コロナ感染症対策によってやりたくても出来ないこと

私自身の事から言うと昨年の3月11日に東京へ出張に行ったきり他県への出張は一切なく一昨年度は全国老人福祉施設協議会総務・組織委員会委員長として8ブロックの役員懇談会に飛び回っていて残念ながら中国ブロック(広島)には行けなかったのですが、札幌、秋田、東京、大阪、金沢、徳島、博多と行かせて頂きました。その後の会議は殆どがリモート会議になり、リモートの良い点悪い点が見えてきました。だから、コロナ感染症が終息しても、リモートでの会議が全てなくなる事はないと思います。(時間の節約、お金の節約にもなりますし)本日も10時30分から15時まで全国老人福祉施設協議会常任理事会がありましたが有意義な会議でした。本部施設に置いての月一回のお参りは2日に分けて5ヶ所のフロアでさせて頂いてます。大勢での会食は出来ないので当然のように夏に行っていたボーリングを楽しんだ後のビアガーデンでの飲み会も新年会でのしゃぶしゃぶの木曽路の飲み会もやれていません。新規採用の職員歓迎会も出来ていません。その代わりに少人数での面談は多く持つようにしています。入居者の中で難しくなったのは家族等の面会です。リモートによる面会や窓越しの面会等は実施していますが、親密な形での面会は残念ながら出来ていません。そして、当施設では積極的にボランティアの導入をしていましたが、今は皆無です。一年半もボランティアさんに来て貰っていないてボランティアの再開をするにしても、再構築しなければいけないと考えています。ボランティアの延長線上でクリスマス会にはプロの演歌歌手山崎ていじさんをお呼びして、日頃ボランティア等でお世話になっている方々も招待しての飲み会も出来ていません。そう言えば、クリスマス会においての私が『花魁』になるためにかつら合わせまでしたのに実現出来てないし、自分もその気になって梅沢とみおのように流し目が出来るように練習したのに無駄になっている・・・。今日はリモート会議が長くて、コラムを書こうとすると電話が来て集中して原稿を書けなかったので、決して弁解しません。支離滅裂でリピーターの皆さん。ごめんなさい。

ストレスは体重が増える大きな要因です

令和3年7月15日

今、私が置かれている状況は5月に開設した盲養護老人ホーム『和(なごみ)』の想定外の新たな道路設置(結果的にはより良い環境になったのですが)により資金繰りに頭を悩まし、職員の労務管理が最近特に難しくなってきた事です。そして、全国老人福祉施設協議会の副会長として、岐阜県老人福祉施設協議会の会長として、会員施設へのメリットを最大限にするための対応をお引き受けしている以上、私が出来る事は精一杯頑張らなければいけないとのプレッシャーと責任をひしひしと感じています。

正直、一昨日の夜は午前2時に目が覚めて以降は色んな事が頭に浮かび眠れずに、「眠れないなら早くに起きて行動すべし」と言う事で早くからの展開だったのですが、会議や打ち合わせや電話での対応に追われて眠くなる事はなかったのですが、イライラしたり、ほっとしたりした瞬間に思わず私の大好物のあられを食べてしまうのです。しかも、私が食べるあられは一枚が大きいのです。(写真参照)しかも、ストレスのかかり方によっては一枚で済まなくて下手をすると際限なく食べてしまうのです。しかも、このあられは移動販売の『だるまや』さんにも、私がよく買い物に行く『ゲンキー』にも置いてあるのです。P1000132

リピーターの皆さんの中には「そんなに駄目なら買わなければ良いのに」と思われた方もあろうかと思っています。しかしながら、植木等さんではありませんが「わかっちゃいるけどやめられない。スイスイスー・・・」しかも、もっと太刀が悪いのは、食べた時にも食べた後にも満腹感がないのですが、朝のウォーキングとお経を唱えた後、お風呂に入る前に脱衣場に置いてある体重計に乗ると体重計が壊れているのではないかと思える位の数値なのです。と言う事は私は本当に命懸けで仕事をしている健気な男なのか、単に豆腐のような意思しかない男なのか「う~ん。微妙」と言う事にしておきます。

