甘甘じいじのメロメロ物語(そんな大袈裟なものとちゃいます)

令和3年8月13日

大袈裟過ぎていて自分でも恥ずかしいのですが、年に5、6回しか会わないからこそ可愛くて可愛くて仕方ないのか、それともやっぱり孫は文句無し理屈なしに可愛いいのか。多分後者だとは思うのですが・・・。昨夜も我が家に来る車の中で「じいじと一緒にお風呂に入る」と言っていて、お参りが終わったら、私より先にお風呂の方に行ってしまう姿を私はめろもろのいそいそで孫の翔を追い掛けていました。お風呂に入る前にシャワーを頭からかけても大丈夫で一緒に湯船に入ってもおとなしい。

一旦湯船から出て頭を洗う為に頭からお湯をかけた時は両手で目の辺りを一生懸命に押さえていて嫌がる素振りなし。「もう少しじいじを困らせるかと思ってたのに。」夕食の買い物は事前に予約していたお寿司屋さん、鰻屋さん、肉屋さんに行って私が貰ってきたのですが孫の翔はお寿司屋さんで特別に少し小さめのお稲荷さんとツナ巻きを美味しそうに食べてくれて、甘甘じいじは大満足と言うお話でした。

 

今朝は6時30分に施設からの連絡がきました

いつものように朝5時過ぎに起きてウォーキングとお経を唱え、汗びっしょりになり、水のシャワーを浴びてから湯船にゆったり浸かっていたら本部施設から携帯に連絡が入り緊張しながら電話に出ると「本部施設1階の食堂に行くところの廊下の天井から水が漏れています。メンテ契約をしている大倉商店に連絡しました。」との報告を受けたので、改めて大倉商店に連絡すると、「自分は行けないので、代わりの者に依頼する連絡をしてます。」との事だったので「私もこれから確認に行くので大倉さんも取り敢えず来て下さい。」と言って慌ててお風呂から出て急ぎ着替えて本部施設に向かいました。取り敢えず水漏れしているところに行くとバケツが5個並んでいましたが床が濡れているところもあったのでモップで床ふきをしてから丸いバケツより四角いのを探していると、夏祭りで使用する浴衣を入れる化粧箱があったのでバケツとの入れ替えをしていると大倉さんが来てくれたので天井の石膏ボードを外して貰うと比較的体が入る場所だったのと、状況をよく把握しているので、手際よく作業をしてくれたので9時前に直してくれました。私のスタンスは自分が納得するために先ずは現場を確認することから始めて、一件落着です。何もしないでいるのは私の主義ではないのて本日も動いてしまいまいたがリピーターの皆さん、私はいつまでも出来るわけがないので・・・。いやいや死ぬまでこのスタンスは変わりようがないと私自身は考えています。

本日は父進の命日です

令和3年8月12日

平成4年の今日が父進の命日です。と言う事は父進の存在がこの世からなくなって30年が経過したのか。早い気がしますが、この30年で私の生活は激変したと言っても過言ではありません。私が38歳を迎えようとしている平成4年3月で児童養護施設を退職した時は正直自分が進むべき方向が明確になっていない状態(思いのみで具体性がないまま)のままで父進に退職した事を報告しました。しかしながら父進は「自分で決めた事を全うしなさい。」とのみ言われて、逆に責任の重さを感じました。その時長男誠は7歳で次男諭は2歳だったのです。確かにあの頃の私は理想のみを追い掛け現実を理解しない生き方だったはずなのに、父進は遠くから見ている文字通り『木の上に立って見る=親』そのものだったと思います。(自慢ではなく絶対に私には出来ないと思っています。)まだ、その頃の父進は関ヶ原町歴史民俗資料館の館長は辞めていましたが後進指導の意味で勤務してました。(満80歳でも仕事をしていて文字通り生涯現役だったわけです。)そして私は「非社会と反社会の子どもを何とかしたい」との思いで、生活の糧は大垣女子短大の非常勤講師と家庭教師と単発の講演講師でまるで霞を食べて生きているような生活だったと思います。(稼ぐより使う方が多い生活)そんな生活の中父進が6月22日に真っ直ぐに歩いているつもりが真っ直ぐに歩けなくて当時の関ヶ原病院(今は診療所です。)に緊急入院となり、8月11日の日に初めて父進の付き添いをするために病院に泊まる事になり翌朝の7時20分に父進は息を引き取りました。何も私が初めて父進の付き添いをした日に息を引き取らなくても良いと思うのですが考えようによっては、体が弱かった私が付き添いをするまでになってくれたのかと思い安心した為かフッと息を引き取ったのかも知れません。あれから30年。今は180人の職員を抱えた社会福祉法人理事長をさせて頂いているのですが、父進の底抜けの愛情と包容力と忍耐力があったからの今だと長男夫婦とその息子(私の孫の翔)と春子お姉さま夫婦が集合しての法要に際して痛切に思っています。法要が終わってからは久しぶりに孫の翔と一緒にお風呂に入り改めて成長している姿が嬉しかったです。『子どもは神童』とはよく言われますが翔も正にそのように感じました。だって、床の間に置いてある私が頂いた厚生労働大臣表彰の額の中に私の『若山宏』の名前を見つけて『わかやまひろし』と読むし、私の歳が68歳と教えると「ばあちゃんといくつ違うの」と聞いてきたので「5つ違うよ」と言うと「あばあちゃんは63歳か」と答えたのには感心してしまいました。7人も寄ってお参りをしてその後夕食を共にしての賑やかさは写真になった父進も母秋江も姉光子も養母英子もきっと喜んでいると思うのですがリピーターの皆さんはどのように思われますか。

