昨日のトピックから

①本館1階のお参りから・・・本館2階でのお参りをして(勿論、お参りの後にカラオケで2曲は歌わせて頂きました。)スターのように登場したくて敢えてエレベーターに乗りました。***エレベーターは基本的には経費がかかるので乗りません。基本的には入居者と荷物がある時と決めています。***

1階に降りて登場すると拍手が沸いたので「これからお参りをするのに・・・。」と若干苦笑気味でしたが、元気に「これから4月のお参りをしますので大きな声でご一緒下さい。」と言ってからお経を始めました。そうすると一番前に陣取った男性入居者さんが大きな声で「なんまいだ~。なんまいだ~。」と言って下さり、しかも、私のお経のタイミングに絶妙に合わせていただけるので、私は「この方はただ者ではないな。」と思いながらお経を唱えるギアを上げました。

お経を全て終えて少しお話をしようと思いながら入居者さんの方を見ると間髪を入れずにあの「なんまいだ~。なんまいだ~。」と大きな声で合いの手を入れて下さった男性の入居者さんが「歌を歌って」と言われたのには正直私は面食らいました。勿論喜んで歌わせて頂きましたが・・・。ちなみに2曲共に元気に歌いたいと言う事で、北島三郎さんの『函館の女』と『まつり』だったのですが、いつもは本館2階の方が活気があって歌いやすいのですが、今回ばかりは本館1階の方が正直歌いやすかったです。(決して本館2階が歌いにくかったわけではありませんから)

②嘱託医の先生の話です。・・・嘱託医の先生は24年前に事業を開始した当初は関ケ原病院(現存、関ケ原診療所)だったのですが、緊急時の対応が救急で行くしか手立てがないのに疑問を持ち、開業医の先生にお願いする事にした時に、その当時、介護審査会で親しくして頂いていた多賀誠先生に(老先生の事です。)お願いしに行ったところ「若が帰って来るので若に嘱託医は任せる」と言う事で、それ以降多賀真先生に嘱託医はお願いしているのですが、私の思いの中で多賀誠先生にも昨年開設した盲養護老人ホームを見て頂きたくて昨日自宅までお向かいに行き、お連れして施設内を見て頂きました。

天候にも恵まれたので施設から臨む外の風景を非常に気に入って頂き、勿論高野山の静慈圓大僧正の書もしっかり見て頂き、祈りの面に対しても理解して頂けたと思います。施設見学とお話を終えてから改めて多賀誠先生に「大変失礼とは思いますが先生は昭和何年生まれですか。」とお聴きすると「昭和10年ですよ。」と言われて私は思わず計算してしまいました。「私が昭和28年生まれで68歳で18歳年上と言う事は86歳なんだ。80歳を超えているとは、とても見えない・・・。」と思わず絶句です。しかもまだゴルフもお酒も楽しんでいるとの事。果たして今の私が18年後に今の先生のような心身でおれるのかと若干の不安がわいてきました。そう言う意味では、86歳の老先生にパワーを頂いたように思いました。

リピーターの皆さん私は明日先般のMRIの結果を聞きに行くことになっているのですが、そんな事にくよくよしている場合でないと思った次第です。

身体に悪いこと一杯してる・・・。

令和4年4月23日

諸般の事情で2月からの2ヶ月で4キロ体重が落ちて「体が軽くなって若宮八幡大神様の前での祈りの時の正座が楽になった。」と感じていたのに、4月に入り無性に口が寂しいのか満腹感が無いためか本部施設の事務所でパソコンに向かっているときも、大好きなあられ等をムシャムシャ食べて口を動かしていることが多くなったように思います。(これは決して良いことではありません。)また、夕食を食べた後もあられを食べたりして、気が付けば4キロ減ってお腹回りが少し細くなったり、背中の肉の盛り上がりが少なくなったと感じていたのに今朝、いつものお参りとお風呂を終えて体重計に乗ったら2キロも戻っていて、「そう言えば、若宮八幡大神様の前での正座が少ししんどくなったな」と思った次第です。