さて、本日は10時から全国老人福祉施設協議会のデイサービス部会があり担当副会長としてリモート会議に参加させて頂き、終了後は急いで昼食を頂き(メインは醤油ラーメンでした。)和合での経営戦略会議(幹部会)とお参りがあり、急いで移動。和合に着いて直ぐに会議が始まりお参りまで全て終了して本部施設に戻る為に車に乗ったら携帯が入り、岐阜県老人福祉施設協議会21世紀委員長が19日に開催する委員会の事前打ち合わせの為にこれから本部施設に来ると言うので、施設に着いて書類の整理をしていると21世紀委員長が来たので会議室に行こうとしたらメガネを外して書類を見ていたのでメガネをはめようとしたら「メガネがない。」

とりあえずメガネ無しで会議室に行き一時間ほどで打ち合わせを終えて委員長を見送り事務所に戻り改めてメガネを探すが無くて、恥ずかしながら和合のにも電話して確認して貰いましたが無くて・・・。五次部長と北嶋部長にも探して貰っても無くて半ば諦めて家に予備のメガネで帰ろうと机の脇に置いてある物置の下を見ると「あ~るではありませんか」と言う事で・・・。こんな事でもストレスが貯まります。ますますあられの量が増えて体重も増えてどうしようもありませんがリピーターの皆さん。懲りずにこれからも宜しくお願い致します。

 

優・悠・邑 和(なごみ)の入居者に入って貰う為に

令和3年7月14日

今年5月21日、正式に『盲養護老人ホーム』が事業開始をして、最初からどんどんと入居が決まるとは考えていなかったのですが、正直苦戦しています。『盲養護老人ホーム』は基本的には、措置施設なので市町村長さんの措置依頼が無くては入居出来ないのです。しかも、所得の多い方はなかなか措置をして頂けない現実があります。

とは言え、視覚障害者の方が快適な居住空間になるようにと木造平屋建ての全室個室にさせて頂きました。岐阜県で初めての盲養護老人ホームですので、岐阜県中に知れ渡るのには時間もかかると思いますし、市町村長さんが措置をして頂くとは言え、市町村の担当者の方々の理解が無ければ措置に結びつかないのが現実です。本部施設本館では2年間いわゆる『老人福祉法』による措置を経験していて、特別養護老人ホームとは言え、5カ月をかけて満床にした経験があります。(当時の岐阜県高齢福祉課長さんは、立地の面からも3年かかっても満床にならないと言われていました。)その時は先代の理事長と共に時間があれば市町村への挨拶回りをしていました。

あの当時でもそのような状態だったので覚悟をして、しっかりとしたパンフレットを作成し、その他にも掲載して頂いた岐阜新聞、中日新聞、福祉新聞等の資料を持って、吉澤施設長と共に市町村回りをしました。流石に岐阜県は広いです。全部の市町村回りを終えるのに3日を費やしました。確かに、挨拶回りをした後には反応がありますが、措置の判定を頂いて入居に至るには時間がかかります。但し、腐る事無くやり続ければ必ず結果はついて来ると思っています。実際には、措置依頼を待たず『契約』入居を決めて頂けた方もありますので経営が健全化するまで頑張りたいと考えています。

そして、一生懸命に展開していると応援をして頂ける方が現れるものです。それは、岐阜県視覚障害者福祉協会からの依頼で『視覚障害青年等社会生活教室』の講演依頼がきて、7月18日は優・悠・邑 和(なごみ)で岐阜支部、西濃支部の方を対象に、7月25日は高山市総合福祉センターで飛騨支部の方を対象に、8月8日は美濃加茂市生涯学習センターで中濃支部、東濃支部の方を対象に、講演をさせて頂ける機会を頂きました。岐阜県視覚障害者福祉協会の山田会長を初め協会の方の熱い気持ちに感謝です。

本日レジメを作成してメール送信させて頂きました。(資料は点字にして頂けるとの事です。)ちなみに、テーマは『私の福祉への熱い思い』です。リピーターの皆さん、今度の日曜日が一回目の講演(2時間の予定ですが、延長してしまうかも)ですので、その時の報告はこのコラムで書きますので、乞うご期待と言う事で。

