施設でクラスターが発生したら・・・

令和4年3月28日

コロナは収束に向かっているとは言え、まだまだ油断を許さない状況がある中で、万が一施設においてクラスターが発生した時には『施設内でクラスターを完結すべし』と言う考え方が出てきている。沖縄県では、施設の職員の陽性者が陽性者の入居者のお世話をしていた。との報道まで出ている。保健所によっては「施設には嘱託医が配置されていて、看護職員がいるのだから施設内で完結すべし」と言う考え方のところもあると聞いています。しかしながら特養における嘱託医の配置についての考え方は『健康管理』が主たる役割だと認識しています。

特養においては常勤医師が配置されている施設はほんの僅かであり、クラスターが発生した時の対応までは出来るような状況ではないのが現状です。つまり、現状認識もしないで『特養でクラスターが発生したら施設で完結すべし』はあまりにも現状認識からかけ離れたものと言わざるを得ません。勿論、受け入れる側の病院にとっては、コロナに感染したからと言っても、症状が軽くて、しかも認知症で徘徊されるような方の対応には苦慮されると思いますので入院受け入れを躊躇さるる対応を取りたい気持ちも理解できます。では、どのような対応がベストかと言うと、多くの入居者さんや職員に感染して入院が難しい状況の時には『感染症専門看護師と医者等に施設へ応援に来て貰い、施設の中を『グリーンゾーン』『イエローゾーン』『レッドゾーン』にわけて、感染症対策をしっかり施しながら施設の職員に対策を留意して貰い二次感染、三次感染を起こさなくて陽性者の対応をしていく事によって収束に導いていく事だと考えています。つまり、何でもかんでも施設でお世話をすると言うのではなくて、きちっとした体制をとったうえで対応することが寛容だと思います。蔓延防止対策は解除されましたが、決して『ゼロ』になったわけではありません。

確かにコロナ対策にへき易されてみえる方のたくさんおみえになると思います。しかしながら、油断なく『コロナ対策』を万全にして、『ウィズコロナ』で過ごす事が大切な事です。『感染症』や『伝染病』は生命が有る限りどんな化学力、科学力が提案されても『ウィルス』も進化し続けます。それが自然の摂理なのです。だから、落ち着いてきた頃に進化したのが出てくるのです。(今の第5波は『オミクロン株』)何れコロナの治療薬は市販されるようになると思います。だからと言っても、リピーターの皆さん、手洗い、うがい、検温は習慣化して、健康な毎日をお互いに送りましょう。私はまだまだ、大変な日々なので、今朝も4時38分のアラームで起きて頑張っているのですが闇が晴れたら美味しい料理と美味しいお酒を飲める日を楽しみにして頑張りますので応援宜しくお願いします。

今朝の目覚め時に頭が痛くて・・・。

令和4年3月27日

昨夜は異常に眠くて、と言うよりも1日中眠かったように感じていました。勿論、色々な相談にはしっかりと対応していましたし、コラムも書けました。眠かったのには色々な事が考えられます。①夜しっかりと眠れない。②花粉症で体が怠い。③確実な予定がないからシャキッとしない等々です。だから、昨夜は21時には無呼吸症候群のシーパップと言うマスクをつけて早々に寝ました。その前に大切な事を忘れていました。それは、2週間ぶりに熱燗を1合半程呑みました。2週間禁酒していたのは、ピロル菌の薬を1週間毎日飲んだのでその前後を含めて飲まなかったからです。

入居者さんの状況に厳しい状況の方がおみえにならないのもお酒を飲むのに背中を押してくれました。お酒を飲むのが久しぶりだった為か結構酔いが回るのが早かったです。酔いが回ると私の場合は食欲がわいてきて、食事を食べて、熱燗も1合半飲んだにも関わらず大きなあられをバリバリと何枚も食べてしまいました。お酒と食欲の関係は私の場合ですので根拠があるわけではありませんが私の場合はそうなのです。最近、滅多にお酒を飲まないからでしょうか体重が4キロも落ちたのですが、お腹の肉が落ちるのは最後なのか、お腹の出っ張りが余計に目立っているのが気になります。本題に入らずに500字も書いてしまいました。

