髪型の変遷によって自分の生き方を考察します
タイトルで言っている程に大袈裟な事では無いのですが、私の生き方を髪型によって振り替えってみたいと思います。
先ずは小学生まではいわゆる『坊っちゃん刈』だったと思います。この髪型は当時の標準的な髪型であり、私の生き方と言うか母秋江の思いがそこにあったのかは13歳で他界した母秋江には聞く術もありませんが、多分『普通の生き方』を望んでいたのだと思います。私も『普通で良い』と考えていた(最も深くは考えていなかったように思いますが。)のだと思います。当時の同級生男子21人の中でいわゆる『今須のお大尽』の中で目立つ存在だった同級生には髪を長くしていたのがいましたが。
そして、中学生になり男子は皆、丸刈りと言うのか丸坊主でした。今から55年も前の話ですから、何の違和感も持たずに『決まり』だからと言う時代だったと思います。
高校生になり『おしゃれ』にも少しだけ興味を持ったのでしょう。前髪をしっかり伸ばして俳優の近藤正臣さんのように頭をふってやや格好をつけていたように思います。あの頃は『リーゼント』と言ってもリピーターの皆さんの中には「何の事」と言われる方もあると思いますが私は髪の毛をベタベタにしてバリバリにドライヤーをかける事をよしとしなかったのか、単に面倒くさかっただけなのかはわかりませんがそのような髪型ではありませんでした。そう言えばその頃の女子生徒は『今日から俺は』と言う番組にでてくるような髪型の子が殆んどで、私の回りにはズルズルのスカートをはいている子が殆んどだったように記憶してます。(周りでは怖がる子達もいましたが、気の良い子ばかりだったです。
そして大学生になり、髪はどんどんと長くして(今から考えると髪を乾かすのも大変だったと思うのですが、その頃は頑張っていたんだと思います。大学2年生になった頃に養母の英子さんが「髪が長いだけだとだらしなく見えるのでパーマをあてて貰ったら良いのに」と言われて、「それも有りかな」と思い、今は廃業されてはいますが、我が家から直ぐの所にある床屋さんに行きパーマをあてて貰うことにしました。その時に今は既に亡くなられたご主人の志朗さんが、「パーマをあてた男の方は今須では最初だの」と言われたものです。その頃は野口五郎さん張りで結構に気に入ってました。ただし、教員採用試験前には流石の私も髪をバッサリ切りいわゆる『七三』にビシッと決めていたように思います。教員生活から脱出して『勘当生活』に入ってから再び髪を長くして児童養護施設の指導員時代の13年間はロン毛で通し、フリーでいた時代も長かったのですが、「何で今は丸坊主なの」と言う話については、語りだすと、なが~~~くなるので、次回にします。
次回の『丸坊主特集』をリピーターの皆さん、乞うご期待ください。