足元がふら付きます

令和3年5月28日

5月25日の火曜日にコロナの予防接種をして貰い、私はインフルエンザの予防接種を受けて大変な思いをしたので多賀先生に打って頂いた時には全く痛く無かったのですが、「お風呂は短めに」とか「激しい運動は控えるように」との注意事項を守る為(そんな時は小心者の私は忠実に守るのです。)いつもは「お風呂が一番のリラックスなのでコラムを打ちながら1時間近く入るのですが、25日からは『烏の行水』程度にしか入らないので、私の奥様かをり様からは「本当に入ったの」とばかりの目でみられてしまいます。「激しい運動は控えるように」との注意をしっかり守る為に朝5時前に起きてのウォーキングマシンでの歩きとお経を中止していて、朝の日課が水・木・金と出来ない事によって・・・。実は足元がふらつくのです。

常日頃職員や家族の方に「高齢者である入居者さんには出来るだけ活動的な生活を送って頂くことによって可動域の確保をしなければいけない。3日も寝たきりの状態が続くと動けなくなって元通りの状態にするのは難しいし日にちがかかる。」と熱く語っているのですが、まさか私も僅か3日間朝のウォーキングマシンによる歩きとお経を止めただけで足元がふらつくとは思ってもいませんでした。でもよくよく考えるに、私がウォーキングマシンでの歩きとお経を始めたのは4月4日からです。この日から始めた理由は盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)の建設状況を毎週見に行くようになり(現場打ち合わせに合わせて)もたもた歩いていると岐建の高橋監督がさり気無く手を取ってくれるのを半ば恥ずかしいと思いつつも何ともならないジレンマに襲われていたのです。

そんなこんなで44日から始めて、確かに足の動きは良くなったと言う自覚があったのですが、まさかコロナ接種をして3日間出来なかっただけでこんな状態になるとは・・・。私は元気だしお酒の量でもカラオケでも若い子に負けないのと同じ様に何もかも大丈夫だと思っていたのに・・・。だけども、私にはまだまだ回復力はあると思うので明日からはウォーキングマシンでの歩きとお経を復活させます。朝一で歩くと確かに体はシャキッとしますし、体のメリハリも出来ていたと思うのです。

昨日のコラムで書いた様に1000日以上書き続けたので驚異の100万字を達成して本日も継続出来たので、心身の充実は元気の源だと思うので、これからも心身ともに頑張つて、少なくてもあと30年は私の責任で借り入れの返済をしていかなければいけないので、リピーターの皆さん。今まで以上のご支援を宜しくお願い致します。

※本日も1100文字をクリアしました。「宏クンは偉い」と自分でも誉めたいと思っています。(なんのこっちゃ)

 

 

岐阜テレビで放映されたのを法人ホームページでアップしました

5月21日の19時30分からの番組の中で盲養護老人ホーム和(なごみ)の竣工式から理事長の思いや施設内の紹介までして頂いた6分50秒の番組を岐阜広告からメールで送信して頂きホームページにアップしても大丈夫だと言う事で、早速パソコンが得意な優・悠・邑   和合の加藤事務係長心得(6月からは係長)に『新着情報』のコーナーにアップして貰い、私自身も改めて自分のパソコンで確認をして、改めてパソコンの画面いっぱいに映っているのを見ました。

(こちらからご覧になれます→「優・悠・邑 和(なごみ)」の紹介動画をアップしました! – 社会福祉法人 杉和会 (sugiwakai.jp) )

私は常に『広報活動により組織を強くしていく』と考えていますので、今回の岐阜テレビでの当法人の企画もその一貫です。私がホームページへ参加するのは『理事長コラム』のコーナーなのですが、常日頃から職員には『継続は力なり』と言っているので、私も理事長コラムのコーナーについては毎日掲載するようにしていて、少しずつリピーターの方が増えてきているのを励みにしていますのでリピーターの皆さん、改めて毎日のご購読よろしくお願いいたします。

