ストレスは体調を狂わせる

令和3年9月4日

この2週間は自分の中でモヤモヤする問題が常に頭から離れず苛々しながらの毎日で苛々を抑える術は夕食を一人前に食べた後で『なごやん』(敷島パンのヒット商品)だとか『大きなあられ』(これは正式名称ではありません。)を『シャカシャカ』(正式名称ではありませんがヤクルトに似たような飲物です。)を飲みながらバリバリ、ボリボリと食べてしまうのです。体重をせめて3キロ減らそうと考えていたのに(本当は10キロ減らしたいのですが・・・)逆に2キロ増えてしまい私の体の限界点を越えたのか、寝ていても体が固まった状態で寝ているのに肩がバリバリに凝り固まっていて、頭も重くて痛いです。

2週間の苛々は盲養護老人ホーム優・悠・邑    和(なごみ)入居者がなかなか決まらないと言うのとは違いますよ。この問題は計画段階からわかっていた事で私が理事長として腹を据えて解決に向けて具体的手立てを講じて行く事でウジウジと考える事ではありません。(とは言え、時には正直不安になることはありますが・・・)実は苛々の原因は人間関係です。めちゃめちゃ仲良くしていた友人との仲が悪くなって関係がギクシャクしていて全国の組織にも迷惑をかけているとの指摘を受けたからです。しかしながら、私には不仲にならなければいけない原因など全く思い当たらないのですが、確かに以前のような関係でなくなった事は気にはなっていましたが、取り立てて問題にしなければいけない事でもないし、このコロナ禍で酒を酌み交わしながらの場面も作れないしと思っていたなかで尾ひれはびれがついたような状態になっていて、それがストレスとなっていたのです。

私はストレートに問題解決をしたかったのですが、このコロナ禍で直接話をしたくても出来ないし、携帯にかけても出て貰えないし・・・。一昨日は私の苛立ちも限界点に達して10以上携帯をかけ、時には留守電にも伝言を入れたのですが(私のしたことはストーカー的行動と言われても仕方がない行為だったと思います。)反応無しで、翌朝に当たる昨日失礼の無い時間への配慮をして携帯に連絡したのですが出て貰えなかったのでショートメールを書き送信しました。そして、私は10時30分からの全国老人福祉施設協議会のリモートによる常任理事会に参加していて、それなりの対応をしつつも、頭のどこかで「今日もかかって来ないのか」と思っていて、常任理事会は14時30分に終了して、15時にようやくかかってきました。

相手の声は爽やかで「昨日から今日にかけて次男の引っ越しで連絡が出来なかった。」との話だったので、私は「迷惑な位に何度も連絡をしてごめんなさい。今回連絡したのは、二人の間が上手くいってないと尾ひれはひれがついて語られているのは楽しくないので、以前のように改めてお互いに協力を仕合っていきましょう。」と話をしてお互いに理解仕合ました。昔の諺『案ずるより生むが易し』で一気に苛々は解消しました。ただし、一旦崩れた体調を治すには時間がかかるのか本日は体が重いので午前中の業者さんとの打ち合わせを終えて14時に帰らせて貰い久しぶりにビデオで映画をみたりしてのんびりさせて頂きました。リピーターの皆さん。リフレッシュ出来たので明日からはもっと切れのあるコラムを書きますのでこれからも宜しくお願い致します。

ブレークスルー感染について

令和3年9月3日

インターネットで『ブレークスルー感染』を調べたところ、《ワクチンを接種した後に、新型コロナに感染すること。ブレークスルーは英語で、突破、突破口などの意味。「ワクチン接種と言う防壁を突破して感染する」ことだと書いてありました。また、国立感染症研究所からは「ワクチンの有効性を否定する結果ではないが、接種後も感染対策を続ける事が重要だ。また、医療機関なども、症状などから感染が疑われる場合は積極的に検査を行う必要がある。」とも書いてます。また、国立感染症研究所の4月~6月の3ヶ月に67人の感染が確認されましたが、79%が20代~40代で、重傷者はいなかったと言う事です。

