出張2日目です

(昨日第二段を待ってみえた方があったかも知れませんが諸般の事情で出来なかった事を先ずはお詫び致します。)

昨日は東京都の役員とのタウンミーティングがあり、大きな荷物を宿泊する平河町にある都市センターホテルに預け、先ずはランチミーティング会場である『神楽坂 割烹加賀』に11時に着いてお店に入ろうとすると、戸が閉まっているし、役員らしき方の姿が誰もない。店の周りをうろうろと観察すると、お店の営業時間は11時30分となっており、全国老施協の案内も確かに11時30分になっていたわと。11時15分からは東京都の役員さんもぞくぞくとみえて名刺交換をしながらお話をしているとお店の玄関が開いて部屋に案内して頂きました。

流石に天下に名高い神楽坂です。芸者さんの絵があちらこちらに飾られていて田舎者の私は圧倒されっぱなし。ランチミーティングなので粋な器に入った食材を頂きながら東京都の役員さんとしっかりお話をさせて頂きました。東京都の総務委員長さんが特に興味を持たれたのは当法人が取り組んでいる『トランスファー研修』についてでした。

ランチミーティングを和やかな雰囲気で終え、場所を『研究者英語センター大会議室』に歩いて移動して東京都の施設長さんら30人程とのタウンミーティングです。最初は東京都の西岡会長、全国老施協の平石会長、園田常任理事(参議院議員)の挨拶後に全国の役員紹介があり、引き続き人材の話を太田委員長が、書類削減の話を桝田委員長にして頂き15分の休憩後、東京都の田中副会長が東京都の人材の現状と打開策についての話をして頂いてから質疑応答の形での意見交換をしました。事前に質問事項を提案して頂いていたので、スムーズな流れの中でそれでいて突っ込んだ話も多く聞きました。そして、東京都の現状認識が私自身大きくずれていることを痛感しました。私の認識は少なくても10年近くずれていると言う事です。

何故ならば、私の認識では『東京都の施設は待機者が多く、施設を造らなければいけない。但し、介護を担う職員が少なくて補助金が多くあっても厳しい経営の法人が多くある。』と言うものでしたが、お話をお聞きすると『介護を担う職員だけでなく入居者も奪い合う現実がある』との話にビックリでした。と言うのは少なくとも私の認識だった『東京で毎月コンスタントにショートステイを1週間利用するのは宝くじに当たるより難しい』と言われていた淑徳大学の結城教授から聞いた話から私の情報は途絶えていたからです。東京都のなかでも最も求人倍率の高い地区は33倍との資料を見て唖然となりました。

この問題は全国老施協も真摯に捉えなければと全国の役員として思った次第です。このような事態を招いているのは全国老施協が都市部との連携があまり上手くいっていなかった証だと思いますし、介護保険制度の20年の経過によりできた歪みだとも思います。私はここ10年間『都市部と地方部が同じ制度の中では難しい』と言い続けてきましたが、具体的手立てをしてこなかったのも事実です。今回東京都でタウンミーティングをさせて頂いたのは有意義でした。

本日は近畿ブロック組織強化連携会議の為、今は(午前10時46分)『のぞみ』で大阪に移動中ですが、近畿にも大都市である大阪、神戸を擁していますので是は是、非は非での対応をして全国老施協の組織強化をする事により国に対してもっともっと物が言える組織になるように総務・組織委員会委員長の立場で『労を惜しまず』の心意気で頑張りますのでリピーターの皆さん色々な立場でご理解ご支援を宜しくお願いいます。

※追記です

新幹線の写真は皇居前の通行規制で丸の内に着けず日本橋口で降りたので東海道新幹線のドンつきの16号車のホームから歩いたので改めて新幹線の16両は長いと思いガラケイでとったものです。

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本日朝イチから明後日夜遅くの帰宅まで頑張ります

令和元年12月3日

東京へいつもだと岐阜羽島8時15分発のひかりに乗るのですが、明後日が秋田を飛行機で伊丹から新大阪経由で夜遅く帰る事になるので岐阜羽島より米原の方が帰りのくたくたの状態で羽島から帰るより楽だと考え7時57分発に米原から乗ることにして朝早くに起き出張の準備をして、7時前に出て、県境の辺りで私の喉を守ってくれる喉スプレーを忘れた事に気付きいつものLAWSONでUターンして家に戻り、それでも米原東口の駐車場でもたもたしても十分時間がある予定でしたが

