合い(愛)の手の一言はメッチャ嬉しい

昨日は13時30分からデイサービス(準備が出来ました。とデイサービスの職員が来たので5分早かったですが)から新館2階に、新館1階にと順番にお参りの導師をさせて頂いたのですが、新館2階の男性入居者さんがお経を終えて私がお話をさせて頂いたタイミングで「理事長さんの声はええなー。」と褒めて頂いたのです。

この男性入居者は時間があると大きな声でお経を唱えられている方で、その方もいつも上手に唱えられているのを私が褒めるとメッチャ嬉しそうに顔をぐしゃぐしゃにして喜ばれる方なのですが、本日は良い意味で『倍返し』をして頂いた形になり、私も最大限の形で喜んだ次第です。「えっ、どんな風に喜んだか、リピーターの皆さんは知りたいですか」実はお腹をさすりながら「この立派なお腹があるからしっかりとした声が出るようになったのですよ。小さい頃は体重が今の3分の1位しかなくて、蚊の鳴くような声しか出せなかったのですが今はこのお腹だから大きな声が出せるので、このお腹を大切にしているのです。」と話をすると入居者さんから大きな笑いを頂き、ますます私は元気を頂きました。

次の話は盲養護老人ホーム『和』(なごみ)での話をします。この方も男性の入居者さんなのですが、実はこの方は本部施設にショートステイを利用されていて、私がその当時その方は殆んど目が見えなくて要介護3での利用との事だったので、本部施設での様子をみさせて頂いていて、確かに目が不自由だから『周辺介助』は必要だけれどもいわゆる『介護』は必要のない方で、特養の機能だと行動制限がかかり不自由な思いをされているのではないかと考えました。

そして一つの仮説を立てました。それは、「特養では部屋に引きこもる傾向があるけれども、盲養護老人ホームの機能を活用されたら、もっと積極的な動きが出来るのではないか。」と言う仮説です。私はその仮説を実現する為に措置権を持っている関ヶ原町に提案をしに行きました。そして、行政側から「ご本人様とその家族に新しい施設を見て頂いて判断して貰えば良いのではないか」との事で、在宅介護支援センターのケアマネさんの協力を得て、施設見学に来て頂きました。

娘さんは京都在住の方で電車でみえるとの事だったので、私が垂井駅までお迎えに行くと娘さんの他にお孫さんまで来て下さり一生懸命さが伝わって来ました。実際に見て頂くと娘さんもお孫さんも非常に気に入って下さったのですが、ご本人さんに預貯金があり措置では入れないと言う事でご本人さんは迷われていたのですが、娘さんから「お父さんのお金はお父さんが使えば良いので、お父さんがこの施設に入りたいと思うのならば契約でお世話になったら」の一言で入居が決まった方なのですが、入居されてからも生き生きと生活されているのを見させて頂き安堵していたのですが、先般和(なごみ)のお参りの時にお経が終り引き続きでカラオケを披露するのがいつものパターンになっていて、一曲歌った後に手拍子と共に「アンコール」の声がかかり、私が何を歌おうかと考えていると、最前列におみえになったかつて本部施設のショートステイを利用されていた方から「さぶちゃんがいい。さぶちゃんで」とのこれまた合いの手を入れて頂きました。本部施設におみえになった時は「そんな積極的な声かけはなかったのに」と思うと「なごみに来て頂いて本当に良かった」と目頭が熱くなりました。

今は入居者が16人ではありますが、盲養護老人ホームの機能を望まれる方は多くみえると思います。これからもしっかりと和(なごみ)の良さをアピールしていきたいと考えていますのでリピーターの皆さん、これからもご支援宜しくお願い致します。

息子から見た、父進の生き様を語ります。

令和3年12月25日

朝のウォーキング中に4人の写真を見ながら父進さんについて思ったことを語ります。父進は明治45年4月10日生まれですから生きていれば110歳です。(明治と言っても大正元年なのですが)明治生まれとは言え頑固さはなくて私にとっては優しいばかりの考え方によっては『甘々』な父進さんでした。かつてのコラムで書きましたが父進さんは石垣の陰から母秋江さんを見て一目惚れをして、今須のじゃじゃ馬お嬢の秋江さんが若山家の分家を春吉爺さんに作って貰った所へ養子に来たのです。私が小さい頃父進さんが年下の伯父さんを『春夫兄さん』と呼んでいるのに大いなる違和感を持っていました。と言うのも伯父さんは父進よりははるかに年下だったからです。もっとも秋江さんのお兄さんだから理屈の上では成り立つので、その事から見えて来るのは、父進は『筋を通して貫く生き方』だったのだと思います。

