『雪』雑感(珍しく短い題でしょ)

令和3年12月28日

昨日の朝の我が家の玄関先の雪融けはかなり積もってはいましたがメッチャ軽いさらさらな雪だったので作業効率は良かったので早くさばく事が出来ました。本日施設を17時前に帰らせて貰い、車を車庫に入れてスーツから雪の作業用の服に着替えて(決して厚着をしないで)直ぐに雪融け作業に取りかかり、昨日と同じ道具で作業をしようとすると、「雪がメッチャ重い」と言う事で道具を変えて行う事にしました。どういう事かと言うと、昨日は雪を押し出す作業が楽勝に出来たのに本日は重くて出来ないので雪を積んで雪で滑らせる作業にしました。雪を積むときに上手に積めた時には「よ~し」と思わず声が出てしまう感じで作業をしました。

我が家の西側は川が流れているので雪を捨てるには便利なところなので、一杯づつ運んでいき川に捨てて行くと確実に雪の塊が減っていくのは嬉しかったです。昨日は1日で70センチ位積もったのですが、本日は雪の高さは40センチ位になっていたのですが、多分昼間の暖かさで融けたのだと思うのですが、その分水になった為に重くなったのだと思います。余談ですが水になって重くなったのが夜中の寒さで凍り、この後雪が降ると更々の雪でない分重いので、最悪は大屋根に上って屋根の雪下ろしをしなければいけなくなったら困ってしまいます。何とかこのまま収束して欲しいと祈るばかりです。

さて、本日は朝8時過ぎに吉澤施設長の運転で、先般名古屋市にある盲養護老人ホーム瀬古マザー園の近藤施設長さんにご紹介頂いた情報文化センターの所長さんに会いに行きました。施設を出るときはたんぼにも屋根にも70センチ位の雪があり、関ヶ原インターチェンジから滋賀県方面は閉鎖されているので車は殆んどなくて走り良かったのですが、関ヶ原を越えて揖斐川を過ぎると雪はかなり少なくなり、長良川を越えるとほんの少しになり、木曽川を越えると所々に雪がある程度でした。

10時のお約束でしたが9時30分に着いたのですが、玄関を入って行くと親切に2階へ副所長さんが案内してくださり、しばらくして所長さんが部屋に入って見えて目に障害があるかたと聞いていたのですが、そんなことがわからないくらいに普通に色んな事をされていて、私がお話をした事も一生懸命に聞いて下さり、色んなアドバイスを頂きましたので、出来ることから実践していきたいと思いました。(雑談の中では関ヶ原では70センチの雪が積もり雪融けが大変だったと話すると所長さんは「こちらは3センチ位でしたが雪融けはをしました。」と言われて大笑いしました。)一時間以上お話をさせていただき、その後は名古屋市へのパイプ役をして頂いた名古屋市老人福祉施設協議会の尾関会長の施設に年末のご挨拶と経過報告に行きました。

その後情報文化センターの所長さんを紹介頂いた瀬古マザー園の近藤施設長さんにご挨拶にいき、昼食を丸亀うどんで頂いてから同じ守山区にある名古屋市老人福祉施設協議会副会長さんの施設にもご挨拶に行きました。突然の訪問だったにも関わらず土屋副会長さん自ら盲養護老人ホームの存在を紹介して頂けるとのお気持ちを理解して嬉しい気持ちになり、改めて何事もアクションと熱い思いだと思った次第です。リピーターの皆さん。今は和(なごみ)は入居者が少なくて厳しい状況ですが、時間が許す限り盲養護の存在についてアピールしていきますので応援宜しくお願い致します。

本日の活動は午前2時9分から始まりました。

令和3年12月23日

昨夜は間違い無しに雪が降るとの天気予報でしたので「午前4時30分には行動を開始出来るように早くに寝よう。」と21時前に眠りにつきました。ところが私の想定を遥かに越えた午前2時9分に宿直の吉田部長から携帯に連絡がきました。こんな時間の連絡は急変した方があった報告以外に考えられないので、飛び起きて携帯に出ると予想通り、亡くなられた方の報告でしたので、多賀先生と家族への連絡をして、その結果をくれるように言うと、しばらくして、多賀先生は5時には着きますとの事で、家族もそれに合わせて来て下さるとの事だったので、4時40分にアラームをセットして再び寝ようとしても眠れずにうとうととしていると、またまた4時18分に今度は除雪の依頼のメールが来たのでその確認をして、アラームでセットした時間よりは少し早かったのですが行動開始をしました。