3太郎行列は本部施設の伝統としたい

令和3年8月11日

昨日から始まった本部施設のフロア毎の夏祭りでオープニングを飾るものとして、3太郎と何故か鬼さんとピエロさんとが加わっての『3太郎行列』は入居者さん利用者さんにも滅茶苦茶喜んでもらえました。この『3太郎』とは勿論『桃太郎』『金太郎』『浦島太郎』なのですが、『帰って来いよ』の替え歌で私が歌うのですが、このイベントのアイデアは残念ながらコロナ感染症対策の一貫でボランティアを自粛している関係で今は来て頂いてないのですが、コロナ感染症対策前は毎月必ず来て頂いていた『歌謡劇団てるてる座』からのパクりなのですが、本部施設のクリスマス会で登場させてから何かあると登場するのです。

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クリスマス会では『夢芝居』のイントロが流れると共に私が登場して、一番は『桃太郎』が登場して二番は『金太郎』が三番は『浦島太郎』の衣装で登場するのです。そして会場内を練り歩くのです。今回は各フロアに別れての盆踊り大会なので、それぞれのフロアを水野係長がリヤカーを引っ張る形で行った次第です。こう言う企画はみんなでワイワイとアイデアを出しあって出来上がるものですが、本部施設の職員には祭り大好き人間が一杯いるので実に楽しく実施が出来るのです。今回の企画を一回で終わらせるのはあまりにもったいないと考えた私は主体的に実施してくれた北島部長と水野係長を口説き落として14日の日にも3太郎行列を実施することになったのでリピーターの皆さんも楽しみにしていて下さい。

本日は夏祭り二日目と言う事で本館1階での実施だったのですが、挨拶の為に会場に行くと、既に入居者さんは集まられていて、私が挨拶をしてから予定通り歌の披露があり一曲目は祭りの定番で北島三郎の『祭り』を歌いました。第一興商のカラオケの機械を新しく購入したからなのか、私の声が進化したのかは定かでありませんが、自分で言うのは自惚れのようで嫌なのですが「めっちゃ声が出てるし上手いがな」と言う事で、次は副施設長が『岸壁の母』をしっかりセリフまでけっこう長い歌だったのですがノリノリで歌ってくれたので、三曲目を鳥羽一郎の『北の漁場』を歌わせて貰いました。これは一曲目よりも声が出ていたと思います。本館1階の入居者さんはしっかり手拍子をして下さり、これまた熱唱することが出来たら入居者さんの方から「アンコール、アンコール」の声が上がったので4曲目に山崎ていじの『お前しか愛せない』を調子に乗って歌わせて貰いました。

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歌謡ショーの後は盆踊りと綿菓子やお好み焼きを食べて頂きながら楽しく過ごして頂きました。昨日の新館といい、本日の本館1階といい明けの職員や公休の職員も参加しての実施が出来るのは本当に有り難い事だと思っています。さてさて、明日は本館2階なのですがどんな風に実施してくれるのか今から楽しみです。私は明日の為に生卵でも飲んで声の調子を整えておきますか。

