先日に引き続き馬頭観音まで歩きました

先日、15年ぶりに歩いた時には馬頭観音までが目茶苦茶遠く感じたのですが、私の口癖の一つの『0から1は大変だけれども1から2とか3に行くのは0から1に行くのとは比較にならないほど安易だ。』と言っている通りでした。これは、次への道のりがわかっているからだと言う事なんだと思います。但し、一気に馬頭観音まで行けると勇んで歩いていて、足がすくんでしまうアクシデントがありました。それは、道の真ん中にマムシがいたのです。しかしながらそのマムシは一向に動こうとはしないので恐る恐る木の棒でつついてみました。そうすると硬直しているのがわかったので、道の真ん中ではいかにも可哀想だと思い木の棒で川辺に移動させました。しかし、いかにも生きているような状態だったので不思議でしたがマムシさんも道の真ん中よりは良かったのではなかったかと思っています。楽勝でしたが(とは言え、ふーふーと荒い息はしていましたが・・・)馬頭観音の急な階段を上り、荒い息をしながら四国団さんで覚えたお経を唱えていると段々と呼吸も整いお経をあげながら、先日お堂を開けさせて貰った時は蜘蛛なんかにたくさんいたのに今日は殆どいなかったのはどういう事なのかと考えながら尚且つお堂の中の馬頭観音さんがあまりに汚れていることに気付き(先日はお参りするのがやっとだったのできづかなかったようです。)次回は綺麗にするのが私の使命のように思ったので、「何を準備したら良いのか」と考えつつ「綺麗にしてさしあげたら馬頭観音さんも喜んで貰えるかな」等と考えていました。お経さんも終えて、急な階段を慎重に下りて、先日とはコースを変えて来た道を慎重に慎重に帰って行きました。帰る途中で大規模な砂防ダムを作る為に多くの木を伐採して立派な道路の所まで出てくると眼窩に本部施設が一望出来、改めて施設を見ると手前に保育園やアパートがあり、新館、本館と続くロケーションは正にコミュニティそのものだと自画自賛です。そして、計画を決意した1995年からの出来事が走馬灯のように蘇ってきたした。一つひとつに苦労もあった筈なのに今はこの美しい眺めに酔っています。嫌々、感傷に浸るには20年早いは。これからも地域の願いを汲み取りながら新規事業にも邁進しますので、リピーターの皆さんこれからも宜しくお願いします。

【余談】今月16日は私、宏くんの誕生日。本来であれば、長男夫婦と孫の翔(かける)と共に外食をして祝うのですが、新型コロナウイルスの関係で外食は叶わないので、我が家でお祝いをするのですが、お祝いのお膳は大垣の料亭のお弁当を私が頼みました。私が頼むのは変だと思われる方もあると思いますが孫も参加してくれての誕生会に無条件に喜んでいる、ここは『あまあまじいじ』と言う事で・・・。

非常事態だからこそ

40年以上前、旧徳山村のダム建設により移転問題が最終段階に差し掛かっている頃に旧徳山村で生活をしていて、(既に何回もこのコラムで書いていますが)純朴でのどかだった村の住民の考え方が一変していく様を見てきて、複雑な思いで生活していた事を思い出しました。それは、補償金が入る事によっての生活の価値観が変わっていく人と新天地の生活を余儀無くされる事による不安と言う両極端なものでした。

今回は新型コロナウイルスによる先が見えない事による混乱によっての色々な価値観の違いによる報道の記事を見て複雑な思いを感じていることを書く事にします。

1つ目は山梨県内の実家に帰省している時に陽性が判明したにも関わらず高速バスで東京に戻られたとの記事です。記事を詳しく読むと4月26日には味覚と嗅覚に異常があったにも関わらず28日までは仕事をされており、30日には友人宅でバーベキューに参加されていて、翌5月1日に東京の勤務先の同僚が陽性になっていたと言うことで検査をして、2日に判明して公共交通機関で東京に戻られたと言うものです。

