コロナの予防接種の2回目をしました

令和3年6月15日

当施設の予防接種は入居者さんと職員と委託業者の従業員を3組に分けて2回目の予防接種の最終が本日で、私もしていただく事になっていたのですが、昨日全国老人福祉施設協議会の理事会で正式に副会長として承認して頂き、さっそく本日常任理事会が開催されしかも、開催時間は10時30分から16時まで(昼食休憩は12時~13時)と言う事で予防接種の為に多賀先生が施設に来て頂く予定は13時になっていたので、会議の進行を妨げ無いために多賀先生の車が駐車場に着くのを待って予防接種を一番に接種して頂けるようにお願いして、多賀先生と一緒に接種会場に行き(本館1階と事務所から一番近い場所だったので助かりました。)申し訳なかったのですが、順番待ちをされている中を優先的に一番に打って頂きました。打って貰って直ぐに事務所に戻り常任理事会のリモート会議に参加させて頂きました。

午前に引き続き事務局に作成して頂いた議案についての承認を粛々として14時過ぎからは事務局の方々に退席しと貰って委員会のメンバーについて各都道府県会長さんから推薦のあった方々の希望も入れての委員会の配置決めを時には各都道府県の会長さんのご意向や確認をしながら決めていき、何とか予定時間の16時に常任理事が終了して最後に石川顧問の挨拶でリモート会議を終了しました。その後会議の中で連絡する役割を頂いていた所に連絡をして、その対応報告を平石会長にしたら、流石にどっと疲れを覚えましたし、2回目の予防接種をした事を思いだし16時30分と早い時間でしたが家に帰らせて頂きました。

と言うのも今回のコロナの予防接種は2回目の方が色々なアクシデントが出る確率が高いと言う事で現に熱を出したりして休んだ職員がいると言う事で予防接種をする職員については予防接種の当日と翌日を基本的に休みにするシフトにしていたのですが、私は本日も明日も会議等があり休む事が出来ないと言う事で早く帰らせて貰ったわけです。今は17時54分ですが今のところ腕が痛くなったり熱が出たりしていないので大丈夫かとも思うのですが、私の場合は『忘れた頃』かもしれないので症状がでる前にとコラムを打ち、打ち終わったらお風呂に軽く入り夕食をとり、早くに就寝します。どうです。リピーターの皆さん。私の心掛け素晴らしいと思いませんか。

週刊現代6月12・19日号の記事から

令和3年6月14日

『行かなきゃわからないことだらけ』のコーナーの中に『こんな施設は疑え』の記事でコロナ接種を2回終えたので『老人ホームの見学に行きたい』と言う事で見学に行く時の留意点が書いてあったのでその記事に基づいてその都度コメントをしていくことにします。『まずは玄関口での体温測定だ。{※当法人ではコロナ対策以前から外来者には非接触体温計を用いて職員が対応していました。職員についてはタイムカードと共に非接触体温計で計り記録しています。但し、コロナ対策の補助金を活用してサーマルカメラを購入して外来者には活用しています。}ここでは、ただ測定器が置いてあるだけではなく、ちゃんと横で職員が見張っているかをチェックする。

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{※見張っているのではなく第一印象としての声掛けが大切だと考えています。}「建物に入るとき、マスクを交換させる施設や消毒だけでなく手洗いを要求する施設は感染予防意識が高い」{※予防意識が高いと言うよりリスクを考えれば当然の事だと考えています。}一度に見学できる人数を2人などに絞っている施設もある。これも、感染対策に気を配っている証拠だ。面倒と思うかもしれないが、むしろ「注文の多い老人ホーム」程、優れた施設といえる。』{※注文の多い施設と言われた事はありません。}(中略)『現場でしかわからないことの最たるものがスタッフの態度や話し方。すれ違った時に気持ちよく挨拶してくれない、職員の表情が暗い施設は、人手が足りず過酷な労働環境におかれているかもしれません。』{※気持ちよく挨拶するのは当たり前の事だし、過酷な労働環境と言うのも意味が分からない。経営者としての視点で論ずるならば、人材は確保すると共に資質向上を図ることに尽力してその為の費用を確保する事が肝要だと思います。

