老いを感じるエピソード

昨夜は18時30分から東海北陸の役員と福井県のメンバーとの交流会があったのですが、当法人の職員が11人も参加していたので、交流会を一時間で退席し法人職員がいる居酒屋へ乱入しました。私が大きな声で話をしていた為か、隣のグループから声がかかってビックリ。その団体は飛騨支部にある大きな法人の方々。当法人も居酒屋タイムを終えてカラオケに行き歌いしゃべり。カラオケタイルは一時間半で切り上げホテルに向かおうとするとホテルのネオンは道を挟んで目の前だったので、(お待たせしました。ここからが本題です。なかなか入らずにすみません。)車も来ないし早く部屋に行って寝たいと言う気持ちが強くて、尚且つ酒の勢いもあり、思わす向かい側に向かって渡りだしたのです。向かい側まで直ぐだと思って渡りだしたのですが、これが以外と広い通りで(ホテルの12階の部屋から今確認すると、片道3車線の6車線で尚且つ真ん中に市電の線路がありました・・・。)なかなか向かいにたどり着かない。そしてつくづく感じたわけです。向かいまで直ぐだと判断したのは老いからか。機敏に歩けないのも老いか。取り敢えず今はホテルにいてコラムを打っているのだから良かったですが、無事な内にしっかり反省して若い頃の俊敏さはないのだから、尚且つ酒が入っていたら余計に機敏さはなくなるのだからと今は反省しているのですが、まだまだ反省が生かされないと言う事は「お主まだまだ青いぞ」と言う事はまだまだ老いてないと言う事か。本日は9時30分からの分科会に参加して(人材の分科会)12時に終了して法人職員総勢11人で福井市内のくるくる寿司で昼食を頂き、一路施設に帰り、後2日しかない選挙戦の状況を確認をしに自民党岐阜県連に行き、今は(午後6時05分)は早々に我が家のお風呂に浸かりながらコラムを携帯に打ち込んでいます。本日はこれから体を癒しドキドキの選挙結果を待ちたいと思います。投票は首を縄で縛り強要しながらするものではありませんので、天命を待つ心境でいるのですが介護業界を守る事は国民の安心を守り事。私なりに精一杯に頑張りましたので今日はしっかり寝て、明日の活力をつけたいと思っています。

東海北陸ブロック研修参加の為に福井に来てます

令和元年7月18日

今朝も5時30分に目が覚めたので、昨日同様に歩こうとしたのですが、本日は職員の車に7人が乗って施設を9時に出発する事になっていたので、流石に90分近くを歩くのは色んな意味で無理だと考え、逆転の思考で「だったら、久しぶりにウォーキングマシンに乗って仏壇にローソクと線香を手向けてお経をあげながら30分だけ歩いて、お風呂に入り7時30分に朝食を頂いて家を出れば丁度良いと考えていたら、いつもの口癖通りに『予定は未定であり決定ではない』の格言通りになりました。と言うのも着替えをしていると和歌山県の松本君から電話で、選挙の事を一生懸命に話をしてくれるのでなかなか電話を切ることが出来ず、取り敢えず着替えを終えて慌てて(でも安全運転です)施設に行くと私以外の職員が私を迎えるように玄関先にいて、荷物の入れ替えをして手土産を積んで直ぐに福井に向けて出発。途中で強い雨が降る事もありましたが順調に走り、私は助手席で選挙の最後のお願いをずっとしていて(後から後悔したくないから出来る限りの事を最後までする覚悟です。)10時10分になった段階で宿泊先に荷物を置いていく事は諦めて、運営委員会が11時からある会場に車を着けて貰い会場入りするとあちらこちらから声を掛けて貰い運営委員会が開かれる会場に行くと本日の大会長である福井県老施協の皆川会長にご挨拶。しばらくすると石川県の久藤会長がおみえになったのでご挨拶すると「夏祭り用に菊姫1樽手配しましたよ」と言われ恐縮しごく。運営委員会は定刻の11時に始まり、いつもの事ながら意見を言わせて頂いたりしましたが無事に終了し昼食を頂き13時30分から開会式、基調講演、記念講演と無事に終了して今は職員の車で宿泊先のホテルに着き部屋でコラムを打っている次第です。本日のコラムは本日の経過報告のみで申し訳ありませんが、「昨年8月22日からの連続更新を切らしたくない」の思いで懇親会の18時30分までに完成させたいと言う事で必死に打ってます。勿論今年の8月22日を持って更新しないと言う事ではなくて、私の存在がある限りは更新し続けますのでリピーターの皆さん今日はこんな内容ですがご勘弁頂いて。でも、色々なバリエーションがあって良い等と都合の良いことを言ってますが時間がないのでここまで・・・。一体私は結局何が言いたかったの・・・。もう時間がないから本日はここまで・・・。ここまでと2回書いた。いやいや3回目だ。何のこっちゃ、こんなこっちゃ。

