5月15日号の週刊現代の中から

いつものように5時20分過ぎからウォーキングマシンに乗り、歩きながらお経をあげて、昨夜はお風呂に入れなかった(あまりに眠くて夕食はバナナとあられで済ませました。)ので、ゆっくり入り、頭を乾かしてから(丸坊主でもちゃんとドライヤーをかけるのです。)新聞を取りに郵便受けに行くと週刊現代が配達されていたので、ダイニングルームの椅子に腰掛けペラペラとページをめくっていて『萬屋錦之介   見得を切らなかったひと』と言うコーナーの最後に「人に気を遣うことは自分の感性を磨くことだ。気を遣わない人間は感性が磨かれない」の文字が目に焼き付きました。そして私自身の生きざまを振り返り大きくうなずいた次第です。

私は常に「気付きの多い職員(人間)でなければいけない。」と口酸っぱく言っています。その理由は気付きが多い事によりケアの充実が出来、職員(人間)としてのスキルも向上すると思っているからです。私は小さい頃、母秋江の異常なまでの愛情を受け、何もしないでも生活ができてしまうような毎日でしたので、正直『ぼーっ』とした生き方だったと思います。

そんな私が大きく変わったのは児童養護施設の指導員として勤務するようになってからだと思っています。26歳の9月から勤めだした私はその年の瀬の施設がある敷地内の大掃除をしている時に自分自身が何も出来ない人間だと知らされました。つまり、大掃除に参加しても何をどのようにしていけば良いのかがわからず、その当時の寮長の奥さんから機関銃で撃たれるが如く叱責されたものです。但し、その頃の私は「こんなに何も出来ないのだから怒られても当然」と思えるような『ボンボン』だったと思います。

児童養護施設の13年間は自分磨きの13年だったように思います。その13年の間に『相手を思いやる心』であったり、『何事も気付く事の大切さ』を徹底的に教えて頂いたと思っています。同じように見たり聞いたりは出来ても誰もが同じようには出来ない。それは感性を研ぎ澄ましていないから。この差は大きいと思います。

新規事業の施設長に任命した吉澤施設長は事ある毎に「電気を消す事」を職員に言っているのですが、この行為を「細かい事を言う嫌な奴」と思ったら駄目だと考えています。常に視野を広く張っていて電気を消すと言うのは単に経費の問題ではなくて、気付きの多い職員になって欲しい。と言う事の他にも、細かく節約をして、大きな事を成し遂げたいと言うメッセージだと言うことを理解してくれたら素晴らしい施設になると思います。本部施設が色んな物を使っていて、「これは便利だから使いたい」との声が聞こえてきました。でも、23年の歴史の積み重ねで出来ている事の良いどこ取りではなくて、自分達で考えて創意工夫の中から意見を戦わせて答えを出して欲しい。

リピーターの皆さんは私の考え方をどう思われますか。本日から建物の管理は当法人側がしなければいけないので、取り扱い説明を受ける作業に結構な時間がかかり、15時からは竣工式の打ち合わせを司会進行をしてくれる大倉幸子さんを入れて行い、打ち合わせの内容を施設に戻りパソコンでまとめました。

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本日も時間を有効に使えたので明日も頑張りたいと考えています。

