見つからなければ良いんですか

令和3年7月6日

7月4日に行われた都議会選挙で当選した都民ファーストの会の議員が選挙期間中の2日に交通事故を起こしていて、しかも事故を起こした議員は免許停止処分を受けている期間中だったとの事。何日か前のコラムでも書きましたが『見つからなければ良い』的な発想を都議会議員に当選した方までかと思うと何かしら虚しい気分になってしまうのは私だけでしょうか。しかも、テレビでの情報では「運転免許停止期間中ではないと思っていた。」と言うことを話しているとの報道には開いた口が塞がらない状態です。(私の状態をイメージして下さい。)しかも党本部への報告も3日後の5日(昨日)だったと言う事は、この議員は事の重要性を全く理解していなかったと言う事なのでしょうか。「選挙の対応で忙しくて対応が遅れた。」等と言うような弁解は聞きたくないです。憶測で言うのは甚だ不謹慎かも知れませんが、敢えて言わせて貰うとすれば、この議員は「相手の批判は手厳しくされるが、自分の事には甘いのかな。それとも、世間の常識的が理解できない方なのかな」と思ってしまいました。都民ファーストの会を除名されたとの事ですが、危機管理が出来ていないと都民ファーストの会が思われても致し方無いと言う事ですかね。もちろん、色んな形で弁明は出来るのでしょうが、法に照らして駄目な事はアウトです。誰が考えても、免許停止期間を勘違いすることなど絶対にありえないと思いますが、リピーターの皆さんはどのように思われますか。「自分は運転は大丈夫」と思っていたとしてもルールはルール。決められたルールを平気で破る方が選挙で選ばれた方だから良いと言う事は決してない。議員の特権のように考えられているとしたら大きな間違えです。選挙で選ばれたから何でも許されると言う事は決してないので、もう一度足元から考え直しと欲しい。リピーターの皆さんはどうお考えになられますか。

細やかな対応です

令和3年7月5日

関ヶ原町は7000人弱の人口しかない文字通り過疎の町です。今年の3月末をもって今須小中合併校は廃校になり、関ヶ原町には小学校も中学校も一校だけになってしまいました。私が中学生の時の同級生は34人だったので立派に学校があったのにと愕然としてます。そんな関ヶ原町ではありますが、小さい町だからこそ細やかな行政対応が出来る事もあると思える事がありました。

それは、独居の高齢者で認知症もあり、今後の対応をどうすべきかとの『地域ケア会議』の議題にもあがっていた方の相談が以前にあり、その方が常時在宅酸素をしなければいけないにも関わらず、現在入院されている状態で、酸素の量の指示を出すことが精神科の病院なので出来ないため退院をしなければいけないとの事で、後見人の方と共に関ヶ原町住民課長さんを初め四人の職員が施設にみえて「何とかして欲しい」との事。当施設としては、「酸素の管理について、お医者さんからの指示がないと難しい」と答えていたのですが、精神科の病院の退院後の受け皿になって貰えるかのお願いに、受け皿になっても良いと言われている病院の院長が本日当施設にみえる事になっていたので、本日も後見人さん、住民課長さんと担当者の方がおみえになったのです。一人のケースの為にこれだけの方がフットワークよく来ていただける事に細やかさを覚えたので、このコラムで紹介したわけです。

実は最近書類等の整理をしていて、2015年6月25日発行の『認知症・行方不明者一万人の衝撃』(発行所:株式会社幻冬舎)と言う本に改めて興味を持ったのです。と言うのは最近のニュースで『5年間で1.6倍』と言う記事を見たからです。つまり昨年は16,000人に増えていると言う現実に驚いていたからです。関ヶ原町においても、町の広報のスピーカーを通じて行方不明になった方の放送が入る事がありますが、大抵はどれほどの時間もおかずに、発見した放送が流れます。都会において、そのような放送を媒体としたものがあるのかもわかりませんが、関ヶ原においては、仮に放送が入った時には町民の方は地元の方でない方が歩いていたときには知らせて貰えます。もちろん、大きな町だから細やかな対応をしないと言う事ではないのでしょうが住民同士の理解と言う面では大きな開きがあると考えていますし、一人ひとりの方を大切にするシステムも充実していると思います。

