コロナが終息してからの日本はどの様になるべきか

令和3年6月27日

東京では宣言が緩和されて増加傾向にあるとマスコミからの警告がなされて、尚且つ多くの方が飲み屋街に繰り出している映像を映し出しています。東京には一千万人以上の方が生活されていて、色んな考えをお持ちの方が生活されています。そして、隣の方との交流もない方が殆どのようで、『お互いが干渉しないのが基本』のようで、多くの方が生活していながら、狭い交流関係しか持たない生活で、一人で飲むのは楽しくないのでグループで騒ぐ。勿論、騒ぐ方ばかりではないのですが、多くの方の中には節操のない方もみえてマスコミの餌食になり「東京の方はどうしようもない。」と言う事になっているのではないでしょうか。

人の動きは映りだされていますが、マスクをしているかどうかの視点での映像は最近ありません。ただし、お酒を飲むと、声が大きくなったり、話をしている時のマスクをしなくなる傾向は歪めません。アメリカでは、2回の予防接種を終えたのであればマスクをする必要がないと、外出時のマスクをしない様子が映りだされたりしています。確かに、2回の予防接種でリスクはかなり減ったとは言え、私の知る限りでは、95%の安全は確保されたと聞いてます。しかしながら、逆の見方をすれば5%は安全ではないと言う事です。実際にウガンダの選手は2回の予防接種を受けてきたとの報道がされていました。つまり、どこまでいっても、完璧な予防策と言うものは存在しない。つまり、あくまで『予防をしつつ健康に留意する』事が肝要だと言う事ではないでしょうか。現に今年の冬のインフルエンザの罹患率は0に近かったと聞いてますし、周りに咳き込む方も殆どいなかったと理解してます。『予防』の基本は『自分の健康は自分で守る』事だと思います。

このコラムでも書きましたが殆どがリモート会議になり、リモート会議の良さがわかってきたように思います。勿論、膝詰めでの会議も必要ですし、時には交流を深める事も必要です。だから全てがリモートで良いとは考えていません。しかしながら、例えば色々な研修がリモートになり、経費も時間も圧縮出来た事によって研修参加者が増えていると言う事実もあります。この1年半の生活の中で改めて健康管理の大切さを知り、効率的な対応について理解出来たとしたら、決して駄目だった事ばかりではなかったのではないでしょうか。このコロナ禍だからこそ身に付いた事もあったと思います。昔の諺に『災い転じて福となす』と言う事もありますから。リピーターの皆さん。私のような考え方はどうなんでしょうか。

 

20年ぶりに事務所の机の上が綺麗になりました

誤解のないように言いますが、決して片付けてないわけではありませんよ。ただし、机の上にあるものを全部除けて、下敷きにしていた緑のきれと透明なビニールを全部除けて、何度も何度も拭き掃除をしての本格的な片付けは実に20年ぶりと言う事です。

どうして片付けをしたかと言うと、この1年3ヶ月コロナの影響でリモートによる会議が多く、パソコンにカメラを設置した形で対応してきたのですが、先般のリモート会議で突然画面が映らなくなり、会議中にご迷惑をかけたのと、この6月から全国老人福祉施設協議会副会長になり、月に1回開催される常任理事会は10時30分から16時まで(途中で昼食休憩が一時間ありますが)あり、今後もリモート会議は無くなるわけがないので、リモート会議用のカメラ内蔵のパソコンを購入して本日16時前に購入業者が持ってきて下さり、事務所内で使用出来るようにセットをして頂いている間に机の上を綺麗にしたのです。机の上にある物を片付けるだけでも一苦労で机の上には使用してないパソコンも2台あり、その撤去だけでも大変でした。その他にも書類や名刺やハガキ等を整理して、下敷きの下にも色々なものがあり、片付けに結構手間取りました。

