昨夜は一睡も出来ず頭が重いです。

令和4年2月16日

早くに眠りについたのですが、色んな事を考えていると目が冴えて眠ろうとすればするほど眠れなくて10分毎に時間を確認していて、とてもながーい夜がなかなか明かないので4時に起きてうがいと手洗いをして若宮八幡大神様と仏壇の水かえとろうそくに火を点け(我が家の一番長いのを)若宮八幡大神様の前でかしわ手を打ち、気合いを入れてお願い事をしてから仏壇の前で正信偈を丁寧に唱え、四国遍路の時のお経も丁寧に唱えてからウォーキングマシンに乗り般若心経を一生懸命に唱えていると我が家で一番長いろうそくが若宮八幡大神様も仏壇も燃え尽きたので、途中でマシンを降りておしまいにするのには抵抗があったので一旦ウォーキングマシンから降りていつもの30分用のろうそくに若宮八幡大神様とお仏壇に点けました。そして再びウォーキングマシンに乗り般若心経を唱えていると今度はウォーキングマシンが終了したので再びお仏壇に向かって正信偈と般若心経を唱えました。2本目のろうそくも燃え尽きたので、取り敢えず仏間からお風呂に場所を移動してお風呂に浸かりました。いつもだと汗をしっかりかくのですが、頭が重い状態だからか殆んど汗をかかなくてお風呂から出ました。2時間も仏間にいて、その後にお風呂に入ったにも関わらず全く食欲がわかないので本日の朝食は無しにして(こんなことはめったに無いのですが)スーツに着替えて施設に行くと既に和(なごみ)の吉澤施設長が来ていたので資料の確認をしてから、今の現状が大変な事に対しての相談に吉澤施設長と共に出掛けました。

相談相手の方は私の事業の事で相談にのって頂くのは25年前の施設に立ち上げの時以来です。(岐阜県老人福祉施設協議会等での相談は何度もありあますが)必死に私の思いで話をさせて貰うと親身になって方向性を示して下さいました。その段階でかなり精神的に落ち着き、その後は吉澤施設長の運転で岐阜県医師会に挨拶に行き、13時30分から海津市での会議があるのでまたまた、吉澤施設長の運転で向かいました。まだかなり時間があったのと、朝食を食べてなくてほっとした事もあり思いっきりお腹が空いてきたので『しゃぶしゃぶの木曽路』に行き、一人しゃぶしゃぶのセットを頂きました。ちなみに、吉澤施設長共々ご飯のおかわりをしました。そして、私はしみじみと思ったのは人間は感情の動物だと言う事を。もちろん、午前中の方向性を示して頂いた事はこれから具体的にアクションを起こさなければいけないのでまだまだ山あり谷ありですが進む方向が決まったのはかなり余裕を持った精神状態でいられるので、多分今夜はしっかり寝れると思っています。リピーターの皆さんにいろいろとご心配をお掛けしますがこれからも宜しくお願い致します。

久しぶりにぐっすりと眠れました

令和4年2月15日

昨日の午前に本部施設での打ち合わせと和合での打ち合わせをして、厳しい状況からの復活の為の方向性を決めて、和合での幹部会は延期になったのですがお参りは予定通りにさせて頂いて本当に体のムカムカと頭のグルグルが消えました。勿論、方向性が決まったからそれでよしと言うわけではなく、次へのスタートに着いたと言う事なのでやらなければいけないことやハードルが高いことも一杯ありますが『闇』からは抜ける事が出来たので色んな動きをしていきたい。

活動的な自分を取り戻したらお陰さまで21時から3時30分までしっかりと眠ることが出来ました。そこで、4時過ぎに起きて行動開始をしました。いつものように若宮八幡大神様と仏壇の水かえの後は若宮八幡大神様と七福神様に手を合わせ、次に仏壇で正信偈と般若心経をゆっくりと唱えました。その時のろうそくは我が家で一番長いのを使いました。その後はウォーキングマシンで歩きながら般若心経をゆっくりと唱えさせて貰いました。