さて、当法人のホームページが全面リニューアルをしたのが、平成18年でその時から『今日の優・悠・邑』『今日のえりかの里』が毎日発信され、平成26年からは『今日の優・悠・邑    和合』が加わり近々『盲養護老人ホーム和(なごみ)もしっかりとした体制で参画する予定です。この『継続は力なり』の効果の程は具体的には、平成26年に事業開始をするために平成25年7月に新聞折り込みで大々的に職員採用の募集をした時にはアクセス数は飛躍的に伸びその後も10月と翌年1月にも新聞折り込みを入れて(1回当たり約16万枚)その都度ホームページのアクセス数が伸びて介護人材がなかなか集まらない状況で一人の介護人材を確保するのも難しいと言われている状況の中でありましたが、7月から開始をした面接は翌年の1月までに300人を越し、80人の職員を採用する事が出来ました。

私が理事長コラムを毎日書くようになったのは2018年の8月24日からですので今年の8月23日を迎えると丸々3年になります。毎日のコラムの文字数も徐々に増えて今では当たり前のように1000文字を基本的には越えるようになってます。今、私の中でウズウズしています。それは2018年8月24日からでおおよそどの位の文字を打ち続けたかを計算したいのです。2年分で365×2+1(閏年があるから)=731です。そこから8月は残りの8日、9月は30日、10月は31日、11月は30日、12月は31日、1月は31日、2月は28日、3月は31日、4月は30日、5月が本日27日ですから8+30+31+30+31+31+28+31+30+27ですので8月24日からを足算すると277日ですから丸々2年の731日と8月24日から本日までの277日を足すと1008日になるので1000文字×1008日をすると1000008文字になるので何と百万字を越える数字になります。

自分でも驚きですし、小学生の時には百文字を書くのもなかなかだったのでリピーターの皆さんも思いませんか。「えっ。何をかって」『千里の道も一歩からと』不十分な事もやり続ければ形が整ってくると。誰かが手を抜くと叶わない事が出来て来ますが、逆に小さな一歩をやり続ければ形になると信じてやりきろう。これは今の本部施設本館1階の事なのですが、きっと私が阿修羅の如く立ち回らなくても必ずや形にしてくれると信じています。✳最後の所は極一部の職員にしかわからないものになってしまいましたがお許し下さい。

昨日のコロナ感染症予防接種の報告からです

令和3年5月26日

昨日は10時前から19時過ぎまで断続的に会議や打ち合わせがあり、その間隙を縫ってコロナ感染症の予防接種をして頂きました。

14時から当法人の監事監査がある事に配慮して頂き職員の中で最初に接種させて頂きました。正直、嘱託医師である多賀先生に注射をして頂くのは初めてなので、先生の注射の手技がどの程度か分からず不安なまま半袖のシャツをめくり半ばドキドキしていたのですが、打って頂いて注射針が抜けても全く痛みを感じる事も無かったのでほっとして監事監査が行われる会議室に平気で歩いて行けました。正直拍子抜けするような感じでした。

19時30分に家に帰り短めにお風呂に入っても異常なし。夕食を終え少し頭が重かったので薬局から買い取ったカロナール錠を1錠飲んで寝ました。カロナール錠が効いたのかどうかはわかりませんが4時30分までしっかりと寝る事が出来ました。通常だとその後は歩きとお経になるのですが本日は過激な運動は控えるようにと言う事で二度寝を決めて目をつむってみたものの実際には寝る事は出来ませんでした。注射は左腕にしたので左腕を下にして寝ようとすると少し痛みを感じましたがそれ以外は大丈夫でした。

今回のコロナ感染症予防接種は、インフルエンザの予防接種のときの大変な状況になった事がトラウマのようになっているので、正直、接種するのを躊躇したのですが、出来るだけ多くの職員に接種して欲しい立場の私としては接種するべきと考えての接種です。トラウマになったのは、接種した日の夜中に注射を打った腕はボンボンに腫れて熱を持ち翌朝には39度以上の熱が出て3日間は熱が下がらず「うんうん」と唸っていたのです。と言う事でそれ以降のインフルエンザの予防接種は多賀先生と相談して受けていないのです。

