本日5月18日と言う日

平成10年の今日は特別養護老人ホーム優・悠・邑の事業開始の大切な日です。つまり、21年の月日が流れ22年目に突入しました。丸21年とさらっと言える程簡単なものではありませんが、難産に難産の末に平成9年4月18日に国からの内示を頂き、同年7月17日に杉和会の法人認可を頂き8月8日に建設に伴う入札を行ったのですが、入札を2回行っても不調に終わり、一番低い数字を入れて頂いた大日本土木との協議の末にお互いに同意する内容になり、建物を建てる条件が整いました。かつては米を作っていた所もその当時は2メートル近い草が生えていたのを、6メートルの高低差をならして8000㎡の平らな土地にして貰った時には正直両手を広げて走り回った記憶が甦ってきます。単年度事業だったので、時間がない中での工事だったにもかかわらず、その年の12月1日にはまだ屋根もないなかで、40㎝位の雪がドンと降り、その当時の監督さんが真っ青な顔で対応されていたのを覚えています。そして事業を開始したものの新卒者が殆どで、私自身も児童福祉の理念で突っ走り、職員との温度差も半端でなく、当時の職員にコスト意識は全くなくてストレス一杯の毎日だったです。事業開始して1年経って理事会の理解を得て自ら施設長の職を解いて貰い、現場の業務をしながら私の思いを話しして、少しつつ理解者を増やしていき、目指す方向を示していくなかで、職員からおむつの検討をしたいとの提案があり、おむつの吸収性やはき心地を試したりしていて、私自身、おむつの中で排泄を試みてもなかなかでなくて腹圧をかけてみてようやくでだして、おしっこが温かい事を理解すると共に長い時間そのままにしておくとおむつの中が氷のように冷たくなることを知り、尚且つ、便秘になった事も経験しました。その経験によって、「寄り添いケア」と言いながら、寄り添ってない事に気が付きました。このような事は教科書のどこにも書いてありません。そんな事を繰り返す中から、ケアの充実と地域貢献に留意してきた21年でした。この21年で私の体型は変わり、施設の対応も向上してきた今、より一層の地域貢献を役職員一同頑張っていきますので変わらぬご支援宜しくお願いします。

なお、写真は施設の奥(西側)に今、県の予算で施設の安全への配慮の為、砂防ダムの工事を実施して頂いていて、その工法がダムが土砂で埋ったら土砂を取り除く工法でして頂いている為に大型のダンプの乗り入れが可能な道路の整備をして頂く為に沢山の木を切り明るくなって立派な道路が出来ているのを撮影したものです。

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1年に一回の誕生日は最高でした

令和元年5月17日

昨日のコラムでも書きましたが、私の誕生日と言う事で昨夜の会議の後の懇親会の最後に岐阜県の副会長四人が誕生日のサプライズをしてくれ、参加者全員で祝ってくれました。その後二次会に行った席では当番県である福井県の若手役員が誕生ケーキを用意してくれており、ローソクの火を消すセレモニーがあり、またまた盛り上がりました。但し8本のローソクの火をイッキに消すのが一杯いっぱいで、こんなところで66歳に老いを感じるのは嫌だから、乾杯後はいっぱい一杯歌を歌いました。昨日は松山千春の曲をめっちゃ上手く歌う名古屋市の会長がいなかったので、『私のワンマンショーか』と思っていたらみんなが積極的に歌われみんなで盛り上がりました。私は本日11時から業者との打ち合わせがあり、福井駅を8時38分のしらさぎに乗り本部施設に帰ります。昨日の成果は東海北陸ブロック研修大会の最終調整、1市6県による防災対策の具体的な検討、会議後の参議院議員選挙の組織内候補予定の角田みつよし君の各県の活動状況の話の中では、岐阜県で頑張って10000票を取ると宣言すると(あいからわず、自分にプレッシャーをかける生き方だと自分自身つくづく思いますが、角田君が参議院議員になって介護、福祉の社会的評価を上げたいと考えています。)他の県からも頑張りますの言質を貰えたのは成果だと思います。また、懇親会で石川県の久藤会長の隣の席で親しくお話をさせて頂く中で今年の夏祭り(8月3日の予定です。)にも昨年同様に石川県の銘酒『菊姫』を1斗樽を送って頂けるとの事で、リピーターの皆さんもよければ飲みに来てください。7月には参議院選挙が行われ(ひょっとしたら衆議院との同日選挙)ますので、8月の夏祭りは準備良くしていかないと大変な事になるなとコラムを書きながら思っています。しかし、その前の6月には供養祭もあるので確実に実施していきたいと思います。なお、供養祭の案内はご縁を頂いた方には近日中に案内を出しますので是非お越し下さい。