ところが、昨日よりも気合いを入れてのお経だった為か長いろうそくも途中で無くなったので、改めていつも利用している30分用のろうそくを若宮八幡大神様と仏壇に点けました。当然と言えば当然なのですがウォーキングマシンの30分の半分くらいが済んでいたので、ろうそくは半分くらいが残った状態だったので、ろうそくが終わるまでウォーキングマシンの追加をして、結果的にはいつもはだいたい2キロの歩きが2、5キロになり、その後も仏壇でお参りを念入りにしたので、結局は2時間若宮八幡大神と仏壇のご先祖様との会話が出来ました。「困った時の神頼み仏様頼みではいけないのですが今はすがる思いなのです。昨日は暗闇から抜け出したと思ったのですが厳しい状況には変わらないので活路をしっかりと見付けなければと考えています。

ところで、本日は10時から12時までと13時30分から15時30分まで(実際は10分延長したので15時40分までと、16時ら18時までの3つのリモート会議があり、結構ハードな日程でした。体はさほど動かさずに椅子に座ってパソコンの画面を見ながら資料の確認をして、気が付いた時にパソコンを操作して意見を言うだけ。全てのリモート会議が終了した18時には思考力が低下した状態で、家を出るときにカッターシャツで施設に来たのにいつもの普段着にきがえようとして、ありもしない上着を探していました。明日は岐阜県の援助が頂けるように陳情にいきます。今までに誠心誠意の活動を理解して頂き活路が見出だせるように一生懸命にお願いしてきます。リピーターの皆さんの応援を宜しくお願い致します。

午前零時までは眠れましたが・・・。

眠れないならばと午前4時に起きて、若宮八幡大神様と仏壇のお花と水を替えて灯明に火を点けました。ろうそくは若宮八幡大神様も仏壇も我が家で一番長いのにしました。と言うよりこのろうそくは使った事がないのでどれだけ長く持つのかもわからないのですが、昨日同様に正信偈を本日は本当にゆっくりと丁寧に唱えました。正信偈を唱えてから四国遍路で覚えた般若しんぎょうを中心にしたお経を唱えてから、ウォーキングマシンで30分歩きながらこの時間は般若しんぎょうをこれもいつもよりかなりゆっくりと唱えました。30分の間に11巻唱える事が出来ました。と言う事でろうそくの時間は約1時間で、しっかりと色んな事をご先祖様ちにお話をしました。若宮八幡大神様は今須平井にある若宮八幡神社のお軸ですから文字通り『若山家』のご先祖様の元だと教えられています。『若山』残します名字は『若宮八幡神社』の『若』の一文字を頂いたと聞いているからです。私の父親進さんが、『若宮』と言う事は立派な神社の『若宮』に違いないと色んな文献を調べて三輪素麺で有名な所にある『三輪神社』を親神様とした『若』だと話していたのを思い出しました。朝食は胃の辺りが重くて、無理矢理に食べ物を喉から詰め込んだ感じで食べたのですが、朝8時に本部施設に行き、今悩んでいる事の打開策を打ち合わせをすると共に場所を優・悠・羣    和合に移し佐藤施設長さんと話をして、今後の事業展開の方向性が明確になり、私もその方向で頑張るしかないとの結論になり頭の中のモヤモヤが無くなったら不思議な位はにお腹の気持ち悪さも無くなり、本部施設に帰っての昼食も本当に久しぶりに味わいながら食べる事が出来ました。13時30分に吉澤施設長を呼んでいたので早速私の考えを話すると「理事長がそのように決めたならばそれに従って頑張ります。」と言ってくれて、本当に本当に久しぶりに会話の中で素直に笑うことが出来ました。改めて人間は感情の動物だと思いました。勿論、決めたからと言ってもクリアしなければいけない難題は一杯ありますが、明確な方向を決めれたのは力が沸いてきます。今回の厳しい状況から私自身の大いなる反省は私自身が所謂『裸の王さま』のような状況か。いやいやそうではなくて『独善的な考え方』をしていたと痛感してます。昨夜までの『眠れない状態』からは多分解消されたように思います。多分ですが・・・。だって寝てみたら悪夢が持ち上がるかも知れんじゃないですか。そう言えば気分よくなった時に、コラムを見て頂いているマスコミ関係の方から「医師会にきたんとアプローチした方が良いですよ」との連絡を受けてまたまた、改めて今までに培った人間関係は有りがたいものだと思いました。リピーターの皆さん。私はこのコラムでありのままに書いているのを、心配される方も有りますが、このスタンスを変えずに頑張りますのでリピーターの皆さん、改めてこれからも宜しく。そして、今日はしっかりと眠れるように祈っていて下さい。私の為に・・・。

