夜にあまり眠れず肩がバンバンに張ってます

令和元年7月9日

夜中に眠りが浅いのは考える事が多くて緊張している為か肩がめちゃめちゃ凝っていて体調が最悪だと感じているのですが、一生懸命に話をしている時はえらさを忘れているのか大丈夫なのですが、運転をしていてハンドルを持っているときは肩をぐるぐる回しながらの運転です。

14時から岐阜清流プラザで行われた『ねんりんピック実行委員会』は予定通りに終了し、16時からのトーカイ本社での打ち合わせが17時過ぎまで行われ、しんどい思いをして、ようやく施設に帰り着き石垣のところを見たら、『夏祭り』の大きな看板が見えて「しっかり盛り上がってきたな。」と思い、車を定位置のスペースに入れる前に屋根のといを利用して提灯がずらっと吊るされ、玄関を入るとデイサービスから食堂にかけても提灯が吊るしてあり、夏祭りのワクワク感が涌き出て疲れが吹っ飛ぶような気持ちになりました。22年の積み重ねを感じる瞬間でした。そして、しみじみ提灯を見ると紅白の赤の部分が薄くなっているのを見て、「これも歴史を感じるな」との思いと、最初に提灯を購入する時は何件かお店を回って「早く予約してくれれば大丈夫ですよ」等と言われたな。今ならインターネットで直ぐに手配できるのに。

ポスター 看板  正門 ちょうちん

気分良く施設に帰り、北島部長から卒業した高校に夏祭りのポスターとボランティア募集のチラシを持って行ったとの報告を受け、ますます気分良くしているところへ一本の電話。その内容は北島部長が届けた高校の校長先生からで、「ボランティア募集のチラシに責任者の依頼文もないし、ボランティアの為の留意点もない。このようなものはどこの学校でも認められません。」との事だったので、責任者として取り敢えず謝ったのですが、職員がよかれと思い行った行動に「責任者が知らない間にこんな対応をさせてどうするんだ」的な内容に対して、岐阜県教育委員会は公共の建物だからいけないと言う杓子定規な解答をするのか当職員の主体性を評価してくれるのか確認したいと思います。今回の事は職員の勇み足なのか、それとも理事長の管理不足なのか・・・。悩ましい限りですが、「卒業した学校の後輩に施設を知って、介護を知って今後の良き担い手を育てていきたいと言う職員の思いをどのように形にすべきかをしっかり見極めたいと思っています。リピーターの皆さん私の考え方には無理があったり傲った考え方がありますでしょうか。

七夕

 

『巨人』の事part2と夏祭りの準備

令和元年7月8日

今朝は6時50分に家を出て、恵那文化センターで東濃支部長と8時30分の待ち合わせで合流して東濃支部長の案内で東濃支部の施設の挨拶回りをして、18時15分に施設に戻り、昨日のコラムで書いた巨人の原稿の予言が当たっているなら昨夜の巨人の勝利はないと、新聞も全く見てない状態で施設の職員に確認すると「理事長の言う通り巨人は負けました。」と聞き、私は巨人にとって疫病神か、何なのか。とつくづく思った次第です。但し、巨人が負けた事を差し引いてもお釣りが充分に出るものを私は施設に入る手前の駐車場で目撃しました。それは、8月3日の夏祭りの看板設置の作業を何人かの職員がしていてくれた事です。12時間近く施設訪問をしていての疲れがイッキに吹き飛んだ気持ちになりました。私はたまに夏祭りの打ち合わせで最終的に判断する位の事しか出来ていないのですが、職員は私が見ている見ていないは関係なく頑張っていてくれている。私は思わず目頭を熱くして「ありがたいなぁ」とつぶやいた次第です。このように出きるようになった職員の思いに対して理事長として応えていくには介護事業に対する評価を高めて、職員に対する社会的評価を高めるため汗をかくしかない。人材枯渇時代にやりがいを持って安定した生活を保証するまでには至っていない事に対して具体的に対処していかなければと思った次第です。『ローマは一日にして成らず』とか『千里の道も一歩から』とか言いますが、施設の事業を開始して22年目でつくづく思うことは間違いなしに年輪を重ねて来たと思うし、理事長である私の思いを形にしてくれる職員が増えてきた今だからこそ、じっくりと5年先、10年先を睨んだ展開をしていかなければと考えています。今の現状に甘んじる事なく頑張って邁進していきますので、リピーターの皆さんこれからもご支援ご協力宜しくお願いいたします。