今は情報が『これでもか』と言うほどに入手出来る時代に、味覚と嗅覚に以上があったにも関わらず勤務されて、尚且つ山梨県からの呼び掛けについても無視する形で高速バスに乗っての東京へと言う記事には「今時の若い奴は」と簡単に言えるものではないと思っていますが、殆どの方は国や地方行政の指示に従われていて、十羽一からげでの考え方は間違いだとは思うのですが。

2つ目は川辺や海辺でバーベキューをしているグループに対して、市町の職員や警察の方が注意を呼び掛けても、「罰則がないなら文句を言うな」的な発言に私は「誰も好き好んで注意しているのではないぞ」と言いたい。

3つ目は5月6日までの営業自粛だと思って従い、7日からの営業を心待ちしていた方が『自粛延長』に悲観して自殺されたのは、国や地方行政の対応に忸怩たる思いはありますが『未だかつてない出来事』の対応に対して、『何処まで現場の状況を把握した対応が出来るか』は『単なるお役所仕事』では済まされないものを感じています。

4つ目は医療従事者の子どもが差別的な扱いを受けているとの報道には日本人が大切にしてきた『互助』の心は何処にいってしまったのかと思うしかない。そう言えば介護保険の考え方の中心に『互助の精神』をおくようになっているのですが、国が『互助』を強調しなければいけない状況が現実なのだと痛感しています。このように考えていくと、新型コロナウイルスからのメッセージは『コミュニケーションの不十分性』『協調性のなさ』に警告をしているように思っているのですがリピーターの皆さんはどのように思われますか。

初めての体験

令和2年5月3日

本日は『タケノコ三昧』と銘打って、たけのこご飯とタケノコの味噌汁を大きな鍋とお釜で炊く事にして、昨日の内に職員が寸胴のセットと薪の準備とタケノコの湯搔き(今回は私が湯搔く事が出来なくて)をしてくれたので、本日8時30分に施設に行くと既に喫茶コーナーの厨房内ではタケノコを小さくきざむ作業が進んでいて、流石にお祭り好きの職員が我が施設には多くいる事に感謝と感動です。

タケノコのきざみの大きさを確認して、先ずはお釜の火入れを職員が『今や遅し』と待っていてくれたのですが、昨夜22時過ぎに残念ながら亡くなられた方(99歳)のご家族様と葬儀を取り仕切って下さる地元の互助会さんとの打ち合わせをしつつの対応だったのですが、9時45分に何とか火入れをして『始めちょろちょろ中ぱっぱ、赤子泣いても蓋取るな』だけを念頭に置いて火の番を始めると各フロアから順次見学に入居者さん、利用者さんが来て下さり「火のそばは暖かい」とか「美味しく炊けるのが楽しみ」とかと、わいわいがやがや。『始めちょろちょろ』が出来たと思ったので一機の『中ぱっぱ』をしなければと思ったタイミングでよく乾いた竹(お正月の門松の竹)を入れると凄い勢いで燃え出して「果たして上手く炊けたかが心配」と言う事で『赤子泣いても蓋取るな』のご法度破りをしてしまいましたが。

蓋を開けて見たら良い感じだったので、ご飯が炊けた釜を別の寸胴に置き換えて『蒸らし』をすることにして、火の点いた寸胴に鍋を置きタケノコの味噌汁作りに取りかかりました。味噌汁作りは何度もしているので自信を持って出来て、気になるたけのこご飯の蒸らしが出来たところでご飯を交ぜる作業をする時にお釜に入っているのは確かに3升なのですが、多分10升炊ける釜なので滅茶苦茶少なく思えましたが、間違いなく3升なのでいつものしゃもじでは小さくて次回までに大きなしゃもじを手に入れなければとの反省点が見つかりました。

とにかくしゃもじで交ぜている時に行儀の悪い話ですがお釜の底に付いている『お焦げ』がめちゃめちゃ美味しくて・・・。炊き加減も初体験だと言うのに自分なりに『最高』と思いました。今日の『タケノコ三昧』は最高でしたが、「失敗して食べるものがないのは駄目だからと通常の食事の提供をしたにも関わらず入居者さん、利用者さんの感想は『タケノコご飯をもっと食べたかった。』には、入居者さん、利用者さんの食欲の凄さには舌を巻きます。そして改めて思ったのは「食欲が旺盛だからこそ元気のたまもの」。

