『癌』だと宣告されて考えた事をお約束通り書きます
令和4年5月24日
大垣市民病院に結果を聞きに行った時に「あわよくば癌ではないように。」と正直思いました。ただし、私の生母秋江さんは、40代前半で癌がみつかり47歳の時に亡くなっています。だから息子である私が癌の因子を受け継いでも何らおかしくはありません。むしろ、60代後半(と言うより60代最後の歳なのですが)での発症は遅いくらいでありラッキーと言っても過言ではないと考えています。そしてもう1つラッキーな事は、生母秋江さんが癌と闘ったのは50年以上も前、つまり半世紀以上前のことであり、この半世紀の間に癌治療は目覚ましい進化を遂げています。つまり『癌の宣告』イゴール『死の宣告』ではなくなったと理解しています。それに、事業の関係で夜もゆっくり眠れない日が続いても食欲は全く落ちないし、たまに家での晩酌も美味しいので大丈夫だと思っています。
かなり前の事なのですが、全国老人福祉施設協議会の役員の方で日本酒をガンガン飲まれてからもホテルの部屋へ招かれていわゆる『部屋飲み』をされる豪快な方がおみえになり、私よりも立派なお腹をされていたかたが、半年ぶりくらいでお会いした時に『激やせ』されていて、その先生から「若山さん。体重が減ると体が軽くなって歩くのも楽になったよ。若山さんも痩せた方が良いよ。」と言われたのですが、私は異様な痩せ方に違和感を持ったので「いやあ。なかなか痩せるのは難しいです。」と答えるのが精一杯でした。実はその役員の方はそれから3カ月後に亡くなられました。だから、私は『太鼓腹』の腹を叩くと良い音が出る自分のお腹が大好きなのです。それは、小さい頃ガリガリに痩せていて、その当時人気力士だった『若秩父』に憧れていたのです。今の私は若秩父と甲乙つけ難いお腹に満足しているのです。
今も帰り際の職員が「理事長、体調は大丈夫ですか」と心配そうに聞いてきたので(多分、このコラムを見ていてくれているのです。)「このお腹なので大丈夫です。もしもこのお腹が小さくなったら心配して下さい。でも私はまだまだ30年はしっかり元気でいるから大丈夫です。心配してくれてありがとう。」と答えました。皆に心配をかけたくてコラムで『癌宣言』をしたのではなくて、「癌に何か負けるものか」と言う宣言をしたかったのです。私は生まれて半年が経過した時に心臓が5分程度停まって生母秋江さんが嘆き悲しんだのに、復活をして今に至っています。それは私には生きてしなければいけない使命がまだまだあると言う事だと考えています。だって、高野山の静慈圓大僧正様が「若山さんの背中にはお不動さんがついている。」と言って頂いたんですから。だからと言って奢った生き方をしようとは考えていません。厳しい状況にあっても『福祉道』に邁進してまいりますのでリピーターの皆さん、これからも宜しくお願い致します。








