盲養護老人ホーム『優・悠・邑 和(なごみ)は桜が満開

令和4年4月6日

昨日は和(なごみ)での打ち合わせがあり14時過ぎに本部施設を出て行ったのですが、和(なごみ)は少し高台に建っており、車を降りて駐車場から眼下を見下ろすと桜が見事に咲き誇っていて、改めて垂井町を一望出来る所に建てることが出来た事を満足感で一杯になりました。入居者が少なくて苦戦をしていますが入居していただいた方は必ず『幸せになって頂ける。』と確信しながら施設の中に入って行きました。新たに入居して頂いて幸せな日々を送って頂く為にもより早くに入居者の方が増えるように頑張りたいと強く思った次第です。

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① ②

本日の朝日新聞の朝刊に『高齢者施設で医師治療』と大きく掲載されていました。

蔓延防止が解除されたとは言え、まだまだ油断が許されない中で、朝日新聞によると、「高齢者施設で発生したコロナ感染症に対しては医療体制の協力を得て施設の中で解決していく方向にしていく事を自治体に要請した。」との記事が掲載されていた。施設で完結させる理由として「住み慣れた場所での療養が大切」との理由が書いてあり、そうする事によって『身体機能の低下を防ぐ』とか『認知症の進行を防ぐ』との耳障りの良い言葉が並んでいました。確かに一つの考え方としては否定するものではありません。しかしながら、当法人が運営している『介護老人福祉施設』(特別養護老人ホーム)での医療体制での考え方は嘱託医にしても看護職員の体制にしても、あくまで『健康管理』が主なものであり、決して治療に特化した体制が取れるものではありません。と言う事で今までの考え方は『原則入院』でした。

岐阜県においては、感染症対策チームが施設へのアドバイスをして貰う体制が確立され岐阜県老施協も色んな形で連携を構築してきました。この体制が私はベストだと考えています。マスコミの影響は絶大です。新聞を読んだ方の中には「確かに施設には専門家がいるのだし、医療の協力が得られるのであれば大丈夫なのではないか」と思われる方もあろうかと思います。しかしながら、施設の職員は日々の生活を守り、充実させていく事で精一杯なのです。この2年間コロナ対策に追われながら、目に見えないコロナに翻弄されながらも頑張ってきた職員に「施設の中で医療の協力を得て対応しなさい。」と言われても現実的には対応仕切れないと言うのが私の結論です。どこまで行っても『原則入院』の体制を堅持して欲しいと思います。そして、高齢者施設がどの様な施設なのかと言うのを理解して頂けるように私も今まで以上に汗をかいていきますのでリピーターの皆さんもご理解とご協力をお願い致します。

 

今日の話題「1.2.3」

令和4年4月5日

【話題1】空気が澄んでいるからでしょうか。

4時過ぎに目覚め布団の中でもぞもぞしている時に私が寝ている2階の部屋からほぼ百メートル離れた所にJR東海道本線が通っているのですが、多分貨物列車だと思うのですが通って行く音がいかにもリアルに聞こえるのです。つまり、鮮明に聞こえるのです。昼間はそれ程気にならない音が気になるのは、昼間と違って静寂だからなのでしょうか。いやいや我が家がある今須と言う所は昼までの静かな所ですから、「昼間と違って」は当てはまりません。と言う事は『空気が澄んでいるとしか考えられません。

 

【話題2】桜の話し

 

岐阜市内の桜はちらちら散り出したとか、大垣市内の桜は満開だとかのニュースで聞くのですが、本日垂井町まで出掛ける機会があり、相川の堤沿いに車を走らせていると、見事に桜が今にもこぼれる様な感じで咲いていました。そして本部施設に帰る車の中で西にむかって走らせて行くと、桜の咲き方が段々と『貧弱』いやいや『まだまだこれから』と言う感じでした。具体的に報告するのなら、垂井町から関ケ原町に入ると満開ではなくて⒏分咲き程度になり、関ケ原町の町中を抜けて藤古川の桜までは8分咲きだったのですが、我が今須に入ると途端に5分咲にも程遠くましてや本部施設の桜はつぼみもつぼみで「ほんの少し走るだけでこんなに違うのか」と思いました。「そりゃそうだ、今年は雪が多くて、ようやく雪が解けたところだからな」でも、水野相談員に午後2時の段階で施設内の写真を撮って貰ったら「朝よりも花が開いて来ましたね。」との報告に、「本日は春の陽気だからだな。」と思った次第です。

