雪の融けかた

令和4年1月7日

いつものように4時50分のアラームで行動を開始。パジャマの上にガウンを羽織り汗をかいた時の着替えを用意して2階の廊下の窓越しに外の雪の状態を見て色んな事を理解しました。先ずは昨日雪をどけた裏口への通りは綺麗に無くなっていたので先ずは「よし、よ~し」で北側の窓から旧中仙道の状態を確認すると車庫側の南側は殆んど雪が無い状態なのに家の北側は殆んど解けたようには思えない状態でした。その状態から私なりに考えたのは

①踏み固めて雪が退けてなく、北側に当たる条件下ではなかなか雪は融けない。(太陽の暖かさは偉大だと言う事)

②今須の雪は雪をなぶれば融けるのは早い。

③私が若い頃坂内中学(揖斐高原スキー場がある所)に赴任していた時に「雪は退けるならしっかり退けろ。そうでないと雪は春まで融けないよ。」と教えて頂きました。

④つまり『②」と『③』では雪質が違うと言う事です。そう言えば坂内に赴任していて、一晩でメッチャ降って玄関を開けようとしたけど雪が玄関の戸よりも高く積もったので玄関が開かずに2階の屋根から脱出した事を思い出しました。

書き出しはふっと思った雑感を500文字も書いてしまいましたが本日は全国老人福祉施設協議会の各委員会の来年度の予算査定の会議が10時から16時30分まであり、私は副会長として、全部の委員会の説明を聞かなければいけないので大変ですが頑張ります。(ここまでは、お風呂に入ってから朝食になるまでに書きました。)本日は10時から16時30分まで途中で昼食休憩も含めて4回の休憩はあったまののリモート会議が実施され全国老人福祉施設協議会の各委員会の予算査定のプレゼンが行われ、それが終了後に関ヶ原駅に行ってチケットの払い戻しをしてから伸び盛りの職員をもっともっとキャリアアップするために会食をしたのですが私は三千盛を熱燗で8合も飲んでしまい、本日のコラムは待って頂いた割りには大したこと無いことをリピーターの皆さんにお詫びしと今日はクリアと言う事ど許して下さい。明日は名誉挽回しますので。

何の脈絡もなく同級生の事を思い出しています

令和4年1月6日

その同級生は同じ地区で(近所と言う事です。)同級生の数が少ない(34名)所なので保育園から中学を卒業するまで組み替えが無いので、同じクラスで尚且つ高校も同じだったので随分と長いつきあいでした。と言うよりその同級生は文字通り『ガキ大将』であり、『いたずら』をするのも得意でガタイはさほど大きくなかったのですが高校時代は相撲部で3年間を過ごし足腰が強靭だったからだと思うのですが、結構大会などでは活躍していたと記憶してます。そんな彼が意外にも早くに亡くなってしまい、私は非常に世話になったので名古屋で葬儀があったのですが参列させて頂いたのを思い出しました。

何故、脈絡もなく頭に浮かんだかと言えば、今朝も4時50分のアラームで行動を開始したのですが、いつもだとウォーキングマシンに乗りながらお経を30分あげるのですが、本日は裏玄関への道を雪融けすることにしたのです。小さい頃心身ともに軟弱だった私は色んな事を彼が肩代わりしてくれたなと思ったからです。そしてまた、ガキ大将だった彼は私に対してはいたずら等はしないでカバーをしてくれたな。と言う事は彼は「強きを挫き、弱きを助ける」そんな人間だったと作業をしながら考えていました。早くに亡くなったし彼には『半沢直樹』の大和田常務風に言うならば「施されたら施し返す。恩返しです。」は出来なかったな。でも地元で施設をさせて頂いているので、彼のお姉さんと叔母さんのお世話はさせて頂いたな。と言う事は回り回って恩返しが出来たのか。等と考えながら作業をしていました。

