平石会長新体制で初めての正副会長委員長会議の為、東京に出張です

令和元年6月28日

前期は副議長としての参加でしたが、今回からは『総務・組織委員長』としての参加になります。7月号の『月刊老施協』に委員長としての指針原稿の依頼を受け、その原稿の締め切りが本日だったので、朝イチで原稿の見直しをして、全国老施協事務局にメールで送り終えたら、フラッと優・悠・邑家族会会長の吉田さんがみえたので、先ずは24日に『かくた君を励ます会』に来て頂いたお礼を言うと吉田会長から「800人が集まった集会に複数の県議が挨拶してくれたのも嬉しかったけど、一番嬉しかったのは、若山君が会の代表として立派に挨拶もして、座っていたことや。20年以上前に岐阜県庁の議会棟に一緒に行ったことを誇らしく思ったし、本当に嬉しかった。」と言われたのには、思わず目頭が熱くなりました。そして、「家族会会長が優・悠・邑の施設長が推薦しているかくたを応援するメッセージを作るべきだと思うがどうだ。」と言われた時には、ここまで思っていて下さる事に思わず手を合わせてしまいました。今(10時56分)は新幹線で東京に向かっていますが、20年以上誠意ある展開をしてきた(途中で舞い上がった時もありましたが・・・。)賜物だと思うと、今日の会議でも是は是、非は非で発言していきたいと考えています。だって、会員の会費から費用弁償して貰っているのだから、誠意ある対応をするのは当たり前の事なんだけど・・・。列車が混んでいて、隣の席に若い女性の方が座られていて、領収書の整理をしながら家計簿を一生懸命につけてみえ、横浜辺りでその作業を終わられたのを見計らって「緻密に家計簿を付けられるんですね」と話し掛けると、「資料の整理をするのが楽しいので」と答えられたので、「失礼ですが結婚されてますか」と再びお尋ねすると「はい」と、答えられたので「あまり細かい事をするとご主人に鬱陶しがられませんか」ととても失礼な質問をしたのに対して、「そんなことはないですよ」と当然なように答えられたので、私が名刺を渡すとその女性の方からも名刺を頂き、しばらくお互いに仕事の話をさせて頂きました。旅は道連れとは言いますが、一見怖い風体の私とよくぞお話をしていただけたと感心しながら東京のホームに着きお別れしました。そして、タクシーで本日の宿泊先である都市センターホテルに荷物を預け本部施設がある塩崎ビルまで歩き、途中のコンビニで昼食用のおにぎりとパンとお茶を買い、いよいよ会議に挑むのですが、会議の内容などはあすのコラムにさせて頂きます。但し、会長の話の中に「融和と再生」のキーワードがあった事は予告として述べておきます。

流石に本日はバテてます

令和元年6月27日

24日は、8時から岐阜支部の施設回り(本部施設を6時過ぎに出発)と『かくた君を励ます会』があり、ほっとする間もなく、翌25日には東濃支部の施設回りで京都の桜井君を乗せて7時前に施設を出発をして、施設回りをして本部施設に戻ったのが19時前。本日は脱力感があり、家で8時過ぎまでぐだぐだしていて、スケジュール表を確認すると、9時30分から清心苑の施設長さんが20年の節目でご勇退されるとの事で、新しい施設長さんとご挨拶に来てくださる事になっていたのを確認。ここは頑張って施設に行かねばと言う事で着替えをして施設へ。20年の長きに渡ってご協力頂いた事に感謝を申し上げ、思い出に話が盛り上がり。11時からは日清医療食品の方と打ち合わせをして、慌てて昼食をとり14時に岐阜県盲協会会長にご挨拶に行く事になっていたので車を走らせるのですが、バテバテで運転がしんどくて・・・。でも、盲協会会長との挨拶では盲養護老人ホームの建設に向けた途中経過をしっかり話しました。帰りの運転もしんどかったので、散髪をしてさっぱりとして、今は17時57分でめちゃ早いのですがお風呂に入りコラムを打っている次第です。明日は全国老施協正副会長委員長(通常)会議があり、政治連盟の役員会も行われるのでシャキッと気合いをいれなければいけないのでだらっとするのは今夜一晩寝て終わりにしなければいけないと思ってます。だって、7月3日は埼玉県志木市での講師依頼を受けているし、4日は北九州に移動して、5日にはシンポジストを受けてるし(外国人介護人材について)、もちろん4日は参議院選挙の公示日だし、『バテバテだ』等と言っている場合でないので頑張ります。自分なりに頑張ってるつもりですが無理をせず、休める時には休んでやるときには全力でのメリハリのある生活をしていきますのでリピーターの皆さん宜しくご理解下さい。そう言えば明日が締め切りの原稿がありました。東京への出発(10時14分岐阜羽島発)までに書かなければいけない。

