申し訳無いことに本部施設で疥癬を出してしまいました

ショートステイで明らかに疥癬だとわかっている利用者さんを家族介護が難しく疥癬では病院に入院をさせてくれる所等ないと言う事で本館開設2年目で疥癬をだし、その時の経験を生かしてひろげる事なく治癒させるノウハウがあると思いお受けして、その利用者さんは治癒に向かっているのですが、他の入居者さんに疥癬を出してしまう結果が判明して正直、責任の重さと体制上の不備の現状に夜も眠れず血圧が高い状況が続いています。そして、本日は責任を感じて一生懸命に居室の清掃をしてくれている二人の部長を事務所に呼び「清掃をしてくれている事は承知しているが、体制上の問題や職員の考え方と意識を変えていかないと恒久的なものにはならない。抜本的な見直しと意識改革をしていかなけれは、同じことの繰り返しになり、施設の資質向上にもならない。」と話をして、清掃を委託している会社の社長さんにも来て頂き、全館の現状を見て回りその結果を基に今後の体制での短期対応と長期的対応について話し合い、職員の意識を変えていく為の計画について検討しました。今までの私であれば今回のような問題が起きた時は私が阿修羅のようになりふり構わず機関銃のように話をして即行動に移して実施してきたのですが、今回は短期的には清掃業者に委ねると共に職員が意識をして行うべきものについて私自身理事長としての不充分性もさらけ出し方向性を決めていきました。正直このやり方が良いのかどうかはわかりませんが寝ずに考えた結果なので職員の意識変革を信じて実施していきます。疥癬を出したのは誰の責任だと犯人探しをするものではなく、一人ひとりが清潔に心がけ、それぞれの立場で出来る事をしていく事が肝要だと思っています。改善策の結果が出るには短くて2週間、長くは永久的だと思いますのでしんどい話ですが、全職員が統一性を持って頑張らなければ上手くいかないので結束を高めてしっかりしていきたいと思いますので、リピーターの皆さん客観的にしっかり見ていて下さい。

手術をして丁度1カ月が経ちました

令和3年2月5日

1月4日に名古屋市立大学病院に左目の黄斑円孔の手術をする為に入院をして、翌日の5日に手術をして貰って早や1カ月経ちました。コロナ感染症対策の一貫で手術日に家族もいなくて、看護師さんに車椅子を押して貰って手術室へ。手術前の先生の説明では「約30分程度」と言う事だったのですが、実際には長~い時間がかかった様に感じたのです。『感じ』ではなくて、実際に1時間30分かかったのです。時間がかかった理由は「手術の中でなったのか、元々あったのかは分からないが剝離している所が見つかり、その治療に時間がかかった。」との事でした。「30分程度」と聞いていたので手術中は「もう終わるか」と言う事と「頭を置いている後ろの所が痛い」の2つの事ばかり考えていました。(少しでも頭を動かすと「危ないから動かないで」の厳しい声を何度も聞きました。

無謀にも入院する前日にもお酒を飲んだので私の奥様かをり様から「麻酔が効かないかもしれんよ」と脅されていたのですが、取り敢えず麻酔は効いた様で無事に終わったのですが、手術をした左目は眼帯をしているし、右目は5年前に網膜剝離の手術をして元々見にくいし、手術後はうつむきでいなければいけないので、手術前にコラムを書いていてクリアしておいたので今でもコラムの更新記録は継続しています。手術してから1カ月が経過して徐々に視力も回復して、一昨日(2月3日)から車の運転も出来るようになり、本日はこの後(今は16時です)18時に大垣で会議があるのでゆっくりと運転して行く予定ですが、昨年12月8日に怖い思いで家まで帰ってきた時よりは大丈夫だと思っていますが、考えてみたら家と施設の往復以外は運転してないのでかなり無謀な事なのかも知れませんが、高野山の静慈圓先生の「若山さんはお大師さんがついているから」と言われた事を信じて行動する事にします。

