『変われば変わるもんだ』の話しと『痩せていると老けて見える』の話しです

『変われば変わるもんだ』の話しは昨日のコラムに引き続いて『リット』の登場です。リットが我が家に来た頃は、私と長男はどちらかと言えば猫は苦手だったので、あまりリットを可愛がる事なく嫁さんと次男が滅茶苦茶可愛がっていて、嫁さんと次男は「リットに噛まれた」と嬉しそうに話をしていたのを「噛まれて喜んでいるなんて信じられん」と思っていましたので、その当時のリットは私の車が車庫入れしてる音を聞き分けて私から逃げてばかりいたのです。しかしながらお互いに歳を重ねて何となく仲良くなった為か最近は私に『スリスリ』してくる事が多くなり、私の方も何となく可愛く思うようになってきたのです。そんな関係になった正しく今朝、私が出掛ける為に玄関に行くとリットがどこからともなく現れてちょこんと間違いなくお見送りの為に座っていたので思わず写メで撮ったしだいです。逃げまくっていたリットがわざわざお見送りの為に座っているのを私もメロメロになりながら写メを撮るとは『変われば変わるものだ』としみじみ思った次第です。

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私は介護の極意を改めて、この現象から学んだように思いました。つまり、相手の事を知り楽しく会話をするためには相手を好きになること。そうすることによって介護も楽しくなるのだと改めて思いました。

 

二つ目の話題で『痩せていると老けて見える。』

の話しは、本日本部施設の月一回の家族会主催の誕生会だったのですが、家族会会長のお母さんの誕生月だったので兄弟姉妹の方の参加があり、最後に一家揃っての記念写真を撮りプリントアウト(今は便利な時代です。)して差し上げたところ、皆さんで見られていて家族会の会長さんが「弟よりわしの方が若く見えるな」と言われたら妹さんが「一番上の姉の方が私より若く見える」と言われてその事で話が盛り上がりました。その話を聞きながら、「私も決して痩せてないので大丈夫。若く見られるぞ。」等と思ったのですが、実は最近四つ上の姉春子さんが「理事長の妹さん」と言われ複雑な思いだったのですが、結局は見かけではなく『ハツラツ』とうごめいているかどうかが肝要なので、今は帯状疱疹等と言うストレスによる病気になりまだまだ本来のハツラツさには程遠いですが、必ずストレスも克服してハツラツさを取り戻しバリバリと頑張りますのでリピーターの皆さん今後とも私の展開を見守っていて下さい。

我が家の猫『リット』の話しと私の髪の毛が抜けたお話し

令和元年8月24日

先ずは我が家の猫の話しです。

リットの話しはこのコラムでも何度か取り上げていますが今年の11月23日には満18歳になるのですから猫年齢だと100歳前後だと思うのですが歩き方は見るからに『お年寄り』と言う感じですが、何とか我が家の階段15段を『ひょこたん、ひょこたん』と言う感じではありますが歩いています。そんな彼が私がパジャマのまま朝食を食べに行こうと廊下を歩いていると彼専用の『流れる水』を飲んでいるのです。そして、私の姿を首を曲げてチラッと見て、またまた水飲みを再開しました。「少しはご主人様に愛想を振りまけよ」と言う感じです。どうして流れる水を飲んでいるかと言うと嫁さんの実家で産まれたのですが、水を飲ませる水の世話が面倒だったからなのか井戸水の蛇口を少し開けたままにしてあり、そこから水を飲む習慣が付き、流れる水しか飲まないのです。何とも贅沢な猫だとリピーターの皆さんは思いませんか。正に『三つ子の魂百まで』の話しですが、この流れる水は電気で動いているので、地震でもきて停電になって流れない状態になった時にリット君はどうするのだろうと心配してます。

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次に頭の髪の毛が抜けた話しですが、帯状疱疹になり髪の毛の所が赤くなり発疹がいっぱいでた写真はこのコラムでも紹介しましたが発疹が殆どなくなり鏡を見たら、髪の毛があるべき所に無いことに今朝気が付き思わず写メで撮ったのですが、今は髪の毛がなくても仕方がないと理解は出来ますが問題はこれから先に髪の毛が元のように生えてくるのか心配です。私の父進さんは30歳を過ぎた頃から髪の毛が薄く『わかはげさん』と言われていたとか。母秋江さんは「自分の旦那さんは禿げていても納得して結婚したのだから仕方がないけど、我が子宏は『わかはげさん』と呼ばせたくないとの思いが強かったのか「昆布をたべろ」と口癖のように言っていて実践したからか『わかはげさん』状態ではないのですが今になっての髪の毛がない状態は「嫌だ」と言うことで、「秋江さんの教えを守って今まで以上に海草類を食べるとしようか。」等と考えています。勿論、髪の毛が生えてこなくても私は私なのでリピーターの皆さん髪の毛が生えてこなくても今までと変わらねご支援宜しくお願いします。(「つまらない事で悩んでないでバリバリ仕事しなさい。」と言われる前にバリバリ頑張りますのでますますの支援をお願いします。)