いつも言っているように『予定は未定であり決定ではない。』の通りの事が起きました。それは、前払い式の駐車場で先客の方が機械をじっと見つめて私が後ろにいるのでそのまま行かれて嫌な予感がしたのですが、それほど時間に余裕がないので機械の指示通りに操作をして現金で千円札を2枚入れあと百円だったので百円玉を何度入れとも返却口に戻ってくるので、5百円玉を入れても駄目で、もたもたしていたら最初の画面に戻りお金は戻ってこない。しかしあまり時間がなくなり千円札を3枚入れると駐車券と領収書は出てきましたがお釣りが出てこない。

合計2千9百円の損はいくらなんでも酷すぎるし、私の前の方もお釣りが出ないのを怖そうなオヤジが後ろにいたから諦めたのかもしれないと思い機械の所に書いてあったフリーダイヤルにダイヤルをして、「いかん、時間がない」で一旦携帯を切り、「あと7分しかない」と言うことで走って駅に入って行き券売機で予約した切符を手に入れ、ホームに向かうと沢山の方が降りてみえて慌てたあわてた。(5分の停車と言う事を後で知りました)

列車に飛び乗り荷物を席に置き、米原からの乗車で東京に行く事は無いので関ヶ原の風景を窓越しに見てから、改めデッキに行き駐車場に書いてあった連絡先に電話して事情を話すと「返金をしなければいけませんので機械に書いてある場所を教えて下さい。」と言われたので「米原駅前の駐車場です」と言うと「それでは分からないのでまた連絡下さい。」と言われたので「私はこれから3日間の出張だし、この後の利用者にも迷惑がかかりますから米原駅前だと言っているのだから私の返金の話ではなく直ぐの対応が必要なのではありませんか」と話しても何と無く迷惑そうな返事。私は要らんこと言ったのかな。とにかく、出張は幸先悪いのでこの3日間を気を付けていきたいです。

(ここまで東京までの新幹線の中で打ちました。第2弾が書けたら書きますが取り敢えず本日分はクリアしたと言う事で。本日も時間を有効に使いコラムのネタを提供してもらえてありがとうと災い転じて福と・・・。お後が宜しいようで)

長男誠の35歳の誕生日を迎えて思う事

令和元年12月3日

「ながら運転」の厳罰化に思う

ながら運転の厳罰化が12月1日から施行されました。ながら運転は自分の運転に過信してのものとしか思えない。だって、時速60キロの車が1秒間に進む距離を計算してみてください。60キロは60000メートルですから1分間に1000メートル進み1秒間に16.6メートル進む事を改めて計算してみて「おいおい、そんなに進のかよ。」と思ったしだいです。目の見える人が16メートル目をつぶって歩けますかね。絶対に無理です。報道によるとトラックの運転手がラーメンを食べながら尚且つスマホを見て運転していたとの報道にトラック運転手は曲芸師並みの器用さだと思わず絶句です。また、バスの運転手がゲームをして運転していたには、職業意識の希薄さを思わざるを得ないです。私は自分の立場上、携帯を常に身に付けていて、会議中などはマナーモードにして時間が空いた時にメールを見るようにしていますし、車の運転中はハンズフリーの機能を使っての会話にしています。但し、一つだけ困っていることがあります。それは健康にも良くない事は分かっているし、出来るだけしないようにしているのですが、これも『ながら運転だ』と言われると困る事があります。それは、どうしても時間がなくて、車を運転しながらおにぎりやパンを食べる事です。ラーメンは駄目でパンなら良いと言うのにも無理があるのでそんな時は1食くらい抜いて我慢することかな。お腹もへこむし良い事づくめかな。これは正しく『逆転の発想』かな。

 

本日長男の誕生日に際し思い出を語ります

生まれた時の話は昨日させて頂きましたので、生後3か月の頃の話をします。私の奥さまかをりさんの実家はその頃喫茶店をしており、そこへ孫である誠の貌を見せに行くために籠の中へ入れて私がその籠をぶらぶら抱えながら持って行き、喫茶店のカウンターに籠を置いたところ、喫茶店のママさんがかをりの叔母さんで叔母さんが「マコちゃんはどうしたの」と聞かれたので私は当然のように、籠を指さして「この中に寝てますよ」と言うと叔母さんはあきれ顔だったし、今考えたら、とんでもない父親だったなと思っています。誠が保育園の年長さんの頃に関ケ原町に『メナードランド』と言う遊園地があり、そこへその頃テレビ番組で『ライブマン』と言うのがあり、ライブマンが怪獣をやっつけるのですが、怪獣が手の所から煙を出した時に誠が大泣きしているのを誠の友達が見ていて「まこちゃん、怪獣の中に人が入っているだけやよ」と言われても泣き止まないのですが私は誠の友達には「夢が無い子だな」と思った次第です。