『巨人』の事

令和元年7月7日

『巨人』と言っても『デカイ人』ではありません。勿論野球の話です。

若山家は『巨人ファンでなければ若山家の人間にあらず』のような雰囲気があり、(私がそのようにしたのかな・・・。)私もはずかしながら巨人ファンです。但し今は『多分』と言うくらいの程度のファンです。私が巨人ファンになったのは50年以上前でその頃はテレビで必ずと言って良い程に、巨人戦のナイターをやっていました。そして「巨人・大鵬・玉子焼き」と言われる位に圧倒的に巨人ファンが多かった時代です。そんな中、違うチームに鞍替えした多くの方がいるなかでバリバリの巨人ファンの特徴は巨人が勝った時は新聞の記事のいの一番にスポーツ欄を見てご機嫌になるのですが、逆に負けた日はスポーツ欄を見ることもしない・・・。実は私もその一人です。しかしながらかつては、名古屋ドームのバックネット裏で巨人戦があると観戦によく行っていたのに最近は足が遠退いていて、「私が好きな選手は一番が王さんで、二番が長嶋さん、その他に広岡さんに黒江さん、土井さんに赤い手袋の柴田さんに渋いバッターだった国松さんに末松さんで吉村も良かったし高橋由も良かったな。ピッチャーは堀内さんに8時半の男の宮田さん。キャッチャーは勿論森さんだよ。」とすらすら名前が出てくるのに、今は「阿部と坂本と・・・。うーん。後はだれがいるんだ。」程度しか名前が出てこない。たまに、テレビで巨人戦を放映していて私がみていてしばらくすると、相手チームがばかばか打ってしまうシーンがよくあり、私は基本的にテレビで野球観戦もしなくなり、最近は忙しさもあり、新聞でスポーツ欄を見る事がなかったのですが、本日は久しぶりにスポーツ欄を見たら『G進撃7連勝』が目に入ってきて、記事に目を通すと断トツの首位。これは全く気持ちの良い記事だこと。

しかしながら今コラムを携帯で打ちながら反省してます。「リピーターの皆さんは何の事」と思われた方も多いと思いますので告白します。(そんな大袈裟な事でないか)それは・・・。私が強い勢いに乗っている巨人の姿を確認したので、今日からは調子を落とすのではないかと・・・。つくづく感じています。私の思い込みにお付き合いして下さったリピーターの皆さん申し訳ありませんでした。いやいや、この記事が現実になったら嬉しいやらイライラするやら。私自身、絶不調の中身があるのかないのかわからないコラムに終始したことをお詫びします。但し、明日からはバタバタの日々になり尚且つ8月3日の夏祭りまでは息つく隙もないので、今日のところはご容赦下さい。

 

 

 