その他にも最近はゆっくりと食事をとる時間がなくて、コンビニのおにぎりを車の中で食べる事も度々で、リピーターの皆さんの中にも経験されている方があると思うのですが、おにぎりをパクパクと食べていると満足感がなかなか得られずに沢山食べてしまうことってありますよね。その他にも昼食を食べてからパンだとかカップ麺を余分に食べてしまったりと、体重が増える事を色々としてしまっています。減量をしたくてしたのではないのですが、せっかく体が軽くなったのにリバウンドが激しく押し寄せるのは無しにしたいです。でも、これは私自身の豆腐のような意志を鋼のようにするしかないのですが、大丈夫と言う自信はありません。

私がコラムで書く前に既に『たけのこの湯がき』の紹介は杉和会のホームページでされていると言う事ですが、私なりに新情報(多分)を書く事にします。

たけのこを湯がく時には必ず『米ぬか』がいるので、午後から水野係長、北島部長、吉田部長のたけのこほり部隊が20本ほど収穫した段階で、田中運転手が米ぬかを手に入れてくれたのを使わせて貰ったのですが、田中運転手の話として「最近は猪の餌に必要で3つの所(垂井、関ヶ原、今須)を回って何とか確保出来ました。」との事。(これはこれで素敵な情報だと思いませんか)

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一時間以上薪を燃やし続けて私が「もう大丈夫と違うか。」と言ったのにも関わらず水野係長がたけのこにお箸を指して「駄目ですもう少し。」と言う事で追加で15分薪を燃やし続けてようやく水野係長のゴーサインが出て、仕事を終えた、伊藤主任が加わったので、伊藤主任と言えば酒にまつわる楽しい話は山ほどあるので、私が「今夜の酒のつまみに湯がきたてのたけのお刺身は最高だね。」と伊藤主任に話題を振ると伊藤主任も乗ってきて、その話を聞いていた吉田部長が手回し良く包丁を準備して副施設長か酢味噌を用意してきたら、水野係長が釜の下の方にあった小さめのたけのこを取り出したので試食をみんなでしながら異口同音に「酒が飲みたい。」ここは忍・にん。 

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本日湯がけたたけのこは私のスケジュールで午前が空いている水曜日にたけのこの味噌汁とたけのこご飯を振る舞う事に決定。17時に送迎車に乗られる前のデイサービスの利用者さんともその話題で大盛り上がり。リピーターの皆さん。このような話題で盛り上がれる施設なのです。まだ来たことがない方は是非一度来てみて下さい。狙い目は来週の12時前後が宜しいかと思います。

 

かつての今須宿は凄かったと突然思いました

かつてのこのコラムで紹介しましたが、我が村『今須宿』は江戸時代は中仙道の美濃街道にある宿場✳13宿場町✳の中で岐阜城の麓にある『加納宿』についで人口が多かったとの事です。ようく考えてみると我が家があるのは旧中仙道添いにあるのですが多分江戸時代には、当然の事ながら当時の絶対的権力者は江戸幕府なので街道は江戸が起点ですから『関ヶ原宿』から『今須宿』に入った所が『門前』で本陣や脇本陣があった所が『中町』であり中町を越えた所が『西町』で宿場の終わりが『門間』と言う分かりやすい地名が今に至っているのです。ちなみに我が家は宿場の入り口に当たる『門前』にあるのです。と言う事は世が世なら我が家の生業(なりわい)は『お茶屋』か『旅籠屋』と言う事なのでしょうか。(✳ここでインターネット情報を検索して私の思い込みが発覚しましたので・・・)冒頭で『13宿』と書きましたか『16宿』だと気が付きました。一体『13宿』はどこから出てきた数値かわかりませんがずっとそのように記憶してました。「思い込みとは恐ろしいものです。」と居直ってます・・・。今須宿の記事を紹介します。《妙応寺の門前町として栄えた『今須宿』は、美濃路最後の宿場町。宿場の長さは1189メートルあり、『加納宿』、『関ヶ原宿』に続く大きさを誇った。宿の規模に比べて旅籠は13軒と少なかったが、問屋場が7軒あり、商業地として相当な賑わいを見せていた。現在の宿場町は、静かな山間の里といった風情で、問屋場家屋として現存する山崎家の古民家に往時の繁栄ぶりを垣間見ることができる。》この記事からわかるのは宿場としての長さは関ヶ原宿に次いで3番目だけれども、商業が発達していたので人口は2番目と言うのは興味を引くところです。また、別の記事では《今須宿から滋賀県境・・・中仙道美濃路の最西端の区間です。「車返しの坂」や「寝物語の碑」など数々の伝説が残っています。》等との記載に色んな事を思ったので以下に述べます。先ず特筆すべきは『今須宿が商業地として栄えていたと言うのは考えられない事ですが事実なのでしょう。次に気が付いたのは『静かな山間の里と言った風情』と書いてあり「ものは言い様だな」と感心してしまいました。そしてだめ押しで思ったのは、その時代、時代のリーダーによって栄えたり、衰えたりするのだと言う事です。私も社会福祉法人杉和会の理事長として舵取りを間違えないようにしていかなければいけないと改めて思いました。ただし、盲養護老人ホームの経営は今は厳しいものがありますが、今の厳しさを切り抜けて10年後、20年後の評価を待ちたいと考えているのですがリピーターの皆さんはどのように思われているのか知りたいです。