でもそんな事を考える余裕は作業が軌道に乗ってからの話です。と言うのは作業を開始した時間は午前5時。つまり、めっちゃ気温が低い時間だったのです。軒下の雪山はカチカチに凍っていて、アルミのスコップでは全くもって途方にくれてしまいました。小さい頃の私であればその段階でギブアップをしてしまい、母秋江が登場して「とうちゃんに任せて良いよ」との助け船が入るのでしょうが、今は当然ながら父も母もいないので「や~めた」と言う事になるかと言えばそうならないのが今の私なのであります。(「えへ~~~ん」)アルミのスコップでは太刀打ち出来ないのであれば鉄のスコップでしかも先が尖がったのならば硬い塊も砕けるに違いないと考えて、車庫の中にあったのを持ち出してきました。そうするとうまい具合に氷の塊は割る事が出来、当然の事ながら表面はあんなに硬かったのに中は比較的硬くないので頑張って除雪する事が出来ました。そうしてつくづく思いました。小さい頃にこんな風に作業が出来たら母秋江さんにめっちゃ褒められたのに。そして思いました。「褒められたい時には親はいず。」今は誉められたくて頑張っているのではなくて、やらなければ家が大変になるから。でも、いつまで頑張れるのかと心配をしている自分もいるのです。リピーターの皆さん、こんな他愛もないことを考えている私ですがこれからも宜しくお願い致します。

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本日は7時15分からの行動開始です

2022.1.5

昨日、当法人顧問の坂口さんとの打ち合わせの中で岐阜県庁にご挨拶に行くとの打ち合わせが出来、色んな課を回る為には遅くても9時にはスタートしないといけない。と言う事で8時を過ぎると大垣を越えて瑞穂市内に入ると交通渋滞が激しくてノロノロ運転になりなかなか進まない体験を何度もして焦った事が有るので通常は1時間10分もみておけば大丈夫なのですが、7時15分に家を出る予定を立てたので、本日のウォーキングは無しにしたのですが(お経は当然唱えます)4時50分のアラームは鳴りましたので目を覚まして「ウォーキングはしない」と決めたので布団の中でモサモサしているのも勿体ないので今は(午前5時30分)布団の中でコラムを打っているのです。先へ先へとやっていくのは素晴らしい事だと自画自賛であります。本日は11時から全国老人福祉施設協議会がリモートで『養護・軽費の給与について』の会議があり13時からは岐阜県労働雇用課が障害雇用で当法人が知事表彰を頂いた取材に岐阜新聞の方とおみえになるので色んな事を語りたいと今からワクワクしてます。後のコラムは実際のところを書きたいので本日の全ての日程を終えてから書きます。

《突然ですが昨日のコラムでとんでもない間違いを見つけましたので『訂正をさせて頂き深くお詫び致します。訂正をすべきは佐和山トンネルの所で『明智光秀』と記述しましたが『石田三成』の間違いでした。私は教員免許で『社会科中学1級』と『社会科高校2級』を持っていて、こんなミスをするとはボーンヘッドとしか言いようがありません。》『予定は未定で決定ではない』がまたまた起きました。と言うのは予定通り7時15分に家を出たのですが大垣を越えてもスイスイと走れて8時20分には県庁の駐車場に車を停める事が出来て県庁での挨拶回りを8時40分から出来て尚且つ、高齢福祉課に最初に行ったら、次長さんが偶然にもおみえになったので高齢福祉課でご挨拶が出来たので予定以上に早く色々な課に行くことが出来て、岐阜県社協常務さんと局長さんへの挨拶も済ませて11時からのリモート会議に余裕で帰る事が出来ました。

13時からの岐阜新聞の取材は担当課の方も来ていただき、職員雇用に対して日頃から考えて実践している事を熱く語る事が出来ました。私自身語りながら私が実践していることに対する揺るぎない考え方であることを改めて認識しました。雇用についてはこれからもますます厳しい状況になるとは思いますが『選ばれる法人になるためにはこれからも努力をしなければと思った次第です。リピーターの皆さん。本日は全く違う対応を3つに渡ってしましたが、それなりに出来たと自負していますが、明日は1日中リモートの会議がありますがそれはそれで頑張りますので宜しくお願い致します。

多賀大社へ行って来ました

令和3年1月4日

例年だと元旦もしくは2日には多賀大社に行き本殿でご祈祷をして頂くのが年中行事のようになっていたのですが、昨年はコロナ感染症対策として自粛をしたので2年ぶりの多賀大社参拝及びご祈祷に行きました。大抵のところが本日から仕事始になるので、参拝客も少なくなっているだろうとの思い早い時間にやるべき事を済ませて11時30分に多賀大社に向けて出掛けました。順調に車を進めれたのですが明智光秀で有名な佐和山トンネルに入る手前から渋滞に引っ掛かりそれでもそれなりに走れたのですが多賀大社の手前の信号のところからはなかなか動かないのです。