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【話題3】我が家の紅梅の木はピンク色です

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私の最近のコラムで紹介した『紅梅』の話し何ですが、『紅梅』と言ってますが、どんな風に見ても『紅梅』では無くて『桃梅』だと思います。岐阜県が誇る『淡墨桜』も『薄い色』だから『淡墨桜』なんですが、樹齢1500年は経っていて幹の周囲は9.9メートルと言う化け物のような桜で我が家の紅梅と比較するのは全く論外ですが、老木になると花の色は『薄く』なるのでしょうか。私は植物のことは詳しくありませんし、ましてや植物学者でもないのでいい加減な事は言えませんがリピーターの皆さん、『事実なんです』私が小さい頃の紅梅の花はもっと赤かったですよ。

昨日は藤下の高木さんとのジョイントコンサートで本日はバイキングです。

令和4年4月4日

昨日は『えんかでええんか』と銘打ったジョイントコンサートを行いました。(既にホームページに掲載されていますのでリピーターの皆さんはご承知の事と思います。「いつもご愛読ありがとうございます。」)この企画は月に1回実施しているのですが高木さんは80歳近い方だと思うのですが、昨日はアンコールも入れて21曲をえらがる事なく歌われました。高木さんの凄いところは一曲一曲自分の声に合わせてキーをあわせて歌われるところです。私も最近は高木さんを見習ってキーが高い曲は下げるようにしてます。例えば北島三郎の『まつり』は原曲のままでも大丈夫だけど、『函館の女』は2つ下げるとか。山崎ていじの曲は2つ下げるとかです。

13時30分にデイサービスから初めて基本的には、高木さん➡私➡高木さん➡副施設長➡高木さん➡私➡高木さんの7曲です。これでだいたい30分です。デイサービスが終わると本館1階へ、次は本館2階へ。ところが本館2階では高木さんへのアンコールが入り合計8曲で、次に新館1階へ、最後に新館2階で。つまり、5会場でのカラオケの梯子です。私は1会場2曲ですから合計10曲を歌わせて頂いたのですが自分で言うのも変ですが、自分の歌に酔っています。16時終了予定が16時30分になり、社労士の先生との打ち合わせを予定していたのを少し延ばして頂く事になってしまいました。

さて、本日はお昼がバイキングですので、入居者さんや利用者さんがどんなご様子になるのかが楽しみです。(バイキングの様子は後程に書きます。だって、ここまでは朝の段階で書きましたので・・・。)

9時30分から日清医療食品の名古屋支社長以下4人の方がおみえになり、食のこだわりについて色々な話をして、最後には高野山の静慈圓大僧正様の話でもりあがり、11時からのお客様がみえるまではなしていました。

13時30分には盲養護老人ホーム 和(なごみ)に移動して地元の町つくり協議会の役員の方との話し合いがあるので、バイキングを頂きながら話し合いをしました。バイキングのテーマは『春の味覚祭』と銘打って主食は深川飯とロールパン(あんこ・玉子)、主菜は春食材の天ぷら(ふきのとう・つくし・よもぎ・タラの芽)、かつおのたたき、副菜は新キャベツとちくわの煮物、ホタルイカと菜花の酢味噌和え、つくしの卵とじ、汁物はかきたま汁(さくらの塩漬け入り)、デザートは果物の盛り合わせ(いちご・オレンジ)と言うメニューで月に1回とは言え満足のいくものでした。特につくし・ふきのとう・よもぎは職員と入居者さんが採ってきたもので、つくしのはかまとりは入居者さん・利用者さんが一生懸命にしていただいたものです。今