 

朝5時30分に奇襲攻撃をかけました

令和3年7月13日

5時10分には行動開始で5時30分に全国老人福祉施設協議会の正副会長グループラインに送信しました。私の我が儘だとは思うのですが『朝早くの仕事は最高に効率が良い』と考えているから。今、午前6時44分ですがまだ、誰からも返信がありません。等と書いているときに残念ながら早くに亡くなられたかつての全国老人福祉施設協議会会長で参議院議員だった中村博彦先生(私にとっては『先生』と言うよりは『会長』と言った方が当たっているのですが)の事を思い出しました。

何度もコラムで書いていますが、私は平成18年8月8日に初めて全国老人福祉施設協議会の役員として当時本部事務所があったTBRビルにドキドキしながら入って行きました。どの部屋に入って行けば良いのかがわからず廊下をうろうろしていると中村会長の大きな声に緊張すると共に何故か安堵感を覚えたのを昨日の事のように覚えています。初めての役職はその当時、出来たばかりの総務委員会の幹事の席が開いていて、突如指名されて行く事になったのですが、その当時の総務委員会のメンバーの皆さんは今から考えても重鎮ばかりで、しかも、中村会長からは「事務局に頼るな。」と厳命されていて・・・。先ずは委員の皆さんの名前も知らないところから始まったので、正直大変でした。私のスタンスは『役割を与えられた以上は目一杯に』のスタンスなので頑張りました。

そんな中で翌年の役員改選期に新たなポストとして『総括幹事』と言うのが出来て、その当時『最も熱い男』と言われていた群馬県の馬場さんと共に任命されました。(残念ながら馬場さんは早くに亡くなられたのが残念でなりません。)私は任命された時にかなりの動揺もありましたが、任命された以上目一杯と言う事で2年間中村会長にもお仕えし(とは言え怒られてばかりでしたが・・・。)ました。中村会長に使えて3つの事が私の中で変わりました。何と言っても特筆すべきは、、中村会長の朝は早いのです。(ちなみに、朝4時30分には新聞に目を通されていて、気が付く事があると、早い時間であっても電話をされるのです。)中村会長に合わせて朝は早くなりました。

2つ目の事につながるのですが、神戸の大会に来ていて同じホテルに泊まっていて、朝5時30分に中村会長から電話を頂き私は当然のようにベッドの中だったのですが、中村会長からのコールだし、(中村会長でなくても携帯には反応します。)3コールまでに携帯に出ると「今から部屋に来なさい。」との事で、急いで着替えて中村会長の部屋に入ると「ボサボサの髪の毛はどうしたのか」と言われて「寝起きなので」とも言えずにいると、「ちゃんと整えられんのなら髪を短くしろ」と言われて、次の出張までにかなり短くして行って「会長。これだけ短くしてきました。」と言うと中村会長が「まだまだ。中途半端じゃ」と言われたので、次の出張までに丸坊主にして今に至ってます。

3つ目は『長期的展望に立った考え方をする。』と言う事です。それは人材確保と育成。あるいは、長期的展望に立った経営方針と言う事です。この5月に開設した『盲養護老人ホーム』が正にその典型です。確かに今は建設費等々で大変ですが将来的見通しの中で岐阜県に無くてはいけない施設になり、法人経営においても必要不可欠なものになると考えています。朝一がテンション高いと一日が充実します。リピーターの皆さん。ますます過激に頑張りますので、今後共に宜しくお願い致します。

岐阜県老人福祉施設協議会会長として

この6月から会長として5期目を迎えました。副会長5期を入れると19年目を迎えますので随分長きに渡り役員をさせて頂いていて、つくづく思う事が本日ありましたのでそのご報告をこのコラムで書かせて頂く事にします。

と言うのは、午前中に岐阜県高齢福祉課に行きました。それは1つには『軽費・ケアハウス委員会』の委員長と副委員長同席でケアハウスの食費の増額を特養が上がったのに合わせてして欲しいとの陳情書を高齢福祉課長と施設事業者係長にお渡しするのと、岐阜県の補助金で『外国人材マッチング事業』の打ち合わせを担当副会長と制度制作委員長の同席の中で行いました。