そう言う意味では関ヶ原町は住みやすい町だと思いますが、このコロナ禍で当施設でも認知症カフェが実施出来ていません。早くに終息して健全な対応が出来るようにリピーターの皆さんも一緒に願って頂けると嬉しいのですが。

 

補助事業を受諾すると言う事

介護人材を確保するのが厳しくなってから随分になると思います。(私は平成18年が分岐点だと考えています。)その意味では当法人は事業所内保育所を設立したり、アパートを1Kでありますが、アパート20部屋建設したり、大胆な新聞折り込みを入れたり、ホームページを充実させたり、EPAによりインドネシア介護福祉士候補生を先駆けて導入してきました。その甲斐があって何とか岐阜県最西部の山の中ではありますが、人材確保は出来ています。しかしながら、全国的には厳しい状況がある中で、岐阜県からの委託事業を岐阜県社協内にある福祉人材センターが受託して、中学校や高校へ福祉の魅力知らせ隊が話しに行く企画があり、岐阜県老人福祉施設協議会としても参画しているのですが、この事業が始まった頃は、老健協、障害者福祉協会、児童養護施設協議会の団体にしっかりとした説明がなされていたのですが、近年は前年度に協力した職員にメールで打診があり、組織がないがしろにされている状況で、新旧の入れ替えにより不足分が出ているのと学校からの依頼が増えている事により(有り難い事なのですが)不足分の補充に何の手立てもされていない状況に気付き岐阜県老人福祉施設協議会会長として、せっかくの素晴らしい企画がしっかりと取り組まれていない状況に危機感を持ち、企画の発注者である岐阜県地域福祉課長さんに一昨日連絡をしたところ、実態を把握されていないので、説明をすると共に岐阜県老人福祉施設協議会内の役員に連絡を取り、組織としては21世紀委員会が主体となるべきなので、21世紀委員長にも連絡を取り、21世紀委員長が動きやすい体制作りの為に動きました。明日は地域福祉課長さんや福祉人材センターへも連絡を取り円滑な体制を作れるようにしていきたいと考えています。本来であれば、会長自らこのような事にまで口出しをするのは如何なものかと言う事を言われる方もあることを承知の上で対応をしてしまいました。どうしてそこまでしてしまったのかと言うと、この6月の役員改選により21世紀委員長が交代して、福祉知らせ隊の動きが悪い事に対して連絡を貰ったからです。私は筋が通らない事に気が付いたら軌道修正をしないで知らん顔を決め込めるタイプでないからです。何でもそうですが、やるべき事が上手くいかない時には先頭立って行い、軌道に乗ってきてからはその組織に委ねる。私のスタンスは例えばまずい状況の時はしゃかりき全面にでますが、その後はバトンを渡し見守って行く。リピーターの皆さん。少し格好良すぎますか。でも、私はこの流儀しか知らないもので。

コロナ禍に思うこと

感染症対策で最も大切な事は『自分の身を守る為に色々な事に留意する事』だと思います。勿論高齢者施設においては、マスクの着用や手洗いについてなかなか理解出来ない方もみえます。と言う事は職員が留意して入居者さんを守ると言う事も大切な事です。但し、1年以上も職員に対して厳しい事を強いている立場としては、早く終息する事を祈る以外にない。もっとも2度の予防接種も終了した今、科学的根拠に基づいて、規制を緩めていく方向を模索して実施していきたい。勿論、感染症対策については今まで通りしていくのは当然の事と考えています。

何日か前のコラムで弁護士連合会の『面会規制への提言』に対してでも書きましたが、目に見えないものへの対策については理屈だけでは難しい事もあり、尚且つ人類が経験した事がない事象の対応なので、単に結果論で気安く論ずる事が出来ないだけに、対応に苦慮しているのが現実です。今回のコロナ対策によって学習した事を活かしての展開にも努めていきたいとも考えています。

私も進化しています。

このコーナーでも書かせて頂きましたが、全国老人福祉施設協議会の平石会長からは『昭和おじさん』と揶揄されながら、(正確にはいじられながら)何とかメールでの対応やラインでの対応もご迷惑をかけない程度に出来るようになってくると、自分自身で出来る事の喜びと共に進化している自分にも喜びを感じています。今までの私は何かを伝える手段は電話や携帯を掛ける事での対応ばかりでした。(時にはショーメール)勿論、感情をむき出しでの会話は直接、面と向かっての激論も必要ですし、それが物理的に無理な場合は電話での手段でのものばかりでした。