回のバイキングは久々に話題性の多いものになりました。単なる『据え膳』でないんも良いもんだと思いました。リピーターの皆さん、バイキングの時の入居者さん・利用者さんの素敵な顔を見て下さい。

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昨日は昼食後に施設西奧に出来た砂防ダムを見に行きました

令和4年4月3日

昨日、午前中は外国人材受け入れ機関の方のご挨拶があり、午後は比較的ゆっくりとした時間が出来たので施設西奧に完成した砂防ダムを見に行きました。(早朝のウォーキングマシンに乗っての歩きが出来なかった事もあり、但し、お経はやりました。)

保育所の入り口からはしっかりと道路が舗装されていて、砂防の入り口は施錠されていたのを開けて(勿論帰るときにはしっかりと施錠しました。)『びっくりです。』全く綺麗にしかも大型ダンプも楽勝に通れる広くて綺麗な舗装がされていました。舗装されていたので傾斜はかなりあるのですが、楽に歩く事が出来ました。ちょうど半分ほど歩いた所で後ろを振り返ると、かつては鬱蒼とした木々が生えていた所が(蛭も一杯いました。)スカッと伐採されて50メートルの砂防が完成していて、「これで、かなりの土砂が流れてきても、砂防から下へ土砂が流れることはないな。」と思うと共に本部施設のアパート、保育園、コミュニティハウス、新館、本館がスカッと見えて今まで以上に建物が美しく見えたのは本当に嬉しい限りです。

岐阜県の事業として実施していただいたのですが、多くの方々が生活するところの安全への配慮、本当にありがたい限りです。先般、伊藤係長が企画して実施してくれた『夜間想定をした土砂災害による避難訓練』が実際にならない為の手だてをして頂いたと思うと感謝です。(決して油断は出来ませんが)

さて、本日は朝の8時から地元竹ノ尻地区の空き家になっていた所を優・悠・邑家族会の吉田会長が安価で改修工事をして頂き、ネパールからきて職員になった4人が4月1日から生活していて、地区の集まりで紹介して頂けると言う事で私も同行することになっています。(この報告は後程書きます。)地域の中にある社会福祉法人としては、24年の中での評価の証しと考えています。私は7時40分に集合場所に行くと何人かの地元の方がおみえになっていたので挨拶をしてから会所の中に行き、役員の方々に挨拶をすると共に優・悠・邑の名入りの煎餅をお渡しして、再び外に出て行くと吉田家族会会長が見えたので話をしていて、地元の方が殆ど揃われているのに肝心のネパールの職員が来ない。いらいらしながら待っていると悠々と歩いてきたので急ぐようにジェスチャーで指示して4人が着いた段階で区長さんが開始の挨拶をされ、(この段階は7時55分だったのですが)4人の紹介を吉田家族会会長がして下さりその後を受けて私も挨拶をさせて頂き4人の職員もそれぞれに挨拶をしてい取り敢えずホッとしました。

但し、私は施設に着いてから、国民性かもわかりませんが、「自分たちの紹介をして貰う時に相手を待たせる事はいけない事だ。」と言う事を教えていかなければいけないと事務所にいた職員に指示を出しました。とは言え、地元の方が施設内のアパートではなく地域の中で受け入れて頂いた事は有難い事で24年間の成果の現れだと考えています。リピーターの皆さん、私はそんな考えの持ち主ですがこれからも応援宜しくお願い致します。

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文字通り灰に返しました。

令和4年4月2日

意味不明のタイトルから始まった事を先ずはリピーターの皆さんにお詫び致します。(今の)私は思い付いた事は最後までやり遂げないと気が済まない、ある意味嫌な性格になってしまっていると自分自身でも思っています。(今の)とわざわざ( )書きにしたのは小さい頃の私は真逆だったと思うものですから・・・。