当座の利益ばかりに目がいくと判断を見誤りかねない。ちなみに、本部施設の職員の平均勤務年数は10年を超えている。年数が長ければ良いと言う事ではないが年数が長ければ緩やかは進歩であっても力を付けてくると思います。単に利益を追求すると単なる作業を従業員に求め、『忙しい』の感情は笑顔を失くしてしまう最大の要因だとも言えます。人間である以上『感情』を持っています。だから、時には暗い感情になる事もあると思いますが、入居者さんにとって職員が暗い気分のまま勤務についたとしたら迷惑な話です。施設に入った瞬間からは『笑顔』を絶やさず、『相手の身になって』を心がけて快適に仕事が出来る環境を築いていくのが理事長の役割。だからストレスでお腹が張っても笑顔を絶やさずと今日も頑張っているのですがリピーターの皆さん、こんな考え方は古いのでしょうか。

 

コロナ禍で変わったきた事と見えてきた事

令和3年6月13日

昨日の岐阜新聞の朝刊の一面に病院に入院していた方が面会も出来ない状況の中で家族の協力を得て病院を退院して在宅医療に切り替えて『家に帰ったら笑顔が出て食事がとれるようになり顔色もよくなった。』との話しも紹介されていました。

その時に思い出したのは、私は平成10年から特別養護老人ホームの事業を担うようになり入居者さん、その家族や身内等との関わりの中で色々な事を教えて頂きました。今は嘱託医の多賀先生が夜中でもきて下さるので看とり対応も出来るので、息を引き取られるところまで(いやいやもっととことんです。ちなみに今月22日には供養歳を行います。)お世話させて頂けるのですが、嘱託医が関ヶ原病院の時には救急車で行くしかなかったのです。

(15年以上前)関ヶ原病院の当直医の先生が「こんな状態になってから連れてこられては手の施しようもない。施設はどんな対応をしているのだ」と言われているのを家族の方が聞かれて、長男さんが「施設では手厚い介護をしてもらっていたのだし、病院が施しようがないと言われるなら施設に連れて帰り最後までみて貰います。」と言われたので施設の責任者である私は家族の方に「今夜にでも亡くなられるかもわかりませんので、しばらくは施設に家族の方がいて下さい。」と話をして施設に帰っきて、家族の協力も得てお世話をさせて貰っていると、不思議な事に食事も少しずつとれるようになり、1週間もすると目力も出てきて、長男さんも仕事の関係で神奈川に帰ると言われたので「厳しい状態になったらきて下さい。」と言うと「次男は鹿児島からでも駆けつけますし三男は関ヶ原町内ですから、体制を取ります。」と言われて何度が厳しい状態になったのですが家族の方がきて「頑張れよ」と言って下さると復活される事があり、救急車で行かれてから1年以上施設の生活をしていただけました。

施設は自宅とは違いますが家族の協力も得ると理屈ではわからない力がある事を知りました。昨日の岐阜新聞の記事では在宅診療によって素晴らしい展開が出来た事の紹介ですが、コロナ禍で面会も出来ない状況の中での逆転の発想ですが、確かに今は家族の面会やボランティアの導入を規制している状況なので、入居者さんに対しても家族の協力もボランティアの導入が出来ない分、楽しみも希薄になってしまうのですが、当施設の職員は苦労しつつも頑張っていてくれてます。と言う事で在宅診療で頑張れる方が掘り起こせた事実と共に介護施設も頑張っている事にもスポットを当てて頂けると良いと思うのですがリピーターの皆さんはどのように思われますか。

 

ほぼ1ヶ月遅れの誕生会です

令和3年6月12日

リピーターの皆さんならご存知の事と思いますが私の誕生日は5月16日で今年に限っては優・悠・邑    和(なごみ)の竣工式と重なり、めでたく68歳の誕生日は無視されたようになっていたのです。先般、本部施設に長男が来た時に私の方から私の誕生日の話題を持ち出しました。自分の事は後回しの最後になるスタンスの私としては非常に珍しい事なのであります。ただし、それには隠し味のような理由がありました。それは、長男がこの6月から優・悠・邑    和合の副施設長に昇格させ、より責任ある立場にするにあたって、長男の嫁がより内助の功をしなければいけない事を伝えたいと言う狙いがあったからです。