父進は苦学をしてでも戦前の師範を卒業したその当時としては教育界のエリートだったと思うのですが、母秋江が癌を患い闘病生活に入ってからは、『出世よりも母秋江との生活を優先した生き方』だったと言う事が今になって理解出来ます。そのような生き方を当たり前のように出来た父進の事を『今は』尊敬しています。尚且つ、母秋江さん中心の生活の中であっても不破郡で一番の学校であり自分が卒業した小学校の校長として君臨して、後輩の育成にも力を注いだ実績を評価して貰ったのだと思う現象として、退職した後も他界するまで『垂進会』(『垂』井町で『進』の会の意味で『すいしん会』)と言う会が年に1回は開催されていたのは凄い事だと今でも思っています。出世よりも母秋江中心だったのは、母秋江が他界した年は自ら申し出て、何かあった時に休みを取りやすいとの思いから、その当時の西濃教育事務所勤務を申し出たと言う事です。(今の私の立場だから理解出来た事なのですが。)

姉光子の話に移ります。何度もコラムで書いていますが、姉光子は22歳の10月に結婚して翌年の4月7日に急逝しているのですが、頭が痛いと言うのでその当時の関ケ原病院に入院したのですが、「痛い、痛い」と言い続けだったので隣の部屋から苦情がきて高校生の私は激怒したのを今でも覚えていますが、その事よりも私は父進に関ケ原病院ではなくて岐阜大学医学部附属病院に転院させるべきだと訴えましたが、父進は「嫁ぎ先の意向があるから」と頑なだったのを覚えています。今から考えると父進は『筋を通す事』を第一義に考える常識人だったのだと思います。

もう一つ凄いのは、23歳の若さでの出来事で医療的見地から解剖をしたいとの病院側の申し出に対して嫁ぎ先の方が判断に窮している時に父進は「医学の発展の為に寄与すべきだ」と毅然と話をして6時間以上の解剖をじっと待たれていた忍耐力も凄いものがあると思っています。最後に父進は家に帰ると73歳で内孫が生まれてからは本当に大切にしてくれたので、私は仕事に没頭できたのは本当にありがたかったです。

リピーターの皆さん、本日は何故か父進さんの事を語りたくなったのは、色んな事を振り返るべきだと考えているからかも知れません。イケイケドンドンだけではいけないと思うようになってきたからかなあ。リピーターの皆さん、どう思われますか。

 