この信念は何処から来ているのかと言うと、何かをしようとしてもしてはいけない時は『障りがあるから』と言われた事を信じて行動しているからです。30歳と10日で結婚したのですが結婚する前の半年間に2回も正面衝突事故をしても、大学時代に2回も腸閉塞の手術をした時も無事に乗り越えていまがあり、67歳の今も忙しく毎日を過ごさせて頂けるのもリピーターの皆さん、奇跡の様ですが『生きる使命があるから』と思っていますのでこれからも頑張っていきますので宜しくお願いします。取り敢えず大垣から無事に帰り明日も頑張れるように祈って頂ければ有難いです。

新規事業の中間検査がありました

令和3年2月4日

気温が5℃以下の時には生コンが打てず工期がほぼ1カ月遅れた事を受け、垂井町さんに清風園をお借りしての運営からスタートする事の了解を得て、その言質を得てから岐阜県に新規施設の開設が4月1日よりもずれ込むことの了解を得た事を本日10時からの週1回の打ち合わせで報告しました。12月1日からの建て方は凄まじい勢いと緻密な計画で今を迎えているのですが、いかんせん温度が低いのは誰の責任でもないので、状況が変わっていく事に対しては粛々とこなしていかなければと思っています。

午前中の打ち合わせの後13時30分からは、岐阜県高齢福祉課の補助金担当の職員2人が来て下さるので打ち合わせを兼ねて昼食を近くのお店で食べて、再び現場事務所に戻り県の担当者を外で待つ事にしたのですが、風が強くて冷たいので部屋の窓越しに待っていて、県の担当者の方の車が入って来るのを確認して急いで階段を降り、車の誘導をしてから部屋にご案内しました。県の担当係長さんにご挨拶をして頂いて2手に分かれて書類を見て頂き、書類の確認の後は現場の状況を見て頂きました。3棟の現場はそれぞれに作業が効率よく行われていて大きな音が響き合っていました。

作業現場を回っていて痛切に感じたのはどの現場も作業効率が上がる様に整理されたなかで作業が行われていて、会う方会う方が忙しい中でも挨拶をして頂けるのは立派だと思いました。A棟南側は見晴らしが良くなっていてご案内させて貰っていた係長さんから「素晴らしい景観ですね。」とお褒めの言葉を頂きました。現場の案内が終わり、再び事務所に戻り係長さんから「書類等についての指摘事項はありませんが、清風園でのスタートになりますので、申請書類等は2度手間になりますが適宜早めに提出して下さい。」と言われ中間検査は無事に終わりました。

施設に戻ると有難い事に新規施設の職員面接依頼が複数きて、「なかなか人材が集まらない中での多くのエントリーに感謝です。」この現象は地道な広報活動と岐阜県初の盲養護老人ホームに対する期待感からだと思うと改めて身が引き締まる思いです。明日は午前中に垂井町シルバー人材センターにご挨拶に行く予定ですし、現在清風園に措置をしている市町の方に対する説明もしていかなければいけないし、実際の運営が始まってからの処遇についても考えていかなければならないし・・・。とにかく効率よくやり切っていかなければいけないのでこの点についても身が引き締まる思いです。但しリピーターの皆さん思いませんか。こんな毎日なのに痩せないのです。目の手術こそしましたが食欲も落ちないし元気何です。だから、元気に頑張れる事に感謝して益々頑張りますのでこれからもよろしくお願いします。

久しぶりに車の運転をしました

令和3年2月3日

12月8日に18時から岐阜県庁でコロナ対策の緊急会議に運転して行き あまりに見づらい状況に怖い思いをして、ゆっくりゆっくり運転して県庁への信号で右折するのに、右折の矢印が出ているのに見えなくて(矢印が消えてしまうのです)後ろの車に思いっきりクラクションをならされ慌てて曲がって怖かったので、会議が終わり帰りの運転はゆっくり運転して(軽自動車にもバカにされながらの運転でした)何とか我が家にたどり着いたのですが、翌日からの運転が怖くてハンドルを握る事なく、家への迎えは勿論の事、何処かに出掛けるときも誰かに運転してもらう日々が続いたのですが、昨日名古屋市立大学病院から地元の病院に週1回来てみえる先生の受診をして運転する事の確認が取れたので、本当に久しぶりに私の車の運転をして施設まで行きました。