私が今のようになったのは正直、無納税者だった6年間を必死に支えてくれた私の奥様かをりさんがあってだと思っているから。私の奥様かをりさんはさりげないサポートをしてくれる存在だったから今の私がある。立場が上がれば上がるほど『責任の重さ』は増していく。しんどい時に愚痴を言わず黙ってサポートする嫁であって欲しいとの願いを伝えたいとの思いです。今は非常事態宣言が出ている状況なので外食ではなくて、我が家での会食会なので料理の手配はこちらで整えなければ行けませんが久しぶりに孫の翔(かける)にも会えるのを楽しみにしてお寿司と鰻を買って帰ると丁度長男一家ぎやって来たのでその勢いで翔と二人でお風呂に入りました。

一回目はかなりまえだったので、その時はお風呂でおもちゃを使って遊んでいるばかりだったのですが、本日は頭にシャンプーをつけてしっかり洗うことが出来たのには驚きましたし成長の早さには感心してしまいました。5人で食卓を囲み、先ずは私の誕生日を祝う為に乾杯ビールでをして、ビールを飲み干してからは福井の皆川さんから頂いた『夢は正夢』の封を開けて長男につぎ、改めて副施設長に昇格したお祝いの乾杯をしてから長男夫婦にそれぞれの覚悟の言葉を手向けました。

そして、来年4月から小学に入学する孫の翔がいなり寿司を美味しそうに頬張っているのを完璧に『じいじ』の顔で見ていました。昼間は何となく体がだるくて集中力がなかったのですが、孫の翔のパワーを貰えたので明日からは頑張りますのでリピーターの皆さんこれからも宜しくお願い致します。しっかり食べて飲んだ後にだめ押しのようにケーキを頂いたのでお腹がはち切れそうですが、何とかコラムは書けました。

眠い中でやることは良くないです

昨日のコラムは少しだけは朝の時間帯に書いたのですが(朝の段階でテーマが決まっていると原稿の進みが良いのです。)最終的には夕食を終えてからになり、最後の方は無理やり絞り出したような感じで(読んで頂いている方にとっては失礼な話ですよね、全く)字数が少なかったとの思いが送信したタイミングで頭をよぎったのだと思います。

そこでガラケーの携帯で梅ちぎりをして私が籠一杯になった写真をとっていたのを思いだし送信して宿直者に写真も入れるようにお願いした後は午前2時まではしっかり寝たのですが、その後は色々な事を考えていてなかなか眠れず(四時間はしっかり眠れたので良いのですが)何となく昨夜送ったメールの確認をしていてビックリです。

何故ならば昨夜の私のコラムを読まれた方はおわかりだったかと思うのですが昨日の写真は前回(6月6日)梅の収穫をした後のデイサービスでの様子を私が撮ったものだった事に気が付きました。だから改めて私がお見せしたかった写真を提示して重ねてお詫び致します。

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それにしても、眠い中の作業は良いものにならないと言う事の証です。これからは頭がしっかり働いている時間帯に書くようにしますのでコラムを読んで頂いている方、これからも宜しくお願い致します。(ここまでは朝起きる前の布団の中で書きました。後は昼間の展開です。寝る前ではなくて書けると良いのですが・・・)

施設のパソコンで確認しました。やはり思っていた通り、違った写真でした。しかも、宿直者が気をきかせたのだと思います。私の撮ったものの他に大きな籠の中の梅が入っていたのですが、私の意図とは違う。だから改めて写真を載せます。今度の写真を見たら母秋江さんがきっと「一個とってでも『偉い』と言っていた宏が凄いすごい」と言ってくれるばずだから。私は余程親に褒められたいのですかね・・・。仕方がないか。だって小さい頃はそんなもんだったから。母秋江さんが今の私を見たら何て言うのかな?叶わぬ事とは言え夢でも(現実は絶対にないのですが)話が出来たらと思っています。

本日は週明けの月曜日(6月14日)が全国老人福祉施設協議会の代議員総会並びに理事会(初めての参加です。)なので、事前に送付された資料の確認しましたをしたり、ボランティア室の片付けや銀行に行って本日購入するカラオケの代金を引き出したり支店長さんと打ち合わせをしていると午前中があっと言う間に終わってしまいました。