誠意ある対応にしなければ

令和4年4月21日

今年の7月に参議院選挙が行われ全国老人福祉施設協議会の組織内候補として2期目を目指す『そのだ修光』さんが自民党公認候補で出るのですが、そのだ参議院議員はこの6年間介護の代表者として頑張って下さったし、これからも国会の場でしっかりと存在感をしめして頑張って貰いたいので、岐阜県においてしっかりとした票を出すために頑張らなければいけないと考えています。そこで、岐阜県そのだ修光後援会として各事業所に推薦状の依頼状をお願いしたところ、お願いした当初はせいぜい50事業所からの推薦状がきたら御の字と考えていたのが実際には86事業所から送られてきたので驚くと共に感謝です。

しかしながらこれだけ多くの推薦状が送られてきた背景にはそれぞれの事業所が厳しい状況を理解して『制度は政治で決まる。』と言う事が理解されてきたのと、そのだ修光議員自体の貢献度が理解されてきたからだと考えています。そのだ修光議員は前菅総理大臣に近い存在でそう言う意味では官邸に行く事になんの違和感も持たずに対応出来たのは大きかったとも思いますし、今のコロナ感染症の中で政策をどんどんと提案できたのは確かに有り難かった。その事に気付いて下さった結果が多くの推薦状につながったと考えています。

そんななかで、本来であればそれぞれの事業所にお礼の連絡をすべきなのでしょうがあまりの推薦状のおおさに一軒一軒ほのお礼の電話をすべきなのですが出来ないので本日誠意ある手紙を書かせて頂きました。また、そのだ修光議員本人が5月9日の日に岐阜県入りをされるので、より多くの票を入れて頂けるような対応をしたいと考えています。いみじくも明日は5月9日の日の打ち合わせをする事になっているので私なりに精一杯効率的な計画を立てて行きたいと考えています。リピーターの皆さん。正直今は頭が働いていなくて何も考えが沸いて来ないのでここまでにしておきます。私としては不本意なのですが、継続出来たことでよしとして下さい。