IMG_4285

ただし、凄く嬉しい事もありました。それは、下敷きの下から白い封筒が2枚出てきて、それぞれの封筒の中には何とそれぞれの封筒に一万円札が入っていたので、合計2万円の臨時収入です。『早起きは3文の得』(本当は《徳》何だと思うのですが。敢えて《得》と書きました。)なのですが、『綺麗にするのは2万円の得』と言う事なのでしょうか。でも、この2万円は私が単に忘れていただけなんですが、何となく嬉しくなって「このお金は天からの贈り物。だったらこのお金は宝くじを買うべし」と言う事で明日宝くじを買います。だって、天からの贈り物なら夢を買わなければとの考えからです。

下敷きにしていたビニールは何度も何度も雑巾で拭きました。今は2台のパソコンが私の机の上に並びました。明日からしばらくはこのままの状態なのでしょうが、直ぐに書類の山になるのでしょうか。

いやいや。未決と決済の入れ物を並べて、今度こそ効率よく仕事が出来るようにしたいと豆腐のような決意をしてます。

いやいや、私も68歳です。いい加減に効率良い仕事が出来るようになるぞ。私の真骨頂は『有言実行』なんだから、リピーターの皆さん。効率良い仕事が出来るように応援してください。

岐阜県高齢福祉課主催のオンライン会議

令和3年6月25日

本日13時30分から『第一回風水害時における高齢者施設入居者の避難体制構築に向けた検討会議』が開催され、岐阜県老人福祉施設協議会会長として参加させて頂きました。他の団体としては老人保健施設協議会会長さんとグループホーム協議会会長さんの参加を得て行政サイドから岐阜市、各務原市、揖斐川町の担当者が参加され、助言者として岐阜大学の先生が2人で高齢福祉課の熊谷指導官の進行で開催されました。

最初に健康福祉部長沼次長さんからのご挨拶があり、引き続き令和2年7月の豪雨災害により施設の入居者全員を近くにある安全な場所の下呂総合庁舎に避難させた事例の紹介を、対応された施設長さんと下呂市役所の現場のトップを担われた課長さんのお話を聞きました。お話を聞いていて思ったのは施設トップの判断と行政の協力、尚且つ他の施設からの協力が結集したからこそ上手く非難が出来たのだと思いました。勿論、全員の方が無事に避難出来たから全て良かったと言う話ではなくて、反省点もしっかり把握されての提案だったのは、大いに参考にさせて頂けるものでした。

その後事業所の代表者からの意見を述べる時間になり、3団体のトップで話をさせて頂きました。私が特に強調したのは『人的確保を円滑に行う為には事前の準備としてしっかりとした協定を結び尚且つしっかり機能するようにしていく事が大切。』と話をさせて頂きました。次に老健協の会長さんからは『事業者同士の協力体制の必要性』について各務原市モデルを中心に話して頂き、グループホーム協議会会長さんからは、『事業所規模が小さいのでハード面、ソフト面共に緊急時の体制が取りにくいので他団体の支援体制の強化をお願いしたい。』との話がありました。引き続いて行政からの支援体制についての地域に合わせた話をして頂きました。

最後に総括的な話を岐阜大学の2人の先生からして頂き「とにかく早急に具体的な案を取りまとめ実践出来る体制の構築をしていくことが大切」と改めて思いましたし、災害はいつ来るか分からないので緊張感を持って進めていかなければと思いました。国が3年の猶予を持ってではありますが、『BCP(業務継続計画)の策定』を義務化にしたのは、なかなか進まない現実にしびれを切らしての発信だと思うのですが、近年気候変動の激しさや頻発する地震の事を考えると当然の事だと思います。

当施設ではガスパルプの導入でガスから電気に変える装置を設置したり、ガソリンによる自家発電機やソーラーの発電機も購入して防災庫には水と食料及び衛生用品の備蓄もしていますが、今回の検討会によって他の事業所との連携を如何にしていくか、行政との協力を如何にしていくか、このコロナ禍だからこそすべき事を烏野猛先生の協力も得て、しっかりしていかなければと考えています。このような事を考える機会を得ている事に感謝してこれからも頑張っていきますのでリピーターの皆さん、これからも宜しくご支援下さい。