本日は私の年に一回の誕生日です

令和元年5月16日

本日は福井市で全国老施協東海北陸ブロック正副会長会議が開催され、会議の後懇親会もあるので泊まらせて頂くので、いつもよりは少しゆっくり施設に行くと事務所の私のデスクの後ろに大きく『祝66才おめでとうございます  職員一同』の張り紙があり事務所にいた職員が「おめでとうございます」と共に拍手がおき、職員代表でデイサービス責任者の北島部長からプレゼントを手渡され、早速包みを開けると立派な鞄が入っていて、良く聞くと係長心得以上の役職者がお金を出し合いプレゼントをしてくれたと知り、感謝カンシャかんしゃです。鞄はリピーターの皆さんにも見て貰いたいと思い写真を撮ってもらおうとの思いから、鞄を手渡された時にはしていなかったネクタイを結び記念写真に納まりました。しかしながら、本部職員は私が出張時等に適当な紙袋などで出掛けるのを気にしていたのかな。それとも、66才になった私に「もっと気合いを入れて頑張れ」と叱咤激励をしているのかな。どちらにしても私はまだまだ元気だし、色々な使命があるのであれば66才まだまだ元気「やったるぜ」の気持ちを強く持ちこれからも頑張りますのでリピーターの皆さんますますのご支援宜しくお願いします。そう言えば本日の会議でも私がガンガン意見を言って全国老施協の新しい方向性を示したいと考えています。只今13時52分で鯖江です。後5分位で福井なのでその後は事前打ち合わせ、会議、懇親会と続くので本日のコラムは列車に揺られながらの原稿ですので、文章も揺られていたらごめんなさい。

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朝の報道で思った事

令和元年5月15日

どんな報道だったかと言えば『岡山市には用水路が多くあり用水路と道の境に何の施策もしてない所が多くあり、用水路に落ちて亡くなられた方が多く見えるが予算が付かないので手付かずの所が多くある』との報道でした。確かに夜に歩いたり、自転車で通ると危なかったり、道路が狭く(報道している画像を見ると)車が通ると自転車や歩行者が危ないように思いました。実は私も養老サービスエリアで食事をしようと外から入り食事後に水路の上に橋が架かっていて、橋があると思っていた所には橋が無くて2メートル近く落ちた覚えがあります。そこは幸か不幸か70センチ近くヘドロが貯まっていて、ズボズボっと言う感じで落ちたので怪我はなかったのですが、とにかく臭いが凄くて家に帰りお風呂に直行しました。(お風呂で良かった。これが病院だったら洒落にならない。)良く考えてみると、私の長男が小さかった頃(約30年前)は我が家の前も用水路があり、(結構な幅で深さは2メートル位あったと思います。)今から思うと「よくぞ落ちる事無くいたものだ」と言う事ですが、色々考えると、30年前は今ほど車は走っていなかったし、地域の方々の声掛けもしっかりしていた。我が家の地区の高齢化は顕著で(私も明日で66歳です。)昼間に外にいる方は殆どいません。用水路に蓋が設置された時には、冬場の雪解けが大変だとの声もありましたが、車の量が多くなったのと、車が全体的に大きくなった事もあり、不満の声は聞かれなくなりました。事故が起きてからでは遅いので何とか予算的配慮をして頂ければと遠い岡山の事ですが思った次第です。そういう意味では、本部施設の南側に大々的な予算を岐阜県でつけて頂き土砂防止の工事をしていただけているのは大変ありがたい事です。

