朝きっちり5時30分から行動開始です

令和3年12月16日

昨夜は東京での泊まりだったので、我が家での日課であるウォーキングマシンに乗っての歩きは出来ませんでしたが、それこそ38歳でのフリーでの生活をしていた時からの私の師匠だった吉田宏岳先生(その当時は日本福祉大学中央福祉専門学校校長であり、豊山派医王寺住職)の教えであった『朝のお勤めは布団の中でも良い』との教え通りにホテルのベットの上で唱えました。

その後お風呂にゆっくりと浸かり体を癒し少し汗が収まるのを待って荷物の片付けながら、スマホで岐阜羽島への帰りの列車を検索すると7時33分の『ひかり』があり、「これに乗れば10時前から施設で仕事が出来る」と考えて片付けのピッチを上げて、チェックアウトをしてホテルから本道りまで出てタクシーを拾おうとすると、運よくタクシーが停まってくれたので乗ろうとすると、そのタクシーの運転手がおもむろに降りてきてゴルフバックを降ろしてはる。「おいおい、そんな事なら空車が1台通って行ったのに」と思いつつ、うやうやしくゴルフバックを降ろされていると、中から出てきたのは40台位の女性で停まったタクシーの前に停まっていた車の方とハイタッチなどをされている。「何なんだ、この展開は」タクシーから悠々と降りてきた方が何者かは知りませんが「私の前を素通りするか・・・」とにかく、そのタクシーに乗り込み東京駅丸ノ内南口でタクシーを降りて、みどりの窓口に行くとお客様は一人のみ。

その段階で7時15分で、前のお客様はカード決済をされようとされているのですが、駅係員の方が「このカードは使えないようです。」と言われても何だかんだ言われていて、私は「早くしてくれ」との思いでいましたがようやく前のお客様の対応が終り、私が「7時33分は無理ですかね」と言うと係員の方が「大丈夫です。間に合います。」と言われても「あまり、東京駅が不案内だけれども間に合うかな」と一瞬不安になりましたが14番線と一番手前のホームだった事もあり、余裕で間に合い今は新幹線の中です。

昨日は総会が終了後に帰れなくはなかったのですが、役員同士の情報交換もあり泊まらせて頂いたわけですが、ホテルでのんびりするような人間では無いので今は(午前818)・・・と何気無く窓ガラスから外を見ると富士山が顔を出しました。天気が良い時の富士山は最高です。朝早くに行動開始をしたご褒美だと思っています。

さてさて、本日は大垣市役所へ陳情に行くのですが、こんだけ頑張っているので、成果が出ると思っています。それに17時30分にてるてる座の座長のお店でてるてるの四人と施設から三人での交流会もあります。その事は明日書く事にして。とにかく、コラム継続の為に東京からの帰りの新幹線の中で頑張りました。リピーターの皆さん。この頑張りに大きな拍手を・・・。

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本日は仏壇でのお経は無しでした

令和3年12月15日

一人がてんのタイトルに私自身「ええ加減にしとけよ」とも思うのですが、このコラムを継続するには、『ありの・・・ままに・・』でないと続きませんので、リピーターの皆さんお許しください。そして、ご理解下さい。(いつもの事ながら前段が長いと自分でも思います。)本題に入ります。

蝋燭の話しは昨日に続いてなのですが、実は昨日は『白い蝋燭でいつものようにウォーキングマシンで30分歩いても白い蝋燭がまだまだ火が点いていたので、お経を2巻唱えた』と書いたのですが、本日は30分を歩き終えたタイミングで蝋燭が消えたのです。だから、仏壇でのお経は無しになったと言う単にこれだけの事で約300文字を費やす私は一体何なのでしょうか。ただし、この現象には深~~い、ふか~い意味が隠されているのです。(そんなに大袈裟に言う事ではないのかも知れませんが)