厚生労働省の専門家会議でのデータによると65歳未満の現役世代で「ワクチン未接種」の人は10万人あたり28.7人が感染していて、「ワクチン2回接種」した人は10万人あたり2.4人が感染。この人たちが「ブレークスルー感染」と言う事になりますが、未接種と比べると10分の1以下にとどまっていることが証明されています。また、「ワクチン未接種」で感染した5387人の内、232人が亡くなり死亡率は4.31%。一方「ワクチン2回接種」で感染、つまりブレークスルー感染した人はわかっているだけで112人いましたが亡くなった方は1人。死亡率は0.89%とおよそ5分の1に低下したことかわかります。

このように、インターネットで『ブレークスルー感染』と検索するだけで一杯の記事が掲載されているし、新聞を開いてもテレビでニュースを聞いていても『ブレークスルー感染』との言葉が出てくるので『馴染みの言葉』かと思いきや私自身は本当に最近まで知らなかったと思います。だって『クラスター』と言う言葉にしても、昨年3月位までは殆んどの日本人は知らなかったと言っても過言でなかったと言っても過言ではないと思います。

結局は感染症対策として手洗い、うがいに消毒薬とマスクの着用が大切だと言う事は何事も基本に忠実が最も大切な事だと言う事。コロナから学んだ事は一杯ありますが、コロナが終息をしても基本に忠実は忘れないでいたいと考えていますがリピーターの皆さんはどのようにお考えでしょうか。

 

感染症『コロナ』の事

日本では昨年の始めから発症の話題がぼちぼち出だして、正直私は直ぐに収束をするか、大した事はないとたかをくくっていたのですが、東京への出張は昨年の3月14日から一切なくなりました。最近はリモート会議が板についてきて、リモート会議の良さも理解してきましたので、コロナが収束をしてもリモート会議はなくなる事はないと思います。

もちろん、膝詰めでしなければいけないものも全くなくなると言う事はなくて、必要に応じてしなければいけないし、酒を酌み交わしながらの懇親会も大切にしなければいけないと思っています。

そう言えば、昨年の3月に当法人の杉和会の理事会の折り、一人の理事さんが雑談の中で「今、私は元気ですがコロナにかかっていないとは限らない。」と言われた時は私は正直「何をわけのわからない事を言っとるのか。」位にしか思っていませんでした。

もちろん今は違いますよ。だから、手洗い、うがい、マスクの着用はしっかり行っていますよ。今は季節の変わり目にさしかかろうとしています。だから、風邪をひいて咳をしている方がたくさんいてもおかしくない時節ですが、あまりにいやいや殆んど咳をされている方はいません。これはコロナ感染症を気を付ける産物として風邪などをひく方が少ないのだと思います。こう言うのを『怪我の巧妙』と言うのかな。いやいや少し意味合いが違うように思うのですが広辞苑を引いて確認する元気はありません・・・。

本日も岐阜県庁高齢福祉課のコロナ感染症の責任者の方から岐阜県老人福祉施設協議会会長への連絡を頂きました。それは、岐阜県内がコロナ感染症が厳しさ状況があると言う事で、感染症対策の専門家チームの責任者の岐阜大学名誉教授の研修が来週金曜日にリモートで実施されるのでその周知を会員施設にして欲しいと言うものでした。

その中で予防接種を2回受けた方でもコロナに罹患した方が多くある現象があるけれども、2回の接種をしている方は比較的軽い症状で収まっていると言う現実があり、村上先生からも予防接種の必要性を話をしていくとの事だったので、連絡を受けた後直ぐに岐阜県老人福祉施設協議会事務局に研修受講の周知徹底を指示した次第です。今はコロナ対策の一貫として狭いエリアでの行動をと周知をしているので、次回の岐阜県老人福祉施設協議会正副委員長会議はリモート会議とすることも指示を出しました。

明日は10時30分から16時までの予定で全国老人福祉施設協議会の常任理事会が当然の事ながらリモートで実施されるのですが、今年の6月に副会長に就任してから一度も直接お顔を見ての会議をしていません。もちろんリモート会議であってもしっかりと討議はしていますが、少しはため口で話ができる時間も欲しいしそれぞれの方の武勇伝も聞きたいなとも思っているのですが、残念ながらリモート会議故に叶っていません。