本題に入ります・・・。(本題が何だったか分からなくなり、思わず確認しました。)「今朝の目覚め時に頭が痛くて・・・。」でしたのでこれから語ります。4時38分のアラームで目を覚ましいつもの様にベット上での体操をしようとしたら「頭が痛い」取り敢えず体操をして、着替えを持って1階に降りていつもの様に着替えをしてから洗面を終えて、いつもとはパターンを変えて「頭が痛いのが心配だから血圧を計ろう。」と言う事で『130-91』だったので、「血圧はそれ程心配ないな」と言う事で、若宮八幡大神様と仏壇の水替えをして蝋燭と線香に火を点け先ずは若宮八幡大神様に手を合わせお願い事を大きな声でしてから仏壇に移り正信偈を唱えたのですが、この段階でも頭が痛い。「う~ん。困った。」と思いつつ、ウォーキングマシンに乗り歩きながら般若心経を唱えていると、歩いているわけなので、当然ながら汗をかき出したら「あ~ら不思議。頭の痛いのが治った。」と言う事で、この現象は『二日酔い』と言う事何だと結論付けました。

コロナ禍でお酒を飲む機会が激減したのと、色々と大変な状況があり、お酒を飲む余裕が無かった事により、私は『酒豪でなくなった。』と言う事何だと言う事です。お酒が美味しく飲める様になるまでは月に3回程度1合半までと決めていますが、美味しく飲む雰囲気の良い酒は二日酔いをしないと思いますので(今までに何回も1升酒を飲んでますが、二日酔いにはなっていませんので。)今は控えていずれはち切れた時に浴びる程飲むのを楽しみにして今は私の出来る事を精一杯頑張りますのでリピーターの皆さん応援よろしくお願いします。

 

昨日のコラムでは意が尽くせなかったので・・・。

令和4年3月26日

私は特別養護老人ホーム『優・悠・邑』の施設長として、お陰さまで24年間、入居者さんからの『最後の教え』である『看取り対応』を大切にしてきました。昨日の記事にも有りましたが、『死』は誰にも平等に一生に一回あるもの。記事の中では「病院ではなくて自宅で」と書いて有りましたが、私の施設では「自宅以上に楽しく、やすらぎの場所」であり「家族が出来ない分、職員がしっかり受け止めて対応させて頂く。」を常に念頭に置いています。昨日のコラムで『枯れるように』は、葬儀の際にお棺でやすまれているお顔を見て、『やすらかな寝顔』を見ては、「良かった。天国でもゆっくりとおやすみ下さい。そして、家族は勿論の事、入居者さんや職員を見守っていて下さい。長いことご苦労様でした。」とお話をするのが嬉しいです。※昨日のコラムのまとめで以上の様な事が書きたかったのです。 

かつての職員が私の外出中に来てくれました。

 外出から帰り私の机の上に1通の手紙が置いてあり、確認をしようとすると、事務所の職員から「結構な量の豚肉を職員だった〇〇さんから頂きました。(実名でも大丈夫かとも思いましたが)」との報告を聞いて「手紙を添えるとは彼らしいな。」と思いながら冷凍庫に入れてあった豚肉を確認して、かつての職員に連絡しました。そしてその電話の中で「たくさんの豚肉を頂いたので寸胴の鍋で豚汁を作って入居者さんと楽しむよ。」と言うと「理事長ならその様に言われると思っていました。」と返されたので私は「ワンパターンで申し訳ございません。」と心の中でつぶやきました。そして本日管理栄養士に確認して来月17日の日曜日に実施する事にしました。今年初めての『寸胴祭り』に今からワクワクしています。だって私がワクワクして、そのワクワク感を伝染(悪い病気ではありませんよ。)させて入居者さんや職員がフィーバーしてくれるのを今から楽しみにしています。 