明日から、東京、大阪、秋田と組織強化の為に全国老人福祉施設協議会の会長、専務らと共に出掛けますが、それぞれの地でもどんな出会いがあるかわくわくしてますし、自分の役割をしっかりと努めたいと考えていますのでこのコラムでもわくわく感がリピーターの皆さんに伝わればさいわいです。

長男誠の35歳の誕生日を明日に控えて思う事

令和元年12月2日

私の長男誠が35歳になると言う事は35年前に生まれたと言う事で私が31歳の時に生まれたと言う事です。その頃の私は瑞穂市(当時は穂積町)にある児童養護施設誠心寮の児童指導員として5年が経過していて、26歳から自分の思いで入所児童と夜遅くまで格闘して高校全入を実現していて乗りに乗っている時期で、私の奥様かをりさんが出産前で不安な日々を送っていた時期にも施設での仕事を第一に考えていました(今の状況も変わりませんが)。

つまり、35年前の今日は日曜日であって次の日が中学校の期末テストの最終日と言う事で、朝から順番に個別指導をしていて23時に施設を出て家に着き玄関を入ると、私の奥様かをりさんが不安そうに私を待っていて、いきなり私の奥様かをりさんが「はすいした」と言うので私は全く意味が分からず「はすいって何。歯がすっぱいの」等と今になっては笑い話のような会話をしていて、何をどうして良いのかも分からずに私の奥様かをりさんの周りをぐるぐる回っていて、離れの家にいた養母に知恵を借りに行きました。養母の英子さんは子どもを産んだ経験はありませんがここは年の功で「こう言う時は取り敢えずかかりつけの産婦人科に連絡しなさい。」と言われ、日頃偉そうな事を言っている私も形無しだった覚えがあります。

私が「こんな時間に(午前零時過ぎ)電話して大丈夫なの」と言うと英子さんが「赤ちゃんは都合よくは生まれないのだから何時に電話しても対応するのが産婦人科なの」と言われて、「なるほど」と思いかかりつけの産婦人科に連絡すると「直ぐに来てください。夜間通用口を開けておきますから」と言う事で私の車で産婦人科に行くと、私の奥様かをりさんはそのまま分娩室へ連れて行かれ、私と養母の英子さんは病室に案内されました。しばらくは病室の椅子に腰かけて待機していたのですが、朝から23時まで子どもと格闘していて、なかなか産声も聞こえてこないし、本来かをりさんが寝るためのベットが開いているので英子さんに「絶対に寝ないけど少し横になるね」と言って横になった瞬間に爆睡していました。

次に私が気が付いたのは助産婦さんが白い産着に包まれた長男を抱いてドアを開けられてから「おめでとうございます。元気なお坊ちゃまです。」の声で目が覚めて私は瞬間的に思ったのは、「元気な子が生まれて良かった。でも、一生に一度のこの世に生まれてきたときの雄たけび(産声)を聞きそびれてしまった。」と言う事でした。このような調子で私は今はやりの『イクメン』とは全く無縁で全て奥様任せで、今も子育てをしていた頃の話になると奥様は豹変しますので、誕生日のお祝いは(正確には明日ですが)せめてスポンサーになって罪滅ぼしをする事にします。

ところで私の長男誠ジュニアの『翔(かける』も同じ12月3日が奇しくも誕生日(満4歳になります)です。まだ4歳ですから3代でお酒を飲むのはまだまだ早すぎですが、3代で楽しく酒を酌み交わせるまで元気に頑張りたいと思います。リピーターの皆さん。こんな私ですがこれからも宜しくお願い致します。

 

今日から12月です

12月は『師走』とも言われているので、字を見てもお分かりのように『師も走る』忙しさとの事。私たちの業界は年中無休が当然の事なので、余り関係ないと思いきや「年末位は面会しておこう」と言う方と日曜日とも重なって面会者の方も多くて『何となく気忙しい日』でした。