着替えをして、玄関を出るとこれまた想定を越える雪がありました。「昨日しっかり雪融けをしたのに。」でも車庫前の雪をどけている時間はない。と言う事で強引に雪の塊を踏みつけて道路に出ました。既に町道も国道も1回目の除雪がしてあり、施設まで順調に走る事が出来て(時速20キロですが)施設の駐車場に入ると3台の除雪車が除雪をして頂いていたので、車の窓を慌てて開けたので左後部席を開けてしまい慌てて助手席の窓を開けてお礼を言いました。(この場面をしっかりリピーターの皆さんは覚えていて下さい。)多賀先生は予定より早くにみえていたので、丁度死亡確認をして下さり、帰られるところだったのでこれまた慌てて車から降りて(この場面もリピーターの皆さん、しっかり覚えておいて下さい。)お礼のご挨拶をさせて頂きました。

施設の中に入って行き、吉田部長に色々な意味で労いの言葉をかけると、家族の方は雪が凄いので夜明けを待って施設に来て下さるとのことだったので、かっかと雪が降っている中で除雪をされている方々に自販機で温かい珈琲を買い、雪がかっかと降っている中をそれぞれに除雪されている所へお持ちすると共にお礼を言って再び施設に戻るとしっかり汗をかいていたので、上半身に着ていた服を全部脱ぎシャツはしっかり汗が付いていたのでストーブの前で乾かして、改めて服を着ていると亡くなられた方の家族の方がおみえになったので、感染予防をしっかりして頂いてから亡くなられた方のところに行って頂き、その後は会議室にご案内をして、葬儀等々の相談にのり、一旦家に帰って頂きました。

打ち合わせが終わるのを待っていたかのように厨房の責任者の方が「食料品を運ぶトラックが雪の為に来れないので、当座の栄養補助食品が不足する。」との報告を受けたので、私自身は13時30分から17時まで、二つのリモート会議が予定されているので午前中に手配しなければいけないし、どうしても銀行へ行かなければいけない事もあり、車に乗って出掛けようとしてビックリです。(ここで、リピーターの皆さん思い出して下さい。)5時前に来てから5時間で雪だるま状態になった車の雪をどけていて、頭真っ白です。と言うのは除雪をして頂いていた方に窓越しにお礼を言った後に窓を閉めて無かったので、車の中は雪で座れる状態でなくて時間にも急かされて必死に雪をかき出しました。しかしながら、『慌てたり』『余裕がない』とろくなことがないと改めて知りました。明日からは『ぼちぼちいこか』のスタンスでいきますので、リピーターの皆さん、これからも宜しくお願い致します。

 

合い(愛)の手の一言はメッチャ嬉しい

昨日は13時30分からデイサービス(準備が出来ました。とデイサービスの職員が来たので5分早かったですが)から新館2階に、新館1階にと順番にお参りの導師をさせて頂いたのですが、新館2階の男性入居者さんがお経を終えて私がお話をさせて頂いたタイミングで「理事長さんの声はええなー。」と褒めて頂いたのです。

この男性入居者は時間があると大きな声でお経を唱えられている方で、その方もいつも上手に唱えられているのを私が褒めるとメッチャ嬉しそうに顔をぐしゃぐしゃにして喜ばれる方なのですが、本日は良い意味で『倍返し』をして頂いた形になり、私も最大限の形で喜んだ次第です。「えっ、どんな風に喜んだか、リピーターの皆さんは知りたいですか」実はお腹をさすりながら「この立派なお腹があるからしっかりとした声が出るようになったのですよ。小さい頃は体重が今の3分の1位しかなくて、蚊の鳴くような声しか出せなかったのですが今はこのお腹だから大きな声が出せるので、このお腹を大切にしているのです。」と話をすると入居者さんから大きな笑いを頂き、ますます私は元気を頂きました。

