昨日のコラムの送信は午前1時40分でした
令和元年11月29日
昨夜は私にしては珍しく飲み会で三軒もはしごをしてしまい、酔っぱらいながらガラケーの携帯でコラムの原稿を書いていて、適当なところで打ち切って送信すべきところを頑固に打ち続けたので日をまたいでしまいました。救いは宿直者が夜中にも関わらず早くに対応してくれた為に私が確認した6時にはアップされていました。
本日も10時に設計業者が打ち合わせに来てくれるので、頭をスッキリさせなければとお風呂にゆっくり入り設計にかける思いをしっかり述べさせて貰いました。11時には棚橋衆議院の秘書さんがみえるはずが10分遅れでしたので対応をバタバタでして、昨日早朝に亡くなられた入居者さんの葬儀に出掛けました。自宅での葬儀だったので参列者は外に準備してあった椅子に座ってのお参りでしたが本日は快晴の天気だったので風がなく陽が当たっているときは暖かさを感じる事が出来るのですが、風が吹くと涙がちょちょぎれる程に寒く感じました。禅宗の葬儀なのでしっかり一時間のお参りで施設に帰り昼食を頂き13時20分発の電車に乗り大垣で乗り換えて岐阜に行きグランベール岐山での共済会の50周年の記念式典に行きました。
3階に設置してあった受け付けをしようとして、私は共済会の理事なので『役員受け付け』で確認して貰って三度見直して貰っても私の名前がないので「申し込みをしたはずですが」と言うと「若山先生の席はありましたが・・・」との事で明らかに後ろに並ばれている方に迷惑がかかっている・・・。隣の受け付けをしている私をご存じの方が「若山先生は来賓受け付けだと思いますよ」と言われたので改めて来賓受け付けに行くと「若山会長は『D』の席です」と資料を渡して貰ったので私は『来賓なんて聞いてないし。理事が来賓なんて有り得ないし』と思っていて、席に着くと名札に『岐阜県老施協会長 若山宏 様』と書いてあるので、私の疑問は解けました。「今日は老施協会長としての案内なんだ。そう言えぱ50周年のお祝い文を大分前に書いたっけ」と。記念式典の前に20年、30年、40年の永年表彰があり、その後記念式典が挙行されたのです。しかしながら、200人弱の参加でしかも来賓は8人だけで、わざわざ受け付けを分ける必要があるのかとも思いました。でも、主催者側は一生懸命に準備されたのだから文句は言うまい。批判をしようと思ったらどんなに完璧にしようとしても出来るから・・・。
但し、今回は『びっくりしたなーも』と言う感じはしましたけど。式典も終わり祝宴になり、メインテーブルである私の席には多くの方がお酒を注ぎに来て頂きお酒を飲むには飲んだのですが昨夜の酒のせいでお酒が美味しくない。昔の方が『迎え酒』と言われていましたが少なくても私には無縁だと理解しました。やはりお酒は楽しく飲んでこそ美味しく飲めるとつくづく思いました、色んな方に二次会へのお誘いを受けましたが一切お断りをして、タクシーを探さなければとホテルの玄関を出るとタクシーが停まっていて支払いをされているのでお客さんが降りられたタイミングでタクシーの運転手に「大丈夫か」と確認すると「喜んで」と元気な声が返ってきて『少し良かったね』と思い岐阜駅構内の掲示板で米原行きが10分後に出る事がわかり、『疲れている私に対する見えない支援がされている。有り難いな』と思い、明日は基本的に何もお約束がないので整体で身心共にリフレッシュする日にしようと整体の先生に連絡すると14時からの予約がとれて、これまたラッキー。来週は東京、大阪、秋田とウルトラスケジュールが待っているので体を少し労る事にします。もちろん今(午後8時13分)は家でお風呂にゆっくり入ってます。リピーターの皆さん整体でのリフレッシュ位は認めて下さい。