『くるま 暮らし。社会不適合僧侶の究極ミニマル生活』 を読んでの感想

昨日のコラムではほんの触りのみで書きました。本日も全部読んでのものではありませんが、私なりの正直な感想を述べる事にします。『はじめに』に続いて車中泊生活のメリットが①~④まであるのでそのまま書きます。(まるでいい加減な学生の様にいわゆる[コピペ]ですが静慈彰氏の思いと私の考えを知って頂く為に敢えてその様にさせて下さい。

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メリット①「嫌なことゼロ。・・・僕は家に定住していないし、組織にも属していない。どこに行くか、何をして何をしないか、全部自分で決める。嫌なことから逃げる僕を、責める人はもういない。」

(私のコメント)何をしても絶対に嫌な事はありますよ。完璧に自分の思う通りになる事なんて無いですよ。自分の責任に於いて行動しているから誰も責めないだけ。自己完結はめっちゃ大変だけど、きっと慈彰氏は世人が大変と思う事を大変と思わない凄い方何だと思いました。

メリット②「週休5日。・・・家賃や宿泊費が不要。電気、ガス、水道、家の維持費も不要。自炊が基本。車のキッチンで飯を炊き、肉を焼く。だから僕は、週に2~3日しか働かない。平日の昼寝は気持ちが良い。」

(私のコメント)たまの休みに昼寝をすると『幸せ』と思う瞬間はありますが週に3日も4日もあると私の感覚では辛くなると思います。だって『趣味は仕事』と言っている人間だから。

メリット③「僕の車は狭いけれど、そのぶん自然との距離が近い。自然は僕を傷つけないし、僕が傷つけることもない。優しい雨音を聞きながら、僕は瞑想する。」

(私のコメント)閑静な所でのんびりと過ごす瞬間には『幸せ』も感じますが毎日だとそのように感じるかと言うと正直自信がありません。

メリット④「人や社会の中にいると、疲れて心が荒んでしまう僕だけど、こうして車の中に1人でいると、人恋しくなってくる。優しい気持ちになってくる。きみと笑い合える。」

(私のコメント)私は火中の栗を拾いながらひと時の充実感を楽しんでいる生き方なので慈彰氏のような生き方は出来ない。でも、笑い合える同志は多い方が良いと思っている。

48ページに『生きている実感』の中で「車中泊生活は、基本的に不便なものだ。いつでも使用可能なトイレがあるわけでもない。洗濯機もないそシャワーもない。電気、ガス、水道もない。夏は暑いし、冬は寒い。(少し略)それでも、毎日が楽しい。なぜだろう?「生きている実感があるからだ。文明社会で快適な生活に浸っていると、気付かぬうちに生きる力が弱っていく。電車が止まった時には「なんとかしろよ!」と駅員にわめくことしかできなくなる。自分でコントロールできることができなくなる。自分でコントロールできることが、いかに少ない事か。世の中は便利になった分、複雑になりすぎて、かえって不便になっているようにも感じる。車中泊生活は自己完結しているので、そうしたストレスもない。その反面、誰も助けてくれない。(少し略)良くも悪くも、自己責任」

(私のコメント)最後の『自己責任』の言葉をとっても重く感じました。つまり、自由人でいる為には我慢や手助けを求めない自信が無ければ出来ない。私はとても出来ないので私は私の生き方で行きます。私もこれでしんどい生き方をしていると思うのですがリピーターの皆さんはどう思われているのかいずれ聞かせて下さい。

※静慈彰著『社会不適合僧侶の究極ミニマム・・・くるま暮らし。』2018年12月19日発行。発行所「株式会社飛鳥新社」です。興味のある方は是非ご購読を。

 