かくた君の後援会活動の一貫で東濃支部の施設回りです

恵那文化センターの駐車場で8時30分に東濃支部長の上田さんと待ち合わせをしていて、本来角田君本人と行くべきなのですが、角田君は全国行脚をしなければいけないので、角田君の名代で全国老施協の桜井外国人材部会長が来てくれる事になっていて、桜井部会長は京都の丹波から来てくれるので本部施設に7時の約束で私の車で恵那まで行く事になっていたので、遠くからきてくれる桜井部会長を待たせるわけにはいかないので、我が家を6時30分に出て施設で待っていると間なしに桜井部会長が来てくれ、少し早くの出発ができました。

高速道路は途中の一宮での渋滞はありましたが予定時間の15分前に着き支部長を待ち、支部長が着かれて支部長の車に乗せて頂き出発。一つ目の施設にはスケジュールよりも早く着き順調なスタート。ところがその施設ではわざわざ理事長先生が待っていて下さり81歳との年齢をお聞きしましたがめっちゃパワフルで滞在時間予定の15分をはるかにオーバーしてしまい(40分)ハンドルを握っている上田支部長から、「滞在時間は15分で」と釘をさされてしまいましたが、さてさて11施設を予定通り回れるのか自信を無くす始末です。

昼食時間を節約するために、12時前に着く予定の施設で昼食を準備して頂いていたのですが、12時前どころか12時20分に到着。説明が終わって昼食を頂いたのが12時40分でしたので、3人は10分で食べようと黙々と食べたのですが私は急ぐがあまりハンバーグに付いていたケチャップでカッターの胸の部分を汚してしまい苦笑いをしながら「次回昼食を頂く時はエプロンを自参します。・・・。」と自虐ギャグ。出発予定の13時には施設を出て時間は稼げました。

どうしても、15分の滞在時間では収まらず遅れがちの予定を事情を話して同一法人の施設を一つ省く事を了承してもらい最後の施設はしっかり予定通りに終了して、18時20分に我が法人の本部施設に着き、桜井部会長の車を見送り本日の強硬日程を終えてゆっくりお風呂に入り夕食をとると睡魔が襲ってきました。しかしながら、コラムの連続掲載記録を途ぎらすわけにはいかないので、寝む寝むですがコラムを書きました。リピーターの皆さん、もう限界なので見直しはしませんので誤字脱字があってもご容赦下さい。

昨夜の『かくた君を励ます会』は800人の参加で盛大に行われました

令和元年6月25日

17時に岐阜支部の施設訪問を終え、『かくた君を励ます会』が行われる岐阜グランドホテルに着き地下一階の会場に行き椅子が整然と800席並べてあるのを目の当たりにして、頭が真っ白になりました。だって、事前の調査では800人が参加してくれる事にはなっていましたが、本当に準備した分の参加者がきてくれるのかと・・・。

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若手の職員である21世紀委員会の方々にお礼を言うと共に檄を飛ばし、司会者との最終打ち合わせをしていると担当県議の高殿議員がおみえになり、全国介護政治連盟の久藤会長、全国後援会の大山会長、伊藤県議がみえて緊張感が一気に・・・。そんな時に「岐阜県が頑張っている」と聞き付けられた鹿児島の吉井先生までかけつけてくださり、その段階で開始20分前になったので会場の様子を見に行くと椅子席が半分位埋まっている状況に「大丈夫か」との不安がピークに。