私も自分が作った(本当は火の番をしただけですが)タケノコご飯と味噌汁で昼食を頂き、その後、昨夜亡くなられた入居者の家族の方と明日の葬儀をお願いしたお寺にご挨拶に行き、再び施設に戻ると14時前で、新館のカラオケオファーの時間なので慌てて新館にステージ衣装を持って駆け付けしっかり歌わせて貰い、またまた私の悪い癖です。「タケノコご飯が上手に出来ましたので9月にはマッタケご飯を作ります。」と口走ってしまいました。でもね、リピーターの皆さん楽しければ良いと思いませんか。

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明日はタケノコ三昧です

令和2年5月2日

昨日、またまたタケノコを収穫してきた職員が、「タケノコの味噌汁だけでなくてタケノコご飯も食べたいですね。」との発言に私が食らいつきました。「よーし。明日はたけのこご飯にタケノコの味噌汁を作るぞ。」と言うと、タケノコを採ってきた張本人の北島部長が真面目な顔で「理事長、明日ではなくて日曜日にしませんか。」と言うので「どうして」と聞くと「日曜日の方が体制が取りやすいので」との事で、明日、タケノコご飯とタケノコの味噌汁を作る事になったのです。(最初は翌日のように話をしていたので、若園管理栄養士が真顔で「明日は公休なんですが出勤します。」との話まで出てきて、本部施設の職員の真面目さに感謝です。)

味噌汁の他にご飯も作れるようになったのは、以前に寸胴で芋煮会の煮炊きをしている時に地元の方が「珍しい事をしとるな。自分の家にはご飯を炊くのも置いてあるけど、必要だったら持ってくるぞ。」と言われたので私は「喜んで頂きに行きます。」と答えたら、翌日には持って来て貰えたのがあるからです。しかしながら、正直、小さい時に住んでいた家には『おくどさん』(そのように言っていたと思います。)があり、調理をしていたのを確かに『見ていた』記憶はあるのですが、自分で炊事をした記憶はなく、今になって『無謀』な計画だと思っていますが、1回目がなければ何も始まらないので頑張るのみ・・・。しかしながら、ご飯を炊く初体験が『たけのこご飯』とは、如何にも私らしいなと自分の事ながら呆れてしまいます。

明日の事とは言えドキドキなので、インターネットでたけのこご飯の炊き方を検索して見てもたいしたことは書いて無く、ここは昔のことわざ『百聞は一見に如かず』で。いやいや、『百聞は一見に如かず』でもしっくりこないな。ここは、気合あるのみで、上手くいかなくてみんなが食べてくれなければ、責任もって3升のご飯を頑張って食べますか。でも、そんなことになってしまったら「ますます体重が増えてまう。」・・・。「そんなこまい事を気にせず、気合一発」で頑張ります。ここは、母秋江さんの教えの通り、『蒔かん種は生えない』で、あるいは『失敗は成功の基』。そう言えば最近、薬師寺執事長の大谷徹奘師の『メールde法話』の中に『実験に失敗したエジソンが「これではダメということが判った‘‘成功‘‘だ。」』と言うのを『法句経』に説かれている『滴水』の説明の中でされていたのを思い出しました。でもでも、明日のたけのこご飯と味噌汁は失敗が許されないのでリピーターの皆さん上手に出来て入居者さん、利用者さん喜んで貰えるように祈って下さい。多分大丈夫だと思うのですが・・・。

 