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退院後の受診に行きました

令和元年8月23日

「大垣市民病院の駐車場確保は大変だ」と聞いていたので9時の予約だったのですが、8時に病院に着き、要領がわからないので裏玄関に待機されている看護師さんに聞くと親切に受付をする機械の所まで案内してくださり「ここに診察券を入れて下さい。」と教えて頂き受付をしたら『外来パスポート』の用紙が出てきて受診の前に採血があることを知り二階にある採血受け付けに行ってビックリです。

何故なら採血受け付けにずらっと並んでみえて何とか受け付けが出来て整理番号が『110』。掲示案内板を見ると25分待ち。思わず絶句。ここは『忍・忍・忍』です。順番がきたので採血室に入って行くと5人の方が並んで順番を待ってみえ、採血する所が10箇所はありてきぱきと採血されているのです。「この調子だと皮膚科も耳鼻科も大変だ。」と思い思わず慌てて採血した腕を動かしてしまい、カットバンをして貰った所から血が出てきたのでティッシュで押さえて止血をしていると受け付けの方が「採血に時間がかかるので先に耳鼻科に行かれた方が良いですよ」と言われたので「そうさせて貰いますが、採血をした所から血が止まらない」と話しすると看護師さんを呼んで頂き看護師さんがカットバンを張り直して下さり尚且つ私が血がついたティッシュを持っているのをめざとく見つけて「捨てておきますよ」には良い意味で驚きました。

耳鼻科に行くと9時の予約になっていたのでぴったり電光掲示板に番号が出て中に入ってからは30分近く待ったのですが鼻からカメラを挿入して貰った結果は異常無しだったので待ち時間に対するイライラは解消。尚且つ皮膚科に行くと「順番がきてますので中の待合室にお入り下さい。」との事で予約がしてある事への配慮には素晴らしいものがあると思うと共に主治医の医師から「順調な経過ですから薬の量を少しずつ減らしていきましょう。」と言われて気分を良くして、会計と薬については慣れていないのでもたもたしましたが、「わからない事は聞くべし」で三度尋ねてクリア。想像していたよりも早く終わったので、13時30分からの岐阜県老人福祉施設協議会正副会長委員長会議までには一旦施設に帰っても昼食をとっても一時間以上の時間があると考えて、施設に帰り来週のスケジュールの対応等をして、岐阜県福祉会館に向かいました。

会議の冒頭には「参議院選挙の結果にショックを受けそれに起因してのストレスで帯状疱疹で頭から首までの神経にそって帯状疱疹になり10日間の入院をしました。」と話をしました。会議は無事に終わってから雑談になり、中西副会長が「参議院選挙が終わってからの会長は至る所に掻き傷があり、ストレスが凄いと感じていて体調を崩されなければ良いけどと思っていましたが神経をやられたのですね。それに帯状疱疹は痛いと聞いてます」と言われたので、「痛くて3日間は眠れなかった。」と答えました。しばらくは帯状疱疹の話題でもちきりでしょうが、ストレスを溜めずにバリバリ仕事が出来る体制を作らなければと今は考えています。

コラム連続更新2年目に突入しました(宏君を褒めてやって下さい)

常に理事長として「継続は力なり」と言ってきた私が率先垂範できていることにかつてのマラソンランナーの有森さん流に言えば「自分を褒めてやりたい」と言う事になるのですが、有言実行出来た事に正直「ホッ」としながらも、「まだまだ続けるぞ」と自分を奮い立たせています。

しかしながら正直連続更新をしてきた1年の間にも何度か「ヤバい時(とき)」がありました。例えば昼間バタバタしていてそのまま飲み会があって代行で帰ってきて、家に入り冷たい水を飲みながら「本日のコラムが書けてない」と気付き、携帯に向かって書こうとしてもタイトルも浮かんでこなくて時間ばかりが過ぎて、すっかり酔いが醒めてようやくタイトルが決まって書き出してからも一生懸命に書いているつもりが、眠気が襲いいつものようなペースでは書けなくて外が白々としてきてようやく書けた事もありました。(こんなケースは正確には一日遅れと言う事になるのですが、宿直者が起きる6時までには送信して尚且つその日の内にもう一つ書いているので私的にはオーケーと言う理屈です。)

