先日に引き続き馬頭観音まで歩きました
先日、15年ぶりに歩いた時には馬頭観音までが目茶苦茶遠く感じたのですが、私の口癖の一つの『0から1は大変だけれども1から2とか3に行くのは0から1に行くのとは比較にならないほど安易だ。』と言っている通りでした。これは、次への道のりがわかっているからだと言う事なんだと思います。但し、一気に馬頭観音まで行けると勇んで歩いていて、足がすくんでしまうアクシデントがありました。それは、道の真ん中にマムシがいたのです。しかしながらそのマムシは一向に動こうとはしないので恐る恐る木の棒でつついてみました。そうすると硬直しているのがわかったので、道の真ん中ではいかにも可哀想だと思い木の棒で川辺に移動させました。しかし、いかにも生きているような状態だったので不思議でしたがマムシさんも道の真ん中よりは良かったのではなかったかと思っています。楽勝でしたが(とは言え、ふーふーと荒い息はしていましたが・・・)馬頭観音の急な階段を上り、荒い息をしながら四国団さんで覚えたお経を唱えていると段々と呼吸も整いお経をあげながら、先日お堂を開けさせて貰った時は蜘蛛なんかにたくさんいたのに今日は殆どいなかったのはどういう事なのかと考えながら尚且つお堂の中の馬頭観音さんがあまりに汚れていることに気付き(先日はお参りするのがやっとだったのできづかなかったようです。)次回は綺麗にするのが私の使命のように思ったので、「何を準備したら良いのか」と考えつつ「綺麗にしてさしあげたら馬頭観音さんも喜んで貰えるかな」等と考えていました。お経さんも終えて、急な階段を慎重に下りて、先日とはコースを変えて来た道を慎重に慎重に帰って行きました。帰る途中で大規模な砂防ダムを作る為に多くの木を伐採して立派な道路の所まで出てくると眼窩に本部施設が一望出来、改めて施設を見ると手前に保育園やアパートがあり、新館、本館と続くロケーションは正にコミュニティそのものだと自画自賛です。そして、計画を決意した1995年からの出来事が走馬灯のように蘇ってきたした。一つひとつに苦労もあった筈なのに今はこの美しい眺めに酔っています。嫌々、感傷に浸るには20年早いは。これからも地域の願いを汲み取りながら新規事業にも邁進しますので、リピーターの皆さんこれからも宜しくお願いします。
【余談】今月16日は私、宏くんの誕生日。本来であれば、長男夫婦と孫の翔(かける)と共に外食をして祝うのですが、新型コロナウイルスの関係で外食は叶わないので、我が家でお祝いをするのですが、お祝いのお膳は大垣の料亭のお弁当を私が頼みました。私が頼むのは変だと思われる方もあると思いますが孫も参加してくれての誕生会に無条件に喜んでいる、ここは『あまあまじいじ』と言う事で・・・。