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本日から15日までの6日間、各フロアで夏祭りが実施されます

本日は新館の夏祭りで何故か私は水野係長が中心になって作ってくれた災害用のリヤカーを活用しての『夏祭りはではでスーパーカー』に乗り布袋さまになりきって引き手は勿論祭り大好き男の水野係長が。(その催しの様子は終了後にお知らせします。)そして、昨日外出先から帰ってくると、スーパーはではで号の隣にお好み焼きの屋台が出来ていて、これまた夏祭り大好き男の吉田部長が計画してくれたようです。本部施設の職員はこう言う事が好きな職員が多くいるのは何故かなと考えたら理事長総合施設長の私が好きだからかな。いつものように朝5時からウォーキングとお経を済ませお風呂に浸かりながらコラムを書いていて昼から始まる夏祭りにワクワクしてます。夏祭り6日間で歌を何曲歌わせて貰えるかも楽しみの1つです。だって、主催者が楽しくなければ入居者さんも楽しくないでしょ。ショータイムの報告は後程にします。(と言う事で、疲れたので、移動販売の『だるま』の買い物を済ませ18時前に家に帰り朝の続きを書きます。)夏祭り初日は新館からで、開会の挨拶と歌2曲の披露があるとの事を聞いたので「ここははではでの衣装にしますか」と言う事で赤の上下に着替えました。ぶっつけ本番の進行を吉田主任が一生懸命にしてくれて、開会の挨拶の後、カラオケのセットにややもたつきながらも私は『祭り』と『織田信長』の2曲を歌い上げて、着替えを済ませて祭り行列までの時間をボランティア室で待っていて行列のメンバー(仮想行列のようなもの)とワイワイとしていると14時の予定の時間になり新館2階から1階に降りて、50メートルの通路を水野係長がリヤカーを引いてくれて本館2階に連れてきて貰い(完全に御輿に担がれたような状態)その間私の「ワッショイワッショイ」の掛け声で気持ちよくリヤカーに設置されていた椅子に腰かけて大きな声を出していました。本館2階で私の歌声で『帰って来いよ』の替え歌で、お馴染みの『3太郎』を思いっきり歌わせて貰うと台詞があまりに簡単なので自信を持って歌い上げると同時に『桃太郎』『金太郎』『浦島太郎』になりきった職員が入居者さんの回りを寝ら回りとても盛り上がりました。引き続きエレベーターで1階に降りて2階と同じ事をして、またまた盛り上がりました。そのままデイサービスに『ワッショイワッショイ』の威勢のよい掛け声でと共に雪崩れ込みました。デイサービスエリアでは、新館2階に再び乱入する時間調整もあり、『3太郎』を2回と『お前しか愛せない』を歌わせて貰いました。そして再び新館2階に行き本日最後の祭り行列と言う事で記念撮影もして、夏祭りの初日を無事に終えましたが、本日は私の歌を7曲も歌わせて貰いました。みんなが揃っての夏祭りは残念ながらコロナ感染症対策の為に出来ませんが、それぞれのエリアでそれぞれに盛り上がる事が出来たので、この企画はこの企画で良かったと思いました。このように出来たのも、本部施設にはいわゆる『祭り大好き人間』が多くいてくれるから。この貴重な財産は大切にしたいと考えているのですがリピーターの皆さんもそう思われませんか。

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何事も一生懸命だと色々あります。

令和3年8月9日

5月16日に盲養護老人ホーム『優・悠・邑    和(なごみ)』の新設施設の竣工式典があり式典の最後の花を添えて貰う為に高野山からはるばるきて頂いた静慈圓前官大僧正による書によるパフォーマンスがありました。既に何度も話題にしている事ですが、事前にグラフィックデザイナーの方に静先生からの指示により、太陽を型とった作品を作って頂き、その台紙の上に大日如来様の化身仏と言われている『愛染明王』の梵字を静先生が硯も筆も準備万端にして書いて頂いたのが、昨日『和(なごみ)』に届き、予定をしていたところに掛けられました。正直感無量なのですが、すんなりと納められたのではないのです。