福祉施設士会の全国大会での裏話し

令和元年7月6日

博多に向かう日は10時から岐阜県庁で会議を済ませてからの博多入り。会議は代理出席も考えましたが、7月から健康福祉部長さんが代わられての重要な会議だったので埼玉県志木市のホテルを6時に出て、7時33分のひかりに乗り、9時27分に岐阜羽島に着き駐車場に急ぎ車を走らせて行きナビの到着時間が10時2分との事でしたが、予想より車がスムーズに走れましたが、10時に間に合わないとまずいと考え、岐阜県庁の担当課に連絡すると若い(多分)女性が出られて会議名もしっかり言ったのですがわからない様子でしつこく聞かれた後に「少しお待ち下さい」で『かなり待たされた挙げ句「既に始まっているようですが」と言われたので『ムカッ』としつつも「間違いなしに、10時からですから始まってないと思いますが、交通事情により若干遅れるかも知れませんので連絡しましたので宜しくお伝え下さい。」と言うと「もう一度お名前を教えて下さい。」に『最初に名乗った時にいつもお世話になります。と言ったやないか。』と思いつつ、改めて名乗ると「はい」の返事のみ。県庁のお方はそんなに偉いのか。それとも対応の仕方を学んでいないのか・・・。とにかく、交通事情が良かったので9時52分に着き、駐車場から会議がある議会棟3階まで走って行くと何とか9時58分で何とか間に合い、しばらくは息を整えるのに必死。会議終了後時間がない事はわかっていたのですが、何人かの委員の方とにこやかにお話をして、車に乗って再び岐阜羽島に。それほど待つことなく列車に乗り大阪でのぞみに乗り換えて・・・。この時思いました。次の列車に乗るのに一旦ホームから降りて又上がってホームに行くのを皆さんは黙ってされている。もっとも私もそうなんですが・・・。テレビのニュースなどでは『九州地方は豪雨』との事だったのでばんばん傘の用意をして博多の駅に下り立つとこれがかんかん照りの暑いのなんの。『言う事無し』。本日の会場は『ホテル日航博多』とは知っていましたが、今回シンポジストとして呼んでくれた花田さんによれば「駅前だし直ぐですから」の言葉に出口がどちらかを駅員さんに聞いて(東京の駅員さんとははるかに違う丁寧さ)駅を出て、『さてさて、日航の鶴のマークはどこかな』と上を仰いだのですが『どこにもない』・・・。確信はなかったのですが、なんとなく右の通りのような気がしてしばらく歩いても鶴のマークがないので『ここは聞くべし』で道行く人に聞くと「道路向こうの建物だけど、道路を横断出来ないので、地下に行かれた方が良いですよ」と言われたので素直に地下に入ったのですが、入った瞬間『全く方向がわかりませーん。』でお店の方に聞いてもわからず、ここは駅に戻った方が良いなと考え駅の方向の看板に沿って歩き上に上がり、『交番』の標示を目指して交番に着き中が見えないドアを開けると20人位の警察官が仕事をしてみえるところで、大きな声で「日航ホテルに行きたいんですけど」と言うと若い大柄の警察官がわざわざ外まで出てきて親切に教えて頂きました。ここでも親切にして貰えた。言われた通りに歩いて行くと目指す鶴のマークが確認できてホッと。17時前だったのでフロントでチェックインをしようとして、『何の手続きもしてないのに部屋はとれているのか』と思いつつ名前を言うと「ご予約を承っています」にホッとして、花田君がいる会場に行くと会場の部屋の前で見つけたのでご挨拶をすると「部屋で懇親会まで休憩していて下さい。」で部屋に行き汗びっしょりになったのでシャワーを浴びて着替えをすることが出来ました。全くだらだらと書いてしまいましたが、リピーターの皆さん旅をするにも予習がいると言うお話でした。

福祉施設士会の全国大会のシンポジストの役割が無事終わりました

令和元年7月5日

昨夜は、18時30分から交流会があり、参加者の殆どが参加しての企画で出し物に『バナナの叩き売り』なるものがあり、シンポジストの特権で目の前で見させて頂き、買う側で参加したかったのですが、

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バナナのでっかい一ふさを岐阜に持って帰るにはかなり勇気がいるのでやめたのですが、私がナメクジに塩のように元気なく食事に手を付けず、ビールにも殆ど手をつけなかったのは、博多は日本なのに日本の料理と呼べるものがなくて・・・。

