よ~く眠れました

昨日17時頃に5日の日に手術の執刀をして頂いた先生が診察にきて下さり目の中を診て頂き「順調に穴はふさがれていますので大丈夫です。」と話をして下さり安心したところで「昨夜はうつ伏せでシーパップ(無呼吸症候群の為)をしたまま寝るのが難しくて椅子に座ったりシーパップ無しでうつ伏せになったりしてもなかなか眠れませんでした。」と話をすると「シーパップをしてうつ伏せは難しいですね。実は私もシーパップをかれこれ20年使用してます。シーパップをしてない時には7時間寝ても徹夜をしても疲れがとれなくてどっちみち疲れがとれないのなら寝なくても一緒だと思っていました。」と先生と話が盛り上がりました。

最終的には「しっかり寝て頂く為に昼間はしっかりうつ伏せになって貰い、夜は右を向いて寝て貰って大丈夫ですよ。」と言われたので、その後は今まで以上にしっかりうつ伏せになり、21時に本日4回目の点眼を終えて、右向きに寝た瞬間「これは楽だ。」と思い、昼間はうたた寝をたくさんしていたはずなのに、すっと眠る事が出来ましたが、22時過ぎに管理宿直の北島部長から看取りの入居者さんがより厳しい状況だとのメールが来ましたので「私は入院中なので何か相談する事があれば連絡して下さい。」とだけ電話連絡をして再び眠りにつき、今朝は6時の点眼時間を知らせるアラーム(コケコッコーのけたたましい音)で眼を覚ますと言う熟睡でした。

と言う事は横向きで寝ても良いと言って頂けたのは有り難かったです。(何でも聞いてみるものだと思っています。小さい頃の私ならとてもとても無理だったと思いますし、きっと『えらいよー』と泣いていたと思います。)

朝の点眼と洗面を終えてから施設に連絡すると昨夜連絡があった入居者さんは残念ながら5時過ぎに多賀先生に死亡確認をして頂いて家族と話をしているとの事だったので、関ヶ原斎場の確認だけ役場に私の方から連絡をさせて貰い、後の対応は職員にお願いしました。7時30分に朝食を頂き(完食です。)8時過ぎに診察の迎えに先生が来て下さり、本日は昨夜横向きに寝させて貰ったので極力うつ向けにしています。そして昼食後にシャワーの許可が出たので、ほんの10分だけシャワーをさせて頂きました。

今(13時43分)コラムをガラケーの画面に向かって(当然下向きです)打っていて気が付いたのですが、手術をして頂いた左目の中で液体らしきものがユラユラしてます。「このユラユラが無くならないと退院は出来ないので頑張ってうつ向けをこの後も頑張りたいと考えています。リピーターの皆さん。手術をしても、入院していとも、何とかコラムを継続し早く退院が出来るように優等生入院者でいる、この健気な私を褒めたって下さい。

昨日手術は終わりましたが・・・

私は事前の書類に『学術向上に役立てて』的なものにサインしたので、若い先生に懇切丁寧に教えながらの執刀で、眼の所に局部麻酔を打たれ、(これは痛かったです。)、手術が始まりました。執刀医の先生の声が聞こえてきて、「剥離してるな」の声に愕然として、予定の時間(約30分と聞いていましたが)をはるかに越える一時間以上で取り合えず手術が終わり部屋に連れて帰って貰ったのが12時で、それからしっかり二時間はうつむきで寝て、その後昼食。(配膳されたものは全部食べました。)下を向いているように言われているのでテレビを見ることもなく、ひたすら安静にしていて、21時に点眼に看護師さんがみえた後はベットでまたまた寝るのですが無呼吸症候群の為シーパップと言う機械を付けてのうつ伏せは至難の業で、シーパップ無しのうつ伏せは苦しくなるし、椅子に腰かけてうつ伏せになったり、色々と試して何とか朝6時の点眼から行動開始です。(本日先生の診察でどんな事を言われるかわからないので取り合えず本日のコラムです。リピーターの皆さんご理解下さい。)

