起工式までに後10日もない

朝一で大垣共立銀行関ヶ原支店に行き、収入印紙代分16万円をおろしてから、関ヶ原郵便局に行き10万円と6万円の印紙を購入しに受け付けに行き「16万円分の印紙を買いたいのですが」と言うと局員の方が怪訝そうに「優・悠・邑の方ですか」と聞かれたので、どうして聞かれたのかを一瞬考えました。その理由は、私が優・悠・邑の施設長だとは思われなかったので、優・悠・邑以外の方の購入だと昨日電話で私が頼んでおいた収入印紙がなくなる。と思われたのか。しかしながら、関ヶ原のような小さな町で16万円なんて高額なものがそうそう買われるのか。収入印紙を頂いたビニール袋に入れていると局員の方が「高額ですから落とさずにお持ち下さい」と言われたのも面喰らいました。だって、私にとっても16万円は高額だから大切にしますよ。それとも私の所作がいい加減に見えたのか。施設に戻ると、岐建の松井常務さんと担当の寺戸さんが見えて、しばらくするとデザインボックスの八代社長と担当の山口さんがみえたので早速契約の話しになり、私は1分でも早くに契約を済ませたいと印鑑の準備をしていると、松井常務さんから、「取り合えず、契約書に書いてあるのを読みますので」と言われて私は思わず苦笑いです。その後契約書を読んで貰いながら説明を聞き、三者で印鑑を押して正式に契約を結ぶ事が出来ました。その後は今後のスケジュールを話し合うのですが、今月26日が起工式と決めていて、よーく考えたら10日も無いのに何の準備も出来てなくて、「招待する方はだれなのか」も決めてない。嬉しい悲鳴とは言え「エライこっちゃ」。契約が終わり、本日は本部施設で『認知症研修』が行われていて、講師を勤めているのは和合の施設の吉澤統括部長と昼食をとり、13時30分からの全国老人福祉施設協議会正副会長委員長会議のウェブ会議が16時まであり、17時からは岐阜新聞の方との約束があり、契約書の調印後の『ホッ』としたのは18時30分。気が付けば「コラムが出来ていない。」で、お風呂に入り湯に浸かりながら必死にガラケーの携帯でコラムを必死に打っています。コラムを打ちながらいみじくも昼食を吉澤統括部長と頂きながら「忙しい人間程、時間を上手に使えると言われている。暇な方だから頼んだ事をやって貰えると思ったら大きな間違えだ。だから、忙しいからこそ、効率良く仕事が出来るんだ。」と話をした事を。と言う事は時間がないからこそ、私も頑張れるのか。リピーターの皆さん。とにかく、起工式までの10日間頑張りますのでこれからも宜しくお願いします。

新規事業の契約の運びとなりました

令和2年 9月15日

本日10時から建設を受けて頂く事になっている岐建さん(入札では価格が合わなくて辞退だった事は、このコラムで掲載した通りですが)と、設計を請け負っているデザインボックスさんとで当法人が提示した予算に合わせれるかの協議をして貰う事になっていたので、午前中はいつ結果報告が頂けるかと落ち着かない時間を過ごしていて(正直昨夜は眠れませんでした。)12時6分にデザインボックスの八代社長から「これから説明に行きたいのですが」との連絡に「予算を伴いますし、昼食もとって頂いて13時30分からでお願いします。」と電話を切ってから、会計をお任せしている岩田理事(税理士さん)に連絡をして時間的都合をつけて頂き、随意契約の事前打ち合わせ会を緊急で開催する事になりました。先ずはデザインボックスさんから設備面の変更によっての単価を抑えての計画が提案されて、支障がない事を一つひとつ確認して納得がいくまで説明を受けました。そして、価格を抑えるにしても抑え切れない金額の提示が1090万円にのぼるとの事だったので、「ここからの話しは岐建さんを交えてしなければ何ともならないし、理事長としてはこれ以上契約日を延ばすことは出来ないと考えているので、岐建さんに連絡して来て貰います。」と話をして、直ぐに岐建の常務さんに私から連絡すると、「担当者と共に直ぐに伺います。」と言って下さり(私の性格を理解されている常務さんなので、待機されていたのかも知れません。だとすると、やはり切れる方何だと思いました。)30分位デザインボックスさんと話をしていると岐建の常務さんと担当者の方が来て下さり、理事長の私から「予算的な切り詰めをデザインボックスさんとして頂いた事は理解しましたが現実的な開きについては岐建さんの理解を得たいと思いますし、今までに二つの施設を立派に建てて頂いたご縁を理解した答えが欲しい。なお、今回の新規事業は岐阜県で唯一の施設であり、県民の方が広く見守って頂ける施設でもあり是非とも理解して頂きたいし工期の時間を考えると明日の契約を逃すわけにはいかない。」と熱弁を奮いました。そして、岐建の常務さんから「理事長の熱い思いに応えさせて頂き精一杯頑張りたいと思います。」と答えて頂けたのには、会議に参加していた全員が安堵して、契約は明日10時から行うので収入印紙16万円分を用意して欲しい事と起工式は今月26日(大安吉日)に行う事も決めて頂きました。正直安堵すると共に明日の10時までに収入印紙の購入が必要なので関ヶ原郵便局に確認すると手持ちにあるとの事。そこまでの事をしていると、移動販売の『だるま』さんが玄関前に車を停められたので、本日はささやかな一人での祝宴の為のつまみとして、明太子と木綿豆腐を買いました。リピーターの皆さん今日は先日栓を開けた福井の酒『常山』(じょうざん)をグラスに2杯を頂きたいとお風呂でコラムを打ちながら考えています。大きな山を一つ越えましたので、明日からも頑張りますので私の動きをしっかり見ていて下さい。