働き方改革の流れもあり、コンビニ業界も24時間営業を中止するとの報道もされているが、介護業界の入居受け入れ施設はその点は全く無縁の業界です。本部施設も和合の施設も夜勤職員は毎日5人を確保しなければいけないので大変ですが職員の理解により出来ています。確かに働き方改革も良いのですが、働き方改革が難しい状況にある事に対しての評価をして頂きたいと言うのが本音です。

そう言えば先般岐阜県女性対策室の方が本部施設におみえになり、色々な項目についての質問がなされている中で『女性の管理職への登用について』の質問があった時に私は思わず「元々介護業界では女性の職場とのイメージがあり、逆に男性の幹部登用が難しい中で多くの男性幹部職員を持っている現状をむしろ評価して貰いたい位だ。業界の内容を考えた調査でないと何の為の評価なのか分からなくなる。」と話をしました。

5年ほど前の事ですが大学と介護事業者との懇談会の折りある大きな法人の総務部長だと言う40前と思える男性が「寿退社と言うのをご存知ですよね。多分大方の皆さんは結婚を機に退職する女子社員をイメージされたと思いますが介護業界では結婚して続けるには経済的に無理との判断で男子職員が辞めていくんです。」と発言されたので間髪入れず私は手を挙げ「只今の発言は少なくとも私の法人には当てはまりません。何故ならば実際に4人の子供と嫁さんを抱えても自分の給料で生活している者もいるし、他にも二人、三人の子供がいる男子職員もいます。効率性を求めながらも楽しい企画も実践してます。確かに有り余る財源があるわけではありませんが素晴らしいスタッフの確保の為に汗を流すのが経営者側の役割ではないでしょうか」と啖呵を切った事もありました。

これ以上介護報酬が下がらないよう、食費や居住費の適正な見直しの為の戦いは必ずやり遂げなければいけませんが、努力もせずに男子職員の確保が難しいと嘆くばかりではいけないと考えています。

何か今日のコラムは一本の方向性を持ったものではないですか(今日だけではないか・・・。)熱い思いはリピーターの皆さんは理解して頂けたものと確信しております。私も法人の理事長として10年後、20年後を睨んだ展開を考えてこれからも頑張りますので今後とも宜しくお願い致します。

整体でしっかり体をほぐして貰いました。

令和元年11月30日

一昨日は吉澤統括部長の認知症指導者養成研修終了とデイサービスの責任者の北島部長に来月第二子誕生の前祝いと言う名目でしたたかに飲みました。(北島部長には弁当箱を洗濯機で洗ってしまったと言う武勇伝をまたまた聞きました)

昨日は共済会の50周年記念祝典でほんの少し飲みましたが岐阜駅からの電車待ちの時間に疲れを感じて思わず本日の整体を駅のホームで予約して、本日14時から一時間半しっかり体をほぐして貰いました。とは言っても殆どの時間、爆睡してましたのであっと言う間に一時間半は過ぎてしまったのですが。

最後の施術でフットケアをしてもらった時に足の親指と人差し指はメチャクチャ痛かったので「親指はどこが駄目で痛いのですか」とお聞きすると「頭です。」と言われたので「人差し指は」と聞くと「目ですね」と言われて、確かに頭と目は疲れているなと変に納得してしまいました。だって、同じように他の指もして貰ったのに大して痛くなかったので。

しかしながら整体をして貰って本当に体が軽くなり頭もスッキリしたので来週の12月4日の日に朝7時に家を出て東京で泊まり、翌日大阪に移動して会議に出席をして、その日の夜に飛行機で秋田に飛び秋田て泊まり翌日会議を終えて、その日の夜の便で伊丹まで飛行機で移動して夜遅くに(6日夜)家に帰る超過密で過激なスケジュールも何とかクリアできそうです。

但し、しっかりと頑張る為には12月2日の日に長男誠(まこと)と孫翔(かける)の誕生日(正確には誕生日は長男も孫も12月3日なんですが)に合わせた『しゃぶしゃぶ木曽路』での食事会では、あまり飲まないようにしなければと今は思っているのですが、弾けてしまうのかな・・・。(始めは慎重にしながらも弁当箱を洗濯機で洗う北島部長のように。でも私は酔って川に落ちた経験はございません。)