歩き終えて仏壇の前の椅子に腰かけて手を合わせて蝋燭がどのようになったのかを確認すると、昨日とは違い全部が燃えたのではなくて、まだ残った状態で消えていたのです。これは正に昨日コラムで書いた『リスクマネージメント』につながる話だと思った次第です。つまり、いつもいつも、完全に燃えるとは限らないので「商品に偽り無し」と言う形にするには、『30分』と明記するのであれば、せめて『35分』はあるのがベストだと思うわけです。私は今、こんな事にこだわる私に驚いているのです。と言うのは「こんなに1つの事にこだわる人間だったかと言う事です。聖徳太子は10人の方の訴えを同時に聞いて一人づつの訴えに答えたとの話を聞いた覚えがありますが、私は職員に「1つの現象の中から多くの事を理解して出来る事を実費するように」と話をしている内に私自身もたくさんの気付きが出来るようになったとすると、私自身も色んなアクションを起こしている中から気付きの多い人間になれてきているとすると、健康で走り回れている事に感謝です。

母秋江さんの後ろに隠れるようにしていた小さい頃の私とはえらい違いやと思うと考え深いものがあります。人生に『もしもこうだったら』とか『人生をやり直せるなら』と言う事はかつての映画の『バックツーザフューチャー』のような事が出来ない限りは無理なわけで現実には有り得ないので、自分が出来る事を精一杯やらなければと、改めて思っています。でも、リピーターの皆さん、しつこいようですが、もしも母秋江さんが私が30歳の時まで元気でいたとすると、多分私は母秋江さんの言う事に従うだけの人間になってしまい、母秋江の思いが私の思い的な生き方をしていたように思います。

ここまでコラムを書いていてしっかりと認識したのは私はメッチャマザコンでシスコンになる可能性があったんだと言う事です。そう言う意味では母秋江、姉光子の早くの死は私の生き方を大きく変えたと言う事か。私の生き方は今の生き方しかないのだから、今の立場で精一杯頑張ります。

さて、本日は東京への出張で参議院会館で12時から全国介護福祉政治連盟の代表者会議で15時からは都市センター会館で全国老人福祉施設協議会の代議員総会があります。リピーターの皆さん本日も私の役割をしっかり頑張ってきます。気が付けば富士山が綺麗に新幹線の車窓から見えました。これも、一生懸命に頑張っているご褒美だと思わずガラケーの携帯で撮りました。リピーターの皆さん。上手く撮れているかはわかりませんが『幸せのお裾分け』と思って見て下さると嬉しいです。(本日は東京に着くまでにコラムを書きましたので早くに掲載します。)

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赤の蝋燭が昨日で無くなりました。

令和3年12月14日

赤の和蝋燭の一箱100本入りが昨日で無くなり(と言う事は確実にお参りしている証です。)同じものを手に入れようと考えていたのですが、購入する機会が無くて「短い蝋燭はあるから2本使えば何とかなる」と思いながら、仏壇前に置いてあったものの箱の説明書きを見て「30分用のがあった。」と言うので、本日からこの白い蝋燭を活用する事にしました。私は毎朝この箱があるのは見ていた訳なのに30分用の蝋燭の箱だとの認識も持たずにいたわけです。私は常日頃「単に目に映っているだけで本質まで見ていない事実を理解して欲しい。」と言っていたのに私自身出来ていなくて上っすべりな事をしている。と大いに反省すると共に「多分養母英子さんの葬儀の後に少しだけ使って私自身が忘れていたものだと思うけど、これから毎日大切に使わせて貰います。」と一人で呟きながら火を点けました。

その後いつものようにウォーキングマシンに乗り、いつものように30分歩く間に三回の休憩を取り汗を拭いたり水を飲んだりするのですが、昨日までの赤い蝋燭の時には、30分を歩き終える前に蝋燭の火は燃えきって消えてしまうのですが、しっかり30分歩いた後もまだ、火が点いていたので、改めて仏壇の前で木魚をたたきながらお経を2巻唱えてようやく白い蝋燭の火は終了しました。この時私は思いました。「これぞリスクマネージメントだ。」と。だってリピーターの皆さん、思いませんか。確かに赤の蝋燭はしっかり30分なのだと思います。でもね、蝋燭に火を点けてから少しは時間的余裕がないと、『間違いなく30分』とはいかないと思うのです。時には31分のもあれば29分と言う事もあるでしょうから。この理屈は色々な場面で活用出来ると思います。