その理由は例年なら多くの空き地が臨時駐車場になるのですが年末からの雪がしっかりあって、臨時駐車場が殆んどない状態で駐車場待ちのような状態で車が動かない事が分かりました。多賀大社の交差点を左折した所で臨時駐車場の係りの方が何人か立ってみえたので少し大着なやり方でしたが車を止めて「空いてないか」と聞くと「今1台出ますので待って貰えますか」と言われたので1台が出るのを待って多賀大社に一番近い所に止める事が出来ました。車を降りて参道を歩いて行くと結構な参拝客が出ていました。目指すは祈祷受け付けで手続きをして、祈祷待ち合い所に行くといつもとは違い、それほどの数ではなかったので『密』にはならないなと思いながら待っていると10人程の名前が呼ばれて巫さんの案内で本殿に行きました。

2年ぶりのご祈祷に一杯願いを込めて神主の詔を聞いて榊をお供えをさせて頂きました。ご祈祷が終りお供えを頂き、甘酒を頂くと体の芯まで温まりました。熊手を二つ購入して、再び参道に出て多賀大社のお土産と言えば『糸切り餅』と言う事で購入して、ついでにベビーカステラを千円分買いました。店のお兄さんが袋に入れているときに私は少し柄悪く「雨の中をわざわざベビーカステラを買いに来たんだから思いっきりおまけしてね」等と冗談を言ったりしました。(余分に入れて頂いたかは定かでありませんが、何と無く多く入れて貰ったような気がしてます。)車に戻り、ご祈祷中に全国老人福祉施設協議会の会長から電話とメールを頂いていたので車に戻ってから電話を入れました。

その内容は今月11日に会長が滋賀県に来られるので滋賀県の役員さんが懇親会まで設定して頂いているがオミクロンが流行りだしているので懇親会をお断りをして泊まる事なく帰る事にしたいとの事だったので、そこまで考えられているのであれば米原駅まで迎えに行き、終了後も米原までお送りしますとのお約束をしました。リピーターの皆さん。臨機応変な対応こそ大切だと考えている私なのです。そんな積み重ねが今の私を作っていったんだとも思っています。明日も9時前には岐阜県庁に行き年始のご挨拶をしてきます。今年の本格稼働が始まりましたので今年も全力で頑張っていきますのでリピーターの皆さん改めて宜しくお願い致します。

何もしないと言う事は何も出来ないと言う事

昨日色々とお世話になった従兄弟が急逝したとの連絡を頂いたのですがコロナ対策で本当の身内だけで葬儀を執行したいとの喪主である長男さんの意向で葬儀への参列が出来ないとの事だったのですが「色んな時にお世話になった方なのでお顔だけでも見て手を合わせたい。」と思い、葬儀は11時30分からと聞いていたので9時に行くのであれば『密にならない』と考えて一緒に行く約束をしていた姉を迎えに行き、先ずはご自宅へ行くと葬儀を執行するお寺に安置されていると言うので、お寺に行くと本堂に安置されていて、誰も見えなかったのでゆっくりとお顔を見てお礼の意味で語りました。

しばらくするとご住職様が本堂にみえたので少しお話をさせていただきました。(ご住職様は元々学校の先生をしてみえた時にお世話になった方なのでお話が出来ました。)

姉を送り、そのまま施設に行き、地元4地区の区長さんにお酒2升を持って年始のご挨拶に行きました。区長さんはそれぞれに家におみえになったので、それぞれにご挨拶が出来ました。

再び施設に戻ったのですが朝から体が重くて体の節々が痛かったので午前中で帰らせて頂きゆっくりとさせて頂く事にしました。年中仕事しかない私ですし体がスッキリしないので、昼食を頂く以外は横になっていました。テレビを点けると第98回箱根駅伝をやっていたので見るとはなしにうつらうつらしながら見ていました。結果は青山学院大学の記録的な圧勝だったのですが、その時感じたのはプレッシャーがない状態で駆け引きもなく走れた事により素晴らしい記録が出たのだと私は思いました。もちろんプレッシャーがあった方が実力以上のものを出す方もいるのでしょうが殆んどの方はプレッシャーがない方がのびのびと走れるのではないか。その結果の勝利のような気がします。