そして再び控え室に戻り開始予定10分前に舞台へ来賓の方々を誘導して舞台から会場を見ると7分の入り。そして18時30分に会場が暗くなり、ロッキーのテーマ曲が流れてスポットライトが当てられた所にプラカードに先導されたかくた君が現れ、会場の参加者に握手をしながら会場の方の拍手に乗って練り歩き舞台中央へ。『想定以上の盛り上がりだ』と思っていたら、会場の後ろに予備に置いてあった椅子を持ち出して座られる方もいて『大盛況だ』。

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会者の進行で林副会長の開会宣言。そして仕掛人である私が主催者挨拶。いつもの事ながら、事前の原稿はなし。でも、私なりに精一杯のエールを送る内容と来賓と沢山来て頂いた会場の参加者へのお礼の挨拶をして、続いて来賓の挨拶を久藤会長、大山会長、野田聖子自民党県連会長(代理)県連会長代行の猫田県議、担当県議の伊藤県議て高殿県議に挨拶をして貰っていると、東京から駆け付けて下さった大野参議院議員に挨拶をして貰い、角田さんの決意を迫力ある話をしてくれました。

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そして、事務局からのお願いの後、頑張ろう三唱を長谷部21世紀委員長のリードで会場も舞台にいた者も一体になり行いました。800人が一斉に声を合わせて行った頑張ろう三唱な私は感動のあまり涙が溢れそうになりました。

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会場の熱気のなかオレンジの統一ジャンバーを着てくれた30人の若手職員、そして一時間あまり幟を持って頑張ってくれた10人の職員、受付をしてくれた職員、プラカードで誘導してくれた杉野施設長。みんなの力で盛大に出来た事に感謝して、いよいよ始まる選挙戦に向け気を引き締めていきたいと思っています。

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本日は朝からお礼の電話をかけました。何事も後悔の無いように出来る事をして、天命を待つ。いやいや、この選挙戦は負けるわけにはいかない。何故ならば介護の代表を国政に出さなければ介護の明日は無いと考えているから。リピーターの皆さん強制ではありませんがご理解ある方はご支援下さい。

 

いよいよ『かくた君の励ます会』です

本日岐阜グランドホテルにおいて『かくた君を励ます会』が行われるのですが800人分の椅子席を用意して「果たしてどれだけの参加者が来てくだれるのか」とか「雨が降って足元が悪くなるのは来てくださる方に申し訳ないな」等と考えていると朝早く目が覚め、我が家の仏壇でお経をあげ、スーツに着替えて施設に行き、荷物の確認をして、岐阜グランドホテルに行くのに時間があると思い、自分の高揚感を押さえる事も考え施設の仏壇でしっかりお経をあげました。ところで、本部施設の仏壇は設計の段階で私がわがままを言って仏壇の設置スペースを1間半(2、7メートル)にして頂きました。その理由は浜仏壇で三方開きにして、両サイドと天井にステンドグラスで製作してもらう特注にしたかったからです。その思いは仏壇も明るく楽しくなり、生活にメリハリがつけばと考えたからです。8時岐阜グランドホテルに集合で角田本人と岐阜支部長と共に施設へ後援会組織固めの挨拶回りをしています。1日で16箇所を回る強行軍。昼食はコンビニで購入したおにぎりやパンを移動中に食べなければいけなかったですが、食べる事が出来ただけラッキーと思っています。今(午後4時07分)最後の訪問先に向かってます。この調子なら、励ます会のある岐阜グランドホテルに17時までに行けそうだから、18時30分までに打ち合わせも十分できそうです。昼からは温度も上がり暑くなってきましたが、青空一杯になりましたので、励ます会が終了するまでは雨の心配もなさそうだから、励ます会が盛大に行われ、これを契機に『かくた』の名前が浸透して選挙戦に突入して立派な成績が出せるように支援していきたいと考えています。そう言えば昨日の携帯で撮った写真の中に、関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利宣言をした時に座ったと言われている石の写真がありました。本日その写真を掲載して、家康さんにあやかって7月21日に高らかに勝利宣言をして、美味しいて嬉しい酒が飲めるように頑張りたいと思いますのでリピーターの皆さんも介護業界の為に汗を覚悟でいる姿をご理解して頂ければ幸いです。2019062305320201 2019062305321101