但し、本日は名古屋市立大学病院へ保険の関係で書類の依頼をしに行かなければいけなくて(コロナ禍であっても直接でないといけないとの事)水野相談員に私の車を運転して貰い行きました。病院の駐車場から玄関に向かいながら大きな駐車場なので駐車場の目印『E』を覚えて玄関を入って行こうとすると、誘導している方から「入口はあちらです」と指示を受け、改めて入って行くと「手指消毒をして下さい。」と言われ素直に手指消毒をしてから進んで行くと「自動検温測定器の前に立って下さい。」と言われこれまた素直に従いようやく総合受付にたどり着き「書類のお願いに来たのですが」と言うと「あちらの1番の所で受付して下さい。」と言われ、これまた素直に従い(当たり前か)1番の所に行くと2人の方が受付をされていてその後ろに椅子が設置されていて3人座ってみえ、受付のカウンターに整理券をとるようになっていて、3番目に呼ばれて椅子に腰かけて話をしていて、書類が出来たら取りにくるシステムだとの説明に「今日は関ケ原から車を運転して貰って来ましたが郵送の便宜をして頂けませんか」と言うと

「この封筒に住所を書いて地下1階のコンビニにいって404円分の切手を購入してここに戻って来て下さい。」と言われたので「地下に行くにはどうしたらいいですか」と聞くと「現金支払機の向こう側にエスカレーターがありますので」と言われたので「現金支払機はどこにありますか」と再び聞こうと思ったら既に次の方の対応をされていたので「はいはい自分で探します」と言う事で何とかエレベーターに乗り込み地下1階へ。

何とかコンビニを探し当て中に入ると支払い町のお客さんが一杯で。ここも素直に並んでいると「次のお客様」と呼ばれて「404円分の切手をお願いします。」と言うと店員さんが切手を持ってきて404円分を用意して突然後ろ向きになり、電子レンジの中の商品を袋に入れ出されたので私は一瞬慌ててしまいました。だって私は切手を買いに来ただけなので。すると、その品物は隣のお客さんのものだったのです。つまり、レンジの品物が温まる間に次のお客の対応をするとの対応だったのです。名古屋市立大学病院に行きが色々な事を学びました。

1つには当然の事のようにコロナ感染症対策については徹底されていると言う事。2つには、改めて『自分にとっての当たり前が相手にとっての当たり前ではない』と言う事。3つには、名古屋市立大学病院の売店では少しの時間も無駄に出来ないほど忙しいと言う事。4つには切手を提供するなどとの発想は持たれなくて、客側が出来る事はして貰う発想だと言う事です。(改めて当法人のシステムは利用者本位だと言う事)リピーターの皆さん。私が色々な事を思いついたりするのはいらんお節介なのでしょうか。どう思われますか。

 

眼科の受診に来ています

眼科の手術の為に(黄班円孔)13日間入院して、1月16日に退院をし、アフターケアは地元の博愛会病院でして頂く事になっていて今日が2回目の受診でした。

受付は予約してあったので機械を通すと受付は出来たのですが、受付表を見ると『保険証を提示して下さい。』と書いてあり、その時前回の受診時に退院時に頂いた紹介状をお渡しするのを忘れていた事を思いだし総合受付に行き先ずは整理券を取ると『20』でなかなか呼ばれなくてようやく呼ばれたのが15番の方が呼ばれ、その後も受付でしっかり待つことになり、ようやく呼ばれて紹介状と保険証をわたし、紹介状のコピーを渡されて、眼科に行く途中で不思議な事に気付きました。それはエレベーターが開いたままなので一瞬は不思議に思いましたが「これもコロナ感染防止だ」と気付き納得しました。

眼科待合で座った時、思わず「熱い」と思い背中に背負っているリュックをおろし、上着を脱ぎ待っていると検査の為に呼ばれて中に入って行き検査をして頂く方に思わず「病院は熱いですね」と言ってから職員のユニフォームの上着は何と半袖。他の職員はと見回しても全員半袖。私は思わず「入浴介助をするわけでもないのに」と要らんお節介の考えを持ってしまいました。瞳孔を開く点眼を4回に渡ってして頂きようやくお医者さんの所へ行き先生から写真を見せて頂きながら「綺麗に穴の所はふさがっていますので、1カ月後の受診で大丈夫です。」と言われホッと安心し「車の運転をしても大丈夫ですか」とお聞きすると「問題ないと思います。」と言われて一安心すると共に「これからはもっと活動的に頑張れる。」と思いました。目薬の処方についても6時、11時、16時、21時の1日4回が1日2回に減ったのでアラームの「コケコッコー」のセットを解除したいと考えています。