今回のコロナ感染症予防接種は打った結果が心配で「ドクターヘリを待機して貰うか」等と軽口を叩きながらも正直ドキドキだったのです。但し、「2回目の接種の方が厳しい」と言われているので、3週間後にはまたまたドキドキしなければいけないのですがこれも業務の一貫と思い頑張ります。但し、本部施設の入居者さんと職員及び委託業者の従業員の方、総勢190人が熱を出される方もなく少々腕が痛かったくらいの報告のみであった事に安堵してます。リピーターの皆さん。このような事も含めて「ありがたいなー」と思うと共に神仏のご加護と思うのですが如何思われますか。

 

コロナの予防接種とPCR検査です

いよいよ私自身の接種が本日14時過ぎにあります。施設での集団接種は三度目で1回目の接種としては最後のグループになってしまいました。どこかの首長さんが自分は医療従事者だから優先的に接種したと言ってマスコミの餌食になっていましたが、私は早くに打ちたい気持ちもありましたが、新規事業の盲養護老人ホーム優・悠・邑和(なごみ)の竣工式等々の日程に配慮していたら最後の日になってしまったのです。とは言え、本日の予定は10時から法人職員のの為の査定評価を決める最終的な打ち合わせがあり、14時からは当法人の監事監査があり、それに引き続き15時30分からは理事会がありますから、決して何も予定が無いのではなく、『体を激しく動かさない』=『安静』との考え方でしかありません。ちなみに明日は10時から業者の打ち合わせがありますし19時からは本部施設の全体会も予定されています。『予定は未定であり決定でない』状態を作るとしたら、私が予防接種で体調を崩して救急車に乗るかドクターヘリに乗る時かな。いやいや言葉の力は大きいので、このコラムだけの話にしておきます。14時からの予防接種なのに昼食を食べたら(味噌ラーメン)落ち着かなくて会う職員会う職員に「ドクターヘリはきたか」等と話していました。一番最後に打つつもりでいたのですが「理事長が最後だと時間が遅くなる」との理由で職員の中で一番に打って頂けました。「本日は予防接種があり腕まくりをするのは大変だ。」との理由で半袖のポロシャツを来ていきました。多賀先生の注射が上手だったので全然痛くない注射でした。その後、安静な時間をおく事なく監事監査と理事会が開催されました。16時過ぎに会議をしていると山への道を猛然と走るダンプがあり、会議に参加していた吉田部長に注意をしてくるように言いました。吉田部長は直ぐに奥の工事の所に言ったのですが、なかなか帰って来なくて、しばらくするとパトカーが来てそのあと直ぐにパトカーが来て「何かが起きた。」と考えていると砂防ダムの工事でユンボが転げ落ち怪我をされたとの一報が入り、会議が終了してから確認に行きましたがリピーターの皆さん。思いませんか。いくら急いでいても山道で暴走したら危ないですよね。お互いに気をつけて運転するようにと。昨夜同様眠いのでこれくらいのコラムにします。

明日は私自身のコロナの予防接種です

令和3年5月24日

本日は開店と同時の9時に大垣共立銀行関ヶ原支店に行き法人の通帳対応をして、その足で岐阜県老人福祉施設協議会の役員会及び総会がある岐阜県福祉会館に行きました。時間的には早くに着いたのですが、会議が福祉会館に集まる役員とリモートによる参加の二段構えと言う事で業者の方の協力も得て準備の真っ最中。ばたばたしてみえる中で事務局のメンバーに挨拶をして、順次集まってくる役員さん達に挨拶をすると共にそれぞれに打ち合わせをしました。