・・と書いたのですが、うつ伏せでコラムを打つのは問題ないと言われたので、追加で書きます。

7時30分に朝食が来て完食。8時過ぎに昨日と同じように若い女医さんが迎えに来て下さり診察を。「手術の結果は問題ありません。」と言われ、しばらく診察室の前の廊下で待っていると、またまた若い先生の診察。ここでも「問題ありません。」と言われて一旦部屋に帰ろうとすると、9時30分に主治医の診察があると言われていたのですが、診察室に既におみえになっていて、本日3人目の診察。主治医の先生なので、「シャワーは駄目か」と「コラムを打つのは大丈夫か」の2つを質問しました。先生からは「シャワーは明日からにしましょう。」と言われたので「昨日同様蒸しタオルを頂いて清拭します。」と答え、二つ目の答えは「うつむいて打たれるわけだから大丈夫です。」と言われたので、追加の原稿を打っている次第です。昼食後は(完食です。)うつ伏せを頑張れば頑張る程、想定外のトラブルがない限りは早くに退院出来るとの事なのでうつ伏せを頑張ります。

昨日16時からは検査と診察ばかりでした

 

令和3年1月5日

(1月5日に打てないといけないので4日の夜に打ってます。)昨日16時からは眼科外来で、しっかり検査をしてから、一旦部屋に戻り、しばらくすると眼科病棟での診察に行く事になり、今度は病棟の看護師さんが連れていって下さり(帰りは自分で帰りました。どうや、偉いやろう・・・。)先ずは12月9日に診て頂いた先生、その後若い女性の先生、最後に本日(ややこしい表現ですみません。)手術の執刀をして頂く先生の順に診て頂きました。

執刀して頂く先生は網膜剥離でお世話になった先生でそう言う意味では安心していますが正直不安も一杯です。それに、手術後は前回同様うつ伏せでいなければいけない事も教えて頂き余計に憂鬱になりました。とにかく、10時30分予定の手術が終了して、続きがかけなければリピーターの皆さん本日はここまでで勘弁して下さい。(しっかり眠れました。6時の点眼が6時40分になるくらいに。)

入院は意外に忙しい。特に今日は10時30分から手術が予定されているから。今(午前955分)までに、看護師さんのバイタルがあり、手術前の診察に7時10分に先生自らが迎えに来て下さり手術前の診察があり、看護師さんのバイタル。8時までに朝食。9時からは10毎の点眼。予定より早い10時に手術室への迎えが。リピーターの皆さん後は明日に報告します。

 

いよいよ入院です

令和3年1月4日

11月29日の運転中に電柱を見て『くの字』の逆にぐにゃりと曲がる違和感を覚え少し不安になりながらも、その日は日曜日て午前中は面接があり午後は家族会主催の誕生会と本館のお参りがあり、日曜日てかかりつけ医の診療がないので病院へ行くのは諦めながらも多分私が見にくそうにしていたのを職員が気にしてくれてインターネットで日曜日でも診療している病院を見つけてくれて、診療時間が迫っていて私がぐずぐずしていたのですが車を準備してくれたので診療時間受付をぎりぎり間に合い、色々な検査をして貰うと医師から「左目に小さな穴があります。なるべく早くかかりつけ医に診て貰った方がいいですよ」との診察結果に驚いて、翌日(1月30日)の日程には午前中、和合の施設で全体会と面接があり、午後からは老施協事務局の打ち合わせと岐阜県高齢者安心策定計画の大切な会議が入っており絶対に予約を入れれないのでその翌日の12月1日は新規事業の『建方』が朝イチであり10時30分からの予約は理想的とお願いして新規事業の儀式を終えて病院に行くと『黄班円孔』との診断で、診て頂いた先生が所属されている名古屋市立大学病院での受診をしての手術を進められ、12月9日に予約となり長男の運転で診て貰う事になり、診て貰った結果本日の入院で明日の手術となったわけです。

