蒸し暑い日が続いています

令和元年9月4日

朝からどんよりの曇り空。風もなく蒸し暑いです。連日35℃を超す、いわゆる『猛暑』の日はなくなりましたが、背中がじとっとする毎日です。

私が大垣市民病院に帯状疱疹で8月7日~16日まで入院していた時は、施設での報告がメールで来た時には必ず「水分をこまめに取るように配慮して下さい。」と送信していたのですが、その度に「かき氷をしてます。」とか「スイカ割をしてスイカを食べて頂いてます。」とかの折り返しメールがあって、お陰様で熱発者もなく元気に過ごして頂いていたのですが、最近熱発者の報告が何人かされるようになってきましたので、改めてパソコン上の事務連絡のコーナーに「飲み物のこまめな対応の大切さ」を書きました。この記事を書きながら頭の中を「飲める飲める飲めるぞー」のメロディーが浮かびました。「そうだ、この歌のように楽しく飲んで頂くにはどうしたら良いのか」を考えて提案しなければ、単に「飲んで貰え」と言っているだけでは駄目だと思いました。

敬老週間の企画の中に『寿司吉さんのパフォーマンス』があり、「いつもは刻み食の方の中でもお寿司を食べられる方がある」との報告が有るたびに食事を提供している側としては複雑な思いになりますが、呑み助の私としては日常的には晩酌の習慣がないのにみんなと楽しく飲んでいるとたくさんのお酒をのんでしまうので半分納得しながらも、『楽しく飲み物を飲んで頂く妙案があれば・・・。』一つだけ思いつきました。それは介助をする職員側が「一杯いっぱい飲んで下さい。」との思いを持つことかなと思います。

私が小さい頃直ぐに40℃近くの熱を出すと母秋江さんは私の好きな食べ物を作って、優しく声をかけてくれていたことを思い出しました。介護の極意は『寄り添い』だと言われています。職員が力を合わせて極意を理解してくれたらパラダイスになるのかな。でも、要介護3以上しか入居出来ない状況では難しいかな。でも職員が力をあわせればよりよくなると思います。リピーターの皆さんより良くなる杉和会を見守っていて下さい。

 

朝早くに目覚め戦略を練ってます

昨日垂井町の副町長さん、建設課長さん、健康福祉課長さんらと盲養護老人ホーム及び養護老人ホームのここ3年来の新規計画についての話し合いを持ち、ようやく具体的に計画が前に進んだ事が実感出来ました。勿論これからもクリアしなければいけない事が山積みされている事は今までの経験から理解してますが、22年の実績による評価によって助けられていることを昨日の話し合いで実感しました。勿論色々な場面で誠意を持って対応するのは当然の事ですが 、盲養護老人ホームについては全国47都道府県で岐阜県を含め4県のみ施設が無い状況を解消し安心を持って利用して貰う事を念頭において何があっても期待に添う施設を完成してしっかりとした運用が出来るように杉和会理事長として出来うる事をしていきたいと心新たに思っています。

本日は午前中に網膜剥離の手術に伴う半年に一回の検診があり(異常無し)、年に一回の人間ドックの予約をして、病院を出る前に岐阜県高齢福祉課長に近い内にアポが取れないかと連絡すると本日午後1時に担当者と共にの時間が取れるとの事だったので一旦本部施設に帰り資料を整え県庁へ。12時55分に県庁10階に着いたので13時になるのを待って高齢福祉課長に挨拶すると担当者と共に話し合いを持って下さり、当法人の意向をお伝えすると2、3の確認はありましたが了解していただけて、明日の垂井町での話し合いはますますやり易くなりました。9月になったら新規事業についてガンガンと進めていこうと目論んでいた私の計画以上にこの2日間で進める事が出来たのは本当にありがたく思っています。

これは正しく平生往生の賜物と思っています。明日は15時から垂井町さんと当法人の役員と測量会社とのはじめての擦り合わせが行われるのですが、今日以上に円滑に事が運ぶと思っています。どうして多方面から上手く行くのかと言うと、その答えは『利益追求ではなく地域為になる事を優先させた計画』だからだと思っています。この計画を遂行していけるのは杉和会の職員が頑張って仕事をしてくれているバックボーンがあるからだと思うと感謝の言葉しかありません。これからも地域の為に頑張りますのでリピーターの皆さんの声援宜しくお願いします。