全員揃った段階で役員会が始まり、、会長の挨拶に引き続き会長の役割である進行をさせて頂きました。会議室に集まっている役員とリモートでの参加の役員との調整をしながら会議を進め役員会が終了して昼食を挟んで(お弁当を頂きました。)総会になり、事務局の進行で先ずは会長選挙の結果報告を玉置選挙管理委員長から私が再選された報告があり、それを受けて私が会長として挨拶をして、そのあと、園田参議院議員が、有田岐阜県高齢福祉課長、岐阜県社協の常務理事さんからの来賓挨拶を頂き、引き続き林副会長が議長で総会の議題四題が承認され、総会は無事に終了しました。今回はリモート参加の方も多く事務局は大変だったのですが無事に終了した事を感謝してます。

総会はを終えて本部施設に帰ると明日のコロナの予防接種の事ばかりです。施設の職員の中に元消防所長がみえて、その職員に「明日の摂取では私が救急自動車を準備してもらわなくてはいけない」というと理事長にはドクターヘリコプターを準備していると言われたので、私は正直その気になってしまいました。コロナによる予防接種は始めての事なので小さい頃虚弱だった私としてはとても不安ですし。昼間は急に熱くなってきたのを自分が調子悪いのではないかとかなりの不安な気持ちは正直な気持ちはですが、リピーターの皆さん。私が無事に終了するのを皆さんで見守っていて下さい。

やらなければいけない事が山積みです

やらなければいけない事が山積みです

竣工式を終えた翌日には岐阜テレビの取材があり、その翌日からの2日間は施設解放の内覧会があり(300人以上の方に来て頂けました。もちろん、感染症対策をしっかりやりました。だから、玄関前で待って頂いた方も多く申し訳なく思っていますが、皆さんのご協力を得られました。ありがとうございました。)その他にも色々な対応があり、あっという間に一週間が経ったしまいました。竣工式後の対応として、竣工式に来て頂けた方、招待はしましたが、やむ無く欠席だった方、今般のコロナ禍で本来なら招待すべき方に対してそれぞれにお手紙を出さなくてはいけないのに出来ていないので、内容の検討と差出人リストの作成をしなければ失礼に当たるので急いで対応しなければいけないと焦っています。明日は岐阜県老人福祉施設協議会の午前中は役員会で午後からは総会があるし、その翌日には当法人社会福祉法人杉和会の監事監査及び理事会があり、おっと忘れちゃいけない。その日にはコロナの予防接種を受けなければいけない。こんなスケジュールの合間を縫って抜けのないようにやりきらなければいけないのです。本日は本部施設の西奥に建設されている砂防ダム工事の為に切った山の木を取りにくる方がおみえになるので、それはそれで対応しなくてはいけないとも考えています。施設へ出掛ける為に家を出るとパラパラと雨が降って来たので木を取りにくる方に申し訳ないなと思いながら施設に行き、、待っていると天気が回復して来た時に木を取りに来る方がおみえになったので「木を取りに来た方は晴れ男なのか」と思いながらもう一人の方を会議室で待ちながら先般頂いた『たねやのバームクーヘン』(彦根城近くです)とコーヒーを飲みながら色々な話をしていると待っている方がおみえになったので材木が置いてある所に案内をすると、準備良くチェンゾを二台持ってきてみえ、手馴れた様子で置かれた材木を約40センチに切っていかれるのを軽トラックに積み込む作業をして、しっかり軽トラックいっぱいになるくらいに積み込み何とか作業が終了したのが12時。施設玄関前にあるテーブルでお茶を飲んで頂き二人をお見送りした後、あわてて昼食のカレーライスを急いで食べて(実は我が家の昨夜の夕食と今朝の朝食もカレーライスだったのですが。)13時30分からの本館1階2階のお参りに備えました。

