またまた『週刊現代』情報です。

令和4年3月25日

『跡を濁さない「死に方」は選べる』、『医師が教える「上手な最期」の迎え方』、『必読 人はこうやって死んでゆく』とのタイトルが並び小見出しには『チューブだらけの最後』、『赤ん坊に戻ってゆくだけ』、『どうしたら開き直れるか』、「目をそらさず考える」とあり、太い字で『死は誰にでも平等にやってくるが、一度しか経験できない。そのため、多くの人が納得のいく形で亡くなることが出来ていない。「下手な死」を避け、「上手な最期」を迎えるためには何が必要なのか。』とありました。その時私自身の経験(私自身の死んだ経験ではありませんよ)先ずは生母秋江さんは私が中学1年の時ですが母秋江さんは癌が転移しては重症化して入退院を繰り返していましたが、最後は自宅で家族を含めて大勢の身内に見送られて他界しました。この様になったのは父進さんの強い思いを今は感じる事が出来ます。

と言うのはその当時の父は既に学校長を3年経験して次は地元の中心校の校長にもなれる状況であったにも関わらず「妻秋江の最後は自宅でしっかりみたい。その為には学校長をしていては休みの調整が出来にくい。」と言う事でその当時の西濃教育事務所への転勤を希望したと聞いています。その当時(55年前)の母秋江は骨癌の末期で今で言う『緩和ケア』を望み、関ケ原病院もその体制をとって頂けたと言いう事で痛みを緩和するための『モルヒネ』で殆ど錯乱していたと思うのですが(既にコラムで書いていますが)最後は静かに安らかに息を引き取ったと思っています。父進さんは私が38歳でフリーランス(大学等の非常勤や家庭教師をしていました。)だった時の6月22日の朝、真っすぐ歩いているつもりが、しっかり歩けなくて「これは、何らかの異常の前兆だ。」と思い関ケ原病院に受診して即入院になりました。その頃の私は、稼ぎは少ないけど忙しい生活をしてたので、病院に様子を見に行く事があっても『看病する』時間などなくて、唯一病院で泊まったのが8月11日で、他界したのが12日の早朝。つまり、私が生まれて初めて看病の為に泊った日に他界したと言う事。

でも、家に連れて帰り昼間は葬儀の準備でばたばたでしたが夜は父進の隣で父の『ほっ』とした顔を見ながら寝る事が出来たのは幸せでした。週刊現代の記事の中で私が言いたいことがかいてあったので書きます。『下手な死を避け、肉体的にも精神的にも苦痛の少ない上手な最期を迎えるにはどうすればいいのだろうか。余計な苦痛を感じずに亡くなるんは、死期を迎えた時にはもう何もしない事です。その為には病院では家で亡くなることが一番の方法です。病院に行けば命が助かると言うのは、幻想にすぎません。死の間際の点滴は血液を薄め、内臓に負担をかけるだけで、酸素マスクもただ呼吸の邪魔をするだけ。穏やかな最期を迎えるには、いかに医療から離れるかが重要になるのです。』との記述を見た時に『我が意を得たり』と思いました。つまり、私が提唱している『枯れる様に』『枯葉がちょっとの風で落ちる様に』・・・。

う~ん。リピーターの皆さん本日のコラムの意が通じたか自信がありませんが、19時からの1時間の本部施設での全体会の後にまとめをしたので、締まりのないものをお詫びして明日には名誉挽回と考えていますので懲りづにこのコラムを読んで下さい。お願いしま~~す。

