相手を思いやる心 2

令和2年10月4日

今でこそ『相手を思いやる心』等と言う言葉を使っても大丈夫な生き方だと思うのですが、26歳までの私は真逆な生き方だったと思います。(自分の事しか考えられない生き方)いや、正確に言うと25歳の時に教員として、神戸北小学校4年3組の担任になり、その年6月に校内研究で自分のいい加減さを理解して、10月の西濃教育事務所の指導課長さんがみえての研究授業で自分なりに初めてと言っても過言ではないような成功体験をさせて貰い、その時に「私の授業の為に子ども達が頑張ってくれた。だったら、今度は私が子ども達に出来る事を精一杯に頑張らねば」と思ってからかな。

でも、結局は形に出来なくて自分探しを父進さんの寛大な対応により(勘当されました)徳山村での半年にも及ぶ居候生活を経て児童養護施設での13年間は正直自分は滅茶苦茶甘くて幸せな生活だったのかを指導員として仕事をさせて貰っている時に教えて貰いました。だから、その時代は「この子達一人ひとりに何をしていけば少しでもこの子ども達の将来が明るいものになるのか」と言う事ばかり考えて私なりに出来る事をしてきたつもりでしたが実はその実践は私自身を成長させて貰うばかりだったと今になって思っています。そして、それぞれの場面が真剣勝負だったし、極端な言い方をするならば、常に絶壁に立たされているようなものだったと思います。

だから今では厳しい状況におかれて、例え頭に血がのぼっていても、どこかで冷静沈着な気持ちでいられるのだと感謝してます。そんな中から『相手を思いやる心』が芽生え、相手の方が喜ばれるだろうと思いながらしていく事にワクワクしながらの毎日です。もちろん今でこそ、そのような気持ちですが、その域になるまでには色々な事がありました。でも、色々な苦労・・・いやいや試練があったからこそ今があると思います。そして、今は自分の置かれている立場の中で『私が出来る精一杯の事をしていく事』こそが『相手を思いやる心』と信じて事業を進めています。

正直な事を書くならば、最初に出来た本部施設本館は、児童養護施設を辞めて個別指導で切り開こうとの考えが現実的には生活が出来ない正直霞を食べて生きていかなければいけないもので、拠点がなければ思い通りの事が出来ない事を知り、それではと、色々とうごめく中で『情緒障害児短期治療施設建設』を目指しましたが、その当時の岐阜県に受け入れられず挫折した中から、「とにかく福祉施設をつくって福祉の形を確立したい」との思いから出来たものでした。

本部施設が出来た2年間は措置施設の枠の中で、霞を食う以上に厳しい生活を強いられましたが、契約による介護保険に制度が変わり、職員も育っていく中で、今の状況の中で地域のお役に立つものとの考えの中で新館を造り、和合を造り、今は盲養護老人ホームの建設に向かっています。無謀とも言える計画も根底には福祉の心を持っての信念です。つまり、自分(杉和会)が出来る精一杯を形に表していく中からの計画だと考えていますので、これからも変わらぬご支援をリピーターの皆さんお願い致します。

相手を思いやる心

令和2年10月3日

本日14時のお約束で自民党岐阜県連の事務局次長の方が12月に行われる市町村議会議員の方達向けの勉強会で私に話をして欲しいとの依頼の為に施設におみえになり、三時間以上私の人となりについて語りました。その折、「演題を早く決めて欲しい」との事だったので、家に帰ってから、思い付いた演題が『相手を思いやる心』でした。この演題は文字通り、私の生きざまそのものであり、どの角度からでも話が出来るし、色々な議員の方々に対しても心に響くものになると思ったからです。

私の『相手を思いやる心』の原点は、私を生んでくれた母秋江さんの病弱な息子を思い守ろうとする考え方だと思います。『半沢直樹』で香川君が言ってましたよね。「施されたら施し返す。恩返しです」と。私は母秋江さんには『恩返し』が全く出来ませんでしたが、その分を地域の中でお返ししなければと考えての今の生きざまだと考えています。『見返りを求めない生き方』が結果的に相手に響くのでないかと思います。