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先ずは1階のお参りに挑んだのですが、参加者の中でお経を唱える方が少なかったのでいつも以上に声を張り上げたので喉が枯れて咳き込む事が何度かありました。1階を終えて2階に上がると参加者も多く大きな声でお経を唱えて下さる方が何人かみえたので、「ここはお経を間違えるわけにはいかん。」と1階とは違う気合いが入りました。お経を終えて氷水を飲んでいると伊藤主任がカラオケを準備してくれたのて「久しぶりに歌えるか」と言う事で山崎ていしの『お前しか愛せない』を歌う事にしたのですが、「マイクの充電が出来ない。」との事で、音楽は流れてもマイクは使えないとの事でマイクなしの生声で歌ったのですが、マイクなしでも充分な声量に自画自賛です。リピーターの皆さん。一度、私の生声を聞きに来てください。

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『6分50秒』としっかり放映して頂けました

令和3年5月22日

5時17日に岐阜放送(岐阜チャン)が取材に来て下さり、10時からの打ち合わせの後休憩もなく13時30分まで施設内をくまなく撮影して頂き、その後も外の撮影をされて14時30分頃までしっかり撮影されて、放映時間は5分程度と聞いていて昨夜19時30分からの番組の中で放映されると聞いていたので、てぐすねをしてテレビの前で構えていると最初はコロナ関連の報道がされて、もう一つのテーマが終わりコマーシャルを前に盲養護老人ホーム和(なごみ)の予告をしてコマーシャルになったので今や遅しと身構えていると始まりました。

最初はアナウンサーの方が盲養護老人ホーム和(なごみ)の紹介から始まり、施設全景の写真と共に『不破郡垂井町梅谷621―1』のテロップを画面右下に写しながら、男性の声のナレーションで5月16日の竣工式典の様子を写しながら、効率良く『杉和会』の事『新型コロナに配慮した式典』『式典に花を添えて頂いた静慈圓大僧正の書の実演』を説明して下さり、その後を受けて私がインタビューに答える形で盲養護老人ホーム建設に至る経過を話にしている場面が写りました。自分で自分の画像を見ながら、いつもの事とは言え、原稿無しで落ち着いてポイントを押さえて話をしていると自画自賛です。

その後盲養護老人ホーム和(なごみ)の吉澤施設長が施設内の配慮について画像と共に説明してくれていました。吉澤施設長にとっては大変な役割だったと思いますがしっかりと役割を果たしてくれたと思いました。その後男性のナレーションにより地域との共生エリアの喫茶室と集会室の説明をして頂いた後、再び私が建物への思いをしっかりと語らせて頂きました。次にはナレーションで施設の住所と電話番号もしっかりのせて頂き、盲養護老人ホームの案内までして頂きました。最後には番組の女性アナウンサーの方が竣工式の取材に来ての感想まで入れて話をして頂きました。

6分50秒と言う事で5分程度と言われていた中でしっかりと内容を入れてのものになっていたことに感謝すると共にマスコミの方にとっても期待度が高いと言う事でありますので昨日から事業を正式に開始した盲養護老人ホーム和(なごみ)のソフト面の充実に力を入れていかなければならないと思いましたし、岐阜県初の盲養護老人ホームと言う事で岐阜県としてのバックアップをこれからもしっかりお願いしたいとも思いました。

リピーターの皆さん。盲養護老人ホーム和(なごみ)も杉和会の理念である『今日一日楽しかったよ』と言って頂ける施設になるように職員も頑張りますがリピーターの皆さんもご協力をお願い致します。

 

『なむだいしへんじょうこんごう』と『ねむたいしへんじょうこんごう』の違い

本日も5時前には起きて5時16分からウォーキングマシンに載ってお経を唱えながら歩いたのですが、歩きながらつくづく考えたのは、若い頃は軟弱で目標を決めて何かを初めても何日も継続しない私でした。