しかしながら、グループラインを覚えた事によって一斉に意思表示が出来るのは今更ながら便利なツールだと感じています。そして何より、会議の中では固い事ばかりの会話しか成り立たないのが殆どですが(平石会長は時には私をいじって会議の雰囲気を和ましてみえますが・・・)ラインの中では楽しい会話も時には成立するので、副会長になって親しくなった役員さんであっても理解しやすいものを感じています。文章表現の仕方も色々で相手の方の事を理解し易いのも良い点だと思います。

昔から言われている言葉に『食べず嫌い』と言うのがありますが、私の文明の利器を活用するのに臆病なのは改めて困ったものだと思います。だって、私は何かを買ったりして手に入れたものの仕様書を読むことを忌み嫌っていますし、例えば折り紙で何かを作る時に図面を見て作ると言う事ができないのです。これも一種のLD(学習)障害なのでしょうか。リピーターの皆さん、こんな私をどの様に思われますか。

本日の岐阜新聞の記事から

令和3年7月2日

新聞一面左半分に『規制対象の車内で一服、児童ら目撃』の大きな見出しと共に『学校内、先生「隠れ喫煙」』『「授業中、臭いで頭痛」訴えも』の見出しに私自身「なんのこっちゃ」とこの記事を興味深く読みました。

この問題は改正健康増進法の定めで学校は敷地内禁煙。例外として受動喫煙対策が取られた屋外喫煙所を設置する事が出来るが設置してある所は少なくてルールを破るケースが紹介してあり、小学生からの声として「〇〇先生(男性教員)は、たばこ臭い」と知られており、敷地内に止めた車内でたばこを吸う姿が生徒たちに目撃されていた。授業に遅れて現れることも何度かあり、決まって「すごく臭かった」と。相談を寄せた女子生徒は最前列の席だったため「たばこの臭いが気持ち悪く、頭が痛くなって授業に集中できなかった」と振り返る。そのような実態に対して学校側は「生徒が帰った夕方以降、敷地外に出て吸う職員はいるが(男性教員の件は)認識していない」と説明。改めて敷地内や就業時間内に喫煙をしないように周知を図るとした。また、「校長先生がたばこを吸っているのを見た」男性校長本人のコメントに「いつも自分の車の中で吸っている」と喫煙している事を認め「敷地外で吸うのはまずいと思った」も話されている。県保健医療課の担当者は「車内で吸っているのであれば、違法行為だ」と指摘する。と結んでありました。

また、27面の『社会』欄では、『授業45分前から禁煙/条例で配慮求める』『「三次喫煙」リスク全国で対策進む』のタイトルの中で『教室という逃げ場のない空間での三次喫煙は、気管支ぜんそくなどの発作を起こすリスクがある』と産業医科大(北九州市)大和教授が指摘されている。」最後のまとめのコメントで『かつて一部の生徒が隠れてたばこを吸い、教師がりつける構図があったが、今や立場は逆転、教員の喫煙を生徒が見とがめる時代となった。大和教授は「喫煙は有害、と教えるのが学校。敷地の内外や年齢にかかわらず、喫煙しないということを生徒たちに身をもって教えてほしい。教師の呼気がたばこ臭いなんて反面教師だ」と訴える。』と誌面を閉じている。

今回は『喫煙』の問題にメスを入れたものですが、色んな問題が内在していると思います。具体的に言うと教育者と言えども人の子ですから、たばこを嗜好品として吸っている方も多くみえると思います。私は社会のルールは社会情勢の中で決めていくものだと思います。今回の喫煙の問題を私が大学生時代に遡って(おおよそ半世紀前)考えてみると、大学の構内では、歩きながら煙草を吸っていて、なんの躊躇もなく適当に吸ったたばこを捨てていて、清掃をしている方の前でも平気に捨てる行為も至る所でありました。また、たばこを吸えるのは大人の証しとばかりにむりむり吸っている学生も多くいたように思います。「たばこの臭いが嫌い」と言う権利などどこにもない状況だった様に思います。勿論そんな状況が良かったとは思いませんがそんな時代でした。