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結局20時30分に終了後博多駅前の居酒屋で明太子や冷奴をつまみにして、生ビール一杯と冷酒二杯を飲み〆には雑炊まで頂き生き返りました。22時にはホテルに帰り本日の為と前日までの強行軍の癒しの為に早く寝ました。そして本日は9時からシンポジュームのメンバーによる打ち合わせがあったので6時前からお風呂に入り7時には朝食を頂き、(流石に日航ホテルの和朝食。写真参照。ちなみに完食です。)話す内容の整理と共に片付けをして、打ち合わせ場所に8時30分に行き話す内容と四人の順番を決め(私は三番目)9時25分には指定された席に座りパソコン操作の仕方を確認してコーディネーターの進行で始まり、私の前の二人の方と内容がダフらないように聞いていて「いつものように実践していることと私の思いを語れば良いな」と考えると(居直り)EPAインドネシア介護福祉士候補生への取り組み事例と本年度から導入したベトナム人留学生について語る事にしてマイクを持っていきなり自分は児童養護施設の指導員からのスタートで紆余曲折な生きざまの中で今は特別養護老人ホームの理事長をしていて5年先、10年先をみた方向性を出さなければいけない。などと話してしました。シンポジュームは予定していた11時50分まで目一杯盛り上がったと思います。今回私をシンボジストに推薦してくれた大会長の花田先生に挨拶をして当法人の職員と博多駅まで歩き駅の構内で昼食をとり、その後京都で乗り換え岐阜羽島で降り、自分の運転で関ヶ原に戻りかつてショートステイを利用していただいた方のお通夜に参列して、3日ぶりに我が家のお風呂にゆっくり浸かろうと思っていたのですが、がんがん電話が入り早々にお風呂を出て、「あっ、まだコラムが書けてない」と言う事で中身があるのかないのかわからない原稿ですがリピーターの皆さん取り敢えず千文字の原稿になりましたのでお許し下さい。(でも、これは謝る事なのかな・・・。)

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4時55分に目を覚まし朝風呂に入り今(5時27分)出発準備出来ました

令和元年7月4日

昨日の埼玉県志木市にある特別養護老人ホーム『ブロン』での『かくた君を励ます会』は全く準備期間のない中での企画だったにも関わらず穂坂衆議院議員や中市議会議員をはじめ施設関係者や地域の方々総勢120人の方々にお集まり頂きブロンの西川理事長の司会進行で盛大に行われました。

岡芹埼玉県会長の挨拶、穂坂衆議院議員の来賓挨拶の後、かくた君の彼の人となりを知ってもらう為の映像を見て頂き、引き続き、阿比留後援会事務局次長と私(全国かくた後援会副会長)が何故かくた君を国政に送り出さねばいけないのかを話ししました。参加されている皆さんは本当に一生懸命に聞いて頂けました。この企画に汗を流して頂いた西川理事長をはじめ職員の方々に感謝すると共に、きっと良い結果が出るものと確信すると共に、岐阜県もより頑張らねばと思った次第です。

本日は5時前に起きて朝風呂に入り6時に志木市のホテルを出て志木から池袋、池袋から東京、東京から岐阜羽島と乗り継ぎ岐阜羽島から自家用車で岐阜県庁議会棟での10時からの『岐阜県地域福祉策定協議会』に出席してしっかり意見を言わせて貰い、会議終了後この6月に健康福祉部長に就任された兼山部長がわざわざ挨拶に来て下さり、その後グループホーム協議会の井戸会長らと挨拶をして、駐車場までは中部学院大学の飯尾教授と歩きながら話をして、再び岐阜羽島に向け車を走らせ12時30分発のひかりで取り敢えず大阪まで行き、のぞみに乗り換えて博多まで行きます。岐阜羽島から大阪方面に行く事はまずないので(大阪方面に行くときは米原から乗ります。)いつもの景色が新幹線の中だとどれだけ変わるか一生懸命に携帯で撮ろうとしても対抗する列車に邪魔されたり、木々に邪魔されたり、そんなことよりスピードが早くてなかなかシャッターチャンスがありません。(何とか良い写真をアップ出来るといいんですけど。

