一瞬の出来事だと思います・・・。多分・・・

昨日の本部施設幹部会(経営戦略会議)では、いつも以上に白熱した議論がなされ、9人いるメンバーが議論中はそれぞれに熱く語っていて(もちろん理事長・総合施設長である私もです。)気が付けば17時15分から始まった会議が20時20分。あれだけ熱く語り合ったのに終了と共に和気あいあい。これが本部施設の強みだと思っています。

その後片付けをして家に帰りお風呂に入り、昨夜の夕食はシュークリーム一個のみ。これではガリガリになってまう。大丈夫です。私のお腹には1ヶ月分の蓄えが入ってます。でも、我慢が嫌いな私はそんな事は出来ませ~ん。但し、我慢する事が社会の為になるのであれは、いくらでも我慢出来ますが。

とにかくお風呂の中でもコラムを必死に書き、それでも完成しなかったので(短いのでは納得がいかない宏君なのであります。)布団の中で完成させ本部施設の宿直者の堀江係長に無意識の状態で送信したようです。そして次にびっくりする事が起きました。それは、これまた無意識の内に宿直者の堀江係長にコラムをメールで送信した事を伝えようと本部施設の番号に連絡をしたようです。と言うのは私が連絡した携帯のコールで「何事だ」と目を覚まして思わずコールを止めてしまったのです。そして改めて宿直者の堀江係長に何事もなかったように「今コラムをメールで送信したのでホームページにアップして下さい。」と伝えました。その後コラムの送信時間と堀江係長に連絡した時間をガラケーの携帯で確認するとどちらも、22時4分だったので、携帯で施設にコールしてうとっとしたのは本当に瞬間的な時間だったのだと理解しました。

本日は5月16日の竣工式典の招待状を手渡しする為に、10時30分からの病気療養している職員の面談を1時間早くにして貰い会議室で面談をしていると、副施設長に外線が入り、その報告を聞くと「かつて入居されていた家族の方から寄付金の申し込みをしたいとの事で申し込み用紙を送って欲しい。」との事だったので、「寄付申し込み依頼を連絡して頂いたのは初めてで、これが呼び水となれば嬉しいな」と思ったので面談を終えて直ぐに連絡を頂いた方にお礼の電話をさせて頂くと、「わざわざ申し訳ありません。」と言われたので、電話を切ってから「一生懸命に頑張っている事は必ず報いられる。この一本の電話が呼び水になる。」と確信しました。

リピーターの皆さん。一生懸命に頑張れるのは心地よいと感じているのですが、その気持ちを理解して頂ければ嬉しいです。

朝の目覚めはリットの「ニャー」の一声でした

2021.4.16

昨夜もメッチャ早く(21時)爆睡していた為か午前1時30分に目覚めて、その後はなかなか眠れなくて、そんな中、戦略を考えていると「湧いてくるぞ」と言う事でなかなか再びの眠りにつけず、「そろそろ起きて行動開始をしようか」と考えながら『トロッと』したんだと思います。その時です。「ニャー」とリットの一声。(『一鳴き』の方がより正確かも)「これはリットではなくて母秋江さんがリットの体に乗り移り・・・。」等と思えるタイミングでの一鳴き。でもこのタイミングで起きて(5時10分)ウォーキングの準備をして1階に降りて行く時にリットは私の前で歩くのを邪魔しながら尚且つ尻尾を大きく挙げているのです。「これは単に私と遊びたいだけか」と思いましたが、「母秋江さんが先導していてくれている」と思ったら『鬱陶しい』が『楽しい』『嬉しい』に変わるのだから人間の(私の)感情とは不可思議なものだと、朝早くから(今は6時29分2キロは歩きお風呂でコラムを打ちながら思っています。(残りのコラムは一昨日から始まった盲養護『和』(なごみ)の職員の本部施設の実践研修について書きますが一旦お風呂を出ます。)(残りはこれから書くのですが、今21時34分です。)8時20分に施設に着き本部施設顧問との打ち合わせをしていると、8時40分と早くに優・悠・邑   和(なごみ)の実践研修受講者の3名が着かれたので、さっそく着替えて貰ってから会議室で研修に入る前のレクチャーをさせて貰いました。①メモをしっかりと取る事は仕事をする上に於いての財産になる。②気付きの多い職員になるために、ハード面で気づいた事をメモに取る。③勝手な判断はしないで謙虚に指示に従う。④コミュニケーションを取ると言う事は単に話をするだけではない。等と熱く語りそれぞれのフロアに行って貰いました。私は13時30分に岐阜県高齢福祉課との打ち合わせがあり職員4人を引き連れて行って、再び施設に戻ってからは16時30分からまたまた、実践研修を受講した3人の職員の指導を行ったのですが、朝の指導とは違い、実践後の指導なので、今日正に学んだ事をそれぞれに目を輝かして語ってくれました。もちろん1日で全ての事が分かるわけでなく、『目から鱗』のような事ばかりだったようなので「本部施設の職員の勤務年数は10年を越しているので、それなりに整ってきた事を是は是で取り入れてもらいたいし、疑問に思った事は次回の研修時までにまとめておくようにと話をしました。17時15分からは本部施設の幹部会で、いつもの事ですが熱く語りました。烏野先生はコロナで大変な大阪からリモートの参加になります、リピーターの皆さん。もっともっと語りたいのですが、既にうとっとしてしまっています。とにかく寝ます。