静慈愛彰(しずか じしょう)氏に会いに行きました

令和3年6月4日

静慈彰氏は静慈圓大僧正の次男であり現在は20年間無住だった彦根市にある『東福寺』の再興に尽力されていてるのですが、19歳の時には家に1年間引きこもりの生活をされたり、『車での生活』を4年間されたりと、凡人の私では経験出来ない生活をされて、今は不惑になられてもなお、自由人として自分自身の姿を追い求められている希有な方なのであります。今回でお会いするのは4回目なのですが、本日は本音トークをしっかり聞いてきたのでお話します。本日は優・悠・邑   和(なごみ)の竣工式前日には仏壇のしょうね入れを静慈圓大僧正と共にお経を唱えて頂き、竣工式当日は静慈圓大僧正の書のパフォーマンスの介助役をしていただいたお礼に滋賀信行会の内藤会長のの案内で行きました。車をお寺の駐車場に入れると慈彰(じしょう)さんが出迎えてくださり本堂(多分)から上がろうとすると足の踏み場もない状態に驚きましたが、慈彰さんは慣れた様子で振る舞われて取り敢えず本尊さんが見えるところに行くと、しっかりと思いを語って頂け私は思わず「器用な方だ」と感心しました。雑然としたなかではありましたが台所はきれいに片付いていて客室の部屋もアンティークな思いを和洋折衷に改装されていて、床の部分には自分で描かれた大きな鯉が何匹も描かれていて色んな才能の持ち主であることや、お客さんを招いた時の遊び心が至る所にあり感心するばかりでした。私も若い頃(26歳から38歳まで)児童養護施設の指導員だった経験談を話をして、慈彰さんの車生活の4年間や今の改修にかけら れる思いや人生観に共感したり反感を持ったりするやり取りであっと言う間に時間が経ち、帰り際には慈彰さんが書かれた『くるま暮らし。』(社会不適合。究極ミニマル生活)の表題で裏表紙に「お寺を3回クビになり、元妻から逃げ続けて離婚、何もかも嫌になり、車に乗って旅に出た。そのまま、どこにも帰らなかった。もう何にも縛られない。僕は自由だ!」と書いてありました。本日はそのまんまの慈彰さんにお会いしてカルチャーショックと共に自己責任の重さを改めて知りました。いっぱい描きたいけど限界ですので、本の紹介共々明日にしますので、リピーターの皆さん。明日のコラムを楽しみにして下さい。

視覚障害者福祉協会のからの取材がありました

令和3年6月3日

午前には予算の流れを見て頂いている税理士の岩田先生に銀行への追加融資に対する相談に行き、理事長としての重い決断をしなければいけないし、今の厳しい予算だてを乗り切るのは並大抵で無いことを理解して心は沈みながらも法人設立前の厳しさを思いだしながら自分自身を叱咤激励していたので昼食は砂を噛んでいるような(決して、コロナによる味覚障害とは違いますから)気分でしたが、14時に視覚障害者福祉協会の取材を優・悠・邑   和(なごみ)で受ける事になっていたので車で移動して待っていると視覚障害者福祉協会の山田会長が担当者の方の運転で降りてみえたので、私のギアを3段階位上げる事にしました。いつも感心するのですが山田会長は明るい雰囲気を醸し出して下さるので、正直勉強になるし尊敬してしまいます。

喫茶室に案内して椅子に腰掛けて頂くと早速に山田会長が「爽やかな風が入ってきて本当に気持ちが良いです。」と褒めて頂けたので空気が一気に和んだように感じました。その後、録音の準備が整い、視覚障害者福祉協会の担当者の神(じん)さんから「上手く話が出来なかったりしたら、言って下さったらいくらでもガットしますので」と言われたので私は思わず「マイクがあってもなかってもどんどんと話をしますので大丈夫です。」と話をして笑いを誘いました。

神さんからの質問に答えながら話をして、時には山田会長が話をしてくださり順調に取材が出来たんだと思います。予定の時間よりもはるかに早くに取材は終わり、話しは養護老人ホームの措置制度の不十分性について、私の持論を話させて貰いました。私は今月14日に全国老人福祉施設協議会代議員総会で正式に副会長になったら、措置制度の不十分性についてしっかり整理していくのも私の使命と考えています。その他にも山田会長から「こんな素敵な施設なので、多くの方になるべく早く入居して貰って幸せな暮らしをして貰えたら良いですね。」と言われたので私は「ハードに負けないソフトの充実を心掛けて素晴らしい施設にしていきたい。」と話をしました。