今年の敬老週間が動き出しました

令和元年9月2日

先月8月3日に800人の参加者を得て、「焼きそばは700食焼いた」等とさり気無く自慢していた夏祭りの興奮が収まらない内に9月のイベントである敬老週間のイベントの企画が進んでいることに対して感謝と感動でしかありません。

平成10年に本部施設を事業開始した頃は「年中『敬老週間』のように頑張っているのに改めた企画をする必要はない。」と豪語して、岐阜県からのアンケート調査にもそのように書いて報告していました。そんなある年に職員の方から「敬老週間と言う事なので1週間通しの企画をしたら入居者さん、利用者さんに喜んでいただけるのではないでしょうか。」との提案がきたので、「1週間を通して行うのに週2回の入浴の確保はどうするんだ」との問いかけに対して「入浴も特別なものにします。」との答えに『これは職員が本気だから支援すべし』と言う事で当施設の敬老週間は1週間を通しての企画にしてます。

2日前には玄関先に敬老週間の告知がされ、本日は1週間の企画の告知がそろい踏みしました。

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16日の初日のオープニングは腹から笑って頂く為に関西落語の笑福亭伯枝師匠に来演して貰い、

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17日は『緑茶湯』でゆっくりして貰い、

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18日は職員と入居者さんの共同制作ででっかいシャボン玉を作って貰い、

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19日は大垣の老舗お寿司屋さんの『寿司吉』さんの板さんが全員集合(もちろんおやじもおかみさんも来て頂きます。)して皆さんの前で寿司握りのパフォーマンスをして貰い(えーい。美味しい酒も振る舞うぜい)腹一杯に楽しんで貰い、

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20日の日はバラを一杯浮かべた『バラ湯』で優雅にお風呂を楽しんで貰い、

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21日はいつもボランティアに来て頂いている『いきいき楽楽楽(ららら)』と焼きそばを振る舞うジョイントで、

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最終日の22日は長浜信行会の協力を得ての『千巻経』で祈りを届かせ全ての方の幸せを。

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多種多様な企画ですが今からわくわくです。良ければリピータの皆さんも参加しませんか。特に千巻経は自分は勿論皆さんが幸せになられることを請け負ういます。

 

ゲゲゲの鬼太郎のお話です

令和元年9月1日

ゲゲゲの鬼太郎は放映開始から50年と言う事で、キー局はフジテレビで毎週日曜日の午前9時から放送されているのですが、私が唯一楽しみにしている番組です。つまり、日曜日だけは施設に9時40分とゆっくり目の出勤となる日です。

今日のタイトルは『唐傘おばけ』の話しだったのですが、現代を風刺したお話でいつにもなく「うんうん」と肯きながら見ていました。その内容は今どきの若者が傘を間違えて持っていき、それを見ていた唐傘おばけが必死になって間違えた傘を変えるために必死になって取り換えようとしても全く意に返さず、若者のアパートに間違えた傘と本来の若者が持っていた傘の2本を玄関先に置いて帰りました。翌朝若者のアパートへ確認に行くとごみの収集場所に2本とも捨てられていて、怒った唐傘おばけが目玉おやじと一緒に温泉に入っていたゲゲゲの鬼太郎のちゃんちゃんこを盗み、ちゃんちゃんこの力を借りて変身をして強くなり、若者に襲い掛かかります。それをゲゲゲの鬼太郎が助けようとするのですが、最初のうちはちゃんちゃんこの力が強く苦戦します。しかし、ゲゲゲの鬼太郎のご先祖様がちゃんちゃんこの持ち主であるゲゲゲの鬼太郎に力をかして唐傘おばけを戒め改心して一件落着。

この事から思う事は、昔のように唐傘であれば貴重なものであり大切にして決して忘れて帰るような事がなかったのに、今はコンビニ等で500円もしないで買えるものなので忘れて帰っても「あっ忘れた。まっ良いか」と言う事になってしまうのかもしれません。当施設の本部施設の玄関先にも30本程立てる事が出来る傘立てが2つ設置してあるのですが、いつの間にか立てる所が無い位になっていて、『1週間の猶予を持って処分します。』との事務連絡と張り紙をしていてもなかなか持っていかなくて止む無く処分しなければいけない事も度々あります。私自身先般の大阪出張の時、雨の予報も出ていたので傘を持って行ったのですが、私自身「忘れて帰っても良いように」と少しくたびれたビニール傘を持って行き、結局利用する事はなかったのですが今も私の車の中で健在です。