つくづく走りながらの人生だと思いました

今朝も5時過ぎからウォーキングマシンで歩き、尚且つお経を唱えながら、私の生きざまを振り替えっていました。何度もこのコラムで書いていますが、私は母秋江さんの後ろに隠れながら『そっと』回りを見て動いているような生き方で、母秋江さんは私が中1で他界してからは姉光子さんの守護の元生きていたのに、その姉光子さんは私が高2の4月7日にこれまた他界し(急逝と言う表現の方が正しいかも知れません。)凧の糸が切れたような生活を許してくれたのがその当時学校長をしていた父進さんでしたが。当時の私は父の対応に対して感謝の気持ちを一片も持てないような何ともならない高校生でした。(多分、心の奥底ではわかっていたと思うのですが・・・。)間違いなく私の人生を大きく変えたのは四国巡礼の歩き団参だったと思います。但し、その頃の私は「困っている方がいらっしゃったら何とかしてさしあげたい。」と言う単純な思いでの行為だったと思います。つまり、『自分の出来る範囲内で』と言う事でした。しかしながら、教員になり担任をさせて頂いた子ども達に「楽しい事を一緒にやりたい」と言う事で頑張ってやればやるほど、その当時の教育現場では受け入れられなくて(多分今も駄目だと思います。)潔く辞職して、自分探しの結果、(と言うよりその選択しかなかったのですが)児童養護施設(当時は養護施設と言ってました。)の指導員になり13年間、施設の子ども達の親代わりとして、「この子はこんな風に育って欲しい。」と考えた事を実践してきました。しかしながら、その実践は狭い範囲のもので、35歳の時に資生堂福祉財団でのアメリカ研修に参加させて頂き、「もっと広い視野での展開をしたい。」との思いで退職を決意したものの直ぐには退職することが出来ず38歳で退職しました。しかしながら、退職してみたものの、家族を養える程の収入基盤もない事がわかり、途方に暮れながら、大学の非常勤講師や家庭教師での収入では若山家の生活が出来ないことに気が付いても『時、既に遅し』。とにかく、自分が出来る事を精一杯に全力でうごめくしかない。それが、例え報酬を得られないものであっても。この実践は、中1の時に他界した母秋江の遺言である『蒔かん種は生えない』を文字通り実践してきたと言う事か。母秋江さんに見守られているお陰なのか一生懸命の中、良い方向を見出だす事が出来る。38歳で退職し6年かかって社会福祉法人の認可を頂き本館施設が設立した時も『無鉄砲この上ない。』のに、色々な方のご支援ご協力を得て出来ました。今回の盲養護老人ホームの計画も客観的には無茶な計画で走りながらの展開ですが、きっとリピーターの方々も私の熱い思いは理解して頂けるものと願っています。よーく考えてみると私の生き方は走りながら対応すると共に夢を食べて生きているバクーのようですが、ご理解とご協力を宜しくお願い致します。

4月4日から歩きを再開して11日目での変化したお話です

令和3年4月14日

まだまだ、体重に変化はありませんが、今朝も5時に起きて、着替えと靴下、タオル、ペットボトルの水を持ち1階に降りて、先ずは洗面とうがいをしてから、仏壇に蝋燭と線香を灯し5時20分からウォーキングマシンに乗り、マシンのスイッチが下の所についているので膝を曲げてオンにするのですが、今まではこの行為に苦労していきなり息が荒くなっていたのですが、本日はそれほど苦にならない。(私的には凄い事なのであります。)そして歩きだしました。