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本館2階の『さくら』 

本日は朝からどんよりとした、雨降りで小寒い一日なのですが、本館2階の食堂に行くと正に『春爛 漫・・・』『さくら、さくら、さくら』西村課長によると「まだ未完成ですが、入居者さんが一生懸命に頑張って貰っています。」とのこと。リピーターの皆さん桜の花に見えるのは『おはなかみ』と言う商品を入居者さんが桜に似せて折って下さったものなんです。素晴らしいと思いませんか。

桜1 桜2

 

またまた『週刊現代』情報です。

令和4年3月25日

『跡を濁さない「死に方」は選べる』、『医師が教える「上手な最期」の迎え方』、『必読 人はこうやって死んでゆく』とのタイトルが並び小見出しには『チューブだらけの最後』、『赤ん坊に戻ってゆくだけ』、『どうしたら開き直れるか』、「目をそらさず考える」とあり、太い字で『死は誰にでも平等にやってくるが、一度しか経験できない。そのため、多くの人が納得のいく形で亡くなることが出来ていない。「下手な死」を避け、「上手な最期」を迎えるためには何が必要なのか。』とありました。その時私自身の経験(私自身の死んだ経験ではありませんよ)先ずは生母秋江さんは私が中学1年の時ですが母秋江さんは癌が転移しては重症化して入退院を繰り返していましたが、最後は自宅で家族を含めて大勢の身内に見送られて他界しました。この様になったのは父進さんの強い思いを今は感じる事が出来ます。

と言うのはその当時の父は既に学校長を3年経験して次は地元の中心校の校長にもなれる状況であったにも関わらず「妻秋江の最後は自宅でしっかりみたい。その為には学校長をしていては休みの調整が出来にくい。」と言う事でその当時の西濃教育事務所への転勤を希望したと聞いています。その当時(55年前)の母秋江は骨癌の末期で今で言う『緩和ケア』を望み、関ケ原病院もその体制をとって頂けたと言いう事で痛みを緩和するための『モルヒネ』で殆ど錯乱していたと思うのですが(既にコラムで書いていますが)最後は静かに安らかに息を引き取ったと思っています。父進さんは私が38歳でフリーランス(大学等の非常勤や家庭教師をしていました。)だった時の6月22日の朝、真っすぐ歩いているつもりが、しっかり歩けなくて「これは、何らかの異常の前兆だ。」と思い関ケ原病院に受診して即入院になりました。その頃の私は、稼ぎは少ないけど忙しい生活をしてたので、病院に様子を見に行く事があっても『看病する』時間などなくて、唯一病院で泊まったのが8月11日で、他界したのが12日の早朝。つまり、私が生まれて初めて看病の為に泊った日に他界したと言う事。

でも、家に連れて帰り昼間は葬儀の準備でばたばたでしたが夜は父進の隣で父の『ほっ』とした顔を見ながら寝る事が出来たのは幸せでした。週刊現代の記事の中で私が言いたいことがかいてあったので書きます。『下手な死を避け、肉体的にも精神的にも苦痛の少ない上手な最期を迎えるにはどうすればいいのだろうか。余計な苦痛を感じずに亡くなるんは、死期を迎えた時にはもう何もしない事です。その為には病院では家で亡くなることが一番の方法です。病院に行けば命が助かると言うのは、幻想にすぎません。死の間際の点滴は血液を薄め、内臓に負担をかけるだけで、酸素マスクもただ呼吸の邪魔をするだけ。穏やかな最期を迎えるには、いかに医療から離れるかが重要になるのです。』との記述を見た時に『我が意を得たり』と思いました。つまり、私が提唱している『枯れる様に』『枯葉がちょっとの風で落ちる様に』・・・。