本題に入ります。朝のアラームを10分早くして4時28分にしてあったのですが、既にかなり前の時間から布団の中で、もぞもぞしていたのでアラームが鳴って直ぐにベット内体操(『体操』と言うより『タコ踊り』)をして、「今朝は寒いと聞いている。」(テレビの天気予報情報)と言う事で、上も下も1枚余分に着て、1階へ降りていきこれまたいつものように階段下の踊場にある、日めくりを(昨日のコラムでは大活躍でした。)1枚めくり、これまたいつものように、目やにを取り、うがいをしてから若宮八幡大神様と仏壇のお水替えをしてと・・・、ここまではいつもと同じだったのですが、いつもと違ったのはお水替えをしている時に線香立ての中が汚れているのが気になったのです。

「綺麗にしよう。」と考えた私は「どっち道やるのであれば線香立ての中の灰を全部出してしまい金網の灰をこすのできちっとやろう。」と言う事で新聞チラシを持って来て座敷テーブルに敷き、灰を全部新聞チラシにあけてから「我が家の線香立てはでかいので灰も多いな。灰の多さに比べると金網のこす道具はあまりにも小さいな。」と思いながら作業を始めました。こす作業を開始して不思議な事に気が付きました。と言うのは小さい金網で灰をすくってこす作業を何回しても、本当に短くなった線香が必ず残るのです。何回しても必ず出てくるのです。と言う事は毎日お参りをして2時間近く線香を焚き続けるので2ヵ所に2本ずつ3回は立て直すので1日12本は立てるのですが、完全に最後まで燃えて灰になる事は殆どないのか、時々線香立ての中に指を突っ込み灰を交ぜて線香の残りを取り出して短くなった線香を燃やしていたのに・・・。

短くなった線香がたくさん出たので線香立ての真ん中に集めて全部が灰になるようにしました。最初はほんの少しの煙だったのですが、しばらくすると勢いよく煙が上がり、こじ付け的な言い方になりますが、『諸障退散』を見ているような気になりました。勿論、クリアしなければいけない事は山積みですだ、灰の中の小さな線香を綺麗にしたようにクリアしていきたいと考えています。リピーターの皆さん、灰をこした作業のみでコラムの原稿にしてしまう私は自分で言うのも何ですが「ええ根性をしている。」と思ってしまいました。

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お風呂で日めくりの情報を見てます

令和4年4月1日

本日は4月1日。年度が新しくなりました。気分一新で4時40分に階段を降りて日めくりをめくると4月1日の表示の前に1枚ついていました。それは『4月の二十四節気』とあり、2つの解説がしてあったので紹介します。

一つ目は『清明(毎年4月5日頃)』・・・「全ての生命が生き生きとする頃。気候もすっかり温暖になり、澄みきった空のもと新芽が芽吹き、小鳥がさえずるにぎやかな季節です。」とあり、二つ目は『穀雨(毎年4月20日頃)』・・・「しとしとと春の恵みの雨が降る時期。百穀を潤すので『百穀春雨』とも言われます。日ごとに木々の緑が鮮やかになってゆきます。穀雨の終わりは八十八夜が訪れます。」『清明』の説明を読んで改めて日本中が活気つく月なのだと思いました。私自身の中でも高野山の静慈圓大僧正様から頂いたお札の通り『諸障退散』「七難消滅」でガンガンと躍進できる予感で一杯です。また『穀雨』については、私は昔の諺である、『雨降って地固まる』と自分の今の状況の中で考えるべきものがあります。

本日10時から法人本部施設の会議研修室で『入職式及び辞令交付式』が行われました。新規採用者が3名、施設間異動者が3名と施設内事業者異動者が6名の合計12名の職員それぞれに理事長である私から辞令を渡しました。辞令を渡す時に法人事務局長(和合の副施設長)が名前を呼び職員が私の前に来て辞令を手渡すのですが、名前を呼ばれた職員から返事が返ってこないのでその事を指摘して指摘後は返事が返ってくるようになりました。このように指摘すべきは間髪入れずにしていかないと徹底しないと考えて率先的に話をしました。