リピーターの皆さん、武勇伝も話をしたいので早くコロナが終息をするように祈って下さいませんか。

朝の日課を実施しながら思った事

毎朝5時に起きてウォーキングマシンに乗って歩きながらのお経さんについては何度もこのコラムで書いているのですが、同じことを一人で毎日繰り返していても感じる事、思う事が違うのには自分ながらも驚きです。そして今朝思ったのは、30分の半分を終えていつものように機械を止めてタオルで汗を拭い準備しておいたペットボトルの水を飲んでいるときに感じた事なのですが、1口目は至福の喜びで、2口目を飲んで満足をして、3口目が欲しいとは思わなかったのです。そして改めて思ったのは『過ぎたるは及ばざるが如し』と言う事でした。そしてその中で思ったのは、当施設においての水分の摂取についてです。いつも職員に言っている事なのですが、水分摂取の量も大事だけれども『質』も大事だと。ここで言う『質』とは『回数』と『中身』と言う事になります。職員の中には「もう少し飲んで欲しい」との思いから「もう少し頑張って飲んで下さい。」との声かけも時には大切な事なのですが、そこで、「後からもう少し飲んで下さいね」と言って時間を置いて飲んで頂くのが理想的なのですが多くの方のお世話の中ではなかなか難しいとは思うのですが、その思いだけは常に職員には持っていて欲しいと思ってます。少なくとも入居者さんが目を白黒されながら飲んでいる事はないようにして貰いたいと思っています。

 

仏壇のお灯明

ウォーキングマシンに乗って歩きながらお経をあげていて、いつもお仏壇を見たり、父進さん、母秋江さん、姉光子さん、養母英子さんの写真を見たりしているのですが、毎日同じ箱の中の赤の和蝋燭に火を点けているし、電気の灯りも同じように点けているのに、いつも光る勢いが違ったり光る場所が違ったりするのです。そこにどんな意味があるのかはわかりませんが仏様が或いはご先祖様が何かを訴えようとしていると、一生懸命に考えるのですが正直わかりません。そこで私は居直った考え方で「今日は灯りに勢いがあるので何か良いことがあるかな」とか、「今日は少し勢いがないので気を付けた対応をしよう。」と考えるようにしてます。そうした思いで四人の写真を見ていたりするとそれぞれに色んなことを語ってくれます。時には激を飛ばしてくれたり、慰めてくれたりと色々ですが結局は心の鏡なのかも知れませんが、「私は決して一人でないし、多くの方々に力を頂いている。」と思えてきます。そして、何かをして貰いたいのなら、自分が先に何かをさせて貰わなければいけないと思っています。今は正直何が言いたいのかが分からずにガラケーの画面に向かっていますが、リピーターの皆さん、こんな日もあるのが人生だと思っていますのでお許し下さい。最後まで何の事かわからない絶不調ですが明日はもう少しましなコラムにしますのでお許し下さい。

司法書士の先生に相談しました

令和3年8月31日

8月24日のコラムでも書かせて頂いた地区有林の今後の対応について司法書士の先生に午後から相談に乗って頂いたのですが、自分にとってあまり興味のない事は頭に入らないと言う事を改めて理解しました。と言うのはコラムに書かせて頂いた8月24日の日に岐阜県治山課に行き今須門前地区有林に対する資料を提供して頂き資料に目を通してから司法書士の先生に連絡したので、資料の概略は理解したつもりでいたのですが、本日司法書士の先生と打ち合わせをして司法書士の先生が私が渡した資料に基づき話をしていただいているのですが、私は資料についてはしっかり見た積りでいたのに、あまりにもいい加減な見方だったと痛感した次第です。

と言うのも地権者の一覧が私の父進さんの名前も入っていたので、「父が他界して30年にもなるのにリストの中にあると言うのはかなり前から対応して無いんだ。」と勝手に思い込んで、その段階で多分次のページを見る気力がなくなってしまったのだと思います。と言うのは、次のページを開いたらそれ以降に相続変更しているのがついていたにも関わらず見過ごしていて、「殆どの方の相続変更をしなければいけない。私も相続変更をしなければいけない。」と思っていたのですが、実は司法書士の先生の指摘を受けて私への相続変更は父進さんが他界した年に手続きが出来ている事を知った次第で私自身いい加減な対応をしていた事を司法書士の先生に見抜かれた形となり、恥ずかしいし申し訳ないし、地元の長老から頼りにされたのにしっかりとした対応になっていない事に申し訳ない気持ちと同時にお引き受けした以上は司法書士の先生にお手伝いして頂きながら尚且つ岐阜県治山課の指導を仰ぎながら頑張って手続きを完了させたいと考えています。