新型コロナウイルス対応への雑感

令和2年5月1日

国会において国民一人当たり十万円の給付金が支給される事が決定した。今までからすると驚異的な早さでの決定だと思います。但し、新型コロナウイルスの終息の見込みが立たない状況においては『一の矢』であり、『一件落着』と言うわけにはいかないので、国も地方行政も今後の展開を考えて実施して頂きたい。勿論、国民一人ひとりも『基本に忠実』を心掛けていきたいものです。しかし、昨日書いた100年前とは違い現代社会においては『心無い国民』の存在についても議論し配慮していかなければいけない。『ハード面の充実は百年前よりはるかに進んだがソフト面では退化したのではないかと言わざるを得ない。』と、思っていたのですが、ノーベル賞を受賞された京都大学の山中教授は朝の番組で『日本の発症の仕方は特異で国民全てが危機感を持つのが難しい状況だ。』との考えを言われていたので改めて考えてみるに、「確かに爆発的な拡がりがあるとは言い難く恐怖を感じない方が存在しても仕方がない状況なのかな。但し、介護老人福祉施設を経営・運営している私はリスクヘッジに努めていかなければいけない。だから、私自身は当然の事、職員、入居者、利用者とその家族、施設に関わる多くの方々のご理解を得て終息を祈りつつ、これからも気を引き締めての展開をして、尚且つ施設に活気と笑顔を作っていかねば」と考えています。しかしながら、どういう中から出てきたのか私には理解出来なかった事があります。それは、学校の新学期を9月にすると言う考え方です。確かに今は学校が休業にしていて、「半年学校を休業にして、国際化に合わせよう」との考え方は、考え方によっては『災い転じて福』との考え方ともいえますが、コロナ対策で大変な時に果たして文部科学省が大変な制度設計に対する対応が出来るのかと大いに疑問に思っています。確かに国際化に乘った対応をするとの考え方を全面的に否定するつもりはありませんが、混乱が混乱を生む結果になれば結局子ども達が迷惑を講じるので熟慮としっかりとした準備をして貰いたい。私が資生堂財団の海外研修(アメリカ)に参加した時、一人の子どものケースを専門家集団が真剣に討議をしているのを目の当たりにして将来に対する投資をしっかりとする国だと思いました。今は新型コロナウイルスにより、会社も飲食店も観光地も疲弊して、倒産の憂き目にさらされている所が多くあるように思います。こんな時には国や地方行政も手厚く支援の手を差しのべ、新型コロナが終息してからしっかりと再開出来て日本の反映に寄与出来るような体制をとって貰いたい。また、当施設のように目に見えないものと粛々と戦っているところにも配慮して貰えるようにリピーターの皆さんも応援して頂ければ嬉しいです。

新型コロナで面白い記事を見つけました

令和2年4月30日

それは、『週刊現代5月2・9日号』の『1918年、世界が震撼したパンデミック、スペイン風邪』の1コーナーに『歴史の逆襲と新型コロナへの教訓』の記事です。【スペイン風邪からちょうど約1世紀を経て、世界中に新型コロナウイルスが到来した。いまの日本の状況は、100年前の世相に通じるところが多々ある。例えば、1919年に愛媛県が作成した「予防心得」5点セットは、病人の隔離、人混み回避、マスクの着用、うがいの励行、子どもと老人の注意だった。これに手荒い励行を加えれば、現在の新型コロナウイルス対策と、ほとんど変わらない。アメリカでは、電車に乗車する際、マスクの着用を義務付けた。マスクの価格高騰と不足も、100年前に問題になっていた。『神戸新聞』(1920年1月23日付)は「団体的に安いマスクを造れ」と呼び掛けている。当時の政府は、全国の警察官に腐心していた。だが、「アベノマスク」のような各家庭への配布は行わなかった。そのため民間のオフィスや工場では、各人が用意して「マスク出勤」する姿が見られた。当時も医療崩壊や院内感染が、全国各地で起こった。同時に、患者が急増したことで、病院の増築も急ピッチで行われた。(中略)温泉地などの観光産業は、現在と同様、軒並み閑古鳥が鳴いた。街の銭湯からも人が消えた。ウイルスの進化ほどに、人間は進化していないということかもしれない。】この記事から私なりのコメントをします。先ずは「予防心得」は100年前に言われた事が、現代にも通じると言う事は私の口癖「基本に忠実」に通じていると思いますし、新型コロナの恐怖によって基本に忠実が徹底した為か、風邪をひいたりインフルエンザになる人が減ったようにも思いました。マスクの高騰も同じような現象ですが、時代を感じるのはマスク不足に便乗したのが色々出てきているのには世相を感じています。それから一番懸念をしたのはスペイン風邪が流行った年が1919年と言う事です。私は取り合えず中学と高校の社会科の教員資格を持っていますので、100年前がどんなだったかわかりますよ。路面電車と馬車が通りを走り、自動車やバイクはどこにも走っていなかったでしょうし、服装は洋服の方も和服だったりの時代ですよ。でも、100年前も今も新型のウイルスに対する恐怖は変わらない。もっともっと医療、科学が進化して新型ウイルスが発症した時には額に『新型ウイルス』と出てくる時代が・・・。そんな事はありえへーん。「おそまつ」