教育者であれば、当然の様に『健康増進法』がどの様なものかは理解されていると思います。ただし、記事の中にもありましたが、校長先生が「悪いとはわかっていたが敷地外で吸っていると批判の目に晒されるし、かと言ってたばこは止めれなかった」のような発言には「かつては良かったのに何でいかんのか」とか「見つからなければ良い」的な発想のようで、ふと『半沢直樹』の場面に何度か出て来た「証拠を見せろ、証拠を」と居直り、証拠を突きつけられてから認める場面を思い出しました。また、私が大学を卒業して教員として勤務してた時代には、たばこを吸う先生の机には灰皿が置いてありましたし、校長先生の部屋の応接机にも必ず灰皿があったように思います。そして、2時間目が終了した時には少し長めの休憩時間(多分20分)があって、たばこを吸われる先生は自分の机で吸われていたのを覚えています。私はその休憩時間は子ども達の中で、がき大将のようにして遊んでいましたが。

私の思いは『時代の要請』であればそのルールに従うべきで、特に管理者である校長がルール違反をすれば組織の箍が緩んでも仕方が無い事だと思うと私が常に言っている「上席者が『えらい』のは、『しんどい』方の『えらい』ですから、しっかり頼むよ」と言ってます。「昔はこんなんではなかった。」と言ってみても何ともなりません。今の現実をしっかりと捉えて、是は是、非は非で頑張って行きますのでリピーターの皆さん、これからもご支援宜しくお願いします。

 

一歩一歩等とは言っておれません

令和3年7月1日

今まではメールが送信されてきたものは事務所にいる職員が印刷してくれていたので、送信されてきたものを自分で開いたりましてや印刷をすることがなくて、私自身「出来なくても大丈夫」とたかをくくっていたのです。ましてや「ラインなんてしなくても仕事に差し支えない。」とも思い全くやり方を覚える等と言う努力を一切してきませんでした。しかしながら、全国老人福祉施設協議会の平石会長からは、「ラインでの連絡を取れる体制を」と言われて職員に教えて貰いながら何とかラインが出来るようになりました。確かに会議の中では話出来ない事を会長と5人の副会長の6人が共通の話題を情報共有するには便利なものだと今は思っています。最初の内は平石会長から「昭和のおじさん」等といじられながらも出来ない苛立ちもありましたが今はラインでの会話を楽しんでいます。しかしながら、平石会長は何とも特色のある5人の副会長を集めたものだと感心するばかりですし、5人の特色を押さえた上での操縦には舌を巻く思いです。平石会長は私と同じ様に法人立ち上げからやられた方なので、私も共感するところが多くあるので、これからの2年間の任期を目一杯頑張りたいと考えています。私の役割は比較的若くてのびしろのある役員が思いっきり活躍出来るように支援していく事と私が全国老人福祉施設協議会の役員になり培った人的ネットワークを駆使して、全国老人福祉施設協議会がより良い方向を目指し、会員メリットを理解して頂き会員の加入促進に心血を注いで行きたいと考えています。昨日はリモート会議の良さを書きましたが、やはり膝詰めでの会議も大切だし、飲みにケーションにより、外見だけではわからない部分に対しても積極的に展開していきたい。ただし、東京の感染者は目に見えて増えているので、今しばらくは東京への出張は出来ない状況だと思っています。私は原稿を作り読むよりも相手の表情を見ながら話をさせて貰う方が得意なのですが、今はそれもかなわないので、少し、いやいやかなり、ストレスがたまっているようです。私は原稿を読むよりも相手の反応を見ながら話をしていた方が言葉が泉のように出てくるのです。そんな事を思いつつ家に帰って玄関を入ると、我が家の老猫のリットが絡みつつ、「にゃー、ニャー」とうるさいくらいに鳴くのです。猫は年をとるほどに鳴くのだと言うのです。そう言えば私も小さい頃には殆ど話が出来なかったので私も年をとったのか。いやいや私は高校生になってからうるさいくらいに話す様になったのだからリットとは少し違うか。リピーターの皆さん。本日は何となく一日が過ぎたのでコラムの中味も何となくのものになってしまいましたが『明日がある明日がある』と言う事でご容赦下さい。