本日から2年目になるのですが、これからの一年は垂井町営住宅の跡地に岐阜県初の盲養護老人ホーム(47都道府県の内でない県は岐阜県を含めて4県のみ)と養護老人ホームの併設施設の計画を遂行していく事になっているので、その計画についての報告も多くしていく事になるかと思います。養護老人ホームの稼働率は全国平均でも70パーセント台なので「今の時期にどうして計画するのか」との意見を多く頂きました。

しかしながら、西濃地区には大垣市と揖斐地区にしか養護老人ホームがなく、関ケ原町は勿論の事、垂井町、養老町、安八町、輪之内町、神戸町、海津市のエリアにない状況を続けていくのは許されないし、ましてや盲養護老人ホームは岐阜県内にない状況を解消しなければとの思いを強く持ち、岐阜県老人福祉施設協議会会長の責務だとの思いも抱き、社会福祉法人杉和会の理事会や評議員会のご理解も得て実施する次第です。稼働率が低い事は制度上の問題も大きくのしかかっていると思いますので制度の見直しに対するアプローチもしていきたいと考えています。

お金も土地もなかった私が社会福祉法人の認可を平成9年7月にその当時の岐阜県知事から頂き、翌10年5月に本館の事業開始をして16年4月に新館増築をして、26年4月には大垣市和合に新築の建物が出来職員も150人を抱えるまでになったからこそ地域のニーズに応えるものを構築していく事が社会福祉法人の使命と考えていますので今後の展開をリピーターの皆さんも末永く見守っていて下さい。(2年目に対する所信表明のようになってしまいましたが諸般の事情をくみして下さい。)

コラム掲載の連続更新が1年出来ました。

令和元年8月21日 2008年から「理事長コラム」コーナーが出来て書くことになったのですが、1年前までは極端な時には月に1回程度しか書けず、しかも文字数も300字程度しか書けていなかったのですが、昨年の8月22日からは、「毎日書く」が継続しています。毎日書こうと考えたのは「当法人のホームページを多くの方に読んで貰う為にはしっかりと書き、リピーターを増やしていく事が肝要で理事長として範を示していけば、ホームページも充実して職員採用にもつながると考えたからです。毎日書くことにしてからは、「これは記事になる」と閃いた時に携帯機能の『メモ』に記録し、時間が出来た時に(殆ど家に帰ってからですが)文章を打つようにしています。何事もそうなんでしょうが続けていく事によって書くスピードも速くなり中身も充実してきているのではないかと思います。

さて、『一年連続更新記念』の話題は昨日の静慈圓先生との話題です。実は私が8月7日から10日間入院した事はこのコラムでも書きましたが、静先生も昨年の11月に私と同じ帯状疱疹になられて非常に痛い思いをされたとの事です。しかも私と同じように頭から首にかけてだったそうです。ただし、私のように入院はされず法印としての任を粛々とされたとの事です。静先生とのお話は多岐に渡ってありましたが、最後にお話し頂いた『気』の話には特に感銘しました。そしてその流れの中で『腹式呼吸』についての話は生活の中に絶対に取り入れていきたいと思いました。

昨夜は午前様になるぎりぎりでコラムが完成してホテルで爆睡して5時30分に目が覚め、直ぐに朝風呂に入り6時30分に本部施設の宿直者に昨晩送信したコラムのアップを依頼して、その後フロントに花田夫婦がタクシーの予約をしてないかの確認をすると案の定「7時30分に予約するように承ってます。」(「遠慮は3流」)との事なのでタクシーをキャンセルして私が大垣駅までお送りする事にして、荷物を片付け7時15分に1階に下りていくとちょうどチェックアウトをされていたのでご挨拶をして、車に移動し大垣駅までお送りする中で静先生との出会いについて話題を振ると奥様が興奮気味にお話をされ、最後に「静先生へのお礼はどの程度されたのですか」との質問に私はかなり動揺しながら「静先生はお金で云々のレベルの方ではないので、お礼は一切してません。私の生き様に共感して来て頂いていると考えています。」と答えました。

