新規事業の為に旧町営住宅の解体作業をして頂いている方々に大変な作業をお願いしている事です。でも、梅雨に入り雨の中の作業も大変なのでどちらにしても作業をして頂く方に感謝です。本日は10時30分からかつてのデイサービス及びショートステイ利用者さんの葬儀に参列して、13時からは厨房委託業者の日清医療食品のエリアマネージャーの方達との打ち合わせ、14時からは中部電力の方と新規事業の解体工事に伴う電柱撤去の打ち合わせがあります。通常なら電柱撤去は申請を提出してから概ね3ヶ月はかかるそうですが、(申請書提出は5月12日に垂井町からして頂きました。)5月30日に解体業者の入札を行い直ぐにでも解体に取り掛かりたい旨をお願いしてあり、公共性を理解して下さり入札執行日の日に電柱から各住宅に延びている電線は外して頂けたので解体工事は支障なく出来ています。今日の打ち合わせは整地に伴う電柱の撤去の打ち合わせをしに来ていただけたのです。本来であればこちらが無理なお願いをしているので、会社にお邪魔して打ち合わせをするのが本来の姿だと思いその旨を伝えたのですが、本部施設に来て頂けるとの事なので感謝の意をどのようにお伝えすべきかと悩んでいます。(ここからは中部電力との打ち合わせからです。)現地での打ち合わせでの理解不足でその調整の為に来て頂いたようなので、解体と整地を請け負って頂いた新晃の社長さんに連絡するとラッキーな事に会社におみえになり、会社に来て頂けたら打ち合わせが出来るとの事だったので、三者が意思疏通をしっかりすれば話は早いと考えて、慌てて場所移動をすることにしました。そして、解体及び整地を請け負って下さった新晃の社長さんと中電の責任者の方と理事長である私の三者で急遽打ち合わせをすることになりました。やはり、お互いの事情をそれぞれに話をしていくとお互いに譲歩すべきをしていく形で話がまとまり、最後は笑顔で散会することが出来ました。『案ずるより産むが易し』で素早い行動により上手く行く結果になりました。と言うことは一生懸命は良い結果が生まれると言う事でしょうか。等と考えながら施設に帰ると奈良の薬師寺の執事長の大谷徹奘師から『第11回メールde法話会』が届いていて、徹奘師の師匠の高田好胤の『苦労と仲よくすれば  きっと  苦労が味方して  助けてくれます』が届いていました。うーん深い言葉だけど昔から『苦労は買ってでもしろ』にも通ずるし、私も火中の栗を拾うような事をしてきた事が今につながっていると思うので今の生き方を全うしていきたいと思います。最後に本日は33℃と暑かったです。正直頭がガンガンもしました。リピーターの皆さんも暑さ対策の一環で水分を一杯採って下さい。勿論ビールを水分と思ってたくさん飲んではいけませんよ。あれはアルコールですがら・・・。

高田好胤和上筆 機関誌「薬師寺」81号より転載.JEPG (002)
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