リモート会議は瞬間移動のような事が出来ます

令和3年6月30日

本日は13時から岐阜県老人福祉施設協議会主催の施設長・事務長等研修会があり、開会の挨拶を会長としてリモート会議の準備がしてある会議室で挨拶をして、その後事務所内で準備してある全国老人福祉施設協議会正副会長委員長拡大会議のリモート会議に参加しました。午前中は2つの会議でそれぞれに挨拶をするようになっていたので、挨拶文を考えて望みました。2つ会議をこなし、事前に挨拶文を準備することが出来たのは、1年半近くの感染症対策による成果だと思うのです。もう少し具体的に話すのなら、13時からの会場は通常は100人以上の研修であれば岐阜都ホテルなので11時な早昼を食べて出かける事になるので、挨拶文を書いている時間はなかったかも知れませんし、ましてや、東京への出張は物理的に不可能です。だって、私は『ドラゴンボール』の孫悟空の様に瞬間移動等できませんしドラえもんの『どこでもドア』もありません。しかしながら、30分しか違わない全く別の会議や研修会に参加出来るのはリモートで実施した賜物だと言えるのではないでしょうか。リモートでの会議や研修会であれば時間も経費も節約出来るのです。リピーターの皆さん。災い転じての考え方は素晴らしいと思いませんか。私はコロナが終息しても、このシステムは活用すべきだと思うのですが。

新規施設への思いは吉澤施設長も同じでした

令和3年6月30日

一昨日(28日)に東濃地区の7つの市に新設をした盲養護老人ホームの措置入居のお願いと契約入居の紹介依頼をするために吉澤施設長と一緒に行った事は既にこのコラムの中で書きました。そして昨日は(29日)10時に大垣市高齢福祉課の職員がおみえになると言う事でご挨拶をしなければと、和(なごみ)に行きました。ご挨拶後は10時30分から全国老人福祉施設協議会常任理事会がリモート会議であり(16時終了)午前中は和(なごみ)でリモート会議の対応をさせて貰いました。12時10分に午前中の会議が終わり、13時の再開と言う事でバタバタと本部施設に帰ろうとすると吉澤施設長が「早速可児市から措置依頼の連絡があり先程来て頂いた大垣市も措置入居の手続きに入ります。と言って下さいました。」と目を輝かして報告をしてくれました。その時に私は平成10年5月18日に事業開始をした本部施設本館の事を思い出しました。それは、新規措置依頼の連絡がある度にわたしの心が踊った事を。だから、どんなに遠い市町村からの連絡にもフットワークよく出掛けたものでした。(福井県敦賀市までも行きました。)吉澤施設長もあの頃の私と同じ様に感じていてくれているのを本当に嬉しく思いました。

入居者さんの面会規制について

令和3年6月29日

このコロナ禍での感染症対策の一貫として『面会規制』を家族の方のご理解、ご協力を得て実施してきました。勿論、面会規制の中でもリモート面会の体制は早々に確立して今に至っています。勿論、入居者さんの対応の中で『家族力』が大いにある事は理解していますが、『リスク』を考えると入居者さん及び家族の方にご理解を得なければいけない状況です。当施設は『地域力』『家族力』に力を注いできたので、家族の面会やボランティア活動の積極的な導入や地域を取り込んでのイベント等が出来ないのは『生活力』『健康力』を高めての『今日一日楽しかったよ』の実現が難しい事に正直苛立ちさえ覚えています。しかしながら、職員の頑張りによって笑顔を醸し出す企画に対して規模を縮小してではありますが頑張って行って来ました。そして、面会規制についても2回の予防接種を6月15日には完了して、面会規制解除に向けてようやく動き出しました。