 

一生懸命が実るようで嬉しいです

2021.6.24

本日午前10時30分から和合の全体会及び私が熱を出して延期になっていた事業戦略会議(幹部会)が予定されていたので家を8時30分に出て会議に挑みました。昨夜は本部施設での全体会で本日が和合の全体会で、進行の仕方はそれぞれ違いますが、進むべき方向性は同じだと感じながら会議に参加させて頂きました。

そして昼食を挟み13時30分に瑞穂市役所で待ち合わせをして、瑞穂市議会議員のお計らいで市長さんと福祉部長さんに面談させて頂きました。私が市長さんに向けて、措置施設の現状について熱く語ると共に30年前までの13年間瑞穂市(旧穂積町)本田にある児童養護施設の指導員をさせて頂いていた事についても語らせて頂きました。その後、福祉部長さんが本部施設が開設当初に福祉担当職員として、施設に行き事務的に淡々と手続きをしていた時に、理事長さんが福祉の思いを熱く語って貰い、感銘を受けたとの話をして下さり、その時私は「何事も一生懸命にいていくと、素敵な再会があるんだ。」と思った次第です。市長さんらとの面談を終えて、岐阜市にも入居依頼に行きました。初めて足を踏み入れた新庁舎に圧倒されながらもしっかりと和(なごみ)への入居依頼への話しをする事が出来ました。

その後、和(なごみ)の事務長にも連絡をして垂井庁舎の駐車場で合流して、新しく購入した、垂井町の土地は公的施設建設であるので非課税になるべきだとの考えを述べてきました。私は26歳までの紆余曲折いやいやちゃらんぽらんな生き方の末に『福祉の道』に足を踏み入れてから42年の間福祉の事以外の事には目もくれず生きて来ました。時には厳しい状況に置かれても一生懸命さと色々な方の御協力でやりきってきました。そんな中で熱く語る事をしてきて、またまた、本日のような出会いがありました。瑞穂市長さんと話をしている時に「コロナが終息して職員教育の場でお話をしていただければ」と言って頂いた時に私は正直頭に乗って「講演は喜んでお受けさせて頂きますが、私の最大の欠点は時間をしっかり言って頂かないといつまででも話をしてしまいますから気を付けて下さい。」と真面目な顔で言ったのです。その時市長さんは何と答えるべきかお困りのご様子だったので、申し訳無かったです。もちろん、そのな事でお怒りになられるような心の狭い方ではないと思いました。その証しに市長室から階段の所までお見送りに来て頂きました。福祉部長にしてもコロナワクチン接種でお忙しい中でも駆け付けて頂けたのは20年前の出来事が印象に残っていたからだと私は思っているのですがリピーターの皆さん。このように考える私はうぬぼれが強いのでしょうか。

昨日実施した供養祭の様子から思う事

供養祭の当日には、私が出勤していの一番に供養祭会場である仏間(岐阜県へはデイサービスの静養室として申請してあります。)と会議室を確認に行くと既に殆どの準備がされていました。そこで思ったのは「昨夜は幹部会があり、(終了は20時20分)その後に幹部職員で会場設営をしてくれたのか」と先ずは私の気持ちが熱くなりました。

その後、仏花やお供えの準備をして、各フロアでのリモートでの実況中継のリハーサルまで終えて、昼食を頂いていて少しゆっくりしているとかつての入居者の家族の方が滋賀県長浜市からお供えのみかん2箱とご厚志を持って来て頂いたので「せっかく来て頂いたのですからお仏壇にお参り下さい。」とご案内すると、仏間には上がられる事無く一段下の所から手を合わせて頂きました。遠い所をわざわざ来て頂いた事に対しての感謝の意を表す為に午前中からお供えしてあったお饅頭10個入りを持って帰って頂きました。実はお供えを頂く時に私が大好物である『たねやのバームクーヘン』を「理事長さんがお好きだと聞いていましたので渡して下さい。」との事で頂きました。多分私の事ですから以前に頂いた時に思わず私が「大好物です。」とでも言ったのだと思います。その事を覚えてみえて、わざわざ持って来て頂けたのは本当にありがたいと思いますし、『口は禍の元』ではなく、『思いは通ずる』と言う事だと思いました。