目の調子も良くなり、本日は『恵方巻の日』と言う事で、本部施設も恵方巻の日にちなんでバイキングで鉄火巻きが半分にしたのも丸かじりして貰えるものをオーダーしました。コラムのネタ探しの一貫で『恵方巻』の由来をインターネットで検索して私なりに理解した事を書きます。恵方巻の由来は江戸時代から明治時代の大阪の花街の節分のお祝いに商人や芸子が商売繫盛等を祈って『丸かぶり寿司』とか『太巻き寿司』に7種類(7福)の具を入れて一気に丸かじりをしたのが由来で恵方巻とは言っていなかったようです。一気に食べるのは1年の幸せを全部逃がさないからだとも言われています。だったら恵方巻とはどう言うことかとなるのですが、あるコンビニエンスストアが1989年に恵方巻として売り出してからとの事で、商魂たくましいコンビニエンスストアの陰謀だったのです。今日は若山家の夕食も恵方巻のつもりで準備したのですが、私の家では鉄火巻きを南南東に向いて食べる予定ですが7種類の太巻きで無いので、正式なものでない事が分かりましたがリピーターの皆さん何となく楽しめてわいわい出来れば良しとしませんか。

中日新聞の1月30日の記事から

7面『社説・発言』の『風来語』(かぜ きたりて かたる)でテーマ『知事選と君主論』で中日新聞主筆の小出宣昭氏の記事を読んで思うところがあったので二日遅れのコメントになりますが私なりの考えを述べます。書き出しに「君主論を著したマキアベリはこんなことを言っている。『権力の座についた者は、自分にもっとも敵対していた人間を重用せよ。敵対の感情はたちまちにして消え、それまで味方だった者よりもはるかに強い忠誠心で仕事に励むものである。』とあり、今月24日(本日、月が替わりましたので誤解のないように)の知事選について絡めた記事になっていました。その中で前述したマキアベリの至言の通りで知事選の事を論理つければ「県政運営に敗者となった新人の江崎氏の力を借りる事だ」との結論になれば確かに理想的な展開だと思います。但し昔の格言に「両雄並び立たず」と言うのがあることからもなかなか現実的ではないように思えますが、古田知事が岐阜県の将来を考えて江崎さんの素晴らしい見識と行動力を生かして下さったら岐阜県の将来に明るい日差しが射してくると思います。記事の中でも「古田知事の情熱と、中央官僚としてコロナ対策の中枢にいた江崎氏がそろえば、最強の布陣になる。分裂した県民の心は、むしろ安心と結束に向かうだろう。」と結論つけてます。これまた昔の言葉に『鬼に金棒』と言うのがあります。決して古田知事は鬼でもないし江崎さんを金棒と言うつもりもありませんが、二人が手を携えて4年間の県政を推し進められたら、岐阜県はより良い県になると確信しているのですが、リピーターの皆さんはどのように思われますか。古田知事が寛容な考えを持って挑んで頂けたら本当に嬉しいのですが。2040年まで後期高齢者の数は減る事はありません。但し、江崎さんは「人生100年時代をどう生きるか」のビジョンを明確にされていました。私も決して生年月日で生き方が決まるとは思っていません。私も67歳ですが走り回る毎日に感謝です。いみじくも昨日本部施設で誕生会があり72歳の方から100歳の方の12名の誕生会だったのですが、年齢が若くても病気等で早くに入居される方もあれば、90歳でもお元気な方もおみえになる。つまり、年齢でひとくくりにするのではなく、それぞれの方にあったライフワークを全うできる社会を構築することこそ大切だと江崎さんのお話を聞いて再認識したのです。理想を現実のものにするには社会の常識の中で変えていかなければいけない事も一杯あり、一人ひとりの意識も変えていかなければいけないことも一杯あると思いますが、お互いに生きがいを持った生涯でありたいと思うのですがリピーターの皆さんはどのように思われますか。