全てを終了して、玄関先までお送りしながら私は「今は10人の入居者だけれども、本日のように色んな方々の理解を得てなるべく早くにしっかりとした運営ができるようにしたいと考えていますので、リピーターの皆さんからも口コミへのご協力をお願いいたします。

《追記》山田会長から点字の袋に入った冷酒を頂きました。竣工式の時にも私の誕生日と言うことで冷酒を頂いたので私の事をよっぽどの酒飲みと思われているようです。実は山田会長に「私はお酒を飲んで歌を歌って話が出来た。」と軽口を言ったのを覚えてみえたとすると『口は災いのもと』と言うことか・・・。でも、私の好きな冷酒を持ってきて頂けるのは有り難い事。こうなったら『酒の利き酒』が出来るくらいになってみようかな。

見つかってしまいました

令和3年6月2日

新規事業の支払い計画についての打ち合わせを急遽11時から経理等をお願いしている税理士の岩田先生に本部施設まで来て頂いてしたのですが、12時をはるかに超えて熱のこもった話し合いをしていて、かなり話の内容が重いものだったので、打ち合わせが終わって直ぐに昼食を食べる気分になれず、昼食を食べる事なく、結局13時30分からの全国老人福祉施設協議会のリモートによる会議に参加しました。平石会長の挨拶の後は令和3年度から2年間の各委員会の三役を決める議題から始まりました。叩き台は平石会長が悩みに悩まれた末に本日の会議に間に合うように提案されたのですが5人の副会長からの意見を聞いた上で最終的に決める事になったのですが、今回からは役員の候補者は都道府県会長の推薦者の中から決める事になったのです。

と言うのは、私が5月末まで勤めていた総務・組織委員会で全国8ブロックの役員による懇談会で『役員の決め方に一本釣りは良くない。』との意見が多く提案された結果としての決め方です。確かに『一本釣り』では片寄った人選に陥り易く、活性化もしにくいので、今回の決め方は良い方法だと思います。しかしながら、5人の副会長はそれぞれにしっかりとした考えをお持ちなので簡単には決められないし、結局本日だけでは決める事が出来ませんでした。

議題が進んできて、15時前になり、私は急激にお腹が空いてきました。そこで、行儀が悪いし失礼な振る舞いだと言われても仕方がないのですが、私は平石会長が一生懸命に議案の説明をされているときに、事もあろうに職員がお茶とドーナツを用意してくれていたので、思わず大きな口を開けてドーナツを食べて口の周りに白い粉がついたので、手で口の周りを拭っているのを平石会長がしっかり見ていたのだと思います。「若山さんが饅頭のような物を食べて白い粉がいっぱい口に付いているし1時間30分が経過したので10分休憩を取り15時10分から再開をしたいと思います。若山さんは休憩時間にゆっくりと饅頭を食べて下さい。」と言われたので私は思わず「昼食を食べていなかったので行儀の悪いことをしてすみませんでした。ところで会長。私が食べていたのは饅頭ではなくてドーナツですから。」と照れながら話をしました。16時30分過ぎに会議が終了してからの話ですが昨日コロナワクチンの予防接種の2回目が行われたのですが、入居者さんは全くと言って良い程に影響はなかったのですが、若い職員二人から38℃以上の熱が出ているとの報告。と言うことは若い方の方が予防接種の影響を受けやすいのかもしれないので、若い人は注意して下さい。但し、注意して下さい。と言ってもリピーターの皆さん何を気をつけてたら良いのやら。

1回で結論を出すのは早いけど

何日か前に見たテレビの番組の中で『運動をするのならば朝より夜の方がより効果がある』と話していたのを何と無く見ていたのですが、昨日は朝の目覚めが良くなかった事もありいつものように歩けなかったし、お経を唱える事も出来なかったのですが、昨夜は18時に関ケ原斎場へ地元の方で仲良くさせて頂いている方のご生母が亡くなられた通夜があり(98歳)本来は19時からなのですがコロナ対策として1時間早くにいかせて頂き親しくご挨拶をさせて頂き、そのまま家に帰らせて頂いたら18時30分だったので、スーツから普段着に着替えて30分ウォーキングマシンで歩きながらのお経を唱えました。その後にお風呂と夕食を済ませたのですが、取り敢えず昨夜はしっかりと眠れて本日の青空のように爽やかな気分でコラムの原稿を打っている次第です。