ケーキのプレゼント企画でてんやわんや

令和3年12月24日

昨日はクリスマスのイブイブ企画で理事長である私がサンタクロースに変身して入居者さん、利用者さんにケーキをプレゼントすると言うイベントをさせて頂いた事は既に昨日のコラムに書きました。その舞台裏で大変な『ケーキが足らない大慌て事件』があった事を先ずは書かせて頂き、次に本日は本館2階にクリスマスイブイベントのゲストに招かれているお話を書きます。先ずは『ケーキ配りでのてんやわんや』について語ります。11時過ぎに5会場を回りお供をしてくれた職員共々高揚感に浸りながら話をしていると、多少余分に買ったケーキが20以上余っているとの情報が入り、私は直ぐに「盲養護老人ホーム優・悠・邑    和(なごみ)の入居者さん16人なら充分に食べて頂ける数だ。」と考えて、直ぐに和(なごみ)に連絡すると武藤相談員が「これから向かいます。」との事で、私は「入居者の喜ぶ顔をイメージして喜べる職員だ。」と嬉しくなりました。私が昼食の味噌煮込みうどんを頂いている時に武藤相談員が来たので2個余分になる18個を渡し、再び味噌煮込みうどんを食べていると、「デイサービスのケーキが有りません。」との報告が入り、私は「あれほど何度も確認したのに」と思いつつ、「ケーキがあたらない方がいるのは絶対に駄目だ。私は足らなくて悔しい思いをしたことがあるから無しで良い的な発想は絶対にあってはならない。」と思うと共に一番良い解決方法を瞬時に考えて行動に移しました。その答えとは、まだ、武藤相談員は和(なごみ)の施設には着いてない時間なので先ずは第一報で「入居者さんに配らずに本部施設へ渡したケーキを持って来て欲しい。」と連絡すると共に13時30分からは全国老人福祉施設協議会主催の総務・組織委員会がリモートであるので、それまでに和(なごみ)の入居者さんに食べて頂く代替品を手配しなければいけないが時間がないのでケーキ屋さんまで行く事は出来ないので一番近くにあるコンビニまで行きいつものケーキやシュークリームが置いてある棚を見ると何個かはあるが同じもので手配する事は難しい状況だったのです。ふっと左の方に視点を向けるとその棚にはデコレーションケーキが2箱のみ陳列してあったので私は思わず「このケーキは売り物ですか」ととんちんかんな質問をすると店員さんはビックリしたような顔をして「はい、お売り出来ます。」との、これまたとんちんかんな答えでしたがその答えに取り敢えず安堵して、「何らかのミスがあったのは理事長である私の責任」と私のお小遣いから支払いました。ほっとして施設に帰ると「別の冷蔵庫にデイサービスの分はありました。」との報告を貰いましたが、和(なごみ)の入居者さんにはデコレーションケーキを食べて頂く事にして、ダブったケーキは頑張った職員に食べて貰う事にしました。私はとにかく、余ったのは仕方がない。確かに勿体無いには違いありませんが足らないよりは良かったと思っています。本日2階のクリスマスイベントについて書きます。賑やかな事が好きな職員が揃っているフロアなので、私は赤のズボンに緑のジャケットに緑のネクタイに赤のベストを(クリスマスバージョンですから)歌謡ショーの衣装として用意して先ずはサンタクロースに変身して劇に参加しました。殆んどぶっつけ本番で、どんだけアドリブを入れても良い劇なので、メッチャはしゃぎながら劇を楽しみました。引き続きの歌謡ショーの衣装に着替えて『お前しか愛せない』『人生夢の途中駅』『恋』を歌わせて貰いました。正直汗ビッショリかいたので終了後は家に帰り服を全部着替えて再び本部施設に戻り昼食をとってから急ぎ千葉県から和(なごみ)の施設見学にみえると言うので和(なごみ)に行きました。盲養護老人ホームの建て替えの為に施設長以下6名の方がみえて熱心に見学と意見交換会をしました。私の持論と全国老人福祉施設協議会の存在意義も熱弁しました。16時にタクシーが迎えに来るギリギリまで話をして、今後も交流することを約束して御客様を見送り、朝からバタバタだったので本部施設に戻りメールの確認や電話連絡や打ち合わせをして、今は湯船に浸かりながらコラムをうち終え、我が家の細やかなクリスマスでチキンとケーキを頂き、ゆったり休む事にします。リピーターの皆さんもゆっくりとお休み下さい。

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スライドショーです

令和3年12月23日

昨夜は21時過ぎには異常な睡魔に襲われて爆睡したのですが、午前2時に目を覚ましてからは眠れなくて(5時間しっかり寝たのだから大丈夫なのでしょうか。歳をとると睡眠時間は少なくて良いとの話を聞いた事があるから)ウダウダと眠りながらいつものように4時50分のアラームで行動を開始して、いつものようにウォーキングマシンに乗りながら歩きとお経をしてから、お風呂に入りながらガラケーの携帯でいままでに撮った写真を1枚1枚見ていたら、たまたま、どこかを押したんだと思うのですが、『スライドショー』の画面になり、過去の写真が順番に写り出されて、かなり前のものもあったので、懐かしさを覚えながら見る事が出来ました。

見終わってからいそいそと施設に出掛けたのですが、10時から私はサンタクロースに変身してケーキを各フロアに配る企画を職員がお膳立てくれていて、今回の企画の仕掛人の職員が玄関ホールで既にワイワイしているので、その輪の中に入っていくと、「昨日よりゆったり着れる衣装がありました。」と言う事で、衣装に手を通すと「確かにゆったりと着れる。」と言う事で、先ずは記念写真を撮りながらワイワイガヤガヤ、いよいよ出発です。

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お供の軍団を見ると幹部及び準幹部ばかり。「うーん。少し考えなければいけないな。」いやいや、「バカになりきる手本を見せとるのだ。」と思うとお供の職員に頭が下がる思いです。流石に本日は新館1階まではソリに似せたリヤカーには乗らずに歩きました。そして、新館1階の入口手前でリヤカーに「よっこらしょ」とまたいで乗りました。(リピーターの皆さん。私がまたげないと思ったでしょう。またげましたよ。何とかね。)