今、新規事業として立ち上げた盲養護老人ホームにしても、岐阜県内の社会福祉法人が20年来、計画すら出来なかったのは、経営が厳しい事がわかっているから。しかしながら、私は「だったら岐阜県に無くても良いのか」と考えた時に、「岐阜県民にとっての安心を得る為の一助として不可欠」と考えたからです。昔の格言に『備えあれば憂い無し』の一つを我が法人杉和会で出来ないかと考えたからです。私の母は、私が生まれて半年後に約10分近く心臓が止まった時に「私の命と引き換えに息子を生かして下さい」的な事を心の底から叫んでいたと思います。私の母は私が中1の時に他界しているのですが、そんな母秋江さんだったと思います。

私はその母秋江さんの考え方を引き継いでいるので、他人が困ってみえる時に「私に出来る事は何だろう。」と考え行動を起こす事を常に実践してきたつもりです。44歳の時に特別養護老人ホーム70床を立ち上げ、今では208床にまで組織が大きくなった分、多方面に渡りやれる範疇が多くなりましたが、根底の考え方は変わらないのです。施設が3施設になっても私の考え方は変わりません。それは、『入居者さんは何をして差し上げたら喜んで貰えるのか』と言う事で、喜んで貰った時の掛け値なしの笑顔こそ、私の至福の喜びです。もちろん喜んで貰う為には原資も必要です。先般実施した『まつたけ尽くしのバイキング』でまつたけ10キロで16万円がかかりましたが、日頃、全職員で節約して貰って捻出したお金で支払う事が出来ました。

『相手の懐に飛び込んで』は入居者さんにだけではなく、全ての方にしていくべき事だと思っています。リピーターの皆さん。こんな生き方しか出来ない私ですが今後とも末永くごひいきにお願いします。

 

早朝と言うより午前3時過ぎから戦略を練っていました

令和2年10月2日

昨夜はコップ一杯(多分0、7合)の菊姫を飲んだせいか、21時過ぎには睡魔が襲い爆睡。この現象は『お年寄りですか』と言われても仕方がないような状況ですが、事実なので仕方がないのです。年寄りついでに夜中のはずの午前3時過ぎに目が覚めてしまい、再びにはなかなか寝付けないので「これは、じっくり戦略を練るにはちょうど良い」と考えて、明日の行動開始と共にすべき事を思い付くままに今コラムを打っているガラケーの携帯の予定表に打ち込んで行きました。その中で最も大切にしなければいけないのが『新規事業を進めて行く上で邪魔になる電柱の撤去(移動)をする為の道筋を立てる事でした。

そして、施設に行き先ずは垂井町に行き確認をして貰った結果が納得がいかないものだったので、私なりの戦略として、中電への依頼を人を介してして貰うと、1時間後に現地で確認がしたいとの連絡を頂いたので、急ぎ岐建の現場監督に急遽現場に来て貰い、電柱の位置の確認をして貰いました。持つべきは骨をおって貰える方がいることだと改めと思いました。と書いていると今は午後8時21分なのですがコラムを打つ思考能力が湧いてきません。ごめんなさい。リピーターの皆さん早朝3時に起きてしまったつけが来てます。だから、寝ます。

昨日のコラムで『彼岸花』の悪口を言ったのですが

素直に彼岸花さんに「ごめんなさい」と謝らなければいけないと思いましたので、書き出しから「ごめんなさい」と書きました。だって私は日頃から『是は是、非は非』と言ってますから・・・。

何故謝らなければいけないかと言うと、午前中に新規事業が完成したら事業譲渡を受ける事になっている建設予定地の隣の施設の園長さんとの打ち合わせの為に車を走らせていると、施設の近くにある田圃の畔には「これでもか」と言うくらいの彼岸花が咲き乱れていたので、私は「9月26日の起工式の時にはパラパラとしか咲いていなかったのに。でも、本部施設がある今須地区は大して咲いてなかったな」と考えながら運転していました。