手術日が決まっていたのですが何とか運転が出来たので運転していたのですが、12月8日に18時から岐阜県庁4階大会議室で緊急コロナ対策会議があり、自分の運転で行ってめっちゃ恐い思いをしたので翌日は名古屋市立大病院の予約日であり、それ以降は運転をしない日々です。自分で運転しないと言う事は非常に不便な日常になると実感すると共に私が盲養護老人ホームを新規事業で取り組むのは必然があったのだと感じています。「手術をして頂いたら必ず良くなる。」とは信じていますが正直今は不安で一杯です。まだまた、私がやるべき事、やりきらなければいけないことはたくさんあると考えています。しかしながら、『万が一』と考えると正直なところ・・・。

但し、今日の入院時の対応は長男が迎えに来てくれて全て対応してくれるので安心なのですが、入院受け入れは14時なので12時の迎えにして、今(午前8時55分)は水野相談員の運転で岐阜県庁への年始の挨拶に向かっています。岐阜県庁の後も垂井町役場、関ヶ原町役場にも行き、新規事業の建設も今日から再開されるので様子を見に行きたいと考えています。(病室で落ち着いたので改めてコラムを書きます。)長男に12時前に迎えに来て貰い荷物を積み出発。養老サービスエリアで昼食をとり13時30分に病院に着き長男に大きな荷物二個を抱えて貰い17階までエレベーターで行くと(個室を希望したら特別室のフロアになってしまいました。)受け付けにはコンジェルジュと言われる女性の方が二人もおみえになり全く親切に受け付けをして頂き荷物も台車に載せて部屋まで運んで下さいました。部屋に入ってからは長男に手伝って貰い荷物の整理をしました。

食べるものも着替えもたくさんあり、取り合えず片付いたので、長男は帰って貰いしばらくすると担当の看護師さんがみえて経過を話させて貰って、看護師さんが部屋を出られたと思ったら眼科の診察に呼ばれ「一人で行けますか。」と言われたので自信を持って「行けません」と言うと、受け付けをして下さったコンジェルスの方が眼科まで連れて行ってくださり、尚且つお迎えにまで来て下さる親切さ。この後はどんな風になるのかわかりませんし、ひょっとするとコラムの中断も有り得るのかも知れませんが、書ける状態であれば頑張りますのでリピーターの皆さん無事に目がよくなって再び頑張っていけるように祈っていて下さい。

明日から(1月4日)入院ですが・・・

令和3年1月3日

昨日は本部施設がある4地区(国道21号線西を南に入った地区)の区長さんの家に年始のご挨拶に行って来ました。流石に今年のお正月の過ごし方はコロナの影響で不要不急が徹底しているためなのか4地区の区長さん共に直接しっかりとご挨拶をする事が出来ました。ご挨拶を終えてからこれまた本部施設に隣接してある村社である氏神様(天満神社)にも昨年のお札を持ってお参りに行きました。元旦でもないし年末からのかがり火は無いだろうとライターを自惨したのですが大きな木の切り株が二つありかすかにくすぶっていたのでお札や飾り物(多賀大社で昨年の元旦に購入したもの)を切り株の間に入れるとライターを使う事無くきれいに燃えました。そこで私は煙を体中に頂き邪気を払った気分になりました。もう一つ不思議な事に元旦では無く二日の日の9時過ぎだったので、誰にも会うことはないだろうと思っていたのですが、本部施設立ち上げ時に土地提供をして尚且つ3人の地主さんのまとめ役をして頂いたご夫婦の方にお会いして年始のご挨拶を出来たのは『初心に返りなさい。』との戒めであったのかと身が引き締まる思いになりました。その後拝殿にお参りをして、土砂防止の為に仮設置してあったお地蔵さんが元の位置に安置されての年明けだったので般若心経を唱えさせて貰いました。(その行程で写した写真も見てください。)施設に帰ると11時から新規事業での面接を予定していた方が既におみえになっていたので急ぎ会議室へ。(このようにして新規事業も少しずつできあがっていきます。)面接を終え昼食を頂き事務所の椅子に腰掛けいつもの癖で私の正面に設置されている時計を見ると丸い形はわかるのですが、全体に黒く浮かんだようにしか見えなくて「これでは仕事にならない。」と思い家に送って貰いゆっくりと休む事にしました。18時30分頃に長男家族が来ることになっていたのですが17時30分までぐっすり眠ってしまい、携帯が鳴ったので急ぎ携帯に出ると私の奥さまかをり様が、「誠から(ちなみに私の長男ですが)アパートを出た」との連絡で慌ててお風呂に入り、ゆっくりと入ったのでお風呂から出た時は既に長男家族は来ていて孫の翔(既にご存じかも知れませんが『かける』と言う名前です。)は、あいからわずひょうきんで数字に対するこだわりの強い子で、じいじの私も元気を貰います。『子どもは神童』とは良く言ったものです。明日からは入院しなければいけないので私が入院中に迷惑をかけるわけにはいかないので、留守をしても良い体制の準備等でばたばたしてしまいましたが、明後日の手術の如何によって入院日数が変わると言われているので正直イライラしているのですが、「え~い。まな板の鯉じゃ。後は野となれ山となれ・・・。」と口には出してみても、正直不安で一杯です。リピーターの皆さんで何の問題もなく目の手術が終わり車の運転も何ともなく出来る事を祈って下さい。さすればより頑張って地域貢献に邁進しますので「宜しくお願いします」なお、明日は朝イチで岐阜県庁、垂井町、関ヶ原町及び新規事業の現場に年始の挨拶に行き、午後零時過ぎに長男の運転と荷物持ちで名古屋の病院に出掛けます。