ところで私は18時になるまでテレビを見たり眠くなって寝たりを繰り返していて、ふっと「コラムを全く書いていない。」と気が付いたのです。そして、改めて思ったのは『何もしないと言う事は何も出来ない』と言う事だと。『日々与えられた仕事』『やるべき事』があるから元気に飛び回れるのだと18時に気が付いて今(午後6時57分)頑張ってコラムを書いている次第です。

本日は中身がないコラムになってしまいましたが、明日は毎年参賀をしてご祈祷を奥拝殿でしていただいていたのが、昨年はコロナへの配慮で出来なかったのですが2年振りに行ってきて色んな事をお願いして来ようと考えています。そして、明後日の5日には園田しゅうこう参議院議員の後援会代表者会議があり、6日には全国老人福祉施設協議会の常任理事会、7日には全国老人福祉施設協議会正副会長委員長会議がありますのでそろそろギアを上げて行きたいと考えていますのでリピーターの皆さん、本格稼働していく私の生きざま(そんな大袈裟なものではありませんが、大袈裟に言うのが私の真骨頂なのでお許し下さい。)を今年も見てやって下さい。

本日は午後からカラオケを披露します

令和4年1月2日

地元藤下(とうげと読みます)でカラオケ自慢の高木さんの協力を得て『演歌で え え ん か』と銘打ってカラオケのジョイントを実施します。この企画は『コロナ感染症対策』の一貫としてデイサービス、本館1階、本館2階、新館1階、新館2階の5会場に分けてそれぞれ移動も含めて30分ずつのステージを行う予定です。13時30分から始めても終了は早くて16時ですのでかなりハードな企画ですが、利用者さん入居者さんが喜んで頂けるなら「お正月だし何でもやります。」の気持ちで頑張ります。午前中に曲目を決めておいた方がベストだと考えてカラオケのデンモクを借りて来て選曲をする事にしました。デンモクは選曲をするのに便利に出来ている事が分かりました。と言うのは『昭和歌謡20年代、30年代、40年代、50年代、60年代』で選べる事が出来る所があって私は20年代から順にみていく事にしたのですが流石に20年代は「聞いた事はあるけれども自信がないな」と言うものばかりで、30年代になるとぼちぼちで、40年代は「結構知っているし何とか歌えるかな」50年代も「かなり自信を持って歌えるかな」60年代は「少しは歌えるか」と結局85曲を選びました。「プロの歌手の山崎ていじには足の長さでは全く勝てないけど歌では勝っている。」と言っている手前頑張らなければと考えています。藤下の高木さんも負けず嫌いな方だからここは気合を入れなければと考えています。本番を前にして「いつもいつも、『北の漁場』『まつり』『兄弟船』『お前しか愛せない』を繰り返していたので今は本番を前にして「あの曲も歌っておけば良かった」と小さい頃の『おどおどしている』自分が頭をもたげています。しかしながら今の私は『いざのなったら居直ってでも、やりきるふてぶてしさは持ち備えているので、かなり違っているなと自分でも思っています。5会場の準備が円滑にいく為に私と福施設長の曲目と番号を記入して高木さんの曲目を入れれば良い資料をパソコンで打ち込み高木さんがおみえになったら高木さんに選曲したのを書いていただき印刷した後に各フロアに事前に情報を提供して円滑に進行出来るようにしました。高木さんがおみえになり早速記入して頂いたのですが高木さんの分は各フロアに4曲ずつなので、完成したのが13時30分で最初の会場であるデイサービスの会場に行った時には既に13時40分でしかも、1会場で8曲をエントリーしたので、会場に行く度に少しずつ遅れる事が分かったので、デュエット曲を抜いて行う事にしても、最後の会場である新館2階に行った時には終了予定の16時前になっていたのですが、新館の西川課長が「夕食までなら大丈夫ですよ」と言われたので、デュエットも復活させて、予定の曲を歌った後、「アンコール」の嵐でアンコールは私からさせてもらい、おおとりは高木さんにして貰い5会場共に終了して会議室に戻り道 月1はこの企画をする話になりました。リピーターの皆さん、コロナ禍であっても頑張った企画をしていきますのでこれからも応援宜しくお願い致します。