そして、打ち合わせを終えて再び本部施設に帰って行く時には施設に向かう時よりも咲き乱れているように感じました。尚且つ、午後から和合の施設でかつての職員が本日から復帰してくれたので辞令を手渡し、その後佐藤施設長と打ち合わせをして、15時から大垣フォーラムホテルで大垣歯科医師会との懇談会があり16時過ぎまでの会に出席して(施設側代表で挨拶をさせて頂きました。)再び本部施設に帰って行く時に今須地内に入ってビックリしました。と言うのは13時前に和合に向かう時にはさほど咲いていなかった彼岸花が見事なくらい咲いていたのです。

本日のめざましい彼岸花の咲き方から考えるに、昨日も書いたように22日の秋分の日には大して咲いていなかったのに今日になって咲き乱れていると言う事は、今年の夏の暑さがいつまでも続き、彼岸花さんにとっては「こんなに暑いのに咲けるか」と言うことであって、自然界の正確さに舌を巻くばかりです。だって、車で行けば20分位しか違わない垂井町梅谷地区と関ヶ原町今須上の谷地区での微妙な咲き方の違いにはますます舌を巻きます。

但し、日本人の風流にはそれほどの違いがないと私は感じているのですが。と言うのも、当施設では本日の中秋の名月にあわせて、すすきと団子をお供えしたのです。私の拙い知識の中では、日本人の風流を感じるようになったのは平安時代からではないかと考えています。(もっと前からかも知れませんが)『風流=繊細な感覚』と考えているのは私以外にも多くの方が感じてみえると思います。この一見『無駄』のようにみえる感性こそ、日本人として決して無くしてはいけないものだと思っています。

リピーターの皆さん。当施設では、今がたとえコロナ禍であっても、日本の歳時記を大切にしていくのが、入居者さんの幸せの一つだと考えていますので、これからもご支援宜しくお願いします。なお、早速のお願いですが、例年吊るし柿を楽しんでいます。もし、とらないである柿がありましたらご一報下さい。✳自分の事でのお願いは出来ませんが入居者さんの喜んで頂く為ならどんだけでも厚かましくお願いできます。ご理解下さい。

IMG_4019-300x225(昨年の吊るし柿の様子です!)

今年の彼岸花

令和2年9月30日

今年の秋分の日は9月22日で、例年だと『暑さ寒さも彼岸まで』の通りに「今年は彼岸花が咲かないのかな」と思っていると、彼岸の3、4日前からにょきにょきと出てきて、お彼岸の日には彼岸花が田圃の畦道に咲き乱れるのですが、今年は秋分の日には全くと言って良い程に咲いていなくて、26日頃から咲きだしたのですが、『一斉に咲き乱れて』との表現には当てはまらなくて、しかも、花が例年のような綺麗さがないように見ているのは私だけでしょうか。

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これはひょっとして、先般のこのコラムで書きましたが、国民の祝日を連休にするために、記念日とは言えない『第何週の月曜日』等としてしまっている為に自然界も混乱してしまっているのかも、と深読みをしているのは私だけでしょうか。

明日は『中秋の名月』で多分明日は快晴で綺麗なお月さんを見る事が出来ると思うのですが、考えてみたら明日から10月ですので中秋の名月が9月でないのも不思議な気がします。中秋の名月と言えば私が中学2年の時に(私が高校2年の時に急逝した姉光子)姉光子さんが中秋の名月に手を合わせながら、お月さんが雲に隠れているのを見て「お月さんに人間が着陸などしたから、恥ずかしくて雲に隠れてはる」と言っているのを今でも覚えています。

そんな私ですから、その時の出来事が余程インパクトがあったのか、満月のお月さんを見て手を合わせると『お月さんの中でうさぎさんがお餅つきをしている』と言うのが私の口癖です。本日は午前中に岐阜県庁高齢福祉課と岐阜県福祉会館内にある老施協事務局で現実的な話を、午後2時からの全国老施協の新規会員促進パンフレットの検討会でもはっきりとした明確な意見を言ってきた私がお月さんをみると情緒的な感情を抱くのは姉光子さんの50年以上前の記憶が成せる事なのかとしみじみ思っています。