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明後日(1月4日)から入院です

令和3年1月2日

何度もこのコラムで書いたように左目の黄班円孔(おうはんえんこう)の手術の為に入院をするのですが、事前に手術日が決まっていたので新規事業も含めて12月はかたり凝縮した日程をこなし、尚且つスポット的に知事選候補予定者の福祉懇談会を入れ込んだりしたのでより厳しかったです。そんななかでの昨日の元旦は入居者さん、利用者さんにお酒を振る舞うお約束をしていたので、各フロアを回り入居者さん利用者さんの笑顔を一杯頂きましたが、、そんな中でもなかなか出来ない体験をしましたのでその報告を書きます。10時30分から廻る事にしたので、本館職員が昼食にとる所へ大垣フォーラムホテルから購入したおせちをメッセージと共に並べ、新館の職員のおせちをお酒やコップ(コロナ対策で盃は止めました。)等と共に台車に積みカメラ担当の北島部長と抹茶担当の副施設長と共に出発。新館一階までの途中でも本館一階、二階の入居者さんや職員さんに新年のご挨拶をしながら行きました。新館一階、新館二階、本館二階、本館一階ととそれぞれに素晴らしい笑顔を頂きながら進めていき最後のエリアであるデイサービスに行きました。年中無休のデイサービスの元旦のご利用者様は6人でしたが、元旦から利用して頂いた大切な方々ばかりですし、在宅での生活をされておみえの方々ですので比較的お元気な方なのでよりテンションを上げてのパフォーマンスになったのですが、私自身も最高潮になり最後におつぎに行った男性利用者さんに大きな声で「お待たせしました。お祝いのお酒を持ってきました。」と勢い良く側に行くと「そんなに大きな声でなくても聞こえる。」と思いっきり怒鳴られてしまったので、『ここは素直に謝らねば』と思い耳元で小さな声で「お待たせしてすみません。元旦ですのでお祝いのお酒をお持ちしましたのでコップに注がしてもらいます。」と言うと素直にコップを持って頂けたのでコップに注ぎながら「最後になってしまいご免なさい。」と言いながらコップに並々と入れさせて貰いました。注ぎながら私が考えたのは、この利用者の男性の方は『本来お酒が大好きで早くに飲みたいと期待していたのに最後になって自分の前に女性の利用者さんと大きな声でワイワイとやり取りをしている内にイライラ状態になられたんだ。』と考えました。私にも覚えがあります。特にその場のなかでの順番には私も面倒くさいくらいにこだわるところがある私の嫌な考え方の持ち主だから・・・。『人の姿を見て我が身を直せ』だから・・・。但し、私はこれからも順番については場を見極めてこだわりたいと思うと共に、お酒を振る舞う時は事前情報を得た対応にしたいと考えています。本日も本館の幹部職員に食事の時に作業的にならないような対応に留意するようにと話をしました。但し、今はコロナ対応も必要なので会話についても留意しなければいけない事もあるし、なかなか難しい『ウィズコロナ』だとも思ったしだいです。リピーターの皆さんの中にはまとまりのない終わりかただと感じた方があると思います。実はこれから長男家族が来るので落ち着かないのです。どうしてかと言うと孫には前回誕生会で会ったきりなので一ヶ月ぶりでじいじをやるのでお許し下さい。