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新年明けましておめでとうございます

令和4年1月1日

リピーターの皆さん、本年も欠かさずにコラムを書きますので懲りずに見てください。

リピーターの方の中には「よくもまあ、こんな話題で長々と1000文字以上も書けるもんだ」と呆れてみえる方もおありかと思いますが、今年の干支は『寅年』ですが私は生まれながらの『巳年』(当たり前の事ですが)ですので粘り強く頑張りますので宜しくお願い致します。

さて、年末ジャンボの話からします。私は真剣に4人の関係者(父進、母秋江、姉光子、養母英子)と大黒様3人と七福神様と招き猫様に一生懸命に「10億円が当たるように」とお願いしたのですが、残念ながら10億円は当たらなかったです。せめとあと一晩夢を見たいと昨夜の内には当選の確認をせずに、いつものように朝のウォーキングをしながらのお参りとお風呂に入ってからスマホで確認したら残念ながら当選ならずでがっかりしながら意気消沈でコラムを打っている次第です。

そうりゃそうですよね。いくら母秋江さんが天国から色んな根回しをしたとしても、「10億円が当たりますように」と御願いしている人は一杯おみえになるわけだし。10億円が当選するのには、組の番号からなん桁かあるのも全てあってなければいけないのだから神様が采配を振るっているにしても、一杯御願いしている方がみえるわけだし。神がかりに頼るよりも地道にコツコツを心掛けて1年間頑張りますのでリピーターの皆さん、宜しくお願い致します。

本日は午後からの『お屠蘇と抹茶の新年会イベント』に私自身が力を頂いた事を書きます。昼食を頂き、先ずは玄関の喫茶コーナーにデイサービスの利用者さんから順次来ていただいたのですが、当初の予定ではお酒を飲まれる方はいないと聞いていたので私は逆に燃えました。と言うのは「デイサービスの利用者は在宅での生活が出来る比較的お元気な方が多いのに、お酒を飲まれるかたがゼロとはおかしい。進め方によっては何人かは飲んで貰えるはずだと思い、利用者さんがおみえになった時に私は「新潟県のお友達が最高のお酒を送ってくれたのでよかったら飲みませんか」と進めると、「私も飲んでみるわ」と言われる方や「もっと注いでくれ」と言われる方など続々と現れて私も大忙し。

次に入れかわってみえた本館1階の入居者も、事前に3人のみが飲まれると聞いていたのにいやいや沢山の方が飲んで頂けました。本館2階には元々酒がお好きな方が何人かはみえたのですが、その方たちだけではなく多くの方が飲んで頂けました。新館1階も2階も同じように盛り上がり昨年は4合瓶が飲みきれなかったのが、今年はもう1本追加したので結局1000ミリリットルは飲んで頂けました。リピーターの皆さん。改めて思いました。「お酒はええなあ」と。

(追記)おそばせながら事務所の机の整理をしていたら、若いときの写真が出てきて私自身がビックリ。これ以上のコメントはしませんが若い頃の若山宏君ですので宜しくお願い致します。

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私の事を「民俗学的」と評価して頂いたので嬉しくなって自慢話をします。

令和3年12月31日

実は私は大学で『法学部』を専攻していたのですが、余暇活動にばかりの5年間(大学は5年で卒業するものでしょう。)で、落語・演劇の他にも『郷土研究の会』と言うサークルに入っていて、そのサークルの顧問が祝宮静(ほうりみやしず)先生でした。祝宮静先生の功績はインターネット情報でも直ぐに沢山検索できる立派な方で、民俗学の礎を確立された折口信夫(おりぐちしのぶ)先生の愛弟子だった方です。

大学での講義の担当は『文化人類学』でしたが、(大教室での講義だったのであまり講義に出た記憶はないのですが『優』を貰いました。)サークル活動ではその当時単なる過疎地であった長野県妻籠宿を大学の建築科との共同研究で一大観光地にする為のプロジェクトを組んでの活動をしたり、ダムで沈む『徳山村』の現地調査(3年間)をしたりしたのですが、祝宮静先生の凄い所は調査には必ず同行して頂けた事です。