完全に新規事業への竣工式及び事業開始モードです

令和3年5月7日

昨日は午前に岐阜新聞及び岐阜チャン(岐阜放送)の取材及び撮影取材の具体的な日程調整をしました。5月16日竣工式当日の朝刊には古田岐阜県知事、山田岐阜県視覚障害者福祉協会会長及び杉和会理事長である私の竣工に合わせての挨拶が掲載されます。そして、竣工式の様子も岐阜放送で流して頂けますし、17日には館内の撮影取材と理事長である私のインタビューも撮って頂き5月21日の番組で流して頂き、いずれはその番組は当法人のホームページにYouTubeで貼り付けしても良いと聞いてますので、リピーターの皆さんテレビ及びパソコンで是非とも見てください。午後からは関ヶ原町住民課長以下四人で新規事業への打ち合わせと共に見学に来て頂きました。色々な箇所を見て貰いましたがそれぞれに思いが詰まっている事を語りながら見て貰いました。最後には「関ヶ原町の近くにこのような立派な施設を建てて貰えて有難い。」とも言って頂けたのだから開設してからのソフト面の充実を図っていかなければと強く思った次第です。そして本日は午後からは竣工式にパンフレットを間に合わせる為の最終打ち合わせをしました。5月2日と3日にプロのカメラマンに撮影して貰った写真を貼り付けて頂けたので気が付いた箇所の文字の変更をお願いし、竣工式前日の15日に納品して頂ける事になり、正にギリギリの日程ですが何とか間に合います。パンフレットの打ち合わせを終えてからは正に竣工式当日の招待客の確認やテープカットのメンバーや来賓挨拶のメンバーについての最終調整をしました。今回の竣工式はコロナ禍における実施なので特に念入りな中にも念入りに打ち合わせをしています。色々な事を前倒しでしてきたつもりですが、それでも、あと1週間しかない中で打ち合わせにも力が入ります。なるべく時間を短くしながらも、より充実したものにして、事業開始時により良いスタートを切りたいと考えています。その為には竣工式に関わるもの全てが自分の役割を理解してお招きした方に好印象を持って帰って頂き、地域の方々に施設が出来て良かったと思って頂けるような展開をしていきたいと考えていますのでリピーターの皆さんも今まで以上に応援を宜しくお願い致します。

父進さんとしっかり話が出来ました。

令和3年5月6日

私が38歳の時に他界したので、約30年前にはこの世には存在していない父進ですが、朝イチでウォーキングマシンに乗り歩きながらお仏壇に向かってお経を唱え本日はずっと父進の写真を見ながら話をしました。話の中身はご寄付を頂いた方と昨日電話で盛り上がった父進さんが垂井小学校の校長だった時の父進さんとの接点の話でした。そして、父進が関ヶ原歴史民俗資料館の館長時代に何処かで会われた時に「関ヶ原歴史民俗資料館に行きます。」と話をしたのに実際には行けなかった事をとても残念に思われている感じで話をされました。

私はその報告をしながら50年前の記憶が鮮明にある事に正直驚いたと父進に話をしました。だってリピーターの皆さん思いませんか。自分が小学校時代の校長先生との思い出を熱く語れますか。この3月末をもって廃校になった今須小中学校にたまに行く事があり、校長室に通された時に歴代校長の写真が掲げられているのを見た時に「この校長先生がおみえになったな。」とか「この校長先生は話が長かったな」程度にしか記憶がないのは私だけですかね。私の記憶力が一般的だとすると、昨日の電話の方は父進さんとの出会いがとても素晴らしいものだったと言う事です。

ある意味私は父進さんに嫉妬すらしてしまいそうです。父進さんはとても人間味のある人格者だったと言わざるを得ません。そんな私は38歳まで父進の掌の中でわがまま一杯の生き方を許して貰えた事に改めて感謝を父進の写真に向かって言う事が出来ました。私が高校2年の夏から四国団さんに行かせて貰った時にも、「家族の代表で参って来なさい。」と26歳まではずっと送り出してくれたのが今に生きているわけだし結論としては父進を越えれないと問答をしながら痛切に感じました。私は父進の期待を常に「これでもか、これでもか」と言うくらいに裏切りながらも、見守ってくれていたのだと今月16日に68歳になる今になって痛感している次第です。

今の私が父進のような対応が出来るようになるにはあと百年はかかるかな。と言う事は絶対に無理だと言う事か。良くよく考えるに私が父進に誉められたのは生涯に一度きり。それは私が児童養護施設のを退職して大垣女子短期大学幼児教育課で講義をするようになった時に、「お父ちゃんも色んな所で講演をしてきたけど大学生を相手に講義をした事はなかったので、それはそれで素晴らしい」と言われた時です。多分その会話は38歳の5月位の事だったと思うのですが、翌月の6月に体調を崩して入院をしてその年の8月12日に他界したのです。