う~ん。リピーターの皆さん本日のコラムの意が通じたか自信がありませんが、19時からの1時間の本部施設での全体会の後にまとめをしたので、締まりのないものをお詫びして明日には名誉挽回と考えていますので懲りづにこのコラムを読んで下さい。お願いしま~~す。

『水緩む』(正確な言葉で無いかも知れませんが・・・。

本日もアラームのセット(4時45分)より早くから(とは言え4時40分ですが)からの行動開始で若宮八幡大神様とお仏壇のお水かえとお祈りとお仏壇での正信偈とウォーキングマシンに乗っての般若心経13巻を唱えて、再び若宮八幡大神様とお仏壇で手を合わせ父、母、姉、英子さんに挨拶をしてから(ここまでの説明が長くてマンネリ化してますか。いやいや継続は力と信じてます。)お風呂に行き洗い場で水を頭も含めて全身にシャワーを浴びてから浴槽に入るのですが、お湯の追い焚きを忘れていて追い焚きのボタンを押して直ぐにお湯に足を入れた時にまだ最近までは「冷たい。」と感じていたのに「何とか大丈夫だな。」と言う感じで足を入れる事ができました。と言う事はタイトルの通り『水緩む』と言う事か。いやいや、朝方の寒さが緩み浴槽内の蓋をしたお湯が極端に冷めなくなったと言う事で、こんな所にも春を感じる事が出来たように感じました。

私は児童養護施設の児童指導員になった26歳の時から、かれこれ40年以上が経過する中、自分で言うのも変なのですが、こんなに情緒的な思いをするようになったのには自分自身驚きです。これは、今の現実が厳しい状況で自分を振り替える事を寝ている間も考えている中での賜物のように思います。死ぬ直前には一生が走馬灯のように甦るとか。でも、私は生きているから毎日毎日の振り返りが出来ると言う事で、ある意味貴重な経験を積まして頂いているのかも知れません。何事に対してもこの様にポジティブに考えれるようになったのは『復活』への兆しなのかと都合よく考えています。

本日は10時から和(なごみ)でお参りと全体会があり、14時からは和合での全体会が予定されていたのですが、予定は未定で決定ではないの通り、昨夜亡くなられた方の家族の対応の為に施設に早くに行きました。葬儀の対応について相談に乗り、施設側で出来る事はしっかりさせて頂きました。このスタンスは施設を開設した24年前から変わりません。だってお困りの事に対して何とかするのが施設の役割だと考えているから・・・。和(なごみ)での対応、和合での対応を終えて本部施設に帰り、最後の仕事は明日の葬儀を受けて下さったお寺さんにご家族をお連れして、共同墓への手続きのお手伝いをしました。家族の方は「そんな事までして貰えるのですか。」と聞かれたので「他の施設がどこまでされるかは知りませんが、施設側で出来る事はしっかりするのは当然の事と考えています。」と正直に答えました。

リピーターの皆さんは私のこんな考え方をどう思われますか。できたらご意見をお聞かせ下さい。

リピーターの皆さん『星新一』さんをご存じだったですか

令和4年3月23日

私は昨日のコラムで『ショートショート3題』等と偉そうなタイトルをつけて、『星新一』さんはショートショートの神様のような方のお名前まで出して書いてしまいました。そこで本日のコラムで星新一さんの事を私の思いでと共に紹介したいと思います。

星新一のプロフィールを見て、「私は偉そうな事を言っていても、全く無知ではないか。知ったかぶりをするのは駄目ですよ」と思ってしまいました。『1926年9月6日生まれ(驚きです。あの発想が大正生まれとは)星製薬創業者星一、精夫婦の長男として誕生。本名は、親一。幼い頃は両親や弟妹と離れた部屋で祖父母に可愛がられて育ち、話し相手といえばクマのぬいぐるみだった。祖父は東京大学名誉教授で人類学の第一人者、小金井良精、祖母は森鴎外の妹、喜美子である。1950年3月東京大学大学院(農学部発酵生産学教室)前期修了。なんと星製薬株式会社取締役社長を経て、1957年、同人誌『宇宙塵』2号6月号に発表した『セキストラ』が江戸川乱歩編集の11月号に転載され、商業誌デビュー。宇宙開発時代の到来と重なり、日本のSF文学の旗手として脚光を浴びる。