例えば『5分前行動』と言うのをよく聞きますが、これは、5分前に行動を起こしていれば余裕のある行動が取れる。と言う事です。本日も名古屋市唯一の盲養護老人ホーム『第二瀬古マザー園』に15時に近藤施設長さんにお会いしに行く事になっていたので、13時30分に吉澤施設長に本部施設に来るように言っておいたところ、13時15分には来てくれたので13時30分を待たずに出掛けたところ、14時20分に着いたので施設近くのコンビニの駐車場でじかんを見計らって14時45分に再び施設に行きました。私はこの待機時間は決して『無駄な時間』ではないと考えています。と言うのは、名古屋市までの道程の中で渋滞をしたら20分や30分は取られてしまうと思うからです。

結果論として本日はコンビニでの待機時間はありましたが「遅れなくて良かった。」と言う事につきます。これぞ正しくリスクマネージメントです。お陰さまで名古屋市の養護老人ホームの状況も理解させて頂いたし、次への足掛かりも教えて頂けたし有意義な時間でした。今は80床に16人の入居者ですが、このような地道な活動が形になると考えています。リピーターの皆さん。このような展開をしていることにご理解、ご支援を宜しくお願い致します。

丸坊主になり今も丸坊主の理由を語ります

施設の事業を開始した44歳の頃の写真を見ても、極端なロン毛ではありませんが七三にビシッとと言うわけではなく比較的髪は長かったのです。では、何故に今は丸坊主なのかと言う話をリピーターの皆さんの中には「早く本題に入れ。いつもの事ながら前置きが長過ぎる。」と思われているかも知れないので、本題に入ります。因果関係をお話するには、どうしても平成18年当時の、全国老人福祉施設協議会の中村会長の話をしなければいけません。私が全国老人福祉施設の役員として始めて東京本部があった当時のTBRビル(日枝神社入口)に行くようになり、中村会長には随分「馬鹿じゃ、あほじゃ、とろくさい」と言われながらも随分可愛がって貰い役員として一年も経たない時に何故か『総括幹事』と言う役職に大抜擢されたのは良いのですが、大きな大会や研修があるときは幹部の末席にいたのですが、忘れもしません神戸市て全国大会があり、中村会長と同じホテルに泊まらせて頂いたのですが、早朝5時に中村会長から電話があり、半分寝ぼけながらも「もちもい若山ですが」と言うと中村会長の声がしたので、私は緊張しながらも「何でこんなに早い時間なんだ。」と思っていると、「今から部屋に来い。」との事で、取り敢えず着替えを済ませて急いで中村会長の部屋まで廊下を走って行きも部屋に入ると中村会長からいきなり「何じゃその乱れた髪は。そんなことでは三流にもなれんぞ。」と言われて、私は内心「寝ていたのを慌てて来たんだから髪が乱れているのは当たり前やろ。」と思ったのですが、黙って立っていたのを覚えています。すると中村会長が「長い髪をしてるから直ぐの対応が出来んのじゃ。」と言われたので、私は出張から帰って直ぐに大学生の時にパーマをかけて下さった我が家の直ぐ近くの床屋に行き、殆んど角刈りに近い状態にして貰い、次に東京出張した時に中村会長の所へ行き、「会長、頑張って髪を切りました。」と言うと中村会長は一言「まだまだやな。」と言われたので、思わず私は絶句。だから、東京出張から帰ってまたまた、床屋に行き「丸坊主にして下さい。」でさっぱりと丸坊主になり、次の東京出張の時に中村会長の所へ行くと流石に「まだまだ」とは言われなかったのですが、一切のコメントは無し。それ以降はずっと丸坊主なのであります。中村会長が亡くなられて随分な年月が経過していて、考え方によっては「中村会長は亡くなったし再び髪を伸ばしても良い。」との考えもあるのでしょうが、私は丸坊主の頭を見る度に中村会長との貴重なやりとりを思い出す事が出来るので今も丸坊主なのであります。そして、もう1つの理由は頭を洗っても簡単に乾くしメッチャ楽なのです。そして、もう1つの理由は丸坊主にしたからか68歳の今も禿げないのではないかとも思っています。リピーターの皆さん。私はこう言う生き方しか出来ない、非常に不器用な人間なのであります。

髪型の変遷によって自分の生き方を考察します

タイトルで言っている程に大袈裟な事では無いのですが、私の生き方を髪型によって振り替えってみたいと思います。

先ずは小学生まではいわゆる『坊っちゃん刈』だったと思います。この髪型は当時の標準的な髪型であり、私の生き方と言うか母秋江の思いがそこにあったのかは13歳で他界した母秋江には聞く術もありませんが、多分『普通の生き方』を望んでいたのだと思います。私も『普通で良い』と考えていた(最も深くは考えていなかったように思いますが。)のだと思います。当時の同級生男子21人の中でいわゆる『今須のお大尽』の中で目立つ存在だった同級生には髪を長くしていたのがいましたが。