最初の1分はウォーミングアップの為にゆっくりと歩きながら父進さん、母秋江さん、姉光子さん、養母英子さんの写真に挨拶。その後3・9キロに設定して『しょうしんげ』を唱えだして10分も歩いていると既に背中を汗が流れているのがわかり、私はニンマリしながら「活性化している。」と感じました。『しょうしんげ』と『お文さん』を唱えた時に、最初の頃は「もう限界」と顎があがっていたのですが、本日などは余裕でマシンを止めて汗をタオルで拭いながら、ペットボトルの水を飲んで再び歩きだし、般若心経を唱えて、30分が苦にならなくなりました。その時にふと記憶が甦ってきました。

それは、大学時代の夏休みに滋賀信行会主催の夏の団参に参加して、本部がある長浜まで帰り、お礼のお参りがあり、それぞれの支部(私の場合は山東支部で柏原にあります。)まで行き再びお参りがあり解散になり、迎えの車が何らかの理由で来なくて、私一人の為にお世話をして頂いている方が帰る事が出来ないので「これはご迷惑をかけてはいけない。」と考えて、「家まで歩いても大丈夫ですから」と言って山東支部を出て4キロ以上はあったのですが、飛ぶように帰った事を思い出したのです。確かにあの頃の体重は50キロ位で痩せていて身が軽かった事も事実ですか、平坦な道なら一日30キロ位を歩く修行だったわけで、4キロ位は『グリコのおまけ』(懐かしい表現でリピーターさんの中には「何のこっちゃ」と思われる方もおありかも知れません。)位の感覚だったように思います。

本日このようなコラムになったのは、本日から盲養護老人ホーム和(なごみ)の職員さんが3人づつ(日によって4人の時もあります)実践研修に来ているのですが、初日と言う事もあり、理事長である私から①記憶は忘れる事もあるがメモ等を確認する事によって記憶が甦るもの。だからしっかりメモをとるように②気付きの多い職員であり、その気付きを最大限生かして欲しい。と熱く語りました。と言う事で本日はこのようなコラムになった次第です。

『和』の職員の指導の後はばたばたで新規事業の伐採の状況確認に行き、その足で県議会議員の所へ陳情に行き、昼食は車での移動中におにぎりとパンで済ませて、施設に帰ってからは、コロナ感染対策の一貫によるPCR検査の打ち合わせや和合の佐藤施設長さんとの打ち合わせが待ってます。その間に時間を作って、本日から実践研修に来ている職員の成果を確認する為の話もしたいと考えています。このように携帯でコラムを打ちながらつくづく思うのは『時間はつくるもの』だと言うことです。きっと私の生き方の中で「今日は何をして時間を潰そうか」等と考える事もなく生きていけるのは最高な生き方だと、リピーターの皆さんも思われませんか。

昨年は6月から外を歩いていたようです

ガラケーの携帯の『歩数計』機能の『歩数ランキング』を見たら最近の4月10日が10359歩でベスト4位に食い込んでいて(ベスト5までしかわからないのですが)残りの記録は昨年の6月から7月のものなので、恐らくその頃には外を歩いていたのだと思っています。その理由は、今のコロナ禍の生活では、東京に出張で歩くわけでも無く(東京に行くと歩く機会が多いのです。例えば新幹線を降りて八重洲口から丸の内口に歩くだけでも、結構な歩数になりますから)マシーンで30分歩いても3000歩を少し越える位であり、その後に10000歩達成する為に残りの7000歩を歩くのは今の生活では難しいです。(前にも書きましたが座っている事が多いので)昨年の数値の記録には20000歩を越すような驚異的数値がないのは、これまたこのコロナ感染対策の一貫で例年地域の方も多く参加しての夏祭りが開催されなかった事により8月に驚異的な数値がないのです。例年だと夏祭りの前日は準備の為にうろうろと歩き回っているし、夏祭り当日は準備と共に来賓等への対応で走り回っているので楽に20000歩を越えるわけです。回りの方々からは「理事長さんらしくドーンと構えていたら良いのに」と言われるのですが、『私は現場主義』『私は労を惜しまず』をいくつになっても貫きたいのです。朝から少し格好良く決めてしまいましたが、さてさて、施設に行ってからの展開は如何に・・・。今(18時17分)家の湯船に浸かりながらコラムを再開します。8時30分から岐阜県社協の課長さんが老施協の事務局長の立場で打ち合わせに来て頂く事になっていたので、8時過ぎには施設に着き書類を見ながら待っているとおみえになったので会議室で4月20日の正副会長委員長会議の事前打ち合わせをしました。昨年度とは違い体制が改善されたので、しっかりとした資料が出来ており、時には質問したり同意をしてしっかりとした打ち合わせができました。玄関先でお見送りをしていると、10時30分に和(なごみ)の吉澤施設長が決済と打ち合わせに来たので再び会議室に理事長印を準備して行き、決済印を先ずは押印して、施設の体制の問題について相談にのると共に竣工式の打ち合わせをしました。打ち合わせを終え一旦吉澤施設長は施設を出たのですが、直ぐに戻ってきて「一番相談したかった本部施設での新規採用者の実践研修を受けて欲しい。」との事で私は快く良く受けると共に「吉澤施設長もこんな大切な事を忘れるとは、頑張ってはいるけど一杯いっぱいなんだ」と思いました。(さっそく明日からの研修体制はとりました。)午後からは看護職員の面接があり、その後米原市から措置入居を受けた方の事で役所の方が3名おみえになり、色々な話をさせて頂きました。その間も時間を有効活用する為に全国老施協の事や竣工式の検討等をこなしていきました。リピーターの皆さん。このコロナ禍での色んな展開ですが色んな事に留意して対応していきますのでご支援宜しくお願い致します。