無事に大垣駅にお送りして、花田夫妻のおもてなしは終了し、再びホテルに帰ると8時前だったので太田親子に連絡をしてご一緒に朝食を頂きながら太田一平先生と意見交換をしました。その間息子さんは私たちの話を一字一句逃さないように聞き耳を立てられていたのには感心しましたし、彼は間違いなく将来の福祉の担い手の一人になると確信しました。朝食後部屋に荷物を取りに行ってから和合の施設に移動してまたまた意見交換をして、10時30分に太田親子を見送り全て終了。病み上がりの身ではありましたがそれなりに充実したおもてなしが出来たと思っています。

さて、明日からはコラム連続更新2年目に入りますがさてさて、どんな出会いや話題と巡りあえるのかわくわくしながら明日に向けて頑張っていきたいと考えていますのでリピーターの皆さんも共にわくわくして貰えるように頑張りますので今まで以上のご支援を宜しくお願い致します。

高野山法印の任を終えられた静慈園先生が2年ぶりに本部施設にみえました

令和元年8月20日

昨年の3月から今年の3月までの一年間高野山から下りることなく『法印』としての役割をされていた事情により昨年の今日である8月20日には来て頂けなかったのですが、静先生曰く「何があっても行きます。今は隠居の身だから自由が効きますから。」との事で、とても凄い役割を終えられた先生とのご縁を色々な方に持って貰いたいと声を掛けたところ、福岡県の花田理事長がご夫婦でおみえなることが決まったら愛知県新城の太田理事長が四男と共にくることになり(四男は私の事を尊敬しているらしい。)評議員の堀さんらを含め総勢10名で関ヶ原の料亭『末廣』で会食をすることになっていて、花田夫婦は大垣駅に13時の約束で迎えに行くと既に大垣駅に着いてみえたので車に乗って貰い一先ず本日の宿泊先である大垣フォーラムホテルに行きチェックインだけ済ませて、話を聞くと明日は9時30分に名古屋で長男さんと合流して福岡に帰られるとの事だったので急遽、和合の施設のをバタバタでしたが見学してもらい、本部施設のお参りの時間を30分遅らせて私の導師でお経をあげ(花田夫婦にも参加して貰いました。)その後抹茶のおもてなしをしてから施設見学をして貰いました。しばらくすると、本日のメインゲストの静先生がみえ、花田夫婦を静先生に紹介し、静先生の導師でお経をあげて、末廣へ。太田親子は一時間程遅れられるとの事で、静先生に話をして貰いその後評議員の堀さんの乾杯の音頭で会食を開始。静先生を囲んでの話で盛り上がり19時前に太田親子もおみえになり、またまた盛り上がり21時に代行が来たので大垣に移動して、花田夫婦と太田親子と私の5人で飲み直しを一時間して今はフォーラムホテルで遅ればせながら今(23時38分)コラムを携帯で打ってます。今からでは宿直者を起こしてホームページへのアップは申し訳ないので、朝イチのアップになりますが8月20日の掲載と言う事でご容赦下さい。本日一番嬉しかったのは静先生から「若山さんは実践者として頑張ってみえるので素晴らしい。」と言って下さったことです。そしてもう一つ「何事も気合いを入れる事が大切で複式呼吸こそ大切」と言われた事を実践していきたいと思います。明日は花田夫婦は朝早くの出発を見送る事と太田親子を和合の施設にお連れしたいと考えています。明日、しっかりコラムを書ければコラム連続掲載丸一年になるので記念すべき明日のコラムは必然的に気合いを入れたいと考えています。私の真骨頂は継続です。これからも毎日頑張ってコラムを書きますので乞うご期待と言う事で・・・。

 