私が運営している杉和会では軽費 ・ケアハウスはないので、本質的に言ってわからない事が多いのですが、会長の立場で言うべき事は言えたように思います。また、外国人材マッチング事業についてはこのコロナ禍で外国への行き来が出来ない状況で、高齢福祉課としては、今年度の予算をゼロにする話も出たので、私は会長として、「昨年度、曲がりなりにも出来た事を今年度無しにして、その翌年にコロナが終息したので改めて事業を復活させようとしても、なかなか難しいので、来年度からの事業が円滑に行く為の準備期間と位置付けた計画を遂行すべきではないか」と話をさせて頂いたところ、「その方向でいきましょう。」との言質を頂き、会長としての役割が出来たかなと思っています。

2組の話し合いが終わった段階で、コロナ対策の責任者の方が意見を聞きたいとの事で、マッチング事業に引き続き担当副会長も同席の中でコロナ対策での特養の役割と協力体制についての話し合いをしました。岐阜県としても、老人福祉施設協議会の協力を得ながら対応しなければいけない事も多くあるので、しっかりと今後の事について話し合いを持つ事が出来たように思っています。

岐阜県庁から帰ると岐阜県老人福祉施設協議会21世紀委員長から、岐阜県地域福祉課が実施している『福祉の仕事知らせ隊』についての相談があり、その中で私が会長としてやるべき事についての相談もあり、私が役員の方々に協力依頼等の連絡をしなければいけないことの確認も行えました。私も岐阜県老人福祉施設協議会の役員として19年目になり、岐阜県の担当課とのパイプも太くなっていることが円滑油のようになっているのだとすると、会長としての役割が出来つつあるのかなとも思っています。

勿論まだまだ不十分な事も多々ありますので、杉和会のホームページのリピーターの皆さん、岐阜県老人福祉施設協議会のホームページも検索宜しくお願い致します。今年度からますます充実させていきますので。

これだけの予定があると

令和3年7月11日

  1. 目まぐるしい予定について、頭の切り替えが大変です。

明日からの予定とにらめっこしてつくづく実感したことがあります。

公の会議や打ち合わせだけで以下の通りですので、私の仕事の一端

をリピーターの皆さんに理解してもらいたくて書いてみました。

12日(月)午前;岐阜県高齢福祉課での「外国人材マッチング

事業」の打ち合わせ(高井副会長、西垣委員長同席)

13日(火)午後;全国老施協「ICT実証事業に関する打ち合わせ」

(執行理事と中山ロボット・ICT担当委員長ほか)

14日(水)午前:岐阜県老施協事務局長との打ち合わせ

午後;全国介護福祉政治連盟代表者会議

15日(木)午前;全国老施協「デイサービス部会会議」(担当

副会長として)

16日(金)午前・午後;全国老施協「常任理事会」(終了16時)

17日(土)午後;野田聖子衆議院のセミナー

18日(日)午前;視覚障害者福祉協会主催の岐阜地区、西濃地区

の講演依頼を受けてます。場所は優・悠・邑 和。演題は『私の福

祉への思い』です。

  • 7月25日飛騨支部、8月8日は中濃地区、東濃地区でも予定されてます。

以上が明日からの公の予定ですが、本日もかつての入居者さんの

お葬式の参列と、人材紹介会社の方との打ち合わせがあり、18

時からは「今須地域起こし臨時総会」があります。明日からの公の

会議の他にも和(なごみ)の全体会、本部施設の係長会議、和合の

経営戦略会議(幹部会)とお参りと過密な予定が組まれているので

すが、役割があることに感謝しつつ頑張ります。

 

