大谷徹奘師の言葉をしみじみ感じています
令和3年11月28日
大谷徹奘師の事は何度も書かせて頂いているのでリピーターの皆さんはよくご存じだと思いますが、私がお会いしたのは岐阜県老人福祉施設協議会の研修の講演に来て頂いた1度だけなのですが、あまりにも素晴らしいお話だったので講演された時のCDを購入したので車に乗った時に度々聞いていて何度聞いても「深いなあ」と思っています。大谷徹奘師は私より10歳若いと記憶しているので「私より遥かに充実した生き方をされているのだ。いやいや、比較するのも畏れ多い」と思っています。
本日はお話の中で「老いると言うのは歳をとらないとわからんよ。と薬師寺に来てからお世話をして頂いているお婆さんから聞いた瞬間に『説けた』と思った。つまり、病気になって健康の有り難さをしり、親になって初めて親の有り難さを知り、歳をとって年寄りの気持ちがわかる」と言うものです。私も68歳になりましたので、既に高齢者としてのカウントはされているわけですが、「まだまた若い者には負けん。」との気構えでいるものですから『老いた』と言う感覚が理解できていないので、よく世間で言われている『終活』等とは程遠い生活で、あまりにも充実した日々に感謝する事はあっても『老いる』を感じるのは腰が痛いとき位かな。いやいや腰を痛めたのは児童施設に勤務していた20代の時の話で、古い輪転機を頂き上司の方から「こんなの使えないから倉庫に入れとけ」と言われて持ち上げた瞬間にぎっくり腰になり、(腰が『く』の字になりました。)その時は若さに任せて病院にも行かずに何と無く治してしまい、今でも無理をした時とか、じめじめした天気の時に体が曲がった状態で腰が異常に痛いときがあるので、これは老いた現象では無いのか。う~ん、正直わかりません。
このように書いていて私が38歳の時に他界した私の父進さんの事を思い出しています。私は何度もこのコラムで書いている通り、虚弱体質であったが故にわがままし放題の生活を認めて貰い、尚且つ大いなる支援を受けた生活が認められ38歳で父進と言う大きな存在を無くしてようやく自らを律する生き方が出来るようになったのだと自覚してます。38歳からの生き方になり30年。あれからは語り尽くせない程の生きざまですが、今振り替えると父進、生母秋江には何も恩返しが出来なかった私ですがご縁を頂いている入居者さんや利用者さんに対して、父進と母秋江に恩返しをさせて頂いていると勝手に考えています。そう言う意味ではより良い施設の構築を念頭においてこれからも頑張っていきますのでリピーターの皆さん、より一層のご理解とご支援、ご指導を宜しくお願い致します。