しかしながら、改めて地区有林所有者リストで25名の方のお名前を見て思う事は25名のリストの中で昭和31年8月に払い下げを受けてから全く変更をしていない方が15名おみえになり(昭和31年と言えば65年前ですよ)3人のみがご健在ですが、それ以外の12名の方は他界されています。また、相続変更をされた10名の方の中で1人が既に他界されているので、16名の方の相続登記をしていただかないといけないので、これはかなり骨の折れる作業だと思います。ここまで登記が出来ていないのは、山の価値つまり木の価値が低くなり、昭和30年代の頃の「山持の家はお大尽」と言う時代ではなくなってしまった証しだと思います。昨日のコラムで「5年先、10年先戦略が大切」と書きましたが、山の問題は国家的戦略の中で30年先戦略が必要だと思っているのですがリピーターの皆さんはどの様に思われますか。

 

昨日ボランティア室の片付けをしていて、懐かしい映像をみつけました

令和3年8月30日

ボランティア室の片付けを時間を見つけてはしているのですが、(3日連続でしてますがまだまだです。)懐かしい中村会長(元参議院議院・全国老人福祉施設協議会会長)が出演されているDVDを見つけたので朝のウォーキングとお経を終えてお風呂に浸かり、朝食までに時間があったので改めて視聴しました。その番組とは、『小倉智昭のマッチメイク    ニッポンがおかしい08    自民vs民主・・・生活を任せられるのはどっち!?国会議員大乱闘SP《介護編のみ》だったのですが、「2008年と言う事は13年前か」と懐かしさと共にどっと涙が出てきました。だって中村会長がめっちゃお元気で番組の中でいつもの事だったのですが顔を真っ赤にして大きな声を張り上げてみえたので・・・。その中で中村会長の発言に対して民主側から中村会長に対して「だったら中村さんがしたら良いじゃないですか。」との挑発的な投げ掛けに対して、中村会長は顔を真っ赤にして、しかしながら全く詫びれた素振りも見せずに「私が厚労大臣ならやりますよ」と言われたのを改めて聞いて「テレビで放映される事等全く意に介さずの堂々と言うより、2008年と言えば参議院議院一期目の議員としてはまだ4年目でようやく総務大臣政務官に就任されたばかりの頃で(私も中村会長が入られている政務官室の机に座って記念写真を撮った覚えがあります。)よくぞ「大臣だったら」と言われたものだと思いますが、その発言はマジに思われての発言だったと今も思います。そう言う意味では2期目を半分残した70歳ての急逝はあまりにも残念だし、道半ばであったので、私は今でも中村会長のあまりに急いでこの世をさられたのが悔しくてたまりません。ここで、中村会長の略歴を紹介しつつ、私なりの中村会長への思いを語りたいと思います。中村会長は1943年1月29日生まれ(徳島県)ですから私とは10歳しか違わないのです。徳島大学を卒業後高校の教諭になられた後、中川一郎代議士の秘書等をされて政治を志され衆議院選挙では落選の苦汁を舐められ、その後地元徳島に戻られ社会福祉法人を設立して保育園や特養等を県内隈無く作られ1997には全国デイサービス協議会の会長に1999年にはデイサービス協議会と老人福祉施設協議会を統合されて自ら会長に就任されたわけです。1999年と言う事は中村会長はその時はまだ55歳だったわけですから、まるで蒸気機関車のような勢いで事業を進められたのだと思います。会長になられてからは、厚生労働省の委員を歴任され2004年の参議院選挙の比例で当選されて、政治家としての夢を叶えられたのです。私は中村会長から「馬鹿じゃ、阿呆じゃ、とろくさい」と言われたながらも色んなことを教えて頂きました。それは、私自身が法人の理事長として5年先、10年先を見据えての考え方を持つことの重要性を。その最たるものは福祉・介護人材の確保育成の大切さです。そして、自分で決めた事はしっかりと相手に伝える大切さです。今もバリバリと議員をされていたら、今頃は厚生労働大臣としての活躍もあったのではないかと私は正直思っています。人生には『もしま』と言う事はありませんので、「中村会長が厚生労働大臣だったら」等と言う事はないのですが、リピーターの皆さん。私はこれからも中村会長の教えを守り頑張っていきますのでこれからも宜しくお願い致します。