  1. 介護による特定技能をクリアした方の面接をして

外国から留学生として来日した方を何人か面接をして、いつもいつ

も思う事は、「立派な経歴があり、優秀な人材に違いない若者が『

外国人』と言うだけで、就業に規制を掛けられ、週28時間しか

働けなくて、しかもコンビニでのパートしかないと言う現実に違

和感を持っているのは私だけでしょうか。本日面接したネパール

人女性の方もネパールの4校しかない大学の教育学部を卒業して

日本に留学し大学で2年間日本語の勉強をしてから専門学校の国

際教養学科を卒業されて週28時間のアルバイトをしていて、『介

護日本語評価試験』と『介護技能評価試験』の勉強を約2週間で

クリアしたと言う事を聞くと驚くばかりです。

介護人材が枯渇している状況の中でルールはあるのでしょうが、もう少し

緩和出来状況は作れないものでしょうか。

同行二人と言う事は

令和3年7月10日

昨日のコラムで四国団参での出来事を書きましたが、考えてみたら、小学生から70代の方までが一団となって歩きながら色んな話を色んな方としながら金剛杖をつきながら歩くのです。確かに金剛杖は『お大師様と共に』と言うように教えられました。つまり、『目に見えない力を頂く』と言う事だと理解してます。ただし、それだけではなく私は、団体の皆さんの力も頂いていたと思いますし、遮二無二歩くだけではしんどいので、歩きながら色んな話題を周りの変化から貰っていたと思います。あの時に『気付く』事に対する鍛練が出来たようにも思います。

さて、昨日のコラムで『軽やかに』と言う表現をしましたが、よーく考えるにあの頃と身長は変わらず体重は54キログラムだったのが84キログラムになり(今は若干減る傾向にありますが)30キログラム増えているのです。つまり、私は歩く度に30キログラムの俵を持って(いやいやお腹に抱えて)歩いているのと同じだと思うのです。と言う事は今は同じように歩いたとしても、決して『軽やかに』とはならないと思います。(トホホと言う思いです。)みんなで歩くと頑張れるのと、かなり意味合いは違いますがお酒を飲むのも気の知れた者同士で飲むと楽しくたくさん飲めると言う事に最近気が付きました。

と言うのも、昨年の3月からはコロナ感染症対策の為に県外への出張は一切無くなり、必然的に酒席の場もなくなり、「お付きあいで飲む以外は飲まないので家での晩酌は余程の事がない限りしない。」と言っていたので、必然的に『禁酒』状態が続いていたのですが根っからの『飲み助』ですので、夕食のメニューによっては、熱燗、冷酒、ビールを飲むようになったのですが、熱燗だと1合、冷酒だと7尺、ビールだと350ミリリットル缶1本で十分になってしまい「お酒の量がめっちゃ落ちたな」と思っていたのですが、今週の火曜日にお寿司屋さんで熱燗をしたたか飲んだときは2合徳利があっと言う間に空になり何回おかわりをしたかな。ひょっとして5本飲んだとしたら一升ではありませんか。勿論私一人で飲んだのではないにしろ、殆ど私が飲んだと思うので。

そこで、改めて思うのは人と言うのは、一人では楽しくないと言う事でしょうか。そして、もう1つ。良かったまだまだお酒をたくさん飲めるのだ、と言う事です。お酒は私の起爆剤の1つだし。早くコロナが終息して、起爆剤のお酒を楽しく飲んでますます頑張りますか。

と言う事で午前中に関ヶ原診療所で血液検査をして頂き、かかりつけ医の先生に結果を教えて頂いたら肝臓の数値はかなり良くなっている(とは言え正常値からは程遠いのですが)との事でしたので、かなり嬉しい気分なので今夜は我が家で一人祝杯をあげようかと夕食前のお風呂に入りながら考えています。そんな事を考えていて、歌が浮かんできました。『飲める飲める飲めるぞ』やっばり私は飲んべえなのでしょうか。リピーターの皆さん。どう思われますか。