私が祝宮静先生の教えの中で一番印象に残っている教えは「民俗学を難しい学問だと思わない事です。若山君は歴史ある関ケ原に住んでいるのだから、例えば1月1日、4月1日、71日、101日と決めて(勿論多少、日がずれても構いませんがとの事でした)決まった所から360度ぐるっと回って撮影し続けてみなさい。それこそが民俗学の神髄です。と言われてその当時の私は「ふ~ん。そんなものか」くらいにしか思っていなかったので、全く撮影などしなかったのですが今から考えたら話された通りにしていたらとても貴重な資料になっていたと思います。ちなみに祝宮静先生が癌を患われて先生の奥様からお手紙を頂きました。その内容は「主人は癌の闘病生活に入り、爪も茶色に変色して寝ている事の多い生活です。ところで若山さんが生活されている関ケ原は山がにあるので、『サルノコシカケ』が手に入りやすい環境かと思います。こちらの藤沢でも手に入るのですがあまり新鮮さにかけるきがしています。出来ましたらぶしつけな願いですが手に入ったらお送り頂けないでしょうか。勿論御代金はお支払いします。」と言うものでした。

私はその手紙を読んだ翌日には私の家の玄関先にある紅梅の古木(今でも春には花が咲きます。)に生えていたサルノコシカケを乾燥させてあったのを藤沢のご自宅までお届けしました。その時に学んだ事は今も鮮明に覚えているので以下に書きます。私が玄関先に立つと手紙を送って下さった奥様が出て来て「主人に伝えます。」と言って奥にいかれ、かなりの時間が経過して思わずビックリしました。と言うのは間違いなく寝てみえたはずの祝宮静先生本人が背広姿でステッキをついて出て見えたのです。そして「遠いところをありがとう。立ったままで御免なさい。」と言われた時には正直私は感動して身震いしてしまいました。短い時間ではありましたが私が訪れたからと背広に着替えての対応は学ぶものが多かったし、イギリスへの留学で『イギリス紳士』としてのマナーが身に付いて見えるのだと今はその様に感じています。

この話には続きがあって、2か月後に改めて奥様から手紙を頂きました。その内容は私が持参したサルノコシカケを煎じて飲みだして茶色かった指の爪がピンク色になり、少しは起きている時間が持てるようになりました。と言うもので即行動出来て良かったと改めて思った次第です。大みそかの本日祝宮静先生の事を思い出せたのは私は色んな方に支えて頂いて今があると言う事につながったように思いました。リピーターの皆さん、来年もこのコラム同様宜しくお願い致します。

 

やると決めた~ら

小さい頃とんでもないくらいに『軟弱』だった私が今朝も4時50分にアラームの音で行動開始して昨日はカエルのような格好で倒れ右膝と左手首を強か打ち右膝は青アザにふくれているのですが(左手首は全く大丈夫)今の私は「負けんもん」の強さを持っていて、(母秋江さんが生きてたら「宏は偉いね」と褒めてくれる状況なのですが・・・)

本日は我が家の車庫前の雪融けをしました。「やろう」と言う『気力』と言うより『動機』は「春子お姉様から頂いた樽に入った白菜の漬け物が食べたい。」と言う事なのですが。どういう事かと言うと白菜の漬け物は家の前の車庫に置いてあり、車庫の前は雪がしっかり積もっていて、普通には車庫の中に入っていけないのです。私は食事の時でも飲み会の席でも常に漬け物が必要な人間なのです。逆に言えば漬け物さえあれば何とかなるのです。特に春子お姉様が漬けた白菜の漬け物は私にとって最高なのであります。(そう言う風に書けばまた春子お姉様はこのコラムのリピーターなので、また持って来てくれるとの下心がみえみえですが)だから、本日も昨日は痛い目にあった事を省みずウォーキングマシンに乗ること無く車庫前の雪融けをしたのです。ただし、昨日のようにバリバリに凍っていませんでしたが、とにかく慎重に雪融けをしました。特に雪を川に捨てる時は川に落ちないように気を付けながら頑張りました。(実際に落ちそうになったから)