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先ずは新館1階に入って行きながら(とはいえ私はサンタクロースですからソリに乗って、いやいやリヤカーに設置してある椅子に座ってですが)クリスマスソングが流れている中を大きな声で「メリークリスマス。」と言いながら入場して、膝の上に抱えていたケーキを入居者の代表の方にお渡しして、一人ひとりに挨拶をして回りました。

私に握手を求める方や、素晴らしい笑顔の方や、感極まって流れている方もありました。全ての方にご挨拶が出来てから歌のプレゼントで『お前しか愛せない』を歌わせて頂き、拍手に送られながら、新館2階に行き、これまた大歓迎を受けてプレゼントをお渡しして歌のプレゼントで『兄弟船』を歌い、意気揚々と本館2階、1階と頑張り、最後はデイサービスの利用者さんの所でもケーキのプレゼントをお渡しして歌を歌ったのですが、その頃にはお供の職員達もバテぎみでしたが、本当によく皆さん場を盛りあけてくれました。

デイサービスの利用者さんはよく心得ていてくれて「アンコール」の声に応えて2曲歌わせて頂きました。結局5会場を回らせて頂きましたが、どのフロアでも、職員の頑張りに応えて頂き盛り上げて頂きました。リピーターの皆さん。私は改めて理解しました。私達職員は入居者さん、利用者に支えられていると。

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本日は午前も午後もリモート会議です

本日は午前も午後もリモート会議があり、午後の全国老人福祉施設協議会正副会長委員長会議(ちなみに、午前は常任理事会です。)の締めの挨拶は副会長としてさせて頂く事になっているのですが、いつものように、午前4時50分のアラームで行動開始をしました。

ウォーキングマシンのスピードをいつもよりも早くして、いつも以上に汗をかいて、スピードが速いせいかお経の唱え方も速かったのと仏壇のロウソクが燃え尽きるのに時間があったので、お経を15巻もあげる事が出来ました。朝風呂の贅沢を味わいながら、湯船でもしっかりと汗をかいてから再び2階に行こうと暗い階段の踊り場の灯りを点けようとしたら、我が家の老猫『リット』の悲鳴に近い鳴き声。私もビックリでしたが、リットの尻尾を思い切り踏んだようです。私はリットが何の為に暗くて寒い所にいたのか理解できませんでしたが、私が再び2階に行くのを待っていたのだとすると「ういやつじゃ」と言う事ですが果たしてどうだったかはわかりません。今朝も朝食後にメロンを頂き、汁についてはリットに飲ませました。

本日は10時30分から全国老人福祉施設協議会の常任理事会があり、終了が20分延びたのですが、正副会長委員長会議は13時30分からだったので、昼食はゆっくりと頂く事が出来ました。午後の会議では岸田総理大臣が『介護職員9000円アップ』の問題についての課題について話し合われた時には、介護保険が導入されてから以降、介護保険外の高齢者施設の対応に制度がついていっていない事が色々あり、改めて政治力を発揮するために各都道府県や市町村に対してアクションを起こしていく事が大切だと言う事を理解しました。だから年明けからは色んな形で展開しなければいけないことも改めて理解しました。正副会長委員長会議の締めくくりの挨拶は私がすることになっていたので、会議の総括と共に年末の挨拶と年明けてからの役員の皆さんの活躍について話させて頂きました。

リモート会議が本日は4時間あり、流石にパソコンの画面ばかりを見ていたので疲れましたが、明日のクリスマス会の私のサンタクロースの衣装について職員とワイワイしていて、疲れがかなり取れたように思う私はまだまだ若いなと自画自賛です。

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明日の災害用のリヤカーをカラフルに飾りつけてくれたのに私はソリの代わりに乗れる幸せを感じながら本日はしっかり寝たいと思います。リピーターの皆さん。私が何も言わなくてもお膳立てをしてくれているのにメッチャ幸せに感じている私です。

不思議なネコ、その名は『リット』

令和3年12月21日

ネコの大好物と言えば大抵は鰹節とさんまやメザシと昔から決まっていると思うのですが、我が家の老猫『リット』は鰹節には目もくれません。主食は高齢『猫』用のキャットフードなのですが、魚にも肉にも全く興味を示しません。何度もこのコラムで書いているようにキャットフード以外で食べるのはメロンの汁のみなのであります。20歳の誕生日を先月の23日に迎えて人間の歳にすると90歳を越しているので、時には口の中が痛くて食べれなくなる事があるのですが、食べれない時でも、メロンの汁は飲めるのです。その気持ちは私もよく理解できます。