初めての事、久しぶりの事は大変です

令和4年4月20日

昨日は10時から一般社団法人岐阜県老人福祉施設協議会として初めての理事会が開催されるので、8時15分には家を出て一旦本部施設に行き資料を鞄に入れてから岐阜県福祉会館へ向けて出発しました。予定時間の30分前には着いたので事務局長さんや坂口顧問との打ち合わせをしていると次々と役員の方がみえたのでそれぞれにご挨拶をして定刻通り10時から理事会を開きました。事務局長さんには新たに岐阜県職員をこの3月で退職された方に来ていただいたので坂口顧問のフォローを得ながらの進行となりました。先ずは私が会長としての挨拶をして、その後事務局長さんとの顔合わせと言う事もあり自己紹介をそれぞれにしてから協議に入りました。私は挨拶の中で一般社団の認可を受けた以上は今まで以上に役員一人ひとりが責任を持った対応にして頂きたい。決して事務局任せの展開にしない。とも強調しました。12時までしっかりと協議にかかり、会を閉じてからこの7月の参議院選挙に組織内候補として2期目に挑む園田議員の岐阜県での選挙体制について話し合いをして、13時45分には大垣市民病院の受付まで行かなければいけないので13時に打ち合わせを終えて病院に急ぎました。とは言え昼食抜きはきついので途中でコンビニに寄りおにぎりを買い車の中で食べて、尚且つ車の中でスーツから普段着に替えて受付に行きました。ただし、午後からと言う事で駐車場は一杯あいているのですが入り口がわからなかったり満車であったりで結局かなり遠い所から歩きました。(健康的で良かったのですが受付がギリギリになりました。)受付に行くと「パスポートはありますか。」と聞かれたので、そもそもパスポートが何たるかもわからないので「スミマセンがパスポートって何ですか。」と多分受付の方にとっては的はずれな事を聞くと、受付の方は多分「この方に説明しても仕方がないな。」と思われたのか「診察券と健康保険証を出して下さい。」と言われて受付でパスポートとやらの書類を出して頂けました。と言う事は私のような方がたくさんみえるのだろうと思った次第です。しばらくすると名前を呼ばれたので診察室に入って行き、お医者さんの問診を受け、MRIの場所を説明して貰ったのですが、その場所は一旦病院の外に出てとの事で正直向かいながらも不安でした。建物は玄関を出た左手側にあるとの事で「ありました。ただし想像していたよりも小さな建物でした。自動ドアが開き受付をしようとすると受付に誰もみえないので少し不安になり、大きな声で「スミマセン」と言うとどこからともなく女性の方が出てみえパスポートやらを提示するとわざわざ私の所に来て下さり検査着を持って来て下さりロッカーの説明をして下さり、素直に着替えを済ませながら思ったのは「こんな事なら車の中で苦労して着替えをしなくても良かったな」と言う事でした。着替えを終えると検査をして下さる先生がどこからともなくおみえになり、MRIのベットのような所に仰向けで寝るとベルトで動かないように固定され、耳当てを耳にしていただきドームのような所に機械が移動して耳当てをしていても大きな音が聞こえてきました。大きな音にも慣れた状態で横になっていたのですが大きな音に負けない位のイビキをかいていたのでしょう、30分の検査だったにも関わらず次に気が付いた時には検査をして頂いた先生から「若山さん。終わりましたよ。」と声をかけられて「えっ。もう終わったのか。リピーターの皆さん。馴れない検査でしたが無事に検査は終了しました。ただし、検査結果なは25日なので、今からドキドキです。検査を終えたので会計をすませようとしたら、全く無知な私は『たらい回しの計』にあってしまいました。おまけにいつも以上に焦っていたのだと思います。ガード支払いにしようとして暗証番号を何度いれてもキャンセルなので現金で支払いよくよくカードを見たらいつものカードと違っていたので暗証番号が符号しないはず。やっぱり私は『昭和オジサン。』いやいや全国老施協の平石会長に言わせると『明治オジサン』だそうです。だとするとリピーターの皆さん。私は一体いくつ何でしょうか。

何の脈絡もなく大学3年の4月の出来事が思い出されました

大学3年の4月と言うのは私が腸閉塞になり、地元のお医者さんの見立てが悪くて手術後執刀医の先生から「あと数時間手術が遅かったら取り返しがつかない状態になっていた。」と言われた時には執刀医の先生が光輝いて見えた記憶があります。そして、手術を終えた3日後に私にとって凄い経験をしたのです。

それはその日が日曜日で手術後の部屋が余程個室がなかったのだと思いますが二人部屋で隣に入院されていた方は翌日に退院が決まっていた若い方で、日曜日と言う事で見舞い客が沢山で大きな声で話をされているのに私の神経が多分苛ついたのだと思います。(その事に因果関係があったと言う確証はありませんが私はそのように理解しているのです。)

突然に私の体が全身痙攣を起こして大きく切ったお腹が反り返るような状態で顔も痙攣を起こしているので口も利けないのです。その時は父進さんは「光子に次いで宏まで私より先にいってしまうのか」と言っているので、「僕はこのまま死んでしまうのか。いやいや、今は口が利けない状態だけどこのまま死んでたまるか。親父そんなな心配するな。」と思ったものです。その後も痙攣が治まらなかったのですが、看護師さんに注射を打って貰ったらしばらくして昏睡状態になりかなりの時間が経って目が覚めた時にはあんなに心配していた父進さんはいなくて養母の英子さんの心配そうな顔だけが確認出来ました・・・。

表題に『脈絡もなく』と書きましたが今回の厳しい状況に少し光が見えてきたので、45年も前の出来事が思い出されたのかもしれません。何故なら死にかけた私が大学3年の時には医学の力で復活して、今回の沢山のネットワークによって復活したのです。今回の場合は不動明王様の目に見えないお力が私を復活させて頂いたと思っています。本日は午前中は一般社団法人が承認されて初めての岐阜県老人福祉施設協議会の理事会が開催され、午後は大垣市民病院に移動してMRIの精密検査をして頂いたのですが、よくわかっていないことをするのはとっても大変な事だと言う事を明日はじっくり書かせて貰いますが、本日はとても疲れたのでリピーターの皆さんこの程度で終了しますがお許し下さい。