本日は9時に眼科の予約がしてあるので、早くに施設に帰る為に早くに家を出たいと考えていますが、とにかく本日も18時過ぎには家に帰って歩きながらお経を唱えて爽やかになり、効果の程を確かめたいと考えています。

9時からの予約だったので8時40分には病院に着き受付を終えて眼科の待ち合いに行くと直ぐに呼ばれて検査をして頂きその後瞳孔を開く点眼をして貰い主治医に検査結果を聞くと手術後は順調に回復しているので半年後に見せに来たら大丈夫との事なので、正直安心しました。

午後からは日本介護支援協会理事会があり、私は監事監査の報告を監事としてしなければいけないので、昼食後は事務局と打ち合わせをしっかり行い、報告後に監事として今後なたいする意見もしっかり述べさせて頂きました。

さて、本日は予定通り18時には家に帰ったので、これまた予定通りにウォーキングマシンで歩きながらお経を唱えて汗をかき、ゆっくりと湯船に浸かりたいと思いますが本日は『予定は決定』になるのかは後のお楽しみ(別にリピーターの皆さんは楽しんでないか)でも、予定通りに行かない懸念もないわけではありません。と言うのは私がリモートでの会議をしている時にコロナの予防接種の2回目の1グループ目が実施されたのです。2回目の予防接種は1回目よりもアクシデントが多いと聞いているから。でも、心配ばかりしていても何ともならないので、これから歩いてお経を唱えてきます。その後の報告は夕食後に致します。

やはり夜間の歩きながらお経を唱えた方が汗が沢山出ます。朝はゆっくりのパターンだと、余裕を持った生活になるように思います。とにかく、継続は力なりですので、このまま頑張ります。

(追記)本日早くに帰宅したのは本日新館の入居者さんがコロナワクチンの予防接種をされたので、夜に多くの方が熱を出されると職員も大変だから何かあった時に施設に行く為の待機だったのですが、21時現在は熱を出されたとの報告はなしだから、のんびりとしていられるのです。

2枚の写真から見えてくるもの

令和3年5月31日

3月31日を持って廃止になった養護老人ホームで目が点になった写真です。写真に写っているように『腐食による水漏れが発生するため 「使用禁止」(太い字で)』その下には『水漏れするので給水しないこと。漏電注意! 電源を入れないこと』の文字を確認したからです。確かに4月1日からは社会福祉法人杉和会が、331日まで生活されていた方を新設施設が開設する5月20日まで使用許可を頂いての使用だったのですが、3月31日に故障をしての親切な張り紙を貼られたとは思えないので、私的には正直ずさんな管理がまかり通っていたのだと思ったしだいです。だってリピーターの皆さん。そう思いませんか。養護老人ホームは比較的元気な方が入居されていますので、『万が一』を考えると結果的には何も無かったのでワイワイ言う事ではないのですが、当法人の考え方では「使用しなくなった段階で撤去」の対応だとおもいました。

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2枚目の写真はリピーターの皆さんの中では「何の為の写真だ」と不思議に思われる方も多いと思いますので、しっかり説明します。これは私が先週の土曜日に行った病院での写真です。そこには、『血圧測定コーナー』と大きく書いて掲示されている張り紙は何処に貼られているのかをリピーターの皆さん、しっかり見て下さい。特に見て欲しいのは右下の所です。右下の所は何の上に貼ってありますか。リピーターの皆さんの中には分からない方もあると思いますので敢えて説明します。右下に写っているのは窓開けが出来る様になっている排煙口を開ける為の操作が出来るものなのです。張り紙がしてあって何ら問題なしと言う事は折角の機能を使ってない。あるいはその機能の存在すら理解していないと言う事でしょうか。