盲養護老人ホーム及び養護老人ホーム建設に向けての考え方

令和元年7月17日

盲養護老人ホームについては全国47都道府県の内、岐阜県の他に富山県、鳥取県、沖縄県の4県のみ施設設置がされてない状況であり、社団法人岐阜県視覚障害者協会の会長さんによると、ここ20年来、岐阜県に対して盲養護老人ホーム建設に向けての陳情をしてきたが未だ設置されていないとの事です。4年程前に岐阜県高齢福祉課から岐阜県老人福祉協議会の方に設置依頼の打診があり、設置主体となる法人がないか検討していたのですが、全く手があがらない状況の中、本来であれば岐阜県で1施設であれば岐阜市がベストではないかと検討しても見つからず、岐阜県老人福祉協議会会長としてそのままにしておく事により『安心・安全』が守られないのは駄目だと言う判断の中、当法人の理事会・評議員会の了承を得て計画をすることにしました。

私が理事会・評議員会の了解を得る為に話した事は、家族単位が小さくなり、地域の関係も希薄になっている状況の中、喫緊の問題としてクローズアップされているのが『8050問題』です。8050問題とは80歳の親が50歳になる閉じこもりの子の面倒をみている事です。また、当法人の本部施設には全盲の職員がデイサービスの職員としてマッサージ業務をしていますが、本部施設には敷地内にアパートがあり、入居者と同じ食事を提供する事が出来、入職前にジョブコーチによるトレーニングにより、生活できる環境を確立する事ができたのですが、なかなかこのような環境を作ることは難しいのが現実で、自立した生活環境を担保出来ない状況があります。また、視覚障害があった方が親の援助を得て生活されていた、その親が子どもの対応が難しくなる年齢になっている方が多くみえる現状を理解し対応する必要性を訴えました。

安心した生活を送る権利は誰にでもあります。株式会社であれば収益をあげる見込みのある事業には積極的でも、そうでない事業には見向きもしない。社会福祉法人が株式会社と同じ感覚で事業をすべきでない。勿論、事業として全く成り立たないものをやるべきでないとの考え方もありますが、事業として特養が2施設あるスケールメリットと養護との連携により経営が出来る方策を実践しながら頑張りたい。奇しくも、昨日、お隣の町である米原市米原において文字通り「老老介護」で要介護者の夫が要介護者の妻の喉を刺して奥さんを殺したとして逮捕されたとの記事を見つけました。お隣の町の事件だけに悔しくて仕方がありません。改めて『安心・安全』な町造りに貢献していきたいと強く思いましたし、その為にも盲養護老人ホーム・養護老人ホームの計画を力強く進めていきたいと思いますので今まで以上のご支援を宜しくお願いします。

 