次の話は盲養護老人ホーム『和』(なごみ)での話をします。この方も男性の入居者さんなのですが、実はこの方は本部施設にショートステイを利用されていて、私がその当時その方は殆んど目が見えなくて要介護3での利用との事だったので、本部施設での様子をみさせて頂いていて、確かに目が不自由だから『周辺介助』は必要だけれどもいわゆる『介護』は必要のない方で、特養の機能だと行動制限がかかり不自由な思いをされているのではないかと考えました。

そして一つの仮説を立てました。それは、「特養では部屋に引きこもる傾向があるけれども、盲養護老人ホームの機能を活用されたら、もっと積極的な動きが出来るのではないか。」と言う仮説です。私はその仮説を実現する為に措置権を持っている関ヶ原町に提案をしに行きました。そして、行政側から「ご本人様とその家族に新しい施設を見て頂いて判断して貰えば良いのではないか」との事で、在宅介護支援センターのケアマネさんの協力を得て、施設見学に来て頂きました。

娘さんは京都在住の方で電車でみえるとの事だったので、私が垂井駅までお迎えに行くと娘さんの他にお孫さんまで来て下さり一生懸命さが伝わって来ました。実際に見て頂くと娘さんもお孫さんも非常に気に入って下さったのですが、ご本人さんに預貯金があり措置では入れないと言う事でご本人さんは迷われていたのですが、娘さんから「お父さんのお金はお父さんが使えば良いので、お父さんがこの施設に入りたいと思うのならば契約でお世話になったら」の一言で入居が決まった方なのですが、入居されてからも生き生きと生活されているのを見させて頂き安堵していたのですが、先般和(なごみ)のお参りの時にお経が終り引き続きでカラオケを披露するのがいつものパターンになっていて、一曲歌った後に手拍子と共に「アンコール」の声がかかり、私が何を歌おうかと考えていると、最前列におみえになったかつて本部施設のショートステイを利用されていた方から「さぶちゃんがいい。さぶちゃんで」とのこれまた合いの手を入れて頂きました。本部施設におみえになった時は「そんな積極的な声かけはなかったのに」と思うと「なごみに来て頂いて本当に良かった」と目頭が熱くなりました。

今は入居者が16人ではありますが、盲養護老人ホームの機能を望まれる方は多くみえると思います。これからもしっかりと和(なごみ)の良さをアピールしていきたいと考えていますのでリピーターの皆さん、これからもご支援宜しくお願い致します。

息子から見た、父進の生き様を語ります。

令和3年12月25日

朝のウォーキング中に4人の写真を見ながら父進さんについて思ったことを語ります。父進は明治45年4月10日生まれですから生きていれば110歳です。(明治と言っても大正元年なのですが)明治生まれとは言え頑固さはなくて私にとっては優しいばかりの考え方によっては『甘々』な父進さんでした。かつてのコラムで書きましたが父進さんは石垣の陰から母秋江さんを見て一目惚れをして、今須のじゃじゃ馬お嬢の秋江さんが若山家の分家を春吉爺さんに作って貰った所へ養子に来たのです。私が小さい頃父進さんが年下の伯父さんを『春夫兄さん』と呼んでいるのに大いなる違和感を持っていました。と言うのも伯父さんは父進よりははるかに年下だったからです。もっとも秋江さんのお兄さんだから理屈の上では成り立つので、その事から見えて来るのは、父進は『筋を通して貫く生き方』だったのだと思います。