馬頭観音まで健康的に歩きました。

令和2年4月29日

昼食を済ませてから、施設の奥に大きな砂防ダムが出来る為の工事の進捗状況を見に行くと共に、久しぶりに(多分15年ぶり)県境に設置されている馬頭観音まで爽やかな気候に誘われて歩いてみました。途中までは砂防工事の為の道路が綺麗に出来ていて、「随分様変わりしたな。」と思いながら歩いて行き、工事をしている所の奥に進んで行くと途端に険しい道になり、15年前には軽トラックだったら上って行けた道がとても通れる状況になく、私は金剛杖をつきながら何とか目的地である『馬頭観音』(写真①)に辿り着き般若心経を1巻唱えもう少し行くと滋賀県との境だと思われる所を見つけました。(写真②、③)(※③には『これより東不破郡今須』と書いてありました。)

① ②

③

帰りは、別ルートで帰る事にすると比較的整備された道を歩く事が出来たので写真を撮りながら歩いて行きました。大きな立派な木には持ち主が分る様に印が書いてありました。(写真④)

④

どんどん進みながら思ったのは、枝打ちがしてあるので木々の間に光も入るので木の成長も早いし真っすぐに育っていることがわかりました。(写真⑤、⑥、⑦)

⑤ ⑥ ⑦

あまりに大きくて立派な木があったので思わず抱きかかえようとしたのですが太刀打ち出来ませんでした。(写真⑧)

⑧

川のほとりで久しぶりに見つけました。(写真⑨)

⑨

これが何なのかリピーターの皆さんはお分かりですか。『ふき』と違いますよ。『わさび』ですよ。15年前はこの谷に一杯自生していて、施設の敷地の中にも『わさび田』を作っていたのですが、水の管理が難しくて挫折したのですが「ここにはまだあった」と感動しました。次に見つけたのは『タケノコ』(写真⑩)です。

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竹藪の中には一杯にょきにょきと土から出ていましたが、民家から直ぐの所でしたが、「珍しくも無いので採る事をされないのかな」と変に感動してしまいました。山道を下り終えて民家がある町道に出ると天気も良くてスカッと伊吹山が見えました。(写真⑪)

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田圃には水が引かれ田植えのスタンバイが出来ているのがわかりました。(写真⑫)

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そして1時間以上かけての散歩なのかハイキングなのかはともかく施設に戻り施設の玄関先が賑やかなので上を見上げると『ツバメ』が巣を作っていて「忘れずに帰ってきたね」と声を掛けました。(写真⑬)

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新型コロナウイルスの影響で外出する機会は全くと言って良い位に減りましたが、天気に恵まれ入居者さんも落ち着いている状況での有意義な時間が持てて心豊かになったように思いました。そして改めて本体施設がある環境の良さに幸福感を味わう事が出来ました。リピーターの皆さん。健康の為とリフレッシュ感を味わう為に出来るだけこのような時間を持ちたいと今は考えているのですが、果たして・・・・・。

            

 

 

いわゆるゴールデンウィークは好天の行楽日和なのに

令和2年4月28日

朝、6時代の天気予報の週間予報では、ほとんどが晴れマーク。にも係わらず新型コロナウイルスの影響で『自粛』で基本的に外出できない。稼ぎどころの観光地では悔しい思いをされている事と思うし、子どもたちと家族で出掛けたいと考えられていた方にとっては残念な話だし、それどころか家にいなければいけない状況に『うんざり』なのではないでしょうか。

