卓球のラケット購入事件
私が中学一年生で当時、卓球部に入部して間も無くの事です。入部したての頃はラケットを買って貰えず(記憶は定かでないのですが)家族の誰かが譲り受けた物を使う事になったのですが、そのラケットは手を握るところがみんなが持っているものより高くないもので、スタートラインで恥ずかしい思いをしていたのですが、そのことをはっきりと家族に対して言えるような子ではなかったのです。
そんな時に同級生の子が「新しいラケットを買って貰ったので今まで使っていたのを譲ってもいいよ」と言う事になりその程度のお小遣いを持っていた私は譲って貰おうと学校へお金を持って行った日が先輩達の試合がある日で、同級生の何人かが試合を見に行く話がまとまっていることを私は知らなくて、その時の私は「ラケットはいずれ買ってもらうとして試合を見に行きたい。」と。たまたまラケットを買うお金を持っていたので友達と共に試合を見に行ってしまったのです。
ところが、試合終了が意外に遅くて、関ヶ原駅からのバスがなくて仕方なく怒られる事を覚悟しつつ電話をしたら、母秋江がその当時車を持っていた方に頼み込み迎えに来て貰ったのですが、そのおばさん(今も健在です)が車の中で「おかあちゃんがとても心配していたので、家に帰ったらちゃんと謝らなあかんよ」と言われて、(その当時の母秋江は、癌が肺から骨への移行期で家にいたのです。)家に帰ると心配していた母秋江さんが「どうして黙って出掛けた。」「お金はどうして持っていた」等と・・・。
私が「今のより使いやすいラケットが欲しかったので友達に譲って貰おうとお金を持っていった。」等と話すると父進さんが「黙って言ったので心配した。」「ラケットが欲しかったのなら話をして頼まないかん。」と言われて、母秋江は心配していたのがほっとしてカッカとしていて「ちゃんと話が出来ん子はご飯食べんでもいい。」と言われました。
私が悲しくて悲しくて涙が止まらなくて何ともならない時に、両親が混乱しながら収集がつかない状況にいる時に、私が高校2年生の4月7日に急逝した母親替わりだった姉光子さんが毅然とした言葉で「宏はちゃんと謝ったんやし、ご飯食べたらあかんと言う理由にはならんのだから、ご飯を食べたらあかんと言うのはおかしい。宏はもう泣かんとご飯食べなさい。お腹空いたやろ。」と言われて、家族みんなが落ち着いた状況になった事を66歳の今だから理解出来たように思います。
何故、今日突然にラケットの話になったかと言うと、ラケットの話には全く出てこないもう一人の姉春子さんが姉光子の命日のお墓参りをどうするかと聞いてきて、ふと頭に浮かんだからです。そう言えばあの頃の姉春子さんは膨れ顔ばかりで若山家での存在感は薄かったな。(こんな事を書くとまたまた春子さんに叱られそうですが、今の春子さんは『にこにこ春子さん』だから笑って許してくれるはず)
怒られた次の休みの日に父進さんに大垣のスポーツ店に連れて行って貰いラケットを買って貰って『めでたし、めでたし』の話でした。
リピーターの皆さん。私は愛情一杯に育てて貰った幸福者です。母秋江、父進、姉光子には恩返しが出来ない分を地域で恩返しをしていきますのでこれからも温かくこのコラムを見て頂ければ幸いです。