6時40分に烏野先生からショートメールがきました

令和3年4月12日

一昨日施設に介護報酬改訂により色々な研修をしなくてはいけないとの指摘と共に「他県の依頼を受ける前に先ずは岐阜県で協力したい。」との、烏野先生からの有り難いメールに対して「『リスクマネージメント』や『防災対策』等について依頼しなければいけない」と考えてはいたので 昨日、岐阜県老施協研修委員会小島委員長代行に棚橋衆議院議員の大垣事務所で会った時に研修委員会として実施するように指示をしておいたのですが、いわゆる『昨日の今日で』烏野先生から表題の通り6時40分にショートメールを頂いたので、折り返し携帯に連絡すると、既に車を運転中(耳に充てて話さなくて良いシステムで・・・。私も活用してますが便利な世の中になりました。)でしたので、「烏野先生もあいからわず早いな」と話すると、「若山先生程ではありません。」等とのやりとりの後で、「具体的には研修委員会の小島委員長代行に具体的なやり取りは任せるので宜しく頼みます。」と話をしました。

10時30分に岐阜広告の棚橋社長が岐阜新聞の制作担当者を連れてみえたので、話を聞くと「盲養護老人ホームの取材を理事長の思いと共にしたい」との話だったので、「今回の盲養護老人ホームを広く周知出来るのは素晴らしい事」と思い、「出来たらユーチューブやホームページにアップしたい。」と話すると「大丈夫です。」と言われたので「素晴らしい企画になるな」と嬉しくなりました。色々な話をしたので(もちろん、私の武勇伝も話しました。)12時近くになったので急いで昼食のきつねうどんを平らげ、13時30分から和合の幹部会があるので車で移動しました。

幹部会は15時前に終了して理事長室に入って行き、本部施設を立ち上げた頃に入居されていた方の奥さんがお友だちのご主人の入居の相談に同席されていたので挨拶をして(かつての入居者の家族の方が当施設の紹介に来て下さったと言う事はかつての対応が良かった証しと嬉しく思っています。)しばらくお話をさせて頂いてから、1階の利用者さんがお参りの為にみえていて、揃われていたので、仏壇の前に行きジャケットを脱いでお参りの体制になろうとすると、利用者さんから「凄い服やなあ」

(※写真参照)

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との目敏い指摘に気を良くした私は三回程ぐるぐるとモデルのようにして(私的にそう思っているのです。)「似合ってやすか」と言ってからお参りの挨拶をして、皆さんと一緒にお経をあげさせて頂きました。16時30分に本部施設で来客があり、私の方がご無理なお願いをするのにわざわざ来て下さるので「お待ちするわけにはいかない」と急いで本部施設に戻り、ぎりぎりセーフで会議室に行き、お願い事について語らせて頂きました。リピーターの皆さん。本日も充実した一日だった報告でした。