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退院後初めてフルタイムで仕事をしました

8時過ぎに施設に行き8時15分から幹部との打ち合わせをして、8時45分に岐阜市にある介護労働安定センターによる会議が10時から開催される為に車を走らせ9時45分には指定の駐車場に着いたのですが、関係者以外の車がたくさん駐車されていて、駐車スペースをさがしている内に一番奥まで行ってしまい、Uターンをする所もなく、仕方なくバックで出口までたどり着き、携帯で実情を連絡すると、「玄関前に駐車スペースを確保して待ってます。」との事でしたが、玄関先には確かにぎりぎり一台のスペースがあったのですが誘導してくれる人は見つからず久しぶりに縦列駐車を試みましたが、駐車した後入った状態を確認して『よくもこのスペースに入れたものだ。』と自画自賛して会議の会場に入ると介護労働安定センター長の挨拶が始まっていましたので皆さんに黙礼をして着座。労働局、岐阜県高齢福祉課、岐阜県社協介護人材センターの説明の後、意見交換になりいつもの事ながら一番最初に意見を言わせて貰いました。会議の中で一つだけ気になったのは、ある団体の代表の方は本来事務局長さんが委員なのですが、事務局長さんの施設の事務員の方が代理でみえていて意見を言われているのには違和感を持ちました。私の考え方では、事務局長さんが参加出来ないのであれは、組織の中のしかるべき方が参加をすべきだと思うのですがリピーターの皆さんはどう思われますか。定刻の12時に会議が終了して、高齢福祉課長さんや地域福祉課長さんと話をして、15時からは和合の施設でお参りと幹部会があるので和合で時間を合わせる事も出来たのですが一時間で帰れるので例え一時間でも本部施設で打ち合わせがしたいと急ぎ本部施設に向けて車を走らせていて、樽見鉄道の踏み切り手前で救急車のサイレンの音がしたので、動かずに待っていると、右側車線に入って救急車が踏み切りに入り私の車を通過するときに「ご協力ありがとうございました。」と聞こえてきたのには驚きましたが、今時は我先にの車も多いので、感謝の意を表して下さったのかも知れません。14時15分まで本部施設にいて和合の施設に行きお参りの導師をしながら和合の入居者さんのお経の声も随分しっかりされるようになったと思うとやはり、『継続は力』だと改めて思いました。お参り後の幹部会では、その都度気付いた事を指摘して、17時20分に終了して、車を走らせているとデイサービスの利用者さんの意識レベル低下で家族の方にも来て貰い救急車で搬送されたとの報告だったので対応をした看護師さんに話を聞くと吸引をして意識レベルも戻ったとの報告を受けたので対応が良かったと感謝して、取り合えず久しぶりのフルタイムを終える事が出来ました。

御首神社でご祈祷をしてきました

令和元年8月18日 今月7日から10日間大垣市民病院に入院した事は既にコラムに書きましたが、今回の帯状疱疹になる主たる原因は『過労』と『ストレス』だと言われていますが、『過労』については、基本的には休みなく働いているし、夏祭りで忙しかったと言うのも例年の事だし、職員が殆どの準備をしてくれたので『過労』を理由にするのには無理がある。だとするともう一つの原因である『ストレス』と言う事になるのですが、大方の見方は「若山に限ってストレスなど無縁だ」と言われる位に厳しい(私自身はそれ程意識した事が無いのですが、客観的にはストレスがかかるような事を跳ね除けてきたらしい。)状況を跳ね除けてきたにも関わらず今回は『ストレス』によって帯状疱疹が最も繊細な頭から首にかけて出て、しかも炎症反応(CRP)が30にまで上がり、39℃の高熱まで引き起こしたかを明日からの過密スケジュールを前にして考えてみました。そして一つだけ強烈にストレスがかかった事を今もなお整理して総括出来ていない事にぶち当たりました。

それは、7月に行われた参議院議員選挙で、全国老人福祉施設協議会及び全国介護政治連盟が組織内候補として立候補した『かくた充由』君を岐阜県老人福祉施設協議会会長として悔いのないように後援会活動及び選挙活動をして多くの票が出るものと確信していたにも関わらず予想していた票の5分の1しか出ず、しかもかくた君が落選する状況になり、頭が真っ白になると同時に極端な言い方をすれば『人間不信』に陥り、傍で見ていた職員の中には「はっきりと落胆されているのが分かった」と病院に見舞いに来て話してくれる者もいて、自分ではみんなに悟られないようにしていたと思っていたのですが「反省、反省、反省」です。そして、私が選挙での盛り上がりに欠けていると感じて、東京で実施された会議の中で勢いを鼓舞する為と自分自身をより追い込む為に発言した事に対して結果を出せなかった事を悪く言う者もいて、益々落ち込む結果となりました。但し、3年後の選挙の為にも泥仕合のような事はしたくない。 しかし点滴をガンガン打って取り敢えず炎症反応の熱も下がりましたが、このままでは私自身の収まりが付かずまたまた帯状疱疹が出ても困るので私の総括を神様に収めて貰うべく大垣にある御首神社でご祈祷をして貰い『恨みっこ無し』で先に進む事にして、早速御首神社に行きご祈祷をして頂きました。 2 3