物を大切に出来ないのは何事にも通じるのではないでしょうか。1本500円の傘でも10本失くしたら5000円です。それでも「まっ良いか」と言えますか。『千里の道も一歩から』の同じように考えられないものでしょうか。そうすれば、施設の玄関先から忘れた傘はなくなるのですが。

 

田舎者の新大阪駅での大失敗

昨夜は大阪泊だったので、新大阪駅まで行き朝食がまだだったのでお店が何軒かあるところに行き、先ずはチケットを買う所でうろうろ。と言うのも色々なお店が、それぞれの所でチケット販売をしているのですが、入り口の所でずらっと並んでいたので、一旦並んでみたのですが何となく違うようなのでふらふらっと歩いて行くと私が目指していたお店があり(うどん付きの朝定食)何とかチケットをゲット。

空いているテーブル席に座るとテーブルに『お求めの品物はそれぞれの販売所でお求め下さい。』の掲示があったので、「座るまでわからない掲示は意味がない。」と思いましたが、他のお客さんは戸惑う事無しに対応されているようで感心してしまいました。

もう一つ田舎者の話をします。私は東京への出張が多いので新幹線の『エクスプレスカード』を持っているので携帯で切符の手配をしたところ指定席と自由席が同額だとわかり指定席を手に入れたのです。そしてホームに行くためにエスカレーターに乗りホームに行きました。20分位時間に余裕があり掲示板で私が乗るべきものを見付けようとしたのですが見つからないのです。そしてはたと気が付きました。「新大阪駅は大きいのでホームがいくつかあるのだ。」と。慌ててホームから降りて10時16分のひかりを探してもないのです。結局は新大阪の東京方面行きホームは『23、24、25、26、27』の5つあり、私が乗るべきホームは27番だとわかったのですがこれまた困った事に27番ホームだけがどこにあるのかわからない。勿論掲示板を頼りに27番ホームにたどり着き今は無事に新幹線に乗っています。いつも乗る岐阜羽島駅はいつも同じホームしかないので疑問を持たなかったのと、東京駅ではホームを探して乗る習慣がついているのでこう言う失敗はないのですがそれほど行くことがない大阪ではこんなものです。

そう言えば先日、東京への出張時の出掛ける前に姉の春子さんから「よく一人で東京へ行く事ができるね。感心するわ」と言われたので「私を今でも子ども扱いですか」と思った次第ですが、考えてみたら、私より田舎者は私の姉春子さんですかね。

話が変わって先程京都に着き私の座っている席の通路側隣に乗客が乗り込まれました。通路側には座られていて、窓際の席に着かれる方の対応に驚いたので原稿にします。それは通路側に座られている方に何も言わずにしかも一杯荷物を持って迷惑をかけているのに「俺が座るのに邪魔しやがって」と言う振る舞いで、しかも自分が座ったら買い物袋からお弁当を出して黙々と食べられるのです。この方はコミュニケーション能力がないのか、常識がないのか、それとも余程お腹を空かしてみえたのかは分かりませんが兎に角『世の中色々』『人間も色々』と感じました。お互いに注意をしない世の中になって『障らぬ神に祟り無し』的な風潮が蔓延していますが私は是は是、非は非でいきたいと考えています。東京での役員会の時も言うべき事はしっかり言ってますが評価はまちまちです。私は自分の生き方を変えるつもりはないし変える必要はないと考えています。リピーターの皆さん、こんな私ですがこれからも宜しくお付き合い下さい。

本日は大阪で研修です

令和元年8月30日

独立行政法人福祉医療機構による『特別養護老人ホーム経営セミナー』の為『グランキューブ大阪』に来てます。テーマは『認知症高齢者の支援など重度化する利用者を地域で支えていくための特養の役割』だったので法人が担うべき対応のヒントを貰えるのではないかと勇んで参加したのですが、正直私の中では期待はずれで消化不良をおこしています。

一番最初に厚労省の行政説明だったのですがあいからわす目新しい内容に乏しいのは仕方がないのでしょうか。しかも、持ち時間を20分も残しての終了はいただけません。講演をするのであれば時間配分をしっかり頭に入れてやっと欲しかった。だって、研修に間に合うように私は8時前に施設を出たのにその後の福祉医療機構貸し付け部の説明も10分もなくて、11時30分からの昼休憩が11時からになり一時間の休憩が1時間30分になり、休憩時間をもて余してしまいました。