本部施設の職員の真面目な事に改めて感謝です。

昨年の暮れから本当に沢山の雪が降り、交通渋滞を予測して早くに家を出て業務に支障が出ないようにしてくれたり、(その筆頭は、夜勤は16時からなのに渋滞の事を考えて長浜の家を11時に出て、早くに着いたからと施設の東側にある大駐車場で仮眠をとってから、出勤したのもいました。)交通渋滞にはまって時間に遅れるとの連絡を受けて急遽施設の敷地内にあるアパートの住民である職員にカバーして貰ったりして、入居者さんや利用者さんにご迷惑をかけないようにしてくれたりと言う事で本当に感謝です。

また、オミクロンによる感染症で家族の方に陽性者が出たり、濃厚接触者が出て、やむ無く欠勤しなければいけない状況になった時にもお互いにカバーしあってくれて、業務に支障が出ないようにしてくれています。

もちろん、職員の知識や技量には大きな差があることは否定出来ません。私が「当然理解できているだろう。」と思っていることを知らなかったりした時に愕然とすることも時にはありますが、フロアの責任者にその事を指摘するとその事に対しての指導を一生懸命にしてくれています。一生懸命は滲み出るもの。仕事を始めたころは「この職員大丈夫か」と感じていた職員が年月が経過する中で頼もしい存在になってくるのは楽しみな事です。

そのように言っている私自身も大学を卒業した当時は全く危なっかしいものでしたから当たり前か・・・。大学を卒業して教員になった時、児童養護施設の指導員になった時、フリーで大学等で非常勤講師をしているとき、施設の事業開始をして以降も色んな事を学ばせて頂きました。これからも謙虚に色んな方から学び、教えて頂きながら頑張って行きたいと考えています。

ところで、10時前に本日本館2階の入居者の方で101歳になられる方があり、花束を理事長である私から花束を渡して欲しいとの連絡を受けて、急いで本館2階に行くと既に皆さんが揃われていて、花束を西村課長から渡されて『ハッピバースデー』の歌を歌った後花束を渡すと次に雪で作ったバースデーケーキが出てきた時に私は「この遊び心」こそ大切だと思っているとだめ押しにくす玉までが登場したのには感動するしかありません。『お祭り男や女が揃っている』と言ってしまえばそれまでですがなかなかこのようには出来ないです。このような展開を他のフロアやデイサービスへも派生する仕組みを作って行きたいと考えていますので、リピーターの皆さん。ホームページをこれからもしっかりチェックしてください。

夜中の眠りが浅いです。

令和4年2月12日

昨夜は20時過ぎまで社労士の先生と打ち合わせをしていて、家に帰ってから直ぐにお風呂に入りいつもとは違い急いでお風呂を出て夕食を頂いたのが21時近くになり、疲れていたし夜がしっかりと眠れるようにとの思いで冷酒を飲みました。22時前に布団に入りましたが、なかなか寝付けなかったのですが、しばらくして眠りにつき、午前1時30分に目を覚まして、そこからは、考えても何ともならないのに、眠りが浅くて、そこからは時間が長く感じられました。

結局いつものように4時50分から行動開始して、ただし頭が冴えていないためか仏壇と若宮八幡大神の水かえと灯明に火を点けるのに手間取りました。「これではいけない。」と思い昨日同様に正信偈を唱えてからウォーキングマシンに乗りお経を唱えました。昨日と違うのは正信偈を唱えている時には小さいろうそくに火を点けてお経を唱えました。おおよそ16分で燃え付きました。