14時のスタートと言う事で当法人の監事であり、関ケ原町内で法忍寺の住職をされている皆田さんが20分前に来て下さり、家族会の吉田会長(唯一の参加者)もしばらくして来て下さり、定刻通りに始まり、先ずは私がご挨拶の中で「平成10年5月に開所してから今迄に419人の方をお見送りさせて頂きました。年に1回の供養祭をこのコロナ禍で参加者を絞り、尚且つ各エリアをリモートで結んでの開催ではありますが、先程一人ひとりの方のお名前を確認させて頂きながら走馬灯のように記憶が蘇ってきました。」とご挨拶をさせて頂き、引き続き吉田会長にご挨拶を頂き、法忍寺ご住職のお経と法話を頂き無事に供養祭を終えてからお供えのお饅頭を入居者さん利用者さん及び職員に食べて頂きました。

当法人の考え方は『ご縁を頂いたらとことんご縁を頂いて貰いたい。』のスタンスです。リピーターの皆さん、こんな施設ですが今後共宜しくお願い致します。

 

コロナのワクチン接種2回目の一週間の経過報告

この1週間の間に度々話題にはさせて頂きましたが、改めてドキュメンタリーな形で書いてみる事にします。2回目のワクチン接種を私自身は3組に分けた最終組みであった6月15日(火曜日)に打ちました。最終組になったのは、私自身のスケジュールと照らし合わせて比較的他に迷惑をかけない為のものでした。予防接種当日である15日は10時30分から全国老人福祉施設協議会の常任理事会があり、午後から予定されていた予防接種の一番最初に打って頂いたので、午後1時から再開された会議には支障なく参加する事が出来ました。そして、その日は軽くお風呂にも入り、「少しだけ左腕が痛いかな」と思う程度で、いつも以上によく眠れました。翌朝も(16日)は爽やかな目覚めで「この調子なら2回目接種の弊害も大した事がなく済みそうた。」と思っていました。10時30分のお約束で介護労働安定セーターの所長さんがわざわざご挨拶に来て下さり、職員採用等の現状と私の考え方や実践について熱く語らせて頂き、所長さんを玄関先でお見送りした後、何となく気だるさを覚え、昼食後に一旦家に帰らせて貰い、再び14時からのお参りの為に施設に行き、対応を終えて、若園司法書士の先生との打ち合わせを終えると頭がガンガン痛いので直ぐに家に帰らせて頂きました。その日の夜は体がガタガタ震えて、冬蒲団をかぶって寝ていて、ガタガタが治まって熱を計ると39,2℃。「流石に虚弱体質」