5月16日の竣工式典を終えて、この企画を提案してくれた滋賀信行会の内藤会長(本職は仏壇店を経営)に額に入れての仕上げを依頼して2か月以上になったので、8月に入って「まだ仕上がってないのか」とうずうずしていて、8月3日の日に我慢が出来なくて内藤会長に連絡するとあいからわずののんびりした声で「久しぶり」的な乗りで話をしだしたので「やっぱり作品はまだなのか」と思っていたら、これまた軽い乗りで「作品は出来てきてるよ」と言われたので「どうして直ぐに設置する日程調整の連絡してくれなかったの」と言うと「お盆までには設置するつもりでいるけどね」に「1日も早く設置するのを楽しみにしていたのにどう考えているのか」と語気を強めて言うと「お盆の対応で忙しかったから」と急に殊勝な弱気な発言をするので「私の思いがわかっていない。」とますます語気を強めて「どんなに忙しくても今週中に設置してくれ」と言うと、ようやく「日曜日に行く事にします」と言う事になり昨日に無事設置する事が出来ました。そのやり取りの他にも内藤会長にメールで『顧客満足を考えるのが業者としての役割では無いですか』等と何度か送信したのです。

そんなやり取りをしたからだと思いますが、昨日は非常に気を使った対応だったので私は思わず内藤会長に「私はこの作品を設置するのを楽しみにしていて、多くの方が幸せに思って貰いたかったから1日も早く設置して欲しかったんだ」としみじみ話をしました。設置された静大僧正の作品を見て改めてそのパワーに圧倒されながらも、玄関先に愛染明王の梵字の作品には感動しましたが、静大僧正のご配慮により3筆を書いて下さったのには改めて感謝しかありませんでした。リピーターの皆さん、是非垂井町梅谷に開設した盲養護老人ホーム『優・悠・邑    和(なごみ』に来て頂いて静大僧正の作品を見にきて頂き、もちろん仏壇にもお参りして頂き、そこにも設置してある静大僧正の作品を見て頂きたいです。そして盲養護老人ホームの大切さを理解して頂ければ幸いです。

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本日は美濃加茂に行きます。

令和3年8月8日

岐阜県視覚障害者福祉協会さんのご厚意により、視覚障害者福祉協会員の方の研修に盲養護老人ホーム『優・悠・邑   和(なごみ)』の説明をさせて頂く機会を得て、和(なごみ)で岐阜支部と西濃支部、高山市で飛騨支部、そして本日は美濃加茂で中濃支部と東濃支部と言う事で美濃加茂まで出掛けます。

ウォーキングとお経を終えて湯船に浸かっていつものようにコラムをガラケーの携帯で打ちながら講演会場の確認をする為に携帯でスケジュールを見てビックリです。と言うのは研修開始時間を10時30分と思い違いをしていて、昨日、9時出発と運転をして貰う吉澤施設長に指示したのです。そこで出発を30分早める事をメールで伝えて(いかにも早い時間なので)再びコラムを打ってます。

「既に2回の開催は10時で対応しているのに」と苛つきながら「2週間ぶりでその間に10時30分からのリモート会議がたくさんあったので思わず1時間 ちょっとで行けるとナビが示したのでついうっかりと9時で充分と勘違いしたのか。相手がある時は準備万端が私のモットーなのに」と朝からイライラしてますが、未然に対応したので良しとしますか。

7時過ぎに吉澤施設長に改めて連絡すると「メールは見てませんが(三流じゃな)10時開始と知っていましたので8時15分には本部施設に行くつもりでした。」と言うので「おかしいと思ったら教えてくれよ。とにかく、8時に出発するのでそのつもりで来てくれよ」とのやり取りで一件落着。8時前に本部施設を出発して、私が事前にセットしておいたナビ通りに行くと、美濃加茂に行くには東海北陸自動車道に行かなければいけないはずなのに結局降ろされたのは小牧インターチェンジ。ナビ通りに行くと9時30分には着くので指示通りに吉澤施設長に行って貰いました。

結局ナビ通りに行くと先般挨拶に行かせて貰った美濃加茂市役所を指して市役所の隣の建物が有りました。駐車場に車を止め車から降りると既に玄関先に溝口副会長さんが待ってて下さり、しっかりとご挨拶をさせて頂き講演会場の2階に行き、会場内の雰囲気を見極めて講演内容に若干の修正を加えて10時の開始時間を待ちました。