もうすぐ京都ですが大阪で乗り換えたら少し列車の中でメロンパンとおにぎりを食べて、少しは目をつぶってゆっくりします。博多に着いたら30年来の友人であり福岡県施設福祉士会会長で今回私をシンボジストと呼んでくれた花田先生に迷惑をかけないように体調を整えて頑張ります。尚、施設福祉士会の全国大会の様子は明日リピーターの皆さんにお届けします。取り敢えず昨年8月22日からのコラム更新は出来たと言う事でこれから(1316)は少しゆっくりさせて頂きます。

 

私の声

令和元年7月3日

私は小さい頃から自分の声にコンプレックスがあり話す声が小さくてボソボソっと話をしていた記憶があります。その他にもいっぱいコンプレックスがありました。例えばお箸の持ち方です。私のお箸の持ち方はスプーンとフォークを進化させた持ち方なのです。どうしてそうなってしまったかと言うと寒くなった11月から2月の時期は霜焼けで手足がはんぱなく腫れて箸が持てなかったからです。その他にも魚の身を解すのも苦手です。これはお箸の使い方が下手な私の代わりに我が父進さんが我が母秋江さんの命令により綺麗にとってくれたので今もその後遺症で下手なのです。ヤナに行って鮎料理を食べる時のくしゃくしゃさは今でも恥ずかしいです。

話を『声』に戻します。先月24日に開催した『かくた君を励ます会イン岐阜』で私が主催者挨拶をした時の話し方や声の出方について聞いたところ「しっかり良く通る声で内容もわかりやすくて良かったですよ。」と言われて話の内容はともかく声が通っていると言われた事に納得がいかず、今朝私の奥さまかをりさんに聞いたら、「結婚する前にはぼそぼそと聞き取りにくかった。」と言われて「やっぱりそうだったんや」と思い「今はどうなの」ともう一度聞くと「今は大きい声で聞き取りやすいです。」と言われて、しばし考え込みました。「どうして声が大きくなったのか」と。そしてつくづく思いました。

平成の30年は、自分の考えを形にしていく事を自信を持って実践してきた時代で(正直途中で舞い上がりくちゃくちゃになり大変な思いをした時もありましたが・・・)自信の現れが声の大きさになりしっかりとした声で話し出来るようになったのかもと思っています。もう一つ思い当たるのは平成4年に児童養護施設の指導員を辞しフリーになり(同時に無納税者にもなりましたが)大学で講義をするようになり、基本的には150人教室位の部屋ではマイクを使わず話をしていたので、自ずと声を張り上げていたのだと思います。講義は最大で週に13コマ(1コマ90分)していて、その時には毎週月曜日は午前2コマ、午後2コマ、夜間2コマの1日6コマをしていたのですが、声が枯れる事はなかったです。(多分この時にしっかりとした複式呼吸を覚えたのだと思います。だから歌もお経もしっかり出来るのだと・・・。

『声』と言うキーワードだけでこれだけ書く事が出来たのは、今(1234)新幹線で東京に迎い本日はかくた君の理解を得る為に埼玉県志木市に行く為にじっくりと携帯の画面に向かう事が出来たから。そして昨夜はしっかり眠る事が出来、頭がすっきりしているから。15時には志木市にある特別養護老人ホームブロンのお計らいで出来た会でしっかり役割を果たして、明日は6時には志木市を出発して岐阜県庁での会議と施設福祉士会の全国大会がある博多に移動。その翌日はシンポジストとしての役割と充実した時間が待ってます。自分なりに頑張りたいと考えてます。リピーターの皆さんこんな生き方をしている私を変わらずご支援下さい。

 