『水緩む』(正確な言葉で無いかも知れませんが・・・。

本日もアラームのセット(4時45分)より早くから(とは言え4時40分ですが)からの行動開始で若宮八幡大神様とお仏壇のお水かえとお祈りとお仏壇での正信偈とウォーキングマシンに乗っての般若心経13巻を唱えて、再び若宮八幡大神様とお仏壇で手を合わせ父、母、姉、英子さんに挨拶をしてから(ここまでの説明が長くてマンネリ化してますか。いやいや継続は力と信じてます。)お風呂に行き洗い場で水を頭も含めて全身にシャワーを浴びてから浴槽に入るのですが、お湯の追い焚きを忘れていて追い焚きのボタンを押して直ぐにお湯に足を入れた時にまだ最近までは「冷たい。」と感じていたのに「何とか大丈夫だな。」と言う感じで足を入れる事ができました。と言う事はタイトルの通り『水緩む』と言う事か。いやいや、朝方の寒さが緩み浴槽内の蓋をしたお湯が極端に冷めなくなったと言う事で、こんな所にも春を感じる事が出来たように感じました。

私は児童養護施設の児童指導員になった26歳の時から、かれこれ40年以上が経過する中、自分で言うのも変なのですが、こんなに情緒的な思いをするようになったのには自分自身驚きです。これは、今の現実が厳しい状況で自分を振り替える事を寝ている間も考えている中での賜物のように思います。死ぬ直前には一生が走馬灯のように甦るとか。でも、私は生きているから毎日毎日の振り返りが出来ると言う事で、ある意味貴重な経験を積まして頂いているのかも知れません。何事に対してもこの様にポジティブに考えれるようになったのは『復活』への兆しなのかと都合よく考えています。

本日は10時から和(なごみ)でお参りと全体会があり、14時からは和合での全体会が予定されていたのですが、予定は未定で決定ではないの通り、昨夜亡くなられた方の家族の対応の為に施設に早くに行きました。葬儀の対応について相談に乗り、施設側で出来る事はしっかりさせて頂きました。このスタンスは施設を開設した24年前から変わりません。だってお困りの事に対して何とかするのが施設の役割だと考えているから・・・。和(なごみ)での対応、和合での対応を終えて本部施設に帰り、最後の仕事は明日の葬儀を受けて下さったお寺さんにご家族をお連れして、共同墓への手続きのお手伝いをしました。家族の方は「そんな事までして貰えるのですか。」と聞かれたので「他の施設がどこまでされるかは知りませんが、施設側で出来る事はしっかりするのは当然の事と考えています。」と正直に答えました。

リピーターの皆さんは私のこんな考え方をどう思われますか。できたらご意見をお聞かせ下さい。

リピーターの皆さん『星新一』さんをご存じだったですか

令和4年3月23日

私は昨日のコラムで『ショートショート3題』等と偉そうなタイトルをつけて、『星新一』さんはショートショートの神様のような方のお名前まで出して書いてしまいました。そこで本日のコラムで星新一さんの事を私の思いでと共に紹介したいと思います。

星新一のプロフィールを見て、「私は偉そうな事を言っていても、全く無知ではないか。知ったかぶりをするのは駄目ですよ」と思ってしまいました。『1926年9月6日生まれ(驚きです。あの発想が大正生まれとは)星製薬創業者星一、精夫婦の長男として誕生。本名は、親一。幼い頃は両親や弟妹と離れた部屋で祖父母に可愛がられて育ち、話し相手といえばクマのぬいぐるみだった。祖父は東京大学名誉教授で人類学の第一人者、小金井良精、祖母は森鴎外の妹、喜美子である。1950年3月東京大学大学院(農学部発酵生産学教室)前期修了。なんと星製薬株式会社取締役社長を経て、1957年、同人誌『宇宙塵』2号6月号に発表した『セキストラ』が江戸川乱歩編集の11月号に転載され、商業誌デビュー。宇宙開発時代の到来と重なり、日本のSF文学の旗手として脚光を浴びる。

400字原稿用紙10枚程度のショートショートと呼ばれる小説形式を得意とした・・・。正直私が知ってるのはショートショートを私が好きだっただけで、何にも知らない状態で改めて『凄い方』だったと気が付きましたし、尚且つ、私より30近く早く生まれた方が私がワクワクするショートショートを書かれていたと思うと驚きでは無くて感動です。多分今改めて読んでも新鮮なショートショートだと思います。