父進は苦学をしてでも戦前の師範を卒業したその当時としては教育界のエリートだったと思うのですが、母秋江が癌を患い闘病生活に入ってからは、『出世よりも母秋江との生活を優先した生き方』だったと言う事が今になって理解出来ます。そのような生き方を当たり前のように出来た父進の事を『今は』尊敬しています。尚且つ、母秋江さん中心の生活の中であっても不破郡で一番の学校であり自分が卒業した小学校の校長として君臨して、後輩の育成にも力を注いだ実績を評価して貰ったのだと思う現象として、退職した後も他界するまで『垂進会』(『垂』井町で『進』の会の意味で『すいしん会』)と言う会が年に1回は開催されていたのは凄い事だと今でも思っています。出世よりも母秋江中心だったのは、母秋江が他界した年は自ら申し出て、何かあった時に休みを取りやすいとの思いから、その当時の西濃教育事務所勤務を申し出たと言う事です。(今の私の立場だから理解出来た事なのですが。)

姉光子の話に移ります。何度もコラムで書いていますが、姉光子は22歳の10月に結婚して翌年の4月7日に急逝しているのですが、頭が痛いと言うのでその当時の関ケ原病院に入院したのですが、「痛い、痛い」と言い続けだったので隣の部屋から苦情がきて高校生の私は激怒したのを今でも覚えていますが、その事よりも私は父進に関ケ原病院ではなくて岐阜大学医学部附属病院に転院させるべきだと訴えましたが、父進は「嫁ぎ先の意向があるから」と頑なだったのを覚えています。今から考えると父進は『筋を通す事』を第一義に考える常識人だったのだと思います。

もう一つ凄いのは、23歳の若さでの出来事で医療的見地から解剖をしたいとの病院側の申し出に対して嫁ぎ先の方が判断に窮している時に父進は「医学の発展の為に寄与すべきだ」と毅然と話をして6時間以上の解剖をじっと待たれていた忍耐力も凄いものがあると思っています。最後に父進は家に帰ると73歳で内孫が生まれてからは本当に大切にしてくれたので、私は仕事に没頭できたのは本当にありがたかったです。

リピーターの皆さん、本日は何故か父進さんの事を語りたくなったのは、色んな事を振り返るべきだと考えているからかも知れません。イケイケドンドンだけではいけないと思うようになってきたからかなあ。リピーターの皆さん、どう思われますか。

 