パワーポイント資料が全くできてない

今の時間は午前3時42分で本日(7月2日)しか7月5日の福岡県博多で行われる施設福祉士会の全国大会でのシンポジストとしてのパワーポイント資料が全く出来てない事に気が付き目が覚めました。「いくら忙しかった。とか、何とか」言っても、これは論外だぞ。しかし、私をシンポジストに推薦してくれた福岡県の花田先生に如何にも申し訳ないので、せめて一夜漬けであったとしてもそれなりのものを作成せねば。いやいや考え方によっては丸々1日費やして資料作りが出来るのだから、あと一眠りして頭をスッキリさせて取り組みますか。7時になるのを見計らって窪田室長と宿直をしている吉田部長にパワーポイント作成の協力以来をしてから、『起承転結』の構成の流れを考えていて時間も短い事もあり最もシンプルな内容で話すことにして、9時30分からのメインバンクの大垣共立銀行の方との打ち合わせを終えてから水野相談員の写真提供の協力も得て写真のリストと内容の流れを打ち合わせして、後は窪田室長にパワーポイントの作業は任せる形で散会し、その後大東福祉会の理事長に就任された関根さんがおみえになり、先輩理事長として、「先を見ながらの舵取りの重要性」について熱く語った後、明日からお世話になる志木市の施設への手土産を買いに出掛け施設に帰ると、窪田室長からのパワーポイントがメールで届いていたのを確認して取り敢えず5日のシンポジストとして発表するイメージは出来ました。その後、福井県老施協事務局から7月18日~19日に行われる東海・北陸ブロック研修大会参加者リストが送信されてきて、参加促進の依頼がきたので、各支部長に会員施設に再度の依頼をするお願いをして、尚且つ、7月4日以降での施設訪問日程の調整をました。日程調整をしていてつくづく感じたのは平日の予定はびっしり入っていて、その感激を縫って日程を決めることの難しさを感じています。(土曜、日曜祭日に予定を組めたら楽何ですが。いやいや『働き方改革』を知らないんですか)くたくたの中で家に帰り今は湯舟に浸かりながらコラムを携帯で打っているのですが、お風呂でコラムを書くのが1日の中で一番リラックスしているからコラムが8月22日から更新出来ているのかも知れないです。明日からは志木市で一泊して、次の日は博多で一泊してその翌日はシンポジストの役割と何と充実した日々なのか。これでは少々いやいやかなり喉が痛くても気力で頑張るしかないな。リピーターの皆さん頑張ってる宏君に拍手をお送り下さい。(自分で誉めてどうするんや)

探し物

一昨日(6月29日)の朝に出掛けようといつものように車の鍵と施設長室等の鍵を持って出ようとすると、車の鍵はいつものように玄関先の小さなかごの中にあったのですが、施設長室等の鍵が無いので玄関先から戻りスーツのポケットやテーブルの上、寝室のテレビ台の上等を探してもない。時間ばかり経ってしまうので施設に迎い、今度は施設内を探してもない。机の上が書類等で山積みなので全部を大きなかごに入れて(ちらかった仕事しか出来ない人は仕事の能力がない人と言われていることはわかっているのですが・・・)整理をしながら探してもない。

だから一昨日は頭の隅にものが引っ掛かったような状態で一日いても「必ずどこからか見つかる」と思いながら、夕方からは岐阜に出掛けて遅くなって、昨日は日間賀島に朝早く出掛けてくたくたになって帰ってきたので、鍵の事は気に掛ける余裕がなかったのですが、本日は体がくたくたの状態の中でぐだぐだしていて、ふと「鍵がない」事を思いだし、体はぐたぐたなのに頭だけはしっかりして「今日は月曜日で決済印等を押すために、施設長室の机の鍵を開けなければいけないのに、鍵がなければ仕事にならない。」と朝から家の中を探して何度も何度も同じようなところを探してもないのです。「一昨日には施設の中を隈無く探してなかったのに」と足取り重く施設に行く為に車のところに行き運転席の後ろのドアを開けて荷物を置こうとした瞬間に運転席の下に緑色の紐のような物が見えたのでしっかりと確認すると「やったー。鍵が見つかった。」と言う事で施設に行って迷惑をかける事無く決済印を押すことが出来ました。