と言うのは私も口の中に口内炎が出来て、食欲がない時でも、日本酒の熱燗を飲んで気分が良くなった時に、お刺身なら食べれるんです。つまり、体調が悪いときでも、好きなものは食べれると言う事です。私は小さい頃に高熱を出して、全く食欲がない時でもお刺身とうどんなら食べれたのです。もしも、この世の中に私の大好物のお刺身とうどんが無かったら、食欲が無いままに生きていられなかったかも知れません・・・。そう言えば、大人になった今でも、度々熱を出すのですが(コロナが流行ってからは、手洗い・うがい・消毒・マスクをしっかりとしている為か風邪もひきません。)食欲は落ちないのは、小さい頃からの習慣なのでしょうか。

話をリットに戻します。本日、私は朝食の後に頂き物のメロンを食べようとすると朝、私がウォーキングマシンに乗る前にキャットフードを2度あげたのに、私がメロンを食べ出すと私にすり寄ってきて、「早くよこせ」とばかりの仕草をするのです。私も自分でも可笑しいくらいにメロンの身を食べ終わってからリットの為にメロンの汁を一生懸命にスプーンで貯めてテーブルの上に置くと、リピーターの皆さんも写真でご理解できると思いますが一生懸命に口を動かしているのです。リットの姿を見ながら食が細くなった入居者さんが、大垣の老舗寿司店『寿司吉』(すしよし)の板前さんが目の前で握ってくれたお寿司をパクパクっと食べられるのを見て、食の大切さを理解した事がありました。

しかしながら、今はコロナ禍で板前さんに来て頂いてのパフォーマンスもマグロの解体ショーのパフォーマンスも出来なくて残念でたまりません。外部の方を及びしても企画が出来ない分、本日から各フロアでクリスマス会のイベントがあります。残念ながら本日の本館1階のイベントには午前は全国老人福祉施設協議会主催の東京都の役員さんとの懇談会があり、午後は岐阜県老人福祉施設協議会正副会長委員長会議とカントリーミーティングの実行委員会があり、参加出来なかったのですが、明日からの3日間は私も都合が会う限り参加して入居者さんのストレス発散におバカをして寄与したいと考えています。リピーターの皆さん。このコロナ禍でも、頑張っている事に拍手をお送り下さい。

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『覚悟のない道は行き止まる』

令和3年12月20日

この言葉は昨日の奈良薬師寺の執事長である大谷徹奘師の日めくりカレンダーのお言葉です。この言葉を昨日事務所で目にした時に私自身『はっ』となりました。と言うのは正直、今回の盲養護老人ホームの計画は杉和会の理事長としての経営判断は正しかったのか間違いではなかったのかと・・・。自分が岐阜県老人福祉施設協議会の会長で私の使命だとの男気の思いの中で事業を展開する事にしたものの事業を開始して7が月が経過して80人定員なのに16人しか入居者さんがいない現実に時には不安が襲い後悔の念を抱く事も正直ありました。しかしながら、大谷徹奘師の言葉に接して私自身「今更何を弱気になっているんだ、誠意を持って前進あるのみ。それが、岐阜県内の視覚障害者の方及びその家族の安心につながるんだ。」と戒めて頂くと共に勇気つけられるお言葉でした。人として心揺らぐ事もありますが、これからも自分を信じて、周りの人達のご理解を頂きながらこれからも頑張っていきたいと考えていますので、改めてリピーターの皆さんの励ましとご理解を宜しくお願い致します。そんな事を考えている時に、またまた本日の大谷徹奘師の日めくりカレンダーを見ると『成功のカギは「予」がつく言葉、予習・予測・予想・予備・予定』確かに杉和会の理事長として、いわゆる『戦略』を持って経営のトップとしてはどれも大切な事であると思います。トップの人間がしなければいけない事は『先を見る力』。その為には、将来を見抜ける事が大切な事。そしてその為には色々な情報を入れていく事が大切な事。本日は17時15分から本部施設の幹部会があり、しっかり『予習』をしてきた職員がしっかりとした発言出来ると言う事が理解できたように思いました。しっかりとした発言が出来る事に喜びを持てる集団に育て上げていきたいと考えています。リピーターの皆さん。本日は大谷徹奘師の言葉を借りて話をしましたが、これからは、自分なりの表現が出来たらと考えていますので、これからも宜しくお願い致します。