ケーキのプレゼント企画でてんやわんや

令和3年12月24日

昨日はクリスマスのイブイブ企画で理事長である私がサンタクロースに変身して入居者さん、利用者さんにケーキをプレゼントすると言うイベントをさせて頂いた事は既に昨日のコラムに書きました。その舞台裏で大変な『ケーキが足らない大慌て事件』があった事を先ずは書かせて頂き、次に本日は本館2階にクリスマスイブイベントのゲストに招かれているお話を書きます。先ずは『ケーキ配りでのてんやわんや』について語ります。11時過ぎに5会場を回りお供をしてくれた職員共々高揚感に浸りながら話をしていると、多少余分に買ったケーキが20以上余っているとの情報が入り、私は直ぐに「盲養護老人ホーム優・悠・邑    和(なごみ)の入居者さん16人なら充分に食べて頂ける数だ。」と考えて、直ぐに和(なごみ)に連絡すると武藤相談員が「これから向かいます。」との事で、私は「入居者の喜ぶ顔をイメージして喜べる職員だ。」と嬉しくなりました。私が昼食の味噌煮込みうどんを頂いている時に武藤相談員が来たので2個余分になる18個を渡し、再び味噌煮込みうどんを食べていると、「デイサービスのケーキが有りません。」との報告が入り、私は「あれほど何度も確認したのに」と思いつつ、「ケーキがあたらない方がいるのは絶対に駄目だ。私は足らなくて悔しい思いをしたことがあるから無しで良い的な発想は絶対にあってはならない。」と思うと共に一番良い解決方法を瞬時に考えて行動に移しました。その答えとは、まだ、武藤相談員は和(なごみ)の施設には着いてない時間なので先ずは第一報で「入居者さんに配らずに本部施設へ渡したケーキを持って来て欲しい。」と連絡すると共に13時30分からは全国老人福祉施設協議会主催の総務・組織委員会がリモートであるので、それまでに和(なごみ)の入居者さんに食べて頂く代替品を手配しなければいけないが時間がないのでケーキ屋さんまで行く事は出来ないので一番近くにあるコンビニまで行きいつものケーキやシュークリームが置いてある棚を見ると何個かはあるが同じもので手配する事は難しい状況だったのです。ふっと左の方に視点を向けるとその棚にはデコレーションケーキが2箱のみ陳列してあったので私は思わず「このケーキは売り物ですか」ととんちんかんな質問をすると店員さんはビックリしたような顔をして「はい、お売り出来ます。」との、これまたとんちんかんな答えでしたがその答えに取り敢えず安堵して、「何らかのミスがあったのは理事長である私の責任」と私のお小遣いから支払いました。ほっとして施設に帰ると「別の冷蔵庫にデイサービスの分はありました。」との報告を貰いましたが、和(なごみ)の入居者さんにはデコレーションケーキを食べて頂く事にして、ダブったケーキは頑張った職員に食べて貰う事にしました。私はとにかく、余ったのは仕方がない。確かに勿体無いには違いありませんが足らないよりは良かったと思っています。本日2階のクリスマスイベントについて書きます。賑やかな事が好きな職員が揃っているフロアなので、私は赤のズボンに緑のジャケットに緑のネクタイに赤のベストを(クリスマスバージョンですから)歌謡ショーの衣装として用意して先ずはサンタクロースに変身して劇に参加しました。殆んどぶっつけ本番で、どんだけアドリブを入れても良い劇なので、メッチャはしゃぎながら劇を楽しみました。引き続きの歌謡ショーの衣装に着替えて『お前しか愛せない』『人生夢の途中駅』『恋』を歌わせて貰いました。正直汗ビッショリかいたので終了後は家に帰り服を全部着替えて再び本部施設に戻り昼食をとってから急ぎ千葉県から和(なごみ)の施設見学にみえると言うので和(なごみ)に行きました。盲養護老人ホームの建て替えの為に施設長以下6名の方がみえて熱心に見学と意見交換会をしました。私の持論と全国老人福祉施設協議会の存在意義も熱弁しました。16時にタクシーが迎えに来るギリギリまで話をして、今後も交流することを約束して御客様を見送り、朝からバタバタだったので本部施設に戻りメールの確認や電話連絡や打ち合わせをして、今は湯船に浸かりながらコラムをうち終え、我が家の細やかなクリスマスでチキンとケーキを頂き、ゆったり休む事にします。リピーターの皆さんもゆっくりとお休み下さい。

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スライドショーです

令和3年12月23日

昨夜は21時過ぎには異常な睡魔に襲われて爆睡したのですが、午前2時に目を覚ましてからは眠れなくて(5時間しっかり寝たのだから大丈夫なのでしょうか。歳をとると睡眠時間は少なくて良いとの話を聞いた事があるから)ウダウダと眠りながらいつものように4時50分のアラームで行動を開始して、いつものようにウォーキングマシンに乗りながら歩きとお経をしてから、お風呂に入りながらガラケーの携帯でいままでに撮った写真を1枚1枚見ていたら、たまたま、どこかを押したんだと思うのですが、『スライドショー』の画面になり、過去の写真が順番に写り出されて、かなり前のものもあったので、懐かしさを覚えながら見る事が出来ました。

見終わってからいそいそと施設に出掛けたのですが、10時から私はサンタクロースに変身してケーキを各フロアに配る企画を職員がお膳立てくれていて、今回の企画の仕掛人の職員が玄関ホールで既にワイワイしているので、その輪の中に入っていくと、「昨日よりゆったり着れる衣装がありました。」と言う事で、衣装に手を通すと「確かにゆったりと着れる。」と言う事で、先ずは記念写真を撮りながらワイワイガヤガヤ、いよいよ出発です。

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お供の軍団を見ると幹部及び準幹部ばかり。「うーん。少し考えなければいけないな。」いやいや、「バカになりきる手本を見せとるのだ。」と思うとお供の職員に頭が下がる思いです。流石に本日は新館1階まではソリに似せたリヤカーには乗らずに歩きました。そして、新館1階の入口手前でリヤカーに「よっこらしょ」とまたいで乗りました。(リピーターの皆さん。私がまたげないと思ったでしょう。またげましたよ。何とかね。)