そして、中学生になり男子は皆、丸刈りと言うのか丸坊主でした。今から55年も前の話ですから、何の違和感も持たずに『決まり』だからと言う時代だったと思います。

高校生になり『おしゃれ』にも少しだけ興味を持ったのでしょう。前髪をしっかり伸ばして俳優の近藤正臣さんのように頭をふってやや格好をつけていたように思います。あの頃は『リーゼント』と言ってもリピーターの皆さんの中には「何の事」と言われる方もあると思いますが私は髪の毛をベタベタにしてバリバリにドライヤーをかける事をよしとしなかったのか、単に面倒くさかっただけなのかはわかりませんがそのような髪型ではありませんでした。そう言えばその頃の女子生徒は『今日から俺は』と言う番組にでてくるような髪型の子が殆んどで、私の回りにはズルズルのスカートをはいている子が殆んどだったように記憶してます。(周りでは怖がる子達もいましたが、気の良い子ばかりだったです。

そして大学生になり、髪はどんどんと長くして(今から考えると髪を乾かすのも大変だったと思うのですが、その頃は頑張っていたんだと思います。大学2年生になった頃に養母の英子さんが「髪が長いだけだとだらしなく見えるのでパーマをあてて貰ったら良いのに」と言われて、「それも有りかな」と思い、今は廃業されてはいますが、我が家から直ぐの所にある床屋さんに行きパーマをあてて貰うことにしました。その時に今は既に亡くなられたご主人の志朗さんが、「パーマをあてた男の方は今須では最初だの」と言われたものです。その頃は野口五郎さん張りで結構に気に入ってました。ただし、教員採用試験前には流石の私も髪をバッサリ切りいわゆる『七三』にビシッと決めていたように思います。教員生活から脱出して『勘当生活』に入ってから再び髪を長くして児童養護施設の指導員時代の13年間はロン毛で通し、フリーでいた時代も長かったのですが、「何で今は丸坊主なの」と言う話については、語りだすと、なが~~~くなるので、次回にします。

次回の『丸坊主特集』をリピーターの皆さん、乞うご期待ください。

昨日ホテルで荷物の整理をしていて

令和3年12月11日

8時に部屋の片付けをしながらテレビを点けてBS放送で『アンパンマン』を見るとは無しに見ていて、(我が家でもたまには見るのですが)ふと思った事を書きます。(メッチャどうでも良いことなのですが)それは、いつものようにバイキンマンが悪いことをしていて、そこにアンパンマンが表れて一旦は顔を汚されて「顔が汚れて力が出ない。」と大ピンチになり、ジャムおじさんがその事を知って「新しい顔を焼くよ」で、顔が焼けて顔を投げて(チーズと言う名の犬等が)新しい顔になってから、バイキンマンが退治されて、大抵は大空高く飛ばされてバイキンマンは「バイバイキーン」(キラキラ)で一件落着。その場面を見ながら、さてさてアンパンマンの汚れた顔はその後どうなったのかと。だって『勿体ない』じゃ無いですか。よ~く考えたら『水戸黄門』『暴れん坊将軍』『大岡越前』も最後はハッピーエンドなのが日本人には承ける。いやいや世界中一緒か。

もう1つアンパンマンで大いなる疑問があります。これもまた、しょうもない事なのですが、バイキンマンは大科学者だと思うのですが。だって一人用の空飛ぶ乗り物を造ったんですから。でも、乗り物を修理する時に金づちでトンカントンカン。何が言いたいかと言うと大科学者なのにどうして、ご馳走を奪う事をやるのかなあ。だって食べ物を料理する機械を作った方が早いのにと考えている私は変ですか。この発想を思い出したのは1985年の映画『バックトゥーザフューチャー』に出てくる大科学者ドク(タイムマシンを発明したのですから、大科学者でしょう。しかも、デロリアンと言う車を改造してですよ。その後には蒸気機関車を改造してもタイムマシンを作ってます。)がアイスティを飲むのに氷1個を作る為に大層な設備で作っているのを記憶していたものですから。最も子どものマンガ番組(既に充分大人の私も見てますが)と大人の映画では違うのかも知れませんが・・・。と言うかこんな事にこだわる私の方が変なのだと思います。こんな事を私が考えれるようになったのかと思うとゾッとしてます。