祇園祭りの『ちまき』のニュースに思う事

祇園祭りで『ちまき』に似せたもの(本物のちまきなら一年間飾ることは不可能だと思うので、敢えて『らしきもの』と言わせて貰いました。)を縁起物として買う慣習をテレビのニュースで報道していました。そのニュースの中で、購入するのに数の制限はなく、16時まで販売している。との報道の後600円から1000円で売られているものをインターネットで3000円前後での販売提示がされているのに対して物議を醸しているとの事でした。インターネットオークションで買う人があるからの行為なのですが、その事に対して私なりの考えを述べます。確かにインターネットオークションで買った人も、祇園祭りで必死な思いで買った人も玄関先に飾ると言う行為は表面的には同じでも、わざわざ京都の祇園祭りに行って購入した人の思いなり祈りの気持ちには計り知れない違いがあると思います。その事と対比するのは全く違うのですが、四国八十八ヶ所で歩き団参をしている時に八十八ヶ所のお軸の判を頂くのを車で何十本と持ち込んでいる方をみかけます。恐らくそのお軸は販売目的だと思うのですが、一歩一歩歩いて判を頂かれた方の思いとは雲泥の差があると思います。確かに歩く事が難しい方が、バスやタクシーを使われてでもお参りされることを否定するものではありません。但し、自分の足で歩き一番一番札所を訪れ朱印を押して頂いたのは一番一番の思い入れがあり、床の間に同じように飾ってあっても意味合いが全く違うと思うのです。私は八十八番の中でも十一番の藤井寺から十二番の焼山寺の山越えが一番好きです。歩いているときはもう一山向こうまで歩かなあかん。めちゃめちゃしんどいな等と考えていても、焼山寺の山門が見えてくると足が軽やかになり元気になるのは何回歩いても同じ。こんな時自分の力だけで歩いたのと違うなと言う感慨深いものは歩いた者にしか味わえない感覚。「もう歩けない」と思いながら歩いていると自分のいたならなかった事が頭にもたげ、『これぞ懺悔』と思う瞬間。でも、日常生活では味わえない事だからこそ価値のあること。ちまき一つの題材でいろいろな事を書きましたが、結局のところ単なる仕事としてする事と思いを持ってするのでは全く違うと言う事が言いたかったのです。リピーターの皆さんこれからも誠心誠意の頑張りでやるべき事をしていきますので多大なるご支援を宜しくお願いいたします。

夏祭り2

令和元年7月15日

本日、本部施設で17時15分から経営戦略会議が行われるのに合わせて8月3日に行われる夏祭りの最終打ち合わせをすると決めて、実行委員長の伊藤係長をオブザーバーで夜勤明けにも関わらず出席させました。最初は各幹部からの提案をして貰い、不十分な点について、びわこ学院大学の烏野教授、副施設長と私が指摘をしながら会を進めていきました。各幹部がそれぞれの立場で資料を作成し、確かに積み重ねてきて今があると思っています。平成10年に事業開始した時は、施設見学に来た方々にすら挨拶が出来ず「どうして、挨拶をしないの」と聞くと『当然でしょ』とばかりに「忙しい」の連呼だったし、背丈にまで伸びた川辺の草を刈るのも私の仕事。冬場の除雪も私の仕事で(あの頃はめっちゃ降りました)職員によっては除雪したばかりの所にすっと車を入れて挨拶もせずに施設の中に入っていくのもいて・・・。しかしながら22年の積み重ねの中で施設外の仕事で留守をすることが多い日々ですが『平安之福』でいられることにしみじみありがたいなと思っています。私が『趣味は何ですか』と聞かれて『仕事です。』と迷うことなく言えるのも、今の状況があるからだと思います。施設が落ち着くのに3年を費やしその後は『地域の為に何をすべきか』『入居者さんに笑顔でいて貰うには何をすべきか』『家族の安心の為に何をすべきか』を考えながらの日々を過ごさせて貰った事により、今の状況が出来たと思っています。贅沢は言えません。自分の責任のもとで考え実践してきたのだから。今でも、小さい頃の虚弱で対人恐怖症の私がこんなでいるのを、中1で他界した母秋江さんが今現れたら仰天するのか失神(死んでいるので失神はないか)でも、きっと喜んでくれると思います。だって病気もせずに元気に飛び回っていて地域の為に汗をかいているんだから。母親だけでなく父親にもなんの恩返しが出来なかった分、入居者さん、利用者さんを親だと思って毎日笑顔を引き出す為に頑張りますので、リピーターの皆さん父親、母親同様に見守っていて下さい。