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先ずは新館1階に入って行きながら(とはいえ私はサンタクロースですからソリに乗って、いやいやリヤカーに設置してある椅子に座ってですが)クリスマスソングが流れている中を大きな声で「メリークリスマス。」と言いながら入場して、膝の上に抱えていたケーキを入居者の代表の方にお渡しして、一人ひとりに挨拶をして回りました。

私に握手を求める方や、素晴らしい笑顔の方や、感極まって流れている方もありました。全ての方にご挨拶が出来てから歌のプレゼントで『お前しか愛せない』を歌わせて頂き、拍手に送られながら、新館2階に行き、これまた大歓迎を受けてプレゼントをお渡しして歌のプレゼントで『兄弟船』を歌い、意気揚々と本館2階、1階と頑張り、最後はデイサービスの利用者さんの所でもケーキのプレゼントをお渡しして歌を歌ったのですが、その頃にはお供の職員達もバテぎみでしたが、本当によく皆さん場を盛りあけてくれました。

デイサービスの利用者さんはよく心得ていてくれて「アンコール」の声に応えて2曲歌わせて頂きました。結局5会場を回らせて頂きましたが、どのフロアでも、職員の頑張りに応えて頂き盛り上げて頂きました。リピーターの皆さん。私は改めて理解しました。私達職員は入居者さん、利用者に支えられていると。

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本日は午前も午後もリモート会議です

本日は午前も午後もリモート会議があり、午後の全国老人福祉施設協議会正副会長委員長会議(ちなみに、午前は常任理事会です。)の締めの挨拶は副会長としてさせて頂く事になっているのですが、いつものように、午前4時50分のアラームで行動開始をしました。

ウォーキングマシンのスピードをいつもよりも早くして、いつも以上に汗をかいて、スピードが速いせいかお経の唱え方も速かったのと仏壇のロウソクが燃え尽きるのに時間があったので、お経を15巻もあげる事が出来ました。朝風呂の贅沢を味わいながら、湯船でもしっかりと汗をかいてから再び2階に行こうと暗い階段の踊り場の灯りを点けようとしたら、我が家の老猫『リット』の悲鳴に近い鳴き声。私もビックリでしたが、リットの尻尾を思い切り踏んだようです。私はリットが何の為に暗くて寒い所にいたのか理解できませんでしたが、私が再び2階に行くのを待っていたのだとすると「ういやつじゃ」と言う事ですが果たしてどうだったかはわかりません。今朝も朝食後にメロンを頂き、汁についてはリットに飲ませました。

本日は10時30分から全国老人福祉施設協議会の常任理事会があり、終了が20分延びたのですが、正副会長委員長会議は13時30分からだったので、昼食はゆっくりと頂く事が出来ました。午後の会議では岸田総理大臣が『介護職員9000円アップ』の問題についての課題について話し合われた時には、介護保険が導入されてから以降、介護保険外の高齢者施設の対応に制度がついていっていない事が色々あり、改めて政治力を発揮するために各都道府県や市町村に対してアクションを起こしていく事が大切だと言う事を理解しました。だから年明けからは色んな形で展開しなければいけないことも改めて理解しました。正副会長委員長会議の締めくくりの挨拶は私がすることになっていたので、会議の総括と共に年末の挨拶と年明けてからの役員の皆さんの活躍について話させて頂きました。

リモート会議が本日は4時間あり、流石にパソコンの画面ばかりを見ていたので疲れましたが、明日のクリスマス会の私のサンタクロースの衣装について職員とワイワイしていて、疲れがかなり取れたように思う私はまだまだ若いなと自画自賛です。

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明日の災害用のリヤカーをカラフルに飾りつけてくれたのに私はソリの代わりに乗れる幸せを感じながら本日はしっかり寝たいと思います。リピーターの皆さん。私が何も言わなくてもお膳立てをしてくれているのにメッチャ幸せに感じている私です。