日本人は叙情的で感性豊かで繊細でと勝手な日本人像を抱いているのですが月を見ているよりもスマホの画面を見ていた方が楽しいと言う方が多くなると、私も今一わかったようなわからないような『わびさび』の世界は遥か遠くに行ってまう。明日から10月です。施設の近くにある神社に行き、お酒とお塩を振る舞い手を合わせて心落ち着けて、残り3ヶ月になった1年の集大成を幸せな日々になることを祈り、素敵な10月にしたいと考えています。リピーターの皆さんと共に爽やかな秋を満喫したいと思っています。

高校を中退して、悩みに悩んで来た男子が頑張ってます

令和2年9月29日

高校3年になり、殆ど学校に行けなかった子が夏休み期間中に職場体験で本部施設に来て、3日間と5日間の体験をして、結局夏休みが終わってからも学校へ行けず、ハローワーク等に行き自分なりにあがいて、覚悟を決めて再び本部施設の門をくぐり、9月14日から職員となり2週間が経ち、本日19時からの全体会で正職としての辞令を理事長である私から職員の前で渡す事にしてます。施設で職員になって、ちょうど2週間が経過した今、本人の気持ちを職員の前で発表させる事を事前に伝えておいたので、全体会までの時間はどんな気持ちでいたのかを興味を持っています。職員になった子のかつての指導者の方にはスマホで動画を撮り明日にでも送信するつもりでいます。(今20時14分全体会を終えて家のお風呂に浸りながら、結果報告をします。)全体会が19時に始まり一番最初に辞令を渡すのですが、事務長から名前を呼ばれて緊張気味に理事長である私の前に立ち私が読む辞令書の一字一句をしっかり聞いて手渡された辞令書を大事に持ち、私が2週間の感想と今後の思いを語るように話をすると、辞令書をどこに置こうかとうろうろして・・・。それはそうでしょ。だって打ち合わせなしなんだから。でも、堂々と今後の頑張りも含めて話することが出来、職員のみんなから温かい拍手を受けました。そこで私は理事長として、「鐵は熱い内に打て」との格言がある通りみんなでわからない事は教えてあげて頑張れる職員にして貰うと施設もより良くなっていくと思います。」と話しました。この間の出来事を吉田部長がスマホでしっかり撮ってくれたので、ばっちり撮れた動画をかつて施設で指導して頂いた先生に送信したら、かつての先生はどんなにか喜んで頂けるかと思うと私自身も嬉しくなります。自分の事のように喜べる自分がいる事に喜びを持てる事は何と幸せな事か。そして、この新人職員が辞令伝達の後に全国老施協会長の15年表彰を私の代読手渡した坪井部長のように経験を積み、経験年数と受験資格としての学習を終えて介護福祉士の国家資格を取り、かつての施設に錦を飾り、尚且つ、当法人にとってなくてはならない存在になり自信に満ちた人生になることを願っています。だから、彼の挨拶の後で私は「最初からばりばり出来る者などはいない。一生懸命に学ぼうとすると同時に学ぼうとするものに温かいエールを送れる事こそ、施設全体の底上げになる。」と話をしました。リピーターの皆さん一歩いっぼですので、温かく見守っていて下さい。

『半沢直樹』の最終回を見て

最初に感動したのは半沢直樹(堺雅人さん)奥さま『花』(上戸彩さん)が「銀行だけが仕事ではないよ。いっそやめちゃえば。仕事が見つかるまで私が働くから」には奥さんとしての懐の深さが凄いと思いましたが現実にそんな事があるのか・・・。