ベトナム留学生について

今年度から初めて留学生の受け入れをすることにして、ベトナムから男女一人づつ二名が3月24日に当法人の職員が迎えに行きご両親にも挨拶をする予定でしたが、出発前直前に書類審査で不備があり、ビザが下りないとの連絡が来たのですが、ベトナムで両親共々不安になっていると考えると、予定通りベトナムでご両親や本人達に安心してもらう為に3月24日にベトナムへ職員に行って貰いました。

そして、それと共に急遽大学に状況把握の為に行くと、大学側の説明は「補助金を当てにした書類では審査が通らない」との説明を繰り返すばかり。「そのように書類を指導したのはそちらやろ」と思いながらも、「今年来れなくなるのは絶対に駄目だから、しっかり指導して貰う為に忍・忍」と考え直して説明を聞いても今一理解できないので大学を出て行政書士の先生の所に直行して完璧な書類に仕上げ、翌朝大学に書類を届けると「5月の連休明けにはビザが下りると思いますので、学習計画を作り直し体制を整え直します。」との事だったので、連休が開けるまで首を長くして待っていたのですが、ようやく本日大学からビザが下りたとの連絡を頂き正式に日本に来て学ぶ体制が出来ました。ひと安心すると共に難産の末に来てくれる二人を大切に育てて行きたいと考えています。

しかしながら、このケースで改めて感じたのは、情報収集の大切さです。確かに、東京福祉大学のように留学生を食い物にするような事例を作るとビザの交付が厳しくなるのは仕方がないですが、真面目に申請を出したにも関わらず、昨年同様の指導をしたことにより、ベトナム人留学生やその親および法人側にも迷惑をかけてしまう体制はいかがなものか。指導する大学側にしっかりとした情報収集のシステムがあれば、まるまる二ヶ月も遅れての入国はなかっただろうし、いらぬ心配もせず入国出来たと思います。私自身も情報が入らず方向性を間違えない体制を心掛けて行きたいと改めて思ったしだいです。

先般のコラムで『病院は患者を待たせても平気』的な事を書きましたが

令和元年5月13日

2日前から、右耳が聞こえにくくなり、昨日の信輪会の竣工式で県会議員の猫田先生や参議院議員の園田先生に話し掛けられても右側から話し掛けられると聞きつらく対応するのに苦慮したので本日は朝一番に大垣市にある森耳鼻咽喉科医院に来ています。まずは受付をして問診票に必要事項を記入して待っている時に、待合室を見回すと空気清浄器に『うがい』『手荒い』を促すシールが貼ってあり、小さい子の遊び場も設置してあり、尚且つ、予約が簡単に出来て待ち時間に対する配慮がしてあるのに感心して、地元の関ヶ原診療所とは随分違うなと思いました。先生も看護師も受付の事務職員さんも礼儀正しくて、パソコンやスマホで時間待ちへの配慮がされているのには感心させられました。色々と感心しているとそれほど待つことなく診察室に案内して貰い、診察台に座り院長先生に状況を説明すると悪い方の右耳を診て、「耳垢で塞がれていて、耳栓をしたような状態になっているだけですから耳垢を取りますね。」と言われ1分もしないで、「聞こえますか」と言われた時に、嬉しさ半分、恥ずかしさ半分でしたが、この体験から色々な事を学びました。一つ目に決して綿棒を奥に入れない。(66歳のわたしが理解擂ることか)二つ目に耳垢が貯まっていると思ったら森耳鼻咽喉科に行って除去して貰う。三つ目は長男が学生時代に神経性難聴で片方の耳が全く聞こえないので、大変な思いをしている事を身を持って理解しました。私の人生は『災い転じて福となせ』なので、この体験をどのように考えて行くかを今は考えています。本日15時からNHK岐阜時局の記者が取材に来ました。主たる取材内容は『養護老人ホームの措置びかえ』についてでしたが、社会福祉法人改革、介護人材等についても私の持論を話させて頂きました。今すぐの撮影ではないのですが、近い将来世論を巻き起こせる形になれば素晴らしい事だと考えています。だってリピーターの皆さんこんなに一生懸命に頑張っているのだから・・・。そのように思って頂けたら有りがたいです。