星新一に刺激を受けたわけでもないのですが、不思議な現象だと私は真剣に思っている事を次に書きます。それは、一枚の写真を見て頂いてからにします。写真は何の変鉄もないクッションの写真なのですが、このクッションは私が寝てる時や着替えをしているときに誰もいないのに突然倒れたり動いたりするのです。私はその現象を満20歳まで生きてくれた『リッド』が遊びにきて遊んでいると信じているのです。だって、私以外に誰もいないのに突然倒れたり動いたりしたらリッドがきたと思うしかないのと違うの。と言う事であります。

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リピーターの皆さんの中には「そんな馬鹿な。」と思われる方が殆どだと思いますが、私は真剣にそのように思っているのです。私の奥様かをり様に言わせると私がリッドと仲良くなって私のベットに乗ってきたのは他界する1ヶ月程だと言うのです。だから、リッドはもっと一緒に遊びたかったと言う事で枕元をカサカサさせながら歩いてみたり。クッションを蹴飛ばしてみたりするのだと信じています。でも、いつまでも私と遊んでいると天国にいけないので私がしっかりとお別れを言わなければいけないのだと思います。リピーターの皆さん。こんなことを考えている私は変ですかね。

 

ショートショート三題

①アラームよりも正確な私の体内時計

 

今朝も目が醒めた時にガラケーの携帯で時間を確認すると、午前4時45分。その時間を確認して「うん?」と思いました。と言うのは、「昨日セットした時に4時50分では少し遅いと考えて5分早めて4時45分にセットしたはずなのに」と思ったからです。そこでセットの確認をすると、確かに4時45分にはなっていたのですか『OFF』になっていたのです。と言う事は「私の体内時計の方が間違いないと言う事か。」と思っています。「そう言えば昨日に確認した時は4時50分にセットしておいたのに4時49分だったな。」と言う事でリピーターの皆さん。私の事を『人間時計』と言って下さい・・・。リピーターの皆さんにお断りをしておきますが、決して夜中に何回も時間の確認をしていませんから。「もうそろそろかな」と思って確認した時間ですから。

 

②三寒四温と言いますが

 

20℃近くにまで温度が上がって「メッチャ暑いな。」と思う日があったかと思うと次の日は10℃もない日があったりして、桜の開花の予想がなかなか難しい状況がありますが、リピーターの皆さん、「よ~く考えてみて下さい。」寒いと言っても『10℃』ですよ。雪がカッカと降っていたときや、底冷えをしていた時の温度は『マイナス5℃』と言う事も今年の冬は何度かありましたよね。日本は四季がしっかりとしているので確かに冬と夏の温度差があるのは理解できるし、それぞれの季節にあうように体が整うように出来ているかも知れません。でも、1日の違いで10℃以上と体に応えますが、それも春から夏になるためのトレーニングをしていると考えると「この程度の事は仕方がないのか。」とも思います。先般2日間に渡って5ヶ所のフロアでお参りをした時にお経を終えてお話をさせて頂いた時に、各フロアで「暑い日があったかと思うと急に寒くなる事がありますが間違いなく桜が咲く春が来ます。それまでは、暑い時は服を全部脱がなくてもよいですが一枚服を脱いで下さい。そして寒いときは一枚着て下さい。そして、風邪などひかずに一杯ご飯を食べて頂いて、来月のお参りも元気に参加して下さい。」とお話をしました。人間の適応力の素晴らしさだと私は思っています。

 

③我が家の紅梅が今年も咲きそうです

 

2階の廊下の窓越しに紅梅の木を見ると赤いつぼみを一杯持っていましたので、思わずガラケーの携帯で写真を撮りました。多分この紅梅の木は戦前に植えられたものだと思うのでメッチャ長生きだし、根っこに近いところは殆ど穴が開いているのに「今年も咲いてくれる。」と思うと紅梅の木がいとおしく思っています。

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リピーターの皆さん。本日はショートショートで星新一さんばりに書いてみました。お経さんが上手くなったように文才も進化しているのかと自惚れています。リピーターの皆さんこんな事もたまには言いたい気分なんです。