鍵が見つかってみると、「何で運転席の下を確認しなかったんだろう。」とは思うのですが、「運転中にポケットから落ちるわけがない」と言う思い込みによって見付ける事が出来なかったと言う事は、『登り坂』『下り坂』の他に『まさか』の『坂』があるのだとつくづく思いました。(まるで演歌のせりふみたいだけど)

結果良しで7月を迎える事が出来ましたが、本日と明日とは比較的時間に余裕がある日を送れるのですが、3日は志木市に行き埼玉県の方々との交流があり出掛けて懇親会もあると言う事でその日は志木市駅前で泊まらせて頂き4日の日は10時から岐阜県庁議会棟で会議があるのでホテルを6時には出て岐阜に迎い、会議が終了後、博多まで移動して(夜に懇親会あり)施設福祉士会の全国大会で5日の日にシンポジストとして話をしなければいけないのでだれている暇はないな。と考えていて、志木市も博多もパンフレット等を送るべしと考えその旨を今、本部施設の事務長に伝えた次第です。

こんな余裕のない仕事ぶりでは良い仕事が出来ないことはわかっているのですが、この調子で今までを過ごしてきた私のスタンスは変えようがありません。綱渡り人生ですがリピーターの皆さん今後も長いお付き合い宜しくお願いします。

地元の議員さんの日帰り旅行中です

昨夜は結構遅い帰宅(23時前)だったのですが集合時間が7時30分に垂井だったので6時45分に家を出て、7時10分に着いたら既にバスが来てたので、主催者の方にご挨拶をしてバスに乗り込みました。結局7時50分にバスは出発して2回のトイレ休憩があり一つ目の目的地『美浜・えびせんパーク』で『たこの姿焼き体験』をしました。

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お店の方が一生懸命に説明をして下さったのですが、殆ど理解出来ないままに実演しました。お店の方に手伝って頂き、たこの姿焼きせんべいは完成して焼きたての自分が作ったたこせんべいを食べるとこれが意外に美味いのです。私は思わず「私はせんべい作りの天才」等と思ってみましたが、それは全くのおかど違い。よく考えてみたら、生地はお店が提供したのを使用したのだから美味いのは当たり前か。

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再びバスに乘って師崎・片名港に着き海上タクシーで昼食先である日間賀島へ。

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船を降りて2台のマイクロバスに乗り換え日間賀観光ホテルへ。食事の会場では海の珍味を頂きました。(特にたこ料理)食事の時にはビールと熱燗がガンガン出てきて、参加されている方がお酒を注ぎにみえて垂井町で計画している盲養護老人ホームの事や当法人の施設についてのお話についてしっかり語り、当法人に対する期待をひしひしと感じました。

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食事が一段落したらカラオケタイムになりカラオケが好きな方が多く、それでも根性で2曲歌いました。(『兄弟船』『おまえしか愛せない』)上手く歌えたので調子に乗って「山崎ていじには足の長さではぜんぜん勝てないけど歌の上手さは私の方が上です。」とのたまってしまいました。

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二時間以上の昼食が終わり、マイクロバス、水上タクシーで師崎に戻りバスで15分走ったところにある『網元直売・魚太郎』で買い物タイム。但し疲れが出ている私には全く購買意欲無しで、うろうろしているのみ。再びバスで30分移動した『めんたいパークとこなめ』に着いたのですが、バスの中で一人待機。その後は一路垂井町へ。途中のトイレ休憩の時に気が付いたのですが、バスのシートに座っているだけで何もしないでいたので膝ががくがくです。と言う事は、入居者さんがじっと椅子に座られているのは改めて大変な事だと思いました。この事に改めて気付いたのは収穫でした。勿論、新規事業について地元の方が理解して協力して頂く言質を頂いたのは大収穫だと思っています。しんどい道中でしたがただでは転ばない私の真骨頂かな・・・。

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