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ブタもおだてりゃ木に登る

令和元年5月12日

昨日北島部長が最後の筍として、8本竹藪で掘ってきてくれた筍を朝から大鍋で湯がいていて、しっかりぐつぐつ煮たってきたタイミングで、玄関先にある地域交流ホールを通ると、10時30分からの企画で『母の日』イベントをしていて見守りをしていた職員から呼び止められたので、「どうかしたの」と(半ば期待をしながら)聞くと「理事長に最後の締めで歌って欲しい。」と言うので、『てるてる座600回記念公演』でプロ歌手砂田おさむの持ち歌『人生夢の途中駅』を本人を前にして歌った歌をエントリーをして、準備が出来る時間を利用して「私の母は私が小学3年の頃から病気の為に入退院を繰り返し13歳の時に他界したので、母親と何かを一緒にしたとの想い出はあまりありませんが、今は多くの皆さんが母親のような存在で、良い思い出を作る為に精一杯歌います。」と挨拶をして一生懸命に歌いました。そして、母の日イベントが終わりその場を離れて再び湯がけた筍の片付けをしようとホールを離れようとしたら、ショートステイの男性利用者の方(いつも比較的お話をされない方)が私に握手を求められ「理事長さんはお経も上手だけど歌も上手いな」と言われたので、「ありがとうございます。また歌いますのでまた聞いて下さい」と言って(かなり気分良く)外に出て、かたつけをしていると、面会を終えられて外に出てみえた、男性の方がわざわざ私の所まで来て「理事長さんは歌がお上手ですね。」とお褒め頂いたので、私は「利用者さんに家族の方が私の歌を上手いと言って頂いた。これはひょっとして本当な私は歌が上手いのかも知れない。」と自惚れています。昔から言いますよね。『ブタもおだてりゃ木に登る』と。私もその口かもしれません。だれからも上手だと言われるように精進して、頑張りますので、これからも宜しくお願いして下さい。

今は新幹線の中です

令和元年5月11日

9日は大阪で静慈圓大僧正のお祝いでお祝い会場であったリーガロイヤルホテルで泊まり、10日は新大阪7時33分発の『のぞみ』で東京に移動して全国老施協本部がある平河町塩崎ビル7階で、11時から行われる日本介護支援協会監事監査までに30分あったので会長室を覗くと石川会長がおみえになったので、現状把握と今後の展開について意見交換をしていると、日本介護支援協会の福島事務局長が私を呼びに来てくれたので、急ぎ監査を行う部屋に行くと皆さんが集まってみえたので早速監査を開始。私を含む3人の監事が活発に意見を言って、まとめも含め監査が終了したのが13時前で、昼食のお弁当を頂いて、監査は無事に終了。その後同じ部屋にある政治連盟の事務局と打ち合わせを済ませ、一旦、宿泊先であるルポール麹町ホテルに移動して、18時から宮内公認会計士ご夫妻と北海道の村上先生と食事を頂きながらの意見交換会をして、22時に散会してホテルでゆっくり寝て、朝風呂に入り、荷物の整理後タクシーで東京駅に。本日は土曜日の早朝と言うこともあり、予定していた列車より1便早いのに乘れました。丸2日間施設を開けましたが、『平安之福』に感謝しつつ、明日は信輪会の3つ目の特養建設の竣工式に招待されているので、参加させて貰います。もうすぐ66歳になる我が身ですが元気に忙しくうごめける事に感謝してこれからも頑張りますので、リピーターの皆さんも懲りずに私のコラムを宜しくお願いします。

 

昨日17時から行われた『法印成満喜寿書画展祝賀会』の報告です

静慈圓大僧正の書画展の写真は昨日のコラムで見て頂けたかと思いますが、8日9日の2日間に渡って(参加者は2日間で286人)開催された2日目に招待を受けた私は参加者の多さと多彩なメンバーに圧倒されつつも色々な方とお話を聞く事が出来ました。特に静先生の自坊である清涼院の檀家総代の方が乾杯前の挨拶で、静先生の事を素晴らしく評価され、尊敬されてみえ、総代をされていることに誇りを持ってみえるご挨拶には感銘すると共に、私の檀家寺の総代は決めるのに喜んで受けてない状況。(私も3年させて頂きましたが、決して「喜んで」と言う感じではなく、むしろその逆だったかな)