宝くじ売り場で当たりの確認をしました

宝くじは『夢を買う』ものなのに、私は「七福神様にも若宮八幡大神様にも仏壇のお父ちゃん、お母ちゃん、光ちゃん、英子さんにもお願いしてるのだから当たりが当然」と考えていたのです・・・。よ~く考えてみたら「そんなんで当たるのなら夢を買うので、神様仏様ご先祖様をいったい何だと考えているのだ。」と言う事になると言う考えに至りました。そしてもう1つ、「世の中そんなに甘くない。」と言う事ですよね。リピーターの皆さんも、そう思われてますよね。ただし、「宝くじも買わなければ当たりませんよ。」と言う事です。

そして、昨日は私のおこづかいの範囲で買ったのと、私の夢に協力してくれた方のものを90枚持って宝くじ売り場に行き当たりの自動確認機で確認して貰った結果1万5千7百円が手元に戻ってきました。私は結果がかなり不満でしたが、良く良く考えてみたら、90枚✖300円は=27000円の元手で15700円が戻ってきたのだから半分以上が返ってきたのだから『よし』のすべきだと考えるようにしました。だって、大抵は3000円の元手が300円しか戻らない方が殆どなのだから。90枚の中に当たり札が『10000円』と『3000円』の2枚もあったのだから、これは「若宮八幡大神様、ご先祖様のお導き」だと思わなければ駄目だと考えました。「でも、次回には億単位の札が当たりますように。」と懲りずにお願いしようと考えている私なのであります。

話題はガラッと変わって本日13時30分からの本館1階及び2階のお参りについて書くことにします。午前中には祭日であったにも関わらず役員の日程が平日では会わなくてリモート会議がありました。私は年中無休の生活ですから一向に構わないのですが。と言うより土日祭日大歓迎なのですが・・・。だって、公的な役割は絶対にないので。とにかく10時30分から12時30分までリモート会議があり、その後昼食を食べてから、パソコンで事務連絡の確認と連絡を打ち込んでいたりしていると、13時30分になったので本館1階のフロアに行くと、既に入居者さんは集まられていて、私の導師で正信偈と般若心経を唱えさせて頂いて、改めて私の「私のお経が進化している。」と思うと共に「お経さんの上手な方が結構おみえになるな。」と思いました。

本来ならお経と私の終りお話が終わった後は「カラオケで一曲」の流れなのですが「本日は2階でたっぷり歌って下さい。」と言う事で2階に行き、このフロアでもしっかりとした声でお経を唱えていて「このフロアにもお経の上手い方が何人かおみえになるな。」でお経の後のお話を終えるとカラオケがしっかりセットされていて、西村課長に「何が入っているの。」と聞くと「北の漁場、まつり(北島三郎さんの曲です。)、お前しか愛せないの3曲が入ってます。」との事で正直嬉しくなって、気持ちよく3曲を歌い終わると「アンコール」の声があがり、遠慮なく『酒よ』(吉幾三)を歌わせて頂き、次は私の方から「4曲は縁起が良くないのでもう一曲歌わせて貰います。」と言うと拍手が沸いたので鳥羽一郎の『兄弟船』をこれまた気持ちよく歌って終わろうとすると、「理事長さん。お願いだからもう一曲歌って」との声があがり、気が付けば入居者さんはそれぞれの手に応援用のうちわまで持たれているのです。

「これは歌うべし」と言う事で、新館では上手く歌えなかった『函館の女(ひと)』を選曲して歌ったのですかこれまた上手く歌えました。またまた「もう一曲」との声が出たのですが、この企画を終えてから若山家のお墓にお彼岸のお参りに行く予定をしていたし、この雰囲気だと皆さんが「あと一曲」となりそうな雰囲気だったので「来月も必ず歌いますので」と言って帰ろうとすると1番前で聞いて下さっていた入居者さんが「うちわにサインが欲しい。」と言われて西村課長が準備よくマジックを用意してくれたので、私の名前と入居者さんの名前を書くと「私も」と言う方が多くて私は思わず「私はスターか」と思いつつ6人の入居者のうちわに書いたところ、後ろの方にいた方が自分には回って来ないと思われたのか怒り出されたので私は直ぐ様その入居者さんのところに行ってうちわを渡して貰い目の前でサインをすると喜んで下さり、一件落着。