翌日から2日間は熱が下がらなかったのと、後から挽回できるスケジュールだったので、お休みを頂き、録画がしてあるものを見てゆっくりさせて貰いました。19日は評議員会と理事会があり、理事長としての役割もあり頑張りました。家に帰り熱を計ると36,6℃。と平熱に。私は仕事をすると熱が下がるようになっているのかも。20日の日曜日は本館の1階、2階で思いっきりお経を大きな声で唱えて尚且つカラオケで2曲歌い、気持ちよく帰ってきて、熱を計ると37,6℃あることがわかったのですがこのコラムで書いたように「酒を飲んで寝る」と書いて施設にメールで送信して直ぐにホームページにアップしたのを私の姉の春子お姉さんがコラムを見て『微熱気を付けて。酒はやめて早く寝て下さい。お休みなさい。』と送信してきたので、私は『手遅れです。お酒は既に飲みました。これから気持ちよく寝ます。』と返信すると、またまた春子お姉さんから『よく休めますように。お母ちゃんに夢の中で叱られるかも』との事だったので、再び私は『秋江さんはきっと飲んで食事が取れたら喜んでくれるはずです。決して秋江さんが怒りません。』と送信すると、またまた春子お姉さんから『はいはい。もうねや(寝なさい。の意味です)お休み。元気にな~』に私は『はいはい』とのやり取り。お酒を飲んだ翌朝には平熱に!だから、朝から夜まで頑張れて本日も頑張れましたので、17時に玄関先にきた移動販売でおつまみを買ったので、コラムを送信したら(今、午後7時08分)お風呂に入り夕食にはお酒を飲みます。またまた、春子お姉さんからメールがくるかな。リピーターの皆さん。私はこんな生き方ですがどう思われますか。

今午後9時20分です

令和3年6月21日

今日は10時30分から岐阜県福祉会館で岐阜県老人福祉施設協議会正副会長委員長会議が予定されていたので、家を9時前に出て、丁度10時に会館に着き事務局の方との打ち合わせを済ませると順次役員が集まってみえたにご挨拶をして、飛騨支部の役員二人がリモートでの参加のいわゆるハイブリッド方式なので若干やり取りの仕方を練習して、予定通り定刻の時間に始まり、先ずは私の会長としての挨拶をしてからこれまた、会長である私の進行で協議に入りました。一番目の議題は今年度での最大の課題である『一般社団法人の組織作り』についてしっかりと時間をとって検討しました。

この課題についてはまだ数回の検討をしなければいけないし、岐阜県への根回しもしていかなければいけないので会員施設が理解しやすい組織の検討をしました。次に研修委員長から9月30日に開催する研修についての報告がなされ、参加者は138人と当初の予定をはるかに超える参加者との事で一番の理由はリモートによる研修と言うことで移動時間が無いことが考えられる。と言う事はコロナが終息した後もリモート研修で出来るものはリモートで実施して膝詰めで行うべきものは膝詰めで行う事が主流になっていくのだと核心してます。会議は12時30分に終了して、施設へ戻る途中で、昼食を頂き、(あまり食欲が無かったので素麺を頂きました。

そして関ヶ原の『ゲンキー』により本日17時15分から予定されている本部施設幹部会のメンバーに遅くなった時への配慮でおにぎりとパンを購入して施設へ帰り、何ヵ所かから電話やメールを頂いていたので対応をしていると当法人の顧問をお願いしている烏野教授が会議前に打ち合わせをしたいことがあったので事前に来て頂くお願いをしていて、15時30分の予定を5分遅れで来て頂けたので、さっそく色んなテーマについて相談に乗って頂いていると、幹部会の17時15分になり、今本館1階で起きている問題を幹部全員の問題として真剣に話し合いました。

時には理事長である私が激昂する場面もありましたが、幹部会のメンバーも忌憚のない提案をしてくれるようになってきたのには満足感がありましたが、幹部会メンバー全員が暑くなれたわけではないので、より一層の高見を求めていきたいと考えています。幹部会のメンバー一人ひとりが完璧になることはないし、貪欲なわたしが「これでよし」と言う事はないし、だからこそどんどん成長していくものだと考えているのですが、リピーターの皆さんはどう思われますか。

本館1階、2階のお参りをしました。

本館1階の参加者は若干少なかったので、(入居者さんへの声かけの仕方かな)声を張りあげて頑張りました。頑張った導師としてのお礼はコップ一杯のお水です。でも、このお水が格別美味しいのです。