400字原稿用紙10枚程度のショートショートと呼ばれる小説形式を得意とした・・・。正直私が知ってるのはショートショートを私が好きだっただけで、何にも知らない状態で改めて『凄い方』だったと気が付きましたし、尚且つ、私より30近く早く生まれた方が私がワクワクするショートショートを書かれていたと思うと驚きでは無くて感動です。多分今改めて読んでも新鮮なショートショートだと思います。

星新一に刺激を受けたわけでもないのですが、不思議な現象だと私は真剣に思っている事を次に書きます。それは、一枚の写真を見て頂いてからにします。写真は何の変鉄もないクッションの写真なのですが、このクッションは私が寝てる時や着替えをしているときに誰もいないのに突然倒れたり動いたりするのです。私はその現象を満20歳まで生きてくれた『リッド』が遊びにきて遊んでいると信じているのです。だって、私以外に誰もいないのに突然倒れたり動いたりしたらリッドがきたと思うしかないのと違うの。と言う事であります。

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リピーターの皆さんの中には「そんな馬鹿な。」と思われる方が殆どだと思いますが、私は真剣にそのように思っているのです。私の奥様かをり様に言わせると私がリッドと仲良くなって私のベットに乗ってきたのは他界する1ヶ月程だと言うのです。だから、リッドはもっと一緒に遊びたかったと言う事で枕元をカサカサさせながら歩いてみたり。クッションを蹴飛ばしてみたりするのだと信じています。でも、いつまでも私と遊んでいると天国にいけないので私がしっかりとお別れを言わなければいけないのだと思います。リピーターの皆さん。こんなことを考えている私は変ですかね。

 

ショートショート三題

①アラームよりも正確な私の体内時計

 

今朝も目が醒めた時にガラケーの携帯で時間を確認すると、午前4時45分。その時間を確認して「うん?」と思いました。と言うのは、「昨日セットした時に4時50分では少し遅いと考えて5分早めて4時45分にセットしたはずなのに」と思ったからです。そこでセットの確認をすると、確かに4時45分にはなっていたのですか『OFF』になっていたのです。と言う事は「私の体内時計の方が間違いないと言う事か。」と思っています。「そう言えば昨日に確認した時は4時50分にセットしておいたのに4時49分だったな。」と言う事でリピーターの皆さん。私の事を『人間時計』と言って下さい・・・。リピーターの皆さんにお断りをしておきますが、決して夜中に何回も時間の確認をしていませんから。「もうそろそろかな」と思って確認した時間ですから。

 

②三寒四温と言いますが

 

20℃近くにまで温度が上がって「メッチャ暑いな。」と思う日があったかと思うと次の日は10℃もない日があったりして、桜の開花の予想がなかなか難しい状況がありますが、リピーターの皆さん、「よ~く考えてみて下さい。」寒いと言っても『10℃』ですよ。雪がカッカと降っていたときや、底冷えをしていた時の温度は『マイナス5℃』と言う事も今年の冬は何度かありましたよね。日本は四季がしっかりとしているので確かに冬と夏の温度差があるのは理解できるし、それぞれの季節にあうように体が整うように出来ているかも知れません。でも、1日の違いで10℃以上と体に応えますが、それも春から夏になるためのトレーニングをしていると考えると「この程度の事は仕方がないのか。」とも思います。先般2日間に渡って5ヶ所のフロアでお参りをした時にお経を終えてお話をさせて頂いた時に、各フロアで「暑い日があったかと思うと急に寒くなる事がありますが間違いなく桜が咲く春が来ます。それまでは、暑い時は服を全部脱がなくてもよいですが一枚服を脱いで下さい。そして寒いときは一枚着て下さい。そして、風邪などひかずに一杯ご飯を食べて頂いて、来月のお参りも元気に参加して下さい。」とお話をしました。人間の適応力の素晴らしさだと私は思っています。