声が枯れてます

3日前から急に声が枯れた状態で少し焦ってます。だって、カラオケで歌を歌おうとしても声がしっかり出んでしょうから楽しくないです。本日は午後から家族会主催の誕生会がありますので『ハッピーバースデーの歌をしっかり歌いたいけど上手く声が出るか』と朝から心配してます。

本日も朝から良い天気で青空が見事ですが、心なしか秋の陽気になってきたように思えているのですがこのように感じるのは「結構な人生を歩んできた証ですかね」と朝から感傷的になっているのは私自身どうしてしまったのかと逆に心配してます。多分ですが、午後からの誕生会に参加すれば入居者さんから元気を貰えると思いますのでこの続きは誕生会の後で報告します。昨夜の宿直が五次部長で就寝時の報告があり、20時30分に報告の事で確認したいことがあり、連絡するとおっとり刀で「理事長が気にされていた月下美人がたくさん咲きました。」との報告に、よくよく考えてみるに、月下美人が咲く時の宿直者が五次部長の確率が高いし今回も五次部長だった。流石に毎日水撒きをしてくれている五次部長に月下美人がせめてもの感謝の気持ちなのかと思った次第です。しかしながら同時に七つも咲くとは「五次部長は偉い」と言う事でしょうか。

誕生会はいつものように家族会の吉田会長にきて頂き本館1階、本館2階、新館1階、新館2階の順にそれぞれのフロアの年上の入居者さんから順に吉田会長からプレゼントを渡して頂きその後ハッピーバースデーの歌を皆さんで歌って貰うのですが、朝の内私の喉の調子を気にしていましたが案ずるよりも生むが易しでしっかり歌う事が出来ました。

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新館1階の誕生日の方は奇しくも吉田会長のお母さんで、記憶力の良い吉田会長は「本日の最長寿やな」と満更でもないご様子でプレゼントを渡されたのですが、プレゼントを渡す前にご本人のスマホを職員に渡され動画の撮影を依頼されて「今日はいつもよりも元気やな」と嬉しそうなご様子でした。

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誕生会会場の4ヶ所を回って頂き、本館の会議室に戻って頂き、今須の空き家対策と人口移入対策の一貫として外国人介護福祉士の受け入れの中で空き家の改修をして、夫婦で住んで貰い、何れは子どもを産み育てて行く構想についても一生懸命に話し合いました。と言うのは、先般関ヶ原診療所の運営審議会のなかで、子どもを生む年齢の女性がいないから人口がどんどん減って高齢者ばかりになってしまうと言う話だったから、外国の方であっても若い夫婦が生活しやすい環境を作れば活性化につながると熱く語ったわけです。

単に手をこまねいていても駄目なので介護人材の担い手となり一人でも二人でも子どもを増やす事は大切な事だと思うのですがリピーターの皆さん、このアイディアをどう思われますか。私は喉の調子もよくなってきたので舌の回転もよく話をさせて頂た次第です。

昨日と本日、姉春子さんに手伝って貰い、片付けをしました

令和3年8月28日

全国老人福祉施設協議会の役員をしていると資料がたくさん送付されてきます。特に副会長に就任してからの6月からは倍増いやいや3倍増です。副会長に就任するまでは施設宛のメールアドレスに送付して貰ったのを事務所の職員に印刷して貰っていたのですが、あまりにも多く送付されてくるのと、返信メールを送る事が多くなったので、おそばせながら私専用のメールアドレスを作りそちらに送付して貰っているのですが1日に5件以上は届くので毎朝必ずパソコンを開き確認をするのが日課になりました。昔からの格言ですが『習うより慣れよ』とはよく言ったものだと改めて思います。

さて、本題に移ります。(あいからわず本題に入るタイミングが遅くてごめんなさい。)姉春子さんは6月にたくさん地域の方から提供して頂いた梅を入居者、利用者の方に食べて頂く為に漬けて頂いた梅干しを天日干しにするためにきてくれました。そんな姉春子さんに、ボランティア室に山と積まれている資料を私が資料分けをして、処分しても良いのをシュレッターにかける作業をして貰いました。姉春子さんと一緒に作業をすることなどなかったので姉春子さんはとても喜んでいてくれていましたし、私は片付けの効率がめっちゃはかどったのでとても有り難かったです。