新しい職員は18歳の少年です

令和2年9月14日

児童養護施設の高校3年生が学校へ殆ど行けなくなった男子高校生の職場体験の依頼を羽島ボランティアセンターから受けたので、その電話の時に私は「羽島ボランティアセンターの仲介はありがたいが、施設にも指導する立場の職員がいると思うので、直接のやり取りは出来ないのか」と投げかけると「連絡を取ってみます。」との事で直接施設同士のやり取りとなり、施設体験は当初3日間だったのですが、一旦帰って本人が「もう一度体験したい」との事で2回目は5日間の体験をして、体験を終えて帰る前に「夏休みが終わり、学校へ行けなかったら学校をきっぱり辞めて仕事に就く」と言っていたのですが、結局夏休みが終わっても学校に行けなくて、施設でゴロゴロしているわけにもいかず、自分でハローワークの求人にも行ってみて、社会の現実の厳しさを理解した上で正式に就職の意志を固めたとの連絡を貰ったので、『ここは間髪を入れず対応すべき』と考え昨日に職員二人が本人と荷物を載せて来て下さったので、本人の意志を改めて確認すると緊張気味に「頑張ります」との事だったので、『鉄は早い内に打て』との格言通りに早速アパートに荷物を運ばせ、送って下さった職員2人と共に昼食をとり、その後本人は自分の部屋となった部屋の片付けをして、一人での生活で、今迄の生活とは違い施設の職員の援助が無い生活に対する覚悟をして貰う事にしました。

アパートの部屋は中学を卒業して3年目を迎えている同い年の男子職員の隣にして、良き相談相手になって貰えればと言う配慮と共に、元からいる職員にとってもアドバイスをする事によって成長すると言う相乗効果があるとの考えからです。だって、人に何かを教えるには、自分がしっかりしていなければ説得力がない事を理解する良い機会になるとも思うからです。中卒で就職した職員は文字通り自ら施設に来て、(愛知県から)既に2年半が経過していて、母親への仕送りもしながら、(金額は知りませんが行為自体が素晴らしいと思います。

正直私には出来なかったことです。)その職員は来年2月に18歳の誕生日を迎えたら夜勤もしっかりしたいので、出来る様に今から頑張ると言ってますし(夜勤が出来る様になるには、1フロアを責任持って出来なければいけないので。その事を知っての発言です。)介護の仕事は『優しさ』と『一生懸命さ』が大切であり、一生懸命の対応の中から『知識を身に付けたい』とか『資格を取得したい』と思うようになることが大切だと考えています。

勿論私は杉和会理事長として、職員の資格取得や研修に参加し易い環境作りをしていかなければならないとも考えています。ちょうど2年前の8月にその当時の厚生労働省老健局長だった大島さんに(現大臣官房長)「中卒で入職した職員を立派に成長させて下さい。そして成功したことを広報していこう。」と言われていたのですが、今のところは上手くいっており、尚且つ児童養護施設の高校3年生男子も同じように上手く行けば人材発掘の先兵になるのではないかと考えています。リピーターの皆さん。日本の総人口は右肩下がりになりますが、後期高齢者の人口は当分の間は減らない状況が続く中、介護人材確保には色々な対応がより求められますので、良い提案があれば教えて下さい。