カラオケの機械を午後から持ってくる事になっているのを待っていると来ました。最初の1台は新館でセットして頂きました。このカラオケの機械を導入したのは、カラオケの他にもゲームや体操が出来る優れものでこのコロナ禍での余暇にはぴったりと思ったからです。勿論カラオケがメインですので歌い初めは理事長である私が新館でもデイサービスでもさせて頂きました。久しぶりのカラオケでしたがカラオケの機械が優れているのか、それとも私のお腹が上手く歌わせるのかはともかくリピーターの皆さん。気分よく歌えた事をお伝えして、今日は眠くなる前にコラムが書けた事をお伝えしてコラムとします。(眠くなる前に書いた割には中身は大した事なくてスミマセン。)

当たり前じゃないですか

令和3年6月10日

朝6時のNHKのニュースを見ていて『当たり前じゃないですか』をまことしやかにアナウンサーの方が話されていてびっくりしました。と言うのは『ワクチン接種が完了しても感染対策をしないと医療が逼迫する。』と話されていたからです。ワクチン接種を二回完了したからと言ってコロナが絶滅したわけではないし、二回の接種をしたから絶対にコロナにかからないと言う事ではないわけです。『コロナ』『コロナ』と言っていて、最初の内は『クラスター』と言う言葉に「大変だ」と言っていたのが、「あそこでもクラスターが出たんだって」と言う風にトーンダウンしてきて、今ではコロナの予防接種を二回すれば「コロナにかからない」等と思われているのかと思うと何と順応性の高いと思わざるを得ない。

確かに予防接種を二回すれば『かかりにくいし重症化はしない』と思いますが絶対に罹患しないとは断言出来ないのです。つまり、コロナと共存する為には『うがい』『手洗い』『消毒』『マスク』は習慣化していかなければいけないと考えています。コロナの感染力はどんどん強くなっているようですが感染対策をしっかり実施すれば恐れる事はないと思いますが。

現に今年はインフルエンザの流行は全くなかったしましてやインフルエンザによる死亡者は皆無だったと言っても過言ではないと思います。つまり、感染対策をしっかりと実施する事こそ肝要だと思っています。つまり、冒頭に書いたたように感染対策をはコロナが終息出来たとしても怠ることなくしていかなければいけないことがと言う事です。

リピーターの皆さん。今は新規事業の事と本館1階の皮膚トラブルの事で頭が一杯なのですが16時にお客さまが帰られつから水野係長と共に当施設の協力者の方が畑の梅をちぎっても良いとの連絡を頂いていたので梅ちぎりをしたのですが鈴なりになっている梅を遮二無二ちぎる作業をしていると頭のもやもやがとれたように思いました。頭を休めることも大切だと実感した次第です。。明日からは頭を軽くしながら頑張りますので、リピーターの皆さん。。リフレッシュした私をなお一層応援してください。

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温度差(かつての職員だった服部課長の短いテーマでの指摘により短くしました)

色々な考え方を持ち、色々な特技や趣味を持った多くの人間が集まっているのは頼もしいと思います。今は本部施設が80人、和合が70人、和(なごみ)に24人で170人以上の集団になった事は一言では言い表せない気持ちです。勿論、私の考え方は単に事業を拡大させて行く事に執着したのではなく、新しい事業を展開する『必然』を考えての対応だったと自負してます。しかしながら、正直苦労が絶えないのが現実です。そんな中で、本部施設と和合の施設と和(なごみ)の施設において考え方の違いが出て来ているとは思っていたのですが、本部施設の本館1階、本館2階、新館1階、新館2階とデイサービスでさえも違いが出てきていると痛感しています。それぞれのフロアの責任者の考え方や手法により合格点を出せるばかりでない事にイライラが募ってます。確かに幹部職員とは言え色んな考え方を持っているのは良いのですが、杉和会としての方向性は理事長である私が発信していく。その為に月1回の幹部会は開催され、逐一コミュニケーションはとってきたつもりでいたので、私自身の不十分性は何かと自問自答しています。私も先月で68歳になり、各フロアの責任者に任せる事を心掛けてきましたが、私の気持ちとは裏腹に『阿修羅の如く』の立ち居振舞いをしなければいけないのかと正直愕然です。本日の大谷徹弉師の日めくりに『受けとめる     心が決める   幸・不幸』と言うのが目に入り、心の持ち方によって『幸福』にも『不幸』にもなると戒められているとしたら私はまだまだ修行が足らないと言わざるを得ないと言う事になるわけです。確かに平成10年に本館の運営を開始して1年が経過した頃の白い封筒が乱れ飛んでいた(退職届)頃と比べたら「何と平和な」と言う事なのでしょうが、『より良い物を求める』のが自然だと思うのですがより良い方向になることを求めている事は事実ですが、頭1つ分いやいや2つ分出た職員がぐいぐい引っ張ってくれているので悪い所が気になると言う事にもつながるのですが、より高めを求めてあがくのが入居者さんとその家族の為であり強いては職員の為にもなると信じて叱咤激励をしていく覚悟ですのでリピーターの皆さんこれからも宜しくお願い致します。なお、本日はホームページの打ち合わせがあり、私のコラムが一番読まれているとの報告を複雑な気持ちで聞いていました。何故ならば私のコラムを抜いてくれる企画が出てこないと駄目だと思うからです。人間の気持ちは複雑だと思った次第です。