私の生活リズムにあっているようです

令和3年7月9日

昨日からウォーキングマシーンに乗って30分お経を唱える生活リズムが私には合っているようです。ただし、今朝は5時に目を覚ましていたのですが、「如何にも早いな」と思い、5時30分までウダウダとしていたのですが、この30分は無駄だったように思うので、明日からは目を覚ましたら、即、実行に移すようにしたいと思いました。朝早くに歩くと言うのは何と言っても汗をかいた後にお風呂に入りリラックスした後の朝食が美味しいので食事を頂きながら健康を実感してます。そしてその時に思い出しました。それは、大学時代に夏の四国団参で一週間をかけて阿波一国(徳島県)1番から23番までを全て自分の足で歩いて長浜にある滋賀信行会本部で昼食を頂いた後、山東支部(米原市柏原)まで車に乗せて貰って帰ってきて、山東支部でのお参りとお接待を受けてから「家までおくりましょうか」と言って頂いたのですが「四国の歩きと比べたら楽勝ですので歩きます。」と言って山東支部を出た後、家まで軽やかに帰ってきた事を思い出しました。

と言う事は、本日もしっかり歩けたし、朝食も美味しく食べたので、効率よく仕事をさばきつつ、色んなアイディアが出てくる予感がします。話はがらっとかわりますが、熱海での土石流による状況の報道で、行政指導に応じず造成して、産業廃棄物がたくさん土砂の中に混ざっていたのを今になって大きくとらえていました。行政指導を繰り返ししたにも関わらず実際には産業廃棄物の処理がされないまま所有者が代わり10年以上そのままで活用され続けた結果、今回の豪雨で大きな被害になってしまったと言う報道には、造成費用を安価に押さえて収益をあげようとした結果だと思います。

この事件からは行政指導の限界のようなものを感じたのは私だけではないと思います。と言うのも、当法人も5月に竣工をした盲養護老人ホーム優・悠・邑    和(なごみ)の造成でも、少し高台に位置していたので『切り土』と『盛り土』をして貰ったのですが、造成計画の為のコンサル会社と契約をして計画を作成して貰い行政側の指導と打ちあわせを重ねて結果的にはたくさんの経費がかかりましたが50年は快適に過ごして頂く為には後で後悔しないためにも万全でなければいけないと、リスクヘッジをした計画をお願いして造成をして頂きました。

勿論、天変地異や地球温暖化等によっていわゆる『想定外』の事が起き無いとは限りませんが、最大限の努力をしておれば万が一何かがあったとしても理解をしてもらえると思います。しかしながら、今回の熱海での出来事は『確信犯的』な事なので私は『犯罪的行為』と断言しても良いのではないかと考えています。行政にしても、「何も起きなければ良い」と言うのではなく例え10年前の事であったとしても毅然とした対応をして、同じような出来事が起きないようにすべきだと思うのですがリピーターの皆さんはどのように思われますか。

昨日思った事を即、行動に移しました

令和3年7月8日

昨日、救急対応をした職員と大垣市民病院からの帰りの車の中で話した中で職員である係長が「理事長から大分前に朝イチの活動は効率が良いと言われた意味が本館1階に配置替えになり、企画を作成する為に朝早くに施設に行き作業をするようになりその意味がわかりました。」と言われたので、最近は私自身が出来て無いことを反省しつつも「朝イチに一日の内にしなければいけない事を思い付くままに書いて、書いたメモを昼で出来たものにチェックを入れ、夕方にもチェックを入れ、寝る前にもチェックを入れて、チェック出来なかったのを次の日に優先的にしていけば、かなり効率的に抜けなくやるべき事が出来るようになるぞ」とアドバイスした私としては言いっぱなしは説得力がないと思ったので、最近出来て無い朝イチのウォーキングマシーンでの歩きとお経を5時30分に起きて実施しました。

朝イチのこの行動が出来なくなったのは、歩くのに効率が良いのは朝より夜の方が良いと言われたので、仕事から帰って確かに2回はしたのですが、家に帰ってからだと、正直気力を失っていて続かずだらだらと出来ていなかったのです。昨日の係長との会話で目が覚めた気分です。そして、本日爽やかに実施して行くなかで、仏壇の花がかなり枯れた状態でしかも入れ物の中の水は全く無いのには心が痛みました。と言う意味では、本日が再スタートの日と位置付けて頑張ります。30分歩きながらお経を唱え、汗をかいたのでぬるいお湯に浸かり、朝食を頂くと、色んな展開がわいてくる、わいてくる。と言うことは係長と共に緊急時対応が出来た事に感謝しなければいけない。