 

朝から喉が痛い

朝起きると左の喉に違和感があったのですが10時30分に施設でどうしても会わなくてはいけない(明日のコラムでじっくり書きます。本当は今書きたいのですが、頭が働かないので、本当に言いたいことが書けそうにないので)ので、施設に行きその対応の一貫で施設の昼食を一緒に頂き、一段落したら「凄く眠くて、仕事にならない。」と考えたので、入居者の事は職員に任せて13時30分に帰らせて貰い、取り合えず食卓の椅子に腰掛けみかん100%のジュースを飲み(疲れているときはビタミン摂取が大切ですから)、「昨夜で菊姫を飲みきったので」とテーブルの上を見渡すと「飲んで下さい」と言わんばかりの4合瓶の贈答品があったので包みを開けると福井市の酒で『吉祥黒松常山(じょうざん)』と書いてあり、始めて出会ったお酒だったので、思わずガラケーの携帯で記念写真。「今夜美味しく一合頂き、疲れをとらさせて貰います」(だって酒は百薬の長でしょ)と言って2階の寝室で寝ようと歩きだしたら、我が家の老猫『リット』が私の靴が入っていた箱の中で窮屈そうにしていたのが面白くて、ここでも写真を撮り、ようやく2階の寝室へ。昼間であったのですが横になると直ぐに爆睡してしまい、気がついたら16時で体の疲れが随分楽になり、「まだお風呂には早いな」と言う事で、テレビを点けると巨人対ヤクルトを放映していてしばらく観ていたのですが、2位との差が9、5ゲームのダントツ一位なので「巨人は余裕だけど(私は巨人大鵬卵焼きの頃からのファンです)私が珍しく応援した時には不思議と勝てないので、観ないでおこう」とチャンネルを代えると『水戸黄門』をやっていたのでみる事にしました。見ていて思ったのは「途中から見たにしては長いな」と新聞の番組欄を見ると『三時間スペシャル』と書いてあり、結局、二時間近く見てしまいました。『スペシャル』と言うだけにキャストの方が最後の字幕で出てきてビックリでした。但し、長島一茂がでていたのには笑ってしまいましたが。(恐れ多い中に混じってしたから)見終わってから水戸黄門の手法はいわゆる『痛快時代劇』で決まり文句は『恐れ多くも先の中納言水戸光國様にあらせられる。』(正確な言い回しでないかも)は現在の半沢直樹の「やられたらやり返す、倍返しだ」に通ずるものがあるなと思いました。水戸黄門様を愛した人と同じような感情を今の視聴者の方々もお持ちなのだと感じました。本日21時から『半沢直樹』が先週はコロナ禍の影響で放映されなかった分、権力に立ち向かう半沢直樹を観て、リピーターの皆さん、喉の痛みはまだありますが明日からの展開を頑張りますので、これからも宜しくお願いします。

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『月月火水木金金ブラスツー』は意味不明

 

令和2年9月12日

昨日のコラムを朝一で読み返してみて、『月月火水木金金プラスツー』の意味がよくわからないと思われた方は、私の2年前からのコラムを全部読み返してみて下さい。そうすれば私の生きざまも理解して頂けて、その意味もわかって貰えると思います。でも、然り気無く『2年前から全部読み返し下さい。』と書きましたが多分、私自身は出来ないです。だって『2年前』とは、このコラムを連続更新しだしてからと言う事ですからざっと計算すると(1年)365日×2年+18日=748日(1年は365日の2年と8月24日から継続しているのでプラス18日)1日で平均1200文字として400文字用の原稿用紙3枚分。1枚読むのに1分かかるとして、1日分が3分。と言う事は3分×748編=2244分ですから(分ではイメージしにくいので)2244分÷(1時間)60分=37時間24分ですので・・・。簡単な事ではありませんし、「読んで下さい。」とお願いするのは無茶な話しですから、これからのコラムを読んで頂き理解して下さい。