辞令交付式を終えてから、1時間『理事長講話』をさせて頂きました。昨日までばたばたしていてレジメがしっかりと出来ていなかったので、施設に早く行き『職員としての心構えと実践』についてを中心に作成しました。①指示された事が理解出来ないままに返事をしない。②何事もメモをとり、その後時間が空いた時にしっかりとノートにまとめる。そのノートは自分の財産になる。③先ずは入居者さん、利用者さんの名前を覚える事から始める。名前を覚える為には、入居者さん、利用者さんとの接点を多く持つ事。それは、例え寝たきりの方であっても大切にして欲しい。④とにかく一生懸命さと優しさを持ち『今日1日楽しかった』と思って貰えるようにして貰いたい。と話をしました。

本日辞令を受け取った職員の中には本館施設が開設した当時からの職員もいたので、敢えて「施設を開所して24年が経過する中で結婚・出産・育休を経験して、お子さんはこの春から高校に入学する子がいても頑張って働いている職員もいます。これは、当法人が働きやすい法人である証しです。皆さんも長く働いて頂けるように支援していきますので頑張って下さい。」と話をまとめました。リピーターの皆さんも職員の新しい門出を応援してあげて下さい。

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早くに行動してもお風呂には6時を過ぎてまう

令和4年3月31日

昨夜は(と言うより『昨夜も』の方が正しい表現かな)21時には異常に眠くて、20時30分にはベットに横になりました。1週間に一度の熱燗(コップに一杯のみ)を飲んだ性で食欲旺盛で、一人前に食事を食べてから、大きなアラレを「もう1枚もう1枚」と食べて、だめ押しにアイスクリームをベットに持ち込む体たらく。アイスクリームを食べ終わって21時には眠りにつき、午前3時に目を覚まし、その後はベットの中でもぞもぞしていて、(午前3時にそのまま起きるとその日は1日中眠いので)いつものように4時38分にアラームをセットしてあったのですが「何時かな」とビデオデッキで時間を確認すると4時37分で「よ~し、行動開始」と思った瞬間にアラームがなりました。何とも凄い「グットタイミング」アラームに勢いを得て、効率よく若宮八幡大神様と仏壇への水替えが出来て5時前に仏壇の前で正信偈を唱えてウォーキングマシンに乗っての般若心経13巻を効率よく進んで行ったので6時には全てを終えたので『6時にはお風呂に入れる。』と思ったのですが、「そうはとんやがおろせない・・・」何故ならウォーキングマシンに乗っての般若心経13巻を終えた後で若宮八幡大神様の所で不動明王様のご真言と高野山の静慈圓大僧正様から頂いたお札の『諸障退散』と『七難消滅』を繰り返していて蝋燭の火を消してお風呂にいくと、6時30分になっている。ベットを抜け出しおおよそ2時間は仏間に籠るのが習慣化したと言う事か。でも良く考えると1日の中で一番充実して心落ち着いている時間なのかも知れません。

話は変わって、我が家の『紅梅の木』の話をします。我が家が今の所に住むようになったのは、昭和21年に父進と母秋江が結婚してしばらく仮住まいをしていた松尾の親戚の家から春吉爺さんが用意してくれた中古の家を購入(恐らく昭和23年頃)してから始まります。そして、進さんが、地元の大工さんに依頼して新築の家を建てたのが昭和36年頃。その後私が平成16年に今の家を建てました。何が言いたくてこんな話をしているかというと、昭和23年に新居を構えた時には『紅梅の木』は既にあったのです。つまり、少なくとも70年以上経過した古木だから、写真でみて頂いた通りに木の間が大きく穴が開いた状態なのです。

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でもね。リピーターの皆さん綺麗な花を咲かせていると思いませんか。NHKのあさの連続ドラマの「美味しくなあれ。美味しくなあれ。」ではありませんが「来年も綺麗な花を咲かせて下さい。」が通じていると思っています。『思いは通じる』で私も今まで以上に頑張って難関を突破したいと考えています。何と言っても『諸障退散』『七難消滅』ですから。