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雪の話をします

令和3年12月19日

昨日は関ヶ原で今年初めての積雪で、施設内を3台の除雪車で除雪をして頂いたので、本日は雪にまつわるお話しをします。先ずは伊吹山が積雪世界記録を持っている話です。世界一とは知ってはいたのですが正確な事は分かっていなかったので、スマホのグーグル情報を検索したのです。(その程度は私でも出来ますよ。)そこに掲載されていたのは『公的な観測地点で、最も深く雪が積もった世界記録をご存知だろうか。1927年2月14日、米原市の伊吹山(標高1377メートル)側候所で観測した11メートル82センチが世界1位で、京都の「清水の舞台」の高さに匹敵する。気象庁の観測記録の国内2位は、青森県酸ケ湯の5メートル66センチなので、すさまじい記録だ。』との事で、改めて伊吹山は凄い山なんだと思いました。この話しは大正時代の話だとは言え、ほんの100年前の事ですから。私が住んでいる今須から車で30分も走ると伊吹山の梺まで行ける所に住んでいる訳ですから「関ヶ原は雪がよく降る」と言われても納得しなければいけないのです。私が中学生の頃に父進さんと一緒に我が家の大屋根に上って雪降ろしをした時に、父進さんから雪降ろしをするときはめったやたら雪を降ろせば良いのではない。自分が屋根から下りれる為の雪の確保が大事だぞと教えて貰いました。ただし、その年の大雪で檀家寺の屋根に上って雪降ろしをした時は、お寺の屋根はかなり独特なので、あまり活躍出来ずにいたのを覚えています。

 

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私にとって雪にまつわる出来事の中で一番は何と言っても平成9年12月1日の雪です。その年は本部本館施設の建設を行った年で、初雪である雪が12月1日にいきなり40センチ程どんと降ったのです。本館のゼネコンは大日本土木さんだったのですが、流石に岐阜県が誇るゼネコンの監督さんの手配は素晴らしかったです。ハード面では、大型の温風ヒーターをたくさんリースして、ガンガンに稼働させ6時間しか燃料が持たないのでフル稼働させる為に下請け業者の責任者の方に24時間体制で給油をして貰い、その当時40代前半の助監督は出来る限り除雪の機械を操って見えました。雪が落ち着いてからは、工期が遅れてはいけないとの配慮から4分割に下請け業者に分けて仕事が出来る体制を取られて職人さんの数もどんと増えました。12月1日にあれ程に降ったのにその後は大して降らなかったので、翌年の5月15日に竣工式を迎える事が出来ました。そして、いよいよ平成10年5月18日から事業開始した年の冬も雪は降りました。しかし、その頃の職員は与えられた仕事以外は関係無いとの発想しかなくて、急遽地元の業者から除雪機を購入して、その操作は私が作業するのが当たり前で、どけてもどけても降る方が勝ってしまうような状況に正直泣きたい気持ちで作業をしていたのを覚えています。今はそのような状況にないことに安堵してます。リピーターの皆さん。『雪』を題材にするだけでも、このように記憶が甦ってくる私の生き方は何と幸せかとしみじみ感じてます。ただし。しっかりと私のコラムを読んで頂いている方の中には「以前にも同じようなのがあったな」と感じられた方もあるかと思いますが、そこはそれで、「大切な事なんだと」理解して頂ければ幸いです。

 

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早朝4時16分にメールが来ました

メールは宿直者の五次部長からで雪の報告で、玄関前の駐車場で10センチ程度あり、今後の事を考えると除雪をお願いした方が良いのではないかとのものでした。この報告を見た時に、私の方から除雪の契約をしている地元の材木屋さんに連絡しなければいけないと思うと共に、単なる報告だけでは無くて状況に応じた提案が出来た事に満足しました。直ぐに起きて行動開始です。

先ずは2階の窓から道路の状況を見ると町道である旧中仙道の道路は既に道路の除雪がしてある事を確認した後、除雪していただく方に電話をさせて貰うと直ぐに電話に出ていただき「支度をしてます。」との事に感謝です。除雪の連絡がついたとの連絡を五次部長にすると共に温かい飲み物をお渡しすることも依頼しました。