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今般のコロナ感染症予防の為に「しっかり換気をするように」と言われている時ですよ。勿論土曜日は天気も良かったので窓開けをするには良い条件が整っていたのに、張り紙がしてあると言うのは論外ですけどね。1つの現象(今回は2つですが)でこんなにくどくどと書いてしまったのは最近つくづく『こだわりのない方』『疑問も持たない方』が増えていると思うからです。そう言えば私が大学時代にマルクスの資本論を読んで色々な事を論じて熱くなっていましたが最近の報道で資本論関連の本が売れていると言うのは良い傾向かも知れませんね。

 

昨日の報告から

昨日のコラムで『病は気から』と書いて『結論』の無いままになっていたのをリピーターの皆さんの中で気がつかれた方があったとしたら、その方は私のコラムをこよなく愛して頂いている方なのだと思いますのでとりあえず感謝申し上げます。(そんな方はいないか)実は関ヶ原診療所に行きかかりつけ医師から血液検査でCRP(炎症反応)の数値がかなり高いと聞いて「どこが悪いのか」と不安になりだした瞬間から体調がおかしくなり早くに家に帰って静かにしていたのですが、夕食後は頭がガンガンしだして・・・。取り合えず夕食後は横になったのですが体が熱くなったり、寒くなったりで、布団を取り替えたりしながら水をいつも以上に飲んだりして何とか朝を迎えたのですが本日は朝の予定は全て止めて(とは言え朝食は食べましたよ)9時30分から優・悠・邑   和(なごみ)の隣に建っていて、当法人が事業を引き継ぐ為に事業廃止になった擁護老人ホーム西濃西風園にある備品等で使える物は優先的に持って言って良いと言われているので(と言うより持って行かなければ廃棄処分になる)北島部長と水野相談員が軽トラとキャラバンに積めるだけ積むことにして、机や椅子を中心に運ぶのを見守りました。廃棄処分にするにはまだまだ使える物が多くあり、廃止になることがわかっていたならもう少し計画的に購入して貰っていたらと要らんお節介根性をだしている私です。このような事を考えれるのは昨日よりも体調が戻ってきた証でしょうか。13時30分からは家族会長さんが来て頂いての誕生会があり、本館1階、2階、新歓1階、2階と順次回って、5月が誕生日の入居者さん11名のお祝いをしました。本日の最高齢者の方は大正生まれの97歳の方だったのですが、改めて思ったのは生年月日での年齢はともかく、歳の取り方は個人差があるなと思いました。4ヶ所全てのエリアを回り家族会の吉田会長と共に本館1階の会議室に戻り、吉田会長さんと二人で杉和会設立前の話で盛り上がりました。吉田会長は私が生まれ育った今須の地で老人ホームを設立すると言う熱い思いを誰よりも理解して頂いている方なので話しは25年近く前の厳しい状況を陰に陽に支えて下さった方なのですが全く恩を笠にされる事は一切なく、偉ぶった所も一切無い方なので何か恩返しをしたいのですが、恩返しをするどころか、優・悠・邑   和(なごみ)でも、自分が自営をされている建築業を生かして色んな形で協力して頂きました。『対価を求めず労を惜しまれない』吉田会長の生きざまを手本として、これからも頑張っていきますのでリピーターの皆さんこれからもよろしくお願いいたします。

不思議な現象・・・いやいや、そういう事か

令和3年5月30日

昨日のコラムに書いた事を『有言実行』しました。(そんなに大げさな事ではありませんが)本日は朝5時に起きて先ずは仏壇のお花の水を替えてリットの餌をやり、(餌が欲しい時はうるさく甘えてくるのであります。)ウォーキングマシンで歩きながらお経を唱えて(30分)お風呂の湯船に入ってからガラケーの携帯機能の万歩計の数値を確認すると『3229』だったので、昨日までの記録に興味が湧き確認するとコロナの予防接種の為に朝の運動を控えた3日間の記録は『1653』『1977』『2614』でしたので、予防接種前の記録はと言うと『7983』だったのです。この数字を見ていていろんな事を思いました。7983(接種前の記録)―3229(本日の朝の記録)=4754になるのです。ところが、予防接種後の1日の歩数は30 00歩に満たないのです。と言うことは予防接種後の3日間はほとんど活動らしい活動をしてなかったと言うことなのです。