しかしながら、改めて単純計算で弾いた数字を見て自分の事ながら『凄い事をしている』と思いました。だって、1編書くのに最低1時間はかかるのです。と言う事は60分÷3分=20倍だから、ちなみに、37時間24分×20倍=748時間。もう少し分かりやすい数字にすると748時間÷(1日)24時間=31日になりました。恐ろしい数字になりました。これは私にとっての宝だと思っています。だから、これからもこのコーナーを大切にしつつ進化させ(何を持って進化なのかわかりませんが)いずれ、このコラムの集大成を作りたいとも考えています。

しかしながら、つくづく『泣き虫で』『甘えん坊で』『集中力がない』『ひろっちゃん』がいつの間にこんな芯のある人間になったのかと自分でも驚きですし、私が13歳で他界した母秋江さんが今の私に会ったら信じられなくてパニックになるか驚きと感動で大泣きするのではないかと思います。堂々としていると言う意味では、一昨日の9月10日の新規事業の入札で入札札に『辞退』の文字が書いてあった時にも理事長として動ずる事なく、即座に緊急理事会の開催を決め、業者との折衝による随意契約の議決を取り付ける事が出来たのは、単に長年の経験があるからと言うだけでは言い切る事が出来ないと自分でも思っています。

全国老人福祉施設協議会のスタンスの1つに『行動の老施協』と言うのがあるのですが、『閃き』に対して『即行動』と『修正を加えての再チャレンジ』を1つひとつクリアしてきたからこその『今』だと思います。だからこそ、本日の『月月火水木金金プラスツー』等と言うわけのわからないタイトルを平気で書いてしまうのだと思います。リピーターの皆さん。こんな私ですがこれからも宜しくお願い致します。

頑張れました

令和2年9月11日

昨日は午前中の入札が残念ながら成立しなくて、計画を見直す話し合いによる契約の調整をする随意契約の提案を緊急理事会で決めさせて貰い、業者の方も了解して頂き建設実施が首の皮一枚で残ったのですが、入札が午前中で終わってからも、新規事業への対応の打ち合わせや地元へのご挨拶等の対応をして施設に戻ったのは16時40分。17時から全国老施協総務・組織委員会三役による(委員長、副委員長、幹事)ウェブ会議で会員促進の為のパンフレット検討会を作成依頼をしている業者の方と事務局による会議が入っていて、息つく間も無しに始まり、18時30分までの予定が印刷に回す日程が今月28日との事でかなり煮詰めた話し合いをしたので結局会議が終了したのは19時20分。正直朝から心身状態にダメージを受けたので、私の甘い性格から言って「このまま家に帰ったらコラムの原稿書きは挫折して継続が断ち切られるとコラムは終わってしまうな」と考えた私は、ウェブ会議の操作を閉じてパソコンの画面をワードに切り換えてコラムの原稿打ちに集中しました。(小さい頃の『ひろっちゃん』なら母秋江さんによしよしされて書くことはなかったと思っています。)結局一時間の集中力(いやいや気力ですかね)で20時20分に打ち終え(こんな時くらい短いコラムにすれば良いのに、いつも以上に長い・・・。)終了すると同時に宿直者の水野相談員にホームページへのアップを頼み、一目散に家に帰り着き、お風呂に直行。21時前には食卓に。そして、一日の出来事を思い浮かべながら、ご褒美のように『菊姫』をコップ一杯だけ頂きました。(このようなお酒の飲み方は『酒は百薬の長』なのか。だとすると「ひょっとして、私は150歳まで元気かも。いやいやそんな事になったら周りに迷惑をかけるからせめて120歳までにしておこう」等と考えたのは一日の充実感なのかな)22時にはベットに横になると凄い眠気に襲われ眠りについたのですが、夜中に目が覚めました。その理由は寒さを覚えたからです。大判のタオルケットをキチッと巻いて再び眠ろうとしたのですが目が冴えてきたので時間が勿体無いと思い今は午前4時23分です。ここまで書けたのでコラムの継続は楽勝だと思い少し寝ます。(ここからは17時から再び書き始めました。)本日は朝9時のお約束で垂井町へご挨拶に行くために8時過ぎに家を出て、挨拶が済み次第施設に戻り、10時30分から岐阜広告の棚橋社長が岐阜放送の方を連れて見えたので介護の日の事や外国人材についての意見交換をしました。その後、昼食を頂き(きつねうどん)13時30分になり、全国老施協総務・組織委員会がウェブ会議で15時40分まで(予定時間を10分延長)行われて、事務所で書類の確認をしていると、事務所の荷物を事務所内の職員が移動し始めて業者さんによる床の清掃が17時から行われると言う事で私が事務所で仕事をしているのは迷惑になる(そこにいるのは粗大ゴミと同じ・・・)と思い早くに帰宅することにして、コラムを書いていて知らない内に眠ってしまい今(18時46分)はお風呂です。リピーターの皆さん。疲れは寝ると取れますよ。30分グッと休んだので元気になりました。『月月火水木金金ブラスツー』で明日からも頑張るぞ。