しかしながら、家族に囲まれての食事会なんだから、楽しく飲んだら決して疲れないと思います。だとするといつもの飲み会は『お付き合いだ』だから『酒を飲むのは仕方なく飲んでいるのだ。血液の数値が悪くても仕方なく飲んでいるんだ』などと勝手な事を言っている私はおかしな人間なのかもしれません。自虐的な事を書いてしまいましたが、自分が出来る事をしっかりと頑張っていきたいと考えていますし、昨年の8月22日からのコラムが連続で更新出来ているのも充実した日々を過ごさせて貰っているからだと思うと感謝の文字しかありません。

但し、父進、母秋江、姉光子はきっと天国で『生きた心地がしてない』と思うと、生きているときも死んでからも心配ばかりかけているけどこれからも宜しくと思っています。リピーターの皆さん私はこんな奴ですがこれからも宜しくお願い致します。

昨日のコラムの送信は午前1時40分でした

令和元年11月29日

昨夜は私にしては珍しく飲み会で三軒もはしごをしてしまい、酔っぱらいながらガラケーの携帯でコラムの原稿を書いていて、適当なところで打ち切って送信すべきところを頑固に打ち続けたので日をまたいでしまいました。救いは宿直者が夜中にも関わらず早くに対応してくれた為に私が確認した6時にはアップされていました。

本日も10時に設計業者が打ち合わせに来てくれるので、頭をスッキリさせなければとお風呂にゆっくり入り設計にかける思いをしっかり述べさせて貰いました。11時には棚橋衆議院の秘書さんがみえるはずが10分遅れでしたので対応をバタバタでして、昨日早朝に亡くなられた入居者さんの葬儀に出掛けました。自宅での葬儀だったので参列者は外に準備してあった椅子に座ってのお参りでしたが本日は快晴の天気だったので風がなく陽が当たっているときは暖かさを感じる事が出来るのですが、風が吹くと涙がちょちょぎれる程に寒く感じました。禅宗の葬儀なのでしっかり一時間のお参りで施設に帰り昼食を頂き13時20分発の電車に乗り大垣で乗り換えて岐阜に行きグランベール岐山での共済会の50周年の記念式典に行きました。

3階に設置してあった受け付けをしようとして、私は共済会の理事なので『役員受け付け』で確認して貰って三度見直して貰っても私の名前がないので「申し込みをしたはずですが」と言うと「若山先生の席はありましたが・・・」との事で明らかに後ろに並ばれている方に迷惑がかかっている・・・。隣の受け付けをしている私をご存じの方が「若山先生は来賓受け付けだと思いますよ」と言われたので改めて来賓受け付けに行くと「若山会長は『D』の席です」と資料を渡して貰ったので私は『来賓なんて聞いてないし。理事が来賓なんて有り得ないし』と思っていて、席に着くと名札に『岐阜県老施協会長 若山宏 様』と書いてあるので、私の疑問は解けました。「今日は老施協会長としての案内なんだ。そう言えぱ50周年のお祝い文を大分前に書いたっけ」と。記念式典の前に20年、30年、40年の永年表彰があり、その後記念式典が挙行されたのです。しかしながら、200人弱の参加でしかも来賓は8人だけで、わざわざ受け付けを分ける必要があるのかとも思いました。でも、主催者側は一生懸命に準備されたのだから文句は言うまい。批判をしようと思ったらどんなに完璧にしようとしても出来るから・・・。

但し、今回は『びっくりしたなーも』と言う感じはしましたけど。式典も終わり祝宴になり、メインテーブルである私の席には多くの方がお酒を注ぎに来て頂きお酒を飲むには飲んだのですが昨夜の酒のせいでお酒が美味しくない。昔の方が『迎え酒』と言われていましたが少なくても私には無縁だと理解しました。やはりお酒は楽しく飲んでこそ美味しく飲めるとつくづく思いました、色んな方に二次会へのお誘いを受けましたが一切お断りをして、タクシーを探さなければとホテルの玄関を出るとタクシーが停まっていて支払いをされているのでお客さんが降りられたタイミングでタクシーの運転手に「大丈夫か」と確認すると「喜んで」と元気な声が返ってきて『少し良かったね』と思い岐阜駅構内の掲示板で米原行きが10分後に出る事がわかり、『疲れている私に対する見えない支援がされている。有り難いな』と思い、明日は基本的に何もお約束がないので整体で身心共にリフレッシュする日にしようと整体の先生に連絡すると14時からの予約がとれて、これまたラッキー。来週は東京、大阪、秋田とウルトラスケジュールが待っているので体を少し労る事にします。もちろん今(午後8時13分)は家でお風呂にゆっくり入ってます。リピーターの皆さん整体でのリフレッシュ位は認めて下さい。