どうして御首神社にしたかと言えば、首より上にご利益があると思ったからです。受付を祈祷料8000円を納める時に10000円札で支払ったら、おつりは2000円のはずなのに、8000円を戻そうとされたので私の方で指摘をして2000円をお釣りとして頂いた時に受付の方が照れ隠しのように「暑くてぼーっとしてしまいすみません。」と言われたので良く見ると社務所の中には冷房が入っていませんでした。しかしながら控室はしっかり冷房が効いていました。(流石に参拝者ファーストです。)このスタンスの神社であればご利益間違いなしと思った次第です。リピーターの皆さんご祈祷をして頂いてスカッとした私の明日からの展開をみていて下さい。

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暑いです

令和元年8月17日

昨日、10日間の入院生活から解放され、夕方に本部施設で幹部会があり施設から迎えに来て貰い会議に参加した時にはそれ程感じなかったのですが、本日は久さしぶりに自分の運転で施設に行こうとして家から出て「暑い」を痛感しました。

本日は14時から「亀山さん・岡本さんの歌のボランティア」があり、亀山さんは鮮やかな青紫のブレザーで岡本さんはこれまた鮮やかな黄色のロングドレスの衣装を着て昔懐かしい歌を1時間に渡って歌って頂きました。(岡本さんに「艶やかな衣装ですね。」と投げかけると「もっと派手な衣装がありますよ」と返ってきたので、私が何を言いたいのかを瞬時にくみ取って頂けたのは大変嬉しかったです。)今回2回目のボランティアなのですが、入居者さん、利用者さんは歌に合わせてタンバリンや鈴を上手に叩いていました。 一時間のショーが終わると参加した方々に職員が機敏に準備したかき氷で喉を潤して頂きました。暑い時のかき氷は水分のこまめな補給にも最高ですし職員がこのような配慮をしてくれるからこそ「熱中症」対策がしっかり出来ていて本当にありがたいと思うと暑さも吹っ飛ぶように感じました。こまめな水分補給の事を思った時に先般の台風10号に伴う雨の多さについて、2日間で1000ミリの雨量だった所もあったとの報道や長良川の増水により鵜飼船が壊れたり流されたりした報道に対して思うのですが、一時に降った雨は表面を流れてしまい色々なトラブルになることを思うと、「過ぎたるはおよばざるが如し」の格言のように思うと水分も一気に飲んで貰うよりはこまめに飲んだ方が良いのだと思います。

つまり、単に数量にとらわれずこまめに飲んで頂く事が肝要だと思った次第です。 確かに、一気に飲んで頂いた方が業務的には一見効率的に思えますが、結果的に熱発されたり食欲が進まない状況になれば結果的には入居者さんは勿論の事、職員も大変な思いをすることになると思うのです。居室を掃除したり、清潔保持をしっかり行うのもその一貫だと思います。最後に、ぴったりの格言ではありませんが「楽あれば苦あり、苦あれば楽あり」誰でもそうですが人間「楽」な方が良いですよね、退院した我が身だからこんな事を考えるのかな。とにかく「健康が一番」です。

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10日間の入院生活を終えて退院しました

 

令和元年8月16日

入院してからの3日間は寝ていても頭が痛くて熱も39℃近くも出て、「こんなことで治るのか」と途方に暮れながらの入院生活でしかもトイレもない個室でトイレまでが遠くて、まるで尋問を受けているような日々でしたが、熱が下がってくるのと平行するように頭の痛みも少しづつ軽減してきて、この二晩は9時前には眠くなり、22時からの点滴は夢の中て言う順応の良さ。4日目からは施設の有り様についてじっくりと考える時間となり、日本中が暑さと台風で騒いでいる時に施設職員には申し訳ない位にゆったりとした時間を過ごす事が出来ました。そして本日12時からの点滴治療の後、昼食を頂き入院費用を医事課で支払い病院を後にしました。

家に帰りつきしばらく横にならその後17時15分本部施設の幹部会に参加して、夏祭りの事やバイキングや本部施設の現状について、病院生活で温めていた事を熱く語れました。その中で20年の実績により怠惰になっていることについては『是は是。で頑張ればその思いは必ず通ずる。』との思いを改めて熱弁しました。会議が終わり久しぶりに家のお風呂に浸かり遅い夕食をしていると昨夜の就寝時間ははるかに越えて眠い中でコラムを書いているので中味なしで話も乱れていますがご容赦下さい。明日は本日のぶんも頑張りますので本日のコラムは単に明日に繋げただけですが継続できた事をご理解下さい。(コラムを打ちながら目が閉じてまう。)

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