あの時に誉めるような事を言ったので安心して、緊張の糸が切れてしまい一杯いっぱいの生き方にピリオドを打つことになったとすると、誉めて貰えたのが良かったのか悪かったのか。リピーターの皆さんも思いませんか。『親孝行したいと思った時には親はいず』でも、今頑張っている姿を天国でめっちゃ誉めて貰っていると思います。このコラムを息子が見ているのならば言いたい事があります。『親は絶対に抜けません。だって先に生まれているのだから。自分が信じた生き方を全うしなさい。』すみません。個人的な事を最後に書いてしまいました。

外の散歩コースにお地蔵様を設置することにしました

令和3年5月5日

盲養護老人ホーム『優・悠 ・邑   和(なごみ)』の吉澤施設長から「元気な高齢者の散歩コースにお参り出来るものがあると、散歩にも目的が出来て良いと思うのですが」との提案があり、「吉澤施設長なりに色々な事を一生懸命に考えているので、私も理事長として出来ることはしなければいけない。」と考えて、突然だったのですが、施設から直ぐの所にある石材店に飛び込みで行く事にしました。

5月16日には竣工式なので、店舗内に展示してあるもので良い物はないかとまるで、結婚相手を探すように見て回りました。見て回る前は「観音様がいいかな」と考えていたのですが、ふと目に止まったのは、お地蔵様でした。「これが良いな」と思ったら直ぐにもお店の方にお話がしたくなり、広い展示場内を探していると工場の裏手でご主人らしき方がホースを使って水まきをされていたので挨拶をして名刺をお渡しすると話しにのって下さり、、お地蔵様の所に私が案内するかたちで歩いていく途中で奥さんと息子さんも参加して下さり、具体的な話は息子さんとさせて頂く事になり、早速現地を見に行く事になり、吉澤施設長も呼び駐車場の一番東に垂井町を見渡す形で台座と危なくない配慮もして頂いてお値打ちにして頂く事になりました。

交渉成立した後から施設内を奥さんと息子さんを案内しました。これで施設内は仏間に静大僧正による祈りの空間。玄関先は竣工式の中で静大僧正によるパフォーマンスでグラフィックデザイナーさんが作成して頂いた台紙に梵字を書いて頂いたのを見ていただく予定だし、視覚障害者の方にとっても祈りの多いものになるのは嬉しい限りです。

さて、本日は午前中は社労士の先生との打ち合わせと『こどもの日』と言う事で昼食はバイキング料理で皆さん盛り上がり、午後は新規事業へのご寄付を頂いた方に対してお礼の電話を入れたり、前全国盲養護老人連盟会長だった本間先生に手紙を書かせて頂いたりしていて、昨日から何度もかけさせて頂いているにも関わらずかからなかった方から、逆に施設へ連絡を頂き恐縮しました。

お名前を見て、多分かつて、ケアマネージャーとしてお世話になった方だろうとは思って以前頂いた名刺を探したのですが見つける事が出来ず、確証を得られなかったので手紙を書けなかったのですが、電話を頂き接点が見つかったのと、久しぶりにお話が出来たので随分話が盛り上がると意外な事に私の父が垂井小学校の校長をしていた時の児童だったとの話しに「こんなところにも繋がっていくのか」と驚いてしまいました。もしかすると前にも聞いていたのかも知れないので失礼な会話になってしまったかとも思いましたが、その事を意に介さず話をしていただけたのはありがたかったです。

リピーターの皆さん。父進は30年前に他界しているのに、今も50年以上前の事を生き生き話して頂けたのには、改めて父進の偉大さを知った思いでした。明日の朝のお参りでは、しっかり報告をしたいと考えています。私もそんな風に語って貰えたら良いなと考えています。

 