しかしながらマンガにしても映画にしても、さりげなく将来を言い当てていると思います。リピーターの皆さんの中にはご記憶がある方もあるかも知れませんが、私が小さい頃のマンガで(白黒の放送なのでかなり前のものだと思うのですが)『エイトマン』と言うのがあり、番組の最初に歌と共にエイトマンが走って追い抜く列車は今から思うに今は走っていませんが新幹線の最初に走っていたのと瓜二つです。また、バックツーザフューチャーでスケボーが浮いたものが出てくるのですが、今はそんなのもあると聞いてます。ただし、よーく考えたらバックツーザフューチャーの未来が2015年には空飛ぶデロリアンがありましたが未だ見たことありません。う~ん、かなり話題が飛んでしまいましたが、マンガとか映画は時として人間の願望を映像にしているのだと。そして、その願望を科学の知恵で形にしていく。だとしたら私はドラえもんの『竹コプター』と『どこでもドア』を早く作って欲しいな。リピーターの皆さん。本日は全く意味のないコラムを書いてしまいましたが、「これも、一考」と言う事でリピーターの皆さん。お許し下さい。

 

昨日は東京で泊まらせて頂きました

令和3年12月10日

全国老人福祉施設協議会の本部事務所近くの都市センターホテルに泊まらせて頂いたのですが(一泊7000円)朝、目覚めて19階の部屋から外を見ると当然の事ですがそれなりのビルが並んでいます。ただし、早い時間だった為か車は殆んど走っていない状態でした。

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そんな状況の中でガラケーの携帯機能の万歩計で昨日の歩数を確認してビックリです。その数値は12,100歩だったのです。「流石に東京です。」と言うのは、タクシーに乗るまでもない距離をちょこちょこ歩いていたり、昨日の場合はホテルニューオータニで行われたトップセミナーが始まる前にご縁を頂いている方々にご挨拶をする為にあっちこっちと熊のようにうごめいている内に歩数が伸びたのだと思います。東京の方は歩くのも早いと思うのですが、歩くのを苦にされていないと言うしかないのです。私も昨日は本部事務所での常任理事会を終えてホテルニューオータニまで歩いたのですが、歩きやすかったです。平河町から赤坂見附の方に歩くのですが『赤坂』と言うだけに『坂』があるのですが、赤坂見附の交差点まで下り坂なので正直楽に歩けました。ホテルに着いてからも役員の方とご一緒に歩いているので、全然苦もなく歩けました。

昨夜は埼玉の志木市にあるブロンの施設の理事長さんや職員さんと夕食をご一緒させて頂き、結構に冷酒を頂いたのですか、リラックスした形であった為か二日酔いもなく、施設には12時前には着き岐阜羽島駅構内で買った昼食を食べて13時30分からの北海道老人福祉施設協議会の役員さんとのリモートによる懇談会が15時30分まであり、その後もバタバタと打ち合わせがあり、決済の為の書類の確認をする予定をしていたのですが、流石に東京出張の疲れを感じて本日は早くに家に帰らせて頂きました。

本日はしっかり休ませて頂き明日からの対応を頑張ろうと考えています。メリハリのある生活をして効率の良い毎日にすることを心掛けていきたいとも考えています。東京からの新幹線の中で行きの時よりもしっかりと富士山を見る事が出来て嬉しかったのでガラケーの携帯でバチバチと写真を撮る事が出来ました。

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ここは格言『下手な鉄砲も数打ちゃ当たる。』で、それなりに撮れたと思える写真もリピーターの皆さんに見てもらう事にします。本日のコラムは出張の疲れがあるのか全くと言って良い位に閃きが無くて正直だらだらと書いてしまいました。今夜はしっかりと寝て明日は素敵なコラムを書きますので許して下さい。