心落ち着かず「よりどころはやっぱりお経かな」

令和2年9月10日

本日10時30分から新規事業である『盲養護老人ホーム 優・悠・邑 梅谷(仮称)』の入札が執行されるのですが、朝7時から家で朝食を頂いていても心落ち着かず、朝食後にスーツに着替え施設に行き、入札が行われる会場に行くと既に会場の準備は出来ていたのですが、新型コロナウイルス感染症対策の為の『ソーシャルディスタンス』と言う事と、設計監理をお願いしているデザインボックスさんの席が出来ていなかったので、会場を作り直してから入札会場の隣の部屋が仏間なので、「やっぱり心落ち着ける為にお経をあげよう」と仏間でローソクと線香を点けようとしたのですが、線香が無い事に気が付き仏壇の引き出しを探しても無いので仕方なく線香無しでお経をあげようとして経台の引き出しを何となく開けると線香の箱があるではありませんか。箱の中の半分くらいの線香が折れていたのですが、何とかお供えする事が出来た時に「苦難はあっても最後には整う」と言う事なのかと訳の分からない事を思ったのは、建通新聞で一般入札の広報を8月11日から18日で掲載させて頂いたにも関わらず1社のみのエントリーしか無くて、「もし、その1社も当法人が提案した価格では話にならない。」と断るような事があるとどの様に対応したら良いのかと考えると、正直夜の睡眠も浅い状態が続いたのは事実です。でも、お経をあげる前にこの様に考える事が出来、尚且つ腹の底からお経をあげたので、不思議と心が落ち着きました。

定刻通り10時30分から入札が開始され1社しかなくても粛々と進行を吉田部長がしてくれて書類の確認も済み、理事長である私から話をさせて貰い、入札箱に札が入り当法人の桐山監事にハサミを入れて頂き確認すると、金額が書かれておらず『辞退』の2文字が書いてある。10パーセント位はそうなるのではないかとは予想していましたが、現実にその文字を突きつけられて本来ならば頭が真っ白になって思考回路がストップしてしまうところですが、お仏壇での線香の件を思い出した私は意外と冷静に現実を受け止める事が出来ました。それは、本部本館施設の入札の時(平成9年8月8日)は、建通新聞に予定価格が示されていなくて、2回に渡る入札の結果でも落札者がなく、その場で緊急理事会を開催し、一番低い価格を書いてくれた業者との話し合いで何とか契約したと言う経験があったのですが、今回の場合は、数字が明記してあったので『辞退』としか書きようがなかったのです。

今回も緊急理事会を開催する事の了解を理事・監事の方に取り、その旨を業者さんに伝え、業者さんには別室に移って頂き、理事・監事の皆さんに「これ以上の金額は出す事が出来ないので、設計をお願いしているデザインボックスさんに設備等の価格の安いもので金額を落とす形で随意契約をしたい。」と理事長として話をして理事・監事の皆さんのご了解を得て、再び業者さんに部屋に入って頂きその旨をお話すると、業者さんの方から「精一杯頑張ります。」と言って頂けたので私は厚かましくも「16日が大安なのでこの日に契約が結べると嬉しいのですが。」と話をさせて貰いました。リピーターの皆さん。沢山の修羅場を踏んできたお陰でこのような対応が出来たと思っていますし、お経さんのお陰だとも思っています。こんな私ですが、これからもよろしくお願いします。

 

