大正7年2月生まれの入居者さんが亡くなられました
いつも穏やかに過ごされていた御歳101歳になられていた入居者さんが亡くなられました。毎週のように家族の方の面会はあり、その度ににこにこされていました。亡くなられる前日まで食事をしっかりと摂られていて、亡くなられてお棺の中のお顔を通夜のお経が終わってから見させて頂きましたが実に柔和なお顔で今にもお声を発されるのではないかと思えるような感じがしました。日頃私は『食事が食べれなくなったら枯れるように、しかも安らかな顔での死に顔であって欲しい』と言っています。そして、そう言うお顔こそが、我々介護に携わる者に対する最後の教えであり、メッセージではないかと思っています。最後の最後まで食事を楽しまれていた方なので『枯れるように』の表現は当てはまりませんが、家族の方と共に『大往生で、私の生き方最高だった。と思ってみえますね 』と話をした次第です。今夜もお通夜がありました。今日のお通夜は月1で本部施設へ和合の施設へ2ヶ月毎にボランティアに来ていただいている『てるてる座』の土台を支えて頂いていて、和合の竣工式典に際しても多大なご協力を頂いた『豊子姉』の突然の死の報を聞いた時には頭が真っ白になりました。私はその知らせを聞いた時、『色々お世話になったのに何のお礼も出来ていないな。』と痛切に思いました。その都度お世話になった時のお礼の挨拶はしましたが、お返しになることは何一つできてなかったのではないかと思っています。しかしながら、そんな私に対してもいつもにこにこの笑顔を送ってくださった事に対して感謝の言葉をお棺の中のお顔に対してつぶやいていました。暗い気持ちになることなくいたら、てるてる座の活躍や当法人の行く末を天国でにこにこしながら見守っていて下さると思っています。話題をがらりと変えます。本日16時からのお約束でインドネシア在住のご夫婦(元々は日本人)が本部施設に来て下さいました。訪問理由は『人材』の会社を経営されていて、かつてリクルートにお勤めだった方と共にみえました。私は当法人の人材の事もありますが、それ以上に岐阜県老施協会員のお役に立つ手立てはないのかと色々お話をさせて頂きました。それに私は今季から全国老施協総務・組織委員長として、会員確保促進の中心者なのでその観点からも何らかのアクションを起こせる起爆剤になればと一生懸命に話しました。いみじくも岐阜県高齢福祉課からは『人材』に特化した補助金を来年度は組んであるとの情報もあるので尚且つ頑張らねばと思っている次第です。リピーターの皆さん。私の人材に対する取り組みについても見守っていて下さい。