いつもより目覚めがゆっくりで5時50分から歩いてます

いつもだと5時前に目覚めるて行動開始をしていたのですが(とは言え、まだ7日しか継続いていませんが)本日は一旦5時に目は開いたのですが「まだ眠い。5時30分から行動開始をしよう。」と再び目をつむって、気付いたら正に5時30分。「今日は仏様が目をさまして下さった。」とベットの上でいつものようにウォーミングアップをしてから「本日は外を歩くのではなくてウォーキングマシンに乗って歩くのだから、パジャマのままで準備するのはタオル、お風呂の後の着替え、靴下、ペットボトルの水。」と準備をしていたのですが眠い為か仏壇の蝋燭と線香に火を点け、ウォーキングマシンに乗り歩き出したのは表題の通り5時50分。いつもよりゆっくりだった分、逆にお経さんは丁寧にさせて貰ったので、蝋燭と線香はたて直しました。(これが宏君流の『こだわり』なのであります。)

さて、どうして目覚めが遅かったのかを(世間一般で言うと決して遅くはないのですが)コラムを打ちながら考えています。考えられる事を以下に述べます。①一昨日は車の鍵が施設に置いてあり、約4キロ歩いた疲れ②看取り対応の為に家に帰りお風呂に入り寝床についたのが22時30分といつもより1時間以上遅かった為か③日曜日なので少し遅くなっても良いと思った為か④新製品の『ヤクルト1000』を飲んだ結果なのか。ちなみに、ヤクルト1000の効果には、機能性表示食品と明記して『ストレス緩和』『睡眠の質向上』『腸内環境改善』と書いてありました。もし1回飲んだだけでこの効果があったとするとめっちゃ凄いし画期的だと思いましたが、多分4点挙げた理由が複雑に絡み合っての事だと思います。私のコラムは一つのこだわりについていろんな視点から述べるので一見だらだらと書いているようですが、その点についてはご容赦下さい。

本日午前中は地元の衆議院議員である棚橋さんが久しぶりに東京から帰ってきたとの事で、西濃地区の役員5人と共に意見交流をしました。主にはコロナ対策と介護報酬改正についてですが、老施協として言うべき事はしっかり言えましたし、棚橋議員は現在行政改革担当委員長との事なので、介護報酬に伴う加算での書類に対する煩雑さについては、しっかりとわたしも全国対応として頑張って伝えていきたいと考えています。午後は社労士の先生と雇用契約の対応について話し合い、結構時間がかかったので、准看護職員の面接を少し待ってもらってから実施しました。その後少し時間が空いたので和(なごみ)に行き5月16日の竣工式典の参加者リストについて事務長と打ち合わせをして、一旦本部施設に帰り打ち合わせた内容について忘れない内にと言う事でパソコンで整理をして、本日は18時前に家に帰る事が出来ました。リピーターの皆さん。こんな日がたまにあっても許されますよね。

久しぶりに足の長い宏君です(5時49分)

わけのわからない表題から入ってしまいすみません。(謝りの言葉ではありません。ウキウキの表現なのです。)

昨日の最後に書いたように、私の車の鍵を吉澤施設長が持って帰ってしまい、車を施設に置いて帰った事は書きましたが、今朝もいつものように(とは言っても7日目ですが)早くに目覚め「本日もウォーキングマシンに乗って歩きながらお経を唱えようか」とむっくり起きた瞬間ワクワクすることを思い付いたのです。それは、私の車が施設にあり、「本日は関ヶ原診療所の受診があるので車を取りに行くついでに施設まで歩いて行こう。」と考えたのです。

この発想は小さい頃の私には絶対にない発想だと自分でも思っています。だって、母秋江さんの後ろに隠れているのが常の毎日だったし、朝早く歩く事を母秋江さんが許してくれるわけないし・・・。ワクワクしながら外で歩くのだからパジャマのままと言うわけにはいかないので、準備をしながらもワクワクしてました。

「まだ外は寒いに違いない」と思い毛糸の帽子をかぶり、タオルを首に巻いていよいよ歩きます。天気も良いし爽やかです。まるで私が歩く事を予測して吉澤施設長は鍵を持って帰ったのかと思う余裕すら出てきました。歩いていて楽しくなったのは表題に書いた事です。

つまり、歩いている内に太陽の陽が当たりだし西に向いて歩いていたので私の影が写り私の足がめっちゃ長くなっているのにまたまたワクワクしたのです。(リピーターの皆さん私が何を言いたいのか理解して頂けましたか。)やっぱり外を歩くのは最高です。施設の近くまで歩いて行くと左手ね山の方で「ホーホケキョ」の鳴き声が。「鴬の鳴き声だ」とまたまた嬉しくなってきました。