本日はウォーキングマシンに乗ってのお参りをしなくても、午後から本館1階2階のお参りの導師でお経をあげれるのでお経はクリアできる胸算用もありましたし。雪融けを終えてお風呂に入ると体が芯から冷えていたのか体を刺すような刺激が気持ち良かったです。お風呂に引き続き朝食を食べて、本日は10時からかつての入居者さんの葬儀があるのでスーツを着て出掛け施設に着くと五次事務長から新館の「灯油口までの除雪ができていないのでどうしましょうか?」との報告に私は久しぶりに『瞬間湯沸し器』状況になってしまいました。と言うのは、あまりに冷静に報告をついでのようにしたからです。新館からの報告があって直ぐの報告ならば理解できますがついでのような報告だったからです。「状況を確認したか」と聞いても要領を得なかったので、私はいたたまれない思いで、除雪を御願いしている業者の責任者に連絡すると「今から準備して行きます。」にほっとして、状況確認に行きました。だって、お正月にはまたまた寒波がくると言うのに灯油がなくてどうやって暖房の対応をするの。取り敢えずはクリアしたものの、私の判断に任せきる体制を真剣に考えられないといけないと痛感しました。リピーターの皆さん。これからの対応で良い考えがあれば教えて下さい。

本日は本部施設で餅つきがあるのに・・・

令和3年12月29日

いつもの様に4時50分のアラームで起きたのですが、ウォーキングマシンに乗るのではなくて外の雪融けをする事にしました。と言うのも、4時頃に素晴らしい夢を見たのです。その夢とは、な・な・なんと年末ジャンボ宝くじの10億円が当選した夢なのです。そして当選が分かった瞬間に真剣に使い道を考えていて興奮の余り夢から覚めてしまったのです。(覚めない夢だと良かったのですが・・・)この興奮が現実の中でも続いていたからなのでしょう「外の雪融けをするぞ」と言う事になったのです。

余り厚着をすると汗ばかりかいて仕事にならない事に留意して準備をして、玄関を出て3段しかない階段を降りて歩こうとした瞬間緊張感が走りました。と言うのも1年で一番寒い時期で大寒波の真っただ中。街頭や我が家の玄関先の電気はセンサー式になっているので明るくはなりますが、明るく感じると言うのは外が暗い証し。作業を始めたものの慎重に慎重に雪を運んでいて歩数的には全く稼げないのに汗だけは一杯かくような状況でしかも川へ雪を捨てるのにも慎重に慎重にの作業なのです。だって、雪があって歩く所はてかてかで川に捨てる場所もてかてかで、「川に落ちたら寒くてたまらんぞ。」と思いながら恐々の作業で能率が上がらない中、「少しは頑張らなければ」との想いで雪の塊の中に思いっ切り道具を突っ込んだ瞬間にバランスを崩してうつむせに思いっ切り倒れて強か右膝を打ち、左手も思いっ切りつく形になり作業する気力が萎えてしまい、家に入り万歩計を確認すると『60歩』の数字を見て、「きびきびと歩いていないから万歩計は数字を拾わなかったのか」と愕然として、気分を変えてウォーキングマシンに乗り短い蝋燭分(約15分)だけ歩きました。

お風呂に入り朝食を食べた後も立ち直る事が出来なかったのですが、施設に行くと既に餅つきの準備は完璧に出来ていたので、塩とお酒を回りに撒いてから、木に着火剤を塗り付けライターで火お付けると、お陰様でテンションが上がりました。地域交流ホールで最初は本館1階入居者さんが、2臼目はデイサービスの利用者さんが見守る中で餅をつきました。勿論一番最初に私がほんの少しですがつかせて頂きました。2臼共に大根おろし、きな粉、あんこの3種類のちぎり餅にしました。3臼目は新館2階へ4臼目は新館1階へ蒸せた餅米を水野相談員がリヤカーに載せて超特急で運んでくれて、5臼目は本館2階でそれぞれの入居者の前でのし餅にしました。

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あっという間に餅つきは片付けまで終わり、改めて思ったのは、本部施設の職員がお祭り好きが多いなと言う事です。コロナ禍で全員が揃っての企画は出来ませんがコロナにも負けずに頑張って行きますのでリピーターの皆さん、これからも応援よろしくお願いします。

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