午後からの再開は12時30分からで講演は新潟県の大きな法人の方で『認知症を理解し、地域で育てよう』とのテーマで簡単に言うと地域全部が施設のような考え方で文字通り、包括ケアの優等生的な話しだったのですが、これは国がモデル事業として推進している中での展開であり、当法人ではとても参考にして出来るものではないと思いました。尚且つこの講演も予定時間よりも20分早く終わられ10分の休憩が30分になりました。

30分の休憩の後、仙台市の方が『地域包括ケア拠点としての役割』とのテーマでしたが、新潟県の法人とは真逆な考え方で拠点施設へ地域の方が足を運ぶ仕掛け作りを聞きました。その中で、本来厚労省が『小規模多機能』と言っているのを講師の方が『大規模多機能』と言って事業展開されているのを聞いて嬉しくなると共に『大規模多機能』の言葉を最初に文字にしたのは『岐阜県高齢者安心策定委員会』で私の意見を取り入れて書いて貰ったのに、私と同じような考え方をされる方が講師として堂々とされているのは嬉しかったです。

最後に福祉医療機構経営サポートセンターの方が経営分析報告をされたのですが、特養の経営は人材の確保が厳しい中でますます経営が厳しくなるとの報告を聞き、杉和会も更なる一手を進めなければいけないと思いました。経営が厳しくても地域にとって欠く事の出来ない施設として、今まで以上に何をすべきかの発信と展開をしていきますのでリピーターの皆さん杉和会の今後を見守ると共にご支援を宜しくお願いします。

嶋聡さん(元ソフトバンク社長室長)からメルマガが頂きました

令和元年8月29日

題名は『思考の三原則を再考する』とありました。その中に『松下政経塾で歴代総理の師であり、「平成」の発案者と言われる陽明学者、安岡正篤先生から「思考の三原則」について学びました。
1)短期でなく長期で考えること。
2)一面的でなく全面的に考えること。
3)枝葉末節にとらわれず根本的に考えること。
「「現場はどうしても短期に考え、一面的な事象、枝葉末節にとらわれる。だから、リーダーたるもの、長期的に、全面的に、根本的に考えなくてはいけないというものでした。」孫正義の思考はこの三原則に基づいていましたし、私も「孫正義の参謀」時代には、この原則に基づき、発言、行動していました。」」との原稿を読み、私は理事長として果たしてこの三原則に近い形で杉和会の方向性を持って出来ているのかを考えてみました。

私は全国老施協元会長であり、参議院議員だった中村博彦先生の噛んで含んだ教えであった5年先、10年先を見据えた展開をしろと言われ続けてきた最後の愛弟子だと思っていますので(かなり自惚れた考え方ですが)目の前の損得勘定での展開は決してしてないと思っていますが、果たして他の方からはどのように映っているかはわかりませんが、38歳で児童養護施設の指導員を辞し色々な方のご支援を頂き44歳で特養の事業開始をして22年の月日の中で立ち上がったばかりの時には正直、私自身舞い上がった時期もありましたが、それ以降は『地域の為に何をすべきか』『入居者ファーストで』を貫いてきた結果が今の状況だと思っています。もちろん順風満帆であったわけではありません。下腹に力を入れて話をしなければいけなかった事も一杯ありました。しかしそんな時に色んな方に助けて頂き今があります。

私の施設に色んな方が見学におみえになります。そんな時に私は職員の協力を得て精一杯のおもてなしをします。それには理由があります。それは、高齢者福祉の事を全く知らなかったので色んな機会を通して見学に行きました。恐らく30施設以上行ったと思いますが、その当時は組織がないなかでの事ですから文字通り手弁当の世界だったし、名刺の肩書きは『関ヶ原高齢者施設設立代表』と言う何者かが全くわからないようなものでしたが、訪問した施設の方々はどこも丁寧に案内して下さりアドバイスも一杯頂けました。だから私はその時の恩返しのように、一生懸命に案内し私が知りうる限りの事を話しさせて貰います。施設を始める前も後もそして今も人には恵まれて今があると思っています。

いみじくも今日も消費税アップに伴う対応でわからない点が出てきたので徳島県の桝田先生と広島県の本永先生に連絡して聞くと本当に親身になって教えて頂けました。これも人間関係によってもたらされたものだと思うと、これからも私が出来る事は精一杯頑張り次へのステップにしていきたいと考えていますのでリピーターの皆さんこれからの杉和会の展開も見守っていて下さい。