引き出しの多い方との話しは楽しいしためになる

令和3年6月8日

今年1月に行われた知事選挙に立候補されましたが残念ながら当選は叶わなかった江崎さんが、本日は元気な姿で盲養護老人ホーム優・悠・邑   和(なごみ)におみえになり、施設見学も含めてではありますが、しっかりと3時間たっぷりと話をさせて貰いました。

最初は今時の話として『コロナ』が話題になったのですが、その中で都市部より郡部の方が摂取割合が多い理由についての私の投げ掛けに対して、郡部では地区別に摂取をするのも、人数把握がしやすいけれども都市部では人数が多すぎて地区別に分ける事が出来ない状況にあると、理論的に解説していただけました。このように理路整然と話をして頂けると理解しやすいです。

次の話題は今実際に盲養護老人ホームに関わって、措置制度の矛盾点が多く見えてきた事について話をしていくと、江崎さんなりの疑問点を出して頂けたので吉澤施設長に具体的な数値を説明して貰い、今の現状の矛盾点について整理をしていきました。一朝一夕には解決出来ない問題ではありますが、常に声を出していかなければと思いました。

次に関ヶ原町の現状についてもお互いに忌憚のない意見を交わし合いました。結局のところ、今のままにいけば埋没していくのは目に見えているので提案をして、少しでも変えられるようにしていきたいと思いました。

次に介護人材についての話題が上がり、本部施設の職員の勤務年数が10年を越えた事、10年以上前から外国人材を積極的に導入していること等を話すると、江崎さんから国の官僚としての経験からお国柄での為になる話をたくさん聞く事ができました。

その他にも色んな角度から話をして、施設見学もして頂きました。施設見学も終えて再び会議室に入り、地域との共存共栄を図るスタンスに至った経緯を話させて頂きました。そして話をしているうちに新規事業への強い気持ちがわき出てきました。リピーターの皆さん。私はもう一度法人の生き方を整理し直して頑張って行く所存ですので、これからもよろしくお願いいたします。