次に、半沢直樹が中野渡頭取(北大路欣也さん)のところへ辞表を胸に行った時に頭取の思いを聞いたところから大逆転の方向へと向かったのは「さすが最終回」と思いました。会議の席に頭取の代わりに半沢直樹が登場したのは「ありえへ~ん」。それに、白井大臣(江口のり子さん)の「失礼します」が実はその後に大切な話がされていた事が後からわかり、その時に半沢直樹の奥さんである『花』が白井大臣に贈ったリンドウの花を白井大臣がハンカチに包んであったのを取りだし、『花』が言った「花言葉は誠実です。」を思いだし白井大臣が涙したのをみて、大ドンデン返しの仕込みが垣間みえた気がしました。白井大臣が涙したあと、頭取、大和田、半沢を前にして毅然と「承知いたしました。私もやるべき事を果たします。私を支持して下さっている国民の為、この国の未来の為に」との言葉を聞いて今の現実はどうなのかと一瞬思いましたが菅総理は実直な方だからとも思っています。

頭取の代わりに会見に臨んだ半沢が「帝国航空に対する債券放棄の件、(ワン呼吸おいて)お断り申し上げます。」は予想をしていたものの「やったー」と思ったのは私だけではないと思います。

その後色々なやり取りがあり、白井大臣の長い台詞を述べられた時には目の前に自分の親分の前での発言には凄いエネルギーが必要だったと思います。世の中には、ままならない事は多くありますが、私の口癖の一つに『是は是、非は非』の魂がこもった発言で正に『肝が括った』もので、勧善懲悪がこのドラマの真骨頂だと改めて感じました。このドラマのもう一つのキーワードが「証拠を見せろ」だと思うのですが、最後にも往生際悪く幹事長は「証拠を出せ」に対して、ここでは大和田が活躍するのだからこのドラマは最後までわからないし、その裏で活躍するのがオールキャストなのも最終回ならではとも思いました。そして、白井大臣の意気込みをわかりやすく表していたのが、幹事長が大切にに育てていた松の盆栽の鉢を思いきり投げて壊されたのは覚悟のほどが理解しやすいものでした。

全てが暴露された時の箕部幹事長(榎本明さん)が土下座を強要した時は徹底的にさせていたのが、一瞬の土下座で逃げるように出ていき、一件落着。その後は中野渡頭取(北大路欣也さん)と平取になっている大和田(香川照之さん)が銀行の未来の為に辞職し、半沢直樹(堺雅人さん)が頭取になると言う結末で正直次回の『半沢直樹』につながるのかとちょっぴり不安です。

でも、島耕作のように(マニアックな話を持ち出してすみません。)『課長島耕作』から社長になり会長になるのもありますから・・・。最後に私が気にして特別出演の北大路欣也さんは素晴らしい幕を引いたし、半沢直樹の父親の話も出てきたし、「その青臭い正義を引っ提げて銀行を建て直してみろと言ってるんだ。正義を貫くには頭取になるしかない。逃げずにやれ。受けて立て。」「わかりました。受けて立ちましょう。だが今度こそ容赦しない。完膚なきまであなたを叩き潰す。」に対して香川さんは「上等だ。やれるもんならやってみな。あばよ」で、怖い顔からニヤリと笑って『終』の文字が。リピーターの皆さん。半沢直樹の場面を思い付くままに書いてしまったので理解しにくい面はお許し下さい。

半沢直樹と言う化け物のようなドラマについて私ごときが述べるものではなかったのですが、明日からは平生に戻って書く事にします。とは言っても新規事業の対応は頑張ったんですが。

本日『半沢直樹』の最終回です

令和2年9月27日

本日21時から15分延長で半沢直樹が放映されます。見事にシナリオ予想が外れて恥をかくのを覚悟して今(1654分)から勝手な予想をしてみます。私が思うに半沢直樹が銀行員になったのは、父親が(笑福亭鶴瓶)融資に裏切られて自殺に追いやられた常務になった香川君の存在が気になるのは私だけでしょうか。(香川くんとの微妙関係の中で最初の頃の様に鶴瓶師匠首吊りシーンが出てこない)確かに常に敵対してきた常務(今は半沢直樹に悪事を暴かれ平取ですが)との確執がなくなったら、このドラマは成り立ちませんから。

