新型コロナウイルスの影響での生活の変化
令和2年5月15日
岐阜県に於いても『緊急事態』が解除されましたが、全面的に元通りの生活に戻ったわけではないのですが、緊急事態解除のタイミングで、新型コロナウイルスの影響で生活スタイルがどのように変わったかについて述べる事にします。
先ずは施設での対応についてですが、新型コロナウイルスが話題に上り危機感を持ってからは、『コミュニケーションはしっかりと目を見て相手の表情の変化も見逃さない対応を』『家族の方の協力をしっかりして貰えるような企画と情報提供を』『ボランティア活動の積極的な導入をしてボランティアの方々にも来て良かったと思って貰える対応を』『地域の方々が施設に来て頂ける企画の実践と広報活動を』『施設側が地域に出て行き施設側のノウハウを活用して貰える実践を』等と言っている事については、殆ど真逆な対応になっている現状の中、入居者さん、利用者さんが施設内での活動で元気になって貰える展開に心掛けています。
明日からは天気が悪いとの予報もありますが、基本的には天候に恵まれた事により積極的な散歩や(本部施設がある関ケ原町今須上の谷(カミノタニ)地区は緑が一杯で5000坪のゆったりとした環境です。)寸胴に大きな釜や鍋を活用して(地元の方から今は使わなくなったのでと提供して頂いたもの)タケノコの味噌汁(200食分)やタケノコご飯(3升)や山菜ごはん(5升)を作り、薪をくべていて(この言葉は方言かも)周りに来て貰った入居者さんや利用者さんに「火はぬくたいよ」(これも方言かも)「ほんとや」(これも方言かも)などとわいわいとしています。
私が頂いている公職は(沢山ありますが)殆どが書面議決になっていますが、全国老人福祉施設協議会の会議についてはウェブ会議を導入し、岐阜県老人福祉施設協議会の正副委員長会議は広い場所での会議とウェブ会議の導入と、会員総会については書面議決でのものにしてます。今まではウェブ会議など全く考えていませんでしたが、回数を増やしても経費の節約になる手法も導入すべきだと言う事は実際に実施して分かりました。そして、私自身の生活もかなり変わってきました。先程も書いたように出張がなくなった分施設に殆どいる生活の中、先般のコラムで書かして頂いたように施設の奥の今は砂防工事をして頂いているところから馬頭観音さんまで歩いて行き清々しい思いも味わっています。また、私の生活範囲も施設と家の往復(片道4キロ)と必要に応じて西は滋賀県に入って直ぐの『ローソン』までと、東は関ケ原町の東の方にある『ゲンキー』まで行く生活でしたが、最近は新規事業の関係で垂井町役場や岐阜県庁までは行くようになってます。
家での生活にも異変があります。それは、常日頃「外でのお付き合いが多くあり、家での晩酌は一切してません。」と言っていたのですが2か月近く飲まない生活が続き、新型コロナウイルスに対する苛立ちもあり、無性に熱燗の日本酒が飲みたくなり、施設の帰りにローソンで300ミリリットルのお酒を買い「晩酌はしない」の不文律を破ってしまいました。また、明日16日は私の誕生日で(リピーターの皆さんはお祝い等心配して頂かなくて大丈夫ですよ・・・。)本来ならば長男家族と共に外食をするのですが(ちなみに私の誕生日でも私が支払いをするシステムです。)テイクアウトで料亭『助六』のお弁当を頼みましたので家で誕生会をします。
まだまだ多くの変化があるのでしょうが、最も大きな事は目に見えない新型コロナウイルスに対して入居者さん、利用者さんの健康な生活を守る事にピリピリしながらの体制は厳しいものがあります。しかしながら人類の戦いはウイルスとの戦いです。必ずや知力を結集して解決して今までの生活を取り戻したいと願っています。