✳今は22時17分で、宿直者は寝てますのでこのコラムのアップは朝イチになりますが連続更新は出来たと言う事をご理解下さい。

新人職員に『喝』と再認識

最近一生懸命の中で失敗をした職員が元気なく落ち込んでいるとの報告を受けたので、遅出勤務の出勤時に会わせて別室で話をしました。

最初は何を言われるのかと緊張してたので、「失敗してから元気がないとの報告を受けたが本当か」とストレートに聞くと元気なく「はい」と答えたので、「仕事着の上下が黒だというのに表れとるな」と話しすると「どういう事ですか」と聞いてきたので、「格好からして私は元気がありません。と言っているようで、入居者さんに失礼だぞ」と言ってから「失敗はあってはならないけど、失敗を糧にして素晴らしい介護職員にして貰うんや。つまり、失敗した事を繰り返さない事で、入居者さんに恩返しするしかない。」と言うと大きく頷いたので思わず私は「私の今日の服を見て見なさい。背中には大きな鯛が描かれとるやろ。この絵を見た入居者さんはその事を話題にして話が弾み、お互いに元気を貰うんやぞ。」と話をして、「デイサービスの北島部長も失敗したり、やっていることが上手くいかなくて落ち込んでいる時に、今と同じように話をして今があるんや。勿論私も入居者さん、利用者さんからいっぱい教えて貰って今があるんだよ。」と話しして、勢い余った私は「私がこんなに話ができたり、色々な場面で動けるようになったのも、色んな失敗の中から学んだからや。中学生までの私は対人恐怖症の赤面症で失敗を恐れて何も出来ない子だった。高校生になりいっぱいいっぱい失敗したけど失敗を恐れず行動した事によって色々な事が学べた。勿論失敗した時は迷惑もかけたけど私に代わって謝ってくれた父親がいた。今回の失敗についてはフロアの責任者もカバーしてくれて事なきだったわけで成長の糧にしなさい。」と話ししている内に職員に目力が出てきたので、「今日から今まで以上に大きな声を出してフロアを明るくしてな」と話しして元気にお礼を言って指導は終わりました。

真面目だからこそ悩み苦しむ。その中で私を含めた職員は人生の大先達との関わりの中で成長させて貰える。何て素晴らしい仕事なのかと職員指導の中で改めて思いました。いやいや、指導したのは私ですが指導する側が教えられる事がいっぱいありました。そして、強く思ったのは『お世話させて頂ける事に感謝』と言う事でした。一生懸命に生きている事にも感謝です。リピーターの皆さん、こんな日々を頑張っている施設に来てみて下さい。

夏祭りのことがようやく書けそうです

夏祭りの事を題材にすると決めてから既に何日かが経過してしまっています。

確かに夏祭りを題材にしようとして書き出しても途中で話題が外れてしまい、書き直して全く違う内容になってしまっていたからです。今日は絶対に初心完徹で書きますので宜しくお付き合い下さい。

本日10時に児童指導員をしていた頃からお世話になっていた方が多分10年ぶりに施設に来て頂けると言うので、待っていると10年前と殆ど変わらないようにして、おみえになりました。おみえになった理由は幼馴染みのご主人が認知症で大変だとの相談でした。大体の話を聞いてから施設見学をして貰い、その後再びお話を伺っていて「立派なお仏壇を見たい」と言われたので会議室2から入って貰おうとして、一瞬躊躇しました。何故ならば夏祭り用の品物がところ狭しと置いてあったからです。でも、隠す事なく事情をお話してところ狭しと置いてあるところから入って貰う事にしました。

そして、8月3日には例年焼きそばは700食を大きくて分厚い鉄板で炭火では追い付かないのでプロパンで作るのですが、17時からの開催ですが開始と共に焼いていては追い付かないので15時30分から汗びっしょりになって焼いて貰うし、ネギマも1000本を焼いて貰うし、その他にも30種類位の模擬店を実施するし、ヨーヨー釣りや金魚すくいや輪投げなどで楽しんで貰える企画やパフォーマーによるバルーンアートや玉乗り、砂田おさむによる演歌ショーに和太鼓の特別出演と盛りだくさんで、入居者の家族は入居者と一緒に模擬店を楽しんで貰えるように人数に会わせたテーブルを用意する事もお話しました。そんなお話をひとしきりしてから仏間に案内すると一軒半のスペースに収まっている仏壇に驚かれたので、「三方開きだから一軒半のスペースが必要なのです。」と言いながら正式に三方に開きました。そして、天井には西国浄土に行く龍を両サイドには昔の楽器をステンドグラスで長浜の黒壁館のデザイナーに作って貰い、彫り物は醒ヶ井の奥に行った所にある彫り物の里の方に作成して貰いました。とお話すると四人の方がそれぞれに感心感動されているのが伝わり、「この仏壇で幸せを頂いて貰えた。」と思うと、24年前の無茶な思いが今に生きているとしみじみ嬉しくなりました。