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高野山の静慈圓大僧正からお手紙を頂いて

令和4年3月30日

昨日のコラムの最後に予告しておいた高野山の静慈圓大僧正様から頂いた手紙について書くことにします。実は、昨日のコラムでは、海津から帰ってきたら手紙が来ていたように書きましたが、正確には昼食を頂いて時間がないなかで五次事務長が「静先生から手紙が来ていますよ。」と言われて、慌てて封筒を乱暴に開け(今は乱暴に扱った事を後悔しています。)手紙と共にお札が添えてありました。手紙を読んでいても時間がないからか頭に入ってこない状態だったので、海津から帰って落ち着いて読むことにしました。

海津での会議を終えて施設に帰り、意の一番に静慈圓大僧正様からの封書を持って本館1階の仏間に行き、仏壇が閉まっていたのを開けてから、蠟燭と線香に火を点けてから、心落ち着けお札を取り出すとお不動様のお札に静慈圓大僧正様に書いて頂いた『諸障退散』『七難消滅』と『願主 若山宏』との朱文字の字が飛び込んできました。不動明王様のお札と言う事で、仏壇の中に安置されている不動明王様の前に置かせて頂き、仏壇前に座って静慈圓大僧正様から頂いた手紙を声を出して読んでいき、後半部分に『毎日の心痛をお察し申し上げます。』の下りからの3行は涙が溢れて声になりませんでした。その後、四国で覚えた般若心経を中心にしたお経を唱えると共に偉大なる静慈圓大僧正様にまで心砕いて頂いているのかと思うと不思議な力がみなぎってきたように思いました。

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そして、本日は4時38分のアラームより早くに行動開始をして、いつものように仏間に2時間閉じこもり本日からは「諸障退散』『七難消滅』を繰り返し繰り返して唱えると共に不動明王様のご真言である『のうまく さんまんだばらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん』も繰り返して唱えさせて頂きました。仏間での時間を終えてお風呂で汗を取り、朝食を食べた後は10時にご挨拶に行くところがあったのでスーツに着替えて本部施設に行き、静慈圓大僧正様にお礼の手紙を書かせて頂きました。朝のすっきりとした気持ちの中、私なりの素直な気持ちを文章にしたつもりです。不思議な事に9時15分には出掛ける予定で書き終えたのが9時12分でした。

この時に私は今の厳しい状況も皆さんの支援を得て良い方向に行くと確信しました。だって、高野山の法印を勤められた大僧正までが支援して頂いているのだから。もっともっと精進をして今の難局を乗り切り、福祉道に邁進していきたいと思いますのでリピーターの皆さんこれからもよろしくお願いします。

 

早朝4時48分にショートメールが・・・。

いつものように4時38分のアラームでベット上での体操をして、お参りが出来る準備(ウォーキングをして汗をかくので着替えとかタオル、靴下、数珠)をして1階に降りようとするとショートメールのコールがきたので、かなり緊張してメールを開こうとすると、登録がしてない番号だったので、余計に緊張です。メールを開くと高校の一級後輩(とは言え、当時は全く知らない存在)で株式会社で介護の責任者をしていた方からだとわかり、「ほっ」とすると同時に「どうしてこんな時間なの」と思いながらメールの内容を見ると本日の岐阜新聞に岐阜県老人福祉施設協議会が4月1日に一般社団法人になる記事が大きく掲載されていて、私の写真がこれまた大きく掲載されていたと言う事メールの内容だったので、直ぐに連絡をすると、彼の家には午前3時30分には新聞が配達されていて、毎朝4時から一時間かけて新聞を読みその後ウォーキングをするのだそうです。早い時間にメールしたのは私のコラムのリピーターで私が早くから活動していることを知っていたからだそうです。ところで本日の岐阜新聞で4月1日から岐阜県老人福祉施設協議会が一般社団法人になることについて、少し述べてみたいと思います。今も『岐阜県老人福祉施設協議会』とは名乗ってはいますが、ある意味勝手に名乗ってきただけなのです。4月1日に法務局に法人登記をすることにより、『認可』された実体が伴う組織となるのです。つまり、完全な独立した組織となるのです。今までは岐阜県社協に事務局を委託しての活動だったのですが、自前の部屋を持ち、事務局体制も自前になります。(当面は事務局二人体制です。)今までは岐阜県社協経由での事業だったのですが、岐阜県等の事業委託も直接に受ける事が出来て補助事業も直接受諾することができるのです。確かに自らの足で立つのは大変な事も多いのですが、自らの考えで自らやりきれる事に意義があると理解して頂けたので正式に総会で承認されたのです。私は岐阜県老人福祉施設協議会の副会長を10年、会長を9年勤めさせて頂いてようやくここまできました。4月からは役員一同が会員施設にとって有意義なものにしていきたいと考えています。話はかわりますが、本日午前10時から12時過ぎまで全国老人福祉施設協議会の制度政策検討会のリモート会議があり、昼食を急いで食べてから海津まで運転して会議に挑んだのですが、運転中に気が付いたのは今須を出た時は桜は蕾にもなっていなかったのが、養老では5分咲きで海津に入ると殆ど満開。会議ではしっかりと話が出来たし桜を順番に咲いたのを見ることが出来たし、施設に帰ると高野山の静慈圓大僧正から手紙が届いていました。この事は明日のコラムでしっかりと書きます。