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令和3年元旦に思う事

昨年の令和2年は『コロナ』によって生活様式を好む好まないの選択の余地が無く強いられ模索をしながらの1年でした、そんな中で明けた令和3年の元旦に際しても『コロナ』に対する対策は大きな課題ですし(天皇陛下の年頭のビデオメッセージも大半が『コロナ』に対するものでした)避けての生活は絶対に無理です。但し、昨年3月以降の経験から学んだ事として『ウィズ    コロナ』と言われながらも形に出来なかった事をきちっとした体制の中で展開して行く事だと考えています。つまり、コロナは常に近くに存在する中で如何にうごめき展開していくのか。恐れるのではなく受け入れながらも配慮していく生活です。さらっと言いましたが今までとは違うストレスを感じながらの生活ですが受け入れていくしかない。但し、施設の入居者さんの中にはその展開を理解して頂けない方も多くおみえになる事は歪めない事実ですので、その事実を私を含めた職員が理解した上での展開をしていく事こそ肝要何だと思います。しかしながら新年最初にした事は午前1時2分に新規事業に対して色々な形で協力して頂いている方からの新年の挨拶メールに対して、直ぐに返信メールを打った事であり、午前4時には雪の状況確認をする為に我が家の北側の道路から見て「殆ど積雪はなく安心した。」と再び布団に戻り(積もっていたら除雪依頼をしなければいけなかったのですが)6時の町広報のチャイムで目覚め(と言う事は熟睡してない証かな)再び雪の確認をして(大丈夫でした。)6時のNHKのニュースを点けて雪情報を見て(滋賀県彦根の積雪は25㎝との事でしたので西の地方は大変なんたと理解しました。)今のところは大丈夫との思いの中で安心しながらも宿直者の五次部長に新年の挨拶を兼ねて連絡をしました。さて、あいからわず私は元旦早々『俺がやらずに誰がやる』的なスタートになってしまいましたが改めて令和3年の所信としてと言うより自分の肝に銘じたものを以下に書き所信の挨拶とします。

【杉和会が事業開始をして、お陰さまで23年の月日が流れ今年の4月には盲養護老人ホーム優・悠・邑    和(なごみ)の事業も新しく開始されます。杉和会職員も総勢180人(委託業者の従業員は別)になり、しっかりとした理念に基づいての運営がより求められます。職員の数が増えれば増えるだけ理事長である私の発信をしっかり受け止めて頑張れる幹部の育成に努め私が語らなくても形が整う体制を構築していきたい。その為には『是は是、非は非』を明確にした体制に邁進していき。そして何より地域に愛されるような日常で『今日一日楽しかった』と言って頂ける為に日々精進をしていきたい。】元旦の日の朝、思うに任せて打ち込んだものですので粗削りのものですが大切にしていきたいと考えています。

✳大晦日の今須の夜は天気予報で報道された程にはお掛け様で積雪はありませんでした。その現象の中で頭に浮かんだのは小さい頃に近所の長禄の方から聞いた話で「月夜には雪は積もらない」と言うのがあったのですが、正にその通りであり、1月4日から新規事業の建築が再開されるのでなるべく支障がないとありがたいのですが。(私は申し訳ないのですが、その日から目の手術の為に入院させて貰うのですが)

本日は大晦日です

2年12月31日

12月28日の岐阜県知事選立候補予定者による福祉懇談会の私の開会の挨拶で一杯いっぱい心残りがあり2日間ももやもやしていたのですが、昨日しっかりユーチューブの画面を確認して舞い上がった状態での挨拶で殆ど話した内容を覚えてなくてモヤモヤ感が払拭出来なかったのが、実際の画面を見て、「時間の制約(現職の古田知事が公務の為に30分で退席される。)が厳しい中では精一杯の話だった」と理解すると急に元気が出てきました。(現金な私なのであります。)