でも、仕方がないか。私は『インフルエンザ予防接種恐怖症』であり、もともと虚弱体質だから。もっとも、本部施設の職員も予防接種日とその翌日は基本的に休みにしてるにも関わらず私のスケジュールは予防接種の日は法人の監事監査や理事会があり、翌日は10時から断続的に打ち合わせがあり19時から全体会もありました。、その次の日はリモートでの会議があり、その次の日である昨日は岐阜県福祉会館まで車を運転しての会議があったわけで、予防接種後もそれなりにやるべき事をしていたわけで、小さかった頃の事を考えると『ヒロシ君エライ』と言う事になるのでしょうか。

と言う事は少々、いやいやかなりお腹がぽっこりではありますが、ガンマ何とかがかなり数値が高くても頑張れているから良いのか等とわけのわからない理屈をこねている私であります。しかしながら、朝はしっかり歩けた私ですが午前中に関ヶ原診療所へ行き血液検査をして頂き(2ヶ月に1回程度の通常の事ですのでリピーターの皆さん安心して下さい。✳心配なんかしてないか)ガンマや中性脂肪の数値がやや低めに出ていて「よしよし」と思っていたら、先生が「CRPが6.6もあるのは気になるね。もしかしたらこれから熱が上がるかも知れないので念のためにクラビットを処方しておきます。」と言われてなおかつ「明日と明後日は休みなので何かあったら他の病院にかかって下さい。」とだめ押しのように言われたのは違和感と共に不安にもなりました。『病は気から』ではありませんが何と無く気が滅入り一旦は施設に行ったのですが、本日は家でゆっくりさせて貰っています。

足元がふら付きます

令和3年5月28日

5月25日の火曜日にコロナの予防接種をして貰い、私はインフルエンザの予防接種を受けて大変な思いをしたので多賀先生に打って頂いた時には全く痛く無かったのですが、「お風呂は短めに」とか「激しい運動は控えるように」との注意事項を守る為(そんな時は小心者の私は忠実に守るのです。)いつもは「お風呂が一番のリラックスなのでコラムを打ちながら1時間近く入るのですが、25日からは『烏の行水』程度にしか入らないので、私の奥様かをり様からは「本当に入ったの」とばかりの目でみられてしまいます。「激しい運動は控えるように」との注意をしっかり守る為に朝5時前に起きてのウォーキングマシンでの歩きとお経を中止していて、朝の日課が水・木・金と出来ない事によって・・・。実は足元がふらつくのです。

常日頃職員や家族の方に「高齢者である入居者さんには出来るだけ活動的な生活を送って頂くことによって可動域の確保をしなければいけない。3日も寝たきりの状態が続くと動けなくなって元通りの状態にするのは難しいし日にちがかかる。」と熱く語っているのですが、まさか私も僅か3日間朝のウォーキングマシンによる歩きとお経を止めただけで足元がふらつくとは思ってもいませんでした。でもよくよく考えるに、私がウォーキングマシンでの歩きとお経を始めたのは4月4日からです。この日から始めた理由は盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)の建設状況を毎週見に行くようになり(現場打ち合わせに合わせて)もたもた歩いていると岐建の高橋監督がさり気無く手を取ってくれるのを半ば恥ずかしいと思いつつも何ともならないジレンマに襲われていたのです。

そんなこんなで44日から始めて、確かに足の動きは良くなったと言う自覚があったのですが、まさかコロナ接種をして3日間出来なかっただけでこんな状態になるとは・・・。私は元気だしお酒の量でもカラオケでも若い子に負けないのと同じ様に何もかも大丈夫だと思っていたのに・・・。だけども、私にはまだまだ回復力はあると思うので明日からはウォーキングマシンでの歩きとお経を復活させます。朝一で歩くと確かに体はシャキッとしますし、体のメリハリも出来ていたと思うのです。