本日の展開は午前零時48分の連絡から始まりました

令和元年11月28日

入居者さんのなかで体調的に厳しく看取りになっていた方が息を引き取られたとの連絡を宿直者から受け、ドクターの多賀先生に連絡して、施設に来て頂く時間を確認すると共に家族に連絡して施設に向かいました、多賀先生に死亡診断書を書いて貰い、家族の方に今後のお話をさせて貰うと共に、湯灌を職員にして貰い、その後ご自宅へ送らせて頂きました。

その後家に帰り朝食を済ませ再び施設に行くとEPAの介護福祉士候補生のマッチングをしていただいているジクウェルズの方が訪問指導の為に3名来て頂いていたのでご挨拶をさせていただいたり、橋の防護柵をしていただく業者の社長さんがおみえになったり大垣和合の施設の職員の1ヶ月研修の最終日と言う事で最後の指導をしたりして、昼食を頂くと午後からの岐阜県庁からエクセレント企業としての実態調査に社労士の方とおみえになったので色々な質問に答えながら進めて頂きました、このような調査をして貰うと当法人の不十分性が浮き彫りになりありがたかっ たです。

質問が全て終わってから、女子職員で二人の子供の育休をそれぞれ一年実施した体験を聞くために来て貰い私も改めて話を聞くと「仕事に復帰するときの不安がありましたが子どもは事業所内保育所に預けて安心して働く事が出来ました。」と言われた時には理事長としての考え方は間違ってなかったと嬉しく思いました。但し、今は職員が辞めないのは嬉しいのですが結婚しないのは困りものだと思ってます。女子職員との聞き取りが終わってフリートークになってから、私の持論を話しました。それは、『介護人材が枯渇している』と嘆くよりも裾のを拡げるべきだと熱く語りました、岐阜県の幹部職員の胸き熱く語ったことは理解して頂けたと思っています。

午前零時48分からバタバタしていけたので16時に終わってからさすが疲れたのか家に帰って30分だけ眠って(ドラゴンボールZのミスターブーのように一瞬眠る芸当をして、幹部職員との飲み会に出掛けました。こんな過激な生活がいつまで続くかわかりませんが取り合えず頑張ります。

本日『も』出張です

令和元年11月27日

『も』と書いたのは先週が月曜日から金曜日まで、埼玉、茨城、東京と移動しながらの出張で、帰ってきてからもバタバタの日々で、昨日も本部施設で全体会があり帰宅したのは20時30分でした。そして、お風呂に入り遅い夕食を済ませ、22時には布団の中に入りうとっとした22時20分に水野相談員から施設のアパートに帰る時に間違って川に落ちた職員がいて梯子を使って救出しましたが腰と足が痛いと言ってます。との報告を受け、直ぐに本人に連絡すると「迷惑をお掛けしました」とばかり言うので「悪いときは甘えれば良い。それよりも明日は病院に連れていって貰いなさい。」と言って、本日朝食を食べに来たかの確認をしたところ、傘を杖替わりにして来たとの事。出張前に同じような事が無いようにする為に現場を確認すると共にフェンスの手配と電灯の手配をして急ぎ岐阜羽島に車で来た次第です。

敢えて『も』等と生意気そうな書き振りになってしまいましたが、ちなみに来週も、東京泊(当日は11時までに会場入り)で大阪に移動し会議を終えたその夜の内に秋田に飛び秋田で泊まらせて貰い翌日会議を済ませその日の夜の便で帰ってくる強行軍が待っています。(移動距離の長いのには自分でも驚きです。)このような事態になっているのは私が公益社団全国老施協総務・組織委員会委員長を拝命し会員加入促進と会員の要望をお聞きして対応すべき課題を各委員会に伝え形にする為の調整役をする立場にあるからです。全国には8ブロックがあり、それぞれのブロックに行かせて頂き役員の方々と親しい関係を作らなければと考えています。本日は全国老施協正副会長委員長会議が午後13時30分から平河町にある塩崎ビルで行われるので今(午前10時40分)は新幹線の中ですが、会議前に事前の打ち合わせをしなければいけないので遅くとも12時30分までには行きたいので昼食はまたまた、おにぎりとパンの主食のみになるのかなと考えています。(こんな生活だから体重は減りませ~ん)ただ、明日は本部施設に9時にEPA介護福祉士候補生のインドネシアの職員の様子等を確認の為にジクウェルズの方が訪問されるし、午後は岐阜県女性推進課の方がおみえになるのでどうしても今日中に帰らなければいけないので本日もタイトな一日になりますが叱咤激励で頑張ります。(続きは帰りの列車の中で書きたいと思いますので一旦ここまで)