さて、私は正直会議室2があのような状態とは知らなかったのですが、フラフラになるまで私が外部の仕事をこなしている時に、着々と8月3日の夏祭りの準備が進んでいることに感謝すると共に、21日の参議院選挙が終わってからは私も夏祭り一色のモードでいきたいと改めて気合いを入れました。

リピーターの皆さんも良ければ頑張っている姿を見に来ていただければ嬉しいです。

北島部長笑える話だけど納得いかんことは追求しろよ

昨日、私の都合で(岐阜での対応があり)

全国老施協の総務・組織委員会の四者会議が15時30分からの開始になり、(みんなに迷惑をかけなくて間に合いました)四者会議後の会食の予約を17時30分にしていたのですが、丁寧に議論したので、結局委員会が終了したのが18時20分で、委員会終了後タクシーでの移動だったのですが、東京と言う所は雨が降りだすと途端にタクシーが拾えなくなるところで、結局森岡副委員長の機転でずっと手前でタクシーを確保(出来る男は違う。流石に徳島県商工会の副会頭だ)してくれて、結局タクシーに乗ったのは18時45分で時間が遅れる連絡はしておいたものの料理の都合もあると考えてタクシーの中から携帯でお店に連絡したつもりが施設で管理宿直をしていた北島部長につながっていたのに、予約しておいたお店だと思い込んでいる私は「岐阜の若山ですが、今タクシーに乗ってお店に向かっていますので、後10分位で着きますので料理をある程度作っておいて下さい。」と一方的に話をすると、北島部長が(この段階では北島部長と私は思ってない)要領を得ない話し方なので(私は若いお店の職人だと思い込んでいるので)「とにかく大将に伝えといて」と言うと北島部長は何の事かわからないまま「伝えときます。」と答えたので携帯を切って何となく変な対応だったなと今かけた番号を見てびっくりです。それは本部施設の番号だったのです。だから慌ててもう一度施設にかけ直して、「ゴメンごめん」と謝りつつ、「例え理事長からの連絡でも変な内容だと思ったら聞き直せ」と話しして、つくづく思いました。最近インドネシアから来た介護福祉士候補生が、意味をしっかり理解もせずに返事をしてトラブル事があるとの報告を受けていたので、立場変わればそういう言う事になるのだと。北島部長の場合は「みんなに確認してもう一度連絡するつもりでした。でもびっくりしました。」との事。疑問に対して直ぐにアクションを起こそうとしたのは流石ですが、もう一皮むこう。と言う事で

本日は10時から岐阜都ホテルで老施協の正副会長委員長会議と午後からは17時まで研修があるので5時30分に起きてお風呂に入り7時発の新幹線に乗りもうすぐ岐阜羽島です。くたくたな状態ですが10時から岐阜県老施協の正副会長委員長会議で13時から17時までは徳島県の枡田さんの処遇改善の研修です。良く学び良く遊べで頑張ります。 しかしながら、趣味が『仕事』とは言っていますが流石にハードです。リピーターの皆さん頑張っている宏君に絶大な拍手をお願いします。