お経のあとに少しだけ話をしました。中身としては①もうすぐ一年の内の半分が終わる事。②7月になればもっと暑くなるので体温調整をしっかりして下さい。と話をして厚着をしていると思われる男性入居者さんに「暑くないの」と聞くと「暑い」と言われたので「1枚脱いても大丈夫かな」と話していると職員が飛んできて「さっき寒いと言って着られたのですが」との答えに何となくすっきりしなかったので、「とにかく面倒がられず体温調整をしましょう。」と話していると2階の西村課長が「2階の入居者さんがお待ちかねです。」との事で2階に急いで行くとこちらのフロアはおおぜいおみえになったので、1階以上にギアが上がりました。結構な方がしっかりとお経を唱えて下さるのでお経を間違えないようにしかも1階以上に声を張りあげました。そして、仏壇の様になっているところを申し訳ないのですが1階と比較すると、1階はいつもの造花があるだけでしたが、2階は生の紫陽花を右側に左側にはカラフルな色の色紙で作った紫陽花が点ててありよりギアが上がりました。

お経を終えたらカラオケが準備してあり、ワンパターンではありますが、既に「兄弟船」(鳥羽一郎)と「祭」(北島三郎)が入っていると言うので気持ちよく歌わせて貰いました。歌の合間に本日の私の派手なTシャツや紫陽花を両方に持って楽しく写真に収まりました。

歌を終えてから先週の火曜日に(15日)に予防接種をした後遺症で左腕がリンリンに腫れているのを腕をまくっていたりして入居者さんに見せたりしていると、西村課長が舞台に上がってきて、父の日ガードを私に手渡してくれたので、「こう言うサプライズは嬉しいね。」と言うと、「男性入居さんにもおやつの時に差し上げます。」と聞いて本当に嬉しく思いました。

あまりに張り切りすぎたのか事務所に戻るとえらさを感じたので書類の整理だけして、家に帰らせて頂きました。家に帰ってから直ぐにパジャマに着替えてしばらくすると寒気を感じたので蒲団を被ってしばらくして落ち着いたので熱を計ったら37,6℃あるので愕然。だって予防接種をしてから5日も経っているのに。そこで改めて昨日の週刊現代の『二日以上熱が続いたら』との記事を思いだし読んで見ました。リピーターの皆さん。安心して下さい。よく見ると『高温』の字がついていました。尚且つ『病院に行くべし』としか書いてないのです。私にとって37,6℃は大した熱ではないし、明日は10時30分から岐阜県老人福祉施設協議会の正副会長委員長会議があるので、夕食で熱燗飲んでしっかりと寝れば大丈夫。「あっ、このコラムを私にとって怖い存在の姉の春子さんが見ているんだった。いやいや今は優しい優しい春子お姉さんだから大丈夫だった。」

IMG_8537IMG_8535IMG_8525IMG_8522IMG_8523IMG_8527

 

予定は未定であり決定ではない

予定は未定であり決定ではない

 