12時30分に塩崎ビルの会議室に着き、セブンイレブンで購入したパンとおにぎりを食べ終わるのを待って貰ってから会議前に総務・組織委員会の来週以降の打ち合わせをしてから、久しぶりに前会長の石川顧問がおみえになったので固く握手を交わし、今後総務・組織委員会でお世話にならなければいけない役員を中心にご挨拶をさせて貰ったりしていると(根回しするのが委員長の役割と心得てます。)定刻の13時30分になり、16時までの予定が15分延長で終了して(休憩は無しです)今は(17時20分)新幹線の中です。会議では私なりにしっかり意見が言えたし、事務局長が言い切れなかったフォローも出来たし、会議中に施設からメールで昨夜川に落ちた職員の報告で『骨に異常はなく打ち身だったので1週間もしたら痛みもなくなるとの事』と書いてあり、報告が早くきたのも嬉しかったしホッともしました。正直疲れて新幹線のシートにもたれてゆっくりすれば良いものをコラムの更新記録を伸ばす事が職員の意識高揚に繋がると信じて頑張りました。私はこのような考え方で間違っていないと思っていたのですが、実は私自身の成長につながっていることに最近気が付きました。と言うのは先般のコラムで書きましたが私の唯一の姉春子さんが生まれて初めて弟である私を誉めてくれたのです。私にとっては劇的な事なのです。リピーターの皆さんこれからも私の進化を見守っていて下さい。

盲養護・養護老人ホームの設計業者のプレゼンが行われました

令和元年11月26日

10時からの予定でしたが、業者の方は早々にお見えになり、審査する側の理事・監事の方々も9時50分には全員そろって頂けたので定刻前に始めさせて頂きました。

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開会に際して杉和会理事長である私から業者の方を一斉に会議室であるプレゼンテーション会場に集まって貰い挨拶をさせて頂きました。挨拶の中で「盲養護については全国47都道府県の中で岐阜県を含めて4県のみが無い状態の中での建設計画であることから、おのずと興味を持って見て頂く事が多いと思うので業者が決定したらその業者の方と思いを語りながら立派な施設を作っていきたい。」と話をさせて頂き、プレゼンテーションの順番をくじ引きで決めて、業者の説明を10分と質問の時間10分で進めていきました。

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それぞれに実績のある会社の中、審査する7人のメンバーが8つの項目について5点ずつの合計40点の持ち点で、1次審査は7人の合計点で決め、その後それぞれの立場で審査した理事・監事の方に意見を聞き最終的に最高点を取られた業者にすることを理事長として判断して決定しました。今後は決定した業者さんと共に先進的な施設の見学をしたり、意見を聞いたりして色々な思いを語りながら完成に向けて頑張っていきたいと思います。

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 かつての入居者さんの法要をさせて頂きました。

 新館にご夫婦で入居されていて、ご主人が平成22年に、奥さんが平成28年にご逝去されたのですが、夫婦仲が良かった為か同じ11月に亡くなられているので、お2人の法要を本日14時から杉和会監事であり法忍寺住職である皆田さんに来て頂き行いました。

生前ご主人は奥さんを頼られていていつも、「お母ちゃん、お母ちゃん」と言われていたし、本当に微笑ましい場面がたくさんありました。ご主人が亡くなられた時には精一杯に尽くされた為か亡くなられた時には「お父ちゃんいってまった」と言ってご主人の部屋に付き添って見えましたが、会議室で行ったお通夜の時はお参りが終わるとさっさかさっと自分の部屋に行かれてしまったので私がお酒を飲みつつ一晩見守りをしたことを思い出しています。

今日法要をしたご夫婦は文字通りお互いがもたれ合っての生活をされていて、頼るべきお身内もなかったので、奥さんが亡くなり法人に残してくださった預金で共同墓を作らせて貰い今はご夫婦共に入って頂き、その後も無縁仏にしないように多くの方に共同墓に入って頂いてます。3年が経過した今も法要が当たり前のように行えるのは『思い』の継承が出来ているからだとおもいます。「どうしてしなければいけないのか」を語り続ける事こそ大切だと思ったしだいです。

 

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