竣工式まで2週間を切りました

令和3年5月4日

昨日は5月3日で憲法記念日と言う事で国民の祝日。間違ってもゴルフなどしてません。私も1国民ですが、仕事をしてます。もっとも私の場合は『仕事が趣味』と言っている人なので、大丈夫なのですが、昨日は本部施設で5升のタケノコご飯を寸胴で炊いたので、新規施設の竣工式の準備も含めて頑張っている吉澤施設長に激励ついでに『お裾分け』と言う事でタケノコご飯を持って行きました。その後、新規施設の竣工写真をプロのカメラマンが撮影しているので様子を見に行き素晴らしい館内から垂井町の殆んど全貌が見えるのに感動して完全に竣工式準備モードのスイッチが入り、得意の『予定は未定で決定ではない。』を実行に移す事にしました。もっとも、その後の予定が無いことを確認してからですが。何をしたかと言うと、竣工式でのお祝いの品物とその後に予定している内覧会に来て頂いてた方への品物の打ち合わせの為に三軒のお店を回りました。竣工式でも内覧会でも、お渡しするのが足らなくてもいけないし、さりとてたくさんあまっても勿体無いので、内覧会では先着の50人の品物を決めその後の方には日保ちのの良い物にしました。

本日は早朝からのウォーキングマシンによる歩きとお経の継続が2ヶ月目に突入の日でしたが軽くクリアをして、昼食を頂いた後から本当に久しぶりに施設の西奥に出来た砂防ダムを見ながら(50メートルの立派なものです。)馬頭観音さんまで歩きました。明日がこどもの日なので鯉のぼりは明日までなのですが、本日は風もあり元気に泳いでいました。

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砂防ダムは完成していましたが、周囲にダンプも通れる道を計画して頂いているので、まだまたかかるようですがこの砂防ダムが出来れば随分安全が担保されると思いました。久しぶりの馬頭観音さんまでの行程はきつい坂もありますが、頑張って歩く事が出来ました。馬頭観音さんの最後の階段は手すりもないので、上がるのは大丈夫だったけど降りる時は少し厳しかった。リピーターの皆さん。毎日ウォーキングを頑張ってかっこよく歩けるようになるまでお付き合い下さいよ。明日はこどもの日にちなんだバイキング料理が提供されるのでまたまた張り切ったレポートをしますので宜しくお願いします。

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(私の事ですが)知らないとは困ったものです

昨日《すき家》で昼食を頂いたのですが、椅子に腰掛けても、注文を聞きに来ないので周りを見渡すとタッチパネルがあるのに気が付き、おもむろにタッチパネルを取りボタン操作をしようとして悪戦苦闘。

何とか注文出来たと思うのですが、なかなか店員さんも来ないので不安になり、近くにあった呼び鈴を押すと直ぐに店員さんが来てくれて、ちゃんと注文(一般的には『オーダー』と言うのだそうです。 )が通っているかを尋ねると「只今確認して参ります」と言って厨房に行き「牛丼キムチ入りセットで良かったですか」との感じよい対応にほっとして、しばらくして注文した品物が来て食べて会計をしようと係りの方に注文書を渡し、カードを出すとカードは駄目との事で千円札を出すと「お金を入れて下さい。」と言われて、何とかお金を入れると「OKボタンを押して下さい。」と言われても、何処にあるかわからない。

慌てると余計にわからなくなり、パニックっていると後ろに並んでいる女性客が指さして教えて下さり、よーく見ると大きな文字で書いてありました。無事にお釣りが機械から出てきて支払い完了。教えて頂いた女性客に丁寧にお礼を言ってお店を出ました。

知らないとは言う事はこう言う事態になるのですよ。

だから、『自分の当たり前が当たり前でない事』も多々ある事をリピーターの皆さんも理解されていた方が良いですよ。かなり前にそう何十年も前に名古屋の地下鉄に久しぶりに乗ろうとした時に自動改札機の要領がわからず、皆さんがされる事を観察しながら見ていた事を思い出しました。知ってしまえば当たり前の事も、やった事がなければできないのです。