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昨日に引き続き姉春子さんに作業をして貰ったのですが、作業をしながら姉春子さんがしみじみと(この話をすると確実に姉春子さんに怒られるとわかっているのですが、敢えて話を続けます。)話をされて私は心の中で大笑いをしました。(だって、本人を前にして大笑いをするわけにはいかんでしょ。)姉春子さんがしみじみと語ったのは「お姉ちゃんは最初に生まれて喜んで貰えて2番目に生まれた私が女の子だったので親はがっかりしたんだと思う。特に宏が生まれたら私はよくお母ちゃんの実家の伯母さんに預けられたから、私はいらん子のように思えていじけた子どもだったと思うわ。」としみじみと言われて、私は「今頃気が付いたんかい。」と可笑しくて仕方がなかったのですが、姉春子さんにしてみたらマジに出した答えだと思うので改めて申し訳なかったなと思うと共に、こんな話をしみじみと今になってして貰えるとは考えてもいなかった。

言う事は改めて申し訳なかったと思わなければ。と言う事はこれからは今まで以上に姉春子さんに対して懺悔の気持ちを持って出来ることをしなければとも思いました。(こんな事を書くと姉春子さんはバケツいっはいの涙を流して喜んでくれる、今はそんな姉何です。)そしてつくづく思いました。私は今68歳ですから今から父進母秋江に恩返しが出来るわけがありませんが、姉春子さんには出来る事に感謝です。リピーターの皆さん、私が本日書いた事を理解して頂けたでしょうか。改めて今から全ての状況に感謝して今まで以上に頑張りたいと考えていますのでこれからも宜しくお願い致します。

 

足音

令和3年8月27日

入居者さんがしっかりと眠られて『シーン』としている施設内の廊下を歩くときはなるべく足音をたてないようにそっと歩くのですが夜勤者の職員の中には靴音が大きいのがいたりすると「なるべく足音がしない靴に替えた方が良いのではないか」と言ってきたのですが毎日足音を聞いている入居者さんは『慣れ』もあってか、私のように気にかける方はあまりいないように思うようになりました。その代わり足音で職員が誰なのかを聞き分けられているように思います。基本的にはその足音を聞き分けて入居者さんの中には「今日は安心して眠れそうだ。」とか「少し不安だ。と言う風にです。

人間は感情の動物と言われているので、そう言う意味では常日頃の人間関係によっては同じ足音を聞いていても違った風に聞こえるかも知れないし、時にはその日の感情の持ち方によっても違うのは人間の摩訶不思議なところだと思います。と足音をテーマにして書いていて思い出したのは私が神戸北小学校の教員として4年3組の担任をしていた時に、私の事が心配だったその当時の校長先生が毎日のように廊下の窓越しに私の授業風景を見に来てくださりそのときの廊下を歩かれる時の足音は平生の歩き方よりも大きな足音がしたように思うのですが、校長先生の足音が響くと今までざわついていた教室内が急に静まり返り誰とは無しに「校長先生が来たぞ」との声があがるのです。

ある意味、涙が出るほどに嬉しかったのを昨日の事のようによみがえってきました。あの毎日の校長先生の日課は私が当時の西濃教室事務所の課長さんの指導の為の授業を見て頂いた日まで続いたのも鮮明に覚えています。今から考えたら当時の校長先生が毎日廊下越しに確認にこられた気持ちはよくわかります。だって、板書は適当で授業も思い付きの事が多かった私ですから。板書が適当になるのは授業の流れをしっかりと押さえないものだったと今になれば思いますから。そう言う意味では研究事業で真剣に取り組み板書は事前にビー紙にマジックで書いたものを張る形にしたのです。そうする事によって授業の流れが乱れる事はなくなり正直余裕のある授業になりました。