本日は本部施設の研究発表があり、7人の職員がそれぞれにパワーポイントの資料も作成して発表をしてくれました。意気込みが伝わるものや、結果が出ているものやそうでないものと色々ですが、職員の意気込みを感じながらも、私は元々大学で講義もしてましたし、大きな会場で講演や発表をしてきましたので、それぞれに評価と指導をしました。そして話をしながら、「昨夜はあまり眠れていないので、逆に頭が冴えていていつも以上に辛辣な話をしているな」と自分でも思いました。7つの発表の中で構成を少しやり直して中身に厚みを付ければ面白い発表になると思えたものもありました。

発表をするときに常に職員に言っているのは『起承転結』をしっかりと書き記す事と実践して行くなかで入居者の発言や表情等で気が付いた事をノートに記録していき何度も確認する事によって段々と形が出来てくるとも指摘しました。そして研究をするときの基本は自分の思いを『仮説』の形にして、実践をついて具体的に記録していき変化があった事を整理して、次への展開を考えて雪ダルマを段々と大きくしていくようにしていくと自分の勉強にもなると語りました。研究発表については今まで全国老人福祉施設協議会研究会議で発表するのを大切にしてきた経緯があり、段々とした厚みが出来てきたと本部施設の職員評価を高くしてます。

大きな悩みは抱えていますがその事も全力投球しながらも、職員の地道な活動にもしっかりと支援をしていきたいと考えていますのでリピーターの皆さん。これからも宜しくお願い致します。

 

夜中に何度も何度もコラムを書き直しています

コラムは何度でも書き直しが出来ますが現実に活動している事業はやり直しができないので、改善策を考えていると眠れません。「何処が落とし所なのか」「救世主は何処にいるのか」等と必死に考えても出て来ません。ただし、今までに実直に実践してきた事を評価して貰い、今までに培ったネットワークを活用して何とかもがき苦しみながらも展開していくしかない。活路が見える前の長くて暗いトンネルを抜けるまでにはまだまだ時間がかかると覚悟を何度も何度も確認しながら今も夜中にもがいています。誠意を尽くし万難を排して頑張ります。そのためには行動を起こすしかない。こんな事を考えながらいつも起きる事にしている4時50分を待ってます。正直私はいつの間にこんなに頑固になったのか。自分に厳しくしているなかで我が子は家を離れてしまっています。私が蒔いた種なのですが、こう言う状態の時は正直辛いです。しかしながら、不器用な生き方しかできないのだから仕方がないです。私の生き方を理解してくれる方々と精一杯頑張ります。本日も4時50分に行動開始をしました。くさくさを解消する為に除雪をしようと考えていたのですが、あいからわずの『予定は未定で決定ではない。』になりました。それは、1階に降りて玄関の戸を開けて雪の状態を見た瞬間に「除雪ではなくて、正信偈をウォーキングマシンに乗る前にお仏壇で唱えよう。」と考えて、その様にしました。なかなか元気な声で出来なかったのですが、仏様にも父親進さん、母親秋江さん、姉光子さん、養母英子さんにも通じたと思っています。事業を営むと言う事は苦しみが9割、喜びが1割だと思うのですが、1割の喜びがあるからこそ、苦労の末の喜びだからこそ喜びがひとしおになると考えて気合いを入れて頑張ります。必ずや打開策を確保するとの強い気持ちで頑張ります。本日は地元のカラオケがめっちゃ上手な方とジョイントで各フロアを回ります。入居者さんの笑顔とカラオケで元気を貰う予定です。施設に行き資料の整理をしていると、五次部長の電話のやり取りを聞いていて何となく嫌な感じがしたので確認すると、「ゴミ収集車が雪が除けてなかったからと言う事で連休明けにしか集めにこないと言う事の報告をするので「連休明けにまでに3日はあるのに大丈夫か心配になり、ゴミを置いている倉庫に行くと、除雪は何とか出来ていましたが、ゴミは一杯なので、ゴミ収集業者の幹部の方に連絡すると、「若い者にこれから行かせます。」との連絡を頂いたので、わざわざ来てくれるのだから温かい飲み物位は準備しておこうて自販機で温かいコーヒーとお茶を買って待っているとしばらくして来てくれてほっとしました。その後はお昼を食べてカラオケです。5ヶ所でしなければいけないので事前に選曲をして、しばし、イライラを解除して気持ちよく歌えました。リピーターの皆さん。私は決して今の難題から逃げる事なく頑張りますので応援宜しくお願い致します。