リピーターの皆さん。よかったらサインを書きましょうか・・・。

昨日17時15分から本部施設の幹部会(経営戦略会議)が行われました。

令和4年3月20日

昨日は午後からデイサービスと新館2階及び新館1階のお参りがあり(新館ではそれぞれにカラオケで歌も歌いました。)その後、幹部会が行われる(17時15分~)前にコラムの原稿を書かないと家に帰ってからだとコラムの執筆が挫折するのでは無いかと考えて、お参りから事務所に戻り急いでコラムの原稿を打っていたのですが16時に打ち合わせの約束をしていた和(なごみ)の吉澤施設長が来たので15分ほど打ち合わせを待って貰って取り敢えずコラムを打ち終えて会議室に移動し吉澤施設長と打ち合わせをしていると烏野先生もみえたので話し合いに同席して貰いました。17時10分になったので打ち合わせを終了して幹部会が出来る体制にして、幹部会のメンバーが揃った段階で軽めの夕食としてパンとカップ麺を食べてから会議を私の進行で始めました。

メインの課題は①経費の削減の為の提案②職員の資質向上の為の研修③デイサービスの事業の方向性等について、密度よく話し合いが行われました。20時過ぎに終了して若干の打ち合わせをして家に帰ったのが20時40分。そのままお風呂に直行して、いつもの様に頭から水をかぶりその後ゆったりと湯船に浸かりました。この瞬間こそ一日で一番リラックスする時間です。本来であれば布団に入って熟睡している時間が一番リラックス出来るのだと思うのですが、最近は色んな事を寝ながら考えている為か眠りについて3時間もすると寝汗をかいて着替えをしてからは、熟睡出来ない毎日でした。

昨夜は寝汗こそかきませんでしたが午前2時には目を覚まし4時過ぎまでうとうとして4時30分に起きていつもの様に若宮八幡大神様と仏壇んでの祈りの時間を6時30分まで持ちました。お仏壇の前に座って『正信偈』をあげている時にふっと感じたのは自分で言うのもおかしな話ですが「お経の声が良く通り上手になった。」と言う事です。これは私自身のステージが1段上がったのかも満足している自分がいます。そんな事を考えながらウォーキングマシンで30分歩きながら『般若心経』を唱えて(本日も13巻)からお風呂に入り、その時に一昨日本屋さんから届けて頂いた『週刊現代』の『東洋占術研究家 美鳳の週間運気予報』で私の生まれ月の5月を見ると『運気指数』どの月よりも高い92%で「勘が働くので最善を尽くして・・・何が良くて何が悪いのかわからない状況から抜け出せる。勘も働くので、今できる最善を尽くせば確実に成果を残せるはず。

吉方位は北東」とあったので、『吉方位は北東』とあったので私は「北東の方位には優・悠・邑 和(なごみ)があるので素晴らしい。と思いましたし、『勘が働くので、いまできる最善を尽くせば確実に成果が残せるはず』とあったので私は電話をしても問題がない7時30分に協力をして頂きたい方に電話をすると「今日は10時に関ケ原に行く用事があるので用事が済み次第お伺いします。」との返事を頂き「今はアクションを起こして活路を見出す時」と思いました。その事を施設に来た吉澤施設長に話をすると「理事長はそう言う事を信じられる方では無いと思っていました。」と言うので「自分にとって都合の良い情報で安心したいの。」と話をすると吉澤施設長も「なるほど」と言う風に理解してましたので『思いは同じだ』とも思いました。リピーターの皆さん、復活の兆しが見えて来た事に祝福をして下されば嬉しいです。