そうこうしていると、4時50分のアラームがなったのでベット上でのいつもの手足の運動に肩も動かしてから、本日はウォーキングマシンに乗るのでは無くて、仏壇に手を合わせてから暖かい上着を着て、外に出て玄関前の雪解けをしました。既に道路の除雪がしてあり、大きな雪の塊は重かったのですが頑張りました。雪が時より強く降ったりしましたが、取り敢えず家の前は綺麗になりました。ガラケーの携帯で歩数の確認をしたところいつもの30分の歩きの時のように3500歩には遠く及ばない1000歩そこそこでしたが、家に入りお風呂の脱衣場で服を脱ぐと背中にはびっしょりと汗をかいていました。運動は単に歩けば良いと言うものではなくて活動の中身こそ大切だと言う事を改めて理解した思いです。

本日、NHK名古屋支局の方が私との意見交流の為に来て頂く予定でしたが、大阪市での雑居ビルでの火事の応援取材に急遽行かれる事になり昨夜の内にキャンセルの為のメールを頂いていたのですが、改めて確認の電話を頂いました。コロナ禍における施設での面会の体制に対するアンケート集計をメールで送る約束をして、私のパソコンに空メールを送って貰うように話をしておいたところ、私が施設に着く前に送信されていました。岐阜県老人福祉協議会制度政策委員長が集計して貰った物を送信すると、間髪入れずにお礼のメールが返って来ました。

私はつくづく思うのですが、情報を得るためにはこのようにフットワークよく活動することが大切なんだと舌を巻く思いです。とは言え私も自分自身ご縁を頂くチャンスを見逃さずに活動してきたからこそ、今のようなネットワークを構築出来ているのだと。ここは自画自賛です。

リピーターの皆さん、今回のコラムは少し調子に乗り過ぎですかね。

昨夜は強か飲みました

令和3年12月17日

飲み会は早くに始めて早くに解散する予定で座長のお店である『くんくん』に17時30分に行くと既にボランティア集団『てるてる座』のメンバーの4人は来られていて、施設側は一人が来れなくなったので6人のメンバーが揃ったので先ずはビールで乾杯。夕食は『くんくん』の隣にある寿司飛脚のお寿司を準備してあり、私の大好物の漬物と豆腐がそれぞれに準備されており、私が差し入れで持参した『明方ハム』』(岐阜県が誇るメッチャ美味しいハムなのであります。)と唐揚げ等をつまみにしながら飲みました。ただし私はいつまでもビールではダメなので、これまた私が持参した石川県が誇る『菊姫』(頂き物です。)の一升瓶を開けて、お酒が大好きな方が隣の席に座られていたので二人でハイピッチで飲みました。

お酒も一段落した段階でカラオケタイムになり私がトップバッターで、一曲目は地元の演歌歌手の砂田おさむさんの持ち歌である『織田信長』を歌いました。大体一曲目の善し悪しでその日ののり具合は判るのですが、入居者さんや利用者さんの前以外では1年9ヶ月ぶりのカラオケですが、『くんくん』の音響が素晴らしい事もあり、これが自分でも聞き惚れる位に上手く歌えたのでその後も一杯いっぱい歌い、尚且つ飲みました。そして改めて思ったのは『予定は未定であり決定ではない』と言う事です。と言うのは書き出しの所で書いたのですが、昨夜の予定は「早くに始めて早くに終わる予定」でいたにも関わらず五時間近くもくんくんにいたので『早くに帰る』と言う予定は見事に裏切られてしまいました。

予定通りに出来たのは午前の和(なごみ)のお参りと全体会と、和合での幹部会とお参りでした。ただし。和合での会議は予定の時間よりかなり延びてしまい、幹部会の後に予定していたお参りはかなり急いだお経になってしまいました。そしてもう1つ、予定通りには出来なくなった事があります。それは明日、NHK名古屋支局の記者の方が施設にきて下さっての取材があるようになっていたのですが、昼のニュースからばんばん報道されている大阪市北新地での雑居ビルでの取材に急遽駆り出されて、明日の取材はキャンセルになったと言う事です。

只今午後927分で外はしんしんと雪が降っています。明日の朝までに雪が積もったらまたまた、予定は変わってきますので、早くに寝て、雪への備えの為に寝る事にします。リピーターの皆さん。何事にも予定は未定で決定にはありませんので臨機応変に対処出来るように頑張りますのご理解下さい。

 

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