不思議なネコ、その名は『リット』

令和3年12月21日

ネコの大好物と言えば大抵は鰹節とさんまやメザシと昔から決まっていると思うのですが、我が家の老猫『リット』は鰹節には目もくれません。主食は高齢『猫』用のキャットフードなのですが、魚にも肉にも全く興味を示しません。何度もこのコラムで書いているようにキャットフード以外で食べるのはメロンの汁のみなのであります。20歳の誕生日を先月の23日に迎えて人間の歳にすると90歳を越しているので、時には口の中が痛くて食べれなくなる事があるのですが、食べれない時でも、メロンの汁は飲めるのです。その気持ちは私もよく理解できます。

と言うのは私も口の中に口内炎が出来て、食欲がない時でも、日本酒の熱燗を飲んで気分が良くなった時に、お刺身なら食べれるんです。つまり、体調が悪いときでも、好きなものは食べれると言う事です。私は小さい頃に高熱を出して、全く食欲がない時でもお刺身とうどんなら食べれたのです。もしも、この世の中に私の大好物のお刺身とうどんが無かったら、食欲が無いままに生きていられなかったかも知れません・・・。そう言えば、大人になった今でも、度々熱を出すのですが(コロナが流行ってからは、手洗い・うがい・消毒・マスクをしっかりとしている為か風邪もひきません。)食欲は落ちないのは、小さい頃からの習慣なのでしょうか。

話をリットに戻します。本日、私は朝食の後に頂き物のメロンを食べようとすると朝、私がウォーキングマシンに乗る前にキャットフードを2度あげたのに、私がメロンを食べ出すと私にすり寄ってきて、「早くよこせ」とばかりの仕草をするのです。私も自分でも可笑しいくらいにメロンの身を食べ終わってからリットの為にメロンの汁を一生懸命にスプーンで貯めてテーブルの上に置くと、リピーターの皆さんも写真でご理解できると思いますが一生懸命に口を動かしているのです。リットの姿を見ながら食が細くなった入居者さんが、大垣の老舗寿司店『寿司吉』(すしよし)の板前さんが目の前で握ってくれたお寿司をパクパクっと食べられるのを見て、食の大切さを理解した事がありました。

しかしながら、今はコロナ禍で板前さんに来て頂いてのパフォーマンスもマグロの解体ショーのパフォーマンスも出来なくて残念でたまりません。外部の方を及びしても企画が出来ない分、本日から各フロアでクリスマス会のイベントがあります。残念ながら本日の本館1階のイベントには午前は全国老人福祉施設協議会主催の東京都の役員さんとの懇談会があり、午後は岐阜県老人福祉施設協議会正副会長委員長会議とカントリーミーティングの実行委員会があり、参加出来なかったのですが、明日からの3日間は私も都合が会う限り参加して入居者さんのストレス発散におバカをして寄与したいと考えています。リピーターの皆さん。このコロナ禍でも、頑張っている事に拍手をお送り下さい。

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『覚悟のない道は行き止まる』

令和3年12月20日

この言葉は昨日の奈良薬師寺の執事長である大谷徹奘師の日めくりカレンダーのお言葉です。この言葉を昨日事務所で目にした時に私自身『はっ』となりました。と言うのは正直、今回の盲養護老人ホームの計画は杉和会の理事長としての経営判断は正しかったのか間違いではなかったのかと・・・。自分が岐阜県老人福祉施設協議会の会長で私の使命だとの男気の思いの中で事業を展開する事にしたものの事業を開始して7が月が経過して80人定員なのに16人しか入居者さんがいない現実に時には不安が襲い後悔の念を抱く事も正直ありました。しかしながら、大谷徹奘師の言葉に接して私自身「今更何を弱気になっているんだ、誠意を持って前進あるのみ。それが、岐阜県内の視覚障害者の方及びその家族の安心につながるんだ。」と戒めて頂くと共に勇気つけられるお言葉でした。人として心揺らぐ事もありますが、これからも自分を信じて、周りの人達のご理解を頂きながらこれからも頑張っていきたいと考えていますので、改めてリピーターの皆さんの励ましとご理解を宜しくお願い致します。そんな事を考えている時に、またまた本日の大谷徹奘師の日めくりカレンダーを見ると『成功のカギは「予」がつく言葉、予習・予測・予想・予備・予定』確かに杉和会の理事長として、いわゆる『戦略』を持って経営のトップとしてはどれも大切な事であると思います。トップの人間がしなければいけない事は『先を見る力』。その為には、将来を見抜ける事が大切な事。そしてその為には色々な情報を入れていく事が大切な事。本日は17時15分から本部施設の幹部会があり、しっかり『予習』をしてきた職員がしっかりとした発言出来ると言う事が理解できたように思いました。しっかりとした発言が出来る事に喜びを持てる集団に育て上げていきたいと考えています。リピーターの皆さん。本日は大谷徹奘師の言葉を借りて話をしましたが、これからは、自分なりの表現が出来たらと考えていますので、これからも宜しくお願い致します。