〈余談〉ちなみに、吉澤施設長の生れ月は2月でその運勢は「運勢も雪解け。計画が進みだす・・・周囲の理解が得られて希望が通りやすい時期。前に話は出たけれど進まなかった計画について、『そういえば』と切り出してみよう。」とありました。これは二人ともに目的に向かって進む事が出来る吉兆の証し。藁おも掴みたい2人にとっては何よりのエールと考えています。今の難題がクリアしたら寝汗をかかずにしっかりと6時間は寝る事ができると考えています。

寒暖の差が激しい日が続きます

令和4年3月19日

3日程前の昼間は20℃近くまで上がって車を運転している時等は思わず「暑い」と感じていたのに昨日は雨が降っていたこともあって「冷たい雨じゃあ」と身震いしなければいけない様な状態でした。今の時期のこの様な状況を『三寒四温』と言うのでしょうか。 そう言えば昨日が(3月18日)が『彼岸の入り』だったので、「いよいよ春到来」と言う事でしょうか。私はさり気無く『彼岸』と言う言葉を使いましたが良くは知らないので『彼岸』をスマホのグーグル情報で検索してみました。(私でもその程度は出来ますよ。)〈彼岸とは、日本の雑節の一つで、春分・秋分を中日とし、前後各3日を合わせた各7日間である。この期間に行う仏事を彼岸会と呼ぶ。最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」と呼ぶ。俗に、中日に先祖に感謝し、残る6日は、悟りの境地に達するのに必要な6つの徳目「六波羅蜜」を1日に1つずつ修める日とされている。〉と書いてありました。そしてまたまたわからない事が出て来たので、これまたグーグルで調べました。何かと言うと『六波羅蜜』と言う言葉です。『六波羅蜜』とは〈この世に生かされたまま、仏様の境涯に到るための六つの修業を言います。〉とあったので、今度は『六つの修業』とは何なんだ。と言う事で調べました。六つの修業とは『布施』『持戒』『忍辱』『精進』『禅定』『智慧』だそうです。一つひとつの説明はいつかするとして、今パソコンの画面に打ちながらつくづく思ったのは「私はこんなに探究心が旺盛だったか。」と言うことです。何をするのにも淡白で直ぐに諦めてしまう『宏君』だったのにと思っています。但し、今は自分自身厳しい状況に置かれているので昨夜も凄い寝汗をかいて目が覚めたのですが寝ながらも色んな事を考えなければいけないので今は理屈っぽくなっているのかも知れません。早く淡白な自分に戻りたい。でも今の自分がより成長する為の時間だとすると貴重な時間なのかも知れません。リピーターの皆さんもがき苦しんでいる私に温かいご支援をお願いします。いやいや。他力本願では無くて自力本願で頑張りますのでせめて見ていて下さい。

岐阜アソシアの評議員会に参加しました

令和4年3月18日

正式名称は『社会福祉法人岐阜アソシア視覚障害者生活情報センターぎふ』と言う組織だと思うのですが、私自身評議員になってと山田所長さんから依頼を受けて、当法人である盲養護老人ホーム『優・悠・邑   和(なごみ)も事業開始したのでと言う事で評議員をお受けしたものの、全く要領がわからないので「本日はなるべく早くにアソシアに着いて新参者として来られた方々に名刺を持ってご挨拶をしよう」と考えて、家を8時15分に出ました。国道21号線を走ると時間がかかると考えて、ナビが示す案内を無視して池田トンネルを通って行きました。やはり、この行き方が正解でした。

渋滞もなく、信号にも殆ど引っ掛からずスイスイと行けたので9時25分に着き、受付でご挨拶をするとわざわざ山田所長さんが出迎えて下さり、しかも山田所長さんとお話が出来る部屋に案内して下さり、和(なごみ)の話を聞いて下さいました。その後3階の会議室に移動すると、既におみえになって座られている方々に名刺を持って挨拶をしました。10時の定刻の時間に山田所長さんの進行で始まりました。最初に初めての参加である私の紹介があり、少しお話をさせて頂きました。山田所長さんから議題の説明がなされたのですが、山田所長さんは(会議でのお立場は『常務理事』)指で点字(多分ですが)を確認しながらも全く違和感なくお話をされたのには全く驚きと感動でした。

