ほぼ1ヶ月遅れの誕生会です
令和3年6月12日
リピーターの皆さんならご存知の事と思いますが私の誕生日は5月16日で今年に限っては優・悠・邑 和(なごみ)の竣工式と重なり、めでたく68歳の誕生日は無視されたようになっていたのです。先般、本部施設に長男が来た時に私の方から私の誕生日の話題を持ち出しました。自分の事は後回しの最後になるスタンスの私としては非常に珍しい事なのであります。ただし、それには隠し味のような理由がありました。それは、長男がこの6月から優・悠・邑 和合の副施設長に昇格させ、より責任ある立場にするにあたって、長男の嫁がより内助の功をしなければいけない事を伝えたいと言う狙いがあったからです。
私が今のようになったのは正直、無納税者だった6年間を必死に支えてくれた私の奥様かをりさんがあってだと思っているから。私の奥様かをりさんはさりげないサポートをしてくれる存在だったから今の私がある。立場が上がれば上がるほど『責任の重さ』は増していく。しんどい時に愚痴を言わず黙ってサポートする嫁であって欲しいとの願いを伝えたいとの思いです。今は非常事態宣言が出ている状況なので外食ではなくて、我が家での会食会なので料理の手配はこちらで整えなければ行けませんが久しぶりに孫の翔(かける)にも会えるのを楽しみにしてお寿司と鰻を買って帰ると丁度長男一家ぎやって来たのでその勢いで翔と二人でお風呂に入りました。
一回目はかなりまえだったので、その時はお風呂でおもちゃを使って遊んでいるばかりだったのですが、本日は頭にシャンプーをつけてしっかり洗うことが出来たのには驚きましたし成長の早さには感心してしまいました。5人で食卓を囲み、先ずは私の誕生日を祝う為に乾杯ビールでをして、ビールを飲み干してからは福井の皆川さんから頂いた『夢は正夢』の封を開けて長男につぎ、改めて副施設長に昇格したお祝いの乾杯をしてから長男夫婦にそれぞれの覚悟の言葉を手向けました。
そして、来年4月から小学に入学する孫の翔がいなり寿司を美味しそうに頬張っているのを完璧に『じいじ』の顔で見ていました。昼間は何となく体がだるくて集中力がなかったのですが、孫の翔のパワーを貰えたので明日からは頑張りますのでリピーターの皆さんこれからも宜しくお願い致します。しっかり食べて飲んだ後にだめ押しのようにケーキを頂いたのでお腹がはち切れそうですが、何とかコラムは書けました。