昨日の写真でお気づきの方もあったかと思いますが、署名の所に『法印』の文字があったのが幾つかあったのですが、これは、自坊が高野山にあり、その中でも選ばれた方しか法印にはなれず、静先生は法印になられて初めて着る事が許される衣を着られているとのお話を聞くにつれ、私はつくづく「このように凄いお方に、8月20日に例年通り施設へ来て下さい。」と言えたものだと。そしてまた、静先生の方からも「楽しみにしてますよ」とのご返事を頂いたのは正に奇跡だと思いました。だって、いくらとんでもなく偉い方であっても、私と同じく1年は365日しかないわけで、貴重な365日の内の1日を本部施設に来て頂けて、尚且つ夜には交流を深める宴までお付き合いしていただける幸福を感じてます。

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尚、昨夜は式典会場であるリーガロイヤルホテルに泊まらせて頂き、朝6時に起き、7時33分新大阪発ののぞみに乗り、東京に向かってます。本日は午前11時から日本介護支援協会の監事監査があり、私に監事の役割があり東京です。全国老施協の役員の方にもお会い出来るので、夜は夜で情報交換会があります。頑張っている証でしょうか富士山が綺麗に見えましたので携帯で写メを撮りましたので、果たして上手く撮れているかはわかりませんが、リピーターの皆さんにも見て頂ければと思います。後40分で東京に着きますので、そろそろ臨戦態勢に入ります。

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昨年九月の週刊現代を引っ張り出したら

令和元年5月9日

『怒っているのは伊集院静氏だけではない。「なぜ日本の病院は、患者を待たせて平気なのか」』のタイトルで尚且つ「サービス業」の意識ゼロとあり、伊集院氏の記事を紹介している。『小娘に舐められ、挙げ句支払いに待たされて、人間の扱いではない(中略)こういうやり方を当たり前と考えているなら、天罰が下るよ』伊集院氏は結局1時間45分待たされ、さらに火に油を注いだのが、受付の事務員や医師の不遜な態度。待っている患者たちの目の前で、受付の若い女性事務員は笑いながら話しているし、診察に当たった医師は「暑い折りに、長い時間お待たせしました」の一言もなく、人として当然の気遣いすら見せない。治療のために訪れた患者を待たせて当然と言う態度が許せなかったのだろう。記事に対して読者からも大きな反響があったとあり、病院の対応には改善の余地があると言う事だと思います。尚且つ記事は続きます。「どの企業でも一番大切にするのが『顧客満足度』です。普通の企業だったら、お客さんに満足して貰えるように、商品を改良し、より使いやすくするなど努力するのは当たり前の事です。でも病院は違う。何もせずとも患者さんは来るし、どのような診療の仕方でも同一の治療なら同じ報酬が受け取れるため、営業努力を怠っている病院があまりに多い」結果、その怠慢が「患者を待たせて何が悪いのか」「待つのが嫌なら来なくてもいい。」と言う上から目線の医師を生んでいるのではないか。と結論付けてます。病院側にも色々な事情はあるのだとは思いますが、上から目線がまかり通る病院はいずれ淘汰されるのではないでしょうか。私が事業展開している特別養護老人ホームも介護報酬でいわゆる報酬単価は決められています。だから、基準を満たしているば報酬は同じです。いわゆるサービスの面とか優しさを持った対応をしているとか、ベテランの職員がいなくて給料が安い職員ばかりであっても同じです。職員の力量を評価する尺度はありません。だからと言って上から目線の職員が多くいたらいずれは淘汰されていくと思います。そうなってから考えるのではなく、常に検証して是は是、非は非の対応を常に考えながら頑張って行きますのでこれからも宜しくお願いします。尚、昨日お約束をした、静先生のお祝いのレポートは明日じっくり書きます。今は16:02で大阪毎日新聞社地下ホールで開催されている静先生の書画展の写真のみにさせて下さい。ただ、書画展の会場受付で署名をしていたら静慈圓先生本人がひょっこりおみえになったので、ちゃっかり、8月20日に関ヶ原に来て頂くお約束をすることが出来めっちゃラッキーでした。

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