 

③我が家の紅梅が今年も咲きそうです

 

2階の廊下の窓越しに紅梅の木を見ると赤いつぼみを一杯持っていましたので、思わずガラケーの携帯で写真を撮りました。多分この紅梅の木は戦前に植えられたものだと思うのでメッチャ長生きだし、根っこに近いところは殆ど穴が開いているのに「今年も咲いてくれる。」と思うと紅梅の木がいとおしく思っています。

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リピーターの皆さん。本日はショートショートで星新一さんばりに書いてみました。お経さんが上手くなったように文才も進化しているのかと自惚れています。リピーターの皆さんこんな事もたまには言いたい気分なんです。

宝くじ売り場で当たりの確認をしました

宝くじは『夢を買う』ものなのに、私は「七福神様にも若宮八幡大神様にも仏壇のお父ちゃん、お母ちゃん、光ちゃん、英子さんにもお願いしてるのだから当たりが当然」と考えていたのです・・・。よ~く考えてみたら「そんなんで当たるのなら夢を買うので、神様仏様ご先祖様をいったい何だと考えているのだ。」と言う事になると言う考えに至りました。そしてもう1つ、「世の中そんなに甘くない。」と言う事ですよね。リピーターの皆さんも、そう思われてますよね。ただし、「宝くじも買わなければ当たりませんよ。」と言う事です。

そして、昨日は私のおこづかいの範囲で買ったのと、私の夢に協力してくれた方のものを90枚持って宝くじ売り場に行き当たりの自動確認機で確認して貰った結果1万5千7百円が手元に戻ってきました。私は結果がかなり不満でしたが、良く良く考えてみたら、90枚✖300円は=27000円の元手で15700円が戻ってきたのだから半分以上が返ってきたのだから『よし』のすべきだと考えるようにしました。だって、大抵は3000円の元手が300円しか戻らない方が殆どなのだから。90枚の中に当たり札が『10000円』と『3000円』の2枚もあったのだから、これは「若宮八幡大神様、ご先祖様のお導き」だと思わなければ駄目だと考えました。「でも、次回には億単位の札が当たりますように。」と懲りずにお願いしようと考えている私なのであります。

話題はガラッと変わって本日13時30分からの本館1階及び2階のお参りについて書くことにします。午前中には祭日であったにも関わらず役員の日程が平日では会わなくてリモート会議がありました。私は年中無休の生活ですから一向に構わないのですが。と言うより土日祭日大歓迎なのですが・・・。だって、公的な役割は絶対にないので。とにかく10時30分から12時30分までリモート会議があり、その後昼食を食べてから、パソコンで事務連絡の確認と連絡を打ち込んでいたりしていると、13時30分になったので本館1階のフロアに行くと、既に入居者さんは集まられていて、私の導師で正信偈と般若心経を唱えさせて頂いて、改めて私の「私のお経が進化している。」と思うと共に「お経さんの上手な方が結構おみえになるな。」と思いました。

本来ならお経と私の終りお話が終わった後は「カラオケで一曲」の流れなのですが「本日は2階でたっぷり歌って下さい。」と言う事で2階に行き、このフロアでもしっかりとした声でお経を唱えていて「このフロアにもお経の上手い方が何人かおみえになるな。」でお経の後のお話を終えるとカラオケがしっかりセットされていて、西村課長に「何が入っているの。」と聞くと「北の漁場、まつり(北島三郎さんの曲です。)、お前しか愛せないの3曲が入ってます。」との事で正直嬉しくなって、気持ちよく3曲を歌い終わると「アンコール」の声があがり、遠慮なく『酒よ』(吉幾三)を歌わせて頂き、次は私の方から「4曲は縁起が良くないのでもう一曲歌わせて貰います。」と言うと拍手が沸いたので鳥羽一郎の『兄弟船』をこれまた気持ちよく歌って終わろうとすると、「理事長さん。お願いだからもう一曲歌って」との声があがり、気が付けば入居者さんはそれぞれの手に応援用のうちわまで持たれているのです。

