早すぎるで、高橋社長・・・。
令和2年12月5日
朝8時に高橋社長の次男である専務からの連絡。本日10時30分から今須生活改善センターに置いてある『今須太鼓踊り保存会』が解散するに際して太鼓等を譲り受ける事になっていて、その搬送の為に2トンダンプを借りる事になっていたので、確認の電話だと思ったので、「こちらからかけないかんのにすまんね」と言うと専務が「車は施設に届けましたので大丈夫なのですが・・・」と口こもった言い方だったので「社長に何かあったのか」と聞くと「昨夜11時過ぎに亡くなりました。」との返事に思わず絶句し私は「最近元気がない様子だったけど新社屋の完成がもうすぐだ」と喜んでいたのに・・・。高橋社長は昭和30年生まれだから私より2歳も若いし、がたいも大きいし丈夫そうな身体だったのに。そこで本日は、高橋社長を忍んだコラムにします。
初めて高橋社長に会ったのは平成15年度事業で本部新館の事業計画をしていた時に、大垣で蒸籠蒸しと全国の美味しい冷酒を出してくれるお店のマスターから紹介を受けたのが初めての出会いでした。その時に私は「関ケ原町内に会社を構えているなら、マスターに紹介されるまでもなく施設に来たら良かったのに。ガタイがでかいのに気の小さい事で」と私自身でも上から目線かなと思うような言い方をしてしまった事を昨日の事の様に覚えています。その時からご縁を頂き、新館の造成について今須の業者さんの下請け業者として仕事をして貰ってから、池の清掃管理とか冬場の除雪等を良心的にして貰う中で1Kのアパート8部屋を2棟建てて頂いた他にも防災庫や、屋台を入れる倉庫なども建てて頂きました。
入札は勿論、ガチンコの入札であっても他の業者さんが驚かれるような数字で札を入れて頂きました。親しくさせて頂く中で、毎年実施している夏祭りやお餅つきでは、従業員の方も動員してこまごまとした作業もして頂きました。ある時高橋社長に「どうしてこんなに安い価格で入札を入れて貰えるの」と聞いた事があります。すると高橋社長は「今までの仕事は殆ど下請けでの仕事だったので、下請けの価格で入札するので自ずと安い札を入れても大丈夫なのです。それに、社長の手当はこの中に入っていませんので」との答えに「よくもよくもぬけぬけと」と思ったものでした。
こんな社長でしたが、ある時は私が高橋社長と話をして玄関先まで送って行った時に、次の打ち合わせの為に来ていた業者の方が「先程会われていたのは高橋社長だったですか。」と聞かれたので「そうですがどうして」と聞き返すと「若い頃自分も横着していたけれども高橋さんの姿を見ると怖くて隠れたものですから」との返事に対して私はしみじみ「若い頃の色んな経験が今の高橋社長を作ったんだ。」と思いました。なにかと言うと頼っていた社長は天国へと旅立ちましたが、会社は存在しているし、立派な社屋も近く完成して高橋社長の意志を継いで立派になされる事を高橋社長はきっと望んでみえると思いますので今後ともお付き合いしていければと考えています。リピーターの皆さん。本日のコラムは本当に個人的な内容でしたが、私は常にご縁を大切にしての展開をさせて頂いている事をご理解して頂ければ幸いです。
