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盲養護老人ホーム『和』(なごみ)の入居がままならない中で

夜中に目が覚めると寝むれない日々が続きますが、「入居しなければいけない方が本当にいないのか」と考えた時に私は「いやいや情報が無いだけではないか」と思えるような出来事に、『和』(なごみ)の経過をたどっていく中で思うのです。特に途中失明者の方のケースが多いように感じます。

事例をあげると、奥さんが要介護状態になり、両親共々の介護は大変だからと言う事で要介護3以上での特養入居が難しいので取り敢えず特養併設のショートステイを利用されたが、視覚障害の方の施設ではないので、施設が馴染めずショートステイを予定終了前に家に帰られたのですが、奥さんの認知症状が進んでいたためか、ご主人に今までにない言葉を投げ掛けられたのか全盲のご主人はその事を理解できず混乱して警察を呼ぶ結果となり、家での対応は難しいと言う事と家族が対応するのは難しいとの判断から警察の方が『和』(なごみ)に緊急的に連れてこられ緊急的措置から正式に当面は契約入居になったケースです。

確かに和(なごみ)にみえた当初は施設に来た理由もわからない状況に(ひょっとしたら、目が見えないので警察に連行されたと思われたかもしれません。)に混乱もありましたが、夕方には落ち着かれて夕食もしっかり食べられて夜もしっかり寝られて朝からは吉澤施設長に色々な事を話されて、その後の日々も落ち着いて過ごされています。

当法人の職員である吉澤施設長を誉めるのはいか がかとも思いますが、敢えて書かせて頂くなら、その方が入居された日は当然のように施設で夜から朝まで待機していたと報告を受けています。もう一つのケースはやはり全盲で地域でのトラブルが度々あり、行政が対応されたケースです。この方はいわゆる精神疾患があるにも関わらず薬を拒否されていて、地域で色々と問題を起こされていて『和』(なごみ)に依頼があり入居されました。精神疾患も病気の一つですので治療をすれば平生の生活を取り戻せると考えていた吉澤施設長はゆったりと話を聞いて治療に専念する為のサポートから始めて薬の調整も上手くいき、この方も今はゆったりとした生活をされています。2つのケースで断定的な結論は出せませんが『目に障害があるが故に混乱した生活を余儀無くされている』方は他にもあるのでは無いかと思いますが、大きな問題になることが少ないのは『活動的な生活を抑制されているのではないか』と感じているのは私だけでしょうか。視覚障害があったとしても、人としての『尊厳ある生活』は保証されなければいけないと考えています。地域であるいは家庭の中で問題もなく生活しているからそれでよしとはせずに、色んな観点で情報を得ながらの対応が望まれると考えています。私は地域で活躍されている保健師の方が積極的に地域に出ての情報収集をして欲しいと考えているのですがリピーターの皆さんはどうお考えでしょうか。ご意見を聞かせて下さい。

悪夢に魘されて目が覚めたのが4時50分でした。

盲養護老人ホームの厳しい経営状況を考えると昨夜はコラムを書くのも遅くなりクタクタだったのに夜中に目を覚ましてから戦略を考えていると眠れなくなり「何時かな。」と時間を確認すると何と4時50分。つまり、本来であればアラームがなる時間。「ここは歩いてお経を唱えるべし。」で行動を開始。