私の生き方の中で一番の出来事は何と言っても『わけのわからん3人組』を結成していて、秘密の基地に集合してお互いに合図の言葉を言い合っている毎日の中で「3人でロケットを打ち上げよう。」と決めて花火をたくさん買って来て火薬を取りだしロケットモドキ(モドキにもなっていなかったと思いますが・・・)を打ち上げようと熱くなっていましたが、もちろん数十メートルしか飛びませんでした。そんな3人組が中学入学を前にして話し合って決めたのが、3人共に勉強はからっきしダメな3人組でしたので中学になってから始まる英語で頑張れるようにしようとの話になり、その当時、学校前にあった薬局にわら半紙をお互いに1束購入して「毎日1枚ずつ、びっしりと英語の単語を書く」事にしました。

そして1日目は楽しくて楽しくて手が真っ黒になるまで書き続けました。2日目も大丈夫。3日目も大丈夫。しかしながら当時の宏君はいたってひ弱で軟弱だったので、「ペンダコが出来て痛いからやらない。」と見事に脱落。しかしながら3人組の中で一人だけ律儀にやり通した悟君は(もう一人の剛君も挫折しました。)毎日やり続けた結果、英語の成績が良いだけでなく、多分勉強の仕方がわかったのでしょう。他の教科も出来るようになり進学校に見事に合格して国立大を出て教員になりました。

本題に移ります。諸般の事情で高校2年の夏休みから四国八十八ヵ所歩き団参に行くようになり、当時の団参は全て歩きで最初に参加した時は阿波一国(徳島県)一番から二十三番までを一週間で歩いたのですが、初日は六番安楽寺までと二日目の十一番までは比較的緩やかな道を歩くのですが、三日目は十一番藤井寺の裏山を一機に急な坂道を約一時間歩くのから始まり約13キロの道のりを上って下ってを三回繰り返し最後には約1200メートルの所にある十二番札所焼山寺へは元気な方で四時間、そうでない方で6時間かかるのですが、私はしんがりを勤めてしたので、ハンドマイクで「なむだいしへんじょうこんごう」を大きな声でゆっくりと唱えると一斉にみんなが「なむだいしへんじょうこんごう」を唱えて歩くのですが、私の声が「ねむだいしへんじょうこんごう」と聞こえると笑いが起きてみんながまたまた元気になって歩いて下さると言う事を既に50年も前の事なのに歩きながらお経を唱えている時に思い出した次第です。

リピーターの皆さんは突然の話題で理解不能かも知れませんがお許し下さい。

予定は未定です

令和3年5月20日

22時前には深い眠りに入り、いつものパタンだと2時30分頃に一旦起きて水を飲み再び眠りに入り(眠れない時もありますが)5時前には行動開始となるのですが、本日は午前0時55分に携帯が鳴り、看取りのお世話をさせて頂いている方が呼吸停止をされたとの連絡を宿直者の谷田主任から貰い最初は頭が回転していなくて、しばらく混乱したあと「先ずは多賀先生に連絡をして」と言って携帯を切り、5分ほどしてから「多賀先生は6時前には施設に行きます。との事です。」との連絡を受けて「取り敢えず家族にも多賀先生が6時前にはおみえになりますが、コロナ禍ですので長い時間は部屋にいて貰えない事も伝えて下さい。」と話をして10分ほど経ったにも関わらず連絡がこないのでこちらから連絡をすると「長男の奥様が出られたが要領を得ない」との事なので「長男のさんの職場に連絡をして貰いなさい。」と指示をしてその後、長男さんから施設に「多賀先生の時間に合わせて施設に行きます。との事です。」との報告に「多賀先生は30分は早くみえるので、遅くても5時30分には施設に行きます。」とのやり取りが終了したのが午前3時前。

熟睡は禁物だと考えてうとうとしていて、4時30分に起きて本日はウォーキングマシンに載っての歩きは無理なので仏壇のお花の水かえと短いお経をあげて施設に向かいました。5時20分には多賀先生が来て下さり死亡確認をしてから事務所に来て死亡診断書を書いて帰られてからしばらくすると長男さんが来て頂けたので新館に一緒に行き、その後、事務所に移り今後の対応について話をして自宅がある近くの葬儀やさんに連絡をして、(その間にお風呂に入って頂きました)7時30分に迎えの車が来てお見送りをしました。