天気予報の後のニュースで旦那さんのお小遣いが大幅にダウンしているとの話題に改めて家族の中で父親は『一番の弱者なのか』と思ってしまいました。私自身は公的な会議は基本的に文書による決済もしくはウェブ上の会議のみ。(3月18日に東京出張してからは行ってません。)

昨夜は本部施設で19時から全体会があったのですが、いつものように会議室ではなくて、地域交流スペース内のホールに間隔を開けて椅子のみを置き、30分のみの会議としました。敢えて会議を開催したのは改めて緊張感を持っての対応に理解して貰う為のものと考えたからです。文書をメールボックスに入れたり、パソコン上だけでは真意が伝わらないし徹底しないとの思いからです。

予定通り19時30分に終了し、本日サプライズで、職員全員の理解を得て法人顧問の烏野先生の学部長就任のお祝いの万年筆(新元号令和記念の品)の贈呈をして、烏野先生には益々頑張って頂くように話をして、大変喜んで頂けました。

ところで、新型コロナウイルスの影響で『予定は未定で決定ではない』が色々な形で現れているのですが、例えば、3月末にはベトナムから3人の留学生とインドネシアから2人のインターンシップが本部施設への仲間入りが決まっていたのですが、叶わすで未だ日本に来る予定が立たず、逆に3年が経過したインドネシアからの介護福祉士候補生は6月に1ヶ月間里帰りする予定が叶わず一旦帰国をキャンセルする事になっているし。

本日、特定技能の食品関係で三重県に来ていたインドネシアの女性が新型コロナウイルスで職を失い困っているとの事で、彼女は日本語検定3級を取得し、職をなくして改めて介護の試験を受けて合格したと言う事で、本部施設には敷地内にアパートもある事が有利に働き、本日面接の予定をしていたのですが、健康診断の予約を優先させて本日の面接は出来なかったのですか、近い内には来てくれるものと思っています。

新型コロナウイルスが終息を迎えるまでは本当に予定が立たないし、準備に時間を要するものは早々に中止や延期を決めなければいけないので、事実、全国老施協の全国大会山形大会の中止の通知が来た次第です。一番の懸念は延期されたものがタイトな日程で組まれる事です。

しかしながら、そんな心配をするより早く新型コロナウイルスが終息して、通常の生活を送れるようにリピーターの皆さんと一緒に祈りたいですので宜しくお願い致します。

『半沢直樹」を久しぶりに見ました

令和2年4月27日

昨日は、午前零時10分からの対応だったので、新館の1階、2階のお参りの後のカラオケでの熱唱?で力尽き15時30分に帰らせて貰い、その時間から寝てしまうと、本格的に寝ようとした時に眠れなくなったり、昼夜逆転の様になってしまってはいけないので「頑張って起きてる為にどうしたらいいのかな」と考えている時に「そう言えば、半沢直樹の続編が近日公開って言ってたな。」と言うことで、何年か前の誕生プレゼントで貰ったDVDを見る事にしました。

流石に半沢直樹です。眠いはずの私の目がパッチリと開いて躍動感を持って見る事が出来ました。そして改めて思ったのは、半沢直樹自身が窮地に陥った時に奥さんである『花』(上戸彩)が支えになったり、部下が助けてくれたり、一生懸命の中で協力者が現れたり、同期入社の友達や大学時代の同窓生が助けてくれたりと綱渡りのような形で進んでも、最終的には目的を達成するストーリーを見ながらつくづく実感したのは、「私の生き様も同じような気がする。」と言う事は私の生き様は、テレビやコミックの様にあり得ない生き方なのかと思っています。そう言う意味では私の生き様は稀有なものだと言えるので、「今ある事に感謝しなければいけない。」と思っています。