私のコラムが大抵は1日遅れの情報になるのは・・・。

令和4年4月18日

今は午前615分でお風呂に浸かりながらコラムをガラケーの携帯で打ってます。と言う事は、まだ本日の新しい情報は仏間に籠った情報のみです。勿論その情報の中にも色んな不思議な出会いがあるのですが、その出会いについては特別に何かがあった時にして、それ以外は昨朝も本日も『午前4時に西の空にピンクムーンを見たけどピンクではなくて白かった。』位で、とても1000文字書けるものではなかったし・・・。と言う事で本日も昨日の話題を書きます。と言うより昨日の『豚汁祭り』の話題を書きたくてうずうずしてますので、これから書かせて下さい。(ここまでが前段とは凄い話や。おおよそ300文字ですよ。長編小説でもないのに。と言うより私は長編小説など書く能力などありませんが)本題に入ります。(ここで360文字です。)

10時に水野相談員がお膳立てしてくれた寸胴への火入れの予定だったので、比較的ゆっくりと施設に行った(9時過ぎに)ところ、施設内のアパートの職員の対応でバタバタとして結果的には10時20分にお酒とお塩を寸胴の回りに撒いてから火付けをしました。火付けをして「上手く火が点いたと思ったら早々に新館の入居者さんが見学にみえたので大慌てです。つまり、火の番をしつつ椅子を並べて入居者さんが安全に座って貰う配慮をしながら元気に冗談を言ってます。一番の冗談は「寒い方は日の側に座って下さい。それでも寒い方は大鍋の中に入って貰います。」と言うと入居者から異口同音のように「鍋の中は敵わんな。ここで大丈夫や」と今まで寒いと言っていた方が椅子に座って「暖かい」の連発です。

鍋の中が釜茹で状態になったタイミングで具材をどんどん入れて、メインの豚肉を入れて、だしの素をたっぷりと入れてから八丁味噌を1キロづつ大きな入れ物に入れ、大鍋からスープをすくいおたまで交ぜて溶けた分だけ大鍋に戻すのを繰り返し、結局5キロの味噌を溶かしてもう一度しっかり煮詰めてからネギを入れて完成です。順番にギャラリーにいた入居者さんには温かいお茶を飲んで頂いた後に熱々のスープをほんの少しづつではありますが飲んで頂きました。そして異口同音に「美味しい」「お昼の味噌汁が楽しみや」と言ってフロアに帰られました。

その後、家庭用にしては大きな鍋に新館2階、新館1階、本館2階、本館1階、デイサービスと移してそれぞれに取りに来て貰いました。勿論昼食に喫茶にきた職員にも大きな鍋に入れて食べて貰いました。リピーターの皆さん。元手は大してかからない企画でしたが、沢山の笑顔と笑いを頂きました。今回の企画は豚汁でしたが、本日も雨が降ったので施設北側の竹藪にはニョキニョキと竹の子が出ていると思うので、猪や猿より早くに収穫をして(竹の子堀の名人職員がいますので)またまた、寸胴が活躍するし、タケノコご飯も楽しみにされているので、私は入居者さんと利用者さんの笑顔と笑いの為にまたまた頑張りますので、リピーターの皆さん笑顔と笑いの写真のお裾分けをしますので楽しみにしていて下さい。

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彦根市高宮町の東福寺に行って来ました

令和4年4月17日

東福寺は静慈圓前官大僧正の次男である静慈彰さんが殆ど廃寺状態だった、しかしながら由緒あるお寺を殆ど自力で再興されてご住職をされてみえて、たまたま静慈圓大僧正の事をパソコンで検索していたところ、5年の月日をかけて昨年の12月末に寺としての体裁が整ったとの記事を見つけたので、「これも何かのご縁。しかも、身内の方がこの22日に7時間かけての手術をする事になっているし、杉和会の事業がこれから上手くいくようにと言う事、そして、私も人間ドッグでの結果、精密検査をすることになっているし、あれやこれやを解決する為、そして何より昨年5月16日に盲養護老人ホーム優・悠・邑   和(なごみ)の竣工式典に静慈圓大僧正と共に来ていただいた方が立派にお寺を再興されたお祝いに行かなければとの思いで出掛けさせて頂きました。