段々と新規事業について具体的になってきました

令和3年1月31日

1月末で建て方が終了して屋根もかぶさり2月からは内装と設備が中心の工事行程になります。私は木造平屋建てなのだから『生コン』とは無縁の建物と思っていたのですが、実際の工程の中で基礎工事ではバンバンに生コン打ちがあるので生コンが上手く乾くには最低5度の気温がないと出来ないとの事で生コン打ちが出来ない日が何度かあり、おおよそ1ヶ月は工期が遅れるとの事です。

しかしそうであっても開設時の職員確保は欠かせないと言う事で1月18日に新聞折り込みを約10万部入れて頂き、その反響は大きくて折り込みを入れた日から多くの面接打診があり、1月29日は3人、30日も3人、本日31日は4人の面接を行いました。面接は面接を受ける方の人生を決める大切なものだとわかっているので、私を含めて3人の面接官が色々な角度から質問を投げ掛けました。どの方も誠意を持って答えて下さいました。介護従事者や福祉従事者の就職希望者が少ない現状に困っている中で職員採用面接をこのように出来るのは本当に有り難い事ではありますが、責任の重さも感じています。

新規事業を始めるにあたって、職員採用に止まらず規約の作成をして、措置依頼が多く来る為の体制作りもしていかなければいけません。そして、建物が完成した段階で効率良く備品の搬入もしなければいけないし、厨房業者が円滑に稼働出来る配慮もしなければいけないし、視覚障害者に対する理解を採用した職員に徹底するための研修もしていかなければいけない。設置責任者である私にしてもしっかりしたことはわからない。そしてそんな時に平成10年5月に本館の事業開始時の事を思い出しました。あの時はハード面の理解はそれなりに出来ていたけどソフト面はさっぱりでその当時は多くの方にご迷惑をお掛けしながらも入居者さんから教えて貰うばかりの毎日だったなと思っていますが、今回も視覚障害者の方に教えて貰うなかの展開になるなと考えています。

とにかく時間を上手く使って効率良く頑張っていきますのでリピーターの皆さん見守りの体制を宜しくお願いします。しかし今の私は23年間に頂いた多くのネットワークを活用出来るので多少はうろたえる事なく出来るのではないかと考えています。一つには視覚障害者福祉協会の方々に研修のお手伝いをして頂ける事になっていますし、祈りの為の仏間については高野山の静先生に本日かなりの厚かましさのなかですが熱い思いで手紙を書かせて頂いたので、祈りに対する思いをきっと形にして頂けるとも考えています。なんだかんだと色々な事はありますが、これからも頑張りますのでリピーターの皆さん今後も宜しくお願いいたします。

雪は侮れない

令和3年1月30日

昨日、岐阜県大垣土木事務所砂防課の係長さんと担当者の方が16時のお約束より早くに来て頂いて砂防ダムの建設の為に仮設道路を本部施設敷地内に作られているのですが、雪の重みと土嚢の袋の劣化により石が落ちてきており車庫の外の配管に迫っていてこのままだと色んな意味でまずいことが起きる可能性があると言う事で電話連絡をさせて貰ったところ、現地を確認に業者の方も連れて来て下さいました。砂防ダムは規模が大きくて、今後ダムの周りにダンプが出入り出来る道路まで設置して頂けると聞いてます。(ダムが土砂で一杯になった時に土砂を除去する時の為の道路だと言う事ですが、土砂で一杯になるのに何年かかるのかは分かりませんがそこまで考えた計画をして頂けるのは有難い事です。)現地を見て頂き会議室で話をさせて頂いてお見送りをしたら17時30分で、本来は19時からのお通夜のところを、「前日の疲れが取れていないので、早い時間にお参りをさせて貰う」事にして関ケ原町斎場に向かおうと国道21号線に入ろうとしたら多分、雪の性なんだと思うのですが、車が渋滞していて何とか国道には入れて頂いたのですが、(ここは顔の大きさがものを言ったのかも)50メートル位走った段階で全く動かなくなり、申し訳なかったのですがお参りに行くのを止めて車をUターンして貰い旧中山道の町道で我が家まで送って貰いました。