今(午前5時08分)列車をとらえました。次の列車がまたきました(午前5時12分)

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今(午前5時15分)また貨物がきました。

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10分の間に3本の貨物列車が通過したわけです。2台目の列車は同じ緑色の荷台だったので同じ運送会社のものだったようです。一時はトラック輸送に押されていたのが、盛り返してきたようだと感じました。

さて、昨日は若山家の氏神様である若宮神社で戦勝祈願をしたので、本日は体力温存の為に歩かないでおこうと考えていたのですが、目を覚ましたのが4時40分で天気も良いので「起きるべし」で「えいやー」と起き、本日は地域の氏神様である青坂(せいばん)神社から妙応寺に行き、若山家のお墓にお参りするコースに決めて歩き出し、青坂神社の急な山道を歩きながら小さい頃の事を思い出しました。

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この山道は線路を渡ってその当時あった公民館に行くのは子ども逹が危ないとつけて下さった道だな。子どもの頃は飛ぶように下りれたのになどと思いましたが、急で危ない所には丸太の木をさりげなく手すりのように置いてあったりして、思わず「今須の方は思いやりがあるな」と思ったりして・・・。

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若山家のお墓でしっかりお経を唱え、そのまま、我が家に帰るには想定した時間より早かったので、少し大回りすることにして、我が家の田圃の状態をみると言うコースに変更。鹿避けのフェンスを開けて入って行くとほとんどが休耕田になっていて草も刈ってないので背丈ほどになっていて、我が家の田圃はお世話をしていただいている方がみえるので草は刈ってあり、果樹の木を植えてもらっているので、隣の田圃に迷惑をかけてはいなくて「ほっ」として。

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ここまで来たなら違う踏み切りで帰ろうとして、お地蔵さんが安置されていたので、

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坂を下りて行くと『地獄谷』の大きな石碑があり、いつかはこの言われを調べてみたいと思いましたが、「今は角田君の事で全力だかね。」

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そして、踏み切りを渡り、国道21号線を横切り、民家の間の小路を抜けるといつもの旧中仙道に出て、

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関ヶ原町が設置した文化財の看板をじっくり読むと、『問屋場』がかなりレベルの高いものであったり、

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今須宿には本陣が一つ、脇本陣が二つあり、国境として栄えていたことがわかりました。

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と言う事は、明治の始めに将来を見通せる方がいたら素晴らしい街造りがが出来たのではないかと思いました。しかしながら、もし栄えていたらひょっとして私は饅頭屋のおやじになってあたかも・・・。決して饅頭屋の親父が悪いのではなくて、生き方が変わっていたかもと思うと楽しいなと言うお話でした。

夏至の日の朝早く(午前4時52分)歩きました

令和元年6月22日

明後日6月24日は『かくた君を励ます会』があり、明日が行けるかの確証がないのもあり、本日朝イチで戦勝祈願に若山家の氏神様である若宮神社に散歩も兼ねてお参りしました。今須平井地区にある若宮神社は私の母方祖父(母秋江の父親で春吉さん)生きていれば、私の母秋江さんは大正9年生まれだから99歳で母秋江は末っ子で一番上の姉は20歳上だから生きていれば119歳、その父親だから21歳の子として140歳だから春吉じいさんの父親が若宮神社創建に尽力したので(つまり、150年位前なのかな)『若宮神社』の一文字『若』を頂いて『若山』と言う名字になったと聞いてます。私にとっては力の源である若宮神社。きっと良い結果を導いてくれると確信してます。

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(神様に対してめっちゃプレッシャーかけとるな)戦勝祈願を終えて、聖蓮寺でお経をあげようと歩いて行くと石垣の上に私が前回の散歩の時に落としたタオルが置いてありタオルの上に風で飛ばないように石が置いてある。