施設でクラスターが発生したら・・・

令和4年3月28日

コロナは収束に向かっているとは言え、まだまだ油断を許さない状況がある中で、万が一施設においてクラスターが発生した時には『施設内でクラスターを完結すべし』と言う考え方が出てきている。沖縄県では、施設の職員の陽性者が陽性者の入居者のお世話をしていた。との報道まで出ている。保健所によっては「施設には嘱託医が配置されていて、看護職員がいるのだから施設内で完結すべし」と言う考え方のところもあると聞いています。しかしながら特養における嘱託医の配置についての考え方は『健康管理』が主たる役割だと認識しています。

特養においては常勤医師が配置されている施設はほんの僅かであり、クラスターが発生した時の対応までは出来るような状況ではないのが現状です。つまり、現状認識もしないで『特養でクラスターが発生したら施設で完結すべし』はあまりにも現状認識からかけ離れたものと言わざるを得ません。勿論、受け入れる側の病院にとっては、コロナに感染したからと言っても、症状が軽くて、しかも認知症で徘徊されるような方の対応には苦慮されると思いますので入院受け入れを躊躇さるる対応を取りたい気持ちも理解できます。では、どのような対応がベストかと言うと、多くの入居者さんや職員に感染して入院が難しい状況の時には『感染症専門看護師と医者等に施設へ応援に来て貰い、施設の中を『グリーンゾーン』『イエローゾーン』『レッドゾーン』にわけて、感染症対策をしっかり施しながら施設の職員に対策を留意して貰い二次感染、三次感染を起こさなくて陽性者の対応をしていく事によって収束に導いていく事だと考えています。つまり、何でもかんでも施設でお世話をすると言うのではなくて、きちっとした体制をとったうえで対応することが寛容だと思います。蔓延防止対策は解除されましたが、決して『ゼロ』になったわけではありません。

確かにコロナ対策にへき易されてみえる方のたくさんおみえになると思います。しかしながら、油断なく『コロナ対策』を万全にして、『ウィズコロナ』で過ごす事が大切な事です。『感染症』や『伝染病』は生命が有る限りどんな化学力、科学力が提案されても『ウィルス』も進化し続けます。それが自然の摂理なのです。だから、落ち着いてきた頃に進化したのが出てくるのです。(今の第5波は『オミクロン株』)何れコロナの治療薬は市販されるようになると思います。だからと言っても、リピーターの皆さん、手洗い、うがい、検温は習慣化して、健康な毎日をお互いに送りましょう。私はまだまだ、大変な日々なので、今朝も4時38分のアラームで起きて頑張っているのですが闇が晴れたら美味しい料理と美味しいお酒を飲める日を楽しみにして頑張りますので応援宜しくお願いします。

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