今朝も早朝に目覚め本日でウォーキングマシンによる歩きとお経が1ヶ月継続して出来て「宏君を誉めてあげたい」心境です。

爽やかに施設に行き、施設の入居者さんの問題で家族に来て頂いての話し合いをして(結構重い話題でした。)その後昨日湯がいたタケノコを使っての『タケノコご飯』の対応をしたのですが、大成功だった事の報告をします。

朝から吉田部長らがタケノコ、人参、椎茸、油揚げ、を小さく刻んでくれて、理事長の点火を待つばかりになっていて、タケノコを湯がく時と同じように勢いよく燃えだしました。

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本来寸胴の大釜の薪のくべ方は『初めチョロチョロ中パッパ、赤子泣いても蓋取るな』なのですが、優 ・悠・邑流儀は違います。『初めボーボー中ボーボー。心配だったら蓋開けろ』です。『蒔かぬ種は生えぬ』と同じく『炊かぬなら美味しくにゃー』で立派に美味しく男の料理が完成しました。

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出汁を私が味見をして甘かったので生醤油を「男の料理は大胆に」の掛け声の中、たっぶり生醤油を入れて「味付けバッチリ」。40分もしない内に『いい加減』になり、私が出来上がったのを味見をすると少し柔らか目だったのですが、「これから蒸らしを30分すれば最高の出来映えになるであろう。」等と予言者のように言って30分後に各エリアに大きな器に入れる為、大きなしゃもじで混ぜました。

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当たり前の事ですが、釜の底にはお焦げがいっぱいありましたが「これが絶品」職員達が奪うようにして食べてくれ(勿論私も頂きました。)入居者さんにはお焦げでないのを食べて頂きました。リピーターの皆さん。男の料理は最高ですよ。

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本日は天候にも恵まれギャラリーの参加も多かったし『優・悠・邑   万歳。男の料理万歳』のランチタイムでした。

歯が浮いた状態になるのは心からと体からの両方のようです

令和3年5月2日

昨日は奥歯が浮いたのは『強烈なストレス』だと思っていました。もちろん、それも間違いではありませんが、『強烈な疲れ』からも起きる事を今朝理解しました。と言うのは、今朝も5時に起きて奥歯が浮いているからです。確かに昨日はしっかり寝ました。但し一昨日の行政への挨拶回りは結構しんどかったのですが、今月16日に68歳になる(「えっ、竣工式の日がヒロシ君の誕生日」等とわざとらしいかな)身ですので、疲れた症状は忘れた頃に出てくるのです。

とは言え、本日は10時の予定で盲養護老人ホーム優・悠・邑   和(なごみ)に仏壇が搬入され、静慈圜大僧正直筆の書の掛け軸3筆と木に彫って頂いたのを見させて頂くのも楽しみです。私は施設を建設する時には①自分が入りたいと思えるもの②祈りを大切にするの2つを心掛けていますが『②』については今回特に静大僧正が全面協力をして頂けたので有り難かったです。

9時30分に和(なごみ)に着き、内藤仏壇さんが来るのを昨日の搬入状況を確認しながら待っていると、10時ギリギリに着かれる対応は、業者としてのお付き合いは25年近くになりますが、あいからわずだと思っています。そして、発注者である私にいきなり、「4人程職人さんの協力を頼めないか」との話から入ったのにはびっくりして、流石の私も「職人さんはそれぞれの仕事で手一杯だから無理」と答えました。ピシッと言ったので内藤さんがもう一人の手伝いの方と二人で建物に気を配りながら何とか仏壇を納めて頂きました。

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仏壇を納めて頂いている間に静慈圓大僧正の書を三筆を床の間にかけ、桧に彫って頂いた作品も見させて頂き、あまりにも素晴らしい作品に一堂は感動してしまいました。5月16日の竣工式の企画として、静慈圓大僧正の書によるパフォーマンスと書の説明をして頂く予定をしているのは今から楽しみです。