仏壇と若宮八幡大神の水かえと灯明に火を点けウォーキングマシンで30分歩きながらお経を唱えました。仏さんのろうそくと会話をして確信しました。それは、『ソーシャルアクションを起こし続けて活路を見出だせ』と言われたのと、『七転び八起きで必ず結果が出せる。何故なら私は決して我欲の為に行動をしていないから』と言う事でした。

我欲でないから何でも出来る・・・。ウダウダ考えずに突き進むのみ。最後には弘法様がついてはるし、ご先祖さまがついてはるから。都合よく言っているのではなく、母秋江さんの教え『蒔かぬ種は生えぬ』を一杯いっぱい実践してきたから。今までに築いたネットワークを駆使して当たって砕けろ・・・。いやいや、決して砕けず形を作る。と言う信念で頑張らなければ。

本日も4月1日から岐阜県老人福祉施設協議会が一般社団として自分の足で頑張れる体制を築いたので事務所の荷物の搬入があり、その後は全国老人福祉施設協議会の組織内議員の園田参議院議員の岐阜県における選挙対策会議があります。自分の法人の事も大切ですが、岐阜県老人福祉施設協議会会長として、公益社団全国老人福祉施設協議会副会長としての責務も与えられている以上は全うしていきます。

昨日は遅くにしかコラムを書く事が出来なかったので、朝食前にここまで書きました。だって、1日の中で何が起きるかわからないので。私はいつからこんなに強くなったのかと、自分を幽体離脱したような感覚で語っています。取り敢えず朝の段階でここまでとします。

(家に帰って)本日は仕事の一段落がついたのが17時15分で早めに帰らせて貰いました。車庫に車を入れて家に入ろうとすると、日が長くなったのだと思います。まだ明るかったので、玄関先を綺麗にしてから川縁の裏玄関に行く道に屋根からの雪がしっかりと落ちていて歩く事が出来ない状態だったので歩けるようにどけました。屋根から落ちた雪なので水分を多く含んでいて重かったです。おおよそ30分の作業でしっかりと汗をかいていたので、今はゆったりとお湯に浸かってコラムを書いています。リピーターの皆さん。本日はしっかり睡眠がとれるように応援を宜しくお願い致します。

長い1日でした。

令和4年2月8日

朝食を7時にとり、7時30分にはスーツに着替えて岐阜県庁に向かう前に、国道から町道に入った道の除雪を本部施設の除雪をお願いしている地元の材木屋さんが除雪をしてくれたとの報告を昨夜の内に北島部長から聞いていたので、自分の目で確かめてお礼を言わなければいけないと考えて、国道から町道に入った途端に昨夜のままの凸凹状態で「あれっ。北島部長からの連絡は違っていたのか」と凸凹にハンドルを取られながら100メートルほど走って名神高速道路のガード下を抜けて私は正直感動しました。と言うのも、余りにも見事に除雪がしてあったからです。

感動したあとはUターンをして、岐阜県庁に向けて走りながら、思わず関ヶ原町長さんの携帯に連絡をしてしまいました。と言うのも、地元の材木屋さんが共助の思いで「地元の方が難儀をして車を運転されるのは忍びない。」との事で除雪をしていただけた事の事実を伝えなければいけないと考えたからです。町長さんは「依頼している業者の方も頑張っている。」とは言われましたが、昨日の事実を伝えると共に地元の方の為に頑張って下さったのだからお礼の電話は入れて欲しいと伝えました。次に除雪をして下さった方の責任者の方に電話をすると「11時までかかった。昼間の内に除雪をしたらもっと楽にあけられたと思うが自分は仕事で遠くに行っていたから夜にしか出来ずに、ガードから国道までは流石に疲れて出来んかった。」と言われて「本当にありがとうございました。」と心からお礼を言いました。