その後、決済をしたり書類の整理をしていると9時30分になったので、盲養護老人ホーム和(なごみ)に向けて出掛けました。と言うのは10時30分の予定で本部施設でご縁を頂いた方の家族にであり私のコラムのリピーターでもあり今回の新規事業へ多額の寄付をして頂いた方が施設見学にこられたのです。駐車場に着くと玄関先にタクシーが停まったので、乗られている方の確認をすると視覚障害者福祉協会山田会長が座ってみえたので驚きながらめ山田会長の対応をしました。かつての家族の方と山田会長の両方に対する対応に焦りながらも失礼のないように頑張りみした。明日は新しい施設の事業開始でもありますので明日以降も頑張りますので宜しくお願い致します。

 

昨日の内覧会にいの一番に入場されたご夫婦の思い

令和3年5月19日

内覧会の対応をする職員達が9時からの入場を待ち構えていて、9時になっていの一番に受付をされたご夫婦があり事務所にいてその様子を見ていた私は芳名録に書かれた住所を見てビックリしました。だって、その住所は名古屋だったからです。私が瞬時に考えた事は、「遠い所からいの一番に受付をされたと言う事は、優・悠・邑   和(なごみ)に余程の期待をされておみえになったのだろう。」と。そのように思った時の私の行動は自分で言うのも変ですが『すばやい』です。つまり、私の名刺を握りしめ受付をされたご夫婦を追いかけました。そして、浴室の説明を聞いてみえたのを確認して職員の説明が一段落したタイミングで声をかけました。話をさせて頂いていて確信したのは『視覚障害者の為の盲養護老人ホームを造らせて貰って良かった』と言う事です。このご夫婦のご主人の方のお父さんは飛騨地方で奥さんを亡くされてからは一人で生活されていて、だんだんと視力を無くされて一人での生活は難しく息子さんは仕事の関係で転勤が多く、近々勤務地が遠くなるので、その前に父親が安心して暮らせる施設を探してみえたと言う事でした。話をさせて貰う内に息子さんはの気持ちとしては「父親には絶対にこの施設に入居して貰いたい。」と言うのがわかりました。と言うのは話の中で「父親は昔気質の職人で頑固で尚且つ戦時中の話を(ご本人さんは91才)繰り返し繰り返し話をする面倒くさい人間だ。」と不安そうに話をされるのです。そこで私は「そんな事は気にして頂かなくても、大丈夫ですよ。何度も話をされたら、その都度新鮮に聞くのも大切な事ですし、それもコミュニケーションとして大事な仕事ですから。」と話をすると安心して頂けたと思いますす。そして、「どのようにして新規事業の事を知りましたか」と聞くと「昨年末の新聞に写真入りで大きく掲載されていて、父親が入居出来るのを強く望んでいて、早くに出来るのを祈っていました。」と話して頂きました。本当に困っている方は多くみえる事を理解したのは入居希望の相談を吉澤施設長がたくさん受けていたからです。ただし、相談の内容を後から報告を聞き、あくまでも『養護老人ホーム』なので『経済的弱者』であることも措置入居の条件であるので、契約入居するだけの支払いは難しい事に直面される方もみえました。この問題を解決するには制度上の多くの問題を解決しなければいけない現実を私自身改めて知りました。昨日と本日の2日間が盲養護老人ホーム優・悠・邑   和(なごみ)の内覧会だったのですが、2日間で300人以上の方に来て頂けたのは、岐阜県初の盲養護老人ホームだと言う事を岐阜新聞、中日新聞が大きく取り上げて頂けたのは大きかったのでしょうが、それにしても、これだけの方に来て頂けたわけですから期待に沿うように頑張らなければと考えたいますので、リピーターの皆さん。立派に成長していくように見守っていて下さい。

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