歩いている途中に白山神社があり2礼2拍手1礼をして、施設入り口の所にある観音さんのところでは手を合わせながら『般若心経』を唱えました。ようやき施設に着いた時に思わずガラケーの携帯で万歩計(はいはい、私の携帯は楽々フォンでございます。)の確認をすると5835歩を示していたので、「本日の万歩計の目標である6000歩は間違いなくクリアだ。それどころか、本日は13時30分に庭師さんと樹木の打ち合わせを盲養護老人ホーム和(なごみ)の現地でする事になっているので本日の数字は楽しみだ。」と思っています。宿直者の五次部長と話をしようと施設の中に入って行き直感的に「滅茶苦茶温かい」と感じたのですが、本当は外の風が冷たかったのだと考え直しました。と言うのは歩いている時に手が冷たく感じて思わず歩きながらズボンのポケットに手を突っ込んでいたからです。

車に乗りゆっくり走っていると見覚えがある水色のタオルが道路に落ちていて、思わず首に巻いていたタオルを確認すると「ない。と言う事は私が首に巻いていたタオルだ」と言う事で車を停めて、タオルを拾うと「確かに私が首に巻いていたタオル」と言う事で改めてタオルを首に巻きました。そして、改めて「どうして気が付かなかったのか」と考えるに「寒かった時には防寒変わりにしていたけど、体が温まったので寒さを感じなくなり、気付かなかったのと、タオルがいつものスポーツタオルよりは短めだったからか」と推理をすると共にこれまた楽しい気分になりました。

取り敢えず家に帰りお風呂に入り朝食を食べるとどっと疲れが出て本日は10時から関ヶ原診療所で血液検査と診察が予約してあるので、少しゆっくりさせて貰い、関ヶ原診療所のかかりつけ医先生から「何か運動をされましたか」と言われたので「頑張って朝歩きました。」と言うと「筋肉痛の数値が出てますよ」と言われてリピーターの皆さん私は苦笑いするしかなかったのですが、皆さんならどんなリアクションをされますかね。

本日は4時40分の奇襲でした

令和3年4月9日

昨夜は21時05分には多分爆睡していたので、しっかり眠れたとの感覚で目覚めたのが午前3時30分で、「流石にこの時間に起きてウォーキングマシンで歩くのも変だし、我が家には仕事を持ち込まない(電話連絡は別ですよ)主義なので、布団の中で戦略を考えていたのですが、表題の通り我が家の老猫『リット』が「ニャーニャー」と朝一番で鳴くので、「ここは私の出番」と起きてウォーキングマシンで歩けるように準備して1階に降りて行くと、リットも後ろからついてくる。この瞬間は堪らなく『いとおしい』リットなのであります。

最近になってつくづく思うのは「我が家の老猫リットは人間の感情を良く理解している。」と言う事です。いつものように(とは言え6日目なのですが・・・)仏壇に蝋燭と線香に火を点け父進さん、母秋江さん、姉光子さん、養母英子さんに挨拶をして、これも、パターン化をした、時速3・9キロに設定して歩き(しょうしんげを唱えながら)お文さんまで終えたタイミングで小休止です。ペットボトルの水を飲みタオルで汗を拭って、今度は時速4・4キロに設定をして般若心経を唱えながら歩きます。この30分の行為の中でわかったのは2キロは歩けて3000歩は歩けていると言う事。

そこで、私が今考えた事は毎日歩くのだから、ガラケーの携帯『楽々フォン』の万歩計の目標数値を5000歩から6000歩に変更することでした。私の日常は事務所内で座っているか会議室でお客様や職員と話をしているか、車に乗って移動するかですので5000歩の目標数値に達しない事が多かったのですが、歩きだして元気な足腰が戻りつつあるので豆腐のような意志しか持たない私ですが決めて設定しました。

話は変わり、昨日の視覚障害者福祉協会の山田会長にお会いしてツーショットの写真をとって、一旦『和』(なごみ)の施設に戻り竣工式の打ち合わせを終えた段階で和(なごみ)の吉澤施設長がしみじみと話したのが「携帯を持って常に緊張しながらいるのは想像以上に大変です。」と言ったので、その時思ったのは、どれだけ話をしてもその立場にならないとわからない事があるな。と言う事と、立場が人を育てると言う事でした。立ち上げには産みの苦しみは当然のようにありますが、それを乗り越えた時には得るものも大きいと思いました。