そんな風に言えるのも、緊急時対応をした入居者の方が2週間の入院加療との報告を受けて色んな意味で良かったと思っているからです。つまり、何をするにも、アクションを起こさないと何も生まれてこないと言う事なのだと思いました。と言う事で、熱海で土石流により大きな被害が出た報道がされたので、本部施設の上流に砂防ダムを岐阜県事業でして頂いているのですが5月25日に本部施設で理事会をしている時に施設の南側の道路をメチャクチャな勢いで走って行くトラックがあり、注意をしに行くように吉田部長に指示をして、間も無く救急車が来て、その後何台かのパトカーが来たので会議終了後に確認すると重機で山の斜面から落ちた方が大怪我をされたとの事でそれ以降工事がストップしていて、この長雨での対応が出来ているのか心配なので、リスクヘッジの為にも本日岐阜県砂防課に行く予定でいます。施設に行き砂防課に連絡すると午後から説明に行きますとの返事を貰い、15時に来ていただけて、安全対策を取り工事を再開します。との事で安心しました。

私が理事長として出来る事は、リスクヘッジへの根回しをする事で、職員が楽しく仕事をして貰う事によって、入居者さんの「今日一日楽しかったよ」を毎日作り上げて行く事だと考えています。そして、今はコロナ終息後により楽しいことが出来る事を考えて朝の時間を有効に使いたいと考えていますので、リピーターの皆さん。これからもご支援宜しくお願い致します。

久しぶりに朝から緊急対応をしました

昨夜は久しぶりにお寿司屋さんで日本酒をしたたか飲んでお風呂にも入らずに爆睡して喉の渇きを覚えて目が覚め水分補給をたっぶりしてから、ゆったりとお風呂に入り、6時過ぎに脱衣場で頭を乾かして(坊主頭でもドライヤーはかけるものなんです。)いたタイミングで、施設からの連絡。

夜中の2時に宿直者から脈が早い方がみえるとの報告があり、(昨夜の内に家族には連絡してあったのですが)朝一で家族からの電話があったとの報告があったので、私の方から改めて家族に連絡すると、「救急対応をして欲しい。」との事なので、救急対応の準備をするように電話で指示をしてから、施設に向かい、状況を把握してから119番に連絡。「救急ですか、火災ですか」の流れで、最近はコロナ対策の質問もされて、取り敢えず大垣市民病院への搬送が決まり、「この時間だと私が救急車の後ろをついていくしかないな」と思っていたのですが、救急対応をする本館1階の係長が全館清掃の企画を作成する為に本人は公休日にも関わらずひょっこりと来てくれて「私が添乗します。」と言ってくれたので、私は救急車の後からついて行きました。ただし、救急車は優先的に走れますが、私はそうはいきませんので、慌てずに大垣市民病院へ。

7時30分には着いたのですが、駐車場は一杯でかなり遠い所に停めて救急外来に行くと、家族の方が待ち合いで座ってみえたので話をしていると、救急車の添乗をしてくれた係長が診察室から出てきたので家族の方と話をしてから「結果がわかったら連絡下さい。」とお断りをして、係長を私の車に乗せて施設に向かいました。車の中では、ゆっくりと係長と話が出来て有意義な時間を持つことが出来ました。

午後からは全国老人福祉施設協議会デイサービス部会の5役員会議があり、私は担当副会長として挨拶をしたり、私なりの意見を言って、15時過ぎに終了して15時30分に大垣共立銀行関ヶ原支店長との打ち合わせがあり、急いで向かいました。その席には会計をお願いしている税理士の先生も同席して頂き、打ち合わせ後に税理士の先生と共に施設に行き、今後の対応を協議しました。近年施設入居者は看取り対応が殆どになり救急対応は久しぶりだったので正直疲れました。しかしながら、朝早くに施設に行くといつもとは違う風景が見えるので良かったと思いました。先頭に立っての対応がいつまで出来るかはわかりませんが・・・。

いやいや、リピーターの皆さん。まだまだ頑張りますのでこれからも宜しくお願い致します。

1 141 142 143 144 145 146 147 148 149 292