9時30分から陳情に行くお約束がしてあり、遅れてはいけないと思って時間には余裕を持って出掛けたのと、道も空いていたので8時45分に岐阜県庁の駐車場に着き一緒に行く、吉澤施設長と合流して9時20分には陳情を受けて頂き、その後は高齢福祉課で介護職員の処遇改善の流れの確認を岐阜県老人福祉施設協議会の制度政策委員長とお伺いをして、その後は岐阜県福祉会館に場所を移し、岐阜県老人福祉施設協議会の正副会長委員長会議の打ち合わせをして、急ぎ昼食を食べて13時からの東海北陸ブロックカントリーミーティングのリモート研修に参加して当番県会長としての開会の挨拶をして、その後は若手リーダーの意見交流を聞いていて、18時5分に終了して、終わると同時に次の会場である大垣フォーラムホテルに18時30分開始のいつもお世話になっている県議会の先生の後援会総会に3分前に着き、いつもお世話になっている秘書の方に案内して頂き滑り込みセーフ。コロナ禍と言うことで懇親会等はなく、20時前に終了して、色々な方にご挨拶をして、車に戻り、一目散に自宅に着いたのが20時40分。

夕食がまだだったので、うどんのみ食べて、お風呂に浸かりながら少しはコラムを書き、今(午後1004)何とかコラムを完成させ長い、なが~い1日が終わります。リピーターの皆さん何とかコラムを継続出来ました。この頑張りに拍手を・・・。

 

悲惨な状況です。

2022.2.7

関ヶ原町の積雪記録としては最高の88センチとの報道に色んな方から『大丈夫ですか』の電話を頂いたのですが、観測場所は多分関ヶ原町の中心地。つまり、本部施設がある『今須』はそんなもんじゃない。』間違いなく1メートルはありますよ。施設の一番北側にある保育所のところは下手をすると1メートル50センチはあるのではないかと思います。地元の材木屋さん3軒に除雪を頼んでいて、重機3台がフル稼動で除雪をして貰い駐車場はきれいにして頂いたのですが、昼間の青空で山肌の雪がごそっと落ちて、またまた本日も除雪を依頼して恐縮至極ですが施設内の除雪は完璧な状態です。

明日は岐阜県庁に8時前に家を出て行かなければいけないので、内閣府のリモート会議を聴講させて貰ってから、明日の資料の打ち合わせを盲養護老人ホームの吉澤施設長としていて、気が付けば18時30分。職員に「早く帰るように」と言っている手前慌てて車に乗って「いざ、我が家へ」と施設を出て町道に入ると雪の上を車が通りわだちで凸凹になっていて、走りにくい走りにくい。しかも時間帯が悪かったのだとは思いますが対向車とのすれ違いが出来なくてにっちもさっちもいかなくて、しかも私の後ろに本部施設の職員の車が4台も続いていて・・・。「ここで地元の方々に迷惑をかけてはいけない。」と思い、車から降りて私も含めて凸凹の道を百メートルくらいバックして何とか広い場所で4台が待機。かなり遠くにいる車も待って、ほっとして、前進するとまたまた、ぎりぎりの所まで走ってくるのがあり、何とかかんとかすれ違いをして、遠くから走ってくる車に申し訳なかったのですがハイビームをして「すれ違いをする所が無いので停まっていて」と知らせて、何とか国道に出てほっとした次第です。

2回目のすれ違いをした時に村の長老的な方で施設の除雪をお願いしている方に、「町長に連絡をしておいたのに」と言われて憤慨されていたので、本部施設から我が家まで4キロしかないにも関わらず一時間かかってしまったので家に帰って、思わず役場に連絡をしました。その後施設に帰宅が最後なった職員が無事に国道に出れたら私に連絡するように連絡しておいたら、北島部長から「国道に出ました。」との報告と共に「いても本部施設の除雪をしていただいている方が3台の重機で町道の除雪をして頂いているとの事で、「当施設の職員が苦労しないように」との配慮だと思うと感謝の言葉しか出てきません。私は朝の5時過ぎから家の前の雪解けをしてから本部施設に行き、最後にだめ押しのくたくたがありましたが、最後に素敵な報告を貰い少しは気持ちが楽になりました。リピーターの皆さん。除雪をしていただいた地元の方の『相手のみになって』に接する事が出来たのは良かったです。

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