福祉新聞の記者さんが東京から取材にみえました

令和3年6月7日

朝8時から岐阜県老施協の事務局長さんが本部施設で一般社団化に向けての打ち合わせに来て下さると言うので7時30分に家を出て施設でお待ちしてました。だって岐阜県社協の課長さんとしてもお仕事がおありなのに早い時間に来て下さるわけですから、お待たせをするのは失礼に当たると考えて早くに出掛けたわけです。垂井駅9時51分着で東京から来て頂く福祉新聞の記者さんのお迎えが遅れるのも失礼なので、余裕がある時間に取材用の資料を揃え終わったタイミングで事務局長さんが来て下さったので時間の有効活用が出来たと自画自賛です。事務局長さんを案内して貰った会議室に出向き一般社団化に向けた打ち合わせをしていて9時を過ぎた辺りからお迎えの時間が気になりだしたので打ち合わせ後の雑談はなしで、まだ、事務局長さんは会議室にみえたのですが事情をお話をして垂井駅に向けて車を走らせ、垂井駅の改札口で無事に合流をして、優・悠・邑    和(なごみ)に案内することが出来ました。最初は会議室で改めての名刺交換をしてから、先ずは導入の意味で岐阜県放送で6分50秒流れたら施設紹介のビデオを見て貰ったあと、施設内の案内を基本的には吉澤施設長にして貰い、その間にお茶の手配や昼食の手配をして、会議室に戻られたのを確認してから祈りの間である仏間の案内を私の方で改めてさせて貰いました。その後、会議室で今回盲養護老人ホームの建設に至った経過や建設に対する思いを熱く語り、措置制度の現代社会での不十分性についても熱く語りました。流石に福祉新聞の記者さんだけあって、制度についての不備についてへの理解についての理解は早かったように思いました。私は一気には措置制度の変革が出来るとは思いませんが一つ一つの課題について進めて行くと共に機会ある毎に理解者を増やしていき大きなうねりにしていかなければいけないと改めて思った次第です。福祉新聞の記者さんから色んな問い掛けがあり丁寧に答えていき、時間が勿体ないと私が手配した鰻重を食べながらもやり取りを進めて行き、13時20分までしっかりお話をして、垂井駅まで送らせて貰ったのですが、記者さんから行きも帰りも「理事長さん自ら送り迎えをしていただき恐縮です。」と言われたので、私は「私にとっては当たり前ね行動なのに」と思った次第です。リピーターの皆さん。私の流儀は変ですか。私としては、ご自宅を5時過ぎに出て来ていただき当法人の記事を書いて頂くわけなので当然の事と思うのですが。

静慈彰さん(静慈圓大僧正の次男)に対する私の本心

慈彰さんは私が絶対に出来ない事を自分の責任の中で『大変な事を大変と思わず』に実践されている事には敬意を表したい。一昨日にお会いして親しく話をさせて頂いた時に正直に言うと「めちゃくちゃ器用な方だけど生き方は不器用な方だ」と思った次第です。例えば、廊下に大きな錦鯉が描かれていて、それが生きている感がある素晴らしいものだったし、土壁にタイルの様な物を貼り付け(常識では土壁にタイルは貼れないと思うのですが)洋風なお洒落な仕上がりになっていたり。慈彰さんの中で色々な料理を器用に作られている事がわかったり。それでいて僧侶として瞑想会を主宰されたり、葬儀の仕事もしっかりこなされている。もっとも驚かされるのは非文明的な生活をされていながら、電気はソーラーで賄われているしスマホも駆使して情報を得られている。端的に表現するなら現代の異端児であり、とにかく普通ではない。いやいや、飛び抜けた異端児だと言える。『異端児』だと書きましたが慈彰さんは自らを「40歳になったんだし立派なおっさんだ。」と言われていたので『児』の表現は如何なものかとも思いましたが『異端児』の表現がぴったり何です。しかしながら慈彰さんが今の世の中でここまでの生活を可能にしているのは何故かと考えると私自身の生き方とダブらせるべきではないのですが、ここは敢えてダブらせて書かせて頂く事にします。私が今のような立場になったのは、父進さんが私の生き方を否定せず見守っていてくれたから、今から考えると私の知らないところで色々な根回しや資金援助をして頂いて今があると思っています。慈彰さんはも一人で頑張っているようでいて、父である静慈圓大僧正の存在は大きいと思うし、その他の知縁や血縁の理解と協力無くしては決してなし得ないと思います。今が、再興されようとされている東副寺にしても慈彰さんの祖父が住職をされていたわけだし。もちろん私は慈彰さんに「全てを断ち切ってなさなければ」等と言う積もりもないし、「何を甘えながらやっているの」等と言うつもりも有りません。お釈迦様だって王さまになれる家柄であったにも関わらず苦難の道を歩まれた。と言うことは慈彰さんは現代のお釈迦様❓いやいや今の段階で決めつける事は出来ませんが何年か先にはとんでもない方になっているかも知れないし、寺に引きこもったままかも知れないし。とにかく規格外の生き方であることは間違いないのでリピーターの皆さん共々見守って行きたいと思います。。

《別記》本日の午前中にかつての入居者さんの家族の方から連絡を頂き『梅』の収穫をしました。今年はなり年だったのでしょう。私でもバケツ2杯をとれました。結局、梅干し用の梅が48キロ、シロップ用の梅が16キロ。夏バテ防止のシロップが確保出来た事に感謝です。小さい頃の私がバケツ2杯もとったら母秋江さんはなんて言うかな・・・。

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