朝からつくづく考えました

令和3年12月9日

本日は東京へ全国老人福祉施設協議会主催の『トップセミナー』と引き続いての『園田参議院議員を励ます会』があるのですが、今朝もいつも通り4時50分のアラームでしっかりと目覚めて、ベットの上での手足を中心にした体操をして(いきなりの歩きは血圧に良くないと聞いているので、取り敢えず健康に留意しているつもりです。)洗面後に(忘れてはいけません。リットの餌やりがありました。)仏壇におロウソクとお線香に火を点けてからご本尊様に手を合わせ、次に父、母、姉、養母の4人にご挨拶をしてからおりんをならし、再び手を合わせてからウォーキングマシンに移動して30分間歩きながらお経を唱えいて、ふと『ひろっちゃん』と言われていた頃の私は軟弱でやろうとした事も直ぐに投げ出してしまう子どもだったのに、いつからこんなに意志が強く頑固にやりきる人間になったのかと朝から真剣に自問自答しているのです。

何が私を強くしたのか。う~ん。誰だって人生色々あって強くなるのでしょうが、私の場合は『自分自身の事』にはからっきし『意気地無し』なのですが『誰かの為になる』と言う時には知らない力が背中を押してくれたり、私の口を通じて誰かが閃きを私の頭の中に注入して貰って今があるように思えて仕方がありません。だって、困った状況になった時には何らかな力が働いてクリアしてきたように思えて仕方がないのです。そんな中で、胃に穴が開くような試練も幾度となく乗り越えられて今がある。考えてみたら神憑りな生き方なのかも知れません。いやいや、神のご加護であり、ご先祖様のご加護だとは思っています。

生後半年目にして30秒ほど心臓が止まって再び動き出したのを皮切りにして奇跡と言わずにして理由が立たない・・・。だからこそ、生かされている自分は人の為に地域の為に頑張ろうとしている内に強い信念で動かされているのだと考えています。現在置かれている全国老人福祉施設協議会副会長、岐阜県老人福祉施設協議会会長であり、3拠点を運営している社会福祉法人杉和会理事長の職責にしても、常に今の現状から自分がやるべき事を一生懸命に展開して厳しい状況の時には前段で述べたように背中を押して下さる方が現れたり支えて下さる方が現れた結果だと思っています。

こんな事を考えていて、コラムを打っている内にもうすぐ品川だとアナウンスがありました。のぞみの車中でお弁当を頂き、富士山に雪がかぶっているのをガラケーの携帯で写真に納めれたのは幸せだったのかなと思っているのです。リピーターの皆さん。こんな考え方の私なのであります。さて、本日は副会長としての役割を頑張りますので、その点も応援して下さい。

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朝の妄想なのです

いつもより早くに起きて(4時30分)、いつもよりは5分長くウォーキングマシンに乗って歩きながら4人の私が深くご縁を頂いた(当然の事なのですが)父進(38年間)、母秋江(13年間)、姉光子(17年間)、養母英子(43年間)との暴走に近い会話をしてました。(考えてみたら、養母英子さんとの時間が一番長いのですが、つくづく思うのは長さではなくて『感謝』の密度だと思います。)

さて、暴走に近い妄想の会話について本日は語ります。一番最初に話をするのは当然の事ですが大黒柱である父進さんなのですが、父進が「お母ちゃんが話があると言っとるぞ」と言ったので、隣の母秋江さんの方を見ると「宏、根回しが大変だったけど何とかしたから大丈夫やからな。」と浮き浮きとした声で話をしてくれたのですが、私には何が大丈夫なのかも分からずに「何の話」と聞くと「何を言っとるの、年末ジャンボの宝くじが当たるように根回しが出来たんやがな」と言うので私は「そんなこと出来るんか」と素直に聞くと母秋江さんは「そりゃあ大変やったけど何とか頑張ったんや」と大真面目に母秋江さんが答えてから「宝くじの神様が何処におみえになるかを探すのが大変やったわ。いろんな伝(つて)をたどっていったら宝くじ担当の神様に会えたんや。そこで、一生懸命に母ちゃんが頼んだんや。」と言うので私が「どんな風に頼んだの」と聞くと再び母秋江さんが「私の大事な大事な息子は小さい頃虚弱でしたが、今は福祉施設の経営に休みもなく走り回っていて、地域の皆さんに喜ばれとるのだけれど、新しく造った盲養護老人ホームの経営が大変だけれども頑張っているので何とかしてやって欲しいのです。と話をしたら納得して貰えたの。」と話してくれた。