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私は思わず「ありがたいな」と手を合わせました。何事も目標持って行った方が形になると言う事を改めて知ったのは、歩いている時に「1・2・3」と数を数えながら歩くと歩くスピードも早くなるし、歩幅も広くなることがわかりました。そして、その時、中学2年の時のマラソン大会の出来事を思い出しました。それはスタートダッシュ宜しく思いきり走り、後続者にどんどん抜かれ、バテバテの時に自転車でしばらく並走して下さった担任の先生によってペースをつかみ、先生が「次の電信棒を目指せ」と言われ、次々と電信棒を目指して走って行くと自分のペースがつかめ、ラストスパートがかけれて10人位をごぼう抜き出来てゴールしたことを思い出しました。そして、午前6時02分に散歩から帰ってきました。本日の散歩での歩数は6345歩です。歩数的には大した事はありませんが、確実な歩みが出来ました。毎日は歩けませんが歩いた後の爽快感は最高ですので、無理のない程度に朝イチの散歩は実行したいと思います。そして明後日の『かくた君を励ます会』を沢山の参加者に助けられ無事に終えて、7月21日には早々と美酒を飲みたいと考えています。リピーターの皆さんも協力お願いします。

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EPA介護福祉士候補生

インドネシアから昨夜185名が豊田の研修所に来て、本日入校式が行われ当法人にも二人の23歳の女性が来てくれる事になっているので入校式に出席してきました。インドネシアから着た来賓の方が「今回来た185名の介護福祉士候補生は沢山の応募者から選ばれた優秀な方逹なので、この研修所で半年間、日本語、日本の風土、介護の基礎をみっちり学び、それぞれの施設で実践を学び、三年後には全員が介護福祉士に合格するように頑張ってほしい。」との挨拶に185人が声を合わせて「頑張ります」との元気な対応には感動しました。約1時間の入校式が終わり、当施設に来てくれる二人の子との面談が企画されていて、二人ともに、昨日の長旅の疲れをみせる事なく、一生懸命色々な質問をたどたどしくではありますがいっぱいしてくれました。『たどたどしく』などと書きましたが半年しか日本語の勉強をしてないのに話が出来るのには感心するばかりです。勿論異国の地に来た不安は一杯いっぱいあり、時には不安げな顔をするので、その都度「当施設には多くのインドネシアからの先輩がいるので安心して、わからない事は聞いたら良いよ」と話をしました。二人には法人で作った施設名が入ったキャリアファイル、ボールペン、ペンライトと、お菓子をプレゼントするととても喜び、逆に二人から施設へのプレゼントを貰い、玄関先で記念写真を撮り、私の車が見えなくなるまで見送ってくれました。ベトナムの留学生もそうだったのですが、一生懸命さが全面に出ていてめちゃ爽やかな気分になり、三好インターから高速に乗りしばらくすると事故渋滞に巻き込まれ、私は走行車線を前の車と間隔を開けてゆっくり(多分時速10キロ位で)走っていると走行車線でない、サービスエリアに入る車線を勢いよく走っていく車に苛つきながらも冷静に運転してサービスエリアから本線に入るところで無理矢理入ろうとしている車で大渋滞。私の車の前に無理矢理入ろうとする車の主は運転席側の窓を開けてタバコを持つ手を窓から出して当たり前のように前に出て・・・。私は日頃は間違った事には厳しい対応をするのですが、車の運転は『事故をするよりましだ。』で紳士的な対応。2キロ程ノロノロ運転で行くと、追い越し車線上でトラックとワゴンの事故現場で、追い越し車線を規制しているのがわかるところに来て、右側の車が走行車線に入ってくる中でルームミラーで後ろを確認するとギリギリの所までスピードを落とさず追い越し車線を走ってくる車が・・・。「どうやって走行車線に入るのか」と思っていると、頭の部分だけぶつかっても仕方がないようにして入れてくる。『ぶつかってから遅いのに』と思っていると何台もそんな車が・・・。日本が平和ボケしているのかなぁ。そう言えば今朝5時から歩いた神社の狛犬の口に手を入れて根性を正して欲しいと思いました。そしてまた、歩いていて我が家の南側の田圃を見てびっくり。何故なら全て田植えがしてない・・・。これで、日本の食は大丈夫なのか。などと嘆いていても仕方がないけど、今日お会いしたインドネシアの子とのギャップがありすぎだな201906211636120120190621163358012019062115130501201906211420410120190621054321012019062105161401