その後昼食を頂き13時からは2組のお客様があり、16時からは、竣工式の招待客リストを作成することにしたのですが、「机の上や回りを片付けないと落ち着いて考えられない。」と思い整理をすると共に不必要なものをシュレッターにかけていると意外に時間がかかり、18時を過ぎてしまったので、「本日は片付けで終了。明日しっかりリストを作成することにして、本日は終了」と言う事で事務所内にいる職員に挨拶をして、車を開けようとしてハプニングです。

そのハプニングとは、昼間に岐阜県社協の会長さんのところに行った時に和(なごみ)の吉澤施設長が私の車を運転して私の車のキーを持って帰ったようでドアが開かない。吉澤施設長に確認するも出てくれなくて、やむ無く副施設長に家まで乗せて貰い帰って来たのは良いのですが 本当に吉澤施設長がキーを持っていったのが心配でしたが、我が家のお風呂に入っている時に吉澤施設長から「電話に出れなくてすみません。」と太平楽。「私の車のキーはないか」と聞くと(しばらくして)「すまません。持っていました。」の対応に安心した次第です。リピーターの皆さん。キーがあって良かったのとの話でした。

 

本日も新規事業の定例会があります

今朝の「エイ、ヤー」で起きる為の声掛の主は小鳥の囀ずりではなくて、『リット』の「ニャー、ニャー」でした。と言うか、窓の外はうっすらと明るくなっていましたので、小鳥は囀ずっていたのだと思うのですが、いつもの電線には留まっていなかったのかもしれません。こんな些細な変化を捉えれる宏君がいるとは自分自身でもビックリです。6時にはウォーキングマシンによる歩きとお経さんを唱えながらの父、母、姉、養母の写真を見ながらの会話を楽しんでいました。ウォーキングマシンを再開して5日目ですが、毎朝爽快な気分で1日が始まります。相乗効果だと思うのですが、腰の痛みも軽減していて気にならない状態です。但し、1日が終わった21時には異常な位の眠気に襲われます。お陰さまで職員の頑張りで厳しい状態の入居者さんはおみえですが、夜の対応もなくて感謝してます。昨日は午前中に岩田先生との打ち合わせが終了して施設に帰り昼食を頂いて、15時30分からモルテンと言う会社がプレゼンをしてくれる事になっていて、15時から北島部長が前日遅くから筍を掘って来たのを湯がく予定でしたが、「どんな用事がはいるかも知れない」と考えて昼食後に寸胴に火をたく準備をしていると目敏く水野相談員と北島部長が飛んで来て、二人が連携良く筍を洗い筍に包丁を入れて大きな鍋の中に筍を入れる作業をしながら「15時からではなかったのですか」と言うので間髪入れずに「予定は未定で決定ではない」と言いましたが、入居者さん利用者さんの対応をしつつ、私のわがままに付き合ってくれる職員に感謝です。(ようやく、定例の話しになります。あいからわず前段がながくてすみません。)10時から定例があり、竣工式典までの日程の詳細について話し合いをして、会議終了後に建設現場に行ったのですが、本日からメイン道路(幅6メーターの道路を新たに設置しました。)を通って歩いて行きましたが、実に立派な道路が出来ていて、つくづく思ったのは、「予算オーバーにはなりましたが、将来的には良かったと思えるものが出来た。予算が不足した分は理事長として、多くの方に理解して協力して貰わねば」と言う事です。施設の中もゆったりとした空間の中で南側はスカット垂井か見下ろせるロケーションには改めて感動しました。定例会終了後、視覚障害者福祉協会の山田会長に寄付金依頼のホームページ等に私とのツーショット写真をお願いしてあったので山田会長がおみえになる『アソシア』に行き、受付を済ませてしばらくすると会長さんがあるいてみえて「身だしなみを整えて無いけど。」とのユーモアたっぷりの挨拶を頂き、気軽に玄関先でのツーショット写真に収まって下さり、尚且つ車が置いてあるところまで見送って下さり、別れ際に「若山理事長は我々の安心の為に凄い計画をして下さったのだから、出来ることは何でもしますよ」と心強く言って下さったのには目頭を熱くしました。そして、改めて「素晴らしい施設にするぞ」と誓いました。リピーターの皆さん。力強いご支援を宜しくお願い致します。

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