勿論、コロナの感染拡大前の様には行きませんが緩和に向け文章を送付する段階にまでこぎつけました。とは言え、職員の自宅での過ごし方にはまだまだ我慢を強いています。早くにコロナが終息して職員とのコミュニケーションや飲みにケーションの充実を図りたいものです。ワクチン接種後の面会制限について、何らかの基準を厚労省に示して欲しいとの要望に対して「これまで事務連絡や感染対策の手引き等でお示しし、地域の感染状況に鑑みた面会の制限等の感染対策を講じていただいているところ、引き続き面会の実施方法を含めて十分な感染対策を上で、サービス提供を行って頂きますようお願いします。」との通知に、地域での状況を加味しながら施設ごとに対応するしか仕方が無いと言う見解に対しては、確かに地域性があり、当施設がある関ケ原町では65歳以上の方の2回の予防接種が70%終了している所と、全く予防接種が済んでいないところを同じ土俵に乗せる事は出来ないと言うのが実情かと思います。そんな中でリスクヘッジをしながら家族力を生かす方法を提示していく事が望まれていると思います。

どうして突然こんなテーマになったかと言うと日本弁護士連合会から、「面会の機会を確保することは、心身の安定や機能低下の防止、適切な身上保護のためにの重要な権利・利益である。」との文章を見つけ、確かにその通りだけれども、感染リスクを考えるとできなかったし、それに代わる対応をしてきた事も理解して欲しいとの想いで、書かせて頂きました。リピーターの皆さんからも色んなご意見をお聞かせ下さい。

本日は朝から東濃地区の7つの市の挨拶回りをしました

令和3年6月28日

和(なごみ)の吉澤施設長に8時30分に施設を出発する約束をしていたので、出発前に何人かの職員との打ち合わせをしたかったので8時前に施設に行き効率よく打ち合わせをして、予定より5分遅れの8時35分に出発。車の運転は吉澤施設長に任せていたので、車に乗ると早速に色々な方に電話をして、一段落してからは、吉澤施設長と色んな話をしました。勿論、和(なごみ)の今後についてが主でしたが。東濃地区の一番南である美濃加茂市から順番に北上して、最後は中津川市まで行く計画でした。ナビが変で高速を美濃加茂インターではなく、小牧東インターで下ろされたのですが、吉澤施設長が計画したように順調に午前中は進みました。勿論、それぞれの市の担当者には新規開設した措置施設の必要性を語った事は当然の事です。12時から13時までは役所の方の休憩時間なので、私たちもその時間に昼食をとる事にして、適当なお店を探すのですがなかなか無くて、結局『ココイチ』でカレーライスをたべる事にしました。私は定番にしているポテトサラダとカツカレーにトッピングにウインナーを付けて頼みました。先ずはポテトサラダが運ばれてきたので、私はドレッシングが苦手なのでお醤油を頼み、店員さんに持ってきて貰い食べ終わるとカレーライスがきて、いつものように、カレーライスの中味をこてこてに混ぜていると、『?』と言うのも、混ぜているといつもと違って中味が糸を引くようになるのです。そこで私が吉澤施設長に「このカレーライスは変でないか」と話し掛けると吉澤施設長が「ひょっとしたら理事長、このカレーライスの中にはチーズが入っているのではないですか。」と言うので私は「チーズが入っていたら私は食べる事が出来んぞ」と言うと吉澤施設長が注文表を確認して店員さんを呼び出し「理事長はチーズが食べれないし注文をしたものと違うので代えて貰えますか」と言うと店員さんが「申し訳ありません。直ぐに作り直します。」で皿が引退かれ。吉澤施設長が食べ終わると頃にようやく作り直したのがきて、食べだしたのですが、何もかも皿の中味が熱くて味わって食べる事が出来なくて水で流し込むような食べ方になりました。あわてて食べたのは13時には次の所に行きたかったからです。最後の中津川市へは15時30分には行く事が出来て、17時には本部施設に帰ってくる事が出来ました。帰る途中のサービスエリアではソフトクリームを買い吉澤施設長を労いました。今日の成果が直ぐに実るとは思いませんが地道な活動は決して無駄にはならないと私に言い聞かせる事を吉澤施設長に向けて話しました。その間にも本部施設が開設した時は一ヶ月で5人の入居だったんだが、今の和(なごみ)は10人の入居だからこれからだぞとも話をしました。リピーターの皆さん。新規開設した和(なごみ)も確実に活動していきますので、応援宜しくお願い致します。

1 142 143 144 145 146 147 148 149 150 292