ただし、毎日毎日予習をしなければいけなかったので一見準備が大変そうですが、教育者の父進は私が意欲的に授業の準備をしているのを嬉しそうに(多分ですが)見てくれていたと思います。ただし、私は次の日の準備をしたら持っていくものの用意はしても正直片付けばしないで寝てしまうのが常でしたが、朝になるとやりっ放しのものは綺麗に片付いているのです。それは言うまでもなく父進が片付けてくれていたのです。今から考えたら大甘の父進さんでしたが、そんな息子でも毎日頑張って準備をしている息子の姿が嬉しかったんだと思います。しかしながら、そんな父進の事を「いらんことして」と思う事があります。それは今でも片付けが苦手なのです。勿論散らかすのは得意ですが・・・。

そう言う意味では、父進は私のすることが心配で心配で亡くなる直前までしっかりしていたな。大学で講義をしたり、父進の付き添いなんかをしたから安心して天国に行ってしまったとすると、リピーターの皆さんも思いませんか「もう少しフラフラしていた方が長生きしたのでは」と。天国の父進さん。勝手な事を言ってごめんなさい。

午前中に『2035の会』が開かれます

『2035の会』と言ってもリピーターの皆さんの殆どの方は「何のこっちゃ」と言う事になると思います。

『2035の会』は全国老人福祉施設協議会の組織の中で各委員会の幹事の方が全員揃った中で幹事の役割を理解して貰いしっかりとした役割を担って貰うと同時に各委員会との問題を共有するための組織なのですが、正にその2035の会が本日午前中に開催されるのです。この会を立ち上げたのは私ですので、副会長になった今も主体的役割を担わせて頂いているのです。『2035の会』は立ち上げた当初は『幹事横断の会』と勝手に言っていて、最初から組織として認められた存在ではなく、その当時の会長のお許しを得て私が始めたものだったのです。会を立ち上げた理由は「幹事と言うのは、委員会を事務局の協力を得て下支えすべきものであり、5年先、10年先の介護を担うべき存在になるための教育の場にしたい。」との思いからでした。始めた当初は長老の幹部の方から色々な形でチャチャを入れられましたが、その時の色んな対応が今は根回しをするのに役に立っているので『一生懸命に無駄なし』と思っています。

昨日の常任理事会の打ち合わせ会において、役員の考え方の中にいわゆる『ボランティアイズム』がない方も増えてきたとの話もあったので本日の会議の中でも十分話し方に気を付けながら進めていきたいと考えています。とは言え、全国の都道府県の会長さんから推薦を受けた方々なのである意味鍛えがいがあるとも思っています。会の報告は後ほどさせて頂きます。(今午後6時35分で家に帰り湯船に浸かりながらの報告をします。)

本日の2035の会は自分の評価としては100点満点をつけたいです。先ずは各委員会幹事の方も会を主催した方も全員出席だった事が挙げられます。(今までに10回以上開催してますが初めてです。)そして参加者23人全員が忌憚なく発言してくれたのも素晴らしかった。最初の担当副会長としての挨拶で私が平成18年8月8日に初めてその当時本部事務所があったTBRビル2階に行き、どの部屋に入って行ったら良いのかが分からず廊下を行ったり来たりしていてその当時の中村会長が大きな声をあげて話ながら近付いてみえた15年前の話から初めて「遠慮は3流。話さずに後悔するのは5流だから忌憚のなく話をしてください」と話をしました。その後を受けて渡辺総務・組織委員会の渡辺委員長が「若山担当副会長が熱い思いで作られた2035の会は幹事の皆さんが全国老人福祉施設協議会の若き担い手として活躍して頂く為の会議なので忌憚なく話をしてください。」と話して頂きとても雰囲気の良いスタートとなりました。

その後幹事の役割についての話を改めてさせて頂く中で事務局に全てを委ねる幹事であってはならないし、各委員会との情報共有をしてそれぞれの委員会の円滑で活発な委員会になるようにして貰いたい。仮に対応に困るような出来事が出てきたら遠慮なく相談して欲しいとも話をして、幹事の経験がある幹事から実際に対応してきた立場から話をして貰い、その後は初めて幹事になった幹事から忌憚のない意見を言って貰い、その後は総務・組織委員会委員からもアドバイスを話して貰い、最後に私から総括をさせて貰い、閉会の挨拶を副委員長にして貰いとっても雰囲気よく会を閉じる事が出来ました。

リピーターの皆さん、会議前には色々と悩んだのですが『案ずるよりも生むが易し』で今後の展開にワクワク感を持つことが出来ました。

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