昨日のコラムで書いた様に1000日以上書き続けたので驚異の100万字を達成して本日も継続出来たので、心身の充実は元気の源だと思うので、これからも心身ともに頑張つて、少なくてもあと30年は私の責任で借り入れの返済をしていかなければいけないので、リピーターの皆さん。今まで以上のご支援を宜しくお願い致します。

※本日も1100文字をクリアしました。「宏クンは偉い」と自分でも誉めたいと思っています。(なんのこっちゃ)

 

 

岐阜テレビで放映されたのを法人ホームページでアップしました

5月21日の19時30分からの番組の中で盲養護老人ホーム和(なごみ)の竣工式から理事長の思いや施設内の紹介までして頂いた6分50秒の番組を岐阜広告からメールで送信して頂きホームページにアップしても大丈夫だと言う事で、早速パソコンが得意な優・悠・邑   和合の加藤事務係長心得(6月からは係長)に『新着情報』のコーナーにアップして貰い、私自身も改めて自分のパソコンで確認をして、改めてパソコンの画面いっぱいに映っているのを見ました。

(こちらからご覧になれます→「優・悠・邑 和(なごみ)」の紹介動画をアップしました! – 社会福祉法人 杉和会 (sugiwakai.jp) )

私は常に『広報活動により組織を強くしていく』と考えていますので、今回の岐阜テレビでの当法人の企画もその一貫です。私がホームページへ参加するのは『理事長コラム』のコーナーなのですが、常日頃から職員には『継続は力なり』と言っているので、私も理事長コラムのコーナーについては毎日掲載するようにしていて、少しずつリピーターの方が増えてきているのを励みにしていますのでリピーターの皆さん、改めて毎日のご購読よろしくお願いいたします。

さて、当法人のホームページが全面リニューアルをしたのが、平成18年でその時から『今日の優・悠・邑』『今日のえりかの里』が毎日発信され、平成26年からは『今日の優・悠・邑    和合』が加わり近々『盲養護老人ホーム和(なごみ)もしっかりとした体制で参画する予定です。この『継続は力なり』の効果の程は具体的には、平成26年に事業開始をするために平成25年7月に新聞折り込みで大々的に職員採用の募集をした時にはアクセス数は飛躍的に伸びその後も10月と翌年1月にも新聞折り込みを入れて(1回当たり約16万枚)その都度ホームページのアクセス数が伸びて介護人材がなかなか集まらない状況で一人の介護人材を確保するのも難しいと言われている状況の中でありましたが、7月から開始をした面接は翌年の1月までに300人を越し、80人の職員を採用する事が出来ました。

私が理事長コラムを毎日書くようになったのは2018年の8月24日からですので今年の8月23日を迎えると丸々3年になります。毎日のコラムの文字数も徐々に増えて今では当たり前のように1000文字を基本的には越えるようになってます。今、私の中でウズウズしています。それは2018年8月24日からでおおよそどの位の文字を打ち続けたかを計算したいのです。2年分で365×2+1(閏年があるから)=731です。そこから8月は残りの8日、9月は30日、10月は31日、11月は30日、12月は31日、1月は31日、2月は28日、3月は31日、4月は30日、5月が本日27日ですから8+30+31+30+31+31+28+31+30+27ですので8月24日からを足算すると277日ですから丸々2年の731日と8月24日から本日までの277日を足すと1008日になるので1000文字×1008日をすると1000008文字になるので何と百万字を越える数字になります。

自分でも驚きですし、小学生の時には百文字を書くのもなかなかだったのでリピーターの皆さんも思いませんか。「えっ。何をかって」『千里の道も一歩からと』不十分な事もやり続ければ形が整ってくると。誰かが手を抜くと叶わない事が出来て来ますが、逆に小さな一歩をやり続ければ形になると信じてやりきろう。これは今の本部施設本館1階の事なのですが、きっと私が阿修羅の如く立ち回らなくても必ずや形にしてくれると信じています。✳最後の所は極一部の職員にしかわからないものになってしまいましたがお許し下さい。

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