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仏壇搬入が終了して再び本部施設に戻り昨日手に入ったタケノコを寸胴で湯がきました。職員が家から持ってきてくれたのも入れて湯がくと結構な量になったので明日は朝からタケノコご飯の他にもタケノコの料理を作る事が出来ると思います。リピーターの皆さん。入居者さんは食べることがとても好きなので(もっとも私も好きです。)入居者さんと共に明日も楽しめたら良いなと考えています。

 

メッチャ困ってます

昨日のコラムで携帯の液晶が駄目になった事は書きましたが、そんな中でも吉澤施設長の慰労と鋭気を養う爲に吉澤施設長が好きなお寿司屋さんに行き、ついでに私もしたたか飲んで食べました。(もちろんソーシャルディスタンスをして、帰りは代行で吉澤施設長を送って帰りました。)朝は、いつもより早く起きて(5時には行動開始をしてました。)今は(午前6時26分)ウォーキングマシンで30分歩き尚且つお経さんを唱え(本日もピッタリ2キロメートルでした。)ゆっくりと湯船に浸かりました。しかしながら、ゆっくりと湯船に浸かりながらも携帯の事を考えるとめちゃめちゃ不安になってきました。このような事態になり私の生活は携帯に依存した生活だったとつくづく思いました。だって、携帯のスケジュール機能と電話番号登録機能(1500件は登録してあります。)が使えないだけで私は何も出来ないのです。日頃私は「しっかりメモを取り抜けのない対応をして下さい。」と話をしているのですが、私の場合は携帯での管理に委ねているので、その画面を見る事が出来ないのでは手も足もでないのです。「困ったな。困ったな。」と思いながら施設へ行くと奥歯が浮いたような状態でしっかりと奥歯を噛み合わせる事が出来ないのです。本日から3日間は新規施設の備品搬入が予定されているので、新規施設へ顔を出さなければいけないのですが、先ずはイライラを解消すべくドコモショップに行き事情を話すると「修理の体制を取りますので14時に改めて来て下さい。」との対応に「直ぐ隣のAUは混んでないのに」と思いつつ「出直します。」(不思議な事にドコモショップの方の対応後は歯が浮いたのが無くなっていました。)その後、盲養護老人ホーム優・悠・邑   和(なごみ)へ備品搬入の様子を見に行くと、至るところに搬入を忙しくされている関係者の方がみえ活気に溢れていました。14時の予約に間に合うように昼食をとり13時45分に改めてドコモショップに行くとスムーズに対応して下さり代替えの携帯を用意して下さり、通話もメールも通常通り使用出来るが今までの情報であるスケジュールや登録した電話番号(1500件)はこれからの修理に1週間はかかるとの事でしたが、ホッとして施設に帰ると、めちゃくちゃな眠気が襲って来たので帰らせて貰い家に帰り即布団に入りました。爆睡していて、18時30分に施設からの連絡で目を覚ましたもののまだまだ眠いので「本日の夕食は無しで寝る。」と決め水を準備しに1階に行き再び布団に横になり今はコラムを打ってます。リピーターの皆さん。夕食よりコラムを優先しているヒロシ君は偉いと思いませんか。「それより、夕食を食べなくてガリガリにならない。」そんな心配はありません。しっかりと寝て明日からはしっかり頑張りますのでこれからも宜しくお願いします。