お寺の中に入らせて頂き最初に思った事は「静慈彰さんのこだわりが至る所にあるな。しかも、資金の無い中でよくぞここまでの事が出来たな。」と言う事です。突然に連絡をさせて貰い来訪した理由を話しさせて貰うと(① お祝い ② ご祈祷)「時間はありますか。」と聞かれたので「1時間は大丈夫です。」と答えると「先ずは般若心経を一緒に唱えさせて頂きましょう。」と言う事で先ずは本尊様を前にしてお参りをさせて頂きました。静慈彰さんの後姿を見ていてつくづくお父上の静慈圓大僧正様にそっくりな体形だとおもいながら般若心経をご一緒させて頂きました。お参りをしている時に本堂に向かって左側に設置してある不動明王様のお姿が気になったのでお経が終了後、静慈彰さんが本堂を離れられたタイミングで私は不動明王様の所まで(いわゆる『内陣』と言われるところ)色んなものが設置してあるのをかいぐくり不動明王様の前でご真言を唱えさせて貰った後、私は横着に、或いは恐れ多い事だったのですが不動明王様のお姿をさすらせて貰いました。(もっともこの様な事ができたのは、静慈圓大僧正様に「若山さんには不動明王が背中についている。」と言われていたからです。これも恐れ多いことですが・・・)

その後改めて静慈彰さんから造作に対する拘りについて説明を受けました。造作については素晴らしいものにする為に寺社仏閣の解体工事の仕事に行っては解体業者の方に断って頂いてきたものを上手く活用して取り入れられているセンスは素晴らしいと感心しました。その後、ホーム炬燵に足を入れながら私の福祉の理念に対する考え方を話しすると静慈彰さんから「補助金がつくから大きな事が出来て羨ましいと思っていましたが、ブレずに実践されたから段々と大きな組織になったんですね。」と言って頂きました。そんな話をしている時にお寺への奉仕をされている女性の方がコーヒーを持ってきて下さり、子ども食堂の事や里親制度についての話をされたので、その話題に対しても私の持論を話させて頂きました。

話が一段落して帰る前に貴重なお札を頂き、4月28日に護摩供養法要があるので護魔木にお願い事を書いてお願いしてきました。きっとお願い事はお大師様が聞いて下さると思っています。なお、リピーターの皆さん。東福寺では毎月28日18時から護摩法要があり、6月15日は14時から『東福寺落慶護間摩法要』があります。(彦根市高宮町2838-8)破天荒な住職に一度お会いになるのも一考かと思いますが・・・。

2枚の写真のお話をします。

令和4年4月16日

1枚目の写真は、コロナ感染症が話題になる2年3ヶ月前までの私は「外でのお付き合いでのお酒をいっぱい飲むので特別な事(大晦日にすき焼きでお祝いをするとか、家でお祭りをしてお客さんをもてなす)(日頃お世話になっている方は勿論、職員も)とかでない限り先ずは家飲みはしない、と言う事だったので、コロナ感染症が話題になりだした頃から飲み会がないわけですのでお酒を飲まない健康的な生活をしていたのですが、流石に3ヶ月位経過した頃に「なかなかコロナ感染は治まらないし外でのお付き合いは無理な事だけど、全くお酒のない生活に耐えられない(決してアルコール中毒ではありませんよ。)と言う事で1週間に一度のペースで高級な日本酒は冷酒をビールグラスに一杯半程度、醸造酒は熱燗で飲むようにして、これも『継続は力なり』と言うのでしょうか1枚目の写真のような状態です。

約2年でほぼ10升(1斗と言った方が適切かな)コロナ感染症が収束しない限り瓶の数は増えていくし、『一人酒』ではつまらないと思っています。『早くこいこいお正月』ではありませんが、気心が知れた者同士で激論したり、大笑いをしながら楽しく飲みたいし歌も歌いたい。本当ににっくきコロナと言う事でしょうか。でも悪い事ばかりではないのです。と言うのはメチャクチャ悪かったガンマの数値がかなりよくなりましたから。う~ん。内蔵も大切だけれども精神的ストレス防止の観点でいくとお酒も必要だよー。と言う事で。