参議院選挙で角田君の票が伸びなかった理由を改めて考えても答えが出ない

昨日、全国介護政治連盟の会議が参議院会館であり、阿比留事務局次長から多方面からの分析をして説明して貰ったのですが、確かに各県の数字による分析があり、「今時の選挙はSNSを駆使しなければいけない。」とか「職員に徹底したとは思えない。」等との反省点は出たのですが、岐阜県の場合選挙の公示前に会員施設を後援会活動の一貫で各支部長さんの案内を得て2回まわり(一回で1240キロ)、その集大成として6月24日に岐阜グランドホテルで『かくた君を励ます会』に800人の参加者を得て、励ます会の後の参加者の反応では「若いのにしっかりとした話が出来て好感が持てた。」と言うのが多かったのです。私は色々な観点から「悪くても5000票、頑張れたら10000票は入れて貰える」と胸算用していたのですが、開票の結果は2000票にも届かない結果でかくた君は残念ながら当選出来ず頭は真っ白。「どうして、こんな結果になったんだ。」と考えだすと正直脱力感と共に人間不信にもなりました。昨夜は本日が全国老施協正副会長委員長会議の為に東京で泊まらせて貰って、午前中は色々な役員さんと選挙結果について話をしても次からの方向性が出ない。だって、後援会活動に引き続いての選挙活動でもめっちゃ雰囲気良かったから。私の反省としては『会長である私も副会長である支部長も一票を投じて貰う重さについて安易に考えていたから上っすべりの活動に周知したとしか思えない。』全国介護政治連盟の会議に角田君も出席していて、悔しさや無念さがあるにも関わらず明るく振る舞われたのにはただただ頭が下がる思いでした。平成12年4月から介護保険制度が導入され、介護報酬改正も制度改訂も政治的観点が強くなり、介護施設の経営も厳しさを増している中で国会の場に角田君を輩出出来なかった事の現実を理解して、今後の舵取りをしていく事の厳しさを噛み締めながらでも、社会福祉法人杉和会の思いを構築するにはどのような舵取りをしていくのか、岐阜県老施協会長として、全国老施協総務・組織委員長として何をしていくべきかをじっくり考え行動に移していきたいと思います。ここで天の声を「おい、若山宏。落ち込んで帯状疱疹何かに負けていてどうするんだ。自分に与えられた役割を自分らしく頑張らんかい。」それに対して宏君は「医療のお陰ですっかり治りました。だから本日の会議でもしっかり意見を言うことが出来ました。」そして、もう一言。『くよくよしていても一日。生き生きしていても一日。』だったら、どちらが素敵な生き方かは賢明なリピーターの皆さんならお分かりですよね。明日からハツラツ宏君で行きますのでこれからも宜しくお願いします。

退院後初めての宿泊を伴う東京出張です

令和元年8月27日

10日間入院して16日に退院してから10日しか経過していないし、帯状疱疹は完治するのに最低1ヶ月はかかると言われていて、しかも頭に出た帯状疱疹なので後遺症も心配したのですが頭が重くてたまに異常に頭が痛くなることもあるのですが、自分に役割があり、無理をすれば行けない状態ではないので出張に行く事にしました。

一旦施設に行き、持っていく資料を確認して5月16日の私の誕生日に本部職員がお金を出し合ってプレゼントしてくれたカバンをまだ使っていない事を家を出る前に思いだし初めて使わせて貰う事にしました。幹部職員の思いに感謝して浮かれたように思わず記念写真を撮った次第です。

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岐阜羽島10時15分発のひかりに乗りもうすぐ豊橋に着くとアナウンスがありました。昨日は19時から全体会があり、最初に9月から配置替えになる職員の辞令を渡しながら一人ひとりに配置替えで期待する事を話ししました。会議の最後は総括を含めて私が話をしたのですがその中で精神的なストレスは病気に直結する事を今回の入院の例を示して話しすると共に、大垣市民病院で順番がくるのを待っていて、しんどくてお茶を買いに行く発想にもならず熱中症のような症状が出たので、入院中に施設での入居者さんの報告をメールで受け取った時の返信メールでは必ず『水分の提供をしっかりして欲しい。』と打つと「本日はスイカの提供をします。」とか「かき氷の提供をします」との返信メールがきてこの暑い夏の時期に厳しい状況になられる方がなかった事に感謝の言葉を添えると共に「これからは朝晩は気温が下がり体調を崩される方がないように今まで以上に個別的対応の充実をして下さい。」