大谷徹奘さんの『今日の言葉』で成功のカギは「予」がつく言葉。予習・予測・予想・予備・予定・・・・・。

令和元年6月20日

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事務所にかけてある徹奘師のカレンダーを毎朝宿直者がめくってくれるのですが本日は垂井町役場で今年の統一地方選で新しく代わられた町長さんに9時30分にお会いする約束があり、朝早くから色々な思いを描きながら考えていて、8時45分に事務所を出るときに何となく、今日の格言をみたら表題のようだったのでしみじみ思いました。26歳まで予習など一切した事がない私が、諸般の事情があるからとは言え予め戦略を練っていた事には意味深いものを感じます。町長さんとの話し合いには「今後の対応をしっかり進める為に副町長も呼びます。」との町長さんのご配慮で人数も多いからと町長室の隣の会議室に場所を移動して行われました。

先ずは理事長である私が盲養護老人ホームの新設の必要性と養護老人ホームの全面改築の意義について説明すると共に今までの経過報告をしました。朝早くから話の内容の整理をしていたので、自分で言うのも変ですがスムーズに話す事が出来たと思います。しかしながら、前町長との引き継ぎがあまりされてないようで、改めて当法人側が入手している資料を提出していく事により、具体的に計画を進めていく建設的な話し合いが出来るスタートが切れたと思います。ある程度は『予測』していたので引き継ぎが上手く出来ていない事は腹の中に入れていたので、冷静に話し合いを進める事ができました。『予備』的なものとして今の現状を打破する副案を持ち合わせていたので、次回の話し合いが円滑にいくような形で話し合いは終了しました。

勿論これからしなければいけないことは沢山あることは承知してます。だって10億円のプロジェクトなんだからそれは覚悟の上です。徹奘師の教えを持って挑めたので上手くいったとも考えられるし、家を出る前にお仏壇に手を合わせ『文殊菩薩様』『不動明王様』にお願いしたし、自分一人の力では決してないと思っています。でも、私はつくづく思うのですが、私のご先祖様は私がいっぱいいっぱいお願いするので大変だと思うのですが、願いを聞いてもらえるのはみんなの事を思ってお願いしているから聞き入れて下さるのだと思っています。と言うことはラッキーではなく、必然なのかもと勝手な考えを書いてます。リピーターの皆さん。今はやらなければいけないことがいっぱいあって理路整然とした文章で無いことをお許しください。

 

 

介護の代表の角田君を励ます会が6月24日に岐阜グランドホテルで開催されます

本日13時30分から岐阜県老施協正副委員長会議があり、その後岐阜グランドホテルに移動して6月24日に開催される『かくた君を励ます会』の最終打ち合わせをしました。打ち合わせに立ち会ったメンバーで「どのように盛り上げるか」を話し合いながら打ち合わせをしていると、だんだん過激になってきて、例えば「若いスタッフが同じジャンバーを着た方がいいのでは」とか「角田君の入場では名前を書いたプラカードで誘導して貰おう」とか「若い職員に角田君の幟で賑やかに歩いた方がいいのでは」との意見が出たら「だったら、スポットライトで照らした方が良いのでは」との提案があったら「角田君のテーマソングを流すべきだ。」と言うことで、角田後援会に連絡すると『ロッキーのテーマソング』を宇都宮の大会では流したとの事で、その事を話すと同席していた副会長が「準備します。」との言質を貰い『瓢箪から駒』のように次から次に話がまとまりました。このわくわく感がみんなに伝わったら、きっとおおぜいの支援者が参加してもらえると思います。どうしてこんなに一生懸命熱くなるのかと言うと『介護を守る為に背水の陣』で宇都宮市会議員を辞し、特養の施設長も辞めた角田君が参議院議員として44歳の若さで暴れまくり介護を守る為の礎となって貰う為に我々が出来る事を精一杯やるしかないと考えて、『出来ることは全てやる』との思いでいます。選挙に挑む我々は素人集団ですが、岐阜県で立派な成績を出して、角田を立派な政治家に育ててこの介護の業界を磐石にしていきたい。これは、単に我々の業界の欲得ではなくて、社会保障のセーフネットを守る事だと信じています。リピーターの皆さんも私のこのコラムを見て賛同して貰えるなら、6月24日に岐阜グランドホテルに18時30分に集合してもらえたら嬉しいです。

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