結果としては雪が凄まじく降っている時に送って貰った形になりましたが、あのまま降り続けていたら、身動き出来ない状態になっていたと思います。家に帰ってからは、お風呂に入り夕食を頂き雪の状況によっては早朝4時には除雪の依頼の連絡をしなければいけないのでなるべく早くに寝ようと21時過ぎには寝る体制になったのですがそんな時ほど目が冴えてしまい、仕方なくテレビのスイッチを入れるとBS放送で(何チャンネルかは定かでありませんが)『作曲家遠藤実さん特集』をしていたので、見るとはなく見ていると遠藤実さんは流しをしながら作曲家として大成されたのだそうですが、その中で今をときめく弦哲也さん(私が仲良くさせて頂いている山崎ていじのヒット曲『昭和男唄』でもお世話になっている先生です。)も同じ道を歩まれた事を知りました。その番組の中でつくづく実感したのは、ヒット曲に恵まれるには引き立てる方があって尚且つ実力がある事が肝要だと言う事です。その最たる方が今をときめく演歌のドンのような存在である『五木ひろし』さんです。五木さんは芸名を何度も変えてヒットに恵まれなかったのに、遠藤実さんに出会い今がある話には話の深さを感じました。

話題が飛んでしまいましたがもう一度雪の話題にもどります。早くに寝る体制になったものの目無理が浅くてぐっと深い眠りについた3時50分に宿直者の谷田主任から「15㎝位の積雪です。」との連絡を受けたので布団から抜け出し国道と町道の状態を把握してから除雪の契約をしている地元の業者に連絡すると「直ぐに対応します。」との事だったんでその旨を宿直者に連絡して、その次には「6時過ぎに超早の職員が5時50分に出勤しました。」7時10分には「早出の職員は遅滞なく出勤されました。」との連絡に当施設の職員は「雪を侮る事無く対応してくれて有難い」と思ったしだいです。平成10年の開設当初には「雪で遅れたのだから仕方がない。」的な発想がありましたが、今はそんな職員が皆無である事に対して「本当にありがたい」と思っている次第なのですがリピーターの皆さんもそう思われませんか。

昨日の午後からの展開ですが・・・。

令和3年1月29日

午後1時30分から『福祉施設職員交流会』は参加者は基本的にはズームで行われるのですが、岐阜県の補助金を頂いての胆入りの企画だったので、健康福祉部次長さんと一緒にシンクタンク3階でご一緒に画面を見る事になっていたので、12時過ぎに岐阜県議会棟から厚生委員会の議員さんとの懇談会を終え、歩いて移動し、(車の運転をしないと健康的な運動が出来るのです・・・。)途中にあるお寿司屋さんに入り寿司ランチを食べて会場入りすると、既に地域福祉課の担当者の方が見えたので会場に案内して貰うと地域福祉課長さんが既にお見えになっていたので、お礼を言うとともに、新規施設のパンフレット等を見て頂きながらお話をしていると健康福祉部次長さんもお見えになったので、先ずは本日の企画についてお礼を言ってから、新規施設の開始が工事の関係でずれ込むことによりご迷惑をかけることのお詫びも言ったりしていると定刻の13時30分になり、15時40分の予定の時間目一杯の討論会の画面を見させて頂きました。

終了後迎えの車が来ていて、17時に新規事業で土地を提供して頂く事になっている方の契約書が出来たと言う事で司法書士の先生と待ち合わせの時間が17時と言う事で若干時間に余裕があったので、10時からの定例会に参加出来なかった事もあり、監督さんと打ち合わせをしてから(その間に運転手の職員は工事中の現場を案内して頂きました。)司法書士の先生と合流して2軒の地主さんの所に行きサインと共に印鑑を貰いました。(契約が出来たので早速本日振り込み入金をさせて頂きました。)