そんな中で、昨夜は『雪が降る』との予報もあり、早く寝て爆睡。3時45分に目が覚めて、我が家の北側を走っている旧中仙道と国道21号線の状況を確認すると5㎝程の積雪で車も普通に走っているし、雪の降りかたも大した事はないので「除雪を頼む程ではないな」と考えていると、3時55分に宿直者の伊藤係長からメールで雪の状況報告に私は改めて「我が施設の職員は実直だ。」と思いながら改めて電話で労いの言葉と共に打ち合わせをしました。再び6時にメールでの報告で『その後もそれほど降ってないので玄関先だけはどけておきます。』とのメールだったので、再び労いの言葉と共に「無理はしなくて大丈夫。7時には1度除雪依頼をかけるから」と話をしました。大晦日の今日は雪に対する対応と片付けを頑張ります。(ここまでは6時30分を回った段階での原稿です。続きは夜に書きます。)

地元の製材所をされている方に除雪の契約をしているので電話にて除雪を依頼して、施設に行くと正に除雪をして頂いていたので、折角除雪して貰うのなら綺麗にして貰おうと思い、夜勤者等で駐車している本館前の車を移動する為に外で陣頭指揮をとり、その後は書類の整理をしつつ必要がなくなった書類をシュレッターにかけ(年の瀬と言う事で思いっきり処分しました。)その後、お世話になったところへの届けものに行き、今年の疲れを無しにして貰おうと予約してあった整体でしっかり体をほぐして貰いましたので(たっぷり2時間)体も軽くなったので、来年に疲れを残さないタイミングでの整体でした。

明日は令和3年元旦であり、光輝く新たな年を迎える事が出来るのですが、間違い無しに白い物をどっさり頂く(雪の事です)事になりそうですから雪解けが新年一番の仕事になります。白一色になるのは全てのものが綺麗に浄化されると思うと『これまた有り難い事』と思うようにします。1月4日からの目の手術の為の入院についても、神様、仏様、ご先祖様から『ゆっくり休養をとって、ますます世の中の為に尽くしなさい。』との意志だと思うようにします。リピーターの皆さん。今年も一日も休まずコラムを書く事が出来、多くの方が読んで頂いているのを感謝しております。来年も引き続き宜しくお願い致します。

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引きづってます

令和2年12月30日

岐阜県知事候補予定者との懇談会での私の開会の挨拶はメロメロだった事が今尚引きずってます。しかも、ユーチューブではその全ての事がリアルに映っているのですから尚更です。そう考えると生番組は「大変だな」と改めて思いました。そしてまた、今回の企画は私の思い付きに他の5団体が参加を表明してくれて尚且つ、3候補予定者が参加の意思を示して頂いたからこそ実現したようなものです。

具体的には12月22日に案内状を出それぞろの事務所に直接お持ちして、25日に3人の参加報告がきて、そこから具体的な流れを作った次第で文字通り走りながらのぶっつけ本番。そう言う意味では一番流れがわかっていなければいけなかった私が舞い上がっての失態を自らユーチューブで流す事になるとは何と情けない次第です。しかしながら、会場設営やコロナ対策は本部施設の職員に協力して貰い完璧に出来たので良しとしなければ。

翌日であった昨日(29日。ややこしい表現でご免なさい。)は本部施設で恒例の餅つきだったのですが、これまたコロナ対策で各フロアに臼を設置して私が玄関先で蒸した餅米を超元気な水野相談員と北島部長がリヤカーに乗せて(私がクリスマス会でサンタクロースになって乗せて貰ったリヤカーです。)大急ぎでそれぞれのフロアまで運ぶ形で行いました。このコロナ禍だからこそのパフォーマンスですが、蒸した餅米を冷まさないように運ぶのもついたお餅をのし餅にする為に待っている本館会議室に運ぶのも至難の業だったと思うのですが、これを鮮やかにしてしまう当施設の職員は素晴らしい。