「これは歌うべし」と言う事で、新館では上手く歌えなかった『函館の女(ひと)』を選曲して歌ったのですかこれまた上手く歌えました。またまた「もう一曲」との声が出たのですが、この企画を終えてから若山家のお墓にお彼岸のお参りに行く予定をしていたし、この雰囲気だと皆さんが「あと一曲」となりそうな雰囲気だったので「来月も必ず歌いますので」と言って帰ろうとすると1番前で聞いて下さっていた入居者さんが「うちわにサインが欲しい。」と言われて西村課長が準備よくマジックを用意してくれたので、私の名前と入居者さんの名前を書くと「私も」と言う方が多くて私は思わず「私はスターか」と思いつつ6人の入居者のうちわに書いたところ、後ろの方にいた方が自分には回って来ないと思われたのか怒り出されたので私は直ぐ様その入居者さんのところに行ってうちわを渡して貰い目の前でサインをすると喜んで下さり、一件落着。

リピーターの皆さん。よかったらサインを書きましょうか・・・。

昨日17時15分から本部施設の幹部会(経営戦略会議)が行われました。

令和4年3月20日

昨日は午後からデイサービスと新館2階及び新館1階のお参りがあり(新館ではそれぞれにカラオケで歌も歌いました。)その後、幹部会が行われる(17時15分~)前にコラムの原稿を書かないと家に帰ってからだとコラムの執筆が挫折するのでは無いかと考えて、お参りから事務所に戻り急いでコラムの原稿を打っていたのですが16時に打ち合わせの約束をしていた和(なごみ)の吉澤施設長が来たので15分ほど打ち合わせを待って貰って取り敢えずコラムを打ち終えて会議室に移動し吉澤施設長と打ち合わせをしていると烏野先生もみえたので話し合いに同席して貰いました。17時10分になったので打ち合わせを終了して幹部会が出来る体制にして、幹部会のメンバーが揃った段階で軽めの夕食としてパンとカップ麺を食べてから会議を私の進行で始めました。

メインの課題は①経費の削減の為の提案②職員の資質向上の為の研修③デイサービスの事業の方向性等について、密度よく話し合いが行われました。20時過ぎに終了して若干の打ち合わせをして家に帰ったのが20時40分。そのままお風呂に直行して、いつもの様に頭から水をかぶりその後ゆったりと湯船に浸かりました。この瞬間こそ一日で一番リラックスする時間です。本来であれば布団に入って熟睡している時間が一番リラックス出来るのだと思うのですが、最近は色んな事を寝ながら考えている為か眠りについて3時間もすると寝汗をかいて着替えをしてからは、熟睡出来ない毎日でした。

昨夜は寝汗こそかきませんでしたが午前2時には目を覚まし4時過ぎまでうとうとして4時30分に起きていつもの様に若宮八幡大神様と仏壇んでの祈りの時間を6時30分まで持ちました。お仏壇の前に座って『正信偈』をあげている時にふっと感じたのは自分で言うのもおかしな話ですが「お経の声が良く通り上手になった。」と言う事です。これは私自身のステージが1段上がったのかも満足している自分がいます。そんな事を考えながらウォーキングマシンで30分歩きながら『般若心経』を唱えて(本日も13巻)からお風呂に入り、その時に一昨日本屋さんから届けて頂いた『週刊現代』の『東洋占術研究家 美鳳の週間運気予報』で私の生まれ月の5月を見ると『運気指数』どの月よりも高い92%で「勘が働くので最善を尽くして・・・何が良くて何が悪いのかわからない状況から抜け出せる。勘も働くので、今できる最善を尽くせば確実に成果を残せるはず。