朝の内にコラムを450字は打ったのに ・・・。

令和3年4月30日

本日は朝8時30分から市町村への挨拶回りを新規施設の吉澤施設長の運転でしたのですが、携帯で最悪の事態が起きて頭が真っ白になりました。と言うのは表題の通り450文字打ってあったので、本日は楽勝と考えらていたコラムがとんでめまないハプニングによって全部消えてしまう事になり、ショックでたちなおれていないのです。と言うのも、携帯の画面が突然見えなくなってしまいメールが来ても何が何だかわからないので、折り返し(メールが来るのは施設からに違いがないから)施設に連絡をして内容を確認する方法でクリアしました。そのような事が出来たのは私の車の昨日に接続してあったから出来たのですが、前々から液晶が消えかかっていたのに「まだ大丈夫」とたかをくくっていた私が悪いのですが、これはあくまで結果論です。常日頃私は『5年先10年先を見通して展開しなければいけない。』と熱く語っているのに、こんな簡単な事が出来ないとは「とほほ・・・」と言う思いです。さて、市町村回りについては順調に回れたので予定以上に出来ましたが、正直なところ市町村により受け取り方や理解の仕方に温度差があると思いました。また、一昨日に続いての市町村回りをして、運転でをしながら一緒に回ってくれた優・悠・邑   和(なごみ)の施設長の食事が頑張っていてくれているわりには不充分だと話の中でも感じたので、昼食は『ヒレカツ定食』(おかわりはご飯、味噌汁、キャベツ)を食べて、夕食はビールと焼酎の水割りを飲みながらお寿司を満足が行くまで食べて貰いました。一緒に食事をしなやがら吉澤施設長が「施設長はストレスが溜まる。」と話ししたので私は「何を言っとる。施設長になってまだ1ヶ月も経ってないのに、私は23年もしているのだぞ」と叱咤激励をしてしまいました。吉澤施設長に言いたいです。「愚痴が言えるだけ良いですよ。私は孤軍奮闘をしてきたのですよ。時には職員から戯けにされるような事があった時に悔しい思いをした事も数えれないほどにありましたよ。」と言うことを熱く語りました。厳しい状況はいずれ財産になりますから。とにかくリピーターの皆さん。450文字を無くしてしまい、お酒も入っているなかで代行で家に帰ってからの頑張りだった事をご理解願って『本日もクリア』と言う事で

意外にもヒロシ君は、験担ぎ(げんかつぎ)なのであります

私(わたくし)『ヒロシ君』は驗を担ぐ人間だと思われる方はリピーターの皆さんの中でどの程度おみえなのかはわかりませんが、正直色んな場面で験担ぎをするのです。例えば階段を上る時、下る時に最後が右足でないと気分が悪くなるのです。だから、たまたま行った所の階段を上った時に最後が左足になった時は下りる時には必ず右足が最後になるようにしています。ちなみによく行かせて頂く岐阜県福祉会館は県社協が入っている4階までは階段を利用するのですが、間違いなく右足が最後になるように覚えてしまいました。大抵は無意識に出来るのですが、うっかり考え事をしている時に間違えたりすると「何か不吉な事が起きるのではないか」等と考えてしまうのです。何でこんな話をするかと言うと、4月4日から毎日30分ウォーキングマシンで歩いているのですが、簡単に言うと時速4キロで機械を設定して30分歩けばぴったり2キロ歩く事になるのですが、30分を一機に尚且つ、いきなり時速4キロで機械が動かないなで、ぴったりになる事は無いのです。だから、日によって、最初は時速3・6キロに設定して『しょうしんげ』の途中から3・9キロにして、お文さんまで唱えてから休憩をしてから(水を飲んだリ汗を拭いたり)4・4キロに設定して、般若心経を唱え、30分になると「お疲れ様でした」と言ってから「ピッピッピ」で歩き終わると2・2キロとか2・4キロになるのですが、本日は最初は3・9キロに設定して般若心経からは4・4キロにして「あと1分では2キロに届かないな」と思いながらも、最後の「ピッピッピ」の最後に2キロを示してくれたので、「これは想定外の良い事があるのか」と単にこれだけの事で喜びを感じ験担ぎをする私なのであります。ピタッと2キロにするには中学で習う『連立方程式』を駆使するか、あるいは『丼勘定』で行くかはともかくとして、ピタリ2キロにしたのは素晴らしい。今は19時54分で何も起きてません。根気よくラッキーを待つ・・・。いやいやラッキーは待っていて来る確率は少ないです。ラッキーを取りにいかなければ、何も変わりません。と言う事で今日は法人に寄付して頂いた方々にお礼のお手紙を書いています。今、結果が出なくても『蒔かん種は生えない』の格言通りに頑張り結果が出た時それを幸福と言っていきたい。何かとりとめない話ですがリピーターお許し下さい。

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