そんな風に考えると28日に開催した知事候補者予定者の懇談会の準備も当施設の職員が手際よく当然の如くしてくれたからこその大成功だとすると私が引きずっている出来事はご愛敬と言う事なのかも知れません。今は午前2時10分(真夜中ではあ~りませんか)に目が冴えてコラムを書いてるのですが夜明けと共にいつもの私に戻るつもりです。(とにかく夜明けと共に頑張れるようにこれから寝ます。)世が明けて出勤しての最初の仕事は正月用品の買い物です。(鏡餅、お花、茶会の品々)その後はネパールから特定技能の介護を一回の試験でクリアした男性との面談と昼食。

昼食後は新規事業。の現場に年末の挨拶に(頂き物の新潟の大吟醸と勝沼ワイを赤と白とみかん一箱を持って)施設に帰りユーチューブで改めて28日に行われた懇談会での私の開会の挨拶を見ると頭真っ白で話したのを聞いて話したかった事の半分しか話出来なかったのですが時間の制約があった中としてはギリギリ合格点をつけても大丈夫な内容だったことに安堵して、元気が湧いてきました。リピーターの皆さんこれで安心して新たな年を迎えれると考えていますが、ユーチューブでみられた方はどのように思われたか教えて頂けると嬉しいです。

岐阜新聞の一面に

令和2年12月29日

昨夜は21時30分に宿直者の谷田主任の「コラムの原稿はまだでしょうか」の連絡を貰うまで爆睡していて、その後何とか原稿をまとめあげ、再び眠りについたのですが、ふれあい会館で開催した岐阜県知事立候補予定者による討論会を思い出して再び興奮に陥り眠れなくなり、あれやこれやと考えていて、特にぶっつけ本番での開会の挨拶は私自身が舞い上がってしまって全くの下書き無しです。(いつもの事ながら自分自身の事は最後にしてしまうのです。)しかも、マイクがどれなのかがわからず、持って来て貰ったマイクはオンになっていないのに話をしていて、指摘をされてからは頭が真っ白になり、前もってイメージしていた思いが全て吹っ飛んでしまった事を浅い眠りの中で思いだし、こんな風に言えば良かったと言うのが頭によぎり正直熟睡が出来ないまま朝を迎えました。

昨夜にお風呂に入れなかったので「お風呂で昨日の記事が掲載されていると思うので新聞を読もう」とお風呂の蓋に置いた新聞を見てビックリです。と言うのは一面の上段に大きく写真で立候補予定者3人が大きく乗っていて、これまた大きな見出しが『県の未来初論戦』と書いてあったからです。そしてつくづく思ったのは 「立候補予定者に意見に考え方を聞きたい。」の思いを持ち「だったら立候補予定者を引っ張りだそう。

その為には岐阜県老施協だけでは無理だ』と考えて老健協、グルーヴホーム協、身体障害者施設協、児童養護施設協、福祉施設経営協の5団体にも私から呼び掛けをしたところ皆さんが快諾して下さり12月22日に各候補予定者の事務所に届けたところ自民党系の現職と新人と共産党系の新人の三人の方から参加の意思を頂いたので改めて県庁記者クラブに確かに連絡はしましたが殆どのテレビ局と新聞社が取材に来て下さったので私は「とんでもない企画を実現したんだ。」と思ったのですが、今朝の岐阜新聞の一面の最上段にでかでかと立候補予定者の写真が載っていたので私は改めて「とんでもない企画を成し遂げてしまったんだ。」と実感しました。

その後も新聞を見た方から私の携帯に「凄いことをしたな」とか「岐阜県では初めての事だぞ」等との連絡を頂き改めて「凄いことをしたんだ。」と思った次第です。そして、昨日一部始終を撮影して下さった岐阜広告からYouTubeで『2020岐阜県知事立候補予定者から福祉施設の運営について意見を聞く』を検索して下さいとのメールを頂いたので、「これは拡散しなければいけない。」と昨日参加して下さった主だったメンバーにショートメールで連絡しました。リピーターの皆さん。私の思い付きの企画がこのような形になった事を嬉しく思うと共に改めて私が常日頃『ご縁』を大切にしている中でのアクションだと思っています。だから、これからもこのコラムを末永く宜しくお願い致します。

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