一粒の米粒と四国団参でのお醤油のお話

令和元年7月11日

朝食を頂いていて、食べ終わったと思っていた自分の茶碗を見て、一粒の米粒が残っている事に気が付き、お箸で摘まんで食べました。その時に思い浮かべたのは、一粒の米も田圃を耕し、水を入れ籾を撒き、田植えをして、肥料や水の管理をして、頭が垂れるまでに育てて稲刈りをして、最終的に精米をして、米をかしお米を炊いてようやく茶碗によそってもらって、はじめて食べる事が出来る。一粒の米もみんな同じようなプロセスをたどっているのだから大切にして、感謝の気持ちを持って頂くのは当たり前。そんな事を考えている時にふと、滋賀信行会青年会に所属していた20代の時に四国八十八箇所巡礼の歩き団参で小学生から高校生を中心に60人位の団体の責任者を現滋賀信行会会長の内藤と一緒にさせて貰った時に宿坊で夕食を頂いている時に、多分小学4年位の元気な男の子が、おかずに並々とお醤油をかけた時に私はその男の子に、「自分でかけたお醤油は全部飲みなさい。」と言うと「そんなん飲めへん」と平気で言ったので、「米1粒、醤油1滴でも、あって当たり前と思うな。そのことがわからんのなら全部飲め」と言うと、「これからは気を付けます。」との事で、参拝中の食事の時のかけもののかけ方はそれ以降めちゃくちゃ慎重にお互いに声掛けをしてかけていたのを思い出しました。こんな事を思ったのは角田君の参議院選挙も一人ひとりへの誠意ある声掛けにより一票一票を積み重ねていくのだと感じているからかも知れません。本日は11時から参議院岐阜選挙区から出ている大野候補の岐阜県老施協主催の会があり、各支部長さんが一生懸命に声掛けをしていただいたお陰で大勢の方が集まってくださり、無事に終わり、今は15時30分から東京本部事務所で行われる『総務・組織委員会の四者会議に出席するために今は列車の中です。昨夜は家にバテバテで帰ってからコラムを打つことになり、大変な思いをしたので(泣きながら)本日もこれ以降の時間は会議後に役員だけでの食事会もあるので、ホテルに着いてからのたうち回るのはいやなので、新幹線の中でコラムを頑張りました。(追記)午前の会の時、大野候補のお母さんとご挨拶すると、「会長さんとは一度お会いしてますよ」と言われ「参議院会館で中村先生とお会いしましたね。」と言うと「10年位前ですね」と返されて、大野候補のお母さんは流石に元参議院議員だけに記憶力抜群と舌を巻きました。私も80歳を越してこの記憶力でいられるのでしょうか。もしそうだったら『矍鑠』と言う言葉が似合う人間でいられるのですが・・・。

バテバテで何も浮かばないので8月3日の夏祭りのイメージを書きます。

令和元年7月10日

あと24日で夏祭りだと言うのに諸般の事情で本日も7時40分に家を出て中濃支部長の案内で中濃支部の施設を回ってきました。どの施設も岐阜県老施協会長の私が来ると言うので有り難いことに歓迎して貰いました。12施設を9時から18時の9時間かけて、しかも、時間短縮の為に、昼食は施設の試食をさせて貰いながら。全ての訪問を終え中濃支部長の施設を出ようとした時に本部施設からメールが入り、利用者の請求の決済をして欲しいとの内容に、明日は午前中は参議院選挙の応援に出掛け、終了後直ぐに岐阜羽島に行き東京での初めての『全国老施協の総務・組織委員会の四者会議』がありそのまま東京で宿泊して、次の日は東京を7時発の新幹線に乗り、岐阜都ホテルで岐阜県老施協正副会長委員長会議に出席して、午後からは引き続き都ホテルで研修会が17時まであるので丸2日決済を延ばすわけにいかないので19時過ぎに施設に戻り、約300枚の決済印を押して、事務長と打ち合わせを終えて家にたどり着いてお風呂と夕食を済ませると21時30分。この段階で8月22日から連続更新しているコラムが書けて無い事に気が付きましたが、頭が空っぽで題材すら浮かんでこない。頭に浮かんでこないと余計に頭は真っ白。ここは、何も考えなくても出来る8月3日の夏祭りを題材にすれば少しは原稿らしくなって来るのではと居直った原稿にしてしまおうと考えていたら、だらだらと原稿を書いたら630文字が書けましたので、表題の夏祭りの原稿でみんなが盛り上がって貰いたいのはやまやまですが明日に譲って明日書きます。とりあえず今日のコラムはクリアと言う事で。(今日の格言「コラムは継続更新に意義があり」・何がカクゲンや)

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