伊勢谷友介容疑者逮捕に思う

令和2年9月9日

俳優の伊勢谷友介さんが自宅で大麻所持の疑いで逮捕されたニュースをテレビでガンガン報道しているのを見て、色々な意味で違和感を持った事について述べさせて貰います。その最たるものは、朝の報道番組のコメンテーターの一人が「アメリカでは大麻について合法になっている州もあり、伊勢谷友介氏は留学の経験もあり、その時に合法だったのでその後、日本に帰ってからもその流れの中で大麻を常習されていたのではないでしょうか。」と如何にも日本の法律が遅れていて、おかしいと言わんばかりのコメントに私は思わず耳を疑ってしまいました。だって、大麻について多くの国で違法としている代物ですよ。日本の歴史をみても、古くは奈良時代に『律令制』が出来た事により『墾田永年私財法』が出来、平安時代には『荘園』が生まれて公家に都合の良い制度が出来、鎌倉時代は荘園を守る為に武士が力を持ち守護・地頭が生まれ、その武士の家計を助ける為に『徳政令』が出されたり、徳川5代将軍徳川綱吉に至っては『生類憐みの令』が発せられて民衆を苦しめた事はあまりにも有名な話です。

まだまだあげればその様な事例は一杯ありますが、何が言いたいかと言えば、その時代(とき)の権力者にとって都合のいいもので作られ法律になっていると言う事は、その時代の状況によって制度や法律が出来ていると言う事です。昔から『郷にいては郷に従え』と言う諺がありますが、今の日本の法律は法事国家としての成り立ちを今は維持しているわけで、「アメリカで許されているから日本も同じでない方がおかしい。」との論法は成り立たないと思います。端的な事を言うと、アメリカでは多くの州で銃の所持が認められていて、銃に関わる事件が起きた時には銃の規制が話題になっても銃の規制がなかなか出来ないのは、治安の問題や自分の身は自分で守らなければいけなかった歴史があるからだと思っています。「アメリカではこうなのに」と一概には言えないのはその為だと思います。

もう一つ違和感を持ったのは、現行犯逮捕された時に認否については「弁護士さんが来てからお話しします」との真意が私には理解出来ない。確かに下手に自分に不利になる事は言わない方が良いからと言う事もあるのでしょうが、そのスマートな考え方は確かにアメリカンナイズされていると言う事なのでしょうか。もう一つの違和感は、伊勢谷友介氏が何本かの映画に出演されていて、「違約金はどうなるのか」との話をまことしやかにされていました。確かに有名な俳優さんだから社会的責任は大きいとは思いますが、逮捕されて直ぐにその様な事が話題になるのも違和感を覚えました。

リピーターの皆さん。今回は1つの現象でこてこてとした事を述べたのは私が『巳年』の性だからでしょうか。それとも明日が新規事業である盲養護老人ホームの入札で心躍るのでは無しに心沈んでいる為なのか。どちらにしても、岐阜県内の社会福祉法人のどこもエントリーしなかったのは厳しい経営を強いられる事が目に見えての事。覚悟はしていたものの社会福祉法人杉和会理事長としては大変な試練だとの思いが強いです。でも、大きな試練を乗り越えてきた私ですから必ず乗り越えてまた景気の良い報告をしたいと思っています。

 

ご縁を大切に

令和2年9月8日

昨日18時30分から、大垣共立銀行関ケ原支店の100周年記念式典が関ケ原カントリー内のレストランで行われ、私もご招待を頂きましたので参加させて頂いた事は既にこの理事長コラムで書かせて頂いているのですが、その折り、開会前に大垣共立銀行土屋会長(前頭取)に改めて名刺交換をさせて頂いてからご挨拶はさせて頂いていたのですが、その後同じく招待を受けられていた関ケ原駅前の料亭『末廣』の女将が、8月20日に静慈圓先生を囲んでの懇親会の折りに飾ってあった静慈圓先生の書の事を聞きに見えたので、あの字は梵字で『あ』と書いてあった事を話しすると共に、「いきなりどうしたのか」と聞くと「土屋会長が先日末廣に来て興味を持たれたので」と言われたので、それを聞いた私は直ぐに土屋会長のお傍に行き「来年の8月20日には是非とも同席して頂けたら」とお話させて頂くと「8月20日ですか。迷惑でなかったら参加したい。」との事だったので、本日は早速土屋会長さんに向けアクションを起こしました。具体的には土屋会長充てに手紙を書き改めて、来年8月20日の件を書かせて貰うと共に静慈圓先生の著書2冊と当法人のパンフレット等大きな封筒に入れて関ケ原支店長にアポイントメントを取り支店長に届けたいと考えています。