開会の挨拶があり、溝口副会長のご挨拶を頂き、その挨拶の中で私の事を「面白い事を話して下さる。」と5回も言って下さったので、講演会の導入の話の中でその事を話させて頂きました。講演の中身は私の福祉の原点になった事から盲養護老人ホーム和(なごみ)を造った必然のような話をして、実際の生活風景については吉澤施設長に話をして貰いました。その後は質問タイムにしたのですが、入居希望者の切実な思いを質問の中でして頂いたので改めて措置制度の矛盾点と市町村による解釈の仕方が違う事に対して、私自身も自分の立場で出来る事は精一杯頑張る事と視覚障害者の方々やその関係者との連携も大切にしなければいけないと言うまとめか方で終わらせて頂きました。

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本日は講演会終了後大垣まで戻り『さがみ』で昼食をとり、その後は『なごみ』に行き竣工式典の時に書のパフォーマンスをして頂いた静慈圓大僧正の作品が完成して展示するために内藤が来てくれての対応は明日このコラムで報告しますのでリピーターの皆さん明日までお待ちください。

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ラインでのやり取り

昨夜は眠りにつく前に昨日の全国老人福祉施設協議会の常任理事会での気になる事を正副会長専用ラインで送りました。すると返信のラインがぼちぼちきて、その返事の中で大山副会長の施設がコロナ感染症でいわゆるクラスターが発生しているのに対する応援メッセージを送ったところ、22時過ぎにも関わらず、副会長の皆さんが大山副会長に対しての激励メッセージをされていて、何度か私もだめ押しのような形で参加しました。一番遅くの対応は平石会長で「酒を飲んで寝てました。皆さん、お元気ですね。大山さん頑張って。二度寝します。」だったので、「平石会長はリモート会議の連続でお疲れなのだから、ここは私が頑張らねば」と言う事で大山副会長がラインによって元気になられるようにラインでの対応をして、寝たのがいつもよりも遅かったのでいつもの5時には起きての行動が10分遅れてしまいましたが、いつものように歩きとお経は出来ました。ゆったりと湯船に浸かっているときに改めて気が付いたのですが、ベットから離れる時に「少し腰に違和感があるな」と感じたのですが、歩いた後のお風呂では違和感がなくなっていました。やっぱり健康への配慮の基本は歩く事と改めて思いました。

さて、改めてコロナ感染症について語ります。昨年の2月頃から『コロナ感染症』とか『クラスター』とかの言葉がテレビや新聞や雑誌で取り上げられ、最初の頃は「聞き慣れない言葉じゃ」と思っていたのが、いつのまにか当たり前の言葉として理解するようになり、最近では『非常事態宣言』とか『蔓延防止宣言』『ロックダウン』と言う言葉も聞き慣れた言葉になり最近では『デルタ株』等と言う言葉も当たり前に聞こえてきて、先程大山副会長からのラインでの大山副会長の施設でのクラスターは残念ながらデルタ株だと断定されたとの知らせを受けました。その中で2度の予防接種を受けていてのクラスターと言う事はある意味大山副会長にしてみたら納得がいかないところもあり「どうして私の施設が」との忸怩たる思いもあると思います。ただし「重症化してないのが救いです。岐阜はいかがですか。ご注意下さい」との言葉には自分のところだけでも大変なのに、岐阜の事を心配して下さる配慮には頭が下がります。

続いてきたラインでは「市長から入院が必要なら対応するとの連絡に大丈夫かとも思います。」との事に正直私も安堵しました。私は昨日の全国老人福祉施設協議会常任理事会の会議で大山副会長の話を聞いたので会議終了後に岐阜県庁のコロナ感染症対策官の方に連絡したところ「岐阜県では、コロナ感染者は入院してもらえる体制を堅持していきます。」との言質を取れたので一先ず安心すると共にコロナ感染症対策をより一層徹底していきたいと考えています。リピーターの皆さんも気を付けて下さい。そして完全終息をしたらみんなで乾杯と声高らかにしたいものです。