議題が全て終了した後、私から改めて和(なごみ)の入居者がなかなか入らない状況と措置控えの現状と、緊急で入られる方は地域で或いは家において問題を起こされた方だと言うお話もさせて頂きました。全ての話し合いが終わってから、お隣の席におみえになった監事であり、岐阜大学の先生としばらくお話をさせて頂き、会場におみえになった方にご挨拶をしてから1階におりて行くと、山田所長さんが私を待ってて下さり、「溝口副会長が若山理事長にご挨拶をしたいと待ってみえますので」と言う事で朝案内して頂いた部屋に入りご挨拶をすると、和(なごみ)への入居を希望されている方を二人も紹介して頂けました。溝口副会長の行動力にはいつも舌を巻く事ばかりなのてすが、和(なごみ)の状況を理解されていて、また、私のコラムは毎日読んで頂いているとの事で改めて嬉しくなりました。

本部施設で15時から当法人の理事会があるので急ぎ車を走らせたのですが、溝口副会長から二人も紹介して頂けたのが嬉しくて早速吉澤施設長に連絡をしました。このように色んな方々のご協力があって、少しづつ和(なごみ)の入居者も増えてくるのだと改めて感じました。ただし、当法人の理事会では厳しい経営の実態について誠意を持って話をさせて貰い経営が安定する為の提案をしっかりと説明させて頂きました。説明した計画が絵に書いただけのものにならないように頑張っていきますので、リピーターの皆さん今後のご支援を宜しくお願い致します。

本日も般若心経を13巻唱えました。

令和4年3月17日

昨日はリッドが枕元に来てくれてから(多分・・・)5時のアラームで元気よく起きたのですが、本日は4時に目覚めてからウトウトとしていて5時のアラームでもったりと起きたのです。「これでは気合いが入らない。」と思いベットの上でベットを軋ませながら足を中心にした体操をして、テンションを上げてから、朝の日課を粛々とこなし、仏壇で正信偈を唱えて(勿論、その前に若山家のルーツである若宮八幡大神様に手を合わせました。)からウォーキングマシンに乗り般若心経をタイトルに書いたように13巻唱えました。私が13巻にこだわるわけではないのですが、ちょうと良いタイミングが13巻なのです。

それで『13』の数字について考えてみました。そして直ぐに思い付いたのは四国八十八ヵ所の札所の13番さんか『大日寺』で、阿波一国(今の徳島県)23ヵ寺の歩き団さん(1週間で歩けます。)の3日目の宿坊になるお寺です。(ちなみに1日目の宿坊は6番『安楽寺』で2日目は11番の門前宿の『さくら屋』です。)この2日目の宿を出て11番『藤井寺』の裏山を一気に一時間登り、その後下って、登って、またまた下ってから最後に再び標高1200メートル(正確な数字は覚えていますん。)登った所が12番の札所である『焼山寺』なのです。11番の藤井寺から12番の焼山寺までの距離は約13キロなのですが山の登り下りが険しいので早く歩ける方なら4時間なのですが遅い方だと7時間の行程になる難所です。(早く着いた時にはうどんを頂くのですが私は大抵しんがりを務めていたのでなかなか食べれなかったです。今はロープウェイで行けるようになったのですが私が頑張っていた頃は有りませんでした。(なかなか大日寺の話にならないなあ・・・)焼山寺でのお勤めを終えて一気に山を下りて町に出た所に13番大日寺があります。そのお寺ではとんでもない経験をしました。