また、もう一人の存在は愛之助が演じているおネエ役の黒崎(金融庁から国税へ幹事長の陰謀で飛ばされた)の存在です。どちらにしても前回の最後に「三人【幹事長(榎本明)頭取(北大路欣也)平取(香川)】まとめて1000倍返しだ」で すから大ドンデン返しが何かを私自身で追求しなければいけないのですが、昨日の起工式の対応でバテバテなので良い考えは浮かびませんが、私はダークホースは半沢直樹の奥さんの『はな』さんのような気がしてます。今回のシリーズでの出番は少なかったので意外と・・・。

先週の予告で辞表が大きく映していたのでどのように切り返すのか。気になる事と言えば頭取が先週になって『素晴らしい頭取』から『悪の仲間』になってしまっているのですが、北大路欣也さんは最初から最後まで『特別出演』なんだから絶対にここは大ドンデン返しがされなけれはいけないと思っています。そうでなければソフトバンクのコマーシャルでホワイト君の声で「あちゃ」と言っている世界に入ってしまう。だから、スーパーヒーローの頭取でいて欲しいと思っています。

その他に気になっている存在は出向から(半沢直樹を裏切っても半沢直樹の友情によって銀行本店に戻った)近藤の存在ですが今回のシリーズでは出番無しかな・・・。今回のシリーズで一つ嬉しかった役者がいます。それは、大学時代に(名城大学)クラブボックスで同居していた演劇部出身の佃が微妙な役回りを見事にこなしていたことです。私が知ってる演劇部からこのような役割を担う役者を輩出してくれたのは嬉しい限りです。

今(1912分)は家の湯船に浸かりながら、後1時間48分後からの展開にワクワクしながら心地良くお風呂にいます。さてさて、リピーターの皆さん私の予想は全く当たらないのかどうなのかを明日のコラムで書く事にしますが、当たらなかったらリピーターの皆さんから猿之助さんに代わって『詫びろ、詫びろ詫びろ詫びろ詫びろ詫びろ、わびろー』を浴びせて下さい。ちなみに私は猿之助さんのように上手く言えますよと自分では思っているのですが・・・。

 

『祈りは通ずる』のお話し

昨夜は2年ぶりの『若山会』で、長男、次男、甥っ子と私の四人で会食をしました。会が出来なかったのには色々な理由があったので食事と生ビールを前に私の思いを語りました。その時には雰囲気も固かったのですが、甥っ子が客観的な立場で話をしてくれて場の雰囲気が和み、その後私から再び話をして、勿論息子も思いを語り、一年半の垣根のようなものがとっぱられ、改めて四人で乾杯、その後はガンガン食べて飲み語らい、次男と二人で『立山』の4合瓶を2本飲みほしました。

その後、代行で寿司屋に移動し、(あんなに食べたのに)次回の若山会の日時まで決め再び代行で息子達を送り届けて、ホッとして車の窓から天を仰ぐときれいな半月が。「明日は良い天気だ」と確信すると改めて『思いは通ずる』との思いになり、嬉しさの余り『目から汗が・・・』

今から(午前6時54分)お風呂をあがり起工式の対応に全力で取り組みます。これからの展開は後程に報告します。

(ここからは家に帰ってからの報告です)8時30分に起工式会場の隣地にある養護老人ホームに駐車場使用のお願いに行ってから起工式会場に行くと既に多くの岐建関係者の方が会場設営に忙しく動かれていて、先ずは常務さんにご挨拶をして、大きなテントの会場の確認と私の理事長としての役割の説明を受け、9時過ぎから続々と招待客の方がおみえになりその都度ご挨拶をさせて貰いました。

