私とお酒
令和元年10月8日
私が中1の1月に母秋江さんが他界した事も父進さんが聖人のような人物で誰からも悪口を言われる事のない人だった事は何度もこのコラムで書きましたが、『私とお酒』をテーマにするときは父進さんの駄目だった事をお話しなければいけませんが敢えて書きます。尚、突然にこのテーマにしたのは、朝6時から施設でバタバタしていて、早目の昼食をとり、施設に16時過ぎに帰ってから直ぐに全館清掃の打ち合わせをしていて、コラムで書けそうな話題が無いので、ストック分としてとっておいたお話しとして『私とお酒』の話をしたいと思います。私が中1でお酒など口にしたことがなかった時にお酒を進めたのは、実は父進さん何です。と言うのは、教育者としてバリバリ仕事をして家に帰ってきて、ホッとしたときに、一目惚れして垂井から今須に婿養子にきたのに母秋江は天国に召されて家にいない。思わず酒を飲みたくなる気持ちはわかります。しかしながら、家で一人晩酌をするのが嫌だったんだと思います。中学1年の私に「一緒に飲め」と進めてきて、結構に飲ませて貰いました。そして、高校時代は期末テスト等が終わった時には我が家で宴会になった事も一度や二度ではなかったです。(約半世紀前の事ですから『時効』と言う事で)高校時代に結構鍛えていたので、大学に入って直ぐの『クラスコンパ』(今は流行らないか)では一番沢山のんで、お酒を初めて飲んだと思われる同級生が何ともならないほど酔っぱらったので、もう一人の同級生に手伝って貰い私の下宿に担ぎ込み、酔っぱらった同級生はずっと洗面器が離せない状態で午前3時頃になると吐くものがないからか血へどを出すので私と共に介抱していた二人が今度は青くなり、困ってしまった挙げ句生まれて初めて『119』を公衆電話で。しばらくして救急車に乗り、病院に着き、診察をして貰い処置も終えられたお医者さんに介抱していた二人が呼ばれ、お医者さんにしたたか怒鳴られ、怒られたのですが、私たち介抱した二人は行き掛かり上救急車に乗っただけで、飲んだのは血ヘドを吐いた同級生で私たちは何も悪くないと思っているのでその考え方が露骨に出ていたのだと思います。お医者さんに輪を掛けて怒られた思いでもあります。私はどんなに沢山飲んでも吐くと言うことがなくて、それ以降の人生でも楽しい時にも苦しいときにもお酒を沢山頂いてきました。そして最近の私は、「今の事業が出来たのは、お酒が飲めて、歌が歌えて話題が豊富にあり、人間関係を大切にしてきたから」と言っているのですが、何と言ってもお酒が飲めたからかな。本日のコラム継続もお酒に助けられたし、やっぱりお酒は素晴らしい。リピーターの皆さん機会があればご一緒しませんか。但し、1斗樽抱えて来て下さい。✳今でも太鼓腹なのに大丈夫かとの謗りを覚悟の上でのコラムでした。