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(ちょうどタイミング良く販売車がきたのでお茶をゲットしました。)との話しと共に「来月は一週間を通した敬老週間があります。当法人の理念である『今日一日楽しかったよ』と『すべてに優(やさ)しく、いつまでも悠(ゆとり)ある、やすらぎの邑(ばしょ)でありたい』を構築するためには職員の理解と頑張りが必要です。頑張りの中には必要経費を捻出するために無駄な経費を節約することも大切です。節約はけちになれと言うことではありません。

節約の気持ちの実践は細やかなケアである気付きの充実にも繋がり、入居者さんの笑顔にもつながると思います。それが職員のやりがいにも繋がると思います。」と話をしました。本部施設が事業開始をして22年目にして、このような話しに耳を傾けてくれる職員ばかりである事に感謝し、ますますのケアの充実をしていきますのでリピーターの皆さんの温かいご支援を宜しくお願いします。

働き方改革にもの申す

令和元年8月26日

地元の農協さんが『移動販売』をしている情報があり、その資料を谷口町会議員がファックスで送信してくれたのを持って、一番近い今須農協に16時5分に訪れたら既に閉まっていたので、かつての関ケ原本店なら大丈夫だと急ぎ行ったのが16時20分。しかしかつての本店も閉まっている。この現象がいわゆる『働き方改革』によってもたらされたものならば私は「うーんうーん」と悩まざるを得ません。確かに職員を大切にすることは良い事です。しかしながら、「16時は地元のニーズにあっていると言えるのかなー。」と思った次第です。

私は法人の職員に常に『入居者さんファースト』と言っていますし、当法人の業務は当然のことながら『年中無休で24時間体制』です。働き方改革で「有休をしっかり取りなさい。」と言われても基準以上の職員配置を敷いていても勤務表を作成するのにも四苦八苦の状態です。例えば本部施設の職員80名に1週間の長期休暇を取って貰おうとすると、1年は52週なので52週の内の28週は⒉人の職員に休暇を与える事になるのですが、そんな事をするだけの職員を確保するのは人材不足と経営的観点から今の状況では考えられないのが実情です。

今日の農協さんにしても役所にしても戸が閉まっていたら「明日にすれば良い」と言う事何でしょうが、特養のように365日24時間体制の所は『本日終了だから業務はしません』と言うわけにはいかない事は明白です。であれば24時間体制に見合った『評価』に対して具体的に示していく必要があると思います。具体的に言うならば『介護に関わる職員に対する社会的評価を確実に上げていく事』だと考えています。介護に関わる職員が『誇りとプライドを持って障害頑張って仕事が出来るようにするために今まで以上の努力をしていきたいとも思いました。リピーターの皆さんも絶大なるご支援をお願いします。

 

職親制度についてNHK岐阜支局の記者に熱く語りました

 本日9時の約束だったのですが、8時40分にお見えになったので、ボランティア室に案内して私の考え方を熱く語りました。

就職に対して親の支援を受ける事が難しい児童養護施設の子ども達に対して職親がすべき事は何なのか。私は28年前まで児童養護施設の指導員をしてきた経験から、本部施設にアパートを1Kではありますが20室確保していて、食事についても入居者さんと同じものを提供して、メンタル面について児童養護施設の職員との連携を取れればマッチングは上手くいくのではないかと考えています。但し、その条件を確実なものにしていく為には、愛知県で展開し成功されている『ルーキーズ』のような展開をする組織を岐阜県でも確保することと児童養護施設の施設長さん達が本気で職親制度に対して向き合う事が大切だと思っています。28年前からの思いなので時代にそぐわない事もあろうかと思いますが私も微力ながら貢献していきない。但し、児童養護施設の卒業生ばかりに焦点をあてるのではなくて、地域の子どもの中にも問題を抱えている子もいると思うので、そのような子に対しても支援の手を差し伸べて行きたいと思っています。それが28年前に児童養護施設の指導員を退職した最大の理由ですから。つまり「児童養護施設の指導員は私でなくても出来ますが、地域の子どものサポートをするのは私しかいない。」と大いなる勘違いをして紆余曲折はありましたが今こそ地域の問題にまで関われる状態になったと思っています。つまり、社会福祉法人の使命である『地域貢献として』関わっていく事が手法は違いますが私がしたかった事だとしみじみ思っています。

 

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