会場はコロナ対策を徹底して、定刻の10時に地元の南宮神社の宮司さんは都合がつかなくて大垣にある御首神社の宮司さんに祝詞をあげて頂き粛々と式典がなされていきました。正直私は何回も起工式をさせて頂いていますが、岐阜県知事代理で高齢福祉課長さんも来賓で来て下さり、県会議員さん、垂井町長さん議長さんを始め総勢60人と多くて緊張する場面が多かったですが無事に終わりましたが本当にありがたかったのは昨日の雨があがったと言う事です。式典終了後は招待客の中で参加して頂けなかった家に祝いの品をお届けして施設に着いたのが14時5分過ぎ。

14時から新館2階でのカラオケでの出演を約束してあったので、急いで新館2階に行き、息が落ち着く間もなく、カラオケのセットに予約すべき曲を入れて貰い、10曲を歌わせて貰いました。皆さんが一生懸命に聞いて頂けたので10曲も歌えたのだと思います。カラオケも終わりホッとしたら、急激に疲れを覚えて、早くに家に帰らせて貰いましたが、長男が18時に色々な相談に来て、しっかり二時間滞在していったので今(午後8時29分)お風呂なのですが、リピーターの皆さん。大きな山を一つ越えたので、週が開けたらより一層忙しくなりますが、それは覚悟の上なので頑張ります。日々忙しいのは幸せの証しですのでこれからも宜しくお願いします。

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松茸バイキングで!!す

令和2年9月25日

本日の敬老週間最終日は1年に1回の松茸尽くしのバイキングです。昨日は、本部10㎏と和合4㎏の合計14㎏の松茸を依頼していたにも関わらず持って来て頂いた大きな梱包の箱を開けてみたら1㎏の箱が13箱しかなくて、律義な職員が計量刑を使って松茸の量を量ったりしていて、結局私が、ウェーブ会議を終えてから、松茸を依頼した方に連絡をして1箱足らないと言う事で、昨夜のうちに届けて頂き一件落着。

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大きなイベントには色々な事がある証か・・・。本日のお酒はノンアルコールビールの提案は出ていて実施する事になっていたのですが、「敬老週間の初めにお酒(十四代)を振る舞ったので、最終日の締めもお酒を振る舞うサプライズをしなくては。」と言う事で家にあった石川県の銘酒『菊姫』を持参しました。10時になり、就職希望の大学4年(国家試験を取得すると管理栄養士)の方がボランティアとして来てくれたので、新館のフロアに行って貰いそうこうしていると12時になったのでお酒を持ってデイサービス、新館1階、2階、本館2階、1階の順番にお酒の瓶を持って回りました。

そして改めて感じたのはフロアによって準備の仕方ややり方が違う事が良く分かりったのですが、違わないのはお酒を飲まれる入居者さんや利用者さんの反応はどの方も嬉しそうにされていました。最も1週間も経たないうちでの本物のお酒ですから、酒の進み方は早くなったようで、途中でお酒が無くなり追加をしての対応になったのは若干の想定外がありましたが、ある意味「嬉しい悲鳴」と言っても良いのではないかと思ってます。

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お酒を持っての行脚?を終えて、各フロアのバイキングも一段落したのを見計らって12時45分にボランティアに来てくれた学生さんに感想を聞きながらの昼食をしました。会議室で頂く事にしたのですが、食事の席に着くと既に水野相談員の配慮により、焼き松茸用の七輪の用意が出来ていて、このロケーションは入居者さん、利用者さんと同じ様にしてあったのには頭が下がる思いでした。

つまり、つくづく感じたのは、ボランティアに来た学生に対しても遊び心を持った配慮が出来る体制が出来るようになった事です。15時から、関ケ原町地域ケア会議と介護保険運営審議会が行われますので、この時間からは関ケ原町をより住みやすい町にする為の会議なので自分なりの意見をしっかり言ってきたいと思います。明日はいよいよ盲養護老人ホーム80床の起工式です。今はまだ雨が降っていますが、必ず雨は止み、『雨降って地固まる』の格言通りになると信じて心躍りながらも気を引き締めていきたいと考えています。リピーターの皆さんも共に心躍って頂ければ幸いです。

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