そこで私は思いました。私が小さい頃には虚弱体質で色々と迷惑をかけたり、色々と走り回ってくれた事を感謝しているけど、父進も母秋江も天国でもゆったりと出来ずにあいからわず走り回っていてくれているのかと思うと目頭が熱くなってきました。

そして、こんな妄想で安心するのでは無くて根拠ある種蒔きをしなければと、本日一昨日に引き続き名古屋市の区役所回りをして痛切に感じました。昨日のコラムで書いたように本日は名古屋市庁舎への挨拶には名古屋市老人福祉施設協議会の尾関会長にも同行して貰え、部長さんとも名刺交換と共にご挨拶が出来て、場所を変えて担当者である3人の方を前に約30分は熱く語らせて頂きました。本日は幸先の良いスタートと共に、それぞれの区役所では、今後、具体的に展開しそうな具体的な話まで出来ました。この展開は年末ジャンボ宝くじのような妄想ではなく、現実的な収穫になったものと確信してます。今後も地道な展開の中から安定した経営が出来るように頑張っていきたいと考えています。

朝8時に本部施設を出て予定通り15時30分に帰る事が出来て16時からは全国老人福祉施設協議会のデイサービス部会の5役会議と引き続いての社労士の先生との打ち合わせをして、今(21時22分)にようやくコラムを打つ事が出来て、明日は東京への出張が待っているので朝になったり一段とギアを上げて行きたいと思いますのでリピーターの皆さん。明日もしっかりと宜しくお願い致します。

緊張したせいか、お腹が張ってます

令和3年12月7日

リピーターの皆さんの中には、タイトルを見て私が「緊張するとは考えられない。」と思われたかも知れませんが、実は私は小さい頃から『人見知り』の『緊張しまくり』の性格なのであります。そのように言うとリピーターの皆さんの中には「小さい頃はそうだったかも知れないけれど、今は違うでしょ」と言われる方もあるのかも知れませんが、昔から言うではありませんか。『三つ子の魂百まで』と。だから、今でも駄目なのです。よく『自分を変えるには、自分で変えていくもの』的な事を言いますが、表面的には変えられても、決して本質は変えられないものなのです。だから、昨日のように初めて行った場所で初めての方と話をするときに一見堂々と話をしているように見えるかも知れませんが、実は体的にはしんどいのです。つまり、肉体は正直なのです。

今朝はウォーキングマシンに乗って歩きながらお経をあげた後に仏壇の前で本尊様と私の父、母、姉、養母の4人に手を合わせながらいつも以上にお腹の張りがなくなるようにと祈っていました。もちろん、その時の祈りのご真言は薬師如来様の『おん、ころころ、せんだり、まり、そわか』です。そんな事を考えているときに、私が小さい頃の自分をイメージしてみました。そんな時の私はいつも、母秋江さんの後ろに隠れるようにして、母秋江さんに甘えているのです。今も(18時12分)お腹が張っていて困っているのですが、お腹が張る時は必ず難しい局面にある時で、胃に穴が開くのでは無いかと思うくらいに神経が研ぎ澄まされた事が何度もありました。

そんな中でもありがたい事がありました。それは、昨日、名古屋市老人福祉施設協議会の尾関会長の施設にご挨拶に行ったのですが不在だったので、資料と手土産の名入の煎餅を置いて行ったお礼の電話があり私は明日も名古屋市内の区役所に行く事にしていて、名古屋市庁舎にも挨拶に行く事をお話すると、明日は一緒に同行して下さる事になり、尚且つ担当者とお会いする段取りまで付けて下さったとの連絡を頂き、改めてネットワークの大切さを理解しました。そして、もう1つ思ったのは『アクションを起こせば何かが変わる』と言う事です。

ネットワークを構築するために母秋江さんの教えである『蒔かぬ種は生えない。』を理解して母秋江さんにも感謝です。そう言う意味では、小さい頃の『アクションを起こしたいのに起こせない』から脱却ができているから今の事業が出来ているのだとも思いましたが、本当は母秋江さんばかりでは無くて父進、姉光子も天国で私の為に根回ししてくれているから今があるのか・・・。だとしたら、いよいよ年末ジャンボに大当たりかな・・・。リピーターの皆さん。この世の中、そんなに甘くはありませんよね。いやいや、大甘の母秋江さんなら「もしや・・・。」

 

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