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雪の話をします

令和3年12月19日

昨日は関ヶ原で今年初めての積雪で、施設内を3台の除雪車で除雪をして頂いたので、本日は雪にまつわるお話しをします。先ずは伊吹山が積雪世界記録を持っている話です。世界一とは知ってはいたのですが正確な事は分かっていなかったので、スマホのグーグル情報を検索したのです。(その程度は私でも出来ますよ。)そこに掲載されていたのは『公的な観測地点で、最も深く雪が積もった世界記録をご存知だろうか。1927年2月14日、米原市の伊吹山(標高1377メートル)側候所で観測した11メートル82センチが世界1位で、京都の「清水の舞台」の高さに匹敵する。気象庁の観測記録の国内2位は、青森県酸ケ湯の5メートル66センチなので、すさまじい記録だ。』との事で、改めて伊吹山は凄い山なんだと思いました。この話しは大正時代の話だとは言え、ほんの100年前の事ですから。私が住んでいる今須から車で30分も走ると伊吹山の梺まで行ける所に住んでいる訳ですから「関ヶ原は雪がよく降る」と言われても納得しなければいけないのです。私が中学生の頃に父進さんと一緒に我が家の大屋根に上って雪降ろしをした時に、父進さんから雪降ろしをするときはめったやたら雪を降ろせば良いのではない。自分が屋根から下りれる為の雪の確保が大事だぞと教えて貰いました。ただし、その年の大雪で檀家寺の屋根に上って雪降ろしをした時は、お寺の屋根はかなり独特なので、あまり活躍出来ずにいたのを覚えています。

 

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私にとって雪にまつわる出来事の中で一番は何と言っても平成9年12月1日の雪です。その年は本部本館施設の建設を行った年で、初雪である雪が12月1日にいきなり40センチ程どんと降ったのです。本館のゼネコンは大日本土木さんだったのですが、流石に岐阜県が誇るゼネコンの監督さんの手配は素晴らしかったです。ハード面では、大型の温風ヒーターをたくさんリースして、ガンガンに稼働させ6時間しか燃料が持たないのでフル稼働させる為に下請け業者の責任者の方に24時間体制で給油をして貰い、その当時40代前半の助監督は出来る限り除雪の機械を操って見えました。雪が落ち着いてからは、工期が遅れてはいけないとの配慮から4分割に下請け業者に分けて仕事が出来る体制を取られて職人さんの数もどんと増えました。12月1日にあれ程に降ったのにその後は大して降らなかったので、翌年の5月15日に竣工式を迎える事が出来ました。そして、いよいよ平成10年5月18日から事業開始した年の冬も雪は降りました。しかし、その頃の職員は与えられた仕事以外は関係無いとの発想しかなくて、急遽地元の業者から除雪機を購入して、その操作は私が作業するのが当たり前で、どけてもどけても降る方が勝ってしまうような状況に正直泣きたい気持ちで作業をしていたのを覚えています。今はそのような状況にないことに安堵してます。リピーターの皆さん。『雪』を題材にするだけでも、このように記憶が甦ってくる私の生き方は何と幸せかとしみじみ感じてます。ただし。しっかりと私のコラムを読んで頂いている方の中には「以前にも同じようなのがあったな」と感じられた方もあるかと思いますが、そこはそれで、「大切な事なんだと」理解して頂ければ幸いです。

 

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