と言うのは私が大学2年の時には団さんの参加者が多くて先発隊80人が行かれた後の2組の50人を今の内藤会長と私が先達てして行ったのです。(もちろん、その他にも5人ほどね青年会のメンバーはいました。)13番の宿坊での夕食で団さんでは初めてお刺身が出たのです。いつもの私ならば美味しく頂くのでしょうが「修行中にお刺身を食べても良いのか」と怒りを込めて言った私に皆が同調して「住職に文句を言いに行こう」と言う事で住職に話に行くと、私たちが来ることを予測していたように住職は一升瓶と湯飲みを用意して待っていて、「今の時代に何を言っとるか。とにかく飲め。」とコップ酒を青年会のメンバーで強か飲まされ翌朝は二日酔いのフラフラで・・・。私はフラフラなのをわからないようにするために地面に転がり「地球をつかんだ。」等と馬鹿な事をしたのを今でも覚えています。

そうなんです。リピーターの皆さん。私がお酒を好きになったのは大日寺さんのお陰なのです。何か最後は酔っぱらったような締まりのないコラムになりましたが・・・。たまには良いですよね。

リッドが枕元に来てくれたように思ってます。

12日は内科の受診の日で何故か体力温存との考えになってしまい、お参りもウォーキングも水かえもしなくて、翌日は流石に若宮八幡大神様とお仏壇の水かえとお参りは6時に起きて復活したのですが毎日の万歩計の歩数が3000歩程度で「これでは駄目だ。」と思いながらも、そんな状態が3日続きました。本日は16日。リピーターの皆さんがどのように思われるかはともかくとして5時に枕元の辺りがごそごそしているようで半分虚ろな中で私は「リッドが早く起きて水かえとお参りとウォーキングをしなさい。」と言っているような気がしてベットから跳ね起きて暖かいかっこうをしてから1階に降りて、先ずは洗面とうがいをしてから若宮八幡大神様と仏壇のお水をかえて蝋燭と線香に火をつけようとしたのですが今日に限っての現象だったのですが、線香立ての中の灰がいかにも固いので灰を人差し指でかき回してみると、線香の短いのがたくさんあることがわかり、1本づつ灰の中から出して蝋燭の火で短い線香に火を点けました。線香立てに並べてみるて何と10本も灰の中から出できました。たまには灰をかき回していたのですが、今までにはない現象に「これはどういう事なのか」と思っています。私なりに考えたのは完全燃焼しなかった最近の行動に対して仏様が「しっかりとやり抜け」と叱咤激励して頂いているようで、10本点けた短い線香が一斉に煙を勢いよくあげているのを見て、私が上げ潮になっていく証なのかと自分にとって都合の良い事を言っているようですが、真剣にそう考えている私をリピーターの皆さんはどのように思われますか。話はガラリと変わって、昨年末から2月にかけて、今須に嫌と言うほどに降った雪もようやく田んぼや屋根からも消えました。私はまだ確認してませんが『つくし』も一杯生えてきたと言うし、埼玉県の先生から送って頂いた福寿草の花も黄色く色付いてきたし、梅の木も白い花を一杯付けてきたし、春を感じる事が一杯出来るようになりました。昼間は20℃近くまで温度が上がり上着などがいらない位です。ただし、朝起きた時は5℃前後なので寒暖差は15℃位になるので体調を崩さないようにリピーターの皆さんも気を付けて下さい。私はコロナ感染症対策が出来るようになって手洗いとうがいと手指消毒を徹底している為か喉が痛くなる事もありません。つまり、弱味その私が風邪一つひかないのです。(油断は大敵ですが・・・。ただし、うがいをしても手洗いをしても今の時期になるとダメな事が有ります。それは杉花粉のアレルギーです。最近鼻水がよく出るので「風邪かな」と思っていたのですが違います。その現象はズバリ『アレルギー性鼻炎』です。本日はその事を確証しました。何故ならば「メッチャ目が痒いのです。」目を擦りたいけど擦るとますます痒くなるので我慢して我慢の限界になったら洗面所に行って目が飛び出すくらいに目を洗ってます。リピーターの皆さんも杉花粉にご注意下さい。

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