このようなアクションは私の真骨頂だと自画自賛です。今でこそこの様な対応が出来て、私の事業展開においてどれだけプラスに生かされたか計り知れないものがあります。但し、中学時代までの私は真逆な対応しか出来ず「行動に移したいのに移せなくて」実行出来なくて後からうじうじと考えていて益々臆病になっていたのを覚えています。どうして今の様な対応が出来る様になったのかとつらつら考えるに、一つの分枝点は高校入学だったと思います。私の通っていた小学校、中学校は1クラスしかなくクラス替えも無くて、小さい時の印象をずっと引きずり『消極的な子』との印象を払拭出来なかったのですが、高校に入学すると1学年で11クラスもあり、私の消極的な子のイメージを知るものがいなかったのと、大垣日大高校が自由な校風であった事も幸いしたように思います。もう一つ大きな出来事は高校2年4月7日に母親代りだった姉光子が急逝して、やけくそな日々を1学期間過ごした(父進さんには大変ご迷惑とご心配をおかけしました。)事と、その夏休みに四国歩き団参に参加して『私でも役に立つ』と言う事が理解出来た事が大きかったと思います。何が転機になるかは分からないですが、『人生に無駄なし』でもリピーターの皆さん。私は沢山の素晴らしい方に恵まれたから今があると思うと本当に幸せな人生だと改めて思っています。と言う事で本日も家に帰ったらお仏壇でお経をあげます。

 

新型コロナ対策の一貫として

本日『岐阜県高齢者・障がい者入居施設新型コロナウイルス感染症対策研修会』が長良川国際会議場メインホールで岐阜県主催で高齢者・障がい者施設5団体が協賛で行われました。

講演講師にはコロナ対策感染症の専門家であり、検討会でもしっかりとアドバイスを頂いていた『ぎふ綜合検診センター所長で岐阜大学名誉教授の村上啓雄先生に演題は「『新型コロナウイルス感染症』~今までわかった事の課題~高齢者・障がい者入所施設などを安全に利用するために」と銘打ってのものでしたが如何にマスクの装着と手洗いの充実が大切かと言う事と岐阜県の体制の充実について熱く語って頂き改めて当施設の体制について確認する思いでした。そしてまた、村上先生のお話は難しい話を分かりやすく解説して頂け、とても参考になりました。

研修会自体は14時からだったのですが、準備と県老施協の会員施設の受付をしなければいけないので会場には12時15分には着いたのですが、既に副会長二人とその施設の職員が来てくれていたので会場の手配の様子を確認すると共に『感染症対策』を見て回ると席については3席に一人座るようになっていて、5団体の割り振りも出来ていたので安心しました。そして、『密』にならない工夫はトイレについても1つおき使用するようになっていて手洗い場や長椅子も一つおきに座るように配慮されていました。勿論、『コロナウイルス感染症対策の研修』でクラスターを出したのでは、洒落にならないので当然かも知れませんが。

研修会は最初に岐阜県健康福祉部長沼次長の挨拶に弾き続き、村上先生の90分の講演の後、高齢福祉課の熊谷さんの今後の対策について説明があり、最後の閉会の挨拶と共に共助の精神での万が一クラスターが出た時の協定書への積極的な協力について話をさせて頂きました。挨拶も済ませて全てが終了したのが16時30分。

本来なら池田トンネル経由で施設に帰るのですが、18時30分から大垣共立銀行関ヶ原支店の100周年記念のお祝いに招待されていたので、少しでも時間を稼ごうと西濃環状線西回りの有料道路で帰りました。約20分程時間を稼げたので、300文字位はコラムが打てたのですが、パーティでは祝宴もあったので私の好きな冷酒を頂いて、関ヶ原町長さんや議長さんを始め関ヶ原の主たる方がお見えになっていたので挨拶に回り、結構緊張しつつ対応していたのできつかったのですが、二時間で最後に夜空に花火が上がり無事終了して、お風呂は厳しいのでシャワーだけ浴びて今(21時36分)何とかコラムが打てました。

リピーターの皆さん。お酒が入ってのコラムで誤字脱字及び意味不明の文章であったとしても継続出来たと言う事でご容赦下さい。(そんな事なら短い文にすれば良いのにそれが出来ない宏君です。)

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