吉方位は北東」とあったので、『吉方位は北東』とあったので私は「北東の方位には優・悠・邑 和(なごみ)があるので素晴らしい。と思いましたし、『勘が働くので、いまできる最善を尽くせば確実に成果が残せるはず』とあったので私は電話をしても問題がない7時30分に協力をして頂きたい方に電話をすると「今日は10時に関ケ原に行く用事があるので用事が済み次第お伺いします。」との返事を頂き「今はアクションを起こして活路を見出す時」と思いました。その事を施設に来た吉澤施設長に話をすると「理事長はそう言う事を信じられる方では無いと思っていました。」と言うので「自分にとって都合の良い情報で安心したいの。」と話をすると吉澤施設長も「なるほど」と言う風に理解してましたので『思いは同じだ』とも思いました。リピーターの皆さん、復活の兆しが見えて来た事に祝福をして下されば嬉しいです。

〈余談〉ちなみに、吉澤施設長の生れ月は2月でその運勢は「運勢も雪解け。計画が進みだす・・・周囲の理解が得られて希望が通りやすい時期。前に話は出たけれど進まなかった計画について、『そういえば』と切り出してみよう。」とありました。これは二人ともに目的に向かって進む事が出来る吉兆の証し。藁おも掴みたい2人にとっては何よりのエールと考えています。今の難題がクリアしたら寝汗をかかずにしっかりと6時間は寝る事ができると考えています。

寒暖の差が激しい日が続きます

令和4年3月19日

3日程前の昼間は20℃近くまで上がって車を運転している時等は思わず「暑い」と感じていたのに昨日は雨が降っていたこともあって「冷たい雨じゃあ」と身震いしなければいけない様な状態でした。今の時期のこの様な状況を『三寒四温』と言うのでしょうか。 そう言えば昨日が(3月18日)が『彼岸の入り』だったので、「いよいよ春到来」と言う事でしょうか。私はさり気無く『彼岸』と言う言葉を使いましたが良くは知らないので『彼岸』をスマホのグーグル情報で検索してみました。(私でもその程度は出来ますよ。)〈彼岸とは、日本の雑節の一つで、春分・秋分を中日とし、前後各3日を合わせた各7日間である。この期間に行う仏事を彼岸会と呼ぶ。最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」と呼ぶ。俗に、中日に先祖に感謝し、残る6日は、悟りの境地に達するのに必要な6つの徳目「六波羅蜜」を1日に1つずつ修める日とされている。〉と書いてありました。そしてまたまたわからない事が出て来たので、これまたグーグルで調べました。何かと言うと『六波羅蜜』と言う言葉です。『六波羅蜜』とは〈この世に生かされたまま、仏様の境涯に到るための六つの修業を言います。〉とあったので、今度は『六つの修業』とは何なんだ。と言う事で調べました。六つの修業とは『布施』『持戒』『忍辱』『精進』『禅定』『智慧』だそうです。一つひとつの説明はいつかするとして、今パソコンの画面に打ちながらつくづく思ったのは「私はこんなに探究心が旺盛だったか。」と言うことです。何をするのにも淡白で直ぐに諦めてしまう『宏君』だったのにと思っています。但し、今は自分自身厳しい状況に置かれているので昨夜も凄い寝汗をかいて目が覚めたのですが寝ながらも色んな事を考えなければいけないので今は理屈っぽくなっているのかも知れません。早く淡白な自分に戻りたい。でも今の自分がより成長する為の時間だとすると貴重な時間なのかも知れません。リピーターの皆さんもがき苦しんでいる私に温かいご支援をお願いします。いやいや。他力本願では無くて自力本願で頑張りますのでせめて見ていて下さい。

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