本日は全国老人福祉施設協議会の常任理事会です

基本的には月に1回のペースで10時30分~16時までのリモート会議なのですが、資料が本部事務局(東京・平河町)からメールで送信されているのを確認したのは、私が岐阜県福祉会館から帰って来た18時15分過ぎ。流石にこれからかなりの量の資料に目を通すだけの気力が無くて、本日も朝5時からのウォーキングとお経を終えていつもの事ながら汗だくなので冷たいシャワーと温めのお湯に浸かり、朝食後になるべく早く施設に行きしっかり資料を読み込みたいと思っていますし、本日は私からの提案も3件あるので、10時30分までにしっかり整えたいとも考えています。だって、全国に11,000の事業所が入会しているところの舵取りをする大切な会議ですから、リモートの画面をただ見ているだけでは私の副会長としての役割を果たせないので、本日も気合いを入れた1日にしていきたいと思っています。

施設に行きさっそくに資料の確認をしていると、私が担当であるデイサービスの収支状況調査についての議題が上がっていたので、どういう意味なのかがわからなくて、本部事務局長に連絡すると特養部会との絡みでの検討をしなければいけないとの事だったので、特養部会担当の小泉副会長に連絡するとデイサービスのアンケート依頼の昨年度までのに不充分な点があるとの事だったので、デイサービス部会の三役に連絡すると特養部会とは切り離してすべきだとの意見集約が出来たので、その議題の時にはしっかりと取りまとめた事を話しして、より具体的な検討をなるべく早くデイサービス部会で取りまとめて行く事になりました。

ただし、議題に入る前に大山副会長からご自分の施設で約3分の1の入居者さんが2回の予防接種を終えて1ヶ月は経っているのにコロナの感染に罹患したとの事で施設の対応に追われつつ、職員のメンタルにも留意しながら保健所の医師の指示に従いながら施設の中で対応しているとの事で、一番気になったのは、病院に入院もしないで施設の中で対応しているとの事で大山副会長以下のスタッフの方々は大変な思いをされている事と思うと同時に岐阜県で、もしクラスターが発生した時の対応についてどんな考えでいるのかを把握しなければいけないと、常任理事会が終了後に岐阜県のコロナ感染症対策官の方に連絡すると「今のところはコロナ感染症の方は病院に入院して貰う体制を堅持していきます。」との言質を頂いたので少し安心した次第です。

第5波の猛威が来ている今、職員が自分の身を守る事が入居者を守る事になると思いますので、感染症対策を今まで以上に留意した行動が求められますので、リピーターの皆さんも油断する事なく頑張って下さい。施設内ではフロア毎の夏祭りが計画されていますが、今まで以上に感染症対策をして頑張りたいと考えています。

何事もアクションを起こさなければ何も変わらない

令和3年8月5日

岐阜県の災害時支援チームDWAT(以前はDCATと言っていました。)の検討会が岐阜県健康福祉政策課主催で行われたのですが、申し訳ない言い方になりますが机上の空論で終わってしまいそうだったので、会議があってから数日後に健康福祉政策課に出向き練り直しを「老人保健施設協議会の会長さんとも協議をして報告します」と宣言をして本日は老人保健施設協議会の長縄会長と打ち合わせをすることになっています。私は正直大した知識も能力も持ち合わせていませんが色んな方面にネットワークがあり、それを最大限駆使してよいものを作り出すプロデュースをするために時間や体を使うのはいとわない性格なので今回はこの検討会の座長をされているびわこ学院大学の烏野先生に叩き台を依頼して作って頂き打ち合わせに望みます。これが私の手法であり生き方です。

そう言う意味では全国老人福祉施設協議会デイサービス部会の会議の中で出た『国会で協議される30兆円の補正予算の中に組み入れたい』との内容の1つに『北海道の施設では冷房設備が完備されてない施設が多くあるが温暖化の影響で高温が続いている状況があり設置に向けて要求すべき』との話になり、平石会長への了承を得て明日の常任理事会での議題の1つにして頂いたので、「ここは私のネットワークの中で提案をしっかりとしたものにしなくては」と言う事で「北海道がそのような状況ならば東北はどのようになっているかを確かめなければ」と思い15年来全国老人福祉施設協議会の役員として親しくさせて頂いていて、この6月からは私が担当副会長をさせて頂いている総務・組織委員会の渡辺委員長に連絡し、東北地方の現状を確認すると「確かに20年前に建てられた施設は冷房が設置されていなかった。その理由は暑い日は1週間位の我慢だから設置しなくて大丈夫との考え方だったが今は1週間と言うわけにいかなくなって冷房設備が当たり前になっている。」とのお話を頂き、私は「こんな事も知らなかった。」と恥ずかしい思いをしてます。