私の常套句ですが。実はこの常套句は私が児童養護施設の指導員をしていた時に協議会の調査広報委員会に所属していた時に委員長をされていた当時日本児童育成園長だった浅倉先生であり、中部学院大学教授でもあった浅倉先生の口癖だったのですが。今は私が当たり前のように使ってます。本題に進みます。(普通は『戻ります。』が本来の使い方だと思うのですが、いきなり横道に入ってしまったので)本日は平熱に戻り、午後からは評議員会及び理事会が開催されるので朝からシャキッとなる予定だったのに、朝食前の検温で37,5℃。この原因は予防接種をした左腕が昨日よりを腫れているから。決して寝ている間に腕を掻くような愚かな行為はしていないつもりですが、私は朝起きて足がミミズ腫れで血まみれになった事が一度や二度では無いことを考えると完璧に否定する自信はないのです。本当に難儀な私であります。ゆっくり目に施設に行き、郵送されてきたものやメールの確認をしていると昼食になり、昼食後は評議員会及び理事会の準備や3施設の理事長決済をしているとぼちぼちと評議員の皆さんが来て頂けたので、それぞれの方にご挨拶をして、定刻の13時30分になり、最初の議題が理事,監事の選任だったのですが、全員前期に引き続きでの承認を頂き、次に令和2年度の決算の承認と3年度の補正予算の承認を頂きました。次に3月に開催された評議員会以降の3施設の報告をして評議員会を閉じ、評議員の皆さんをお見送りしてから引き続きの理事会を開催しました。最初の議題は理事長の選任についてだったので、私自身、盲養護老人ホームの新規事業が始まったばかりで理事長を降板する訳にはいかないので自ら手を挙げ自薦することを表明して全員一致で承認して頂きました。その後は法人規程の改訂についても承認して頂きました。理事会も無事に終了して、直ぐに帰られる方を見送り、その後理事である社労士の先生を交えて労務に関わるお話をさせて頂き、理事の皆さんが帰られたのを確認してから、私も家に帰らせて頂きました。微熱は治まったかと夕食後に熱を計ると37,4℃あることがわかると急に寒気を感じて蒲団に潜りながらコラムを打っているのですが、夕食前に本日我が家に届いた週刊現代の見出しのみを見ていて『コロナで気を付ける事』の中に『二日以上熱があるといけない』と言うのがあり、「私は二日どころか4日も経過している。」と気になったのですが、それ以上読む気力がなかったので心配なまま寝ます。リピーターの皆さん。私が明日には元気になっている事を祈っていて下さい。

私は異常体質のようです

確かに産まれて半年後に心臓が5分程度止まったそうです。(当然の事ですが、記憶にありませんが)

その後は病気とのお付き合いばかりで、確かに虚弱体質だった事は否定出来ない事実なのですが、お陰さまで68歳の今も元気に仕事が出来るのは感謝です。

7時30分に朝食の為に1階に降りて食卓の椅子に腰掛け熱を計ると37.9℃。確かにしんどかったけど、38℃近くまでだとはわからなくて思わず絶句です。小さい頃熱が高くても母秋江さんが何とか息子が食べれる様にと工夫してくれたんだと思います。だから、本日の朝食のご飯も味噌汁も野菜サラダもしっかりと食べることが出来ました。食事が喉を通り胃袋に収まって今現在大丈夫なので、気分的には楽になりました。流石に40℃あると食べる気になりませんが38℃代なら食べる事が出来るのです。それから、病気で伏せていることが多かった為か、ペットボトルの飲み物なら寝たまま飲むことが出来るのです。正直、自慢する事ではないのですが・・・。

昨日の予定は流石にキャンセルをしたのですが(元気になってから挽回できる案件だったので)本日も2件の案件はキャンセルしたのですが、本日締め切りの全国老人福祉施設協議会副会長としての報告だけはキャンセル出来ないので午前中にその役割だけは済ませなければと考えています。ひょっとしたら施設で仕事をすると元気になるかも知れないし。(ここまでは、朝食を終えて家を出るまでの原稿です。)

希望的発言だったのですが、その願いが届いたのか、9時から11時30分まで、全国老人福祉施設協議会の事務局担当者の方とのやりとりや、前期までデイサービス部会長だった山梨県の武藤先生にアドバイスを受けたりして担当副会長としての報告をとりまとめ、家に帰らせて頂き何となく体が楽になったように思い、朝食の時のように食卓の椅子に腰掛け熱を計ると36,5℃に下がっていたので、つくづく思いました。私は仕事をして元気を貰っているのだと。朝食の時とは違って昼食は久しぶりに美味しく頂きました。だって熱があった時は何とか食べれたと言う感じだったから。つまり、健康だからこそご飯もお酒も美味しいのだし、バリバリ仕事が出来るのも健康だからこそ。久しぶりに熱を出して、健康のありがたさを理解しました。

さてさて、明日は社会福祉法人杉和会の評議員会及び理事会があるので、明日からバリバリ仕事が出来るように健康に留意しますのでリピーターの皆さん。復活しましたのでこれからも引き続きよろしくお願いいたします。

1 143 144 145 146 147 148 149 150 151 292