流石にしんどかったので施設に行かずに直接家に送って貰いお風呂に浸かりリラックスしていたら、101歳の利用者さんが息を引き取られたとの連絡を貰ったので迎えに来て貰う様に頼み、夕食を急いで食べて迎えの車で施設に行くと間もなく家族の方がおみえになり、 お医者さんも来て頂き死亡確認後に、この後施設でお手伝い出来る事(お風呂に入れさせて貰う事とご自宅までお送りする事とお葬式までの手順などの説明)をお話させて貰い、一旦ご家族の方には家に帰って頂き、私は入浴等を終業後も手伝っている職員の為にパン等の差し入れを買いに行き帰って来るとお送りする準備が出来たとの事でご自宅までお送りさせて貰い21時30分に家まで送って貰いました。

リピーターの皆さん。私の生き方は『年中無休で24時間体制であり尚且つ、予定は未定であり決定ではない。』のようですが、健康で元気である限りこの生き方しか出来そうにありませんが、なが~くこの生き方で行きたいと考えていますのでこれからもなが~いお付き合いとご支援を宜しくお願いいたします。

 

退院後、疲れ易くて疲れがとれない

 

令和3年1月28日

昨夜は18歳の誕生日のサプライズの為のプレゼントを買いに行き、全体会の19時までにコラムを打ち込まないと気力をなくし挫折してしまいそうな気がしたので、夕食代わりのサンドイッチと牛乳(朝食の為に購入した残り)と前日に移動販売で購入した大きなあられを2枚食べながらパソコンで打ち込みが出来たのは全体会の5分前。かっかとしながらパソコンのキーを叩いていて体が熱く感じたので体温を計っても異常がないので血圧計で血圧を計ってみてビックリ。数字が225*122もあったので違う血圧計で計っても195*116だったので数字を確認してまたまたビックリのショックです。とにかく、全体会ではあまりイライラせずにと思いながらも最後の理事長としての話ではついつい力が入ってしまいつくづく「私は命懸けで事業をしているんやな」と思いました。私の話で全体会が終了して、18歳の男子職員へのサブライズには涙がでる程嬉しかった。全てが終わり家に送って貰い夕食は簡単にすましていたので直ぐにお風呂に入ったのですが、流石に血圧が高いのでいつもよりも短めであがり、早朝5時前からのバタバタだったので速効で休みました。

朝は8時20分に迎えに来て貰い私の車を運転して貰いまずは施設に行き(施設の車は私の車庫に入れ)、県議会棟での資料を揃え9時過ぎに送って貰い議会棟の2階の自動ドアを入ると担当者の方が案内の為に待っていて下さり3階の会議控え室に案内され、県の担当者の方が多く控えられたので、取り敢えず名刺交換をして椅子に座ろうとすると、私より早く老健協の会長さんがみえていたのでご挨拶をさせて頂きました。しばらくすると他の福祉団体の代表の方がおみえになり、それぞれに挨拶をして、福祉団体の前に厚生委員会のメンバーとの懇談会がかなりずれ込みましたので予定の時間より遅れましたが会議室に案内して貰い、5団体の一番最初にコロナ対策の現状を中心に5分程度と言う事だったので、事前に話をする事にしていた5項目について話をさせて頂きました。引き続き残りの4団体が話をされたのですが、それぞれに時間をはるかにオーバーされた為に委員会の議員さん達の質問を受けての意見交換会の時間が少なくなり若干の不満がありますが、議員の方の質問に対してこちらがお願いしたい内容に対するものだったのは収穫でしたし議員との懇談会の企画は私の知る限り始めての事で意義深いものでした。

12時過ぎに終わり健康福祉部長を始め色々な方に挨拶をして部屋を出ると声をかけて下さる方があるので声の方を見てびっくり。二代前の高齢福祉課長で新規事業の依頼を受けた方。最初に「若山会長。盲養護老人ホームの実現ありがとうございました。」と言われたので、その時私は「今は何をされているのですか」と言うと「昨年の4月からコロナ対策担当の健康福祉次長」と言われたのでまたまた、思わず「そんな近い部署におみえになっていたのに全然知らなかったです。」と答えながら心の中で「また一人素晴らしいご縁が頂けそうだ、」と思った次第です。

リピーターの皆さん。本日の報告は12時過ぎまでしか体力の限界で出来ません。明日本日のパート2を書きますので・・・。

 

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