さて、老人保健施設の長縄会長との話を済ませての結論は「机上の話し合いだけでは何も進まない。」と言う事と「岐阜県健康福祉政策部内の中で同じような課題で話し合いが持たれているのは非効率だから部内の調整をして貰い1つでも2つでも成果を上げていく方向にしていきたい。」と言う事になりましたので、その結論を持って県庁には私が行く事になりました。長縄会長との話し合いには老人福祉施設協議会の林副会長にも同席をして貰い、長縄会長との話し合いの後、林副会長に養護老人ホームの運営を100年以上されている中で措置施設の入居に苦戦している立場なので色んなアドバイスを貰う為に相談に乗って貰いました。流石に措置施設100年の積み重ねです。私では思い付かない事をたくさん教えて貰いましたので、岐阜県福祉会館を出て直ぐに盲養護老人ホーム和(なごみ)の吉澤施設長に連絡をして、やるべき事を話ししました。

リピーターの皆さん。やっぱり持つべきはネットワークですよね。私が色んな事に熱く行動しているのが生かされたと思っているのですが。さて、明日からは忙しくなるけど頑張ります。

 

保育園児が送迎バスの中で熱中症になり死亡した件で思う事

令和3年8月4日

福岡県中間市の5歳の男子園児が保育園の送迎バスの中で熱中症の為に死亡したとの痛ましい記事を見て忸怩たる思いの中で私なりのコメントをします。

記事を読めば読むほど不思議な事が書いてありました。『担任の保育士は園児がいない事に気付いていたにも関わらず家への確認もせず、管理者がいる事務所への連絡もしていない』との記載に対して思うのは、無断欠席が多い事だったのか。それとも・・・私には連絡しなかった理由が見つからない。送迎をした職員についても「5歳児何だから降りただろう」との判断をしてしまったのか。しかも運転をしていたのが園長さんだったと言うのは思わず絶句です。当法人もデイサービスの送迎には9人乗りの車を使用していますが、朝のお迎えで施設へ着かれた後は車内の消毒や換気をするようになっているので、乗せたまま放置されると言う事はあり得ないし、しかも今はコロナ感染症の観点からもあまりに杜撰だったのではないかとも思います。

運転されていた園長さんは、「他の園児がぐずついていたのでそちらに気が行ってしまって」との話しはこれが園長としての発言かとこれまた信じられませんでした。また、保育園児が死亡した5歳児の他は4人の1歳児が乗っていたと書いてあったのですが、1歳児が4人も乗っていて、運転中に何も起きないと思えるのは何を根拠にしているのかとも思いました。職員が足らなくて添乗員を配置出来ない状況があるのであれば、規模を縮小するなどの対応をすべきであったとも思いました。どちらにしても、9時から17時までの8時間を通園バスの中に取り残されたのは、亡くなった5歳の園児が降りなければいけない時に寝ていて降りなければいけない時に気が付かず、気が付いた時には自分一人。降りようとしたのにしっかり鍵がかかっていて何時間も孤独な不安な中で降りようと試みてもドアは開かずに力尽き昇降口近くで倒れていて職員がぐったりしている園児を確認して救急車を呼んだが帰らぬ人となったと言うのはあまりにも虚し過ぎる。

保育園の保護者説明会が開かれた時の説明で「いつもしている事が出来てなくてとの説明には納得がいかない」との保護者側の話が掲載されていたが、もっともなはなしで、いつも出来ていたことが出来てない等と言う事は絶対に無いと私も思います。何故ならば、9時から17時の間に『いつもしている事が例え1つ抜けていたとしても(抜けることは決して許される事ではありませんが)どこかで誰かが気が付くものです。それが全く無かったと言いうのは、マニュアルはあっても機能して無いのが常態化しているとしか考えられない。マニュアルは守る事によってリスクを減らすものです。「たまたましなかった。(あるいは)出来なかった」は理由になりません。この保育園が地域の中でどのような評価を受けていたかは知りませんが『大きな事故の前には中くらいの事が少なくても3個はあり、小さい事は27個はある』と言われています。

些細な事から目を背けず対応していく事を改めてこの事件から思った次第です。リピーターの皆さんもそのように思いませんか。2度とこのような事件が起きないようにするのが、犠牲になった5歳の園児の供養になるのではないかと思っています。

 

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