ところで、金融庁検査で天敵愛之助との戦いも勝利した半沢直樹が出世街道まっしぐらかと思ったら頭取(北大路欣也)からの出向の辞令がなされたところで終了しているので、『100倍返し』の次の展開を早くみたいと思うと同時に「大変な思いをして手に入れた展開こそ充実感がある。」とも思いました。と言う事は、今、新規事業で足ふみしている状況は『試練』だと思えば勇気が湧いてくると言うものです。そんな事を考えていると砂田おさむさんの『人生夢の途中駅』の歌が浮かんできました。『夢中でかけた時代もあった、振り向けば、雨や嵐の試練の道も・・・』いやいや、私の生き方は、演歌でありドラマですか。いやいや。まだまだ山あり谷ありのしんどい人生が待っていると思うのですが、『一生懸命に無駄なし』でこれからも頑張りますのでリピーターの皆さん、これからも応援よろしくお願いします。

 【追記】

いつまで経っても私の火の番役は続きますが、イノシシのサルも採ろうとすることもないようなタケノコの子ども?を職員が採ってきました。あまりに素晴らしく小さくてそれでいて一人前の形をしていたので思わず写真に撮りました。

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昨日はビックリしたし、改めて凄いと思った事と本日テンションが上がった事

令和2年4月26日

ビックリしたし、改めて凄いと思った人物は私をそして、施設を20有余年支えて下さっている今は優・悠・邑家族会会長の吉田儀一さんの事です。今はタケノコの話題で持ちきりの時期なのですが、一昨日3回目のタケノコを湯がいている時に薪が少なくなってきたので、火の番をしている時に携帯で(ちなみに私の携帯はガラケーですが)吉田儀一さんに「材木の端木で言いのであれば頂きに行きたいのですが」と言うと「一杯あるのでその内に持って行くは」と言われ、正に翌日である昨日16時前にユニックに木材を積んだ車が施設の玄関先に停まったのです。

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私は木の端とイメージしていたので、まさかその材木がいわゆる『木端』だとは考えられず、玄関先に行くとユニック付ダンプに載っている材木が依頼をした『木端』だとの事で思わす絶句。吉田儀一さんのような建築にかかわる業界での『木端』のレベルの差に改めて絶句です。材木(私的にはこの呼び方の方がしっくりいきます)をユニックを操作してみえる吉田儀一さんを見ていて、改めて『口八丁手八丁』の方だと思いました。作業を見ていて、材木を完全に下まで降ろさず浮いた状態でいわゆる宙ぶらりんの状態で操作を一旦止められたので不思議に思っていると、荷台からチェンソを持ち出し、「適当な長さに切ってないと大変やろ」と行って大きな束を手際よく切って下さるのを、私は感心しながら見ているばかりでした。

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本日は月一の家族会主催の誕生会なのですが、昨日お世話になった家族会会長の吉田儀一さんが都合が悪いとの事で、代理で私がプレゼントを今月誕生日の方に渡す事になったのですが、本館2階で一人の男性にお渡しするととても喜んで頂き、その勢いで新館1階に行くと3人の女性の方が対象者で99歳、97歳、95歳と、90歳代トリオで「皆さん長寿で長生きだな」と思いながら、新館2階に行くと本日のおおとりの100歳の方がみえて、「100才の誕生日おめでとうございます。」と言ってプレゼントをお渡しするとベット上ではありましたが「ぎょうさん生きた。」と嬉しそうにされたので、わたしも嬉しくなりました。

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その後、新館2階のお参りで皆さんが待ってみえるところでもい一人誕生日の方がみえたのでプレゼントをお渡ししようとして、つくづく思いました。それは、誕生日の方が81歳になる女性の方だったのですが、100歳の方の後だった事もあり、めっちゃ若く感じました。と言う事は80歳そこそこはまだまだ若いと言う事か。つまり、『50、60はな垂れ小僧』いやいや『70、80はな垂れ小僧』かと思いました。

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誕生会の後新館1階2階それぞれでお経を腹のそこから唱え、お経の後1曲づつカラオケで歌も披露しました。ちなみに曲目はジェリー藤尾さんの『遠くへ行きたい』と杉良太郎さんの『すきま風』です。リピーターの皆さんも一度熱唱している私を見にいやいや聞きに来て下さい。但し、新型コロナウイルスが終息してから。

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本日は午前零時10分に宿直者の吉田部長から看取りの連絡を貰ってからの対応にくたくたになりながらも入居者さんに元気を貰いました。だから頑張れる。ありがたい事です。

 

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