①

2枚目の写真について語ります。この写真に写っているのは蠟燭と線香の空箱です。2月の初めから色々な事で悩み苦しんで寝たと思ったら2時間もしない内に寝汗をかきその後はなかなか眠れない日々の中で、我が家の仏間に2時間水替えをしてから若宮八幡大神様での祈りと仏壇で正信偈を唱え、ウォーキングマシンに乗っての般若心経13巻を唱える毎日の中、空箱が一杯になったのをガラケーの携帯で撮ったものです。写真に写っている空箱の中には、私のコラムを読んで頂いているリピーターの方から贈って頂いたのもあります。2カ月半でこれだけ蝋燭と線香を焚かせて頂いたので、さぞや我が家の仏間は浄化された事と思います。正直私の生き様の中でここまで真剣に仏様、神様と向き合った事はなかったと思います。「仏ほっとけ」とはよく言ったものだと思います。今の状況を立て直してからも、文字通り決して「喉元過ぎれば熱さを忘れる」にならないで頑張っていきますのでリピーターの皆さん、これからも宜しくお願い致します。

②

 

我が家の祈りの部屋を紹介します。

令和4年4月15日

先ずは仏壇ですが、1間の浜仏壇です。(※『浜仏壇』とは長浜仏壇の略称だと思うのですが、豊臣秀吉が長浜城主だった事から少し賑やかな造作の中に遊び心があるように私は思っています。)我が家の仏壇は父上進さんが他界して(平成4年8月12日で30年前です。)忌明け前に滋賀信行会の内藤会長さんの内藤仏壇店から購入たものです。父進さんは「仏壇を購入したい。」と、いつも口癖のように言っていたのに実現しなかったので私が父上進さんに代わって購入しました。だから勿論父上のお金で買いました・・・。仏花はかなりしおれているのを撮ったのですがありのままです。ただし、母秋江さんの祥月命日が16日なので明日花屋さんで手に入れます。(12日が父上の祥月命日ではないか、との考え方もあるのですが、我が家は母秋江さん中心に回っていましたので・・・。)仏壇の隣に床の間があり、今は若宮八幡大神様の掛け軸と西陣織の七福神様の掛け軸が掛かっていますが、七福神様には「宝くじが大きく当たりますように」とお願いしてます・・・。

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床の間の右端には然り気無く四国巡礼の時の『同行二人』の金剛杖が飾ってあります。(この金剛杖は、四国遍路から帰ると何をするよりも最初に綺麗に洗ってから床の間に置くようにしてます。と言う事は最近四国遍路は行けてないので、かなりの期間置いたままになっているので、一度綺麗に洗いたいと思います。左隅には父進さんが叙勲を頂いた額が置いてあります。若宮八幡大神様の掛け軸は今年1年は『若宮講』の順番で祭らせて頂いているのですが、法人運営が大変な時に助けて頂いているので、次の家に引き継がれるのであれば、この掛け軸を手に入れた神社に行き我が家の掛け軸として永久にお祀りをしたいと考えています。若宮八幡大神様の水替えは榊の器と水入れです。。仏壇の方は水入れるのを一番最初に台所の蛇口での対応でしています。

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その後は花立、樒(しきみ)立ての水を洗面化粧台の所で綺麗に洗ってから水を入れています。そして、蝋燭と線香に火を点けると、この対応だけで20分以上かかります。仏壇前の椅子に座ってお経(正信偈)を唱えるのですが、布団から抜け出した時に『でんちこ』(正式には「でんち」と言って京言葉だそうです。「ちゃんちゃんこ」とも言いますが。)を着て仏間に行ったのですが暑かったので椅子に掛けたままウォーキングマシンに乗ったので椅子に掛かった状態を見て「父進さんはでんちこが似合ったな」と言う事を思い出し何故か懐かしさと可笑しさが込み上げてきたので思わず写メで撮りました。

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【蛇足】

我が家の玄関先に綺麗に咲いたチューリップの鉢があったのでこれまた写メで撮りました。このチューリップはこの3日ばかりの急激な気温の上昇で一気に咲いたようです。急激な気温の上昇で忙しく咲くのはタンポポも彼岸花もそうだなと一人で納得しています。

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リピーターの皆さん。私のガラケーの携帯で撮った写真なので適当にしか写っていませんが『雰囲気』だけはご理解下さい。

 

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